2012年2月〜3月作成   表示更新:2022年11月28日

碧巌録:その1: 1〜25則

   
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碧巌録について



日本で最もよく読まれる禅の本(公案集)に「碧巌録」と「無門関」がある。

この二つの書物は特に臨済系の禅において尊重されている。

「碧巌録」は雪竇重顕(980〜1052)と圜悟克勤(1063〜1135)の2人の禅僧によって作られた。

雲門派の禅僧である雪竇重顕は「景徳伝灯録」などから、

古来の禅者の言行録100種を抜き出し「雪竇頌古百則」を作った。

「雪竇頌古百則」は本則と頌から成る。

これに臨済宗楊岐派の熱血僧圜悟克勤が垂示、著語、評唱を付けたものが「碧巌録」である。

最初、雪竇重顕が作った「雪竇頌古百則」に

圜悟克勤が垂示、著語、評唱を付けて完成させたものであるから、

碧巌録は雪竇重顕と圜悟克勤の合作と言っても良いかも知れない。

しかし、圜悟克勤が碧巌録を完成させた時には雪竇重顕は既に死亡していたから、

自分が作った「雪竇頌古百則」が碧巌録になったことは知らない。

その意味で不思議な合作本といえる。

垂示とは序であるとともに一般論的なまとめである。

著語とは寸評である。評唱とは批評である。

「碧巌録」は12世紀の初めに現在の形に成ったと考えられている。

室町時代には日本の五山の禅僧達は

「碧巌録」を禅の最も優れた教科書として愛読していたと言われる。

碧巌録に頻出する祖師は趙州従シン禅師(748〜834、唐代)

と雲門文偃(864〜949)禅師の2人である。

雲門文偃の後半生は五代十国時代(907〜960)にかかっているが

唐代の人だと見なすことができる。

このことからも禅は唐代にほぼ完成しているという結論は正しいと思われる。

雲門文偃が碧巌録に頻出するのは

「雪竇頌古百則」の著者である雪竇重顕が雲門派の禅僧であったからであろう。

碧巌録に出てくる趙州従シンの公案については 

信心銘の『至道無難 唯嫌揀択 但無憎愛 洞然明白』

という言葉と関係するものが四則と際立って多い。

その公案は

 第則 :「趙州至道無難」、第57則:「趙州不揀択」、第58則:「趙州カ窟(かくつ)」、第59則:「趙州至道」

の4則である。

禅において信心銘の『至道無難 唯嫌揀択 但無憎愛 洞然明白』という言葉が如何に重要かを物語っている。

図1に示すように、「碧巌録」は垂示、本則、評唱、頌から成る文段構造になっている。

fig.1
文段構造

図1 碧巌録の各則の文段構造


ここでは大森曹玄著、「碧巌録」と岩波本「碧巌録」を参考にし、

合理的科学的立場から「碧巌録」の公案1〜50則を分かり易く解説したい。



1soku

 第1則 達磨廓然無聖



垂示:

山を隔てて煙を見て、早くこれ火なることを知り、

牆を隔てて角を見て便(すなわ)ちこれ牛なることを知る。

挙一明三(こいつみょうさん)、目機銖両(もっきしゅりょう)、これ衲僧家(のうそうけ)尋常の茶飯(さはん)。

衆流(しゅつる)を截断(せつだん)するに至っては、東湧西没、逆順縦横、与奪自在なり。

正当(しょうとう)恁麼(いんも)の時、しばらく道(い)え、

これなん人の行履(あんり)の処ぞ。雪竇の葛藤(かっとう)を看取せよ。

注:

挙一明三:一を挙げて三を知るような明敏さ。

目機銖両:目機は目で重さを量る。「銖・両」は小さな重量単位。

衲僧(のうそう):禅僧。

正当恁麼(しょうとういんも)の時:まさにこのような時

恁麼(いんも):このような。如是。

衆流を截断する:あらゆる知見・煩悩の流れを断ち切る。

葛藤:からみつく悩み。言語や言語表現のこと。



垂示の現代語訳


山を隔てた向こうの方に煙が立つのを見て、素早く火事だとを知り、

垣根の向こうに角を見て牛が通っていることを知る。

このように一を見て三を知り、

「銖」とか「両」のような僅かの重さもすぐ分かるのは

禅僧にとっては日常茶飯事である。

また優れた禅僧はあらゆる知見・煩悩の流れを断ち切り

東湧西没、逆順縦横、与奪自在の働きをする。

そのような自由な働きをする人とはどのような人だろうか。

ここに雪竇が提出する問題をじっくり見て参究せよ。

本則:

梁の武帝、達磨大師に問う、「如何なるかこれ聖諦第一義?

磨云く、「廓然無聖(かくねんむしょう)」。

帝云く、「朕に対する者は誰ぞ?

磨云く、「識(し)らず」。

帝、契わず、達磨ついに江を渡って魏に至る。

帝後に挙して誌公に問う。誌公云く、「陛下、還ってこの人を識るや?

帝云く、「識らず」。

誌公云く、「これは是れ観音大士、仏心印を伝う」。

帝悔いて、遂に使いを遣し去って請ぜんとす。

誌公云く、「道(い)うことなかれ、陛下、使いを発し去って取らしめんと

闔(こう)国(こく)の人去(ゆ)くともまた回(かえ)らず」。

注:


梁の武帝:梁の初代皇帝蕭衍(しょうえん)(464〜549)。

武帝は仏心天子と呼ばれるほどの熱心な仏教信者で

袈裟をつけて放光般若経を講義したと伝えられる。

達磨大師:インドの香至国の第三王子だと伝えられる。

インドでハンニャタラ尊者の法を嗣いだ後、

インドのベンガル湾から船出して、三年かかって広東に着いた。

その後南京に入って梁の武帝に謁した。

武帝は最初に、

朕は寺を起こし、僧を度す。何の功徳かある?」と言った時、

達磨は、「無功徳」と答えた。

達磨と武帝の心(仏教理解)は合わなかったので、

達磨は梁を去って北魏に行ったとされる。

本則はその時交わされた会話と伝えられる。

聖諦第一義:仏法の根本義。

廓然無聖(かくねんむしょう):からりと晴れ渡った青空のように「聖」も何も無い開豁な世界。

誌公:宝誌(418〜514)。

神異と奇行の僧として知られた。

「大乗讃」、「誌公和尚12時頌」、「誌公和尚14科頌」などが伝わり、

中国の大乗禅の基盤を作った人として知られる。

闔国(こうこく)の人:国をあげてすべての人々。

本則:

梁の武帝は達磨大師に聞いた、「仏法の根本義はどのようなものですか?

達磨は言った、「からりと晴れ渡った青空のように「聖」も何も無いわい」。

武帝は言った、「朕に向かいそのようなことを言っているお前は一体何者だ?

達磨は言った、「そんなことは識(し)らん」。

武帝は達磨の心を理解できなかった。達磨はついに江を渡って魏に去った。

後に武帝はこのことについて誌公に聞いた。

誌公は言った、「陛下、この人が誰か分かりますか?

武帝は、「知らん」と言った。

誌公は、「彼は仏心印を伝えに来た観世音菩薩ですよ」と言った。

武帝はこれを聞いて後悔した。彼は遂に使いを派遣して達磨を呼び戻そうとした。

誌公は言った、「陛下、使いを派遣して達磨を呼び戻そうとしてもだめですよ

国を挙げて呼び戻そうとしても彼は帰って来ないでしょう」。


頌:


聖諦廓然 何ぞ当さに的を弁ずべき

朕に対する者は誰ぞ還って言う不識と

これに因りて暗に江を渡る

豈に荊棘を生ずることを免れんや

闔国の人 追うとも再来せず

千古万古 空しく相憶う

相憶うことを休めよ

清風匝地 何の極りかあらん

師、左右を顧視して云く、「這裏に祖師ありや?

自ら云く、「有り。喚び来たりて老僧がために洗脚せしめん」。

注:


千古万古:千年、万年、永久に。

荊棘を生ずる:荊棘は煩悩のたとえ。煩悩が生まれる。

清風匝地(せいふうそうち):清風(清々しい悟りの風)が地を匝(めぐ)るように吹き渡る。

這裏に祖師ありや?:雪竇は大衆を見まわして、

さて、ここに生きた達磨はいるかな?」と質問している。

ここでいう達磨とは人が本具している本来の自己(真の自己)を指している。

諸君!ここに生きた達磨(真の自己)を自覚しているかな?

と聴衆(修行僧)に呼びかけ聞いているのである。


頌:



禅の本質(聖諦)はカラリとした空のように何も無い。

そのようなものを一体どうして弁ずることができようか(できはしない!)。

武帝が「朕に対する者は誰ぞ?」と聞くと、

達磨は「不識」と答え遂に長江を渡って北魏の方に去ってしまった。

これによって簡単に抜け出ることができない荊棘(煩悩)が生じたのだ。

国をあげて多くの人が達磨を追おうとしてももう戻ってこない。

永遠に 相憶っても空しいことになる。

むしろ、祖師達磨のことを未練たらしく相憶うことをキッパリ止めなさい。

そうすれば脚もとを吹きわたる清風が止むことはないだろう。

ここで、師(雪竇)はギョロリと左右を視回して言った、

諸君!ここに生きた達磨はいるかな?

そして、自分から答えて言った、「いるよ」と。

それを聞いて皆は「ハテ、我々の中に達磨がいるのかな?

と仲間同士で見回した。

しかし、自分の外にいるはずがないだろう。

この人々も永遠に空しく相憶う人々のようだ。

自分自身が生きた達磨であることに未だ気付いていないとは!

雪竇は

エイ馬鹿者ども!キョロキョロと外に向って達磨を捜したって見付けられるはずはないわい

もし見つけたらここに喚んで来い! わしの脚でも洗わせるわい!

とくやしそうに言った。



解釈とコメント



岩波本「碧巌録上」p.41の「評唱」には五祖法演(?〜1104)の言葉として

ただこの廓然無聖、もし人透得せば、帰家穏坐せん

おなじく是れ葛藤を打し、なかなかに彼のために漆桶(しっつう)を打破するに達磨はとりわけすぐれたり

と紹介されている。

五祖法演の言葉の中で「漆桶(しっつう)を打破する」という文句が注目される。

「注では漆桶とは真っ黒になった漆桶。ここは無明の故の暗黒。」とある。

それよりは「漆桶とは真っ黒ではっきりしない無意識の下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)」と考えた方が良い

のかも知れない。

禅と脳科学を参照)。

達磨が「碧巌録」の第一則に取り上げられたのは、中国禅の初祖に対する敬意を表すためだと考えられる


2soku

 第2則 趙州至道無難


垂示:

乾坤(けんこん)窄(すぼ)まり、日月星辰一時に黒し。

たとい棒、雨点の如く、喝、雷奔に似たるも、また未だ向上宗乗中の事に当得せず。

たとい三世の諸仏も只だ自知すべく、歴代の祖師も全提不起。

一大蔵教も詮注し及ばず。

明眼の衲僧も自救不了。

這裏に到ってそもさんか請益せん。

箇の仏の字を道うもタ泥滞水(たでいたいすい)。

箇の禅の字を道うも満面の慚惶(ざんこう)。

久参の上士はこれを言うことを待たず、後学初機は直ちに須らく究取すべし。

注:


至道:至極の大道、最高の真理・理法のこと(信心銘を参照)。

乾坤:天地。

向上宗乗中の事:仏法をすら超えた禅の究極。

全提不起:理法を指し示すことができない。

自救不了:自らを救うことができない。

詮注(せんちゅう):言葉で解説する。

請益(しんえき):教示を願う。

タ泥滞水(たでいたいすい):泥水にまみれてベトベトになる。

慚惶(ざんこう):恥かしくて恐れかしこむこと。

久参:修行に年季を積んだ。

初機:修行の初心者。


垂示の現代語訳


至道とは何時何処でも普遍的に当てはまる最高の真理・理法のことである。

至道は天地をも包みこみ、太陽よりも明らかなものである。

そのような至道の前には天地もその大きさを失い、日月星辰もホタルの光のように暗い。

たとえ雨粒のように棒で数限りなく叩いても、

また、雷が空で暴れ回るように「カアーツ!」と喝してみても、

仏法を超えた禅の究極を指し示すことはできない。

たとえ三世の諸仏も至道を自知するしかない。

歴代の祖師もいくら偉大であってもその全てを指し示すことはできない。

八万四千と言われる仏教の一大蔵経もこれを明らかに解示することはできない。

たとえ悟りの眼が明かな禅僧でさえも

これを他人に説くことも自分自身を救うこともできないだろう。

それでは一帯誰に教えを請えば良いだろうか。

仏と一口言っただけでも泥水にまみれてベトベトになるし、

禅と言っても恥かしくてちじこまってしまうだけだろう。

久参の上士はさておき、初心者は至道についてどう参じたらよいだろうか。

それでは次の本則を参究しよう。


本則:


趙州、衆に示して云く、「至道無難、唯嫌揀択。わずかに語言あればこれ揀択これ明白

老僧は明白裏にあらず。これ汝かえって護惜すやまたいなや」。

時に僧あり問う、「すでに明白裏に在らず。箇のなにをか護惜せん」。

州云く、「我もまた知らず」。

僧云く、「和尚すでに知らず、なんとしてか却ていう明白裏に在らず」と。

州云く、「事を問うことは即ち得たり、礼拝して了って退け」。


注:


趙州:趙州従シン禅師(778〜897)。

趙州城内の観音院に住した。 南泉普願禅師に嗣法した。

趙州の禅は唇から後光がさすようだとされ、「趙州の口唇皮禅(くしんぴぜん)」と呼ばれる。

趙州は三祖僧サンの「信心銘」の

「至道無難、唯嫌揀択、但無憎愛、洞然明白(信心銘を参照)。」

という言葉が好きだったようで、

「至道無難」の公案が碧巌録に四則も出ている。

既に述べたように、その公案は

第2則 :「趙州至道無難」、第57則:「趙州不揀択」、

第58則:「趙州カ窟(かくつ)」、第59則:「趙州至道」の4則である。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン

揀択(けんじゃく):えり好み。憎愛取捨の分別意識。

護惜:後生大事に護って生きる。


本則:

ある時、趙州和尚は、弟子達に言った、

至道は難しいことは無い、ただえり好み(揀択)を嫌うだけだ

ウンとかスンとかわずかに言えば

もう揀択(差別または迷い)か明白(平等または悟り)に落ちてしまう

このわしは明白という悟りの世界にはいない

お前達はこの悟りの世界を後生大事に護るのかどうかな?」。

その時、僧が出て来て聞いた、

話しはよく分かりました

しかし、和尚さんは既に明白の世界にいないと言われました

明白の世界に腰をすえてはいないならば、守るものもないはずでしょう

それなのに一体何を護惜するのですか?」。

趙州は言った、「わしもまた知らんわい」。

僧は言った、「和尚は知らんと仰るけれど

それならどうして明白裏に在らずと言ったのですか?」と。

趙州は言った、「言うだけ言ったらトットと帰りなさい」。


頌:


至道無難 言端語端

一に多種あり 二に両般なし

天際日上がり月下がる

檻前山深うして水寒し

髑髏 識尽きて喜び何ぞ立せん

枯木竜吟銷して未だ乾かず

難難

揀択明白 君自ら看よ


注:


言端語端:一句のはしばしが、みなそれ(至道)を開示している。

一に多種あり:一つの理にもさまざまな面があるが、その多様さの一つ一つが別ものではない。

二に両般なし:分別意識(二)でさまざまなものが出て来るが、

その多様さは本来一つのもの(脳)から出てくるので別ものではない。

天際:大空(天)のきわみ(際)

檻前:てすりの前

枯木竜吟銷して未だ乾かず:枯木にできたうつろな穴に風が吹き込むとヒューっと鳴き、

あたかも竜が鳴いているようであるがその音が消えても湿った木はなかなか乾燥しない。


頌:


至道は無難と言うが 言句の端ばしが、みな至道を開示している。

一(脳)から別れて多くのものが出てくる。

それは分別意識(二)によって更に複雑に変化するが、

その多様さは本来一つのもの(脳)から出てくるので別ものではない。

毎日大空には日が上がり月は西に沈む。

てすりの前(檻前)に見える深山幽谷の緑は深く、水は冷たい。

そのような眼前に展開する多彩な変化も至道の姿に他ならない。

それは当たり前の自然の姿であり無難と言えるものである。

しかし、我々自身の禅の問題に立ち返ると、我々が死んで髑髏になり、

意識が尽きた時には、憎愛も揀択も一切無くなる。

そのように自我の分別意識を掃蕩して髑髏になり

 識尽きたような状態にならないとその境地には到達できない。

枯木のうつろな穴に風が吹き込むとヒューっと、

あたかも竜が鳴いているようであるがその音が消えても湿った木はなかなか乾燥しない。

そのような禅の境地を体験するのは難の難であり並大抵の修行ではだめである。

揀択(分別意識)を掃絶して、「洞然明白な至道の境地に至る」には君自らが修業し体験するしかないのだ。



解釈とコメント




趙州は、『至道(悟り)がいかに大切でもそれに執着すれば迷いになる』と言いたかったと思われる。

至道を体得した達人はそのような明白の世界(平等または悟り)に腰をすえて停滞してはだめである。

好き嫌いやえり好みは「大脳辺縁系」にある扁桃体が司っている。

坐禅によって扁桃体をコントロールすることが

洞然明白」な至道の境地に至るために重要だと言っているとも解釈できる。

最近、マインドフルネス(瞑想)によって扁桃体が0.5%小さくなるということが分かってきた。

この事実は坐禅によって扁桃体の過活動(情動の過活動)をコントロールできることを示唆している。

禅と脳科学を参照)。


3soku

 第3則  馬大師不安


垂示:

一機一境、一言一句、しばらく箇の入処あらんことを図れば好肉上に瘡(きず)をえぐり、

カを成し窟(くつ)を成す。

大用現前(だいゆうげんぜん)、軌則を存せず、

しばらく向上の事あるを知らんと図れば、蓋天蓋地(がいてんがいち)、

又模索不著。恁麼もまた得(よ)し、不恁麼もまた得(よ)し。

太(はなは)だ廉繊(れんせん)なり。

恁麼もまた得(よ)からず、不恁麼もまた得(よ)からず。

太(はなは)だ孤危(こき)なり。

二塗に渉(わた)らず、如何にすれば即ち是なる。請う試みに挙す看よ。


注:

一機一境:一つ一つの働き(機)と動作(境)。

入処:悟入への手掛り。

大用現前(だいゆうげんぜん)、軌則を存せず。:

仏法の大いなる働き(用)と展開(現前)には決まったパターン(軌則)がない。

向上の事:仏向上事。仏を踏み越えた消息。

第二則の「向上宗乗中の事」(仏法をすら超出した禅の究極)と同じ。

蓋天蓋地(がいてんがいち):天を蓋(おお)い、地を蓋(おお)う。

模索不著:探り当てられない。

恁麼(いんも):そのようなこと。

太(はなは)だ廉繊(れんせん)なり:はなはだ繊細微妙だ。

孤危(こき)なり:ひとり高くそそり立っている。


垂示の現代語訳


禅者は一つ一つの働きと動作や一言一句によって悟りへの手掛りを示唆する。

しかしそれは無傷のきれいな顔に傷をつけるようなもので余計なことにもなる。

師の示唆が却って、落とし穴になって禅を誤ることになる。

仏法の大いなる働きと展開には決まりきったパターンはない。

仏法を超えた禅の究極を知ろうとするのは天を蓋(おお)い、

地を蓋(おお)うようなもので、探り当てることはできない。

そのような仏向上の世界は絶対の世界だから天にも一杯、地にも一杯、どこにある。

「そうであっても(恁麼も)良いし、そうでなくても(不恁麼も)またよい」で、

すること、なすこと何でも禅で、非常に繊細微妙である。

また逆に、「そうであっても(恁麼も)良くないし、そうでなくても(不恁麼も)またよくない」で、

ひとり高くそそり立って近づき難い世界でもある。

そのどちらにも片寄らないところに達するにはどうしたら良いだろうか。

ここに良い例があるので試しに参究しなさい。


本則:


馬大師安らかならず、院主問う、「和尚、近日、尊候如何?

 大師云く、「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(がちめんぶつ)


注:

馬大師:馬祖道一(709〜786)。中国禅の実質的な大成者。

馬祖の禅は洪州宗と呼ばれる。

馬祖の禅思想を参照)。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 

安らかならず:病気になった。

院主:寺の執事、事務長。

尊候如何:ご機嫌いかがですか?

日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(がちめんぶつ) :

日面仏、月面仏は『三千仏名経』に出ている仏の名前で、

「日面仏」は1800歳の長寿の仏、「月面仏」は一日一夜の短命の仏である。


本則:


馬祖道一禅師の晩年のことである。禅師の病は篤く、もはや臨終も時間の問題だった。

その時、院主は師に聞いた、

和尚さん、お加減は如何でございますか?

  馬祖大師は云った、

日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(がちめんぶつ)



頌:


日面仏月面仏

五帝三皇これ何物ぞ

二十年来曽って辛苦し

君が為に幾たびか蒼竜の窟に下がる。

屈(くつ)! 述(の)ぶるに堪(た)えんや

明眼の衲僧も軽忽することなかれ


注:


五帝三皇:中国古代の皇帝。

三皇とは天皇、地皇、人皇の三帝王で天地人に由来し神の性格を持つ。

五帝は黄帝・・尭、舜,禹の五帝王で聖人の性格を持つ。

三皇五帝は中国の神話時代の帝王で実在したとは考えられていない。

五帝三皇これ何物ぞ:二十年間辛苦修行したため三皇五帝も何とも思わなくなった。

蒼竜の窟:

下層脳(爬虫類脳)のことで真実の自己(下層脳中心の脳)の住処(窟)を指すと考えられる。

 蒼竜窟とは下層脳(爬虫類脳)の絶妙の表現と言える。

屈(くつ)!:身に憶えがないのにひどい仕打ちに会った。

述(の)ぶるに堪(た)えんや:この無念さは口に出すことができない。


頌:


仏には日面仏もおれば月面仏もいる。

禅の本質(仏としての悟りと自覚)に到達した境地から

見れば五帝三皇の聖人帝王も何物でもない。

二十年間刻苦修行することで君(真の自己)に見えるため下層無意識脳(蒼竜窟)に幾度も入った。

その辛苦の禅修行は身に憶えがないのにひどい仕打ちに会ったようなものだ。

思い出すと感極まって口に出ないよ。

悟りの眼を開いた禅僧(明眼の衲僧)も

このことをおろそかに考えてはならない(軽忽することなかれ)。



解釈とコメント




この公案のポイントは馬祖が云った「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(がちめんぶつ)」をどのように考えるかであろう。

ここでは「仏でも1800歳の長寿の仏である日面仏(にちめんぶつ)もおれば、

一日一夜の短命の仏である月面仏(がちめんぶつ)もいる。

またわしのように77才で死ぬ者もいる(色々だよ)。

長寿の仏である日面仏が尊い仏で、短命の仏である月面仏は尊くない』と考えてはならない。

寿命の長短は仏の境地と関係ない。

自分は臨終を迎えようとしているが仏としての自覚や悟りの境地に微塵の揺らぎもない。

私は安心立命して心は実に安らかだ。死にそうだからと心配するに及ばない」と寿命の長短を超えた世界と安心立命の境地

を示したと考えてもよいだろう。



4soku

 第4則   徳山到イ山 


垂示:

晴天白日、更に東を指し西を劃すべからず。時節因縁、また須らく病に応じて薬を与うべし。

しばらく言え、放行するがよき、把行するがよき、試みに挙す看よ。 


注:

晴天白日:青空に太陽が輝く。晴れ晴れとして心に曇りのないさま。

東を指し西を劃すべからず:東を指したり西を指したり、お茶を濁してはいけない。

放行(ほうぎょう):自らの工夫に任せる自由と差別の世界。規制緩和と言える。

把定(はじょう):規範に従わせる。規制する。否定や絶対平等の世界(無差別平等)を表わす。


垂示の現代語訳


晴天白日、からりと晴れた青空のようなこの境地は、無一物の禅の世界と言える。

そのような境地に於いて、東を指し西を劃すような差別や対立はない。

悟りも迷いも乗り越えた世界である。

しかし、それは如何に尊いといってもそれだけでは一面観に陥る。

我々が生きる現実の世界は「時節因縁」の世界で、

過去・現在、健康・病気、悲・喜が入り混じった差別の世界である。

そのような現実の世界では病に応じて薬を与えるようなことをしなければならない。

それでは一体「放行」で自由放任にするのが良いだろうか。

あるいは、「把定」ということで対立・差別を許さず、

否定や絶対平等の世界(無差別平等)にいるが良いのだろうか。

ここに良い例があるので試しに参究しなさい。


本則:


徳山、イ山に到る。

複子を挟んで法堂上を東より西に過(わた)り西より東に過(わた)り顧視して、

無、無」と云って便ち出ず。

雪竇著語して云く、「勘破し了(おわ)れり」。

 徳山、門首に至って却って云く、

また早々にするはことを得(よか)からず」と。

便ち威儀を具して再び入って相見す。

イ山坐する次で徳山坐具を提起して云く、「和尚」。

イ山払子(ほっす)をとらんと擬(す)。徳山便ち喝して払袖(ほっしゅう)して出ず。

雪竇著語して云く、「勘破し了(おわ)れり」。

徳山法堂を背却して草履をつけて便ち行く。 

イ山晩に至って首座に問う、

適来(せきらい)の新到いずれの処にか在る」。

首座云く、「当時法堂を背却して草履をつけて出で去れり」。

イ山曰く、「この子、巳後、孤峰頂上に向って草庵を盤結して

仏を呵し祖を罵り去ることあらん」。

雪竇著語して云く、「雪上に霜を加う」。


注:

徳山(とくさん):徳山宣鑑(せんかん)禅師(782〜865)。

棒を振るって後進を指導したので「徳山(とくさん)の棒、臨済の喝」と言われた。

「無門関」28則にあるように徳山は龍潭崇信の処で悟った。

「無門関」28則を参照)。

この話は龍潭崇信の処で悟った徳山(とくさん)が

自信満々でイ山(いさん)に乗り込んで来た時の話だと思われる。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷 →天皇道悟 →龍潭崇信→徳山宣鑑

イ山(いさん):イ山霊祐(れいゆう)禅師(771〜853)。

百丈懐海の弟子で弟子の仰山慧寂と共にイ仰(いぎょう)宗の祖と言われる。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海 →イ山霊祐

複子(ふくす):袈裟文庫。

勘破:見抜く。

首座(しゅそ):禅堂の指導者。

適来(せきらい)の新到:さきほどの新参者。


本則:


徳山宣鑑はイ山に来た。

多くの雲水が坐禅修行をしていた法堂上を袈裟文庫を背負った旅姿のままで

東より西、西より東に過(わた)り、ジーッと雲水達をねめ廻して、

ここには大した修行僧はいないな

と言って出て行った。

雪竇は著語して言った、「見抜いたな」。

山門の辺りまで行った時徳山は言った、

まてよ、このまま去るのは大ざっぱで早合点過ぎて良くないかも知れんな」と。

そこで袈裟をかけ、僧として正装して、

再び引き返してイ山霊祐禅師と相見しようとした。

徳山はイ山和尚がドッシリと坐っている処に入って来て、坐具を敷かずに目の高さに突き出して、

和尚」と言った。

イ山はおもむろに払子(ほっす)を取ろうとした。

その時徳山は「カーッ

と一喝し、サーッと袖を払って出て行ってしまった。

雪竇は著語して云う、

見破ったな」。

徳山は草履を履くと法堂を背にさっさと出て行ってしまった。 

さてその晩のこと、イ山は僧堂の首座を呼んで聞いた、

さきほど来たあの新参者はどうしたかな?」。

首座は言った、

草履を履くと法堂を後にさっさと出て行ってしまいました」。

イ山は言った、

あいつは将来きっと、人跡不倒の絶対境(孤峰頂上)に草庵を結んで独り坐し

仏を呵し、達磨大師をも罵り去るような絶対否定の禅風を挙揚するだろう」。

雪竇はこれにコメントして云った、

雪の上に霜を加えるような余計なことである」。


頌:


一勘破 二勘破

雪上に霜を加う 曽って嶮堕す

飛騎将軍 虜庭に入る

再び完全し得るは幾箇ぞ

急に走過す 放過せず

孤峰頂上 草裏に坐す


注:

嶮堕(けんだ)す:危うく堕(お)ちるところだった。

飛騎将軍:漢の李広。李広は匈奴に恐れられ飛騎将軍と呼ばれた。

ここでは徳山になぞらえている。

虜庭:匈奴の領域。ここではイ山の法堂になぞらえている。

孤峰頂上 草裏に坐す:絶対の境地(孤峰頂上)に至りながら、そこに尻をすえてしまうこと。  


頌:

一勘破、二勘破と2度も徳山はイ山に相見してイ山の働きを見抜いた(勘破了)。

この時イ山は「あいつは将来きっと、人跡不倒の絶対境(孤峰頂上)に草庵を結んで独り坐し

仏を呵し、達磨大師をも罵り去るような絶対否定の禅風を挙揚するだろう

と雪の上に霜を加えるような余計なことを言った。

それにしても、徳山は無造作にイ山と相見し見破られて、危うく堕(お)ちるところだった。

昔漢の時代の飛騎将軍李広は匈奴の領土に入って捕虜になった。

徳山がイ山の法堂に乗り込んで行ったのは飛騎将軍李広が

匈奴の領土に入ったようなもので無事に帰って来るのは難しいところだった。

しかし、無事に帰って来たのは大したものだ。

徳山はイ山に働く余地も与えず急に走過したのは大した力量だ。

しかし、それを放過せずちゃんと徳山の働きを見抜いたイ山も大したものだ。

独自の超絶の境地(孤峰頂上)に至り草裏に坐すのは何も徳山だけではない。

我々も辛苦参究しなければならない問題だ。

やい!(咄)



解釈とコメント




第4則のポイントは「見抜いたな(勘破了)」という言葉で表現されている勘破であろう。

禅修行が深まると脳にかかっている分別意識のフィルターがとれて

対象を直接客観的に見ることができるようになる。

イ山霊祐(いさんれいゆう)はこれを「妙浄明心」と呼んでいる。

妙浄明心」については、「心とは山河大地なり」を参照)。

この境地は「心境一如の無分別智」と言っても良いだろう。

2005年アメリカでの研究の結果、長年坐禅などのめい想を続けた人の脳は、

通常の人に比べて背内側前頭前野(はいないそくぜんとうぜんや)が分厚くなっていることが明らかになった。

これは、脳の神経細胞(ニューロン)が増えたためで、この部分の能力が強化されたと考えられている。

背内側前頭前野は客観視する場所である。

坐禅修行によって、背内側前頭前野が鍛えられ大きくなり、禅僧の客観視の能力が強くなっていると考えられる。

第4則では「見抜いたな(勘破了)」という言葉が二度出てくる。

この「見抜いたな(勘破了)」という言葉は禅僧の客観視の能力と関係あると考えられる。


これをどのように解釈するかで禅の力量を点検するのである。

第一の場面は多くの雲水が坐禅修行をしていた法堂に入ってきた徳山が彼等の坐禅の姿を見て

ここには大した修行僧はいないな(無、無)

と言って出て行ったシーンである。

これは徳山の個人体験で、しかも1200年前のことでどうであったかは全く分からない。

見抜いたな(勘破了)

と言われても何をどのように「見抜いた(勘破了)」かは分からない。

第二の場面は徳山とイ山の相見の場面である。

徳山はイ山和尚がドッシリと坐っている処に入って来て、

坐具を敷かずに目の高さに突き出して、

和尚」と言う。

イ山が払子(ほっす)を取ろうとしたその時

徳山は「カーッ」と一喝し、

サーッと袖を払って出て行ってしまった。

この2シーンの「見抜いたな(勘破了))

を点検し禅の力量を点検するのである。

第二の場面について我が国の白隠禅師は初め「鼠輩の極楽、猫の一声」

と見たが後に「二十年来見誤った」とその見解を慙じたと言われる。

徳山宣(せん)鑑(かん)はイ山より10才位若い。

第二の場面で徳山は「カーッ」と一喝し、袖を払って出て行ってしまった。

このキビキビした動きをイ山は恐らく頼もしく見送ったと思われる。

それでイ山は「あいつは将来きっと、人跡不倒の絶対境(孤峰頂上)に草庵を結んで独り坐し

仏を呵し、達磨大師をも罵り去るような絶対否定の禅風を挙揚するだろう」と言った。

これに対し、雪竇は、「雪の上に霜を加えるような余計なことである」とコメントした。

イ山のコメントは後々も徳山の禅に影響したと考えられている。

この公案をどのように解釈し、看るかは読む人それぞれによって違うだろう。


5soku

 第5則   雪峰尽大地 


垂示:

大凡(おおよそ)、宗教を扶竪(ふじゅ)せんには須らくこれ英霊底の漢なるべし。

人を殺すにはマバタキもせざる底の手脚(てなみ)あって、

方(はじ)めて立地に成仏すべし。

かくて照用同時、卷舒(けんじょ)ひとしく唱え、

理事不二(りじふに)、権実(ごんじつ)並び行わる。

一著を放過するは第二義門を建立す。

直下に葛藤を截断(せつだん)せば、後学初機は湊泊を為し難し。

昨日もいんも、巳むことを得ず、今日もまたいんも、罪過弥天、

若しこれ明眼の漢ならば、一点も他を漫どることを得ず。

それ或いは未だ然らずんば、虎口裏に身を横たえて喪身失命を免れず、

試みに挙す看よ。 


注:

宗教:人の人たるべき根本の教え。

照用同時:「照」とは相手の機(出方)を写し見る働き、「用」はその機に応じる身の働きのこと。

「臨済の四照用」を参照

卷舒(けんじょ) :卷」は巻き納める、「舒」は展べ広げる。

理事不二(りじふに):理は理法や本質、事は事象のこと。

事象は理法の展開だと考え、理と事は本来同じ(不二)だと考える宋学の思想。

理事不二は馬祖禅の<作用則性>の思想に近い考え方と言える。

馬祖禅の思想を参照)。

権実(ごんじつ) :権教(ごんきょう)(方便の教え)と実教(真実究極の教え)。

一著を放過するは:緩い一手を打てば。

第二義門:第一義門(言語・思惟を越えた究極の世界)の対で、方便のこと。

湊泊を為し難し:かんどころ・つぼをつかみにくい。


垂示の現代語訳


おおよそ、人の人たるべき根本の教えを起こすには千万人に優れた人でないとできないだろう。 

マバタキする間もないほど素早い手腕で煩悩・妄想や自我への執着、

いわゆる「人我の見」を奪い尽くし、はじめて自他をも成仏させることができる。

またそういう人であってこそ照と用が同時に働き、

否定(卷)と肯定(舒)を調整でき、理と事が一致し、

権(方便)と実(実教)を並び行うことができるのである。

緩い手を打てば第二義的な方便の教えになる。

だからと言って直下に葛藤を截断(せつだん)するようなきびしい働きを示せば、

後学の者や初心者には近づき難い。

昨日もあのように緩く第二義的教えを示したのは止むを得ないことであっったにしても、

今日もまたそのようであったら、大きな罪過を免れることはできないことになる。

もし明眼の人ならば、その苦労を理解できるので決してそれを侮るようなことをしないだろう。

もしその苦労を理解しないで第二義的教えを示した者を侮るようなら、

この公案は虎の前に身を横たえたようなもので、命を失うようなことになるだろう。

ここに良い例を示すから試しに参究して看なさい。


本則:


雪峰、衆に示して云く、

尽大地撮(つま)み来(あぐ)ぐれば粟米粒の大きさなり

面前に抛(ほうり)向(だ)すも、漆(桶不会(しっつうふえ)

鼓(たいこ)を打って普請して看よ」。


注:

雪峰:雪峰義存禅師(822〜908)。

徳山宣鑑(せんかん)禅師(782〜865)の法嗣。

雪峰義存は修行成就するまで大変長い年月がかかったと伝えられる。

どこへ行くにも大きな杓子を持って歩き、典座(炊事当番)を志願して陰徳を積んだという。

一旦大悟すると従前積徳の力を発揮して、四十数人の巨匠を育て上げ、大禅者となった。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟 →龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存

漆桶(しっつう):全体が真っ黒な漆を入れる桶。

ここでは真っ黒で何も分からない下層無意識脳(=脳幹+大脳辺縁系)

を中心とする脳のたとえだと考えることができる。

普請(ふしん):

普く請うて皆を集めて仕事(ここでは「真の自己」を究明し探す仕事)をすること。

普通、普請の合図に普請鼓(ふしんく)という太鼓を打つ。


本則:


ある時雪峰禅師は、修行僧達に向って言った、

地球(尽大地)がいくら大きいと言ったって大した大きさではないわい

わしが撮(つま)み挙げれば粟や米粒ほどの大きさじゃ

そうれ、お前達の前に抛りだすから眼を皿にして探し出せ

それは漆桶(うるしおけ)のように真っ黒けで見えないだろう

分からなかったら太鼓を打って皆総出で探し出して看よ!」。  



頌:

牛頭(ごず)没れ 馬頭(めず)回(か)える

曹渓鏡裏 塵埃を絶す

鼓を打って看せしめ来たれども君見えず。

百花春至って 誰がために開く


注:

牛頭:女波(低く弱く打ち寄せる波)。

馬頭:男波(高く強く打ち寄せる波)。

曹渓鏡裏:曹渓とは六祖慧能(638〜713)のこと。

六祖慧能が神秀の偈に対し

菩提もと樹にあらず、明鏡また台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん

と頌したことから、

自己本来の面目(=脳)の働きを明鏡にたとえている。

この頌では雪峰の心眼を澄みきった鏡にたとえている。

百花春至って 誰がために開く:

百花らんまんのこの春の風光が君の目には見えないのか」という意味。



頌:

女波が去ったかと思うと次に男波がやって来るように心は外界の変化に追随して変化している。

その心の働きは鏡に喩えられる。

曹渓六祖慧能(638〜713)禅師は自己本来の面目(脳)の働きを

菩提もと樹にあらず、明鏡また台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん」と詠った。

そのような本来無一物の心の明鏡を我々皆が持っているのにもかかわらず気付かない。

太鼓を打って皆を総動員して探しても見えないとは情けない。

春になれば梅、桜、桃などの百花が競い咲くように生々と躍動する。

花は何かの目的や誰かのために咲くのではない。

自然界の法則に従ってただ無心に咲くのみである。

それが我々の真実の心の在り方にも通じている。


解釈とコメント


この公案では「自己本来の面目」が主題になっている。

雪峰は「自己本来の面目」は地球(尽大地)を超える大きさで、

地球(尽大地)はそれから見ると粟や米粒ほどの大きさに過ぎないと言っている。

それは漆桶(うるしおけ)のように真っ黒けで見えないとも言っている。

これは「自己本来の面目」の本体である脳(下層脳を中心とした脳)

のことを言っていると考えることができる。

この公案は臨済録において述べられている以下のような言葉を読めば分かる。

「臨済録」示衆14−5を参照)。

臨済録「示衆14−5」において、

臨済は本来の面目である脳について

拡げば宇宙一杯に充ち溢れ、収めれば髪の毛一本立てる隙もない

明々白白として自立し、いまだかって欠けたことはない

眼にも見えず、耳にも聞こえない。さてそれを何と呼ぶか。」

と述べている。

これは本来の面目(脳)の性質に対する臨済の実感に基づいた文学的表現である。

また臨済録の「示衆10−11」において、

臨済は本来の面目(脳)について

脚底に踏過して黒没シュン地(こくもつしゅんぢ)にして

一箇の形段無くして歴歴孤明なり

(自分の足の下に踏んでいるそれは、真っ黒けで、姿形は全くなくて、

しかも独自の輝きを発してありありと存在している)」

と言っている (「臨済録」示衆10−11を参照)。

この黒没シュン地(こくもつしゅんぢ)という表現は

漆桶(しっつう)という表現に良く似ている。

下層脳は無意識脳なのでこのような表現がよく当てはまる。

また曹洞宗の祖である洞山良价も「洞山録」において、

一物あり、上は天をささえ、下は地をささう黒きこと漆に似て常に動用中に在りて、動用に収め得ず。」

と述べている。

洞山良价の「黒きこと漆に似ている」と言う言葉も

洞山良价の「黒きこと漆に似ている」と言う言葉も、脳幹を中心とする下層脳(無意識脳)を文学的に表現していると言える。

馬祖の法嗣である大珠慧海の「諸法門人参問語録」には

大珠慧海と僧の間に「般若の大小」について次のような問答が出ている。

問い「般若は大きいでしょうか?」

慧海「大きい」。

問い「どれほど大きいですか?」

慧海「果てしがない」。

問い「般若は小さいでしょうか?」

慧海「小さい」。

慧海「見ようとしても見えない」。

問い「どこがそうなのですか?」

慧海「どこがそうでないのか?」

上の問答において、『般若』は今の言葉で言えば智慧の本源である脳を指すと言えよう。



1400年前の古代(唐代)の中国人が脳宇宙をどのように捉えていたかが分かる点で興味深い。

般若は果てしがないほど大きい

と考えたのは果てしがないほど大きいもの(宇宙)でも

考えたり認識できるので大きいと考えたと思われる。

般若は小さい」と考えたのは見ようとしても見えないからだと思われる。

僧の問い「どこがそうなのですか?」に対して、

慧海が「どこがそうでないのか?」と開き直ったように言っている。

大珠慧海は坐禅を通して般若(智慧)が生じる本源である脳を見つめていた。

彼はそれを見ようとしても見えない。

ところが質問僧は全然違うことを考え「どこがそうなのですか?」

と説明を求める。

それに対し慧海は「どこがそうでないのか?」

と答える。全くかみ合っていないところが面白い。

我が国の栄西禅師は「興禅護国論」の序において

大いなる哉心や、天の高さは極むべからず

しかるに心は天の上に出ず。」

と述べている。これも本来の面目(心、脳)の認識能力の偉大さを言っている。

それは科学的には次ぎのように説明できる。

脳の神経回路には微少電流が流れ、脳機能の本になっている。

脳宇宙と認識能力は電磁的相互作用に基づく電磁的世界であると言える。

電磁的相互作用は遠距離力であり、宇宙大に広がることは科学的に言える。

このため文学的に上のような表現になったと思われる。

また、脳は自ら見ることはできない。

外界を見ることはできるが脳自身を見ることはできない。

特に下層脳は無意識脳であるため、

黒没シュン地(こくもつしゅんぢ)とか漆桶不会(しっつうふえ)と言うしかないだろう。




6soku

 第6則   雲門日々好日 


本則:


雲門垂語して云く、「十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道(い)いもち来たれ」。

自ら代わって云く、「日々(にちにち)是れ好日(こうにち)」。


注:

雲門:雲門文偃禅師(864〜949)。雪峰義存の法嗣。

雲門の禅風は天子の位ありと言われるほど気高いところといわれる。

また、紅旗閃爍(こうきせんじゃく)とも言われる。

赤い旗に字が書いてあるけれど、風にハタめいているので、

読みにくいのと同じようなところがあるという意味である。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存

→ 雲門文偃

垂語:垂示に同じ。問題を提起すること。

十五日:夏安居の最後の日である7月15日をさす。

夏安居(げあんご):夏の三か月の間、

僧が一か所にこもって坐禅修行に専念すること。

夏行(げぎよう)、夏籠(げごもり)とも言う。

十五日已前:雲門は夏安居の最後の日である十五日に上堂して説法した。

その時の言葉だと伝えられる。

本則の雲門の垂示の言葉は

夏安居の修行が終わった今日から後どのように過ごしたら良いだろうか?」

という問いかけの言葉であることが分かる。


本則:


雲門禅師は弟子達に垂示して言った、

十五日以前のことはもう過ぎたことだから問わない

今日から後どのように過ごしたら良いだろうか? 誰か一句で言って見なさい」。

しかし、誰も答えなかったので自分が代わって言った、

日々是れ好日」。



頌:

一を去却し 七を拈得す

上下四維等匹なし

徐ろに行(ある)きて踏断す流水の声(おと) 

縦に観て写し出す飛禽の跡

草茸々 煙冪々

空生 厳(がん)畔(ぱん) 花狼藉

弾指して悲しむに堪えたり舜若多

動著すること莫れ

動著せば三十棒


注:

一:根源の一。万物一に帰すと言う場合の一。

ここでは絶対平等の悟りの世界。

下層無意識脳(=脳幹+大脳辺縁系)を中心にした脳宇宙を「」で表現している。

去却:すて去る。

四維:東南、東北、西南、西北の四方向。

拈得す:取り出す。

等匹なし:ならぶものがない。

徐ろに行(ある)きて踏断す流水の声(おと):流れる水の上をゆったりと歩いて、

渡りきる(踏断)時に聞こえる水の音。

空生 厳畔 花狼藉:空生とは解空第一だと称された

ブッダの十大弟子の一人須菩提(スブーティ)のこと。

須菩提(スブーティ)が洞窟中で坐禅していると諸天がそれを賞して空中から花を雨降らした

と言う故事による。

弾指:パチンと指を弾いて鳴らす。ここでは批判的な意味で指を弾いて鳴らす。

舜若多:シュニャータ、虚空の神。



頌:

全ての事象(万物)は脳で 認識され展開する。

脳内で起こる全ての事象(万物)は「一」である脳に帰着する。

悟りの世界は特に下層無意識脳であり「絶対平等の無」の世界でもある。

その「絶対平等の無」の悟りの世界は「寂滅為楽」の苦を超越した

大安楽の世界であるがそこに尻を据えて落ち着いてはいけない。

「一」である脳から犬はワン、猫はニャンと生きている全ての事象(七、万物)が展開している。

そこではそれぞれの存在が天地の間に比べるもののない

尊厳性に輝いている(上下四維等匹なし)。

その多の世界を在るがままに受容することが「日々是れ好日」の消息といえるのである。

流れる水の上をゆったりと歩いて渡りきる(踏断)時には聞こえる流水の音と一体になる。

目を見上げれば空を飛ぶ鳥と一体になって飛んでいる。

一切を踏断した無の世界(本来無一物の状態の脳)は、

あらゆるものを映し出す鏡のような働きを示すのである。

いかし、このような境地にいい気になって油断をすると草が茸々(ぼうぼう)と

生え繁るように煩悩・妄想が出てくるし、

煙が冪々(べきべき)と立ち込めて一寸先も見えなくなるようになる。

解空第一と称された須菩提(スブーティ、ブッダの十大弟子の一人)尊者が

洞窟中で坐禅していると諸天がそれを称賛して空中から花を雨降らしたと伝えられる。

しかし、無相の空見に耽着しているのは坐禅の奴隷というもので弾指して批判すべきである。

無の空見に落ちてはならない。

もし空見に落ちたら三十棒を喰らわすぞ!


解釈とコメント


この公案には垂示が付いていない。

雲門禅師の言葉「十五日以前のことはもう過ぎたことだから問わない。」

の中に出て来る「十五日以前」と言う意味が分かり難い。

夏安居の最後の日は7月十五日であるので、「十五日以前」とは夏安居以前という意味だと考えればよい。

雲門禅師は

夏安居の修行以前のことはもう過ぎたことだから問わない

夏安居の修行が終了した以後について何か一句を言いなさい

と言っているのである。

雲門禅師は夏安居の三か月間の坐禅修行が終わった今、

修行僧達の心境(境涯)について一句を言いなさいと僧達に問いかけているのである。

この問いかけに対して誰も答える者がいなかったので、

雲門禅師は、皆に代わり、「日々是れ好日」という言葉で、坐禅修行後の心境(境涯)を表現したと言える。

雲門のこの「日々是れ好日」という言葉は禅語として有名で、茶席の掛軸などにもよく書かれている。


この言葉の精神は山岡鉄舟が詠んだ歌「晴れてよし、曇りてもよし富士の山、元の姿は変わらざりけり

と同じだと言われている。


晴れてよし、曇りてもよし富士の山、元の姿は変わらざりけり

という歌の精神は

悟りの本体としての自己本来の面目(富士山にも例えることができる健康な脳)は天候の良し悪しなどに関係ない。

その姿は善・悪、美・醜などの相対を泰然自若と全てを超越している。

山岡鉄舟が詠んだ歌の意味を理解する一助になると思われる富士山の写真を次に示す。


文段構造

図 富士山の写真(細井憲行氏撮影)


この写真を見ながら山岡鉄舟が詠んだ歌を読むと、

「人生の晴れや曇りを超越した「自己本来の面目(富士山にも例えることができる健康な脳)」が見えてくる思いがする。

大森曹玄老師は「絶対と相対との対立観に知らず識らずの間に、落ち込んでいることが往々にしてあります

勇奮一番、それをも更に乗り越えて娑婆に還相して参りますと真空妙用というか

無のままで有、空のままで色という世界が味わわれて参ります

そこで遊戯するのが本当の禅的境涯ともいうべきで

「日々これ好日」とはその消息を言ったものと私は解しています。」

と述べておられる。

これを簡単にまとめると次ぎのようになるだろう。

般若心経では「色即是空」と言い、この物質世界は空であるという。

しかし、実際はそんなに簡単ではない。

空でありながら有であると言う側面を持っている。

空という否定的考え方だけでは真実を捉えることはできない側面を持っている。

それを、大乗仏教では「真空妙有(しんくうみょうう)」と言う。

働きの面からは「真空妙用」と言う。

そのような「真空妙用」とでも言うような肯定的世界で生きる(遊戯する)のが本当の禅的境涯であろう。

日々こ是れ好日」とはそのような積極的な姿勢を詠んだ言葉だと考えられる。


7soku

 第7則  慧超問仏  


垂示:

声前の一句は千聖不伝。

未だ曽って親覲(しんごん)せずんば大千を隔つるが如し。

たとい声前に向って弁得して天下人の舌頭を截断するも、

また未だこれ性懆(しょうそう)の漢にあらず。

ゆえにいう、天も蓋うこと能わず、虚空も容ること能わず、日月も照らすこと能わずと。 

無仏の処、独り尊と称して初めて較(たが)うこと些子(わずか)なり。それ或いは未だ然らずんば、

一毫頭上(ごうとうじょう)において透得して大光明を放って七縦八横、

法において自在自由ならば、手に信(まか)せて拈じ来るものに、不是(あやまち)あることなし。

しばらくいえ箇のなにを得てか 此の如く奇特なる。

また云く、大衆会すや、従前の汗馬人の識るなし、只だ重ねて蓋代の功を論ぜんことを要す。

即今の事はしばらくおく。雪竇の公案そもさん、下文を看取せよ。


注:

声前の一句:言葉が存在しない次元の消息。思慮分別を超えた世界(脳の世界)。

千聖不伝:多くの聖人が出てきても伝えることは出来ない。

親覲(しんごん)せずんば大千を隔つるが如し:親しく見なければ三千大千世界を隔てる

(無限に遠く隔たった)ようだ。

性懆(しょうそう)の漢:あわて者。

それ或いは未だ然らずんば:もしそうでなければ。

一毫頭(ごうとう)上において透得:極小のものに具現されている真理を悟る。

七縦八横:七通八達。縦横自在。

従前の汗馬人の識るなし:今迄の難行苦行(汗馬)を人は識らない。


垂示の現代語訳


思慮分別を超えた世界(声前の一句、下層脳)は多くの聖人が出て来ても伝えることは出来ない。

下層脳を中心とした「真の自己」は

親しく経験して見なければ無限に遠く隔たった世界のようなもので、全く理解を超えている。

 たとえ「真の自己」(下層脳中心の世界)を親しく体験し

世界中の人をアッと言わせたところで決して慌て者(性懆(しょうそう)の漢)とは言えない。

何故ならそれは我々皆が生まれながら持っているからである。むしろ遅すぎるくらいだ。

思慮分別を超えた「真の自己」は天も蓋うことができず、

虚空も入れることができないほど大きく、

日月も照らすことができないほど輝くと昔から言われている。

そういう「真の自己」を手に入れれば、

仏も超えた天上天下唯我独尊の境地と比べても少ししか違わないと言えるだろう。

そんな非現実的な大風呂敷を広げてはだめだと言うなら、

毛先ほどの小さいこと(一毫頭上)、例えば、雑巾がけでも庭掃除でも、

そのことに成り切って自己を忘れることができれば(透得すれば)

そこには自己本来の面目が大光明を放って輝いていることが分かる。

そのような境地に至れば、転んでも起きても、

泣いても笑っても七通八達で、自由自在になり、やることなすことが道にかなうようになるだろう。

では、どうしてそのようになるのだろうか?

このような境地に至るには、漫然と過ごしてはならない。

人知れず汗と涙を流す刻苦修行の積み重ねが必要とされる。

また、師匠による論功・点検による証明も必要である。

まあ、そのことはしばらくおき、次の雪竇の公案についてじっくり参究しなさい。


本則:


僧、法眼に問う、「慧超、和尚に咨(もう)す。如何なるかこれ仏?」

 法眼云く、

汝はこれ慧超」。


注:

法眼:法眼文益禅師(885〜958)。

唐代の禅者。法眼宗の始祖。羅漢桂チン(けいちん)(らかんけいちん、867〜928)の法嗣。

法系:徳山宣鑑→雪峯義存→玄沙師備→羅漢桂チン→法眼文益 

慧超:法眼文益の法嗣帰宗策真(?〜979)の本名。


本則:


法眼禅師に慧超という僧が聞いた、

私は慧超という者です。和尚に一つ尋ねます。一体仏とは何でしょうか?」

法眼は言った、「お前は慧超だ」。




頌:

江国の春風吹き起たず

シャコ啼いて深花裏に在り

三級(だん)浪高うして魚 龍と化す 

痴人なお汲む夜塘の水


注:

江国:法眼文益が道場を開いた江寧府(南京市)のあたり。

鷓鴣(シャコ): 雉科の鳥の一種(「無門関」24則を参照)。

三級(だん)浪高うして魚 龍と化す:禹門三級の伝説によると、

太古禹が龍門の山峡を三段に穿って黄河の洪水を防いだと伝えられる。

鯉がそこを登ると龍に化すという。

「登竜門」という言葉の本になった伝説。

ここでは自己の仏性を悟って仏になることに喩えている。

塘:池、溜池。ここでは登竜門の瀧の下にある滝壷をさす。



頌:

江南の地に春風がそよとも音を立てずに吹き渡っている。

仏性になぞらえるシャコは美しく咲き乱れた花の奥深くで楽しそうに啼いている。

古代の夏王朝の始祖禹が切り開いたと伝えられる龍門山の三段の瀧を遡った鯉は

頭に角を生やし龍になって昇天すると言われる。

そのように、慧超は法眼禅師の「お前は慧超だ」という一言で見事に悟り仏としての自覚を得た。

それは龍門山の三段の瀧を遡った鯉が龍になって昇天したのに等しいことだ。

しかし、馬鹿者達は鯉がまだ滝壷の中に居るのではないかと夜中その中を掻き回して探している。

しかし、もうそこには一匹の鯉もいない。

我々全ては龍門山の三段の瀧を遡り昇天した龍にも等しい「本来仏」であるのに、

仏はどこにいるのかと、外(滝壷=自己以外)を探し廻っているが愚かなことだと示唆している。


解釈とコメント


本則の対話自体は非常に簡単で難しいところはない。

この公案のポイントは法眼禅師に慧超という僧が聞いた質問、「仏とは何か?」

に対し法眼の答え「お前は慧超だ」にある。

慧超という僧は禅の目的である「真の自己」(声前の一句)とは何か?

と質問していると考えられる。

彼は「真の自己」(声前の一句)とは「天も蓋うこと能わず、虚空も容ること能わず

日月も照らすこと能わず」と言われる何か抽象的概念の答えを期待していたのではないだろうか?

法眼禅師は「お前は慧超だ」と答えることで

質問者慧超の中で活き活きと活動している「真の自己」(声前の一句)を突きき付けたと見られる。

真の自己」(声前の一句)はお前自身ではないか?何か抽象的概念などではないぞ!」

と慧超に自覚をうながしていることが分かる。

法眼禅師は「汝は是れ恵超」という言葉を恵超に突き付けることによって、

お前は恵超ではないか。恵超と言う名前をもっている汝の主体となる心(=脳)こそがではないか

と慧超に自覚をうながしていると考えることができるだろう。


8soku

 第8則 翠巌夏末示衆  


垂示:

会するときんば途中受用、竜の水を得るが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり。

会せざるときんば世諦流布、羝羊(ていよう)まがきにふれ、株を守って兎を待つ。

ある時の一句は踞地獅子の如く、ある時の一句は金剛王宝剣の如く、

ある時の一句は天下人の舌頭を坐断し、ある時の一句は随波遂浪。

もし途中受用ならば、知音に遇うて機宜を別かち、

休咎(きゅうきゅう)を識って相共に証明す。

もしまた世諦流布ならば、一隻眼(せきげん)を具し以って十方を坐断し、

壁立千仞(へきりゅうせんじん)なるべし。

所以にいう、大用(だいゆう)現前(だいゆうげんぜん)して軌則(きそく)を存せずと。

ある時は一茎草をもって丈六の金身と作(な)して用い、

ある時はて丈六の金身をもって一茎草と作(な)して用う。

しばらく道(い)え、箇のなんの道理にかよる。還って委悉すや。試みに挙す看よ。


注:

途中受用:悟りに至る途中で悟りの境地を楽しむこと。

羝羊(ていよう)まがきにふれる:雄羊がまがきに角をひっかけ身動きできない。

進退きわまることの喩え。

世諦流布:世俗の価値観に流される。

株を守って兎を待つ:宋時代の笑い話に、

田んぼの中の木の切り株に兎がつまずき首の骨を折って死んだのを見て、

いつでもそのようにして兎が捕れるものと思い、

木の株の前で兎がかかるのを待っていた。

愚か者の笑い話に基づく言葉。

随波遂浪(ずいはついろう):雲門三句の一つ。

在らしめられるままに自在に生きる生き方。

委悉:知る。委知


垂示の現代語訳


「真の自己」を自覚し会得したならば、悟りに至る途中で悟りの境地を楽しみ、

竜が水を得たように、また虎が山に依るように活躍する。

しかし、悟りが不徹底であれば、凡庸に押し流され、世間のつまらぬ慣わしに使われる。

そうなれば、まるで雄羊が角を垣根に引っ掛けられたように自由を失うだろう。

それは宋の時代の笑い話にあるように、兎が木の株につまずいたところを

捕まえようと木の株の前でじっと兎を待つような愚か者のようなものだ。

そうではなく、「真の自己」を自覚し会得したならば一句を吐けば

大地に踞る獅子のように威力を示し、

また金剛王宝剣のように、天下の人の舌頭をズバリと判断し、

怪刀乱麻を断つ力を示すだろう。

そのような力量があれば、相手に調子を合わせ和光同塵して行くこともできるだろう。

もし相手が悟りに至る途中で悟りの境地を楽しんでいるならば、

呼吸がピタリと合って気心が通じ善悪も互いによく分かるだろう。

もし相手が世間のつまらない慣わしに押し流されるような凡庸な人物ならば、

第三の眼で、相手の先入見や偏見をぶち切り、奪い取り、

宇宙に唯一人という想像を絶する世界があることを教え示す。

このように、禅の達人には大きく自由自在な働きがあって、これと決まった規則はない。

ある時は一本の草を「丈六の金身仏」として礼拝し、

ある時は「丈六の金身仏」を一本の草のように無造作に取り扱う。

それでは、どのような道理でそのようになるのか分かるだろうか?

試しに、次の公案を参究しなさい。



本則:


翠巌、夏末に衆に示して云く、

一夏(げ)以来、兄弟(ひんでい)のために説話(せった)す

看よ、翠巌が眉毛ありや?」。

保福云く、「賊となる人、心虚す」。

長慶云く、「生ぜり」。

雲門云く、「」。


注:

翠巌:翠巌(すいがん)令参

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑

 →雪峯義存→ 翠巌令参

保福:保福従展(?〜928)。

この公案に出る翠巌、保福、長慶、雲門、の四人は

雪峰義存(第5則を参照)門下の兄弟弟子である。

四人はほぼ同年齢だったようだが翠巌が一番若かったと考えられている。

眉毛ありや:仏法を誹謗すると眉毛が落ちると言われる。

仏法は言説を超えたものであり、言説に頼れば仏法を誹謗することになる。

ここで眉毛という言葉は悟りの本体としての父母未生以前の本来の面目

(=真の自己=下層脳中心の健康な脳)を表わしていると考えられる。

「賊となる人、心虚す」:盗人は内心ビクビクしている。

盗人は賊機を持った翠巌をさしている。ここでの盗人は悪人ではなく、悟りを盗む善人を意味している。

長慶:長慶慧稜(854〜932)。

「生ぜり」:眉毛は生え揃っている。

「関」:ピシャリ。

「門は閉められたぞ。ここが通れるか」という意味。

「関」は悟りへの関門という意味。



本則:


翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、

この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた

(昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。

もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。

どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな

(言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。

保福は言った、

ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。

長慶は言った、

眉毛はチャンと生えているじゃないか」。

最後に雲門が言った、

ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。




頌:

翠巌徒に示す 千古対無し

関字相酬ゆ 失銭遭罪

潦倒(ろうとう)たる保福 抑揚得難し

ロウロウたる翠巌 分明に是れ賊

白圭?(きず)なし 誰れか真仮を弁ぜん

長慶相そらんず 眉毛生也


注:

千古対無し:千年の昔から並ぶものが無い。

関字相酬ゆ:「関」という字で締め括った。

失銭遭罪:金を失った上に罰せられる。身から出た錆の報いだ。

潦倒(ろうとう)たる保福:老いぼれた保福

抑揚得難し:上げたのか下げたのか捉えにくい。

白圭:白い清らかな玉器。

ロウロウたる翠巌:饒舌な翠巌。



頌:

翠巌は「眉毛ありや」と父母未生以前の本来の面目を衆徒に示した。

こう見事に突きつけられては 

千年の昔からこれに対応できる者はいないほど翠巌の示衆は優れている。

しかし、そこで雲門に「」とやられては、さすがの翠巌も骨折り損のくたびれ儲けだ。

老いぼれの保福が「ヤイこの盗人めが、ビクビクするない

と言ったのは一体翠巌を褒めたのかけなしたのか分かりにくい。

ペラペラとよく喋る翠巌は油断ならない男でうっかりすると懐中のものを根こそぎ盗まれてしまうぞ 

とは言っても彼の説法は瑕のない白い清らかな玉器のようでその真仮を見分ける人は少ないだろう。

長慶は「眉毛はチャンと生えているじゃないか

という言葉で天地一本の大眉毛(本来の面目)はここにあるじゃないかと言った。


解釈とコメント


この公案は碧巌録中の難則と言われている。

この公案を理解するためのポイントは「眉毛」が真の自己を表わしていると知ること、

翠巌の三人の兄弟弟子保福、長慶、雲門、のコメントをどのように解釈するかであろう。

翠巌が「わしの眉毛はちゃんとあるか?」と聞いたのは

喋りすぎて眉毛(本来の面目)は落ちてなくなったのではないか?

未だちゃんと残っているかなという意味である。

この言葉には翠巌の自信のなさが現れているような感じがする。

保福が「ヤイこの盗人めが、ビクビクするない」と言ったのは

保福は翠巌の賊機(煩悩・妄想を奪い取る働き)を見て、

ビクビクしないで自信を持てよ」とコメント(励まし?)

を与えたと考えることができるだろう。

長慶の「眉毛はチャンと生えているじゃないか

という言葉は眉毛(本来の面目)は喋りすぎたからといって、

落ちてなくなるようなものではない(いつもあるじゃないか)と言ったと考えられる。

最後に雲門が言ったコメント、「」が問題である。

」とは関門を意味し、

ピシャリと悟りへの門は閉められたぞ!どうだ、ここが通れるか

と言う意味だと解釈すればこの公案の全体像は捉えられる。

最後に雲門が言ったコメント、「」は古来有名である。

大燈国師も、関山国師もこの一字「雲門関字の公案」を解決・透過して法灯を継いだことで有名である。

日本臨済禅における応・燈・関の法灯はこの公案と深く関係している。

日本の禅「応・灯・関」の法系を参照)。

雲門の一字「」の公案は無門関の第一則の「」字を

」の字で置き換えて見ることもできる。

そのように見ると、この「関字」の公案は無門関の第一則の「無字の公案」と似たところがある

無門関の第一則を参照)。


9soku

 第9則  趙州四門  


垂示:

明鏡、台に当たって妍醜おのずから弁ず。

バクヤ(ばくや)、手に在り殺活時に臨む。漢去り胡来り、胡来り漢去る。

死中に活を得、活中に死を得る。しばらく道え、這裏に到って又そもさん。

若し透関底の眼、転身の処なくんば、這裏に到って灼然としていかんともせず。

しばらく道え、いかなるかこれ透関底の眼、転身の処、試みに挙す看よ。 


注:

バクヤ(ばくや):伝説上の名剣の名。

殺活時に臨む:殺すも活かすも思うまま。

転身の処:迷いから悟りへ活路を切り開いて転ずる処。

自分をとりまく周りの変化に対応する自由さ。

透関底の眼:禅の関門を通り抜ける眼力。難関に当たっても通り抜ける眼


垂示の現代語訳


台の上の塵一つ付いていない明鏡は美醜(妍醜)をはっきり写し出す。

我々の心の目である正法眼もそのような明鏡と同じ働きをする。

名剣バクヤを手にすれば、相手を活かすも殺すも思いのままである。

眼前に現れる人が漢人のような都会人であれ、胡人のような田舎者であれ、

ありのままに映し出す。

また危機に陥っても生き返り、湧き出る分別・妄想の心を掃蕩するのも自由である。

真の禅者はこのような明鏡と名剣バクヤを手にしたような力を発揮できるものである。

それではこのような境地に到ったらどうであろうか?

もし禅の関門を通り抜ける眼(透関底の眼)と周りの変化に対応する自由さ

(転身の処)がなければどうしようもない。

では「難関に当たっても通り抜ける眼」と

「環境の変化に対応する自由さ」とは一体どのようなものだろうか?

試みに、次の公案を参究せよ。

本則:


僧、趙州に問う、「いかなるかこれ趙州?」。

州云く、「東門西門南門北門」。


注:

趙州:趙州従シン(じょうしゅうじゅうしん)禅師(778〜897)。

唐代の大禅者。南泉普願(748〜834)の法嗣。趙州観音院に住んだので趙州和尚と呼ばれる。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン


本則:


ある僧が趙州に聞いた、「趙州とは何でしょうか?」。

趙州は言った、「東門西門南門北門」。



頌:

句裏に機を呈して劈面に来る

シャカラ眼 繊挨を絶す

東西南北 門相対す

限りなく 鎚を輪(ふりまわ)すも撃ち開けられず


注:

句裏に機を呈して:言句の中にズバリと真機を呈示して。

劈面(ひつめん)に:まっこうから。

シャカラ眼(げん):ブッダの八十種好の一つ。

白と黒の蓮華の花弁のようにはっきりと邪正・是非を見分ける眼。

繊挨(せんない)を絶す:塵一つなく清らかである。

鎚を輪(ふりまわ)すも:ハンマーを風車のように振り回しても。



頌:

いかなるかこれ趙州?」という僧の質問(言句)の中には

場所と人(趙州禅師)の二つを含み、趙州を困らせる意図がある。

僧はそのような難問を真っ向から趙州に突きつけて迫った。

普通の禅師ならそれに引っかかって戸惑うだろう。

しかし、趙州の心の目は曇りのないシャカラ眼(悟りの眼)である。

彼は明鏡のような心の目で僧の意図を見破り「東門西門南門北門」と答え、

僧が提示した難関を見事に通り抜けることができた。

趙州の言うように、禅の悟りへの門は東西南北と何処にもあり、開かれている。 

何処から入ろうと勝手だ。しかし、禅の悟りの世界は奥深い。

しかし、いくらハンマーを振り回しシャニムニこじ開けようとしても

「悟りの世界」への関門を打ち破るのは容易ではない。


解釈とコメント


趙州禅師は河北省西部に位置する趙州の観音院に住んでいた。

この僧の質問は地名である趙州に関する質問なのか、禅師としての趙州の禅に関する質問なのかはっきりしない。

これに対し趙州は「東門西門南門北門」と言った。

この答えに対する解釈も色々考えられる。

1.地名としての趙州に関する回答だとすると、

趙州には「東西南北に東門、西門、南門、北門があるよ」と言ったと解釈できる。


2.禅師としての趙州の禅に関する禅的な回答だとすると、

趙州の禅には「わしの禅には東門、西門、南門、

北門といろんな門が開いている。どこからでも自由に入ることができるよ

趙州は「わしの禅には東西南北のいろんな門が開いている。どこからでも遠慮なく自由に入り、自由に出て行きなさい

と言ったと解釈できる。

これは禅問答なので地名ではなく、禅的な質問だと考え、2の解釈をとるのが普通であろう。



10soku

 第10則    睦州、掠虚頭(らっきょとう)の漢  


垂示:

恁麼恁麼、不恁麼不恁麼、もし戦いを論ぜば箇々転処に立在す。

ゆえにいう、もし向上に転じ去らば、直に得たり、

釈迦、弥勒、文殊、普賢、千聖万聖天下の宗師、

普く皆気を飲み声を呑むことを。

もし向下に転じ去らば、醯鶏ベツモウ(けいけいべつもう)、

蠢動含霊(しゅんどうがんれい)、

一々大光明を放ち、一々壁立万仞(へきりゅうばんじん)ならん。

もし或いは不上不下ならば、又そもさんか商量せん。

条あれば条を攀じ、条なければ条を攀ず、試みに挙す看よ。 


注:

恁麼(いんも) :さよう、そのように。ここでは「肯定」の意味。

不恁麼(ふいんも) :そのようでない。ここでは「否定」の意味。

箇々転処に立在す:向上か向下に転じる分岐点にある。

醯鶏(けいけい):酒の中に生じる小さな蛆虫、小さな虫の類。

ベツモウ(べつもう):雨の日に出てくるヌカ蚊。

蠢動含霊(しゅんどうがんれい):あらゆる生き物。

壁立万仞(へきりゅうばんじん):断崖の高くそそり立つさま。


垂示の現代語訳


我々が生きるこの現実世界は肯定(恁麼)と否定(不恁麼)の二つの立場で成り立っている。

もしこの間の戦いに勝つことを議論するならば肯定と否定の二つの立場にこだわらない自由さが必要である。

もし一切を否定する立場に立つならば、釈迦如来、弥勒菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、

のような千聖万聖天下の宗師も皆、声を飲みウンともスンとも言えないでしょう。

これと反対にもし一切を肯定する肯定の立場に立つならば、

小さな虫類をはじめあらゆる生き物が一々大光明を放ち、

一々高くそそり立つ断崖のような境地に立つでしょう。

しかし、実際には肯定と否定と簡単に割り切れないことが多い。

そのような場合には(不上不下ならば)、どのように対処すれば良いでしょうか。

法律の条文のような定められた規定があればそれに従えば良いだろうし、

そのような定められた規定がなれば古来からの慣習や実例に従えば良いだろう。

試しに、次の公案を参究しなさい。

本則:


睦州、僧に問う、

近離(きんり)いずれのところぞ?」。

僧すなわち喝す。

州云く、

老僧、汝に一喝せらる」。

僧又喝す。

州云く、

三喝四喝の後そもさん」。

僧無語。

州すなわち打って云く、

この掠虚頭(らっきょとう)の漢」。


注:

睦州(ぼくじゅう):黄檗希運禅師の法嗣睦州道明禅師(780?〜877?)。

若い時代の臨済を策励したり、雲門文偃の脚をヘシ折ってまでして接得した人である。

親孝行の人で、陳尊宿と呼ばれ、名利を嫌い生涯韜晦して世に出なかった。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 → 百丈懐海 →黄檗希運→睦州道明

掠虚頭(らっきょとう)の漢:たわけもの。

本則:


僧が睦州和尚の処にやって来た。睦州和尚はその僧に聞いた、

お前さん何処から来たのか?」。

すると僧は

カーッ」と喝した。

睦州は言った、

わしはお前さんに一喝されビックリしたのー。一本参ったわい」。

と僧の足下に落とし穴を掘った。僧はそれに気付かずまた

カーッ」と喝した。

睦州は言った、

お前さん、三喝四喝と喝の一つ憶えのようだな。喝の後はどうするんだい?」。

僧は黙ってしまった。

睦州は僧を打って言った、

このたわけもの!」。



頌:

両喝と三喝と

作者機変を知る

もし虎頭に騎るといわば

二人ともに瞎漢とならん

誰か瞎漢

拈じ来って天下 人に与えて看せしむ


注:

作者:練達した禅匠を言う。「作家」に同じ。

もし虎頭に騎るといわば:

(僧が睦州和尚を二度も喝したことを)もし虎の頭を抑えたなどと考えるならば。

瞎漢:盲目の人



頌:

2度「カーッ」と喝した僧とこの僧に「三喝四喝の後そもさん

と言った睦州和尚と2人とも臨機応変の禅僧(作者)と言えるだろう。

僧が睦州和尚を二度も喝したことを虎の頭を抑えたなどと考えるならば、

それを許した睦州和尚の二人とも盲目の人だ。

それでは誰が盲目の人だったのだろうか?

天下の皆さん一つよく点検して下さい。


解釈とコメント


この禅問答において、睦州和尚の質問「お前さん何処から来たのか?」

は借事問(しゃくじもん)だと考えることができる。

借事問については「無門関」第15則を参照)。

禅問答で「お前はどこからきたのか?」と聞かれた場合、場所を聞かれているのではない

殆どの場合それは「借事問」であり、

お前さんの真の自己(本来の面目)は何か?」と聞かれていると解釈すべきである

この質問に対し、僧が「カーッ」と喝したのは正しい。

僧は喝によって自己本来の面目(脳)とその活きた働きを示したからである

しかし、この僧は「自己本来の面目」を真にに理解していなかった。

彼の悟りは表面的な悟りに過ぎなかったようである。

睦州が「わしはお前さんに一喝されビックリした。一本参ったわい」と言った(探りを入れた)のに対し、

僧はまた「カーッ」とマンネリな喝を返した。

これに対し、睦州は

お前さん、三喝四喝と喝の一つ憶えのようだな。喝の後はどうするんだい?」

と言った。

この質問に対し僧は黙ってしまった。彼の悟りは表面的なえせ悟りに過ぎななかったからである。

そのため、睦州が「三喝四喝と喝を連発した後はどうするんだい?」

と聞いた時、自由を失ってどうすることもできなかったのである。

この僧の悟りは表面的なえせ悟りに過ぎないと見破った睦州は僧を打って、「このたわけもの !」と言ったのである。


11soku

 第11則  黄檗酒糟の漢   


垂示:

仏祖の大機、全く掌握に帰し、人天の命脈悉く指呼を受く。

等閑の一句一言も、群を驚かし衆を動かし、一機一境、鎖を打し枷(かせ)を敲(たた)く。

向上の機を接し向上の事を提ぐ。しばらく道え、なん人か曽ていんもにし来る。

還って落処を知るありや。試みに挙す看よ。 


注:

仏祖の大機:ブッダや達磨大師が持っている偉大な働き。

人天の命脈:人間界と天上界に生きる生き物。

指呼:さしず。

等閑の一句一言:さりげない一句一言

一機一境:あれこれの対応のしかた。

鎖を打し枷(かせ)を敲(たた)く:鎖や首枷(かせ)を叩いて束縛されていることに気付かせる。

向上の機を接し向上の事を提ぐ:一段上へ踏み越える機根ある者を受け入れ、

一段上へ突き抜けた消息を提示する。


垂示の現代語訳


ブッダや達磨大師が持っている偉大な働きを全て我が物にして身につけることができれば、

全ての生きとし生きる者達の生命を

自由自在に生かしたり殺したりすることができるだろう。

また、さりげない一句一言でも大勢の人々の心を動かすことができるだろう。

一挙手一投足のちょとした行為が、我々の自由を束縛している鎖を打ち砕き、

手枷足枷を取り除くことも出来るだろう。

そのような人はこの上ない禅の第一義に接し真理を提示することができるだろう。

それではかって、どのような偉大な人物が歴史上にあり、それが誰か分かるだろうか。

次に実例を上げるので参究しなさい。

本則:


黄檗、衆に示して云く、

汝等諸人、尽くトウ酒糟の漢、いんもに行脚せば、いずれの処にか今日あらん

還って知るや。大唐国裏に禅師なきことを」。

時に僧あり出でて云く、「只だ諸方の徒を匡し衆を領いる如きは、又そもさん

檗云く、「禅なしとはいわず、ただこれ師なし」。


注:

黄檗(おうばく):臨済禅師の師である黄檗希運禅師(?〜850頃)

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海 →黄檗希運

トウ酒糟の漢:酒粕をたらふく食べて酔い心地の男。

一知半解の仏法に自己満足している修行者のこと。

本則:


ある日黄檗希運禅師は、門下の修行僧達に示して言った、

お前達は誰も彼も酒粕をたらふく食べて酔い心地の男のようだ

そんな体たらくで、うろうろだらりと修行していてはとても今日のわしみたいにはなれんぞ

大体この大唐国四百余州には本物の禅師らしい禅師はおらん」。

その時一人の僧が出で来て言った、

和尚は大唐国裏に本物の禅師はいないとおっしゃいますが

あちこちの道場には大勢の修行者達を集めて指導している老師方がおられます

あれは一体どう見たらよいのでしょうか?」

黄檗、「わしは禅がないとは言っていない

ただこれ明眼の禅師がいないと言ったのじゃ」と言った。



頌:

凛々たる孤風 自ら誇らず

寰海に端居して龍蛇を定む

大中天子 曽て軽触す

三度親しく爪牙を弄するに遭う


注:

孤風:対比を絶した孤高の姿。

寰海(かんかい):天子が統治する領域。ここでは唐国。

寰海に端居して:天下に坐して。

龍蛇を定む:優れた者(龍)か凡庸な者(蛇)かを見分ける。

大中天子:唐の第19代皇帝宣宗(在位:846〜859)。

爪牙を弄するに遭う:大中天子が塩官の会中で黄檗に打たれた話を指す。



頌:

凛々たる黄檗禅の孤風は大唐国に屹然と自ら誇らずそそり立っている 

黄檗は天下に坐して修行者の人物の優劣を見定める。

かって唐の宣宗(第19代皇帝)は黄檗が仏前で額を押し付けて礼拝しているのを見て、

仏に着いて求めず、法に着いて求めず、僧に着いて求めずと言われる

あなたは仏前で礼拝して何を求めるのか?」と冷やかして、聞いた。

黄檗は「仏に着いて求めず、法に着いて求めず、僧に着いて求めず

常に礼拝することかくの如し」と答えた。

宣宗は「礼を用いて何かせん」と黄檗にに向って減らず口を叩いた。

黄檗は「禅に乱暴だの丁寧だのという差別はないわい」と大中天子を三度叩いた。

黄檗は法のためには天子といえども一歩も譲らず厳しく指導したものだ。


解釈とコメント


ある日黄檗希運禅師は、門下の修行僧達に言った、

お前達は誰も彼も酒粕をたらふく食べて酔い心地の男のようだ

そんな体たらくで、うろうろだらりと修行していてはとても今日のわしみたいにはなれんぞ

大体この大唐国四百余州には本物の禅師らしい禅師はおらん」。

黄檗は多くの修行者が禅を外に求め、師を他に求めて、

ただ宿無し犬のように乞食根性の持ち主が多いのを見て、

脚下を見よ(本来の面目を見よ!)」と警告しているのである。

その時一人の僧が出で来て言った、

和尚は大唐国裏に本物の禅師はいないとおっしゃいますが

あちこちの道場には大勢の修行者達を集めて、指導している老師方がおられます

あれは一体どう見たらよいのでしょうか?」

この反問にはさすがの黄檗もタジタジとなったようで、

黄檗は「わしは禅がないとは言っていない

ただこれ明眼の禅師がいないと言ったのじゃ」と言った。

この公案はそんなに難しいところはない。むしろ、

僧の反問に対する黄檗の返答

ただこれ明眼の禅師がいないと言ったのじゃ

は苦しい言い訳のように聞こえる。

この弁明には黄檗の正直な人柄が現れている。


12soku

 第12則  洞山麻三斤  


垂示:

殺人刀活人剣は、乃ち上古の風規にして、また今時の枢要なり。

もし殺を論ぜば一毫を傷つけず。 もし活を論ぜば、喪身失命せん。

ゆえにいう、「向上の一路、千聖も伝えず。

学者形を労すること、猿の影を捉えんとするが如し」と。

しばらくいえ、既に伝えずんば、なんとしてか却って多くの葛藤公案かある。

具眼の者は、試みに説き看よ。


注:

殺人刀活人剣:師家が修行者を指導する時の活殺自在の手さばき。

殺人刀は否定の働き、活人剣は肯定の働きを意味している。

向上の一路:仏の上へ踏み出る道。

猿の影を捉えんとする:実体の無いものを追う喩。

「向上の一路、千聖も伝えず。学者形を労すること、猿の影を捉えんとするが如し」:

盤山宝積(ばんざんほうしゃく)(馬祖の法嗣)の上堂の言葉。


垂示の現代語訳


師家が修行者を指導する時の活殺自在の手さばきは、

禅者の古来からの慣わし(上古の風規)であり、

また現在の禅者にとっても大切な問題(枢要)である。

ところで、否定の働きである「殺人刀」の働きを論じるならば、

それは相手の妄想分別を根こそぎ掃蕩して少しも傷つけない。

 もし肯定の働きである「活人刀」の働きを論じるならば、

それは我執の思いを否定し、無心になって対象の中に完全に没入し、

死にきらなければならない。

そのような活殺自在の手さばきによって切り開かれた「向上の一路」は、

たとえ、釈迦や達磨のような聖人賢者が大勢出て来ても表現し伝えることができない。

たとえ学者が苦労してもあたかも猿が水に写る月影を捉えよう

としているようなもので徒労に終るだろう。

それではなぜ「千聖も伝えられないもの」を伝えようとして、

八万四千の法門や千七百余の公案があるのだろうか?

これは矛盾ではありませんか。

伝えられないからこそ、自分自身で肯くようになるためそのようなものがあるのだ。

眼の開いた者(具眼の者)ならば、それが分かるだろう。

一つ次の公案を参究して看なさい。



本則:


僧、洞山に問う、

如何なるかこれ仏?」

山云く、

麻三斤」。


注:

洞山:雲門文偃の弟子洞山守初禅師(とうざんしゅそ、910〜990)。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→

 雲門文偃→ 洞山守初

麻三斤:洞山守初が居た湖北省襄州は有名な麻の産地だったと言われる。

麻三斤は三斤の麻糸であり、ちょうど僧衣一着分の重さに当たる。

斤:昔の重さの単位。普通、160匁(約600グラム)。

本則:


ある僧が洞山禅師に聞いた、

仏とは何ですか?」

洞山は言った、

麻が三斤だ」。



頌:

金烏急に 玉兎速かなり

善応何ぞ曽て軽触あらん

事を展べ機に投じて洞山を見る

跛鼈盲亀(はべつもうき) 空谷に入る 

花簇々(ぞくぞく) 錦簇々 

南地の竹 北地の木

因て思う長慶と陸大夫と

解(よ)くぞ道(い)えり「笑うべし、哭すべからず」と。

イ(い)


注:

金烏:日、太陽。

玉兎:月。

善応何ぞ曽て軽触あらん:洞山の見事な応じ方は

問いの核心をいささかも傷つけず受け止めている。

事を展べ機に投じて洞山を見る:機微をついた開示の仕方に洞山の洞山たるところが見える。

跛鼈盲亀(はべつもうき) 空谷に入る:

足の悪いスッポンや目の見えぬ亀があてど無い谷間に迷いこんだようなものだ。

花簇々(ぞくぞく) 錦簇々:どこもみな絢爛たる花盛り、洞山の答えが創り出しためでたさ。 

南知の竹 北地の木:麻どころか、南には竹林が、北には樹林がびっしり。

長慶:長慶大安(793〜883)。

陸大夫:陸亘(764〜834)。

因て思う長慶と陸大夫と解(よ)くぞ道(い)えり「笑うべし、哭すべからず」と: 

昔、陸大夫は師の南泉が亡くなった時、その棺の前で大声を上げて笑った。

それを見た院主は「 あなたは南泉の嗣法の弟子の一人だ

師匠の南泉禅師が亡くなったら泣いて悲しむべきなのに笑うとは何事ですか

と陸大夫をなじった。

陸大夫は「 あなたが悟りの核心を言うことができたら泣いてやろう」と言ったが、

院主は何も言うことが出来なかった。

その情けなさに陸大夫は大いに泣いて言った、

どいつもこいつもふがいない奴ばかりで悲しいなあ」。

後にこの話を聞いた長慶は「 大夫、笑うべし、哭すべからず」と批評した。

イ(い):人を叱ったり注意を促す時に発する言葉。



頌:

時間の過ぎるのは早いものだ。  

「麻三斤」と答えた洞山の見事な対応の仕方は問いを受け止め心の真実を素直に吐露している。 

もし、相手の質問に即応して「麻三斤」という事実を示したのだと洞山を見るならば、

足の悪いスッポンや目の見えぬ亀が深い谷間に迷い落ち込んだようなもので

自由の世界に這い出る時はないだろう。

悟りの世界はどこもかしこも花だらけで春の錦のように輝いている。

南地(南方)には竹が生え、

北地の山には木が生えているのはよく知られた当たり前の事実である。

それを洞山は「麻三斤」という言葉で端的に示したのだ。

昔、陸大夫は無眼子な院主の情けなさに大いに泣いたと伝えられる。

洞山に質問した僧もこの院主と同じように無眼子で情けない。

このような無眼子僧に対しては陸大夫が泣いたように泣くべきかも知れない。

しかし、長慶が「大夫、笑うべし、哭すべからず」

と批評したように大いに笑ったら良いだろう。

長慶が陸大夫の昔話を聞いて「大夫、笑うべし、哭すべからず」

と言ったのはこの場に良く当てはまる批評だ。

雪竇は言う、「アカンベー(イ!(い))」


解釈とコメント


この公案は無門関第十八則の「洞山三斤」と同じである。

「無門関」第18則を参照)。

この洞山は雲門文偃の弟子洞山守初(910〜990)であり、

曹洞宗の開祖洞山良价(807〜869)と違う人であることに注意して欲しい。

洞山守初が居た湖北省襄州は有名な麻の産地だったとのことである。

この公案は次のように考えると分かり易くなる。

洞山が庫裡で麻の目方を量っていた時、

ある僧が「仏とは何か?」と質問した。

洞山は「おお、麻の目方が三斤」と答えた。

如来(仏)とは来る如く、ありのままを如来(仏)という。

洞山は僧が「仏とは何か?」という質問を

如来とは何か?」という質問と受け取り

おお、麻の目方が三斤」と答えたと考えられる。

この質問の時彼は庫裡で麻の目方を量っていた。

洞山は如来はありのままの真実であると僧に伝えようとして、

おお、麻の目方が三斤」と答えたと考えられる。

これは自己本来の面目である脳機能をそのまま肯定した言葉と言える。


洞山守初は「麻の目方が三斤」だと

判断認識している自己本来の面目である脳とその機能が仏であり、その活き活きした働きだ」と素直に発した言葉だ

と言えるだろう。


大森曽玄禅師はその著「碧巌録上」において次のように述べておられる。

天桂伝尊禅師(曹洞宗、1648〜1735)はこの公案について

いかなるか仏と問わば麻三斤、増やさず、減らさず有りのままなり

と詠じておられる。

臨済流に言えば、即今、面前聴法底と言ってもよい。

しかし、いくら即今、面前聴法底と言っても凡心分別のままではいけない。

八識田中に一刀を下さなければ駄目です。殺人刀を必要とする所以です。」

と説いておられる。

黄檗や臨済は言語したり面前で見たり聞いたりしている主体(=本来の面目=脳)が仏だと考えている。


勿論この主体は凡心や分別の心ではなく坐禅修行によって浄化された「本源清浄心(=健康な脳)」である。


この観点から言えば洞山が「おお、麻の目方が三斤

と有りのままの真実(重さを測定し、得た真実)を素直に言ったその「純粋無心な心」こそに他ならないと言っている

とも受け取ることが出来る。


洞山の「おお、麻の目方が三斤」の場合は麻の目方三斤という有りのままの真実を測定で確定し、

真実を客観的に知る大脳前頭葉(理知脳)の機能をそのまま肯定しているとも考えることができるかも知れない。


「麻三斤」と答えた洞山の答えは雲門文偃の答え「花薬欄」や「金毛の獅子」とは少し違う。

雲門「花薬欄」を参照)。

人間が違うので答えとその表現が違ったのだろう。

洞山守初は雲門文偃の弟子であるので同じ回答になるのが普通である。

しかし、禅問答は理屈でないので状況に応じて変化すると考えることができる。



13soku

 第13則  巴陵銀椀に雪を盛る  


垂示:

雲、大野に凝って、偏界蔵さず。雪、蘆花を覆うて、朕迹を分けがたし。

冷処は氷雪よりも冷ややかに、細処は米末よりも細やかなり。

深々たる処は仏眼も窺いがたく、密々たる処は魔外も測ること莫し。

挙一明三は即ちしばらくおく、天下人の舌頭を坐断して、そもさんか道わん。

しばらくいえ、これなん人の分上の事ぞ。試みに挙す、看よ。


注:

偏界蔵さず:全世界に隠れるものがない。

蘆花:芦の花(白い花)。

朕迹:形跡、すがたかたち。

魔外:天魔や外道。


垂示の現代語訳


我々の本心本性はあたかも雲が密集して広い野原を覆っているようなもので、

広い野原はどこを見ても雲に覆い包まれて雲一杯で雲ならざるところはない。

雲の下には山が聳え、森が山を覆い、山河大地が展開している。

この森羅万象は我々の前に露わに現れて隠されたところはどこもない。

また、雪が芦の白い花を覆った時には、雪と芦の白い花を見分けることは難しい。

また、我々の本心本性も雪が芦の白い花を覆った時のようにはっきりと見分けにくい。

その冷たさは氷雪よりも冷たいと言えるし、大きさは米の粉末よりも微小で見難いところがある。

その深々としたところは偉大な仏眼をもってしても窺いがたいし、

密々たるところは天魔外道も窺い知ることはできない。

一を挙げて三を明らかにする明敏さはさておき、

このような我々の本心本性を明らかにして、世界中の人々をアッと驚かせ、

息をのませることができるのは一体誰だろうか?

試みに、次の公案を挙げるから参究して看なさい。

本則:


僧、巴陵に問う、

如何なるかこれ提婆宗?」

巴陵云く、

銀椀裏に雪を盛る」。


注:

巴陵:巴陵鑑(こうかん)禅師。雲門文偃の法嗣。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →

雪峯義存→ 雲門文偃→ 巴陵鑑

提婆(だいば)宗:迦那提婆(Kanadeva)の宗旨学説。

迦那提婆(Kanadeva)はもと96外道の一人であったが

龍樹尊者の指導で仏門に入り「百論」という著書を書いた。

彼は学者であるとともに雄弁家であったと伝えられる。

その弁才で外道や異端を破り縦横無尽に宗風学説を挙揚していたので、

時の人が提婆(だいば)宗と呼んでいたと伝えられる。

ここでは提婆(だいば)宗とは仏法とか禅を意味している。

銀椀裏に雪を盛る:銀椀も雪も白く、見分けがつかぬが、全く違う。

 禅の悟りの世界はそれと同じようだという比喩。

本則:


ある僧が巴陵鑑(こうかん)禅師のところに来て聞いた、

禅宗の奥義はどのようなものでしょうか?」

巴陵は言った、

真っ白に輝く銀製の椀に白い雪を盛ったようなものだ」。



頌:

老新開 端的別なり

道うことを解す銀椀裏に雪を盛ると

九十六箇まさに自知すべし

知らざれば却って天辺の月に問え

提婆宗 だいばしゅう)

赤旙の下に清風を起こす


注:

老新開:「老」は敬愛の意を示す。「新開」は巴陵の居所、「新開院」。巴陵のおやじ。

端的:まさしく。

九十六箇まさに自知すべし:九十六種の外道は思い知ったに違いない。

赤旙 :昔インドでは宗論に勝った時赤旗を立てて勝利を祝ったと伝えられる。

勝利の旗。



頌:

巴陵のおやじの見識の高いことは格別だ。    

銀椀裏に雪を盛る」という表現は実に見事だ。 

九十六派の外道も「 銀椀裏に雪を盛る」という言葉で表された心境不二、

主客一体の境地を自知して貰いたいものだ。

もし脚下に照顧して自知することができないならば天空にかかる月にでも聞いてくれ

(天空にかかる月に聞いても分からないなら、自己の内心に向って聞け)。

ああ「提婆宗」! 「提婆宗」!  

巴陵の行くところ外道を降し(論破し)、赤旙の下に清風が吹いている。 


解釈とコメント


銀椀の白さと雪の白さははっきりと区別しにくい。

<垂示>に「雪、蘆花を覆うて、朕迹を分けがたし。」と言っているのと同じである。

 

主・客一致(心・境一如)の悟りの境地を区別しにくい銀椀の白と雪の白さによって文学的に表現している

 

と見ることができる。


14soku

 第14則  雲門対一説  


本則:

僧、雲門に問う、「如何なるか是れ一代時教?」

雲門云く、「対一説」。

   

注:

雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の祖。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→

龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

一代時教:ブッダの一生涯における教説。

対一説 :1つずつ答える。目前の機に応じ、方便に徹して1つずつ答える。


本則:

ある僧が雲門に聞いた、

ブッダ一代の教説はどのようなものですか?」

雲門は言った、

相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ」。

   

頌:

対一説 太(はなは)だ孤絶 

無孔の鉄鎚 重楔(けつ)を下す

えんぶ樹下 笑い呵々

昨夜りりょう角を拗ぢ折らる

別々

 

韶陽老人 一ケツを得たり


注:

孤絶:孤危嶮峻で寄り付き難い。

無孔の鉄鎚 重楔(けつ)を下す:無孔の鉄鎚に柄を打ち込もうとする。

えんぶ樹下 笑い呵々:閻浮提の木陰でカラカラと大笑いする者がいる。

閻浮提(えんぶだい):古代インドの須弥山説において須弥山の南にあるとされた大陸。人間界。

アビダルマ仏教の世界観と三千大千世界を参照)。

別々 :格別だ。

リリョウ:あごの下に珠玉を持つ黒い龍。ここではブッダを暗喩する。

韶陽老人:韶陽は広東省北部の地名。韶陽老人は雲門文偃を指す。

一ケツ:一本の棒切れ。リリョウの角。

ここではブッダの1代時教を指している。



頌:

雲門の「対一説」と言う返答は孤危嶮峻で寄り付き難い。

雲門は「対一説」と言う返答によって無孔の鉄鎚に柄を打ち込んだ。

雲門は「対一説」と言う無孔の鉄鎚によって

五千四十八巻と言われる一切経を粉砕してしまった。

そのため経典から解放され肩の重荷がすっかり無くなった。

そのことを喜んで、閻浮提の木陰でカラカラと大笑いする者がいる。

雲門の「対一説」と言う返答によってブッダ一代の教説に譬えられる

黒龍の角(リリョウの角)は拗ぢ折られてしまったとは大変なことだ。

雲門和尚(韶陽老人)は黒龍の角(リリョウの角)の一本拗ぢ折って自分のものにしてしまった。

しかし、リリョウの角一本は未だ1本残っている。

その角を拗ぢ折って自分のものにするのは一体誰だ(他ならぬあなただぞ!)


解釈とコメント


第14則には垂示が欠けている。内容も簡単である。

雲門禅師については「雲門の三句」が有名である。

この機会に「雲門の三句」について簡単に解説したい。


3ku

「雲門の三句」について 


雲門の三句は雲門の法嗣で雲門四哲の一人である徳山縁密(生没年不明)が

雲門の教化の手段を三句にまとめたもので、

「函蓋乾坤、截断衆流、随波逐浪」の三句を言う。

1. 函蓋乾坤(かんがいけんこん):

「函と蓋がぴったり合うように、弟子の機根にぴったり合った指導をおこなうこと」。

あるいは「主観と客観の分離がなくなって一体になる(心境一如になる)こと。

2. 随波遂浪(ずいはちくろう):

「修行者の個性に随って相手に調子を合わせながら闊達無礙な指導をすること。

3. 截断衆流(せつだんしゅる):

衆流とはいろんな迷いやとらわれのこと。

截断衆流とはいろんな迷いやとらわれをズバリズバリと切断してしまうこと。 


本則での僧の質問「ブッダ一代の教説はどのようなものですか?」

は雲門に対し何か深く詳しい解説や返答を期待して聞いたものと思われる。

しかし、雲門の返答「相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ

と簡単で僧の期待に反するものだった。

雲門の返答「対一説

( 相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ(ブッダの対機説法))は簡単にして的確な返答と言えるだろう。


15soku

 第15則  雲門倒一説  



垂示:

殺人刀活人剣は、乃ち上古の風規にして、是れ今時の枢要なり。

しばらくいえ、如今那箇かこれ殺人刀活人剣。

試みに挙す、看よ。


注:

殺人刀:否定、破壊の面。

活人剣:肯定、建設の面。

上古の風規:古くからの禅者の手法。

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垂示の現代語訳


師家が修行者を指導する時の活殺自在の手さばきである否定と肯定の働きは、

古くからの禅者の手法であり、また現在の禅者にとっても大切な手段である。

それでは殺人刀と活人剣とは具体的にどのようなものだろうか?

試みに、次の公案を看て参究しなさい。

本則:

僧、雲門に問う、「これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何?」

雲門云く、「倒一説」。

   

注:

雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の祖。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何?:

目前に説法の相手もおらず、また説法する課題もない時どうしますか?

倒一説:一つずつ反転する。一切の定言を価値転換する。


本則:

ある僧が雲門に聞いた、

目前に説法する相手がいないし、説法する課題もない場合にはどうしますか?」

雲門は言った、

引っくり返して説きなさい」。

   


頌:

倒一説  倒一説 

分一節  分一節 

同死同生君がために訣す

八万四千鳳毛にあらず

三十三人虎穴に入る

別々

 

擾々惣々(じょうじょうそうそう)水裏の月


注:

分一節 :ひとくぎりのものを分けた。

無限定のものを限定して見せた。

同死同生君がために訣す:

雲門は君のため一心同体になって言い切ってくれた。

八万四千鳳毛にあらず:多くの修行者(八万四千)は俊敏ではなく、凡庸だ。

三十三人:摩訶迦葉から六祖慧能に至る33人の禅の祖師。

西天28祖と中国での6人の祖師を加えると34人になるが達磨は両方に入っているため、

それを引くと33人になる。

別々 :格別だ。

擾々惣々水裏の月:「擾々惣々」とは揺れ動くさまを言う。

水面が動くと水面に映る月影も一緒に動く。

我々の意識は水面が動くのと同じように常に揺れ動いている。

我々の意識はそのような浮動する。

しかし、そのような意識を離れてその外に不動の本心や不生の仏心があるのではない。



頌:

雲門は

目前に説法する相手がいないし、また説法する課題もない場合にはどうしますか?」

と聞かれて、

引っくり返して説きなさい」と無限定のものを限定して見せた。

雲門は君のため一心同体となって言い切ってくれたのだ。

多くの修行者(八万四千)は俊敏ではなく、凡庸だ。

摩訶迦葉から六祖慧能に至る三十三人の禅の祖師達は

いずれも「虎穴」に入って虎児を得た人達だ。

水面が動くと水面に映る月影も一緒に動く。

我々の意識はそのように常に揺れ動いている。

しかし、そのような意識を離れて不動の本心や不生の仏心があるのではない。


解釈とコメント


本則の垂示は第12則「洞山麻三斤」の垂示によく似ている。

僧の質問に対する雲門の返答「引っくり返して説きなさい」はいかにも禅的である。

この僧の質問は「説法の相手もいないし、テーマもない場合どうしますか?」

ということで論理的には回答不可能な意地悪質問である。

この難問に対し、何かもっともらしいことを説こうと思わず、

雲門が答えた返答「倒一説(「一説など蹴っ飛ばせ! 」)」には雲門の気迫が感じられる。

15則は14則に続いて行われた問答と考えられている。


16soku

 第16則 鏡清草裏の漢 




垂示:

道に横径なければ、立者孤危なり。

法は見聞にあらず、言思はるかに絶す。

もしよく荊棘林を透過し、仏祖の縛を解開して、

箇の隠密の田地を得ば、諸天花を捧ぐるに路なく、

外道ひそかに窺うに門なけん。

終日行じて未だかって行ぜず。

終日説いて未だかって説かず。すなわち以って自由自在にして、

ソッ啄(そったく)の機を展(の)べ、殺活の剣を用うべし。

たとえ、いんもなるも、更に須らく建化門中、一手は拾(もた)げ、

一手は搦(おさゆ)ることあるを知るも、なお些子(すこし)く較(たが)えり。

もしこれ本分事上ならば、さても没交渉(まとはずれ)。

そもさんかこれ本分事。試みに挙す、看よ。


注:

道に横径なければ、立者孤危なり:横路(岐路)のない大道を行く者は危うい。

迷い路のない坦々たる一本道を進む者は修行者としての命を失いかねない。

荊棘林(けいきょくりん):いばらの林。妄念妄想をいばらに譬えたもの。

仏祖の縛:仏祖の教義・言説についてのとらわれ。

隠密の田地:堅実で、しかもその痕跡をとどめない境地。安定した確かな境地。

終日行じて未だかって行ぜず:修行しても説法しても、その痕跡をとどめない。

ソッ啄(そったく)::孵化の時(悟る時)、卵の中の雛が殻をつつき、

外の母鶏が相応じて殻をつつき破る(啄)こと。

悟りの時を鳥の孵化に譬えたもの。

建化門:方便による教化。

本分事:自己本来の事。本来の自己(脳)の本来的な性質機能。

一手は拾(もた)げ:一手は相手を肯定し、

一手は搦(おさゆ)る:一手は相手を否定して許さない。


垂示の現代語訳


迷いこむような横路(岐路)のない一本道を行く者は修行者としてはかえって危うい。

仏法は見聞や言思をはるかに超えたものである。

もしイバラのような妄念妄想を透過し、悟り臭さや仏病、祖病の束縛から解放されれば、

凡人か聖人か分からないような隠密の安心境に到達することができるだろう。

そのような人の境地は、諸天が花を捧げようとして来ても路はなく、

外道が密かに窺おうとしても入口がない。

そのような人の境涯は淡々として、水や空気のように跡方もない。

一日中しゃべりまくっても、舌頭に骨がなく、一字不説、

半句もしゃべった形跡がない。

修行者の悟りの機が熟して、孵化する時には

雛(修行者)が殻の内からつつき、親鶏(師)が外から突く。

そのように、ソッ啄の機が熟し、自由自在に殺活の手段を用いることができるだろう。

たとえそのような手腕があったとしても、方便による教化において、一手は相手を肯定し、

一手は相手を否定して許さないような

変幻自在の手段を知っていても、未だ十分だとは言えない。

もしこれが自己本来の面目の事についてならば、的外れと言えるだろう。

それでは自己本来の事(本分事)とは何だろうか? 

試みに、次の公案を看て参究しなさい。


本則:

僧、鏡清に問う、

学人ソッす。請う師、啄せよ」。

清云く、

還って活を得るや、也た無なや。」

 

僧云く、

もし活せずんば人に怪笑せられん」。

清云く、

也たこれ草裏の漢」。

   

注:

鏡清:鏡清道フ(きょうしょうどうふ、868〜937)。

雪峰義存の弟子で浙江省紹興府の鏡清寺に居住した。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ

草裏の漢:妄想の草の中に埋まっているたわけ者。落ちこぼれ野郎。たわけ者。


本則:

一人の僧が鏡清禅師の処にやって来て聞いた、

私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています

老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」。

鏡清は言った、

そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫かな。」

 

僧は言った、

もし私が悟りを開くことができなければ、老師がかえって世間の笑いものになりますよ」。

鏡清は言った、

このたわけ者め!」。

   


頌:

古仏家風あり

対揚すれば貶剥(へんばく)にあう。

子母相知らず

これ誰か同じくソッ啄す

啄されて覚(き)づくも殻にあり

重ねて撲にあう 

 

天下の衲僧 徒に名(みょう)ばくす


注:

対揚:相手に向って話し掛ける。

貶剥(へんばく):やっつけること。

名(みょう)ばくす:物や人に名をつけ、形象化すること。名をつけ、形を与えること。

ここでは「ソッ啄の機」について勝手に名をつけ、形象化すること。



頌:

人にはそれぞれのやり方があるように、古仏鏡清にも彼自身のやり方がある。

僧が「師、啄せよ」と言ったとき、

つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫かな。」

と僧の天狗の鼻をへし折ったのが、

鏡清のやり方である。

師家が、学人に対して宗旨を挙揚する時、

貶剥(へんばく)して学人を素裸にしてやるのが親切である。

鏡清のソッ啄の機は、「親も知らず、子も知らず」の無心の時に働く。

分別し、意識して行う時にソッ啄の機は働くものではない。

この僧は「ソッ啄の機」について勝手に名をつけ、

概念化するというあやまちを犯している。


解釈とコメント


一人の僧が鏡清禅師の処にやって来てお願いした、

私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています。

老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」。

この僧の言葉から僧は自分の修行にたいしてたいそう自惚れていることが分かる。

しかし、問題は悟りを覆う殻をつつき破って、悟りを開かせて下さいと鏡清にたのみこんでいるところだ

「悟り」は自己の問題であるのに、

師に殻をつつき破って悟りを開かせてもらうものだという甘えと先入観にとらわれているところが問題だ。

鏡清は言った、

そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫かな。」

僧は言った、

もし私が悟りを開くことができなければ、老師がかえって世間の笑いものになりますよ」。

この発言より、この僧はかなり心臓が強いことが分かる。

そこで、鏡清は言った、

このたわけ者め!」(師を恐喝するとは何事だ!)。



17soku

 第17則  香林坐久成労  




垂示:

釘を斬り鉄を截(き)って、始めて本分の宗師たるべし。

箭を避け刀に隈(かく)れば、なんぞよく通方の作者たらん。

針剳不入(しんさつふにゅう)の処は即ちしばらくおく、白浪滔天の時いかん。

試みに挙す、看よ。


注:

箭を避け刀に隈(かく)れば:事に当たってたじろぎ退けば、

針剳(しんさつ)不入の処:針をさしこむ余地も無いところ。

価値判断を撥無した絶対の場。

本来の面目(脳)には針をさしこむ余地(隙間)も無いと言っている。

作者:やり手。

白浪滔天の時:大きな浪が天をうつ時。

驚天動地の働きの時。全力量を活撥撥地に発揮する時。


垂示の現代語訳


釘を斬り鉄を截(き)るように、知解妄情を斬る働きをして

始めて禅の宗師と言えるだろう。

事に当たってたじろぎ退けば、どうして通達徹底したやり手といえるだろうか。

価値判断を撥無した絶対の処はさて置き、

全力量を活撥撥地に発揮する時はどうだろうか。

試みに、次の公案を看て参究しなさい。


本則:

僧、香林(きょうりん)に問う、

如何なるかこれ祖師西来意?」。

林云く、

坐久成労」。

   

注:

香林(きょうりん):香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師(908〜987)。

雲門文偃の法嗣。四川省成都の香林寺の住職。

雲門四哲の1人。常日頃雲門の言葉を記録していて、

それが後に「雲門録」になったと伝えられる。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→

龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃→香林澄遠

雲門四哲:雲門門下の四人の優れた法嗣。洞山守初(910〜990)、智門師寛(生没年不明)、

徳山縁密(生没年不明)、香林澄遠。

祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが、禅宗では禅の究極の所や本質をさす。

坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。


本則:

香林のところにある僧がやって来て聞いた、

禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。

香林は言った、

長く坐っていてくたびれたなー」。

   


頌:

1箇万箇千万箇

籠頭を脱却して角駄を卸す

左転右転 後えに随い来る

紫胡 劉鉄磨(りゅうてつま)を打たんことを要す


注:

角駄を卸す:荷物を下ろす。

紫胡:紫胡利じゅう禅師(800〜880)。南泉普願の法嗣。

劉鉄磨(りゅうてつま):イ山霊祐と仰山慧寂に師事し、

鉄臼のようなしたたかな風格を持っていたた尼僧。 



頌:

香林禅師は「坐久成労」の修行によって禅の本質が分かり

心身ともに束縛から解放されて楽になった。

1〜2人ではなく多くの人々が香林禅師のように

心身ともに束縛から解放されて楽になったのである。

昔、紫胡禅師は「左転右転 」と言う言葉に引っかかった劉鉄磨を打った。

もし、「坐久成労」と言う言葉に引っかかったり捉われたら

劉鉄磨のように打たれることになるだろう。


解釈とコメント


達磨大師がインドからもたらした禅の本質とは何か?」

という問いに対し香林は

長いこと坐っていてくたびれたなー(坐久成労)」と答えた。

香林は八十歳で遷化するに当たって

我四十年にして始めて打成一片(だじょういっぺん)なり」と言ったと伝えられる。

香林は「私は長い間坐禅修行に専心したが四十年経って

始めて正念相続する集中状態(打(だ)成(じょう)一片(いっぺん))を達成できるようになった。」

という感慨をこめた言葉である。

そのように長年坐禅修行に打ち込んだ香林禅師らしい言葉と言えるだろう。

彼の言葉は「坐久成労するくらい坐禅修行しないとその質問には答えることができないよ」とも

「 坐久成労して始めて分かる。

未だ坐久成労していないお前さんにはその答えは言っても分からんだろう」とも響く。

不思議な答えである。

大森曹玄老師はこの公案の解説で、

坐久成労について「ああ、くたびれたわい!」と言っておられる。

香林は鈍根の人であったが非常に篤実な人で

雲門の下で18年間侍者をしていた大根器の人と伝えられる。

雲門は香林に会うたびに「遠侍者」と呼んだ。香林は「はい」と答えた。

雲門は「是れ什麼(なん)ぞ」と質問した。「はい」と答える者は何者かという意味である。

このようにして18年を過ごして香林は始めて悟った。

この時雲門は「我今より後更に汝を呼ばじ」と言ったと伝えられる。

坐禅修行には時間がかかる。

山岡鉄舟は「禅には根気が重要だ」と言っている。

坐禅修行においては、下層脳中心の脳が活性化される(禅と脳科学を参照)。

長時間坐禅に専念すると足は痛くなるし、くたびれる。

長いこと坐っていてくたびれたなー(坐久成労)」

と答えた香林は長時間の坐禅を主体的に実行・修行するのは

本来の自己である脳であるが、それでも長年月・長時間の坐禅にはくたびれたなー!(坐久成労)」

と素直に答えたと考えられる。遷化に当たって、香林が言った言葉

我四十年にして始めて打成一片なり」は理屈や思想よりも「坐禅修行の重要さ」を示していると言えるだろう。



18soku

 第18則    忠国師無縫塔  



本則:

粛宗皇帝、忠国師に問う、

百年の後所須何ものぞ」。

国師云く、

老僧のために箇の無縫塔を作れ」。

 

帝云く、

請う師、塔様」。

国師良久して云く、

会すや」。

 

帝云く、

不会」。

国師云く、

吾れに付法の弟子耽源というものあり

却ってこの事を諳(そら)んず。請う詔して之れに問え」。

 

国師遷化の後、帝耽源を詔してこの意如何と問う。

源云く、「湘の南、潭の北」。

 

雪竇著語して云く、

独掌みだりに鳴らず。中に黄金あり一国に充つ」。

雪竇著語して云く、

山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影(むよう)樹下の合同船」。

 

。雪竇著語して云く、

海晏河清。瑠璃殿上に知識無し」。

雪竇著語して云く、

拈了也」。

   

注:

粛宗皇帝:唐の第七代皇帝(711〜762)、在位(756〜779)。

代宗皇帝:粛宗の長子、唐の第八代皇帝(726〜779)、在位(762〜779)。

忠国師:南陽慧忠禅師(645〜775)。河南省の白(はく)崖山(がいさん)の党子谷(とうすこく)に

庵を構え40年間山を下りずに修行したと伝えられる。

粛宗・代宗二代の皇帝を指導した国師で、130歳の高齢で遷化したと伝えられる。

法系:六祖慧能→南陽慧忠(645〜775)

百年の後:死後。

所須:求めるところのもの。必要なもの。

無縫塔:真の自己、本来の面目である脳(下層脳中心の脳)のこと。

これを継ぎ目の無い塔(無縫塔)でシンボル的に表わしている。

この無縫塔とは何かを理解することが本則の目的となっている。

良久:しばらく沈黙していること。

耽源(たんげん):南陽慧忠禅師の法嗣、耽源応真禅師

山形のシュ杖子(しゅじょうす):山から切って来たばかりの生地の杖。

禅ではシュ杖子(しゅじょうす)で本来の面目(脳)を象徴的に表すことが多い。

無門関44則を参照)。

碧巌録25則でもシュ杖子(しゅじょうす)が本来の面目(脳)の象徴として出ている

碧巌録25則を参照)。          

無影樹(むようじゅ):影のない樹木。継ぎ目の無い塔(無縫塔)は

影のない樹のようなものだと考えている。

無縫塔(真の自己、下層脳中心の脳)は生命の根本となる影のない生命の樹である。

真の自己や仏性には影のようなものはないと言っている。

海晏河清:海は安らかで河は清らかである。天下泰平のこと。

瑠璃殿上に知識無し:この極楽世界の瑠璃殿上(悟りの世界)

にはあなたの知り合いは誰もいない。

拈了也(拈じ了れり):話はこれでおしまい。



本則:

粛宗皇帝が慧忠国師に聞いた、

国師の死後、こうして欲しいというものが何かありますか?」。

国師は言った、

そうじゃな、老僧のためにひとつ縫い目に無い塔を作って下さい」。

 

帝は言った、

国師よ、その塔は五輪の塔ですか、それとも卵塔でしょうか?」 

 

具体的に塔の様子を図面などで示して下さい」。

国師はしばらく沈黙した後言った、

分かりましたか?」。

 

帝は言った、

いえ、分かりません」。

国師は言った、

私の嗣法の弟子に耽源(たんげん)という者がおります

彼はこの事を良く分かっています」。

 

彼を詔して聞いて下さい」。

 

国師が遷化した後、帝は耽源を詔して、この事について聞いた。

耽源は言った、

湘の南、潭の北」。

 

雪竇は著語して言った、

片手だけでは音も出ない。中に黄金があって一国に充ちている」。

雪竇は著語して言った、

山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影樹下の合同船」。

 

雪竇は著語して言った、

海は安らかで河は清らかである(天下泰平)」。

 

この極楽世界の瑠璃殿上(悟りの世界)にはあなたの知り合いは誰もいない」。

雪竇は著語して言った、

話はこれでおしまい」。

   

頌:

無縫塔 見ること還って難し

澄潭許さず蒼竜の蟠ることを

層落々影団々

千古万古 人に与えて看せしむ


注:

無縫塔:真の自己、本来の面目である脳(下層脳主体の脳)を継ぎ目の無い塔に譬えている。

見ること還って難し:圜悟は無縫塔(脳)は眼で見えるものではないと詠っている。

澄潭(とうたん):澄み切った水をたたえた池。

蒼竜: 本来の面目(脳)の本体を竜に譬えている。

本来の面目(下層脳、脳幹+大脳辺縁系)の中心は爬虫類脳であるので

竜に譬えているのは絶妙と言える。

層落々影団々:影は光彩。

団々は光彩が丸くかがやくさまを言う。

月が丸くかがやくさまをイメージした表現。 



頌:

「無縫塔」は眼で見ることはできない

慧忠国師は良久することによって澄み切った池(澄潭)にも比すべき無縫塔を示した。

しかし、生きた竜ならばそんな澄潭には居ない。

活撥撥地に、縦横無尽に動いているからだ。

空間的にはどこにも無縫塔はひかり輝いており、

千年万年の大昔からその姿を現している。

人の上にその全姿を現わして活動してしているのだが俗眼には見えないだけである。


解釈とコメント


本則には垂示が付いていない。

本則は長く、後半部には雪竇の著語と耽源の頌が混在しているので複雑である。

前半は粛宗皇帝と死が間近な南陽慧忠禅師との対話になっている。

しかし、粛宗皇帝は南陽慧忠禅師の死より13年も前に死亡しているので

実際は代宗皇帝と南陽慧忠禅師との対話だと考えられている。

本則の前半は粛宗皇帝と遷化(死)が間近に迫った南陽慧忠禅師との対話になっている。

南陽慧忠禅師は「私の死後、ひとつ縫い目に無い塔(無縫塔)を作って貰いましょうか

と粛宗皇帝に言っている。

南陽慧忠禅師は皇帝に

見性して、真の自己に目覚めて下さい

とお願いしているのである。

しかし、皇帝は国師は南陽慧忠禅師の言葉を

「「無縫塔というお墓を作って下さい

と「無縫塔」というお墓のお願いだと誤解してしまう。

そこで帝は、

国師よ、その塔は五輪の塔ですか、それとも卵塔でしょうか

具体的に塔の様子を図面などで示して下さい

などと塔様を尋ねてしまう。

国師は私のいう無縫塔とはそんなものではないと、

しばらく沈黙して無縫塔とはこういうものだと黙って自分の姿で示す。

その後帝に、

分かりましたか?」と聞く。

しかし、帝は国師の真意が分からない。

そこで

いいえ、分かりません

と答えるしかなかった。

国師は粛宗皇帝にお墓を作ってくれとは決して言っていない。

禅の中心命題である「本来の面目」についていっているのだが

皇帝は鈍感でそのことが分からない。

彼は国師について何度か参禅したと思われるが

禅の中心命題については何も分かっていなかったようだ。

慧忠禅師は粛宗(本当は代宗)に

私の死後、縫い目の無い塔(無縫塔)のような真の自己に目覚めて下さい

と坐禅修行を続けて見性するようにとお願いしているのである。

無縫塔とはお墓の事ではなく「真の自己」のことだと気づくのがこの公案の眼目である。

それは耽源が述べた偈頌によって明らかになる。

本則の後半部では慧忠国師の弟子耽源が「無縫塔」について偈頌(詩)を説き、雪竇が著語している。

帝に詔された耽源は「無縫塔」について

湘の南、潭の北

と説く。

「無縫塔」について耽源が言った「湘の南、潭の北

と言う説明はあまりにも漠然とし謎めいている。

そこで雪竇は「無縫塔」について何度も著語しては次ぎのように詠って説明する。

独掌みだりに鳴らず

中に黄金あり一国に充つ

山形のシュ杖子

無影樹下の合同船

瑠璃殿上に知識無し

この雪竇の著語によって「無縫塔」とは何かがはっきりするのである。

まず「無縫塔」について耽源が言った「湘の南、潭の北」とは何かを考えよう

「湘の南、潭の北」とは「湘州の南、潭州の北」という意味である。

「湘州や潭州とは湖南省長沙を中心とする水郷地帯(地理上では、はっきりしない)を言う。

分かり難いが地図で見ると分かり易くなる。

 
図2

図2湘の南、潭の北」の関係地図

 

上の地図を参考にし、

「湘州や潭州とは湖南省長沙を中心とする水郷地帯(地理上でははっきりしない)

だと考えれば「湘の南」とは長沙市の南のことだと考えられる。

また「潭の北」は

潭州(長沙市を中心とする水郷地帯)の北となるので

洞庭湖を含む長沙市の北方と考えることができる。

湘州や潭州が長沙を中心とする地理のはっきりしない水郷地帯を

ばくぜんと意味しているのではっきりしないが、

「湘の南、潭の北」とは洞庭湖を含む長沙の南北を表わし、

どこでも」という意味だと解釈できるだろう。

このことを考慮に入れると、雪竇と耽源の偈頌(詩)は次ぎのようになる。

この世界(=本来の面目)のいたるところには(湘の南、潭の北には )黄金に等しい価値をもつものが充ちている」。

これに対する雪竇の著語「独掌みだりに鳴らず」が分かり難い。

独掌みだりに鳴らず」とは「片手だけでは音も出ない」という意味である。

音を出すには両手を打って音を出そうという意思があって、両手を打って初めて音が出る。

脳の中(=心の中)で音を出そうという意思があって、脳の運動指令の下に両手が動き、手を打ってから初めて音が出る。

これは、本来の面目である脳を中心としたプロセスが働いて起こることである。

この考察から「独掌みだりに鳴らず」という著語は

両手を打って音を出す心の本源の場所を暗示していると考えられる。

その本源は雪竇の著語『山形のシュ杖子』で示された

山から切り出したばかりの純真無垢の杖(山形のシュ杖子(=真の自己=脳)であることを示している。

無門関44則を参照)。

この「山形のシュ杖子」が「無縫塔の正体」であることが分かる。

この「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)」に譬えられる真の自己(=脳)の働きは

広くどこまでも広がり、黄金にも比べられる価値をもつものが充ちていると言っているのである。

「臨済録」示衆10−11を参照)。

結局のところ、

耽源の言葉「湘の南、潭の北」は

真の自己である脳と外界との電磁的相互作用はどこにでも広く広がっている」という実感を言っている

と解釈できるだろう。

またこの無縫塔(=真の自己)は生命の樹、仏性であり影などはない。

そのような影のない満天満地の乗合船には、仏も凡夫も、

猫も犬もあらゆる生命が乗り合わせている生命の船とでも言えるものである。

航海する海は安らかで河は清らかである(海晏河清)。

そこは知解、妄想を絶した清浄無垢の水晶宮のような「悟りの世界」である。

雪竇の著語「瑠璃殿上に知識無し」とは

この極楽世界の瑠璃殿上(悟りの世界)に到達する者は殆どいないのであなたの知り合いは誰もいない

と詠っていると考えることができる。

要するに、国師の言葉、「老僧のために箇の無縫塔を作れ」は

私の死後、坐禅修行を続けて、そのような縫い目の無い塔(無縫塔=本来の面目=脳))に目覚めて下さい。」

と皇帝に言っていることが分かる。


19soku

 第19則    倶胝只だ一指を堅つ  



垂示:

一塵挙って大地収まり、一花開いて世界起こる。

只だ塵未だ挙らず花未だ開かざるときの如きんば、如何んか眼を着けん。

所以に道(い)う。 一綟絲(れいし)を斬るが如し。

一斬一切斬、一綟絲を染むるが如し。

一染一切染。只だ如今すなわち葛藤を将て截断して

自己の家珍を運出(うんすい)せば、高低あまねく応じ、

前後たごうこと無く、各々現成せん。

もし或いは未だ然らずんば下文を看取せよ。


注:

一塵挙って大地収まり、一花開いて世界起こる:

小さな一塵・一花の中に、無限の大地、世界が含まれ起こる。

脳内の小さな神経回路の中に無限の大地、世界が含まれ起こる(認識過程の文学的表現)。

一塵・一花を体と考え、無限の大地、世界を用と考えれば

体用思想で説明することもできる。

馬祖禅は体用思想と関係深いのでこの説明の方が良いかも知れない。

伝統的には華厳思想によって解釈・説明しているようである。

一綟絲(れいし):一よりの生糸。

自己の家珍:自己本来の面目。

自己の家珍を運出(うんすい)せば:自己本来の面目を発揮すれば。


垂示の現代語訳


塵一つにも宇宙(一である本体)が反映され、

含まれているように万物は一である本体(理)に帰着する。

また一である本体(体、理)は一花が開くように、世界の万象として展開する。

そのような事は一塵があり、一花が開くから分かるが、

もし、「塵未だ挙らず花未だ開かず」と言った

父母未生以前の根源状態にある時には、どのように考えたら良いのだろうか。

このような状態では、一たばの糸を斬るようなもので何も一本一本斬らなくても良い。

束ねた1ヶ所をきれば、全部がズバリと斬れる。

また糸を染める場合、一本一本染めずに、

一たばの糸を染料甕にずぶりと漬ければ、いっぺんに全部染めることができる。

この只今現在、このように煩悩妄想を一度に掃蕩してしまって

自己の根源たる「本来の面目」に参ずることができれば、

どこでも過不足なく本来の面目の機能を発揮できるだろう。 

もし未だそうでなければ次の文を読んで看取しなさい。



本則:

倶胝和尚、凡そ所問あれば、只だ一指を堅つ。


注:

倶胝和尚:馬祖下の大梅法常(752〜839)の法嗣

天竜禅師(生没年不明)の法を嗣いだ人。馬祖の孫弟子に当たる。

はじめ浙江省の金華山にいたが後に福建省の倶胝寺に移ったと伝えられる。

いつも「七倶胝仏母所説准提陀羅尼経」を誦したので倶胝和尚と呼ばれた。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→大梅法常→天龍→倶抵



本則:


倶胝和尚はいつも何を尋ねられても、一本の指をさっと立てて答えた。




頌:

対揚ふかく愛す老倶胝

宇宙空じ来る更に誰かある

曽て滄溟に向って浮木を下す

夜濤相共に盲亀を接す


注:

対揚:応対。

滄溟 :海。

夜濤:夜の海の大波(濤)



頌:

私は倶胝老和尚の応対を深く愛している。

彼以外に宇宙を指一本で空じた者は誰かいるだろうか。

かって生死の海に漂っていたところを

天竜和尚が投げてくれた浮木にとりすがって倶胝は悟ることができた。

今は天竜和尚と共に夜の海に「一指頭の禅」という浮木を

投げ入れて夜の波濤に漂う迷える衆生を教え導いている。


解釈とコメント


この公案は無門関の第三則にもある(「無門関」の第三則を参照)。

倶胝和尚はいつも一本の指をさっと立てて自分の禅を示した。

彼は臨終を迎えた時、門下の修行僧達を集めて

わしは天竜和尚の処で「一指頭の禅」を得たが

一生かかってもそれを使い切ることができなかった

と言ってすぐに息を引き取ったと伝えられる。

この公案の主題は倶胝和尚が天竜和尚の処で得た「一指頭の禅」とは何かということである。

倶胝和尚の「一指頭の禅」はなかなか理解されなかったようであるが科学的に考えた方が分かり易い。

科学的には

倶胝の一本指は「真の自己(下層脳中心の脳)」をシンボル的に表現していると考えれば良いかも知れない。

或いは、「心境一如」の「一如」の状態を「一本指」で表していると考えれば良いだろう。

禅者は真の自己を「仏性」、「如来蔵」、漆桶(しっつう)(5則)、

眉毛(8則)「無縫塔」(18則)、「シュ杖子(しゅじょうす)」(18則)、

蓮花」(21則)、

説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)

(説似すれども一物として中(あた)らず、何かと言えばもう的を外れているという意味)」(南嶽懐譲)、

無一物」(六祖慧能)、無字(無門慧開、「無門関」第一則)、

般若の体」(90則 )など種々に表現する。

これらは全て「真の自己である下層脳(脳幹+大脳辺縁系)中心の脳」を文学的に表現していると考えることができる。

千年以上も前の古代では、脳科学は未発達であった。

その上、中国、インドでは心臓が心の座だと信じられていたのである。

そんな時代だったから、そのような表現を用いるしか仕方がなかったのであろう。

そのように考えると倶胝和尚はいつも一本の指をさっと立てて自分の禅を示した。

また、彼は臨終を迎えた時、

わしは天竜和尚の処で「一指頭の禅」を得たが

一生かかってもそれを使い切ることができなかった

と言ってすぐに息を引き取ったことも良く理解できる。

倶胝和尚の「一指頭の禅

はなかなか理解されなかったようであるが科学的に考えた方が分かり易い。

心・境一如」の状態や「一如」の状態を

一本指を立てて象徴的に表していると考えることができるだろう。

「公案」万物一体の思想を参照)。



20soku

 第20則    龍牙西来意  



垂示:

堆山積嶽(たいざんせきがく)、撞墻コウ壁(とうしょうこうへき)、佇思停機するは、一場の苦屈なり。

あるいは箇の漢あって出て来って大海をひるがえし、須弥を蹴倒し、

白雲を喝散し、虚空を打破して直下に一機一境に向って、

天下人の舌頭を坐断せば汝が近寄る処無からん。

しばらくいえ、これまで何人(なんびと)かかっていんもなる。

試みに挙す、看よ。


注:

堆山積嶽(たいざんせきがく):山のような難問を抱え込む。

撞墻コウ壁(とうしょうこうへき):やみくもに問題にぶち当たる。

佇思停機(ちょしていき)する:心の働きが止まる。

一場の苦屈なり:なんともやりきれない。修行者として恥さらしである。


垂示の現代語訳


山のような難問を抱え込み、やみくもに問題にぶち当たって、

どうすることもできずに心の働きが止まりぐずぐずしているのは、

修行者として恥さらしである。

これと違って、もし大海をひッくり返し、須弥山を蹴倒し、

大空に漂う白雲を一喝して吹き飛ばすような力量ある禅修行者が出て来た場合には、

虚空を打ち破るように、後生大事に抱えている「悟り」さえも奪い去るだろう。

そのような人はどんな環境にあっても、

その場その場で適切に対処して世界中の人をウンともスンとも言わせない。

そんな人には誰も近寄れないだろう。

それではどんな人がそのように素晴らしい大力量の禅者だっただろうか?

試みに、次の公案を看て参究しなさい。



本則:

龍牙、翠微に問う、

如何なるかこれ祖師西来意?」。

微云く、

我がために禅版を過(も)ち来たれ」。

牙、禅版を過(わた)して翠微に与う。微、接得してすなわち打つ。

牙云く、

打つことは即ち打つに任す、要且つ祖師西来意なし」。

牙また臨済に問う、

如何なるかこれ祖師西来意?」。

済云く、

我がために蒲団を過(も)ち来たれ」。

牙、蒲団を取って臨済に過(わた)与す。済、接得してすなわち打つ。

牙云く、

打つことは即ち打つに任す、要且つ祖師西来意なし」。


注:

龍牙:龍牙居遁禅師(835〜923)。

曹洞宗の開祖である洞山良价の法嗣で龍牙山妙済寺に住した。

曹洞系の禅僧と考えられる。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→雲巌曇晟→洞山良价→龍牙居遁

翠微:翠微無学禅師。丹霞天然(739〜824)の法嗣。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→丹霞天然→翠微無学

禅版:長さが1尺8寸(54.5cm)、厚さ3分半(?)、

幅2寸(6.1cm)くらいの木板の一端があごを乗せて休むように丸くくりぬいてある。

長時間の坐禅で疲れて来た時坐睡するため使う木板。

蒲団:坐禅の時に尻に敷く坐蒲。

要且つ:結局。


本則:

龍牙が翠微に聞いた、

禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。

翠微は言った、

私にそこの禅版取ってくれんか」。

龍牙は禅版を取って渡した。

翠微は、禅版を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。

龍牙は言った、

なぐるのはあなたの勝手です

しかし、そこには禅の本質はありませんね」。

その後龍牙は河北の臨済を訪ね臨済に同じことを聞いた、

禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。

臨済は言った、

私にそこの坐蒲(蒲団)を取ってくれんか」。

龍牙は坐蒲を取って臨済に渡した。

臨済は坐蒲を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。

龍牙は言った、

なぐるのはあなたの勝手です

しかし、そこには禅の本質はありませんね」。



頌(1)

龍牙山裏 龍に眼なし

死水なんぞ曽って古風を振わん

禅版蒲団 用いること能わず

只だまさに分与して廬公に与うべし

這の老漢をまた未だ勦絶(そうぜつ)し得ず、また一頌を成す


頌(2)

廬公に付し了(おわ)るもまた何ぞ憑(よ)らん

坐椅(ざい)してもって祖燈を継ぐことを休めよ

対するに堪(あたい)す暮雲の帰って未だ合せざるに

遠山限り無き碧層々たり


注:

廬公:雪竇自身とも六祖慧能とも言われ定説はない。

死水なんぞ曽って古風を振わん:淀んだ水(龍牙の悟りの境地)には

龍が活躍するような祖師伝来の活風が湧き起こるはずはない。

勦絶(そうぜつ):滅ぼす。

廬公に付し了(おわ)るもまた何ぞ憑(よ)らん:廬公に禅版蒲団を渡しても

「祖師西来意」がなんとかなるものでもあるまい。

坐椅(ざい)してもって祖燈を継ぐことを休めよ:蒲団に坐り禅版に寄りかかって

祖師伝燈の禅の印可を得ようなどとは思ってはならない。

対するに堪(あたい)す、暮雲の帰って未だ合せざるに:見事なのは、

夕べの雲が西の山に戻って、まだ一かたまりにならぬ時だ。



頌(1)

龍牙という立派な名だから、さぞかし龍のようなすざましい活作略があると

思っていたがこの龍君には眼はないわい。

そこの禅版取ってくれんか」。

ハイ」、「そこの坐蒲(蒲団)を取ってくれんか」。

ハイ」と返事をするだけで禅僧らしい活き活きした応答は何も無い。

龍牙の悟りの境地は死水のように淀んでいて、

そには龍が活躍するような祖師伝来の禅の活風が湧き起こるはずはない。

翠微に「禅版取ってくれんか」と言われたら、

ハイ、私も行脚して疲れましたので、チョット坐睡でもさせて頂きましょう

となぜ言わんのだ。

臨済に「坐蒲(蒲団)を取ってくれんか」と言われたら、

ハイ、私も少し坐禅しましょう」となぜ言わんのだ。

翠微と臨済は 禅版蒲団を用いて活きた禅を示そうとしているのに

ハイ」、「ハイ」と

返事をするだけで禅僧らしい応答は何も無いではないか。

そんなことなら六祖慧能禅師にでも禅版蒲団を持って行って

どうすれば良いか教えて貰ったらどうだ。

こんな偈頌ではまだ生ぬるい。

龍牙の死禅を否定し、まだ文句を言い足りないので以下の偈頌を付け加える


頌(2)

廬公に禅版蒲団を渡しても「祖師西来意」がなんとかなるものでもあるまい。

龍牙のように、蒲団に坐り禅版に寄りかかって

祖師から伝燈の禅の印可を得ようなどとは思ってはならない。

達磨のまねをして面壁9年坐禅しても祖師禅の生きた悟りは伝わらないのだ。

坐禅も坐睡も止めて、まあ外に出て見なさい。

特に見事なのは、夕暮雲が西の山に戻って、

まだ一かたまりになって完全に山を包み隠してしまわない時だ。

夕焼け雲の下に山また山が碧碧(あおあお)と果てしなく遠くまで連なっているように見える。

この景色が「祖師西来意」とでも言うものだろうか。


解釈とコメント


この公案は従容録の80則と同じである。

従容録の80則を参照)。

従容録は曹洞宗で重要視する語録であり、

本則の解釈において従容録と碧巌録とでは解釈が全く違うのが注目される。

「碧巌録」では

翠微や臨済は龍牙を打つことで禅の本質(祖師西来意)を示したが、龍牙はそれが分からなかったと解釈している。

このことは、頌(1)において、

雪竇は「龍牙の悟りの境地は死水のように淀んでいて、そには龍が活躍するような祖師伝来の禅の活風が湧き起こるはずはない

死水なんぞ曽って古風を振わん)」と言っていることから分かる。

 
   

これに対し、曹洞宗で重要視する「従容録」では

翠微や臨済は龍牙を打つことには禅の本質(祖師西来意)はない。

龍牙が「そこには禅の本質(祖師西来意)はない」と言ったのは当然で、龍牙の悟りの方が翠微や臨済より高い

のだと解釈している。

次の図に20則に登場する3人の禅師(龍牙、翠微、臨済、)の法系図を示す。

この法系図に示すように龍牙は曹洞宗の開祖洞山良价の法嗣である。

 
図3

図3 20則に登場する3人の禅師(龍牙、翠微、臨済)の法系図

 

曹洞系の禅を嗣ぐ龍牙と臨済、翠微とは“禅の本質(祖師西来意)”に対する解釈が違うことが分かる。

この“禅の本質(祖師西来意)”に対する解釈の違いは

黙照禅(曹洞系の禅)と看話禅(臨済系の禅)の違いから来ていると考えられる。

禅の歴史を参照)。

看話禅(臨済系の禅)では、

翠微や臨済は龍牙を打つことで禅の本質(祖師西来意)を示したとする。

これは馬祖道一の洪州宗の「言語動用」は

本来の面目(脳)の生きた働きだとする<作用即性>の考えに由来する。

禅の根本原理を参照)。

それに対し、黙照禅(曹洞系の禅)では

そのような荒々しい働き(棒や喝)は禅の本質(祖師西来意)ではないと考える。

黙照禅(曹洞系の禅)ではそのような荒々しい働き(棒や喝)は禅の本質(祖師西来意)ではなく単なる暴力だ

と考えるのだろうか。

図4に看話禅(臨済系の禅)と黙照禅(曹洞系の禅)の特徴を示す。

図4

図4 黙照禅と看話禅の特徴


黙照禅(曹洞系の禅)は静的な“寂智”(荷沢神会系の禅)を重視する

これに対し、

臨済系の看話禅では、馬祖禅以来、「本来の自己(脳)」の「動用(棒や喝)」を重視する

この二つの違いから来ると考えれば分かり易いかも知れない。

中国伝統の儒教では静的な“智慧”を重視するので黙照禅(曹洞系の禅)はその影響を受けているとも言えるだろう。

第20則には「頌」が二つ付いているのが注目される。

それだけ複雑な公案なのだろうか。


21soku

 第21則   智門蓮花荷葉  



垂示:

法幢(ほうどう)を建て宗旨を立つるは錦上に花を舗(し)く。

籠頭(おもがい)を脱し角駄(にもつ)を卸(おろ)す。

大平の時節、或いは若し格外の句を弁得せば、挙一明三。

それ或いは未だ然らずんば、旧に依って伏して処分を聴け。

試みに挙す、看よ。


注:

法幢(ほうどう)を建て宗旨を立てる:旗幟を鮮明にし、仏法を宣布する。

角駄を卸す:荷物を下ろす。


垂示の現代語訳


旗幟を鮮明にし、仏法を宣揚するのは

錦の上に花を敷くように禅をいよいよ美しく盛大に発展させるものである。

心の自由を束縛し、

負担になるものを下し自由になれば心は安らぎの境地に安住できるだろう。

けれども、それだけでは未だ格内のものであり、常識を超えた格外の句を会得したとは言えない。

もし、非凡な格外の句を会得したなら、一を聞いて三を知るなど何でもないことだろう。

禅を修行したと言うなら誰でもそうありたい

ものだがなかなかそのような境地に至るのは大変だ。ではどうしたら良いだろうか?

古人の体験したことを以下に挙げるから良く見て学ぶが良い。



本則:

僧、智門に問う、

蓮華、未だ水を出でざる時如何ん?」。

智門云く、

蓮華」。

僧云く、

水を出でて後如何ん」。

門云く、

荷葉(かよう)」。


注:

智門:智門光祚。雪竇重顕(980〜1052)の師。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→・・・雪峰義存→

雲門文偃→香林澄遠→智門光祚→雪竇重顕

水を出でざる時:成仏前の俗人の時。

蓮華:仏の比喩表現。

荷葉(かよう):蓮の葉。成仏前の俗人の比喩的表現。

水を出でて後:見性成仏した後。


本則:

智門光祚禅師に僧が聞いた、

蓮華が未だ水の上に出て咲いていない時は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。

智門は言った、

蓮の華だ」。

僧は聞いた、

では、水の上に出た後は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。

智門は言った、

蓮の葉だよ」。


蓮華、荷葉(かよう)と、君に報じて知らしむ

水を出ずるは未だ出でざる時に何如(いかん)

江北江南王老に問え

一狐疑い了って一狐疑う


注:

水を出ずるは未だ出でざる時といずれぞ:水を出た時と未だ出ていない時と比べるとどうか

(後の方が優れているという含意を帯びる)。

王老:広く師家を指す。南泉普願の元の俗姓(王氏)に始まる。

一狐疑う:狐は疑い深いとされる。疑い続け師に問う者が絶えない。



智門禅師は「「蓮華」か「荷葉」か(仏(蓮華)か凡夫(荷葉)か)」

その辺の道理を我々にはっきりと示しているではないか。

「蓮華」が水を出て後「荷葉(かよう)」になるのでもなければ

凡夫(「荷葉(かよう)」)が悟って仏(「蓮華」)になるのでもない。

もともと「衆生本来仏なり」である。

悟ったからといって急に仏(「蓮華」)という別存在に変化するのではないのだ。

自ら信じることのできない「信不及」の徒は全国どこにでもかけずり回って師家に問うしかない。

狐のように疑い続け師家に問うても、

自分自身で決着しない限り疑いには限りがないだろう。


解釈とコメント


この禅問答において「蓮華」とは本来仏としての仏性や仏の状態を表わしている。

また「荷葉」とは本来仏としての仏性を自覚する以前の凡夫の状態を指している。

この禅問答は「蓮華」は仏性や仏の状態、

荷葉」は仏性を自覚する以前の凡夫の状態を意味する

借事問であることを理解することが重要である。

借事問については「無門関」第15則を参照)。

そのように考えれば、「智門蓮花荷葉」の問答は次ぎのように分かり易くなる。

僧が智門に質問した、

衆生が本来仏の自覚を得ない時(仏の悟りを得る以前)は何と呼べば良いのですか?」

智門は答えた、「蓮華(=仏)だ」。

僧は言った、「水を出て後は何になるのですか?」

智門は答えた、「凡夫(荷葉)だよ」。

この問答で智門は禅の悟りと仏の関係について述べている。

僧の第一の質問

衆生が本来仏の自覚を得ない時(仏の悟りを得る以前)は何と呼ぶのか?」

に対し智門は「蓮華(仏)だ」答えている。

これは本来仏の自覚を得ない時(仏の悟りを得る以前)でも仏であると言っている。

悟ると悟らないとに関係なく「衆生本来仏なり

という禅の基本主張を述べているのである。

悟ったからといって急に仏に変化するのではなく「衆生本来仏なり」という真実に気付くだけである。

僧の次の質問「水を出て後は何になるのですか?」

に対し智門は「凡夫(荷葉)だ」と答えている。

これは「悟ったからといって後は仏という特別の存在になるのでなく

悟った後も以前の凡夫(荷葉)と変わらない。」

と言っているのである。

これは悟りとは「衆生本来仏なり」という真実に気付くだけで、

それによって以前の凡夫(荷葉)から急に特別な存在に変わることはないとを言っている。

自己を取り巻く世界も自己も悟ったからといって、急に変わることはないと言っている。

そのように考えればこの禅問答は分かり易い。

悟りとは「衆生本来仏なり」という真実に気付くだけである

悟ること(見性すること)によって、

凡夫(荷葉=蓮の葉)から急に特別な存在()に変わることはないのである。



自己の本質が「蓮華(仏)だ」と気づいた後、元の凡夫(荷葉)に戻らないため、『悟後の修行』が必要となる


「悟後の修行」については「日本の禅とその歴史:その2」白隠禅の特徴を参照)。

このように、この21則は蓮華や荷葉という言葉によって仏性や凡夫を表す借事問になっている。

禅問答にはこのような借事問がよく出てくる。


借事問については「無門関」第15則を参照)。


22soku

 第22則  雪峰鼈鼻蛇   



垂示:

大方外なく、細かなること隣虚(りんこ)の若(ごと)し。

擒縦他にあらず、卷舒我れにあり。

必ず粘(ねん)を解き縛を去らんと欲せば、直に須らく迹(あと)を削り声を呑むべし。

人人要津を坐断し箇箇壁立千仞ならん。

しばらく道(い)え、これなん人の境界ぞ。

試みに挙す、看よ。


注:

大方外なく、細かなること隣虚(りんこ)の若(ごと)し:仏法は広大無辺であるとともに、

微細でもある。

隣虚(りんこ):虚に隣りあうくらい小さい極微のもの。原子レベルの極微のもの(数Å)。

擒縦:捉えることと放つこと。

卷舒:巻いたり伸ばしたり(否定と肯定)

粘(ねん)を解き縛を去る:執着や束縛を離れる。

要津:要衝の渡し場。参禅学道の要訣。

迹(あと)を削り声を呑む:文字や言葉の痕跡を無くす。


垂示の現代語訳


真の自己は広大無辺で何ものをも包み込んでしまうと同時に、限りなく微細でもある。

そのような真の自己をハッキリと自覚し、手に入れた者は宇宙の主人公となって捉えたり放したり、

否定したり肯定したりすることが思うままにできる。

そのような天地の主人公としての自覚が持てない者は

あっちに引っ付き、こっちにくっ付き、見る物聞く物に捉われ自由が利かなくなる。

そのような執着や束縛を取り去って自由な解脱の境地を得たければ、

直ちに分別意識や妄念の残り粕を削り落とさなければならない。

そうすれば肝心かなめの渡し場を占拠して壁立千仞の境地に到るだろう。

さて、それでは一体誰がそのような境涯を手に入れただろうか?

試みに、次の公案を看て参究しなさい。



本則:

雪峰、衆に示して云く、

南山に一条の鼈鼻蛇(べつびだ)あり。汝等諸人、切に須らくよく看るべし。」

長慶云く、

今日堂中、大(たしか)に人の喪身失命するあり」。

僧、玄沙に挙似す。

玄沙云く、

須らくこれ稜兄にして始めて得べし。然もかくの如くなりと雖も、我は即ち不恁麼」。

僧云く、

和尚そもさん」。

玄沙云く、

南山を用いて何かせん」。

雲門柱杖をもって雪峰の面前に付き付けて怕(おそ)るる勢いをなす。


注:

雪峰:雪峰義存(822〜908)

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存

南山:雪峰山

鼈鼻蛇(べつびだ):鼻のひしゃげた毒蛇(コブラ?)。

でここでは「真の自己」を毒蛇に譬えている。

長慶:長慶慧稜(854〜932)。

玄沙:玄沙師備(835〜908)。出家前は釣りを好んだことで知られる。

雲門:雲門文偃(864〜949)。

長慶慧稜、玄沙師備、雲門文偃は雪峰義存の法嗣である。

本則は雪峰義存と3名の弟子の問答になっている。



本則:

雪峰義存禅師がある時、大衆に示して言った、

この雪峰山には一匹の毒蛇がおるぞ

お前さん達、その毒蛇に呑み込まれないよう気を付けるが良い。」

すると長慶が進み出て言った、

いや、たしかに堂中の雲水達はその毒に当てられて一人も生きていませんよ」。

ところがその時側にいた僧にはこの問答の意味が分からなかったらしく、

玄沙師備禅師にその話をした。

玄沙はそれを聞くと言った、

なるほど、さすがに慧稜兄だ。彼だからそういう答えができた

しかし、わしだったらそうは言わんな」。

僧は言った、

和尚だったらどう言われるのですか?」。

玄沙は言った、

その蛇は何も南山(雪峰山)だけにいるわけじゃない」。

雪峰と長慶が交わしていた問答を聞いていた雲門はいきなり柱杖を雪峰の面前に投げ出し、

そりゃ、出たぞ!」

とぶるぶる震えていかにも恐ろしいといった様子をして見せた。


象骨は巌高くして、人到らず

到る者は須らく弄(へび)蛇手(つかい)なるべし

稜師備師いかんともせず

喪身失命 多少かある

韶陽知って

重ねて草をはらう

南北東西 たずぬるに処なし

忽然として突出すシュ杖頭

雪峰に抛対(ほおりなげ)て大いに口をはる

大いに口をはる 閃電に同じ

眉毛を剔(てっ)起(き)すれもまた見えず

如今蔵(かく)れて乳峰の前にあり

来者 一一方便をみよ

師 高声(こわだか)に喝して云く、「脚下を看よ」


注:

象骨:象骨山、雪峰山には象骨巌という象の頭の形をした岩山があったと言われる。

稜師備師:長慶慧稜禅師と玄沙師備禅師

喪身失命 多少かある:大勢の者が毒に当てられて死んだ(喪身失命)

韶陽:雲門文偃のこと。

眉毛を剔起(てっき)す:眼をカッと開く。



雪峰山の象骨巌は険しく高く聳えたち、登り難い。

そこに登ることができる者は蛇使いの名人だけである。

長慶慧稜禅師や玄沙師備禅師ほどの剛の者でもこの蛇には手を焼いた。

いわんやこの蛇に飲み込まれて大死一番、真の自己を見た者は数少ない。

雲門禅師(韶陽)は分別妄想の生い茂る草を掻き分けて

この蛇を捕まえようと南北東西探したがなかなか見つからなかった。

この蛇は到る処にいるため外をうろつき探し回ってなかなか見つからない。

脚跟下にいることを知った雲門は、手にした杖を放り投げて

そりゃ、出たぞ!」とぶるぶる震えて真の自己である蛇を出して見せた。

雲門の蛇は大きな口を開いて雪峰のみか宇宙を一呑みするような勢いを示した。

その働きは実に見事で電光石火の早さだ。

この蛇は何処にいるかと眼をカッと開いて外を見回したとしても見つかるものではない。

その蛇はわし(雪竇)のいる乳峰山に今現在も蔵(かく)れているぞ

何なに、その乳峰山に今蔵(かく)れている蛇を見たいと言うのか

よし、それなら見に来い

見に来る者はとくとわしの手段を見よ」。

雪竇はこう言って、大喝して言った、

キョロキョロしないで自分の足下を見よ(脚下を看よ)」。


解釈とコメント


この公案には雪峰義存とその門下生である長慶慧稜、雲門文偃、玄沙師備という4人の有名な禅師が登場する。

彼等は全て雲門宗に深く関係している。

雲門宗中興の祖である雪竇重顕(碧巌録の著者)だから選んだ公案だと思われる。

この公案のテーマは鼈鼻蛇(べつびだ)である。

鼈鼻蛇とはコブラのような毒蛇であり、『真の自己』を毒蛇に譬えている。

毒蛇に譬えたのは参禅修行者は真の自己を究明するため、刻苦修行するが見性成仏する者は少ない。

修行の途中で精神的苦労(多くはストレス)、肉体的病に倒れる禅修行者も多かったと思われる。

それを毒蛇に咬まれて死ぬことに譬えたのではないだろうか。

真の自己(=本来の面目)の中心である下層脳は蛇と同じ「爬虫類脳」である。

この脳進化の科学的観点に立つと、本来の面目(=真の自己)を毒蛇に喩えたのは絶妙な比喩だと言えるだろう

「本来の面目」の脳科学的モデルを参照)。

真の自己は分かれば自分の主人公である脳であるので、毒蛇でも何でもない。

真の自己は日頃から常になれ親しんでいるものである。

しかし、参禅修行において真の自己を求めて迷う人にとっては病気の原因となるストレスともなる。

そのように考えれば毒を持つやっかいな存在にも言える。

最後に、雪峰と長慶が交わしていた問答を聞いていた雲門がいきなり柱杖を雪峰の面前に投げ出し、

そりゃ、出たぞ!」と

いかにも恐ろしいといった様子をして見せたのは、雲門なりに柱杖によって、鼈鼻蛇(真の自己)を示したと言える。


この22則では柱杖子によって本来の面目(=真の自己)を比喩的に表す借事問になっている。


この公案は禅の中心課題は「真の自己を明らかにする己事究明」にあることを示している。



23soku

 第23則  保福長慶遊山 



垂示:

玉は火を将って試み、金は石を将って試み、剣は毛を将って試み、水は杖を将って試む。

衲僧門下に至っては、一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶、

深浅を見んことを要し、向背を見んことを要す。

しばらく言え、なにを以ってか試みん。

請う挙す看よ。


注:

一言一句:ちょっとした話や言葉。

一機一境:一機とは心の働きが動作に現れたもの。

一境とは心の働きを外境によって示すこと。

一出一入:一つの自由と否定のこと。

一挨一拶:軽く触れたり(一挨)、強く触れたりする(一拶)こと。

向背:悟っているか迷っているか


垂示の現代語訳


宝石の真偽は火の中に入れて試験し、色が変わらないのが本物である。

金は試金石で擦って真偽を見分ける。

刀の場合、吹毛剣と言われるように髪の毛を吹き付けて、

切れるかどうかで見分ける。

川の深浅は杖を立てて測る。

そのように、物の真偽を判別する方法は物によって違う。

それでは禅僧の場合、彼が本物か偽者かはどうしたら判別できるだろうか?

禅僧の場合には、彼の発する「一言一句」、ちょっとした内心の働きと、

その外境への現われ、肯定否定の表現、軽くや強く触れたりすることなどの

言語動作に内心の動きが現れ出る。

それを見聞き判断することで、その僧の悟境や力量の「深浅」が分かる。

人物の「深浅」や彼が悟っているか迷っているかの「向背」も

そのようにして一目瞭然と判別できるのである。

それでは、ここに一つの公案を示すので、

それを看て登場人物の悟境や力量の深浅を判別して見なさい。



本則:

保福、長慶、遊山する次で、福、手をもって指して云く、

只這裏 すなわちこれ妙峰頂」。

慶云く、

是なることは即ち是なるも、可惜許」。

雪竇著語して云く、

今日この漢とともに遊山して、箇のなにをか図る」。

また云く、

百千年後無しとはいわず、ただこれ少なし」。後鏡清に挙示す。

清云く、

もしこれ孫公にあらずんば、すなわち髑髏、野にあまねきことを見ん」。


注:

保福:保福従展(?〜928)。雪峰義存の法嗣。

南山:雪峰山

長慶:長慶慧稜(854〜932)。雪峰義存の法嗣。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑→雪峰義存→長慶慧稜

妙峰頂:華厳経入法界品で、善財童子が最初に訪ねる徳雲比丘が住む山。

是なることは即ち是なるも、可惜許:そうには違いないが、少し違うのが惜しい。

鏡清: 鏡清道フ(868?〜937)雪峰義存の法嗣。

孫公: 長慶慧稜の俗姓


本則:

ある日の薬石(夕食)後のことだと思われる。

保福と長慶の2人が、連れ立って近くの山に散歩に出かけた。

太陽が西の山々を照らしながら沈んで行く頃で

夕日が暮なずむ山々の稜線を照らしこの世のものとは思えない絶景が展開していた。

保福はこれを見て指さしながら云った、

ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ

華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか」。

保福はこう言って「自分の悟りの境地」を匂わせた。

長慶は言った、

そりゃそうだな

しかし、悟りくさくて鼻もちならん。ちょっと違うのが惜しいな。」。

後に雪竇はこれに著語して言った、

今日この二人はせっかく遊山したというのに

悟り臭いこと言っていったい何をしにいったのか」。

雪竇はこれでは言い足りなかったのかこれに付け加えて言った、

しかし、そうは言うものの

「這裏これ妙峰頂」と言えるような者は百千年後といえども少ないだろうな」。

後にこの話を聞いた鏡清は言った、

もしこれが孫公(長慶)がいなかったならば

そのまま悟りの死人禅で、地球は埋まってしまっただろう」。


妙峰孤頂 草離離(りり)

拈得分明なり誰にか附与せん

これ孫公の端的を弁ずるにあらずんば

髑髏地に着く 幾人か知る


注:

離離(りり):草木が美しく繁るさま。

端的を弁ずる:ずばりとポイントを明示する。

髑髏地に着く 幾人か知る:自分のされこうべがごろりと

地面に横たわるのをどれほどの人が予知できよう。



「妙峰頂」で象徴される一味平等の絶対無の世界(脳幹を主体とする無意識脳の世界)

は尊いと言えばこの上なく尊い。

しかし、それは無意識の世界であり、決して活き活きした生成創造の世界(場)ではない。

むしろ、煩悩や渇愛が次々に生じる草離離(りり)たる世界である。

そういう境地を保福はさも有り難そうに「妙峰頂」と持ち上げたが、

少しで気のきいた者ならとっくに承知している。

それを「あげよう」と言われても誰も欲しがらないだろう

もし、長慶が“可惜許”とハッキリ言ってくれなかったら誰が本物の活禅に気付いただろうか。

もし、長慶が“可惜許”とハッキリ言ってくれなかったら死人禅で、地球は埋まってしまっただろう。


解釈とコメント


この話は雲門の兄弟弟子である保福と長慶の2人が、連れ立って近くの山に散歩に出かけた時の話である。

太陽が西の山々を照らしながら沈んで行く夕暮れ時であった。

夕日が暮なずむ山々の稜線を照らしこの世のものとは思えない絶景が展開していた。

保福はこれを見て指さしながら云った、

ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ

華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか

といって「自分の悟りの境地」を匂わせた。

これに対し、長慶は言った、

そりゃそうだな。しかし、悟りくさくて鼻もちならん

ちょっと違うのが惜しいな」。

(是なることは即ち是なるも、可惜許)と批判した。

後に、この話に対し、雪竇は著語して言った、

一体、この2人は折角山に遊びに行って、禅の悟りくさい話をして何事か」。

これだけでは物足りないと思ったのか

雪竇はさらに「しかし、そうは言うものの

“這裏すなわちこれ妙峰頂”と体得できるものは百年千年後にもそう多くはいないだろう

ましては“可惜許”と言えるものは殆どいないだろう。」と言った。

雪竇は「もしこれ孫公(長慶慧稜)がいなければ、髑髏のような邪禅が天下に広がったことだろう

と保福の境地を批判した。

この言葉は雪竇が碧巌録の原稿となった「雪竇頌古」を編集した時に書き付けたものと思われる。

後に保福と長慶の同門(雪峰義存門下)の鏡清はこの話しを聞いた時、

もし、孫公(長慶)がいなければ、そのまま悟りの「死禅」が世にはびこってしまっただろう。」

と言った。

ああ何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ

華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか

という言葉の中に保福は

自分の悟りの境地もこのようなものだ」という意味を含ませている。


この公案において、「雪竇頌古」を編集した雪竇との鏡清(雪峰義存門下)は

保福の境地はそのまま悟りの「死禅」、「邪禅」だとして保福の境地を否定している。

これに対し筆者は別の考え方もありうると考えている。


別の考え方について


保福従展の言葉と境地に対する伝統的な評価は

1.

雪竇は「もしこれ孫公(長慶慧稜)がいなければ、髑髏のような邪禅が天下に広がったことだろう

と保福の境地を批判した。

2.


後に保福と長慶の同門(雪峰義存門下)の鏡清はこの話しを聞いた時、

後に保福と同門の鏡清は、『もし、孫公(長慶)がいなければ、そのまま悟りの「死禅」が世にはびこってしまっただろう。』

と言った。

この二つに代表されるように、保福従展に対する伝統的な評価はさんざんなものである。

、保福従展を少しだけ評価している言葉として、

雪竇の評価「しかし、そうは言うものの

這裏すなわちこれ妙峰頂”』と体得できるものは百年千年後にもそう多くはいないだろう。


ましては“可惜許”』と言えるものは殆どいないだろう。

があるだけである。


筆者はこの問題に関し別の観点から考えてみたい。

夕日が暮なずむ山々を照らした絶景を見て保福が云った言葉、

ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ

華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか』から、

保福の全脳はかなり健康になっていると推測できる。

普通、一日10時間くらい坐る接心会で坐禅に集中して、

数日経つと周りの風景が生き生きとして輝くように見える。

これは坐禅を通して全脳が健康になってきた証拠だと考えることができる。

また接心会に参加した後クラシック音楽を聴くと、音楽に集中できて驚くほど良く聞くことができる

これも坐禅を通して脳が健康になってきた証拠だと考えられる。

坐禅によって脳が健康になるプロセスは次のように考えることができる。

坐禅中は雑念を追うことを禁止される。

これより大脳新皮質(上層脳)に入るストレスは無くなる。

坐禅時の長く深い丹田呼吸によって生命情動脳である下層脳が活性化する。

この時快楽神経であるA10神経やセロトニン神経も活性化するので

心は安らぎ大安楽の境地を味わうことができる。

禅と脳科学を参照)。

これが坐禅の健康効果を生む(禅の健康効果を参照)。

昔の中国の禅宗においてはこのような脳科学的知見はない。

そこで、保福の禅は『はたらきのない安楽の境地にはまり込んだ「死禅だ』と考えられたのかも知れない。

しかし、伝統的な禅宗の見解に縛られない自由な立場に立つと、

保福の禅境に対して、長慶や雪竇の伝統的な評価とは異なる考え方があって良いと思われる。

例えばイ山霊祐(771〜853)には「妙浄明心」という言葉がある。


仰山慧寂(807〜883)は「妙浄明心」について、「妙浄明心は山河大地、日月星辰である。」と述べている。



「公案」の「妙浄明心」を参照)。

保福の禅的心境はこの「妙浄明心」や「心境一如」の境地によって説明・評価できるのではないだろうか。


坐禅修行に専念して来た保福の脳は「妙浄明心」ともいえる健康な状態になっていた

と考えることができる。


このため、周りの景色を見た保福の心は、すぐ対境と一如になることができた

その結果、保福は、

ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ。華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか

と言ったと考えることができる。

   

「公案」の「万物一体」と「心境一如」を参照)。



24soku

 第24則  鉄磨到イ山 



垂示:

高々たる峯頂に立てば、魔外(まげ)も能く知ることなし。

深々たる海底に行けば、仏眼も見れども見えず。

たとい、眼は流星の如く、機は掣電(せいでん)の如くなるも、未だ免れず霊亀尾を曳くことを。

這(しゃ)裏(り)に到ってまさにそもさん。

試みに挙す看よ。


注:

魔外(まげ):悪魔や外道。

霊亀尾を曳く:霊験をあらわす亀も、砂浜に残した尾の跡から卵を産んだ場所が見つかること。

達人の言行も、その痕跡が吹っ切れていないとヘマを犯すことになる。

また、敢えて方便として自ら痕跡を残すやり方をも言う。


垂示の現代語訳


高々たる向上の極としての悟りの世界に立てば、

天魔外道といえどもその高さをはかることができないだろう。

それとは逆に向下の極に行ってそのものの根底を極め、衆生済度の働きをすれば、

仏の眼でもってしても見ることができないだろう。

そのような力量を持つ人の前に出ると、

たとえ、流れ星のような敏捷な眼を持ち、稲妻を捕まえることのできる

素早い働きを持つ人であっても、「霊亀が尾を曳く」ような“へまな人”に見えるだろう。

そのような境涯に到った人とはどのような人物だろうか?

次に例を挙げるので試みに、参究せよ。


本則:

劉鉄磨、イ山(いさん)に到る。山云く、

老ジ牛、汝来たれり」。

磨云く、

来日、台山に大会斎あり、和尚還って去るや」。

イ山、身を放って臥す。磨すなわち出で去る。


注:

劉鉄磨:イ山霊祐、仰山慧寂に参じた尼僧。イ山霊祐(いさんれいゆう)禅師(771〜853)の法嗣。

「鉄磨」は鉄の臼にも喩えられる風格に対するあざ名。

彼女はイ山の近くに庵を構えて住んでいたと伝えられる。

イ山:イ山霊祐(いさんれいゆう)禅師(771〜853)。

百丈懐海禅師(748〜814)の法嗣でイ仰宗の開祖。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

老ジ牛(ろうじぎゅう):年をとった雌牛(めうし)。

台山:五台山。山西省の東北部にある。

文殊菩薩の霊地とされる中国仏教の三大霊山の一つ。五台山の地形は「釈迦の掌」に比喩される。

5本の指に対応する五つの嶺(最高峰は標高3,000mもある)

に囲まれた手の掌に当たる所に百カ寺と言われる多数の寺が点在する。

我が国の慈覚大師円仁(794〜864、第三代天台座主)が

ここを訪れ「入唐求法巡礼行記」を著している。

大会斎:大勢の僧衆を集めて供養する法会。


本則:

劉鉄磨がイ山(いさん)に来た。

イ山(いさん)は劉鉄磨がやって来るのを見て言った、

年老いた雌牛がやって来たな」。

鉄磨は言った、

明日五台山で大会斎があります。和尚さん、お出かけになりますか」。

これを聞いてイ山は大の字になってゴロリと横たわった。

これを見ると、鉄磨は、サッサと後も見ずに帰って行った。


曽て鉄馬にのって重城に入る

勅下って伝え聞く六国の清きことを

猶お金鞭を握って帰客に問う

夜深うして誰と共にか御街(ぎょがい)に行かん


注:

 劉鉄馬:

重城:堅固な城。ここでは?山の居る所。

勅下って伝え聞く六国の清きことを:

秦の始皇帝の勅令で韓・魏・趙・燕・斉・楚の六国が治まったことを聞くこと。

夜深うして誰と共にか御街に行かん:

御街は皇城の南正門に通じる道、天子の御成り道。

そこを、しかも夜禁令を犯して誰と連れ立って行くのか。  

劉鉄磨はイ山(いさん)に法戦をするために張り切ってやって来た。

しかし、イ山(いさん)に

年老いた雌牛がやって来たな

と親しみを込めていわれ戦意を失った。

イ山(いさん)の悟境が穏やかで平和に満ちたものであるとあると分かったからである。

それはあたかも戦国時代に秦の始皇帝によって

六国(韓・魏・趙・燕・斉・楚の六国)の間の紛争が治まり平和がもたらされたようなものだ。

しかし、それを知らず鉄馬に乗って、張り切ってイ山のところに来た将軍鉄磨は

帰路を急ぐ兵士に

本当に戦争は終ったのか?」

と聞くようなことになってしまった。

イ山はごろりと、天下泰平に寝てしまうし、劉鉄磨はサッサと帰ってしまった。

2人は独立独歩の世界を自由に闊歩している。

劉鉄磨もイ山(いさん)も、誰にも依存することはない大力量の禅者である。

真っ暗な夜中、2人は夜暗い天子の御成り道を、禁令を犯して誰と連れ立って行くのだろうか。 

二人は独立独歩の無依の道人として、

悟りの道」を深化させながら進んでいるのだ。




解釈とコメント


劉鉄磨はイ山(いさん)に単に会うためだけでなく

法戦をするために張り切ってやって来たと思われる。

しかし、イ山(いさん)は劉鉄磨がやって来るのを見て

年老いた雌牛がやって来たな」と親しみを込めて言った。

この老ジ牛の老という言葉は中国では尊敬の意味も込められている

(例えば、老師、老子、釈迦老子などと老を用いているのを見れば分かる)。

この言葉には法戦のために張り切ってやって来た劉鉄磨の心がそがれたと思われる。

鉄磨が

明日五台山で大会斎があります。和尚さん、お出かけになりますか

と言うとイ山は大の字になってゴロリと横たわった(身を放って臥す)。

イ山が大の字になってゴロリと横たわったのは

自分は禅の悟りというご馳走を十分食べてお腹が一杯で満足しているので

五台山の大会斎なんかに出かける必要はないよと“身を放って臥し”て示したと考えることができる。


老境に至ったイ山の「おおひまの開いた悟りの境地」を見ると、

鉄磨はすっかり安心して、サッサと後も見ずに帰って行ったと考えることができるだろう。



25soku

 第25則  蓮華峰拈シュ杖 



垂示:

機、位を離れざれば毒海に堕在す。

語、群を驚かさざれば流俗に陥る。

忽ちもし撃石火裏に緇素(しそ)を別ち、閃電光中に殺活を弁ぜば、

以って十方を坐断して、壁立千仞々なるべし。

還っていんもの時節あることを知るや。

試みに挙す看よ。


注:

機 :心の働き。

位:心の境地、位置。この場合は「無相平等の悟りの境地」を指している。

毒海:「無相平等の悟りの境地」は下層脳(脳幹+大脳辺縁系)

を中心とするので無意識で、無相平等である。

そこに至れば大安楽の境地を味わうことができるが、

無意識で、はたらきがないためそこに居座るのは毒海のようでもある。

緇素(しそ):黒(緇)と白(素)。

緇素を別つ:黒白をはっきりさせる。


垂示の現代語訳


心の働きが無い「無相平等の悟りの境地」にどっぷり浸かって、そこを離れなければ、

毒の海のような働きのない死に体になってしまうだろう。

そのような境地を早く抜け出て、自由自在の働きを示さなければ、

彼の話す言葉は大勢の人々の心を打つこともなく、平々凡々の古臭いものになるだけだろう。

もし、これと反対に、毒海のような境地を早く抜け出て、自由自在の働きを得れば

、電光石火に黒白、殺活をはっきりさせる力を示すことができる。

その時彼は世界の主人公となって、十方を坐断して、

他人が寄り付くことができない独立独歩の孤高の境地に至るだろう。

皆さんこのような素晴らしい境地に至ることができることが分かるだろうか。

試みに例を挙げるので参究しなさい。


本則:

蓮華峰庵主、シュ杖を拈じて衆に示して云く、

古人這裏に到って、なんとしてか敢えて住せざる?」。

衆無語。自ら代わって云く、

他の途路に力を得ざりしがためなり」。

また云く、

畢竟如何?」。

また自ら代わって云く、

シツリツ、横に担うて人を顧みず、直に千峰万峯に入り去る」。


注:

蓮華峰庵主:蓮華峰祥庵主。雲門文偃の法孫に当たり、浙江省天台山の別峰蓮華峰の庵主。

蓮華峰に草庵を結んで住んでいた。雲門の法孫という以外よく分からない。

シュ杖(しゅじょう):シュは体を支えると言う意味。

徒歩で旅行する時に使う杖のこと。

禅ではシュ杖は「真の自己」の象徴として用いられることが多い

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑→雪峰義存→雲門文偃→道チン→蓮華峰庵主

這裏(しゃり):普通「ここ」と言う意味だが禅では「悟りの世界」を意味する。

 科学的には下層脳(=脳幹+大脳辺縁系を中心とする脳)の世界を意味している。

他の途路に力を得ざるがためなり:古人は杖を使いこなせなかったからだ。

途路:現実の社会。

シツリツ:天台山に生える杖を作るのに適した木の名前。杖のこと。



本則:

ある日蓮華峰の祥庵主はシュ杖を拈じて修行僧達に言った、

昔の禅僧は「悟りの世界」に到っても

どうしてその真っ只中に住んでいなかったのだろうか?」。

修行僧達はこの問いかけに無語だった。

そこで蓮華峰祥庵主は自ら代わって言った、

彼は現実の社会で悟りを使いこなす力量がなかったからだ」。

また言った、

結局どうなのだ?」。

蓮華峰祥庵主はまた自ら代わって言った、

シツリツを横に担いで人が何と言おうと

あの山この峯と、どこまでも衆生済度に出かけるだけだ」。


眼裏の塵沙 耳裏の土

千峰万峯肯えて住せず

落花流水はなはだ茫茫

眉毛を剔起(てっき)して何れの処にか去(い)く


注:

眼裏の塵沙 耳裏の土:眼には埃、耳には泥が入っても、灰頭土面下化衆生の活動をする。

眉毛を剔起(てっき)する:眼をカッと開く。



眼には埃、耳には泥が入っても、灰頭土面、下化衆生の活動に没頭する。

千峰万峯にも比すべき高い悟りの境地に安住するようなことはない

有仏の処、無仏の処に住むことなく流れ過ぎ走り過ぎる。

世界は、「落花流水はなはだ茫茫」と変化し移り変わり留まることがない。

この坊主は眼をカッと開いて何処に行くのだろうか。


解釈とコメント


ある日蓮華峰の庵主はシュ杖を拈じて修行僧達に言った、

昔の禅僧は悟りの世界に到っても

どうしてその真っ只中に住んでいなかったのだろうか?」。

本則の「垂示」には

『心の働きが無い「無相平等の悟りの境地」にどっぷり浸かって、そこを離れなければ、

毒の海のような働きのない死に体になってしまうだろう(毒海に堕在す)』とある。


これより、「無相平等の悟りの境地」とは動きのない下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)の世界を指していると考えられる。


下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)の世界は無意識・無相平等の安楽世界である


下層脳については、「禅と脳科学」を参照)。

しかし、「頌」で詠っているように、

千峰万峯にも比すべき「高く聳える無相平等の悟りの境地」に安住してはならない。

眼には埃、耳には泥が入っても動じることなく、

灰頭土面、下化衆生の活動に没頭する大乗の菩薩禅」に生きることの大切さを詠っている。


頌で詠うように、

眼には埃、耳には泥が入っても動じることなく、

灰頭土面、下化衆生に没頭する大乗の菩薩道』に生きるという「大乗菩薩禅」の理想が本則の結論になっている。

これが本則の伝統的な解釈と言えるだろう。



別の考え方について


23則「保福長慶遊山」の「解釈とコメント」で述べたように

本則でも伝統的解釈以外に別の考え方で評価をすることができる。

「垂示」では『心の働きが無い「無相平等の悟りの境地」にどっぷり浸かって、

そこを離れなければ、

毒の海のような働きのない死に体になってしまうだろう(毒海に堕在す)

と警告している。

無相平等の悟りの境地」である下層脳の世界に安住してはならないと言っていることが分かる。

現代の脳科学的観点から見れば、

無相平等の悟りの境地」とは坐禅によって活性化される下層脳(無意識脳)の世界を指していると考えられる。


下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)の世界は無意識・無相平等の安楽世界であり、

仏教がめざす「心の安らぎ」や「涅槃」の基礎になる世界だと考えることができる。

禅と脳科学を参照)。

大応国師や道元は「禅は安楽の法門である」として「心の安らぎ」や「安楽」を重視している。

「坐禅は安楽の法門なり」を参照)。

」では千峰万峯にも比すべき高く聳える「無相平等の悟りの境地」に安住してはならないと詠っている。

しかし、我々が坐禅をする時には、必ず「無相平等の悟りの境地」の基礎となる下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)の世界に入る。

そこで、「安楽感」と「心の安らぎ」を経験する。

禅と脳科学を参照)。


しかも、「無相平等の悟りの境地」の基礎となる下層脳(=脳幹と大脳辺縁系)の活性化は健康と深く関係している

坐禅の健康効果を参照)。

もし、坐禅修行者が下層脳(=脳幹と大脳辺縁系)の活性化による

「心の安らぎ」や健康効果を目的とし、それを重視するならば、

無相平等の悟りの境地」を体験するのは意味があることと考えられる。

しかし、坐禅修行者が灰頭土面、下化衆生に没頭する大乗の菩薩道に生きるという

大乗菩薩禅」を目指す雲水(僧侶)ならば、

本則が言うように、「無相平等の悟りの境地」に安住することは許されないだろう。

このように、「心の安らぎ」や健康を重視する居士禅の立場に立つか、

衆生済度(灰頭土面、下化衆生)をめざす僧侶の立場であるかによって、

本則の解釈や評価が異なってくると思われる。

そのような観点から、心の働きが無い「無相平等の悟りの境地」にどっぷり浸かって、そこを離れなければ、

毒の海のような働きのない死に体になってしまうだろう(毒海に堕在す)と簡単に決めつけることはできない。


むしろ、伝統的な禅宗の価値観に縛られない自由な立場に立つと、

無相平等の悟りの境地」について今までの伝統的な解釈や評価とは異なる考え方があっても良いのではないだろうか。


   






「碧巌録」の参考文献


   

1.大森曹玄著、橘出版 タチバナ教養文庫「碧巌録」上、下 1994年

2.入矢義高、溝口雄三、末木文美士、伊藤文生訳注、岩波文庫、「碧巌録」上、中、下、1994年

   

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