2011年8月作成   表示更新:2022年11月15日    

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無門関:その2: 25〜48則

   


無門関:その2」では西村恵信訳注、岩波文庫「無門関」を主たるテキストにして

合理的科学的立場から「無門関」の25則〜48則を分かり易く解説したい。



25

第25則:  三座説法

岩波無門関p.106〜108

本則:

仰山(ぎょうさん)和尚、夢に弥勒(みろく)の所に往(ゆ)いて、第三座に安ぜらる。

一尊者有り、白槌(びゃくつい)して云く、「今日第三座の説法に当たる」。

山乃ち起(た)って、白槌して云く、「摩訶衍(まかえん)の法は四句を離れ百句を離れ百非を絶す

諦聴(たいちょう)、諦聴」。

評唱:

且(しばら)く道(い)え、是れ説法するか、説法せざるか。口を開けば即ち失し、

口を閉ずれば又た喪す。開かず閉じざるも、十万八千。



頌:

白日青天、夢中に夢を説く。

捏怪(ねっかい)捏怪、一衆を 誑(おう)コす。

注:

仰山(ぎょうさん)和尚:仰山慧寂(ぎょうさんえじゃく)(807〜883)。

イ山霊祐(771〜883)の法嗣でイ仰宗(いぎょうしゅう)の祖。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

弥勒:梵語マイトレーヤの音写。弥勒菩薩のこと。

五十六億七千万年後に兜卒天(とそつてん)からこの世に下生して衆生を救済するとされる菩薩。

白槌(びゃくつい)する:注意を喚起するため槌を打ち鳴らす。

摩訶衍(まかえん)の法:摩訶衍(まかえん)とは梵語マハーヤーナの音写で、大きな乗り物のことで、

 大乗と意訳している。摩訶衍(まかえん)の法とは大乗の法という意味。

四句を離れ百非を絶す:あらゆる論理を超えている。四句と百非については後述する。

捏怪(ねっかい):物の怪に取り付かれたように怪しげなこと。

十万八千:十万八千里。十万八千里も遠く離れていること。

誑(おう)コす:騙す。


現代語訳



本則:

仰山(ぎょうさん)和尚は、夢の中で兜卒天(とそつてん)に昇り

弥勒(みろく)菩薩の所に行って、第三座に着いた。

すると一人の高僧が出てきて、槌を打ち鳴らして、

皆さん、今日は第三座が説法しますよ」と言った。

これを聞いた仰山は起(た)ち上がって演壇に行き、槌を打って云った、

大乗の仏法は四句、百句などあらゆる論理を超えています。よく聞きなさい」。


評唱:

さて、仰山和尚は一体説法したのか、説法しなかったのか。

口を開けば間違いになるし、

黙っていれば説法にならない。だからといって口を開かず閉じずということでも、

仏法から限りなく遠く離れてしまう。


頌:

白日青天の明るい時に、夢を見て夢の中で仏法を説いた。

仰山和尚のそんな夢物語は甚だ怪しいものだ。

そんな怪しい話に騙されてはだめだよ。


解釈とコメント


本則に於いて仰山は「摩訶衍(まかえん)の法は四句を離れ百句を離れ百非を絶す

と言っている。

この公案を理解するためには、この四句や百句、百非とは何かの知識が必要である。

以下にそれについて解説しよう。


25-1

四句と百非の論理


1〜2世紀インド仏教の学者にナーガルジュナ(竜樹)がいる。

彼は大乗仏教の空の理論の確立者で、八宗の祖とも呼ばれている大学者である

( 空については「中観仏教」を参照 )。

四句論理>はナーガルジュナ(竜樹)が創始した論理とされている。

ナーガルジュナの四句論理は禅や仏教の論理としてもよく現れる。

ナーガルジュナの四句論理とはあらゆる存在を次ぎの四様式に分類する。



:有(存在)。

:無(非存在)。

:有(存在)であるとともに無(非存在)である。

:有(存在)でも無(非存在)でもない。

の四つである。

この内の「有(存在)でもあり無(非存在)でもある」は双亦(そうやく)と呼ばれ、

は双非(そうひ)と呼ばれる。

の双亦(そうやく)の論理はアリストテレスの論理学にはない。

アリストテレスの論理学には「有(存在)であるか無(非存在)であるかでその中間はない」

とする排中律がある。

の論理はこの排中律に反する論理である。

またアリストテレスの論理学では「有(存在)であるか無(非存在)のどちらかを主張する(矛盾律)。

しかし、は「有(存在)でも無(非存在)でもない」を主張しているのでこの矛盾律に反する。

アリストテレスの論理学は欧米の論理学の基礎になっている。

その観点からナーガルジュナの四句論理は欧米の論理学と異なる論理を含んでいる。

無門関25則にでて来る四句とはこの論理を指している。

百非四句から次ぎのようにして導かれる論理である。

四句は夫々に四句を含むので十六句になる。

この十六句は過去、現在、未来の三世にわたると考えると、16x3=48になる。

これを未起{未だ起こっていない場合}と、已起(すでに起こった場合)に分けると

96(48x2)句になる。これに元々の四句を加えると百句になる。

この百句を否定したものが百非である。

四句と百句が大乗仏教のすべての論理となる。

これより、「摩訶衍(まかえん)の法は四句を離れ百句を離れ百非を絶す

という仰山の言葉は

大乗の仏法は一切の論理を超えている」と言っていることが分かる。

双亦(そうやく)と双非(そうひ)の論理は日本文化の理解にも欠かせない。

以下にその例を見よう。


双亦の論理と神仏習合


西洋の論理では神と仏は全く別である。

仏教が日本に入って来た時排仏派の物部氏は戦争までして、崇仏派の蘇我氏と争った。

これは後々まで感情的なしこりを残したと考えられる。

しかし、時と共に日本では神仏習合の考えが発展し

インドから渡来した仏教と日本固有の土着宗教である神道が仲良く共存するようになった。

このような神仏合一や神仏習合は西洋では考えられない。

ヨーロッパではゲルマン人の固有宗教はキリスト教によって排斥され抹殺された。

イスラム社会でも土着の民族宗教は抹殺されている。

アフカニスタンのバーミャンの巨大石仏は世界中の反対の声にも拘わらず

2001年3月 爆破破壊されたのもその例と言える。

イスラム教は偶像崇拝を禁止否定する。

仏像を崇拝する仏教はイスラム教から見れば偶像崇拝の邪教である。

バーミャンの巨大石仏も偶像の1つに過ぎないから破壊されたと考えられる。

 
石仏

完全に爆破・破壊されたバーミャンの高さ38mの大石仏

 

ところが日本では明治時代まで仏教と神道が仲良く共存して来た。

「神仏合一」や神仏習合は「双亦の論理」で考えることができる。

即ち「双亦の論理」では、「神でもあり仏でもある。」

あるいは「仏でもあり神でもある。」と考える。

大乗仏教が強い日本にはこの「双亦の論理」がある。

従って日本では結婚は神前でして、葬式は仏式ですることは何ら不思議なことではない。

奈良の興福寺では寺の僧侶達が毎年1月2日に春日大社に参詣する。

僧侶達は春日大社宮司や神官の方々と一緒に参詣し社頭において仏教経典を読経するのである。

永平寺(曹洞宗)の門前町(参道の町)には白山神社がある。

毎年春三月の彼岸会中日には、その年に上山した永平寺の雲水が白山神社(鎮守)に参詣する。

そして役寮老師の導師のもと神前読経をする。

このような神前読経は欧米の人には奇異で理解できないことかも知れない。

キリスト教会でコーランを読むようなことであるからである。

しかし、日本では神前読経は何ら不思議なことではない。

日本で長く続いた神仏習合の伝統は1868年(明治元年)明治政府の神仏分離令によって禁止された。

廃仏毀釈を伴なった神仏分離令は一種の文化破壊であり、

独自の伝統と多くの文化財を失ったのは残念なことである。


中東問題と双亦(そうやく)の論理


中東問題は現在でも解決が困難な問題である。

イスラエルは「パレスチナは我々イスラエルのものである」と主張する。

パレスチナ人は「パレスチナは我々パレスチナ人のものである」と主張する。

そしてそれぞれがその根拠の正当性を主張する。

しかし、理屈のぶつかり合いと論理では解決されないところに悲劇がある。

これに双亦の論理を適用するとどうだろうか?

双亦の論理では「パレスチナはイスラエルのものであると同時にパレスチナのものである。」となる。

これは西洋の二元論理では理解されない論理である。

しかし、この論理を受け入れることができればパレスチナ問題は解決するだろう。

パレスチナはイスラエルのものであると同時にパレスチナのものである。」

この論理を受け入れ、仲良く協同統治、共同利用すれば良い。

そのように理解すれば双亦の論理は「共生・共存」の論理となるだろう。

ユダヤ人が流浪の民として世界をさまよっていた間

パレスチナ人が住み着いて留守番してくれていたと考えれば、

パレスチナ地方を一緒に共同開発し仲良く協同統治、共同利用し共存すれば良い

と思うのは双亦の論理に慣れた楽観的な日本人だからであろうか。


ミドリムシ、光 : 双亦の論理


ミドリムシ

最近話題になっているミドリムシも双亦(そうやく)の論理で説明できるだろう。

ミドリムシは栄養豊富なため、食糧となる。

またジェッットエンジンの燃料を生み,航空燃料ともなるので注目されている。

ミドリムシは本来動物であるが、体内に葉緑体をもつ光合成を行う植物でもある。

即ち、動物であるとともに植物でもある。

これは双亦の論理で説明できるだろう。

もう一つの例は光である。

光はマックスウェル電磁気理論では電磁波であるから、波の性質を持っている。

しかし、20世紀初頭に成立した量子力学では、光は粒子の性質をもつ光子である。

即ち光は波であるとともに粒子としての性質をもっている。

これも双亦の論理で説明できるだろう。

この例でも分かるように、双亦の論理は量子力学の論理とも言える。

量子力学の論理は量子コンピュータの基礎とも言える論理となっている。

このことを考えると、禅の論理として用いられる四句論理は

意外に最新科学の論理とも言える不思議な論理と言えるだろう。


双非(そうひ)の論理の例


.風呂の適温:

「熱くもなく、寒くもない」という表現をする。寒いか熱いかの二元論理では適温を表現することは難しい。

過ごし易い適度な温度を表現する時には双非の論理が使われる。


.無可無不可:

論語に無可無不可(「可も無く不可も無し」)という言葉がある。

普通の二元論理では可であるか不可であるかである。

無可無不可(「可も無く不可も無し」)はそのどちらでもないと言うわけだから双非の論理といえる。

この言葉は特に優れているわけでもないし特にひどいわけでもない、

まあまあである」という場合によく使われる。

これは良いこれはだめとはっきり決めつけないという意味である。


.親鸞の非僧非俗:

親鸞(しんらん、1173−1262)は浄土真宗の開祖として知られる。

範宴(はんねん)・綽空(しゃっくう)・善信とも称し、愚禿を姓とする。

法然上人の弟子の1人である。

建永2(1207)年、興福寺などの告訴によって、法然上人以下の流罪に際し、

親鸞も越後国に流罪となって流された。

この間に「非僧非俗」の愚禿親鸞と称し、

妻の恵信尼(1183−1268)と生活を共にしている。

この僧侶でもない、俗人でもない(僧に非ず俗に非ず)という事が「非僧非俗」である。

外見は禿頭で僧侶の姿をしていても内面は愚かな俗人であることを示す

「禿」のうえに「愚」をつけて、愚禿と名乗ったと考えられる。

親鸞は越後流罪を契機として、非僧非俗の立場を表明したと考えることができる。

従来の仏教は国家仏教の制度の下にあり、僧侶になるには国家の承認が必要であった。

当時の僧侶は、権力によって保護される代わりに朝廷や貴族のために祈祷したり、

位を与えられたりして国家の定めた秩序に組み込まれていた。

したがって非僧非俗とは、そのような僧侶でもなく、さりとて俗人でもないということであって、

僧俗のわく組みを離れた新しい立場を示している。

このことは仏教徒としてまったく自由な立場にたったことを意味し、親鸞はこれこそ念仏者の姿であると示したと考えられる。

それとともに非僧非俗は、念仏の教えが出家中心の仏教でもなく、

また世俗の権力のための仏教でもなく、すべての人にひとしく開かれた仏教である、

という親鸞の精神を表わしている。

非僧非俗の世界は次の図によって説明できるだろう。

 
非僧非俗

図 非僧非俗の説明図

 

図において、x>0を僧の世界、x<0を俗の世界と考える。

非僧非俗の世界はx>0 でもないし、x<0でもない。従って、x=0になるしかない。

x軸上でx=0は幅を持たない。

従って二元論の世界であるx軸に垂直な別の世界を考えるしかない。

この世界は x軸に垂直な青色の世界で表すことができると思われる。

 

普通の論理では、僧でなければ俗である。僧であれば俗ではない。

西欧の論理では非僧非俗の世界は中途半端で

あいまいな論理に基づいていると考えられるだろう。

非僧非俗は四句論理では「双非の論理」に該当する考え方になるだろう。

. 日本の曖昧な裁判:

日本の裁判は「双方の言い分、まことにもっともである」と言った

曖昧な裁判が良い裁判だと考えられている。

「三方一両損」や「喧嘩両成敗」的な裁きをくだすのが名奉行とされる。

欧米の裁判では、勝つか負けるかのどちらかで曖昧さがない。

日本の裁判官は黒白をはっきり決しようとしない。

仲裁、痛み分け、引き分けなどの結論が日本人の好みである。

このような日本人の曖昧さは四句論理と関係があるのかも知れない


この公案は夢が主題になっている点でユニークである。

仰山は夢の中で弥勒菩薩の前で説法する。

仰山は大勢の菩薩の前で「大乗仏教の究極は一切の論理と表現を超えている

と説法する。

これは「禅はあらゆる論理と思想を超えた『不立文字の世界である』と言っている。

禅の世界である脳宇宙は文学[日常言語]や論理では説明できないということである。

禅の世界である脳宇宙は科学的言語と論理で説明するしかないので当然であろう。

本則のテーマである禅と夢について考えよう。

夢は普通睡眠中に見る。睡眠は体や脳の疲労を解消するために必要不可欠である。

夢は浅い睡眠であるレム睡眠(Rapid Eye Movement Sleep,眼球が動いている睡眠)中に良く見るようである。

おぼろげではかない様子を「夢、幻の如し」と言う。

夢は、たわいもなくはっきりしない。

夢の中でははっきりと深く物事を考えることもできない。

しかし、夢は禅の悟りと共通するものがある。

それは共に脳内現象である点である。

そこにこの公案を理解する鍵があると思われる。

以上の解説で、「大乗の仏法は四句、百句などあらゆる論理を超えています

という仰山の言葉の意味は分かったと思う。

それではこの第25則の公案では何を言いたいのだろうか?

筆者は「禅の根本原理」の第二原理である<作用即性>の典型例だと考えている

「禅の根本原理と応用」の第二原理を参照)。

仰山の説法は動作による説法と言葉による説法の二つの説法から成ると考えることができる。

1.言葉による説法

仰山の言葉による説法とは『大乗の仏法はあらゆる論理を超えています』と言う言葉による説法である。

2.動作による説法

仰山の動作による説法とは『一人の高僧が出てきて、槌を打ち鳴らして仰山を呼ぶと

仰山は起(た)ち上がって演壇に行き、槌を打つ、』と言う動作によって説法をしたことである。

通常の説法は言葉による説法なので問題ないが動作によって説法とは何を意味するのか分かり難いかも知れない。

以下で説明するように動作による説法も禅の世界では立派な説法となるのである。

仰山の言葉による説法を「大乗の仏法はあらゆる論理を超えています」と考えることにはなにも問題ないだろう。

この時、本則で一番重要な部分は仰山の動作による説法と言葉による説法の両方を含んだ

仰山は起ち上がって演壇に行き、槌を打って云った、『大乗の仏法はあらゆる論理を超えています。よく聞きなさい

と考えることができる。

仰山の説法は

演壇に行く、→ 槌を打つ、→『大乗の仏法はあらゆる論理を超えています。よく聞きなさい

と云う動作による説法と言葉による説法から成り立っている。

即ち、演壇に行き、 槌を打つという「動作による説法

言葉による説法『大乗の仏法はあらゆる論理を超えています。よく聞きなさい

と云う2つの説法から成ると考えることができる。

これによって、の悟りの本体としての仏性(=脳)のハタラキ(作用)を皆に示したのである。

脳(仏性)の働き(行く、打つ、話すの3行為)で仰山の説法は立派に完了している

と考えることができるだろう。

あらためて、<作用即性の原理を次の図10で示す。

 
fig.10
作用即性

図10.<作用即性>の原理図

 

即ち、仰山は演壇に行き、槌を打って、

大乗の仏法はあらゆる論理を超えています。よく聞きなさい

と云うことで、<作用即性>の原理を立派に示したと解釈できる。

ここで注意すべきは「大乗の仏法はあらゆる論理を超えています

という仰山の言葉である。

上の図10において、仏性を坐禅修行によって健康になった脳だと考えれば、

作用即性>の原理は現代の脳科学によって明快に説明できる。

従って仰山が言った「あらゆる論理」とは

科学を除く文学や日常言語の論理であると言える。

中国の唐代はまだ古代であり、現代の進んだ脳科学はなかったからである。

図11に図10を更に分かり易く描き直したものを示す。

 
作用即性の説明

図11.<作用即性>の説明図

 

仰山は「仏法の究極のところは文学や日常言語のあらゆる論理を超えています

と言っている。

仰山が生きた中国の唐代は未だ古代である。

現代のような進んだ脳科学は無かったのでこう言うしかなかったのである。

無門は「評唱」に於いて「口を開けば間違いになるし、黙っていれば説法にならない

だからといって口を開かず閉じずということでも、仏法から限りなく遠く離れてしまう

と言っている。

ここで分かりにくいのは「口を開かず閉じずということでも、仏法から限りなく遠く離れてしまう

という所で「口を開かず閉じず」という文である。

口は開くか閉じるかの1つで「口を開かず閉じず」ということは不可能である。

無門はこのように不可能なことを言って我々をからかっているのである。


   
26soku

第26則:二僧巻簾

岩波無門関p.109〜111



本則:

清涼(しょうりょう)大法眼、因(ちな)みに僧、斎前(さいぜん)に上参す。眼、手を以って簾を指す。

時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼曰く、「一得、一失」。


評唱:

且(しばら)く道(い)え、是れ誰か得、誰か失、若し者裏(しゃり)に向って一隻眼(いっせきげん)を著(つ)け得ば、

便ち清涼(しょうりょう)国師敗闕(はいけつ)の処を知らん。

かくの如くなりと雖然( い え ど)も、切に忌む得失裏(とくしつり)に向って商量することを。



頌:

巻起(けんき)すれば明明として大空(たいくう)に徹す、大空すら猶お未だ吾宗に合(かな)わず。

争(いか)でか似(し)かん空より都(すべ)て放下(ほうげ)して、綿綿密密、風を通ぜざらんには。



注:



清涼(しょうりょう)大法眼:法眼文益(885〜958)。清涼(しょうりょう)文益とも大知蔵大導師とも言う。

唐代の禅者。法眼宗の始祖。羅漢桂チン(けいちん)(らかんけいちん、867〜928)の法嗣。

法系:徳山宣鑑→雪峯義存→玄沙師備→羅漢桂チン→法眼文益 

斎前(さいぜん):斎は昼食のこと。昼食前。

一隻眼(いっせきげん):肉眼とは別の心眼。第三の眼。

敗闕(はいけつ)の処:失敗した処。後れをとった処。

商量する:相談する。協議する。商談において、中を取ってお互いが満足するようにする。



現代語訳



本則:

ある日昼食の前に、清涼(しょうりょう)院の大法眼和尚の所に二人の僧が質問に来た。

和尚は黙って簾を指さした。

二僧は揃って簾の所に行って簾を巻き上げた。

すると、和尚は言った、「一人はそれでよいが、一人は駄目だ」。


評唱:

さあ、誰がよくて、誰は駄目なのだろうか。もしこの処を見抜ける眼を持っていれば、

清涼(しょうりょう)国師が駄目だった処が分かるだろう。

しかし、そうであっても、どちらがよくて、どちらは駄目だなどと考えたりしたら駄目だぞ。



頌:


簾を巻き上げれば明るい大空が見える。それは禅の悟りの境地に似ているところがあるが、

悟りの境地はそれを超えている。

そんな悟りの境地さえも投げ捨てて(乗り越えて)、

風を通さないほど真の自己に密着しなければならない。


解釈とコメント


ある日の昼食前に二人の僧が法眼禅師のところに質問に来た。

丁度その時、部屋の簾が垂れたままで室内は暗かったと見える。

その時、法眼禅師は黙って簾を指差した。  

二人の僧はハハアこれは簾を巻き上げなさいと言うことだなと察知し、簾の所に行って巻き上げた。

人間は機転が利かないといけない。

そうすると法眼禅師は「一人はそれでよいが、一人は駄目だ」と言った。

この公案の内容はたったこれだけである。

この公案は禅修行の心がけを簾を巻き上げるとういう行為を通して示しているとされている。

第一点は法眼禅師は黙って簾を指差したのを見て、二人の僧は簾の所に行って巻き上げた。

法眼禅師が黙って簾を指差した時、ハハアこれは簾を巻き上げなさいと言うことだなと察知し、

簾を巻き上げた。

このように、人間は機転が利き機敏に行動しないとだめだと教えている。

第二点は法眼禅師は二人の僧は簾の所に行って巻き上げた時、

法眼禅師は「一人はそれでよいが、一人は駄目だ」と言ったところである。

法眼禅師は「Aはそれでよいが、Bは駄目だ」と二人の僧の名前を言ってはいない

ところに注目すべきである。

僧の名前を言わなければ、二人の僧は自分は褒められたのか叱られたのか分からない。

自信のない者はまごつくし、自信のある者はまごつかない。

自分のしたことに確信をもつ者は褒められても叱られても泰然自若として何とも思わないだろう。

法眼禅師は「一人はそれでよいが、一人は駄目だ」と名前を言わないことで、

二僧の心をゆさぶっているところがある。

第三点は法眼禅師の「一人はそれでよいが、一人は駄目だ

という言葉で良い悪い(駄目だ)を言っているように見える。

しかし、善悪や上手・下手を分別しそれに拘ることは,禅の「無分別智」から見れば良くない。

善悪や上手・下手を分別しそれに拘ることはストレスと煩悩を生むからである。

「無分別智」はそのような分別智を超えるところにある。

無門は評唱で「切に忌む得失裏に向って商量することを」と言っている。

これは損・益、是非・得失を超えた「無分別智(下層脳中心の本来の自己)

に目覚めるように促しているのである。

頌において「空より都(すべ)て放下(ほうげ)して、綿綿密密、風を通ぜざらんには」

が少し分かりにくい。

これは簾を上げれば大空が見える。

参禅修行によってその大空にも似た悟りの境地を得ることができる。

しかし、そんな悟りの境地をも放下してしまうべきだ。

さらに進んで迷・悟の風が通る隙間もないほどぴったりと密着するように、

真の自己(下層脳中心の本来の自己)に密着して、真の自己に目覚めることが大事だと言っているのである。


無論、真の自己(下層脳中心の本来の自己)に密着して

真の自己に目覚めるには、坐禅が最高の手段であることは言うまでもないだろう。




第27則:  不是心仏 

岩波無門関p.112〜114


本則:

南泉和尚、因みに僧問うて云く、「還(かえ)って人の与(た)めに説かざる底の法有りや?」。

泉云く、「有り」。

僧云く、「如何なるか是れ人の与(た)めに説かざる底の法?」。

泉云く、「不是心(ふぜしん)、不是仏(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ)、」。


評唱:

南泉、この一問を被(こうむ)って、直に得たり家私(かし)を揣尽(しじん)し、郎当(ろうとう)少なからざることを。



頌:

丁寧は君徳を損(そん)す、無言真(まこと)に功有り。

任従(たと)い滄海は変ずるも、終(つい)に君が為に通ぜじ。


注:

南泉和尚:南泉普願(なんせんふがん、748〜834)。唐代の禅者。馬祖道一(709〜788)の法嗣。

百丈懐海、西堂智蔵とともに馬祖門下の三大師の一人。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン

人の与(た)めに説かざる底の法有りや?:誰も説かなかった法がありますか?

不是心(ふぜしん)、不是仏(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ):

 この言葉は「華厳経」に出る「『心、仏、衆生』の三に差別なし」と言う有名な文句と関係していると考えられている。

不是物」の物はこのなかの衆生(迷える衆生)を指していると考えられている。

我々の本性としての「本来の面目(下層脳中心の脳)」は心でもない、仏でもない、ものでもない、

何とも説きようのないものだと言っていると考えられる。

南泉の生きた唐の時代には、心の本性と働きは脳にあることが分かっていなかった。

そのため、このような表現になったと考えられる。

家私(かし):家の財産。

揣尽(しじん):もてあそび尽くすこと。量(はか)り尽くすこと。

郎当(ろうとう):疲れくたびれる様子。

滄海は変ずる:「滄海変じて桑田と成る」の略。

大海が変じて桑田と成る、世の中の変化が激しいという意味。


現代語訳


本則:

 南泉和尚にある僧が尋ねた、「今迄誰も説かなかった法が有りますか?」。

南泉は云った、「有る」。

僧は云った、「今迄誰も説かなかった法とはどのようなものですか?」。

南泉は云った、「心でもなく、仏でもなく、衆生でもないものだ」。

評唱:

南泉は、こんな一問を浴びせられて、家の財産を全て放り出して、へとへとに疲れてしまったわい。


頌:

南泉はあまり丁寧に説明したため自分の徳まで損なった。むしろ黙っていた方が良かった。

たとえ大海が陸地に変化しても、この無門ならば君達には説いてやらないよ。


解釈とコメント


本則は僧と南泉普願の問答である。

僧が「今迄誰も説かなかった法が有りますか?」と質問したのに対し

、南泉は、「私が今ここに、こうしているのは、心でもない、仏でも衆生でもない

といって、心と別のものでもないし、仏や衆生と別でもない。これは一体何だろうか?」と言っている。

南泉がこのように言って問いかけているのは

禅の中心テーマである「真の自己」であると考えることができる。

真の自己」は言葉で表現できないとして、

真の自己(=自己本来の面目)」を悟ることを我々に促しているのである。 


南泉の「不是心、不是仏、不是物」という言葉は南嶽懐譲の「説似一物即不中」に似たところがある


「説似一物即不中」を参照)。

これと同じ公案は碧巌録28則「南泉不説」にある。

碧巌録28則では南泉と百丈涅槃和尚の問答になっている。

「碧巌録28則」を参照)。

百丈涅槃和尚が南泉に、「還(かえ)って人の与(た)めに説かざる底の法有りや?」と尋ねたのに対し、

南泉は「不是心、不是仏、不是物、某(それ)甲(がし)はただ恁麼(いんも)」と答えている。

南泉は「私が今ここに、こうしているのは、心でもない、仏でも衆生でもない

ただこの様に在るがままに(如是に)いるだけだ」と言っているのだ。

無門は評唱に於いて 

南泉は、こんな一問を浴びせられて、家の財産を全て放り出して、へとへとに疲れてしまったわい

と言っている。

これは言貶意揚(ごんぺんいよう)の表現(言葉で貶して心で褒める表現法)である。

我々もこのような問題に真剣に取り組んで今まで貯めこんだ知解妄想などの全てを放下して

本来無一物の「真の自己」に目覚めるよう促しているのだ。

頌では「南泉はあまり丁寧に説き過ぎたため南泉自身の徳を損なった

むしろ黙っていた方が良かった(説くことができないから)

たとえ大海が陸地に変化するようなことになっても、この無門ならば君達には説いてやらないよ

と反語的に詠っている。

これは

本来の面目は説き示すことはできないが、このように隠すことなく赤裸々に露出しているじゃないか。未だ気付かないのか

と我々に自覚を促しているのである。



28

第28則:久響竜潭(きゅうきょうりゅうたん)  

岩波無門関p.115〜121


本則:

竜潭、因みに徳山請益(しんえき)して夜に抵(いた)る。

潭云く、「夜深(ふ)けぬ。子、何ぞ下り去らざる」。

山、遂に珍重して簾を掲げて出ず。

外面の黒きを見て却回(きょうい)して云く、「外面黒し」。

潭乃(すなわ)ち紙燭(ししょく)を点じて度(ど)与(よ)す。

山、接せんと擬す。潭便(すなわ)ち吹滅(すいめつ)す。

山、此に於いて忽然(こつねん)として省有り。

便(すなわ)ち作礼(さらい)す。

潭云く、「子、箇の甚麼(なん)の道理をか見る」。

山云く、「某甲(それがし)、今日より去って天下の老和尚の舌頭を疑わず」。

明日に至って、竜潭、陞堂(しんどう)して云く、

可中(もし)箇の漢有り、牙(げ)は剣樹の如く、口は血盆(けつぼん)に似て

一棒に打てども頭を回らさざれば、他時異日、孤峰(こほう)頂上に向って君が道を立する在らん」。

山、遂に疎抄(そしょう)を取って、法堂(はっとう)の前に於いて、

一炬(こ)火(か)を将(もっ)て提起して云く、

諸(もろもろ)の玄弁(げんべん)を窮むるも

一毫(ごう)を太虚(たいきょ)に致(お)くが若(ごと)く

世の枢機を竭(つく)すも一滴を巨壑(こがく)に投ずるに似たり」。

疎抄(そしょう)を将(もっ)て便(すなわ)ち焼く。是に於いて礼辞(れいじ)す。


評唱:


徳山未だ関を出でざる時、心憤憤(ふんぷん)、口ヒヒ(ひひ)たり。

得得として南方に来たって教外別伝の旨を滅却せんと要す。

?(れい)州の路上に到るに及んで婆子(ばす)に問うて点心(てんじん)を買わんとす。

婆云く、「大徳の車子の内は是れ甚麼の文字ぞ?」

山云く、「金剛経の疎抄(そしょう)」。 

婆云く、「只だ経中に道うが如きんば、過去心不可得、見在心不可得、未来心不可得と

大徳、那箇の心をか点ぜんと要す?」。

徳山、者の一問を被って直に得たり口ヘン檐(へんたん)に似たることを。

是の如くなりと雖(いえ)然(ど)も、未だ肯て婆子(ばす)の句下に向って死却せず。

遂に婆子(ばす)に問う、「近処に甚麼(なん)の宗師か有る?」

婆云く、「五里の外に竜潭和尚有り」。

竜潭に到るに及んで敗闕(はいけつ)を納(い)れ尽くす。

謂つべし是れ前言後語に応ぜずと。

竜潭大いに児を憐れんで醜きことを覚えざるに似たり。

他の些子(しゃし)の火種有るを見て郎忙(ろうぼう)して悪水(おすい)を将(も)って

驀頭(まくとう)に一澆(ぎょう)に澆殺(ぎょうさつ)す。

冷地に看来らば、一場の好笑なり。


頌:


名を聞かんよりは面を見んに如かじ、面を見んよりは名を聞かんに如かじ。

鼻孔(びくう)を救い得たりと雖(いえ)然(ど)も、争奈(いかん)せん、

眼ゼイを瞎却(かっきゃく)することを。  


注:


竜潭(りゅうたん):竜潭崇信(りゅうたんそうしん、生没年不詳)。

唐代の禅者。青原行思の法系下、天皇道吾(748〜807)の法嗣。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→竜潭崇信→徳山宣鑑

請益(しんえき):有益な教えを請うこと。

道理:理や道理の意味ではなく、具体的な問題や出来事をいう

陞堂(しんどう):上堂。

珍重(ちんちょう):辞退する時の挨拶の言葉。さようなら、お大事に。

玄弁(げんべん):仏教の本質について議論したもの。

世の枢機:渡世術。

心憤憤(ふんぷん)、口ヒヒ(ひひ)たり:心が憤慨して言葉にならないさま。

口ヒヒ(くちひひ):心の中に溜まったものを吐き出そうとして出せないさま。

巨壑(きょがく):大きな谷。

点心(てんじん):食事以外に摂る軽い食べ物。スナック、菓子。

口ヘン檐(へんたん)に似たる:ヘン檐(へんたん)は天秤棒のこと。

何も答えられなくて口を真一文字に閉じているのに似ている。

謂つべし是れ前言後語に応ぜず:故郷で禅を滅却してやると

大言壮語したにもかかわらず竜潭和尚との法戦に見事に敗れた。

故郷での大言壮語と竜潭和尚のところの言動を比べると

前後がぴったり一致していないと言うしかない。

些子(しゃし)の:少しの。

郎忙(ろうぼう)して:あわてふためいて。

鼻孔(びくう):本来の面目。

眼ゼイ:澄み切った瞳。


現代語訳


本則:

竜潭和尚のところに、ある時徳山が教えを乞いにやって来た。

議論は白熱し、そのうち夜になった。竜潭は、

夜もだいぶ更けてきたからそろそろ山を下りた方がよいのではなかろうか」と言った。

徳山は、仕方なく別れを告げて、簾を上げて外に出ようとした。

ところが外が真っ暗なので引き返して来て「もう外は真っ暗です」と言った。

竜潭和尚は提灯に灯をつけて渡してやった。

徳山が提灯を受け取ろうとした時、竜潭はプッと灯を吹き消してしまった。

徳山は、この時、忽然(こつねん)として悟り、竜潭和尚に深々と頭を下げた。

竜潭は「お前さん一体どうしたんじゃ」と言った。

徳山は、「今日から私は世の老師達が言われることを疑いません」と言った。

翌日になって、竜潭は説法の座に上って、

もし、この中に血をのせた盆のような口と剣樹のような歯を持ち

棒で打たれてもびくともしないような男がいるなら

その男はいつの日か、誰一人寄り付けない高みに独自の仏法を打ち立てるだろう」と云った。

徳山は遂に 、法堂(はっとう)の前に行って持って来た金剛経の注釈書を取り上げ、

一本の炬火(こか)を持つと、

どんなに仏教の教義を窮(きわ)めても、一本の髪の毛を大空に投げたようなもの

またどんなに渡世術を究めても一つの水滴を大きな谷に投げるようなものだ

と云ってそれらの注釈書を焼却してしまった。

そして礼を述べるとさっさと山を下りて行った。



評唱:

徳山は故郷にいた時は、心に思うことが一杯あったが

それを言葉に言い表すことができなかった。

しかし、我こそは「教外別伝」の仏教だと言って勢いを増している禅宗を

ことごとく論破して滅却してやろうと南方にやって来た。

レイ州(れいしゅう)までやって来て腹が空いたので路端の茶店に立ち寄り

茶店の婆さんに点心(軽食)を注文した。

ところがこの婆さんはただ者ではない。

婆さんは徳山に、「お坊様の車に積んである書物は一体何の本ですか?」と尋ねて来た。

徳山は、「あれは私が書いた金剛経の注釈書ですよ」と言った。 

すると婆さんは、

金剛経には、過去心不可得、現在心不可得

未来心不可得と書いてあるはずです

あなたは今点心を注文されましたが、一体どの心で注文されたのですか?」と聞いて来た。

徳山は、この一問にぐっとつまって口を一文字に閉じたままになった。

正直な彼はこの質問にすぐに答えることができなかったからである。

遂に徳山は、婆さんに、「この近くに禅の宗匠がおられますか?」と聞いた。

婆さんは、「ここから4キロばかり離れた所に竜潭和尚がおられます」と云った。

そこで竜潭山に行き、竜潭和尚に会って法戦を戦わせたが

いやというほどの敗北を喫してしまった。

これでは故郷での大言壮語と竜潭での言動がさっぱり合っていないと言うしかない。

竜潭和尚はこの若造(徳山)が気に入ってしまったばかりに、

そのお粗末さに気付かなかったようだ。

徳山に少しばかり才能があると見て、慌てて泥水を浴びせかけ、

折角の悟りの火種を消してしまったわい。

冷静に竜潭のやり方を見ると全く一場のお笑い草だよ。


頌:


遠くで名前を聞くより一見した方が良い。

実際に会って見るより(徳山の)名前だけを聞いて会わないでいた方が良かった。

たとえ鼻を救ったといっても、肝心の目玉がつぶれていてはだめだ。




解釈とコメント


本則では十三則で出てきた徳山宣鑑禅師が禅に入門し

竜潭崇信の下で見性をする物語が主題である。

徳山宣鑑は西蜀において金剛般若経を理論的に研究し、「周金剛

という異名をもって呼ばれるほどの有名な仏教学者であった。

彼は金剛経の注釈書も書くほどで自らを金剛経の研究では第一人者であると考え、

人にも認められていた。

徳山の時代は禅が中国南部で教勢を拡大していたが、「教外別伝」、「不立文字」など、

伝統的な経典に基づく伝統的仏教とは異なる教えを説くので

未だ市民権を得ていなかったのである。

徳山は最近「教外別伝」、「即心即仏」などと、

お経には説かれていないことを言って勢いを増している禅宗に対しては、

反感を持ち、あれは正しい仏教ではない、邪教だと考えていた。

そのような邪教をことごとく論破して滅却してやろうと南方にやって来た。

ところが、茶店の婆さんに、

金剛経には、過去心不可得、現在心不可得

未来心不可得と書いてあるはずで、あなたは今点心を注文されましたが

一体どの心で注文されたのですか?」

と質問されても、ぐっとつまって答えることができなかった。

これを機縁に竜潭和尚に会って法戦を戦わせたが、竜潭和尚との法戦にも敗北を喫してしまった。

竜潭和尚との法戦に夢中になったため気付くと外は既に暗くなっていた。

そこで徳山は提灯を借りて山を下りようとした。

灯をつけた提灯を徳山が受け取ろうとした時、竜潭和尚はプッと灯を吹き消してしまった。

この時、徳山は、

灯火を見ていた「本来の面目(=真の自己=脳)」を忽然(こつねん)として悟った。

そこで竜潭和尚に深々と頭を下げた。

竜潭は徳山の悟りを検証しそれを許した。

翌日竜潭和尚は説法の座に上った時、徳山の悟りについて、

その男はいつの日か、誰一人寄り付けない高みに独自の仏法を打ち立てるだろう

と大いに褒め上げて紹介した。

徳山は持って来た金剛経の注釈書を全て焼却して山を下りて行った。

以上が本則で取り上げた徳山の見性物語である。

これは馬祖や臨済が「これ汝目前に用いる底は祖仏と別ならず」と言って

我々の言語・動用が本体である祖仏(=仏性)の働きであるとする<作用即性>の考えによって説明できる(図10,11を参照)。

我々の見る働き(視覚)も本体である祖仏(=仏性)の働きであると考えていることが分かる

「禅の根本原理」の第二原理を参照)。

竜潭和尚にプッと提灯の灯を消された時、

徳山は今迄見えていたものが瞬間的に見えなくなった。

この時彼は見る働き(視覚)の本体である祖仏(=仏性)の働きをハッと自覚し、

これが本体である祖仏(=仏性)だと悟ったと考えることができる。

脳科学的に言えば見る働き(視覚)の本体である祖仏(=仏性)とは脳のことである。

唐代では未だ心の座は心臓であると考えられ、そのことについてはっきりしていなかったが・・・。

「頌」において

遠くで名前を聞くより一見した方が良い。会って見るより名前を聞いていた方が良かった」とは

会う前は徳山は「周金剛」と呼ばれる高名な人であったが会って見ると単なる仏教思想の学者で、

悟りの目が無い人であることがはっきりした。

これでは会うより名前だけを聞いていた方が良かったと皮肉っている。

たとえ鼻を救ったといっても、肝心の目玉がつぶれていてはだめだ

とは徳山の悟りは未だ中途半端の入門段階に過ぎない。

これくらいの悟りは未だ浅く、肝心の目玉がつぶれているようなものだと詠っている。


これくらいの見性に満足しては駄目で、更に悟りを深めて行く必要があると我々修行者に注意を促しているのである。



29

第29則: 非風非幡 

岩波無門関p.122〜124


本則:

六祖、因みに風刹幡(せっぱん)をア(あ)ぐ。二僧有り、対論す。

一は云く、「幡動く」。

一は云く、「風動く」。

往復して曽(かっ)て未だ理に契(かな)わず。

祖云く、

是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者(にんじゃ)が心動くのみ」。

二僧悚然(しょうぜん)たり。



評唱:


是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず。

甚(いず)れの処にか祖師を見ん。

若し者裏(しゃり)に向って見得して親切ならば、方に二僧、鉄を買って金を得るを知る。

祖師忍俊不禁(にんしゅんふきん)にして、一場の漏逗(ろうとう)なり。


頌:


風幡心動、一状に領過(りょうか)す。

 只だ口を開くことを知って、話堕(わだ)することを覚えず。




注:


六祖: 大鑑慧能(たいかんえのう)(六祖慧能、638〜713)。

五祖弘忍(ぐにん)(602〜675)の法を嗣いで中国禅第六代の祖師となる。

インド以来の伝統的禅定主義を否定し、般若の智慧を第一とする頓悟禅を創唱した。

中国南宗禅の確立創造者とされる。

風幡の話:この公案の話は六祖慧能が五祖弘忍の法を嗣いで南方の故郷に帰り、

五年間身を隠して住んで悟後の修行{聖胎長養}をしていた

広州法性寺での出来事だとされている。  

仁者(にんじゃ):第二人称の敬称。

悚然(しょうぜん):恐れあわてるるさま。「寒毛卓堅(かんもうたくじゅ)」と同じ。

忍俊不禁(にんしゅんふきん):我知らず笑いをもらすこと。自然と笑顔になること。

漏逗(ろうとう):破綻。ボロを出すこと。

一状に領過(りょうか)す。:1つの法律の令状で同罪だとして皆を拘引する。

話堕(わだ)す:自分の述べた言葉自体が破綻を露呈している。


現代語訳


本則:

   

ある時法座を知らせる寺の幡が風にパタパタ揺れ動いていた。

それを見て二僧が議論を戦わせていた。

一人の僧は「幡が動いているのだ」と云うと、

 もう一人の僧は「いや風が動いているのだ

と云ってお互いの立場を譲らないので決着が着かなかった。

そこに偶然六祖が出くわした。その議論を聞いた六祖は

これは風が動いているのでもなく、また幡が動くのでもない

あなた方の心が動いているだけだ」と云った。

これを聞いた二僧はゾッとして鳥肌が立った。



評唱:


風が動くのでも、幡が動くにのでもない。ましては心が動くのでもない。

それでは祖師が言いたい処は一体何処にあるのだろうか。

若し、そこをしっかりと見抜くならば、この二僧がはじめ鉄を買おうとしたのに、

思いがけず金を手に入れたことが分かるだろう。

それにしても六祖は優しすぎたためにとんだボロをだした一幕であった。


頌:


風幡心が動くかどうかで大騒ぎをして、皆同罪で拘引された。

六祖も思わず口を開いたため、

自分の言葉がボロを出しているのに気付かないとは情けない。




解釈とコメント


五祖弘忍の法を嗣いで中国禅第六代の祖師となった慧能は

嗣法の証拠として達磨の衣鉢を持って南方に行った(逃れた?)と伝えられている。

その時五祖弘忍の弟子数百人が達磨の衣鉢を奪うため慧能の後を追ったとされる。

第23則「不思善悪」の話は

大ユ嶺(だいゆれい)で追いついた慧明(明上座)と慧能の問答だとされている。

第23則「不思善悪」を参照)。

その後も慧能は世に出ることはなく

15年間猟師(あるいは樵夫)の間で隠遁生活を送ったと伝えられている。

ある時慧能は韶州曹渓の法性寺に至った。本則はその時の問答で、

これを契機に慧能は出世し、説法を開始したと伝えられる。

その意味で本則は南宗禅の立教宣言に当たる記念碑的問答とも言える。

幡が風にパタパタ揺れ動くのを見て二僧が仏法に関する議論を戦わせていた。

一人は「幡が動いているのだ」と云うと、

  もう一人は「いや風が動いているのだ」と云ってお互いの立場を譲らないので決着が着かない。

その議論を聞いた六祖は

これは風が動いているのでもなく、また幡が動くのでもない

あなた方の心が動いているだけだ」と云った。

慧能は二人の僧が外界に注意を向けて議論をしているのを見て、

「仏法の本質は外境{外界}の風や幡にあるのではない、

自己の心に注意を向けてそれを究明すること(=己事究明)にあるのだ」

と言いたかったのだと思われる。

第23則「不思善悪」でも六祖は、明上座に、

善悪を考える分別意識を離れた時、明上座、あなたの本来の面目は一体何処にあるのか?」

と尋ねている。

第23則「不思善悪」を参照)。

このことも慧能は仏法の本質(禅の本質)は外境にあるのではなく自己の心を究明すること

(=己事究明)にあると考えていることが分かる。

「碧巌録」第9則の評唱において、著者圜悟克勤は「およそ参禅問道は自己を明究す

と言っている。

これも

仏法の本質(禅の本質)は外境にあるのではなく自己の心を究明すること(己事究明)にある

と考えていることを示している。

ところが「評唱」では無門は

風が動くのでも、幡が動くにのでもない。ましては心が動くのでもない

それでは祖師が言いたい処は一体何処にあるのだろうか

若し、そこをしっかりと見抜くならば

この二僧がはじめ鉄を買おうとしたのに、思いがけず金を手に入れたことが分かるだろう。」と言って、

風、幡、ましては心が動くのでもない」と否定している。

これは慧能の時代から400〜500年経った変化を表わしている。

無門が「風、幡、ましては心が動くのでもない

と否定しているのは我々が仏法を議論する時「風、幡、心」の全てを概念化して議論する。

概念としての「風、幡、心」は単なる抽象概念(観念)に過ぎない。

我々が言葉を使っていくら議論しても仏法の本質を掴むことができないと言っているのである。

概念遊戯(議論)などでエネルギーを消耗するより、坐禅に集中して「真の自己」を体験的に究明すべきだ

と言っていると考えられる。

慧能が本当に言いたい処はそこにあると考えられる。

」では一見六祖をこき下ろしているようだが

これも禅特有の言貶意揚(ごんぺんいよう)の表現だと思われる。

30

第30則:即心即仏     

岩波無門関p.125〜127


本則:

馬祖、因みに大梅問う、「如何なるか是れ仏?」。

祖云く、「即心是仏」。



評唱:

若し、能く直下(じきげ)に領略(りょうりゃく)し得去らば、仏衣を著(つ)け、仏飯を喫し、

仏話を説き、仏行を行ずる、即ち是れ仏なり。

是の如くなりと然( いえ )雖(ど)も、大梅、多少の人を引いて、

錯って定盤星(じょうばんじょう)を認めしむ。

争でか知道( し)らん箇の仏の字を説けば三日間口を漱ぐことを。若し是れ箇の漢ならば、

即心是仏と説くを見て、耳を掩(おお)うて便ち走らん。


頌:

青天白日、切に忌む尋覓(じんみゃく)することを

更に何如と問えば、贓(ぞう)を抱いて屈と叫ぶ。





注:

馬祖:馬祖道一(709〜788)。唐代の禅者。南嶽懐譲(677〜744)の法嗣で洪州宗の祖。  

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →大梅法常

定盤星(じょうばんじょう):天秤の棹の起点にある星形の印のこと。物の軽重に関係のない無駄目。

定盤星を認めしむ:捉われる必要のないものに執着させる。

「即心即仏」という言葉を言ったが為に仏の真相を見誤らせた。

贓(ぞう):盗品

屈:相手の身に覚えのないことを強いる。またそのような目に会うこと。

贓を抱いて屈と叫ぶ。:盗んだ品物を手に持って、「自分は盗んでいない」と叫ぶようなものだ。


現代語訳


本則:

馬祖和尚はある時、大梅から「仏とはどのようなものですか?」と質問された。

馬祖は、「心こそが仏そのものだ」と答えた。



評唱:

もし、馬祖の言うことが直ちに分かれば、仏衣を著(つ)け、仏飯を喫し、仏話を説き、

仏行を行うことができる。これが即ち仏である。

このようであっても、大梅和尚たる者が、多くの人を引きこんで、意味のないことを教えたものだよ。

そんな人に、どうして仏という字を口にしただけで三日間口を洗い清めたという話

が分かるだろうか。

仏法のよく分かっている人ならば、「即心是仏」などと説くのを聞けば、

耳を塞いで走り去るだろうよ。


頌:

心こそが仏そのものだ」という真理は青天白日のように明らかである。

これを思想的に考えて追い求めてはだめだ。

その上更に「仏とは何か」と質問するのは盗品を手に持って、

自分は盗んでいない」と叫ぶようなものだ。



解釈とコメント


本則の問答は馬祖道一の<即心即仏>の禅思想を表わしている。

景徳伝燈録卷六には、馬祖、一日衆に謂って曰く、

汝等諸人、各々自心これ仏なることを信ぜよ。この心即これ仏心なり。」とある。

これより<即心即仏>とは


心=仏=仏心

であることを言っている。  

馬祖は、坐禅禅修行によって煩悩を離れた心こそが仏だと言っている。

この心は我々普通人の欲と煩悩にまみれた心(大脳新皮質の分別意識中心の心)

を指しているのではない。

我々普通人は仏というと仏像など礼拝の対象になっている超越者としての仏を考える。

馬祖はそのような信仰の対象の仏ではなく、

坐禅修行によって下層脳から健康になった時の心こそ仏であると言っているのである。

これより、馬祖の言う<即心即仏>は

心=仏=仏心=坐禅修行によって健康になった全脳から生まれる心

という等式によって示すことができるだろう

第7章「仏とは何か?」を参照)。

次の図30に体用思想によって説明した<即心即仏>の考え方を示す。



図30


図30 体用思想による<即心即仏>の説明

この図は

坐禅修行によって健康で清浄になった心こそ仏である

ことを示している。

「六祖檀経」には<即心即仏>の思想が既に出ている。



六祖慧能が説く「即心即仏」    


「六祖檀経」において、

慧能は弟子法海が<即心即仏>とは何かと質問したのに対し、

前念滅し,後念未生の時、心は不生不滅の無念の状態になる

この無念の念こそ即心即仏である。」と言う。

更に「禅定を修行すれば心が清浄になる

この「心清浄こそ佛である

定慧を双修すれば本来無一物の即心即仏の当体が現れる

と分かり易く説いている。

これは禅定修行によって下層脳から健康になった脳から生まれる清浄な無念無相の心が

佛であると言っていると考えることができる。

彼は前念が滅している時は不生であり,後念未生の時は不滅であると不生不滅の無念を解説する。

実際に不生不滅の無念状態になるのは簡単なことではなく、かなりの修行が必要だと思われる。

しかし慧能が言っていることは実に論理的で明快である。

普通、<即心即仏>という言葉は孫弟子である馬祖道一の思想として有名である。

しかし、「六祖檀経」には六祖慧能の思想として述べてあるのは注目される。

慧能は「前念滅し,後念未生の時、心は不生不滅の無念の状態になる

この無念の念こそ<即心即仏>である。」と言う。

更に「禅定を修行すれば心が清浄になる。この「心清浄」こそ仏である

即ち禅定によって達成される清浄な無念無相の心が仏である」と説いている。

臨済も臨済録で同様なことを延べている。

臨済録示衆5−1を参照)。

脳科学的には脳幹と大脳辺縁系は無意識の脳である。

坐禅修行によって、深い禅定に入り、下層脳(脳幹+大脳辺縁系=無意識脳)が活性化されると、清浄な無念無相の心になる。

従って、

この清浄な無念無相の状態になった下層脳中心の脳が仏である

と定義できるだろう。


評唱について:

無門は「仏法のよく分かっている人ならば、<即心即仏>などと説くのを聞けば、

耳を塞いで走り去るだろうよ」

と言っている。

これも禅者特有の反語的表現(言貶意揚(ごんぺんいよう)の表現だと思われる。

これは「即心是仏」などと概念化して思想で捉えてはだめだと言っているのである。

あくまでも、座禅修行によって活性化され清浄な無念無相の状態になった下層脳中心の脳

を実体験して、始めて「即心即仏」が分かると言っている。

その時、仏衣を著(つ)け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行うことができる。

これが即ち仏である。


頌について:

「『心こそが仏そのものだ』という真理は青天白日のように明らかである。

これを思想的に考えて追い求めてはだめだ。」

と詠っているのは坐禅修行によって活性化され清浄な無念無相の状態になった

下層脳中心の脳を実体験した時、

心こそが仏そのものだ

という真理は青天白日のように明らかになると言っている。

その上更に「仏とは何か」と質問するのは盗品を手に持って、

自分は盗んでいない」と叫ぶようなものだ」と詠っている。

これは「『仏とは何か』と質問するのは仏性を具有しているのに、

自分には仏性はない」と叫ぶようなものだ」と言っているのである。

図12に馬祖禅の<即心即仏>の説明を図示する。

 
即心即仏

図12.馬祖禅の<即心即仏>の説明

この図で示したように、言語・動用の本体である脳が清浄(健康)になった時が、仏であると考える。

集中的な坐禅修行によって、本体である全脳(=上層脳+下層脳)が清浄(健康)になった時、

本源清浄心」と呼ばれるような健康な脳の働き(仏としての働き)が自然に出てくる。

それを肯定的に考えるのが馬祖禅の<即心即仏>の思想だと考えることができるだろう。

第7章「仏とは何か?」を参照)。


即心即仏>に関して、イエズス会士オルガンチーノと南禅寺の印長老の法論が伝えられている。

これは歴史的に見ても、キリスト教と禅の最初の出会いだと思われる。

大変興味深いので以下に紹介する。


南蛮寺の学僧フルコムと印長老の法論:「即心即仏」 



イタリアのイエズス会士オルガンチーノ(1533〜1609)は1570年に来日し、

織田信長の厚遇を受け「南蛮寺」を建てた。

彼は渡来以来仏教を研究し、その大意に通じていたと伝えられている。

しかし、キリスト教が日本に広まるにつれ

日本在来の宗教(神道、仏教、儒教)とのトラブルも頻発した。

キリスト教の観点から見れば日本在来の宗教(神道、仏教、儒教)は偶像崇拝の邪教に過ぎない。

キリスト教が広まった地方ではキリスト教徒による神社仏閣や仏像の破壊

が頻発したと伝えられている。

そのため新来のキリスト教の邪正を明らかにするため安土城内で宗論をすることになったのである。

天正五年(1577年)のことだとされる。

キリスト教側は南蛮寺の学僧フルコム(ルイス・フロイス?)、その他のバテレン、イルマン達である。

仏教側は南禅寺の印長老(268世、梅印元冲?)の他、

浄華院の理道和尚、永観堂の深海律師などの学僧達が出席した。

諸宗の僧侶が居並ぶとフルコムを論師として南蛮寺の学徒達が席に出てきた。

南蛮寺代表フルコムは蜀紅錦の衣を着し、

二尺余りの長剣を帯びて、僧侶に向って進んだ。

僧侶の方から南禅寺の印長老がこれに対し法論が始まった。

最初にフルコムが印長老に質問した、

仏法とは何であるか?

印長老は答えて言った、

即心即仏」。

フルコムはまた尋ねた、「即心即仏の奥義は何であるか?」。 

印長老は重ねて云った、「即心即仏」。

その時、フルコムは座を立って、長老に近づいて胸をつかんだ。

彼は遂に剣を抜いて胸に突きつけて迫った、

即心即仏の奥義とは何であるか?」。

しかし、印長老は平然と眼を閉じて黙然としていた。

印長老は眼を閉じて黙然としたことはフルコムの質問に対する答えだと考えられる。

これは馬祖禅の<作用即性>の思想で説明できるだろう。

即心即仏の奥義などは言葉で表わす事ができないから黙然としたのであろう。

印長老は眼を閉じて黙然とすることで無心の境地を示したとも考えられる。

或いは不立文字のギリギリのところを示したとも解釈できるだろう。

その時、側にいた浄華院(京都、浄土宗の寺)の理道和尚(理同和尚?)は、

長老が眼を閉じて黙然としていたのを見て、印長老の負けだと誤解した。

そこで自分が代わろうとした。

しかし、印長老の弟子達は少しも騒がず、まだ事の落着は見えない。

もう少しお待ち下さいと理道和尚を引き止めた。

その時、印長老は忽ち眼を開けて「カアーッ!」と大声一喝した。

フルコムは眼をふさいでたまらず卒倒(気絶)してしまった。

この安土城での法論は「南蛮寺興廃記」に記述されている。

馬祖禅の思想から見ると、黙っていることも一喝することも

心の本体としての仏性(=脳、本来の面目)の活作用である。

印長老は喝という<本来の面目の活作用>を通して、立派に「即心即仏」の奥義を表現したと言えるだろう。

(第6章:「即心即仏」を参照)。

しかし、フルコムにはそんなことは通じるはずはない。

フルコムは座を立って、長老の胸をつかみ、

剣を抜いて胸に突きつけてあくまで言葉による回答を迫ったのであろう。



臨済禅では喝には四種類あるとされる。

金剛王宝剣の如き喝踞地金毛の獅子の喝

探竿影草の喝無功用の喝

の四つである。

この時の印長老の一喝は「踞地金毛の獅子の喝

あるいは「金剛王宝剣の如き喝」とでも言えるだろうか。

フルコムはたまらず卒倒(気絶)してしまったというから余ほど強烈な喝だったと思われる。

百獣の王である金毛の獅子が獲物に飛びかかる勢い

を示した一喝だったのではないだろうか。

あるいは仏の本体としての仏性(=脳、本来の面目)の作用はこのように力強い働きだ。

「それが即心即仏の奥義だ」と示したかったのだろうか。

勿論フルコムを始めキリスト教徒側には

そのような禅の奥義の表現法は全く通じなかったであろう。

印長老の強烈な一喝に忙然自失し、肝を奪われるしかなかったと思われる。

最初にフルコムの最初の質問、「仏法とは何であるか?

に対する印長老の答え「即心即仏」は

仏法の目的は自己究明にあることを禅的に示したものと言えるだろう。

しかし、キリスト教徒であるフルコムにはこれは全く理解できなかっただろう。

仏教徒にとって神にも等しい存在の仏が心だとはたわごとだと受け取られたかも知れない。

キリスト教は言語(=知性)や論理を使っていかに神と宗教を表現するかに全力を使う

分別智(知性)の宗教である。 

キリスト教は言語(=知性)や論理を使って神の教えを表現できると考える。

これに対し禅は究極の真理は言葉では、表現できないとする(不立文字)。

下層脳を重視する無分別智と<自帰依>の立場に立っている。

唯一神の概念も無い。

禅とキリスト教の立場は全くというほど異なる立場に立っている。

両者が互いに理解できるようになる迄にはもっと時間がかかるだろう。




参考文献:海老沢有道訳、平凡社、東洋文庫14「南蛮寺興廃記」p.42〜44.




31

31則:趙州勘婆     

岩波無門関p.121〜131


本則:

趙州、因みに僧婆子(ばす)に問う、

台山(だいざん)の路、甚(いず)れの処に向ってか去る?」。

婆云く、「驀直去(まくじきこ)」。

僧、わずかに行くこと三五歩。

婆云く、「好箇の師僧、又恁麼(いんも)にし去る」。

後に僧有って州に挙似(こじ)す。

州云く、「我が去って汝が与(た)めに這(こ)の婆子(ばす)を勘過するを待て

。明日便ち去って亦た是れ如く問う。婆も亦た是れ如く答う。

州帰って衆に謂って曰く、

台山(だいざん)の婆子(ばす)、我れ汝が与(た)めに勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」。



評唱:


婆子(ばす)只だ坐(い)ながらに帷幄(いあく)にはかることを解して、

要(よう)且(か)つ賊に著くことを知らず。

趙州老人は、善く営を偸(ぬす)み塞(さい)を劫(おびや)かすの機を用ゆるも、

又た且つ大人の相無し。

検点し将ち来たれば、二(ふた)り倶(とも)に過有り。

且く道え、那裏か是れ趙州、婆子(ばす)を勘破(かんぱ)する処。


頌:


問既に一般なれば、答も亦た相い似たり。

飯裏(はんり)に砂有り、泥中(でいちゅう)に刺(とげ)有り。





注:


趙州:趙州従シン(じょうしゅうじゅうしん)(778〜897)。唐代の大禅者。

南泉普願(748〜834)の法嗣。趙州観音院に住んだので趙州和尚と呼ばれる。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン

婆子(ばす):老婆。五台山(だいざん)へ登る路傍の茶店でお茶の接待

でもしていた老婆だと考えられる。

この老婆は多少禅の悟りの眼を持っていたようである。

本則はこの老婆が道案内する内容が主題である。

台山(たいざん):五台山(だいざん)のこと。

山西省にある文殊菩薩信仰の霊場。清涼山とも言う。

「華厳経」の菩薩住居品に「東北方に菩薩の住処あり、清涼山と名付く」とある。

この山で文殊菩薩が説法しているという考えに基づいて、

五台山(だいざん)を文殊の道場とする信仰が起こったとされる。

挙似(こじ)す。:告示する。

勘過(かんか):しらべること。

「我が去って汝が与(た)めに這(こ)の婆子(ばす)を勘過するを待て」:

ひとつ俺が行ってこの婆さんの正体を見抜いてやろう」。

婆子(ばす)只だ坐(い)ながらに帷幄(いあく)にはかることを解して

要(よう)且(か)つ賊に著くことを知らず。:

老婆は自分の陣中に坐(い)ながら戦略を練ることを知っているらしいが、

要塞が賊にやられていることに気付いていない。

営を偸(ぬす)み塞(さい)を劫(おびや)かすの機:本営に潜入したり要塞を侵略するハタラキ。

飯裏(はんり)に砂有り、泥中(でいちゅう)に刺(とげ)有り:思わぬところに砂や刺があり、物騒だ。


現代語訳


本則:

   

ある時僧が、茶店の老婆に聞いた、

五台山(だいざん)への道は、どう行くのですか?」。

老婆は言った、

真っ直ぐに行きなさい」。

僧が、その言葉通りに三五歩行くと老婆は言った、

なかなかの坊さんに見えたが、やはり同じように行きなさる」。

後で僧がその話を趙州に話した。

趙州は言った、

ひとつわしが行ってこの婆さんの正体を見届けてやろう

明くる日になると、趙州は出かけて行って同じように道を尋ねた。

老婆もまた同じように答えた。

趙州は帰って来ると門下の修行僧に言った、

わしはお前さんたちのためにあの五台山(だいざん)の婆さんを見破ってしまったぞ」。



評唱:


老婆は自分の陣中に坐(い)ながら戦略を練ることを知っているらしいが、

要塞が賊にやられていることに気付いていない。

趙州は本営に潜入し、要塞を侵略するハタラキを示したが、

(こっそり行くとは)大将軍のようには見えない。

よく点検すれば二人ともに落ち度がある。

ところで趙州和尚は一体老婆の何処を見破ったのであろうか、言ってみなさい。


頌:


そもそも質問が同じならば、答えが似ているのは当然のことだ。

しかし、老婆の答えが一緒だと言ってもご飯の中に砂が混じっていたり、

泥の中に刺が隠れていることがある。




解釈とコメント


本則は老婆と趙州和尚が主人公である。

この老婆は五台山へ登る路傍の茶店でお茶の接待でもしていたと考えられる。

この老婆は多少の禅の悟りの眼を持っていたようである。

五台山へ登る僧が、「五台山(だいざん)への道は、どう行くのですか?」

と尋ねると、老婆はいつも、

「 驀直去(真っ直ぐに行きなさい)」

と同じ言葉で答えていた。

僧が、その言葉通りに真っ直ぐに三五歩行くと老婆は、

なかなかの坊さんに見えたが、やはり同じように行きなさる

と皮肉を言うのが常であった。

本則は五台山(だいざん)へ登る路傍で意味ありげに道案内する老婆

のことを聞いた趙州和尚が実際に出かけて彼女を点検し、

「 驀直去(真っ直ぐに行きなさい)」とは何かを勘破するのが主題といえるだろう。

五台山は文殊信仰の山である。

文殊菩薩は我々の心に具わる「般若の智慧」を象徴している。

般若の智慧」は無分別智(=仏智)である。

般若の智慧」は禅の究極の目的である。

「五台山への道を尋ねる僧に、老婆はいつも、「驀直去 ( 真っ直ぐに行きなさい)」と答える。

しかし、この「驀直去 ( 真っ直ぐに行きなさい)」

という言葉は単なる地理的道案内の言葉ではない。

般若の智慧」(無分別智=悟りの智慧)に到達するための道案内の言葉である。

即ち、老婆は「修行に専心集中して真っ直ぐに自己の般若の智慧に行きなさい驀直去)」

と言っているのである。

この言葉を単なる地理的道案内の言葉だと誤解して、

真っ直ぐ歩いて行く僧に対して老婆は

なかなかの坊さんに見えたが(私の真意が分からないで)、やはり同じように行きなさる

と皮肉を言っているのである。

「評唱」に於いて無門は「よく点検すれば二人ともに落ち度がある」と言っている。

二人の落ち度として次ぎのようなことが考えられる。


老婆の落ち度:

老婆は五台山へ登る道を尋ねる僧に、

「驀直去 ( 真っ直ぐに行きなさい)」と答える。

この言葉を単なる地理的道案内の言葉と受け取って真っ直ぐ歩いて行く僧に

なかなかの坊さんに見えたが(私の真意が分からないで)、やはり同じように行きなさる

と皮肉を言っている。

これは単なる皮肉というより自分の境地を誇り、

僧を見下して嘲笑しているような響きがある。

老婆は「修行を専心集中しなさい」。

老婆は「五台山という外界の山なんかにに注意を向けてはいけない

自己の心を見つめ、真っ直ぐに、自己に具わる般若の智慧に行きなさい(驀直去)」

とはっきりと質問僧に言っていない。

そのため、僧は地理的道案内の言葉と受け取って真っ直ぐ歩いて行くのである。

老婆は自分が言いたい真意に気付かせずに、皮肉を言って、

自己を誇っているのは慈悲心が欠けていると言わざるを得ないだろう。

これは仏法の修行者としての落ち度と言えるだろう。


趙州の落ち度:

趙州は五台山へ登る路傍の茶店の老婆の「真っ直ぐに行きなさい(驀直去)」と言う答は、

単なる地理的道案内の言葉ではなく

ただひたすらに、自己事究明の修行に専心集中して「般若の智慧(無分別智)に行きなさい(驀直去)」

と修行態度について言っているのだと勘破した。

しかし、それは老婆の真意を勘破したに過ぎない。

趙州ほどの力量ある禅者ならば、

1.老婆に「驀直去」と言って皮肉るだけでは不充分であると老婆を諭す。

2.学人の妄想を奪い、真の五台山は外にあるのではなく、

脚下(自己の心中)の五台山に登り、

「真の自己」に目覚めることが真の目的であることを教える。

3.そのための活手段などについて老婆に助言することなどが必要ではないだろうか。

「頌」では

老婆の答えが「驀直去」と言ういつも同じだと、

油断しているとご飯の中に砂が混じってうっかり食べるとガジリと砂を噛んだり、

泥の中に隠れている刺が刺さるような目にあうことになる。

修行中にはそのようなことがあるので油断せずに

注意深く修行しなければいけないと詠っている。





本則で文殊菩薩信仰の霊山である五台山が出てきている。

臨済録の示衆において、五台山と文殊について臨済義玄は、

五台山には文殊はいない。文殊はお前達自身、それこそが活きた文殊なのだ

と言って、外界(五台山)に文殊を求めては駄目だと言っている。

この臨済の説法が本則の参考になる。

臨済録示衆7−2を参照)。







32

32則:外道問仏  

岩波無門関p.50〜52


本則:

世尊、因みに外道(げどう)問う、

有言(うごん)を問わず、無言(むごん)を問わず?」。

世尊拠座(こざ)す。

外道賛嘆して云く、

世尊の大慈大悲(だいずだいひ)

我が迷雲を開いて我をして得入(とくにゅう)せしめたもう」。

乃(すなわ)ち礼(れい)を具(ぐ)して去る。

阿難、尋いで仏に問う、「外道は何の所証有ってか賛嘆して去る?」。

世尊云く、「世の良馬の鞭影を見て行くが如し」。



評唱:


 阿難は乃(すなわ)ち仏弟子、宛(あた)かも外道の見解(けんげ)に如かず。

且(しば)らく道(い)え、外道と仏弟子と相い去ること多少ぞ。


頌:


剣刃(けんにん)上に行き、氷稜(ひょうりょう)上に走る。

階梯(かいてい)に渉(わた)らず、懸崖(けんがい)に手を撒(さっ)す。





注:


世尊:仏の十号(十の別名)の一つ。世尊とは梵語のバガバット(福徳を具えた者)の漢訳。

外道(げどう):インドにおいて仏教以外の他の宗教の教え。またその信奉者。

六師外道、九十五種の外道などが知られている。

拠座(こざ):ちょっと坐り直すこと。黙って椅子に坐ること。

阿難:ブッダの十大弟子の一人で多聞第一と称されたアーナンダのこと。第22則に既出。

世の良馬の鞭影を見て行くが如し:雑阿含経に

「世に四種の良馬有り。良馬有って駕平乗を以て、その鞭影を顧みて馳・・。」とあるのを受ける。

剣刃(けんにん)上:「剣刃上の事」とは抜き身の剣に直面した事態のこと。

階梯(かいてい)に渉(わた)らず:十地の菩薩のように

漸次に段階を踏んで仏位に到る漸修ではなく

一超に仏位に至る頓悟について言っている。

懸崖(けんがい)に手を撒(さっ)す:

断崖絶壁でつかまっている手をパッと離すこと。大死一番する。


現代語訳


本則:

   

ブッダにある外道が聞いた、

有といっても、無と言っても表わすことができないものは何ですか?」。

ブッダはしばらく黙って坐っていた。

それを見た外道は賛嘆して、

世尊の大きな慈悲によって、私の迷いの雲が晴れ、悟らせて頂きました

と礼をして去って行った。

すると阿難はブッダに聞いた、

外道は一体何を悟ったと言って、あのように賛嘆して去って行ったのですか?」。

ブッダは云った、

良馬が鞭の影を見た途端に走って行くようなものだよ」。



評唱:


阿難はブッダの直弟子であるが、外道の見解に及ばない。

それではこの外道と仏弟子とを比べてどれ位の差があるか言ってみよ。


頌:


鋭い剣の刃の上を行ったり、いつ割れるか分からない氷の上を走るようなものだ。

禅の道では階梯を踏んで悟ることはない、

断崖絶壁でつかまっている手をパッと離すようにパッと悟るのだ。




   

解釈とコメント


本則では、ある外道が「有でも、無でもないものは何ですか?」という質問をする。

この質問はアリストテレスの論理学ではありえない。 

何故なら、アリストテレスの論理学では「有であるか、無であるかのどちらかであり、その中間はない(排中律)」

とするからである。

本則は、25則に於いて仰山が言った「大乗の仏法は四句、百句などあらゆる論理を超えています)

よく聞きなさい(摩訶衍(まかえん)の法は四句を離れ百句を離れ百非を絶す)。」

と同じタイプの問題である。

第25則「三座説法」を参照)。

25則で仰山は「仏法の究極は四句、百句、百非などあらゆる言語表現を超えている」と言っている。

本則は一切の言語・動作すべてが仏性の全体作用であると考える馬祖禅(洪州宗)の<作用即性>の思想で説明できる。

作用即性>の思想は

既に第25則(三座説法)の図11によって説明したが、念のため以下に再び示す。

 
作用即性の説明

図11.<作用即性>の説明図

 

図11に示すように、禅では一切の言語・動作は本体である脳(=仏性)の作用である

と考える(これは科学的にも正しい)。

ブッダ(世尊)はしばらく黙って坐っていること(世尊拠座す)でこれを示したと言える。

黙っていることは「無(無言)だけしか示していないではないか?」

という疑問が起こるかも知れない。

「有(有言(うごん))はどこにあるか?」という疑問が起こるかも知れない。

この疑問に対しては次ぎのように答えることができる。

黙っていると言っても脳は常に動いている。

呼吸をしていれば延髄の呼吸中枢は動いている。

脳は常に働いている。この側面は有(有言)だと言える。

また、脳には微小電流しか流れていないので無相、無形で、無の側面を持つ。

こう考えると脳は有であると同時に無であるという側面を持っている。

これは有でないし、無でもないと『双非の論理』で説明することができる。

本則は悟りの本体である脳のハタラキをブッダの拠座で示し

外道はそれを瞬時に理解した公案と言えるだろう。

しかし、このような禅的問答がブッダ在世時代にあったとは考えにくい。

原始仏教の経典を読む限り、ブッダの説法は論理的で分かり易い。

図11で示した<作用即性>の思想は中国唐代の馬祖道一の禅において出てきた思想であり、

ブッダの原始仏教にあったとは考えられない。

その意味で本公案(32則)は中国での禅宗の権威付けのため、中国禅において新しく創作された問答と言えるだろう。

」において、

剣刃上に行き、氷稜上に走る」と詠っている。

これは剣の刃の上や氷稜上ではぐずぐずしていると足を切ったり滑り落ちる。

分別意識を働かせて、ぐずぐずしている危ないぞと警告しているのである。

」の第二句では、

禅の道ではぐずぐず十地の階梯を踏んで悟るような漸修の道をとらない

断崖絶壁でつかまっている手をパッと離すようにパッと悟るのだ。」と述べて、

頓悟禅(南宗禅)の立場を詠っている。


33

33則:非心非仏  

岩波無門関p.135〜136


本則:

馬祖、因みに僧問う、「如何なるか是れ仏?」。

祖曰く、「非心非仏」。


評唱:

 若し、者裏に向って見得せば、参学の事(じ)畢(おわ)んぬ。


頌:

路に剣客に逢わば、須らく呈すべし。詩人に遭わずんば献ずること莫れ。

人に逢うては、且(しばら)く三分を説け、未だ全く一片を施すべからず。


注:

非心非仏:「非心非仏」と言う言葉は「馬祖語録」に見える。

『即心即仏』が心が仏であるとすれば、「非心非仏」は「心は仏でない」となるが、

伝統的な解釈では『即心即仏(心=仏)』に対する執着を除くため、

「心でもない、仏でもない」とされている。

者裏(しゃり):ここ。本来の面目(=真の自己)をさす。

人に逢うては、且(しばら)く三分を説け、未だ全く一片を施すべからず:

「楞伽合轍」卷二に、

「人に逢うては、且(しばら)く三分の話を説け、未だ全く一片心を抛つべからず」と見える。

朋友といえども本心をさらけ出して話してはならない、という意味。


現代語訳


本則:

ある時、馬祖和尚に僧が聞いた、「仏とはどういうものですか?」。

馬祖は云った、、「心でもない、仏でもない」。


評唱:

もしこの処を見得することができれば、禅の修行は完了だ。


頌:

路で剣客に逢った時には、剣を出すべきだが、詩人でなければ詩を出す必要はない。

人には、三分を説いても良いが、全てを施してはならない。


解釈とコメント


30則の「即心即仏」の続き話が馬祖語録に出ている。

ある僧が更に馬祖に問うた、「和尚は何故、即心即仏と説くのですか?」

馬祖は言った、「子供が泣くのを止めるためだ。」

僧曰く、「泣き止んだ時はどうするのですか?」

馬祖は言った、「非心非仏。」

このように、<非心非仏>と言う言葉は<即心即仏>についての問答で出てきている。

非心非仏>と言う言葉は<即心即仏>の否定表現であるから

30則の「即心即仏」の公案と関係がある。

第30則「即心即仏」を参照  )。

今、<即心即仏>を

心=仏 ・・・・ (1)

の等式で表わすとその否定表現は

心 ≠ 仏   ・・・・ (2)

(心は即ち仏ではない)となる。

(2)式の「心は即ち仏ではない」は「概念化された心は仏ではない」

と言っていると考えることができる。

馬祖の<即心即仏>という言葉は

(1)式のように(心=仏)と概念化(思想化)される弊害があった。

伝統的な解釈では「非心非仏」と言う言葉は、

概念化(思想化)された<即心即仏>(心=仏)に対する執着を除くため、

心でもない、仏でもない」とされている。

現代の科学的観点に立つと、「本来の面目」の本体は『脳幹を中心とした下層脳中心の脳』と言うことができる。

第4章「悟りの体験とその分析:その2」を参照)。

従って、「心でもない、仏でもない」ものとは

『 脳幹を中心とした下層脳中心の脳(=本来の面目)』は心でもない、仏でもない、何とも表現し難いものだ

と言っていると考えられる。

南嶽懐譲の「説似一物即不中」という言葉に似たところがある。

説似一物即不中を参照  )。

評唱」で無門が「もしこの処を見得することができれば、禅の修行は完了だ」と言っているのは

そこを体得できれば禅の目的は達成できたも同然だと言っているのだと思われる。

下層脳は第一則の主題であるの本体であり、

これが分かれば禅の目的は達成できたも同然だからである。

馬祖の<即心即仏>の教えで開悟した高弟の大梅法常禅師(752〜839)は

開悟の後、天台山の大梅山の庵に居して山を出ることなく修行を重ねていた。

ある僧が大梅法常禅師に「この頃、馬祖は<非心非仏>と言っているようですよ」と告げた。

大梅法常禅師は「馬祖は<非心非仏>でよいのだ。私はただ<即心即仏>だ。」と答えた。

馬祖はこの話を聞いて「梅子熟せり。」と言って大梅法常禅師を褒めたと伝えられる。

 <非心非仏>はよく心でもなく仏でもないと説明される。

三祖僧サンの「信心銘」に、

一心不生なれば万法咎無し。咎なければ法無く、生ぜざれば心にあらず

という言葉がある。

これは一心不生の本体こそが本来の面目(真の自己)であることを述べた箇所である。

一心不生の本体は下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)であることを示唆している。

(信心銘を参照)。

何故なら下層脳は無念無想の無意識脳であるから心(=意識)が生じることがないからである。

意識が生じることがなければ心ではない。

このようなものは心でもない、また仏と呼ぶこともできない。

これを<非心非仏>と言ったと考えることもできるだろう。

 <即心即仏>は<即心是仏(そくしんぜぶつ)>とも言われるが両者は同じことである。

」に於いて、

路で剣客に逢った時には、剣を出すべきだが、詩人でなければ詩を出す必要はない

と詠っている。

これは相手の程度に応じて(見て)対応すべきことを言っているのである。

路上で刀剣の分からない人に、剣を出してもおかしいように、

詩人でない人に詩を見せる必要はないと詠っているのである。

人には、三分を説いても良いが、全てを施してはならない」とは、

人に全てを教えるとその人が参究するところがなくなるので30%くらいで止めなさいと詠っている。

これは馬祖和尚はこんなに親切に教えてくれているのに未だ悟ることができないとは情けない

と逆に我々に迫っているのである。


34則: 智不是道  

岩波無門関p.137〜138


本則:

南泉云く、「心は是れ仏にあらず、智は是れ道にあらず」。



評唱:

南泉謂(いつ)つべし、老いて 羞(はじ)を識(し)らずと。

わずかに臭口(しゅうく)を開けば、家醜(かしゅう)外(ほか)に揚(あ)がる。

是くの如くなりと然(いえ)雖(ど)も、恩を知る者は少なし。 



頌:

 天晴れて日頭(にっとう)出(い)で、雨下って地上湿(うるお)う。

情を尽くして都(すべ)て説き了(おわ)る、只だ恐る信不及(しんふぎゅう)なることを。





注:

南泉和尚:南泉普願(なんせんふがん、748〜834)。

唐代の禅者。馬祖道一(709〜788)の法嗣。

百丈懐海、西堂智蔵とともに馬祖門下の三大師の一人。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン

智:知識。

日頭(にっとう):太陽。

信不及(しんふぎゅう):信じることができないこと。

家醜外(かしゅうほか)に揚(あ)がる。:家庭内の恥を外部にさらけだす。禅の密意を外に挙げる。


現代語訳


本則:

南泉和尚は云った、「心は仏ではない、智識は仏道ではない」。



評唱:

南泉ともあろう人が、歳とって恥というものが分からなくなったのだろうか。

 臭い口を開けて何かしゃべったと思ったら、家の恥を外にさらしたよ。

たとえそうだとしても、南泉和尚の大恩を知る者が少ないのは嘆かわしいことだ。 

頌:

快晴の大空には太陽が輝き、雨が降れば大地は湿(うるお)う。

思いのたけを尽くして、全て説きおわっても、

信じることができなければどうしようもない。



解釈とコメント



馬祖が説いた「即心是仏」や「平常心是道」の禅は

中国的で平易なため広く受け入れられ爆発的な流行をみたようである。

しかし、有名になると共に弊害が出てきた。

それは「即心是仏」や「平常心是道」を概念化して思想として捉えることである。

そうなると馬祖の真意と異なる。

本則はそれを是正するため馬祖の直弟子である南泉がが説いた言葉が主題となっている。

参禅修行者は、「即心是仏」と聞くとこの心がそのまま仏だと頭に絵を描くようになる。



また「平常心是道」と聞くとこの欲で汚れた凡心がそのまま道だと思う。

南泉はそのような安易な禅を否定するため、

心は是れ仏にあらず、智は是れ道にあらず」と言っているのである。


これは一見、「即心是仏」や「平常心是道」を否定しているようであるが、

逆説的に言っているだけで、「即心是仏」や「平常心是道」の真意を伝えるために言ったに過ぎない。

「智は是れ道にあらず」とは

本などを読んで得た知識や分別意識に基づく分別智(理知)は道ではない、

坐禅修行を通して、下層脳を主体にした脳から生まれる無分別智が道であると言っている。


南泉は

言葉や思想に基づく理知の智慧ではなく、坐禅修行に専念して下層脳を主体にした無分別智」を体験し開発せよ

と言っていると考えられる。

評唱」では南泉はあたかも老人が孫を可愛がって恥をさらしたり、

つまらんことを言って仏家の恥をさらしているとこき下ろしている。

これも例によって言貶意揚の表現である。

南泉の言葉尻について回るようなことはせず、

その真意を汲み取れと我々に注意を与えているのである。

」において

「快晴の大空には太陽が輝き、雨が降れば大地は湿(うるお)う」と詠っている。

仏法の真理はこのように簡単明瞭なものだ言っている。

しかし、思いのたけを尽くして全て説きおわっても、

真の自己」への信を徹底して見性悟道しなければどうしようもないと言っている。


35則: 倩女離魂 

岩波無門関p.139〜141

本則:

五祖、僧に問うて云く、「倩女離魂(せいじょりこん)、那箇(なこ)か是れ真底(しんてい)?」


評唱:

若し者裏(しゃり)に向って真底を悟り得ば、

便(すなわ)ち知らん殻(かく)を出て殻に入ること、旅舎に宿するが如くなるを。

其れ或いは未だ然(しか)らずんば、切に乱走すること莫(なか)れ。

驀然として地水火風一散せば、湯に落つるボウ蟹の七手八脚なるが如くならん。

那時言うこと莫れ、道わずと。


頌:

 雲月是れ同じ、渓山(けいざん)各々異なり。

万福(まんぷく)万福、是れ一是れ二か。



注:

五祖:五祖法演(?〜1104)。北宋の禅者。

臨済宗楊岐派、白雲守端(1025〜1072)の法嗣。

法系: 臨済義玄・・・・→石霜楚円→楊岐方会→白雲守端→五祖法演 

倩女離魂(せいじょりこん)の話:

「倩女離魂」の物語は唐代の伝奇小説『離魂記』に出てくる。

中国は唐の時代、衡陽に張鑑という人がいた。

張鑑の一人娘倩女は、なかなかの美人で、王宙という美男子と恋仲だった。

倩女と王宙が小さい時 張鑑は二人を結婚させて上げようと言っていた。

二人は喜んで、その気になっていた。

ところが二人が大きくなると、父親の張鑑は、彼女を別の男と結婚させようとした。

そのために倩女は鬱病になった。

王宙は張鑑のしうちを恨んで都に行こうと決意して、故郷を後にした。

しばらく行くと、倩女が追っかけて来て、

あなたといっしょでなければ」 と言った。

王宙はその心根をうれしく思い、二人は手に手をたずさえて遠く蜀の国に駆け落ちした。

五年の歳月が流れて、子供が二人できた。

やがて、倩女は望郷の念やみがたく、王宙を説得して故郷の衡陽に帰ることになった。

王宙はまず一人で張鑑(倩女の父)の家に行き、不孝を詫び、赦しを乞うた。

ところが、張鑑はケゲンな顔つきで、

お前は倩女を連れ駆け落ちしたと言うが

倩女はお前が家出して以来ズーッと病気で、いまもまだ隣の部屋に寝ているよ

と言う。

 そういわれると王宙も何が何やらさっぱりわからなくなった。

とにかく舟着場に残してきた倩女を連れてくるにかぎるとし、

急いで引き返し、倩女を連れて来た。

 すると、いまのいままで病臥していた倩女がイソイソと、

隣の部屋から出てきて、

瓜二つの倩女は互いに歩みよったかと思うとアッという間に合体して一人になった。

本則はこの物語を元にして五祖法演が公案を創ったものと考えられる。

五祖法演から五代目の法孫である無門慧開にこの公案が伝えられていたと考えられる。

那箇(なこ)か是れ真底(しんてい)?:どちらが本物か?

 那箇とは、あれ、これ、のこと。また、二つ以上の事物に対して、

そのいづれか一方を選ぼうとするときに用いる疑問代名詞。

どれ、どちらのもの。真底は心の奥底、心底のこと。

地水火風:古代インド人が信じた世界成立の四元素。

地水火風一散:四大分離ともいう。人間が死ぬこと。

ボウ蟹:

湯に落つるボウ蟹の七手八脚なるが如く、:

湯に落ちた蟹が手足をバタバタさせもがき苦しむように、

万福(ばんぷく):すべてめでたいという、挨拶の言葉。


現代語訳


本則:

五祖法演禅師は僧に質問した、

倩女の肉体から魂が抜け去ったという物語があるが、一体どちらが本物の倩女であろうか?」


評唱:

もし、この話の勘所を捉え、本物の倩女はこれだと悟れば、

死んで魂が身体から離れ、また身体に入るということは、

あたかも旅に出て宿から宿に泊まるようなものだと分かる。

しかし、未だ悟っていないならば、むやみに人生を送ることをしてはいけない。

突然死ぬようなことになった時、慌てふためいて、

まるで湯に落ちた蟹が手脚をバタバタさせもがき苦しむようなことになるだろう。

そんな時後悔しても始まらない。


頌:

 雲と月は同じようなものだが、渓山はそれぞれ違っている。

 それがわかればめでたい限りだ。一でもあり二でもある。 



解釈とコメント



「倩女離魂」の公案は分かりにくい。

「倩女離魂」の物語は唐代の伝奇小説『離魂記』に出てくる。

その話の説明は省略されいきなり本則の質問が出てくるからである。

その話を知らないと「「倩女離魂」の倩女について、

一体どちらが本物の倩女であるか?」

と聞かれても何を質問されているのかが分からない。

 ある時五祖法演禅師は弟子達に「倩女離魂」の話をした後、

「『倩女離魂』の話で二人の倩女のどちらが本物だろうか?」という質問をした。

これがこの公案の元になっているのである。

しかし、「倩女離魂」の詳しい話は省略されているため本則は分かりにくい。

正法に不思議なし」といって、

禅では摩訶不思議なことを嫌う。この公案はあの世や心霊話ではない。

では五祖法演禅師はなんでこんな奇妙な話を取り上げたのだろうか。

人間は心を引き締めておかないと、倩女のように心と体が分裂してしまい、

しかもそれに気付かないでいる場合が、少なくない。

そのような場合どのように考え対処したらよいか考えさせるためだと考えられる。

この問題を考えるため、うつ病に罹って家で寝込んでしまった倩女を倩女@とし、

王宙と蜀の国に駆け落ちした倩女を倩女Aとしよう。

倩女@と倩女Aは次の表6のようにまとめることができよう。


 表6 倩女@と倩女Aの分類 

倩女の分類倩女の状態 倩女の心理状態
倩女@うつ病になって実家で寝込む孝と義理の論理に従った
倩女A王宙と蜀の国に駆け落ちした孝と義理より恋を取った

倩女@と倩女Aのどちらが本物か?」と質問された時、

普通の人は倩女@か倩女Aが本物であるはずだと考える。

しかし、そのような二者択一的考え方では人間の本質に迫ることができない。

倩女@が本物だとしても倩女Aが本物だと考えても一面観に過ぎない。

本物の倩女は倩女@であるとともに倩女Aである(一体化したもの)

と考えることもできる。

倩女@と倩女Aのどちらも本物だと考えることもできる。

既に述べた双亦の論理である。

第25則の四句論理を参照)。

人間はある時は@の状態であり、ある時はAの状態になりうる。

倩女@と倩女Aの間を揺れ動いていると考えるのである。

 実際倩女は蜀の国で恋人王宙と5年間生活した後帰郷している。

これは孝と義理の論理に従い倩女Aから倩女@になったと考えることができる。

人間は一面観でこうだと決めることができない多面性をもっている。

人間は右か左か、善か悪か、勝つか負けるか、身体か心か、

家庭か仕事か、金か名誉か等々、常に二元的分別意識に振り回されている。

この公案はそのような相対的分別や取捨選択を超えた絶対的世界、

すなわち、身心が分離対立しない主客一如の世界に目覚めさせるための公案だと考えることができる。

「評唱」に於いて無門はもし、この公案の真意が分かれば、生死問題は片がつき、

死んで魂が身体から離れ、また身体に入るということは

あたかも旅に出て宿から宿に泊まるようなものだと分かる・・・」と言っている。

これは古代インドの輪廻転生説に基づいて言っている。

インドの輪廻転生説はチャーンドーギヤ・ウパニシャッドの

「二道五火説」に起源を持つ単なる想像説である。

輪廻転生説は科学的評価や検証に耐える根拠を持っていない。

この点「評唱」に於いて無門が言っていることは割り引いて考える必要がある。

「輪廻転生と二道五火説」を参照)。

「頌」では「雲と月は同じようなものだが、渓山はそれぞれ違っている」と歌っている。

雲と月は夫々倩女@と倩女Aを譬えている。

倩女@と倩女Aは同じ倩女から出た姿なので同じようなものだが、

谷と山が別物であるように違っていると歌っている。

倩女@と倩女Aは同じ倩女の別の面を表わしている。

それと同じように同一の人間も倩女が倩女@と倩女Aになったように

その時の条件や状況に従って変化する面を持っている

これを「一でもあり二でもある」と歌って、

たとえ同一の人間であっても、多面的に考えなければならないと言っているのである。

「頌」では、

同一人間()が二面性(多面性=)をもっていることが分かれば「めでたい限りだ」と詠っている。

脳科学的に言うと人間は主体として脳()をもっているが、

無自性であるため条件に従って、脳()は多様な姿に変化する。

いろんな姿になったからといって、これを別物と考えてはならない。華厳思想ではそれを一即多多即一と表現する。

あるいは、平等(と差別(という言葉を用いて、

平等即差別>、<差別即平等>とも言う。

このような論理的に矛盾した表現は禅や仏教でよく用いられる。


36

36則: 路逢達道  

岩波無門関p.142〜143

本則:

五祖曰く、「路に達道(たつどう)の人に逢わば、語黙を将(もっ)て対せざれ

且く道え、甚麼(なに)を将(もっ)てか対せん?」


評唱:

若し者裏(しゃり)に向って対得(たいとく)して親切ならば、

妨げず慶快(けいかい)なることを。

其れ或いは未だ然らずんば、也た須らく一切処に眼を著くべし


頌:

路に達道の人に逢わば、語黙を将(もっ)て対せざれ。

ラン腮(らんさい)劈面(へきめん)に拳す、直下に会せば便ち会せよ。



注:

五祖:五祖法演(?〜1104)。北宋の禅者。臨済宗楊岐派、白雲守端(1025〜1072)の法嗣。

法系: 臨済義玄・・・・→石霜楚円→楊岐方会→白雲守端→五祖法演 

達道(たつどう)の人:大悟徹底した人。

者裏(しゃり):ここでは「語黙に拘泥しない境地」をさす。

妨げず:はなはだ、たいへん、の意味。

妨げず慶快なることを。:愉快この上ないことであろう。

眼を著く:よく気をつけて見る。

ラン腮劈面(らんさいへきめん)に拳す:顎を掴んで真っ向から殴りかかること。

劈面(へきめん)とは悲しみのあまり刀で顔を切り裂くこと。


現代語訳


本則:

五祖法演禅師は云った、「路上で大悟徹底した人に出会った時には

言葉で対しても沈黙で対してもいけない

さて、そうだとすれば、どうのように応対すれば良いのだろうか?」


評唱:

 もし語黙に拘泥しない境地にピタリと対することができれば、

愉快この上ないことであろう。

しかし、未だそのような境地が分からないならば、

行住坐臥の一切時処に常に注意して修行しなければならない。


頌:

路で大悟徹底した人に出会った時には、言葉で対しても沈黙で対してもいけない。

これでも未だ分からないなら、顎や頬をさけるほどぶん殴れ。

そうすれば、痛さに我を忘れて本来の面目にすぐ気付くだろう。




解釈とコメント



本則は「禅修行者が路上で大悟徹底した人に出会った時にはどうしたら良いか?」

という公案である。

禅の基本的精神と姿勢を聞いていると見れば良いだろう。

禅の基本的精神と悟りは「無分別智」である。

(無分別智については仏の智慧=無分別智、無差別智を参照)。

無分別智」とは無我無心の素直な心と言っても良い。

この心は条件に応じて素直に素早く対応して働く心でもある。

金剛般若経で説く

応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)(まさに住することなくその心を生ずべし)

の心と言ってもよいだろう。

従って、「先入観などを持たずに素直な心で行く」がその答えと言っても良いだろう。

「評唱」では、もし語黙に拘泥しないで万事にピタリと親密適切に対応することができれば、

その人の日常生活はこの上ない愉快幸福なものになるであろう。

しかし、未だ そのような境地が分からないならば、

行住坐臥の一切時処において注意深く油断なく修行を怠らないようにすべきだと言っている。

「頌」では、「路に達道の人に逢わば、語黙を将(もっ)て対せざれ

と本則の言葉をそのまま用いている。

その精神は既に論じたように「いつ誰に逢っても、何事をする場合にも、素直な無心の心で行け

ということに尽きる。

己を捨てて相手とぴったりと一つになること、

仕事の時には仕事に集中し無我無心に仕事をすることである。

もし、これでも未だ分からないなら、顎や頬をさけるほどぶん殴れ。

そうすれば、痛さに我を忘れて「本来の面目」にすぐ気付くだろうと詠っている。


37

37則: 庭前柏樹   

岩波無門関p.144〜145

本則:

趙州、因みに僧問う、「如何なるか是れ祖師西来(せいらい)の意 ?」

州云く、「庭前の柏樹子(はくじゅし)」。


評唱:

 若し趙州の答処(たっしょ)に向かって見得(けんとく)して親切ならば、

前に釈迦無く後(しりえ)に弥勒(みろく)無し。


頌:

言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。

言を承(う)くるものは喪(そう)し、句に滞(とどこお)るものは迷う。



注:

趙州:趙州従シン(じょうしゅうじゅうしん)(778〜897)。唐代の大禅者。

南泉普願(748〜834)の法嗣。趙州観音院に住んだので趙州和尚と呼ばれる。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン

祖師西来(そしせいらい)の意:

「祖師達磨がインドからはるばる渡来した(西来(せいらい))その意味はどこにあるのか?」

という質問を通して禅の本質を問う常套的な言葉。

歴史的なことを質問しているのではない。

柏樹子(はくじゅし):子は助辞。

趙州従シン禅師がいた趙州観音院には柏の木(柏樹子(はくじゅし))が多かったと言う。

ただし、この柏は普通の柏ではなく柏槙(びゃくしん)をさす。

柏槙はヒノキ科ビャクシン属の高木。糸杉に似た常緑樹で、幹は桧に似て赤く縦じまが美しい。

図13に柏槙の写真を示す。

 
柏槙

図13.柏槙

 

事を展ぶる:事実を完全に表現する。

機に投ぜず:仏祖の心機に契(かな)わない。

語、機に投ぜず:言葉は仏祖の真の働きに契合しない。


現代語訳

本則:

趙州和尚にある僧が尋ねた、「達磨大師がはるばるインドからやって来た意図は何ですか ?」

すると趙州は庭を指差して云った、「あの柏の樹じゃ」。

 
柏槙

柏樹子

評唱:

もし趙州の答えた処をはっきりと見抜くことができれば、

釈迦牟尼仏や弥勒菩薩も無いに等しいと言える。

頌:

この事ばかりは言葉で説明できないし、核心に触れることもできない。

言葉を聞いても見失うし、拘っても迷うだけだ。



解釈とコメント


本則の問答に出てくる柏の樹とはその葉を柏餅に用いる柏の木(ブナ科)ではない。

図13に示した柏槙(びゃくしん)と言うヒノキ科の針葉樹(香木)である。

柏(槙は無数に別れた小枝の周囲に糸杉に似た葉が付き、繁茂力が強い常緑樹である。 

 柏槙は趙洲和尚が居た観音院に鬱蒼と繁っていたと言われている。

普通の人は樹は自分(心)と別もので、自分と対象である樹(境)を対立的に見ている。

しかし、趙州にとって、自分と対象である樹(境)を対立的なものではない。

彼は心と境とが一体になった「心境一如・万物一体」の禅の境地に立って見ているからである。

趙州はその心境一如の境地を「あの柏の樹じゃ(庭前の柏樹子)」という言葉で答えたのである。

この問答の原典「趙州録」によると質問した僧は趙州の答えに満足せず、

和尚、境をもって人に示すなかれ」と言ったと伝えられる。 

質問した僧は趙州に「和尚、外界の物(外境)なんかで示しても分かりません

もっと精神的な内容を持つ言葉で説明してくれないと分かりませんよ

と言って趙州に抗議した。

しかし、質問僧の抗議的な質問を聞いても、趙州は「あの柏の樹じゃ(庭前の柏樹子)

という同じ言葉で答えたとされる。

質問僧僧には趙州の答えの真意(心境一如・万物一体)が伝わらなかったのである。

この公案は3則の「倶胝堅指」の公案と同類である。

無門関3則「倶胝堅指」を参照)。

心境一如の境地』とは妄想分別を徹底的に奪い尽くすことで得られる純粋意識である

と考えられている。

この公案について妙心寺開山の関山国師は「柏樹子の話に賊機あり。」

という有名な言葉を残している。

賊機とは「妄想分別を奪う働き」という意味であるから、

関山国師は

柏樹子の公案は妄想分別を徹底的に奪い尽くすことで初めてその真意が分かる。」

と言っているのである

第6章の万物一体の境地を参照)。


   

38則:  牛過窓櫺(ぎゅうかそうれい)   

岩波無門関p.146〜148

本則:

五祖曰く、「譬えば水コ牛(すいこぎゅう)の窓櫺(そうれい)を過ぐるが如き 

頭角(ずかく)四蹄(したい)都(す)べて過ぎ了(おわ)るに 

甚麼(なん)に因ってか尾巴(びは)過ぐることを得ざる ?」


評唱:

 若し者裏(しゃり)に向かって顛倒(てんどう)して、

一隻眼(いっせきげん)を著け得、一転語を下し得ば、

以って上四恩に報じ、下三有を資(たす)くべし。

其れ或いは未だ然らずんば、

更に須らく尾巴(びは)を照顧(しょうこ)して始めて得べし。


頌:

過ぎ去れば、坑塹(こうざん)に堕ち、回り来れば却って壊(やぶ)らる。

者些(しゃしゃ)の尾巴子(びはす)、直に是れ甚だ奇怪なり。



注:

五祖:五祖法演(?〜1104)。北宋の禅者。

臨済宗楊岐派、白雲守端(1025〜1072)の法嗣。

湖北省五祖山に峻住んだので五祖と呼ぶ。

法系: 臨済義玄・・・・→石霜楚円→楊岐方会→白雲守端→五祖法演 

水コ牛(すいこぎゅう):牝の水牛。

窓櫺(そうれい):窓の格子(櫺)。櫺(れい)は窓の格子のこと。

尾巴(びは):尻尾(しっぽ)。

顛倒(てんどう)して:逆様(さかさま)になって。

四恩:.父母の恩、.衆生の恩、.国王の恩、.三宝(仏、法、僧)の恩 

の四つの恩のこと。

現代では.は国家の恩恵、.は宗教や科学技術の恩恵

ということになるだろう。

三有:三種の存在領域、即ち欲界、色界、無色界の三界のこと。

生死を繰り返す迷いの世界のこと。

三千大千世界と三界を参照)。

「須らく・・・して始めて得べし」:「・・・せよ。そうすれば・・・できよう」という意味の常用句。

坑塹:穴。

者些(しゃしゃ):これらの。些は複数を表わす語尾。

直に是れ:まったくもって。強意の助辞。


現代語訳

本則:

五祖法演は云った、「譬えば水牛が通り過ぎるのを窓越しに見ていると

頭、角、四つの脚全てが通り過ぎてしまっているのに

どういうわけで尻尾だけは通り過ぎないのだろうか ?」


評唱:

  若しこの事態に対して逆の方から、

真理を見抜く眼で、核心を突く言葉を吐くことができれば、

上は四恩に報い、下は迷いの衆生を救うことができるだろう。

もし未だそこまでは到っていないならば、

是非ともあの水牛の尻尾を見届けないといけないだろう。


頌:

うっかり通り過ぎれば、穴に落ち、回り道をしてもさんざんにやられる。

この尻尾というものは、何とも奇怪(きっかい)だと言うしかないよ。




解釈とコメント


本則は白隠禅師の八難透の公案の1つとされる難則である。

本則で五祖法演禅師は水コ牛(すいこぎゅう)の譬えで禅の究極の処を示したとされる。 

水コ牛(すいこぎゅう)とは牝の水牛のことだが、

それは「真の自己」の譬えとされている。 

窓櫺(そうれい)は窓格子という意味である。

ここでは迷いの世界の譬えとして用いられている。

そういう予備的解説を先輩参禅者などに解説して貰わない限り

この公案が何を言っているか分からない。

あいまいな公案と言える。 

水牛の体全体(頭角四蹄(ずかくしたい))は牛小屋の入口を通ってしまったのに、

小さな尻尾がどうしても通れないとは一体何を意味しているのかと参究するのが

本則のねらいだとされている。

水牛の頭角四蹄(ずかくしたい)とは

我々の頭の中にある後天的な知識・経験・思想などの妄想を表わしている。

これらの後天的な妄想を全て掃蕩してクリアしてしまうことで

真の自己に帰る(を悟る)ことができると考えられている。 

これが頭角四蹄(ずかくしたい)が牛小屋の入口を通り過ぎた段階である。

まずそうなってから未だ残っている尻尾を参究する段階になる。 

頭角四蹄(ずかくしたい)が通り過ぎた段階だけでは

未だ真の「真の自己」とは言えない。

 残っている尻尾も通り過ぎてから、始めて「真の自己」になるのである。

「評唱」では、もしこの公案に向って、逆にひっくり返して、

木っ端微塵に妄想の残渣を粉砕してしまうと悟りの眼(一隻眼)が開いて、

悟りの境地を立派に言い表すことができるようになる。

そうなると、上は四恩に報い、下は迷いの衆生を救うことができる。

もし未だそこまでは到っていないならば、

是非ともあの水牛の尻尾を見届けるべきだと言っている。

「頌」では、悟りの世界は別名「解脱の深坑(じんきょう)」とも呼ばれる。

そこに止まる人は「向上の死漢とも言われ、未だ真に役立つ働きがない。

極楽世界で昼寝しているようなものである。

だからと言って凡夫の世界に後退したら堕落してぶち壊しである。

この変っているが偉大な尻尾を本当に掴まえることができれば、

真の自己確立ができると共に、

迷いの世界にいる衆生を本当に救うことができるようになると詠っているのである。


   

39則:  雲門話堕(わだ)  

岩波無門関p.146〜151

本則:

雲門、因みに僧問う、

光明寂照遍河沙(こうみょうじゃくしょうへんがしゃ)」。

一句未だ絶せざるに、門にわかに曰く、

豈(あ)に是れ張拙(ちょうせつ)秀才(しゅうさい)の語にあらずや?」。

僧云く、「是(ぜ)」。

門曰く、「話堕せり」。

後来、死心拈(ねん)じて云く、

且(しばら)く道(い)え、那裏(なり)か是れ者(こ)の僧が話堕の処?」


評唱:

 若し者裏(しゃり)に向かって雲門の用処狐危(ゆうじょこき)、

者(こ)の僧甚(なん)に因ってか話堕すと見得(けんとく)せば、

人天(にんでん)の与(ため)に師と為るに堪(た)えん。

若也(もし)未だ明めずんば、自救不了(じぐふりょう)」


頌:

急流に釣(つり)を垂る、餌を貧(むさぼ)る者は著(つ)く。

口縫(こうぼう)わずかに開けば、性命(しょうみょう)喪却(そうきゃく)せん。



注:

雲門: 雲門文偃(うんもんぶんえん、864〜941)。唐代の禅者。

雪峰義存(822〜908)の法嗣で雲門宗の始祖。

法系:青原行思→石頭希遷→→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

張拙秀才(ちょうせつしゅうさい) :生没年不明。五代宋初(10〜11世紀)の居士。

秀才は科挙(官吏登用試験)に応じた人の呼称。

張拙は石頭下四世の石霜慶諸(せきそうけいしょ)(807〜888)に参じその法を嗣いだ。

張拙が石霜の指導下で開悟した時作った長偈が「「光明寂照遍河沙(こうみょうじゃくしょうへんがしゃ) 凡聖含霊共に一家云々」である。

その冒頭に「光明寂照遍河沙(こうみょうじゃくしょうへんがしゃ)」の句がある。

張拙秀才の法系:青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→道吾円智→石霜慶諸→張拙秀才

死心:黄竜死心禅師(1043〜1114)。晦堂祖心(1025〜1100)の法嗣。

大いに臨済宗黄竜派の宗風を高めた人として知られる。

黄竜死心の法系:臨済義玄→{六伝}→黄龍慧南→晦堂祖心→黄竜死心 

話堕す:自分が述べた言葉自体が破綻を露呈すること。ボロを出す。落第だ。

後来:後に。

用処(ゆうじょ):悟りの智慧から出る働き。

狐危(こき):孤絶危高の略。寄り付き難い。

人天(にんでん):人間と天人。

那裏(なり):何処。

自救不了(じぐふりょう):自分さえ救えない、仏道修行の失格者。

口縫(こうほう):唇。縫は裂け目、すきまの意味。


現代語訳

本則:

雲門禅師にある僧が尋ねた、

光明寂照遍河沙(こうみょうじゃくしょうへんがしゃ)」。

全部の詩句が終っていないのに、雲門は云った、

何じゃ、それは張拙秀才の詩の句じゃないのか?」。

僧は云った、

はい、そうです」。

雲門は云った、

落第だ!」。

後日、黄竜死心禅師はこの問答について、

何処にこの僧が話堕(落第)した処があるか、分かるかな?」と云った。


評唱:

 もしこの問答に於いて、雲門の寄り付き難いハタラキ、

それにこの僧はどこでボロを出したかが分かれば、

人天(にんでん)の師となるにことができるだろう。

もし、それでも未だ分からないならば、自分さえも救えないだろう。


頌:

急流に向って釣り糸を垂れれば、さもしい魚が餌に飛びつく。

この魚と同じように、口を開いて飛びつけば忽ち釣り上げられて命を失うだろう。



解釈とコメント


 本則のねらいを見るために問答の流れをもう一度みよう。

ある僧が雲門禅師に尋ねた、

光明寂照遍河沙(こうみょうじゃくしょうへんがしゃ)」。

この質問僧はこの詩の全部を言ってから質問に入ろうとしたらしい。

 しかし、雲門は途中で遮って、

何じゃ、それは張拙秀才の詩の句じゃないのか?」と言った。

僧は雲門の言葉に釣り込まれて

はい、そうです」と素直に答えた。

すると雲門は云った、「落第だ!」。

後日、黄竜死心禅師はこの問答について、

何処にこの僧が話堕(落第)した処があるか、分かるかな?」と云った。  

以上がこの問答のあらましである。

これから分かるように 死心禅師の「何処にこの僧が話堕(落第)した処があるか?」

の質問に答え、それをはっきりさせるところにねらいがある。

この僧は雲門の質問に対しても正直に答えており、何も間違っていない。

それなのに雲門は

落第だ!」

と言ってこの僧に落第の判定を下した。

この僧は「本来の面目」を体験し見性したものと考えられる。

彼はその経験を他人の言葉を借りて表現しようとした。

しかし、いくら素晴らしいと言っても他人の言葉であり、

自分の禅体験を自らの言葉で表現していない。

この僧には主体性が感じられない。

また、他人の言葉を借りて表現しようとした点、

他人の言葉をそのまま借りて表現しようとした点、

一種のパクリや模倣に過ぎず、僧自身の主体性や独創性も全く無いといえる。

独創性が無い点は科学的にも全く評価できない。科学では独創性を重視するからである。

張拙秀才の詩句を借りたのは他人の褌で相撲をとるようなものである。

そこを雲門はそこをすぐ見抜いて、

「お前さんはよそ見ばかりして、他人の褌で相撲を取るようなことをしているから落第だ

と判定したのである。

評唱」では、

 もしこの問答に於いて、

雲門の素晴らしいハタラキとこの僧はどこでボロを出し落第したかが分かれば、悟りの眼が開けたと言える。

そうなれば、人天の師となるにことができるが、

自ら本当に悟らない限り、自分さえも救えないぞと言っている。

」では、

雲門が質問僧の言葉が終らない内に「それは張拙秀才の詩の句じゃないか

とひっかけたのはあたかも急流に向って釣り糸を垂れたようなもので、

糸も釣り針も見えない。

それで、さもしい魚が餌に飛びつく。質問僧はその魚のようなもので、

口を開いて飛びついたため、雲門に忽ち釣り上げられて、命を失ったと僧を魚に譬えて詠っている。


   
40

40則:  テキ倒浄瓶(てきとうじんびん) 

岩波無門関p.152〜155

本則:

 イ山(いさん)和尚、始め百丈の会中(えちゅう)に在って典座(てんぞ)に充(あ)たる。

百丈、将(まさ)に大イ(だいい)の主人を選ばんとす。

乃(すなわ)ち請じて首座(しゅそ)と同じく衆に対して下語(あぎょ)せしめ、

出格の者往(い)くべしと。

百丈、遂に浄瓶を拈じ、地上に置いて問いを設けて云く、

喚んで浄瓶と作すことを得ず。汝喚んで甚麼とか作さん?」。

首座(しゅそ)乃(すなわ)ち云く、

喚んで木トツと作すべからず」。

百丈、却って山に問う。山乃(すなわ)ち浄瓶をテキ倒して去る。

百丈笑って云く、

第一座、山子に輸却せらる」。

因って、之に命じて開山と為す。 


評唱:

イ山(いさん)一期の勇、争奈(いかん)せん百丈の圏キを跳り出でざることを。

検点し将ち来れば、重きに便りして軽きに便りせず。

何が故ぞ。ニイ(にい)。盤頭を脱得して、鉄枷を担起す。


頌:

笊リ(そうり)併びに木杓をヨウ下して、当陽の一突周遮を絶す。

百丈の重関もさえぎり住(とど)めず、脚尖(きゃくせん)テキ出(てきしゅつ)して仏麻の如し。



注:

イ山和尚: イ山霊祐(いさんれいゆう、771〜853)。

唐代の禅者百丈懐海(749〜814)の法嗣。イ仰宗の始祖。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

典座(てんぞ): 大衆(修行僧)の食事の世話をする役職。

浄瓶:水をいれておいて手を洗ったりするのに用いる瓶。

話堕す:自分が述べた言葉自体が破綻を露呈すること。

ボロを出す。落第だ。

木トツ(ぼくとつ):木杭。

輸却せらる:やられる。負ける。

ニイ(にい):問の語の余声。

何かを指し示すことによって詰問したり注意を促したりする間投詞。ソラ見るがよい

盤頭(ばんず):はちまき。

笊(そう)リ:ざる。

ヨウ下(ようげ)する:放り出す。

当陽:陽とは南を意味する。

「当陽」とは南に正面することである。ここでは真正面を意味している。

周遮:言語の多いさま。

当陽の一突周遮を絶す。:

正面から浄瓶を蹴飛ばして百丈のへ理屈を断ち切ってしまった。

脚尖(きゃくせん):足の爪先。

仏麻の如し:無数の仏が飛び出した様(さま)は乱れた麻のようだ。

現代語訳

本則:

イ山霊祐禅師は、若い時、百丈懐海禅師の道場で台所の炊事係を務めていた。

丁度その頃百丈和尚は大イ山道場の住持を人選しようとしていた。

そこで、百丈は道場の門下生(修行僧)達を集め、自己の悟境を述べさせ、

実力のある者を選抜して住持に推薦しようとした。

百丈和尚はやにわに浄瓶を地上に置いて質問して云った、

これを浄瓶と呼んではならない。さあ、お前達はこれを何と呼ぶか?」。

この問いに首座(しゅそ)は、「まさか木片と呼ぶわけにもいきません」と答えた。

百丈は、次にイ山に向き直って

お前はどうだい?」と聞いた。

イ山は直ちに浄瓶を蹴飛ばすと出て行った。

この時百丈和尚は笑って、

首座はイ山にしてやられたな」と云った。

こうしてイ山は大イ山の開山となったのである。


評唱:

イ山霊祐はこうして一期の勇を振るって浄瓶を蹴飛ばし大イ山の開山となった。

しかし、これでイ山は百丈の仕掛けた罠にはまってしまったよ。

よくよく見れば、彼は重い役目を選んで軽い役目を選ばなかったのだ。何故だろうか?

そら見ろ、彼は頭から鉢巻を取り去ってから、鉄の枷(かせ)を嵌めるようなことになったではないか。 


頌:

 イ山は笊(ざる)やしゃもじを放り出し、正面から浄瓶を蹴飛ばして百丈のへ理屈を突破した。

この自在のハタラキには百丈が設けた重関もさえぎることはできない。

かえって、イ山の足先から無数の活き仏が飛び出したわい。



解釈とコメント


本則は百丈の道場で炊事係を務めていたイ山霊祐が大イ山道場の住持に選抜される経緯を公案にしたものである。

百丈は道場の首座(しゅそ)(花林和尚)と典座(てんぞ)(霊祐)を呼び出し、大衆(修行僧)の面前で問答をした。 

百丈和尚は一個の浄瓶を置いて、

これを浄瓶と呼んではならないさあ、お前達はこれを何と呼ぶか?」

という問題を二人に出した。

この問いに首座(しゅそ)(花林和尚)は、「まさか木片と呼ぶわけにもいきません

と答えた。実直で平凡な答えである。 

これに対し、典座(てんぞ)(霊祐)は何も言わずに浄瓶を蹴飛ばすと、さっさと出て行った

この時百丈和尚はにっこり笑って、

首座はイ山にしてやられたな

と云って典座(てんぞ)(霊祐)の『無分別智』のハタラキを認めたのである。 

こうしてイ山(霊祐)は大イ山の開山となった。

「評唱」では、

イ山霊祐はこうして一期の勇を奮い起し、

浄瓶を蹴飛ばしたのは実に立派であるが、百丈の仕掛けた罠にはまって合格という格好になった

しかし、よく考えて見れば、

彼は気軽な役目を止めて一山の住持という重くて厄介な役目を引き受ける結果になったのだ。何故だろうか?

彼は頭から鉢巻を取り去ってから、鉄の枷(かせ)を嵌めるようなことになったのだと

言外にイ山霊祐の深い菩提心を褒め上げている。 

「頌」では、笊(ざる)やしゃもじなど台所道具を放り出した

と言うのはイ山が典座(てんぞ)の役職を止めたことを意味している。

イ山は勢いよく浄瓶を蹴飛ばしたけれども、誰もイ山和尚を拘束することができずイ山の独壇場だった

百丈は重関(難問)を設けて彼を拘束しようとしたのだがイ山はそれに拘束されず、

その足先から活き仏が無数に飛び出たイ山の自在なハタラキを褒め上げている

イ山霊祐は百丈禅師の命を受けて大イ山に禅道場を開いた。

彼は道場を開いても米も蓄えず、殿堂も建てず、八年間ただ一人で坐禅に打ち込んだ。

それが後には1,500人もの修行僧を有する大道場に発展したと伝えられる。

それは堂塔伽藍よりも人間の中身が大事だということを示している。

40則は1、3、14、37、43則と類似共通した「無分別智」に関する公案である。 


   

41則: 達磨安心 

岩波無門関p.156〜158

本則:

達磨面壁(めんぺき)す。二祖雪に立つ。臂(ひじ)を断って云く、

弟子は心未だ安からず。乞う、師安心せしめよ」。

磨云く、「心を将(も)ち来れ、汝が為に安んぜん」。

祖云く、「心を覓(もとむ)むるに了(つい)に不可得なり」。

磨云く、「汝が為に安心し覓(おわ)んぬ」。


評唱:

ケッ歯(けっし)の老胡(ろうこ)、十万里の海を航して特特(とくとく)として来る。

謂(いつ)つべし是れ風無きに浪(なみ)を起こすと。

末後(まつご)に一箇の門人を接得(せつとく)して、又却(かえ)って六根不具。

イイ(いい)。謝三郎(しゃさぶろう)四字を識らず。


頌:

西来(せいらい)の直指(じきし)、事は嘱(しょく)するに因って起こる。

叢林をニョウ聒(にょうかつ)するは、元来是れ汝。



注:

達磨: 菩提達磨。Bohdi-dharmaの音写。古くは達摩と書く。

生没年については?〜495、?〜436、?〜528などの諸説がありベールに包まれている。

中国禅の初祖とされる。

二祖: 慧可大祖禅師(487〜593)。隋代の禅者。

達磨禅の真髄を得て禅宗第二祖となる。

幼名は神光で、四十才の時、嵩山に達磨を訪ね、

本則に説かれたような事件があったとされているが、

一説には幼時、賊に襲われて左臂を切られたとも言われている。

ケッ歯(けっし)の老胡:達磨のこと。

達磨は菩提流支などに憎まれ、しばしば毒殺されようとした。

そのため、歯が抜け落ちたという伝説があり、「ケッ歯の老胡」の異名を持つ。

特特として:わざわざ。

イイ(いい):人を叱ったり注意を促す時に発する大声。やい!。また笑うさま。

謝三郎四字を識らず:玄沙師備(835〜908)は俗姓謝氏の三男で

「謝三郎」と呼ばれた。

達磨は文字も知らず銭の上の四文字も読めなかった

という故事に因んで達磨をけなしつつ褒めている。

叢林(そうりん):禅を求めて師の下に集まる修行者達の共同生活集団。

撓聒(にょうかつ)する: 騒がせる。迷惑をかける。 

現代語訳

本則:

達磨が面壁して坐禅していた。

二祖慧可は雪の中に立ち尽くし臂を切り落として云った、

私の心は未だ不安です。どうか師よ、安心させて下さい」。

達磨は云った、

不安の心をここに持って来て示しなさい、そうしたらお前の為に安心させてやろう」。

二祖慧可は云った、

不安の心を探しましたが、どうしても掴むことはできませんでした」。

達磨は云った、「お前の為にもう安心させ終わったぞ」。


評唱:

歯が欠けた老達磨は、十万里の海を越えてインドからわざわざやって来た。

これはまるで風の無い所に波を起こしたようなものだ。

死ぬ前にようやく嗣法の門人を得たが、彼も又六根不具の男だった。

やい、謝三郎! 文字も知らない爺さんよ。


頌:

インドから「直指人心、見性成仏」の教えを

伝えたばかりに、迷惑をかけ、今でも禅林を騒がせている。

これも、皆元をたどればお前さんのせいだよ。




解釈とコメント


 本則は中国禅の初祖達磨と二祖慧可の問答を題材にしている。

達磨は南インドの人で520年に中国に渡来し、528年に示寂したと言われるが詳細不明の人物である。

達磨の禅については「二入四行論」が有名である。

(菩提達磨と「二入四行論」を参照 )。 

二祖慧可(487〜593)は俗名を神光と言う。

神光は道教や儒教の外大小乗の仏教教理を究めた学者で、達磨大師に参じてその法を嗣いだ。

達磨はインドから渡来して嵩山の少林寺に滞在して、

毎日面壁してひたすら坐禅をしていた。そこへ神光が訪ねて来た。

雪が盛んに降る寒い日だったが達磨は神光に入室を許さなかった。

雪の中にじっと立っている神光に、達磨は

仏道は生易しい志では得られるものではない。早く帰れ」と言った。

神光は思い余って遂に左の臂を断ち切って達磨に差し出し、

切なる求道心と決意を示した。

それで神光はようやく達磨の弟子として入室を許されたと伝えられる。

それと同時に慧可の名前を与えられ達磨の指導の下に修行する。

しかし、いくら坐禅修行に打ち込んでも、

今までの学識や思想が邪魔してなかなか安心立命の境地に至ることができない。

心はあせり真っ暗のままであった。

思い余った慧可は達磨に「私は未だどうしても安心できません

どうか私が大安心できるようにご指導下さい」と言った。 

達磨は、「そうか、それなら、その不安の心を持って来い

そうしたら安心させてやろうぞ」と答えた。

慧可は達磨の「不安の心を持って来い

という言葉を手掛りに一心不乱に、「不安の心」を探し求めた。

しかし、いくら考えても探しても「不安の心」は見つからない。 

全く手掛りもなく真っ暗な精神状態になったと思われる。

何とか解決しようと、坐禅に専念、集中し続けたある日、

もはや、「不安の心」はどこにも無いことに気付いた

本来無いものを有るのだと妄想して勝手に苦しんでいたのだと目覚めたのである。

何とか解決しようと、坐禅に専念、集中し続けた結果、いつの間にか、

慧可は真っ暗闇の心から『大安心と大安楽の真昼間の世界』(=本源清浄心=健康な脳宇宙)』に躍り出ていたのである。 

そこで慧可は達磨に

不安の心を探しましたが そんなものは何処にもありませんでしたよ

と答えた。

達磨はニッコリ笑って「不安の心がどこにもないことにやっと気付いたか

それが本当の安心じゃないか」と言い慧可の境涯を許した。


   

慧可は坐禅修行に専念集中した結果、

慧可は大脳新皮質から生まれる分別意識やストレスを滅尽し

層無意識脳(=無分別智の本体)中心の『大安心と大安楽の真昼間の世界(=本源清浄心)』に到達していたのである。 

それが安らぎの心を生む根源的な心であると気付き、すでに、安心立命の境地に到達していたのである

(禅と禅定の脳科学を参照 )。

それが神光慧可の悟り(=見性)であったと考えられる。

評唱」では、

無門は達磨を「歯が欠けた老いぼれ親爺」と罵倒しているようだが

その達磨が艱難辛苦して遠路インドから来てくれたお陰で

正伝の禅を知ることができたと親しみと敬愛の心を込めて呼んでいるのである。

彼は風が無い処に波を起こすような余計なことをしてくれたと言って達磨大師を非難している。

しかし、これは禅宗特有の「言貶意揚の表現(言葉で貶して心では褒める表現)」である。

最後の処で門人慧可を得て法を伝えることができたが、

彼も歯が欠けた達磨同様六根が不完全であったと言っている。 

最後の「謝三郎四字を識らず」と達磨と二祖を罵倒している。

しかし、これは反語的表現で、

分別智を否定し禅の「無分別智」を持ち上げていると考えることが出来よう。

禅では学識や思想より無分別智や愚人を評価する。

これは老子が説く無為や愚の思想の影響だと考えることができるだろう。

」では達磨大師がインドから中国に渡来して

不立文字、直指人心、見性成仏」という面倒な教えを伝えたばかりに、

中国各地に禅道場ができて、仏道修行のための集団生活を騒がせている。

これも元を正せば汝達磨が張本人だと達磨大師をこき下ろしているが、

これも「言貶意揚の表現」である。


   
42

42則:女子出定 

岩波無門関p.159〜163

本則:

昔、因みに文殊(もんじゅ)、諸仏の集まる処に至って諸仏各々本処(ほんじょ)に還(かえ)るに値う。

惟だ一人の女人(にょにん)有って彼の仏座(ぶつざ)に近づいて三昧(さんまい)に入る。 

文殊乃ち仏に白さく、「云何ぞ女人は仏座に近づくことを得て我は得ざる」。 

仏文殊に告ぐ、「汝但(た)だ此の女を覚(さま)して、三昧より起たしめて、汝自から之を問え」。

文殊、女人をめぐること三ソウ(さんそう)、指を鳴らすこと一下(いちげ)して、

乃(すなわ)ち托(たく)して梵天(ぼんてん)に其の神力(じんりき)を尽くすも出すこと能わず。 

世尊云く、「仮使(たと)い百千の文殊も亦た此の女人を定より出すことを得ず

下方十二億河沙(がしゃ)の国土を過ぎて罔明菩薩(もうみょうぼさつ)あり

能く此の女人を定より出さん」。

須臾(しゅゆ)に罔明大士、地より湧出(ゆうしゅつ)して世尊を礼拝す。

世尊、罔明に勅す。却って女人の前に至って指を鳴らすこと一下す。

女人是(ここ)に於いて定より出ず。 


評唱:

釈迦老子、者(こ)の一場の雑劇(ぞうげき)を做(な)す。小小(しょうしょう)を通ぜず。

且(しば)く道(い)え、文殊は是れ七仏の師、

甚(な)んに因(よ)ってか女人を定より出すことを得ざる。

罔明は初地(しょじ)の菩薩、甚(な)んとしてか却(かえ)って定より出だし得る。

 若し者裏(しゃり)に向かって見得(けんとく)し親切ならば、

業識忙忙(ごっしきぼうぼう)として奈伽大定ならん。 


頌:

出得(しゅっとく)するも出不得なるも、渠(かれ)と儂(われ)と自由を得たり。

神頭(しんず)ならびに鬼面、敗闕(はいけつ)当(まさ)に風流。



注:

文殊: 文殊師利(Manju-sri)菩薩=釈迦如来の左に坐して智慧を司る最高位の菩薩。

ここでは悟りの知恵としての「無分別智」を指している。

三ソウ(さんそう):インドの礼法で、長者を訪ねた時、その周りを右回りに3回廻ること。

梵天(ぼんてん):古代インドの世界観に須弥山世界説がある。

須弥山世界説では世界の中心に須弥山(高さ約64万km)という超巨大な山が聳える。

その山の中腹より上方に天上界が存在するとされる。

天上界には下から欲界天、色界天、無色界天の三界天がある。

色界天は18天に分けられる。

色界天にある初禅天には梵衆天、梵輔天、大梵天の三天があるとされる。

初禅天の第三天を大梵天という。大梵天の主がブラフマン(世界の創造神)である。

なお、色界天の最上部の色究竟天にシヴァ神が住むとされる。

いずれにせよ須弥山世界説は古代インドの想像的世界観である。

須弥山説に基づく世界の構造を参照)。

三昧(さんまい):梵語samadhiの音写。三摩地、三昧地とも漢訳される。

禅定において心を集中すること。

河沙(がしゃ):恒河沙(ごうがしゃ)の略。

恒河とはガンジス河のこと。

恒河沙とはガンジス河の砂のことで数の多いことを譬える。

ここではガンジス河の砂ほどの数と言う意味で無限数を表わしている。

罔明(もうみょう)菩薩:最下位の菩薩の代表。

罔は無いという意味なので、罔明とは無明と同じ意味である。

ここでは、煩悩の元になる分別智(上層脳=理知脳)を指している。

初地(しょじ)の菩薩::華厳経や般若経などに於いて菩薩の境地は十段階に分けられる。

その第一段階の菩薩のことで、成り立ての菩薩という意味。

ここでは、分別智(上層脳)を指している。

業識忙忙(ごっしきぼうぼう):前世の業によって輪廻転生の心意識に苦しむこと。

ケッ奈伽(なが)大定:奈伽は梵語のnagaの音写で竜のこと。

奈伽大定は「大竜三昧」とでも訳される最高の三昧のこと。

雑劇(ぞうげき):宋・元代の演劇。「頌」に出る神頭(しんず)と鬼面は雑劇に用いる仮面。

敗闕(はいけつ):失敗。

現代語訳

本則:

昔、文殊(もんじゅ)菩薩は諸仏がブッダの処に集まった後、

再びそれぞれの居場所に帰還して行く処に出会った。

ところが、ただ一人の女だけはブッダ居る前で三昧(さんまい)に入り続けていた。

そこで不思議に思った文殊はブッダに聞いた、

どうしてこの女はあなたの居る所に近づくことができて、私はできないのですか?」。 

ブッダは文殊に言った、

前がこの女を三昧より覚(さま)して自分でその理由を聞けばよい」。

そこで文殊は女の周りを三度回って、指をパチンと鳴らして、

その女を手の上の載せて天上界に昇った。

そして神通力を尽くしたがその女を三昧から出すことができなかった。 

ブッダは云った、

たとえ10万人の文殊がかかってもこの女を三昧より出すことはできないだろう

ここより下の方十二億河沙の無数の国土を過ぎた所に罔明菩薩という菩薩がいる

彼ならばこの女性を三昧より出すことができるだろう」。

ブッダが言い終わるやいなや罔明菩薩が地中より湧き出るように出現してブッダを礼拝した。

ブッダが女を定より出すように命じると罔明菩薩は女の前に行って指をパチンと鳴らした。

すると女はようやく三昧より出たのである。


評唱:

釈迦老子、また何と言う田舎芝居を見せてくれるんだ。

これは並み大抵のことではないよ。

それでは何か答えて見なさい、

七仏の師と言われる文殊菩薩はどうして女を定より出すことができず、

新米の罔明(もうみょう)菩薩の方が、かえって女を定より出すことができたのだろうか? 

若しこの処をはっきりと見抜くことができるならば、

過去の悪業にも引きずられることなく、

大竜三昧のような深い三昧に入ることができるだろう。


頌:

女人を定から出すことが出来るのも出来ないのも、いずれも立派なハタラキだ。

これも神のお面と鬼の面を使った雑劇のようなもので、失敗するほど面白い




解釈とコメント


本則の内容は次ぎのようである。

昔、文殊菩薩は諸々の仏達が世尊(ブッダ)の所に集まった後、

解散してまたそれぞれの居所に帰って行くところに出くわした。

ところがただ一人の女だけが世尊の座の近くでそのまゝ三昧に入り続けていた。 

そこで文殊はブッダに、

どうしてこの女はあなたの居る所に近づくことができて

私はできないのですか?」と聞いた。

するとブッダは、

お前がこの女を三昧から呼び覚まして、自分で聞くと良い」と言う。 

そこで文殊は女の周りを三度回り、パチンと指を擦って鳴らし、

その女を手に載せて天上界に昇り、

神通力を結集しいろいろと試みるが女を定から出すことはできなかった。

その時ブッダは言った、

たとえ百千の文殊が力を合わせても、この女を定から出すことはできまい

ここより下の方12億恒河沙(無数)の国土を過ぎた遠い所に罔明菩薩と言う菩薩がいる

この菩薩ならば女を定から出すことができるであろう。」 

その瞬間、罔明菩薩が地より湧き出て、ブッダに対して深々と礼拝した。

そこでブッダは罔明菩薩に命令すると、

罔明菩薩は女の前に行ってパチンと指を鳴らした。

この時女はようやく定より出たのである。

この公案は脳科学の視点に立つと明快に説明することができる。 

文殊菩薩は最高位の菩薩で絶対平等の「無分別智」を完成している。

(無分別智については仏の智慧=無分別智、無差別智を参照)。

これに対し、罔明菩薩は最下位の菩薩であるから未だ「分別智」しか持たない。

女人は普通の人間であり、これも「分別智」しか持たない。

即ち、文殊菩薩は「無分別智」の主体である下層脳(脳幹+大脳辺縁系)を表わし、

罔明菩薩と女は「分別智」の主体となる上層脳(大脳前頭葉を主とした理知脳)

を表わしていると考えることができる。 

文殊菩薩は「無分別智」を開発し完成している大菩薩であるから

無意識脳である下層脳(脳幹+大脳辺縁系)が活発に働いている。

これに対し、分別智主体の罔明菩薩と女人は

分別意識脳である上層脳(大脳前頭葉)が活発に働いている。 

ここで次のようなことを考える。

イ. 無分別智から分別智への働きかけは通じない。

ロ. 分別智から分別智への働きかけは通じる。

分別智は世俗界を表わしていると考えれば分かる。

.の無分別智から分別智への働きかけは通じない理由として、

無分別智は偉大な悟りの智慧であるが主体は無意識脳であるから

分別智主体の俗人にはなかなか分からない(通じない)と考えれば良い。

このため、文殊菩薩は女人を定より出すことができず、

初地の罔明菩薩の方がかえって女人を定から出すことができたのである。

それでは文殊がブッダに言った質問、

どうしてこの女は仏座に近づくことができ、私にはそれができないのですか?」

の解答はどう考えれば良いだろうか?

これも脳科学的に考えれば次のようになる。

女人(俗人)は現在無分別智を開発し完成するため、

一生懸命修行して仏座に近づきつつあるところである。 

これに対し、文殊は七仏の師と言われるように無分別智を開発し完成している大菩薩であるから、修行は既に完成している。

今更、仏座に近づかなくても仏座そのものと言って良い。

そのように考えると、文殊は仏座に近づかなくて良いが

女人(俗人)は一生懸命修行して仏座に近づかなくてはならないと言っていることが分かる。 

「頌」では無分別智と分別智が織り成す世界を雑劇(宋・元代の演劇)に譬えている。

雑劇をやるには神の面や鬼の面を用いる。

これと同じように人は分別智や無分別智を用いて人生劇を演じる。

分別智と無分別智は一仏性(脳)の両側面であり夫々が立派な働きの場を持っている。

この公案の雑劇では文殊が罔明菩薩に負けた。

大人(文殊菩薩)が子供(罔明菩薩)と相撲をとって、大人が子供に負けたようなものだ。

負けると思わなかった文殊が予想に反して子供のような罔明菩薩に負けたので

この芝居は面白いと詠っている。

この公案について甲斐の天巌祖暁禅師(1667〜1731)は次の歌を詠っておられるとのこと。 


釈迦如来、文殊罔明引き連れてそれからそれと深山木の花


この歌も釈迦如来は脳全体、文殊は下層脳、罔明は上層脳を夫々表わしていると考えると、

「下層脳と上層脳から成る全脳のハタラキによって、いまと咲き誇る深山の花々のような素晴らしい世界が展開している

下層脳と上層脳(=全脳)が健康でイキイキと働く悟りの世界を詠っていることが分かる。

この公案は悟りの智慧である無分別智だけでなく、分別智の重要性を指摘した公案と言える。

無分別智の主体となる下層脳(脳幹+大脳辺縁系)だけでなく、

下層脳に分別智(理知性)の主体となる上層脳(=理知脳)を加えた全脳の働きの重要性を指摘している。

この点、分別智(=理知性)を軽視しがちな禅宗において、特異な公案と言えるだろう


   
43

43則: 首山竹箆(しっぺい) 

岩波無門関p.164〜166

本則:

首山和尚、竹箆(しっぺい)を拈じて衆に示して云く、

汝等諸人、若し喚(よ)んで竹箆と作(な)さば則ち触(ふ)る

 喚んで竹箆と作さざれば則ち背(そむ)く

汝諸人、且く道え、喚んで甚麼(なん)とか作さん?」


評唱:

喚んで竹箆と作(な)さば則ち触(ふ)る。 

喚んで竹箆と作さざれば則ち背(そむ)く。

有語なることを得ず、無語なることを得ず。

速かに道(い)え、速かに道(い)え。


頌:

竹箆を拈起(ねんき)して、殺(さっ)活(さっかつ)の令を行ず。

背触交馳(はいしょくこうち)、仏祖も命(めい)を乞う。



注:

首山(しゅざん)和尚: 首山省念(926〜993)。北宋の禅者。

風穴延沼(896〜973)の法嗣。法華経に精通し「念法華」と呼ばれた。

法系:臨済義玄→興化存奨→南院慧ギョウ→風穴延沼→首山省念

竹箆(しっぺい): 師家が修行僧を接得・指導するための道具。

割り竹を弓状に曲げ籐を巻き漆を塗って作る。長さは60cm〜1mである。

竹箆

図14.竹箆

 

交馳(こうち):駿馬などが並んで駆け足すること。

背触交馳(はいしょくこうち):背(背くこと)と触(捉われること)とがこもごもであること。

現代語訳

本則:

首山和尚は竹(しっ)箆(ぺい)を取り出して修行僧達に示して云った、

お前達、もしこれを竹箆と喚(よ)べば名前に捉われることになる

竹箆と喚ばなければ名前を否定することになる

さあ、お前達、これを何と喚ぶか言ってみよ」。


評唱:

もしこれを竹箆と喚(よ)べば名前に捉われることになる。

竹箆と喚ばなければ名前を否定することになる。

語ってもいけないし、黙ってもだめだ。さあ早く言え、早く言え。


頌:

首山和尚は竹箆を取り出して、

分別意識を掃蕩し「本来の自己」を復活させるため、

逃れようない命令を出した。

否定も肯定もできない問題を前にして、さすがの仏祖も命乞いをするだろう。






解釈とコメント


この公案は24則と36、40則に類似した公案である。

竹箆を竹箆と見るのは一般の凡夫の見方で、凡見である。

しかし、第8則でも述べたように大乗仏教の基本的見方は空観である

(「空と空観」については中観仏教を参照)。

空観では、一切の存在・現象は因縁(条件)によってそのように存在するだけで、

その因縁(条件)が消滅・変化すればによってその存在も消滅・変化する。

それを「因縁所生の法は空である」と言う。 

脳内現象もそのような空的現象言える。

禅では無分別智の主体となる下層脳(脳幹+大脳辺縁系)を絶対平等の無の世界と言う。

下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)は無意識脳なので絶対平等の無の世界だと言っても良いだろう。

これに対し分別意識の主体である上層脳(大脳新皮質、理知脳)は分別差別の世界である。

竹箆という名前を付け他の物と分別差別するのは

この上層脳(大脳新皮質=理知脳)のハタラキである。 

本則では竹箆と呼べば分別意識(凡見)に捉われることになる。

だからと言って竹箆でないと否定すれば絶対無の沈黙の世界(下層脳)に落ち込む。

竹箆を竹箆とする立場は第37則の(語の立場)に対応し、

竹箆を竹箆としない立場は第37則の(黙の立場)に対応している。 

この二つの立場以外にも第三の立場が考えられる。

竹箆を竹箆とする立場(語の立場)と竹箆を竹箆としない立場(黙の立場)

のどちらにも拘らない第三の立場である。

この三つの立場をを次の表7にまとめる。 

表7竹箆に対する三つの立場の分類

立場 竹箆と喚ぶかどうか意識と脳語か黙か有語か無語か
@竹箆と喚ぶ分別意識(上層脳)有語
B@とAの立場に捉われない
A竹箆と喚ばない無意識(下層脳)無語

立場@は竹箆を竹箆とする「語の立場」に対応し凡夫の見方である。

立場Aは竹箆を竹箆としない「黙の立場」に対応し絶対無に落ち込む。 

立場Aは悟りの心に通じる面もあるがそれに執着すれば、

ハタラキのない沈黙の絶対無に落ち込む。

それは一種の禅病でもある。

本則で首山和尚はさあどうすると我々に迫っている。 

第36則に於いて五祖法演は「語黙をもって対せざれ」と言っている。

それは立場@と立場Aのどちらにも拘ることなく自在に行けという意味である。 

表7ではBの立場に相当する自由な立場だと言える。これを図14で説明しよう。

普通の論理では立場@と立場Aのどちらかである。Aであるか非Aであるかのどちらである。 

アリストテレスの論理学(欧米の論理)はこの二元的論理である。

これは図14のx軸の正、負で示す。 

 
竹箆

図14.語・黙に拘らない第3の立場 

第Bの立場はAでもない非Aでもない双非の論理(四句論理、25則参照)に立っている。 

(四句論理については「25則参照」を参照)。

この立場はアリストテレスの二元的論理を超えた論理で、

図に示したように、x軸に垂直な軸で示すことができる。

この立場は二元的論理を超えた三元的論理と言えるだろう。 

これが禅の無分別智(仏智)と言ってよいだろう。 

第40則において、百丈和尚が浄瓶を地上に置いて、

これを浄瓶と呼んではならない。さあ、お前達はこれを何と呼ぶか?」

と質問した時、首座(しゅそ)は、

まさか木片と呼ぶわけにもいきません

と答えた。 

次に百丈がイ山(いさん)に向き直って

お前はどうだい」と聞いた時、

イ山は直ちに浄瓶を蹴飛ばして出て行った。 

このイ山(いさん)霊祐の答えが語黙を超えた第Bの立場だと言って良いだろう。 

この語黙を超えた無分別智からAや非Aという分別意識が発生すると考えると、

語黙を超えた第Bの立場は、「正位」の立場だと言って良いだろう

(正位については「洞山五位」を参照)。


   
44soku

44則: 芭蕉シュ杖(しゅじょう) 

岩波無門関p.167〜168

本則:

芭蕉和尚、衆に示して云く、

汝にシュ杖子(しゅじょうす)有らば我汝にシュ杖子を与えん

汝にシュ杖子無くんば、我汝がシュ杖子を奪わん


評唱:

扶(たす)けては断橋(だんきょう)の水を過ぎ、伴(ともな)っては無月の村に帰る。

若し喚(よ)んでシュ杖と作さば、地獄に入ること箭(や)の如くならん。

。 


頌:

諸方の深(しん)と浅(せん)と、都(すべ)て掌握(しょうあく)の中に在り。

天をささえ並びに地をササ(ささ)えて、随処に宗風を振るう。



注:

芭蕉和尚: 芭蕉慧清禅師。新羅(朝鮮)の人。唐代の禅者。

イ仰宗の第三世南塔光湧(850〜938)の法嗣。

生没年不明であるが九世紀に活躍した人だと考えられる。

法系:イ山霊祐→仰山慧寂→南塔光涌→芭蕉慧清

シュ杖子(しゅじょうす): 

インドにおいて老人や病人が身体を支える杖として用いた。

ここでは「本来の面目(仏性、真の自己)」としての脳を喩えている。


現代語訳

本則:

芭蕉和尚は衆に示して云った、

お前達にシュ杖子(しゅじょうす)が有ったならば、私はお前にシュ杖子を与えよう

お前にシュ杖子が無ければ、私はお前のシュ杖子を奪おう


評唱:

橋の無い川を渡る時には助けとなり、月の無い闇夜には村に帰る伴をする。

若しこれをシュ杖と喚(よ)ぶならば、箭(や)のように地獄に落ちるだろう。

。 


頌:

禅僧の境地の深浅は全て杖を握ったその手にあるのだ。

彼の杖は天地をささえて、随処にその実力を振るっている。





解釈とコメント


シュ杖子(しゅじょうす)とは禅僧が持つ長い杖であるが、

禅では悟りやその本体である下層脳中心の脳(仏性、真の自己)を象徴的に表してしている。 

当時は脳や脳機能が分かっていなかったので、シュ杖子でそれを象徴的に表わしたのである。 

従って、本則の芭蕉和尚の言葉「汝にシュ杖子が有ったならば、私はお前にシュ杖子を与えよう

お前にシュ杖子が無ければ、私はお前のシュ杖子を奪おう」を分かり易く訳せば、 

もし、お前達が悟りというシュ杖子を持っているという意識が有るならば

私はお前を本物のシュ杖子でぶんなぐってやろう(シュ杖子を与えよう)」。

もしお前が『悟りのシュ杖子を持っていますとかいうような

そんな汚らわしい意識なんかもうとっくに捨ててすっからかん(空)になっていますよ

と言うならば、

更にその何も無いという空無の意識も根こそぎ徹底的に奪ってしまうぞ

と言っているのである。 

評唱」では、

このシュ杖子(脳)さえ有れば、それに助けられて橋の無い川を渡ることができる

またこのシュ杖子(脳)さえ有れば、真っ暗な闇夜でもお陰で無事村に帰って行くことができる

 もしこれ(脳)をシュ杖子と喚(よ)んで執着するならば、箭(や)のように地獄に落ちるだろう

と言っている。  

 「」では、

このシュ杖子(=)さえ有れば、

諸方の道場にいる師家や禅僧の悟りの境地の深浅を全て掌中にあるように

はっきり見抜くことができる。

このシュ杖子(=仏性、健康な脳)は仏法の天地を支え、

随処に仏祖正伝の禅風を挙揚しその実力を振るっていると、

シュ杖子(=仏性、健康な脳)の自由自在のハタラキを讃美している。 

「碧巌録」の第60則には「雲門シュ杖子」と言うこれに類似した公案がある。  

(「碧巌録」第60則を参照)。


   
45soku

45則: 他是阿誰(あた)  

岩波無門関p.169〜170

本則:

東山演師祖(しそ)曰く、

釈迦弥勒(みろく)は猶(なお)お是れ彼の奴

且く道え、彼は是れ阿誰(あた)ぞ?」


評唱:

若也(もし)彼を見得(けんとく)して分暁(ふんぎょう)ならば、

譬(たと)えば十字街頭に親爺(しんや)に撞見(どうけん)するが如くに相い似て、

更に別人に問うて是(ぜ)と不是(ふぜ)と道(い)うことを須(もち)いず。

。 


頌:

他の弓挽(ひ)くこと莫れ、他の馬騎(の)ること莫れ。

他の非弁ずること莫れ、他の事知ること莫れ。



注:

東山演師祖: 五祖法演(?〜1104)のこと。北宋の禅者。

臨済宗楊岐派、白雲守端(1025〜1072)の法嗣。第35則を参照。

法系: 臨済義玄・・・・→石霜楚円→楊岐方会→白雲守端→五祖法演 

阿誰(あた): 阿は親しみを込めた接頭語。誰に同じ。

彼は是れ阿誰ぞ?:釈迦や弥勒の本体としての仏性(脳)は一体誰だろうか?という意味。

分暁(ふんぎょう):はっきり。

彼を見得して分暁ならば:彼(仏性)をはっきり見るならば。


現代語訳

本則:

五祖法演禅師は云った、

釈迦や弥勒(みろく)といえども猶(なお)彼の使用人(奴)に過ぎない

では彼とは一体誰のことだろうか?」


評唱:

もし彼をはっきりと見抜くことができるならば、たとえば、

賑やかな街の雑沓の中で自分の父親に出会ったようなもので、

これが自分の父親であるかどうかを他人に聞く必要は無い。


頌:

他人の弓を挽(ひ)いてはならない。他人の馬に騎(の)ってはならない。

他人の非を言ってはならない。他人の事を知ってはならない。




解釈とコメント


  五祖法演禅師の質問「釈迦や弥勒(みろく)といえども猶(な)彼の使用人(奴)に過ぎない

では彼とは一体誰のことだろうか?」に出てくる彼とは誰のことだろうか?

ここで彼とは釈迦や弥勒の本体としての仏性を指している。 

彼(仏性)とは我々の意識や悟りの本体である真の自己(=下層脳を中心とした脳)のことである。

第8章「禅の根本原理」を参照)。 

衆生本来仏であるから、我々皆は悟りの本体である脳を持っている。 

それは釈迦如来や弥勒菩薩といえども猶(な)お使用人(奴)のように使うことができる偉大な潜在的能力である。 

その事実を掴まえ真の自己(=下層脳を中心とした脳)に目覚めるのが悟りであり見性である。

  本則は釈迦や弥勒を使用人(奴)のように使う悟りの本体である真の自己(=脳)に疑問を集中しそれに目覚めること

を促している。 

  「評唱」では

「もし彼(脳=真の自己)をはっきりと掴まえ見抜くことができるならば、

  たとえ賑やかな街の雑沓の中で自分の父親に出会ったようなものであると言っている。 

  父親とは勿論父母未生以前の古い歴史を有する本来の面目(=脳)

  のことである。

これが自分の父親であるかどうかを他人に聞く必要が無い」と言っている。 

「頌」では 

   他人の弓を挽(ひ)いてはならない。 

   他人の馬に騎(の)ってはならない。 

   他人の非を言ってはならない。 

  他人の事を知ってはならない。 

と他人が4回も出てきている。

この他人は分別意識に捉えられた自己と対立する他人である。 

このような他人のことに関心を持つ暇なんかない。

そんな時間があれば、

もっと重要な真の自己の究明(坐禅修行)に努めなさいと言っているのである。

また、「頌」では

自他対立の分別意識や妄想分別に捉われて、真の自己を見失ってはならないと詠っている。 


   
46

46則: 竿頭進歩   

岩波無門関p.171〜173

本則:

石霜(せきそう)和尚云く、

百尺竿頭、如何が歩を進めん

又古徳云く、

百尺竿頭に坐する底(てい)の人、得入(とくにゅう)すと雖然(いえど)も未だ真と為さず

百尺竿頭、須(すべか)らく歩を進めて十方世界に全身を現すべし。」


評唱:

歩を進め得、身を翻(ひるがえ)し得ば、更に何れの処を嫌って尊(そん)と称せざる。

是の如くなりと雖然(いえど)も、且く道え、百尺竿頭、如何が歩を進めん。嗄(さ)。


頌:

頂門(ちょうもん)の眼(まなこ)を瞎却(かっきゃく)して、

錯(あやま)って定盤星(じょうばんじょう)を認む。

身を捨て能く命を捨て、一盲衆盲を引く。



注:

石霜(せきそう)和尚: 石霜楚円(臨済下七世、987〜1047)。

無門慧開は石霜楚円の九代目の法孫にあたる。

法系: 臨済義玄・・・・→風穴延沼→首山省念→汾陽善昭 →石霜楚円 

古徳:長沙景岑のこと。

長沙景岑は南泉普願の法嗣で峻烈な機鋒で知られ、

仰山から岑大虫と呼ばれた。

百尺竿頭:100尺(30m)もある長い竿さおの先。到達すべき極点。

十方世界:東西南北の四方と、四維(四方の中間位)に上下の十方となる。 全空間。

嗄(さ):シャッ、という声。ああ、という感嘆の声。

定盤星(じょうばんじょう):天秤の棹の起点にある星形の印のこと。

物の軽重に関係のない無駄目。

頂門(ちょうもん)の眼(まなこ):

頭の頂にあるとされる第三の眼。肉眼で見えない世界を見る眼とされる。

一盲衆盲を引く:「大般涅槃経」の

一盲の人色を見ること能わず。衆盲を伴なうといえども亦た見ること能わざるが如し

を引用している。一盲が衆盲を導くように、迷える衆生を導くような人となるだろうという意味。

ここで一盲の人とは悟りの粕・臭みなどををすっかり捨て、

悟りの本体である下層脳を自由にできるた本当の盲人(大悟した人)を指し、

衆盲とは世の中の本当の盲人(迷える凡夫)達を指すと考えると分かり易い。


現代語訳

本則:

石霜(せきそう)和尚が云った、

百尺の竿頭に在る時、どのようにして更に一歩を進めたらよいだろうか?」

又古徳は云った、

百尺竿頭に坐りこんでいる人は、一応そこまでも行ったにしても未だ真の境地ではない

百尺竿頭からさらに一歩を進めて十方世界に自己の全身を発現すべきだ。」


評唱:

百尺竿頭から一歩を進めて十方世界に全身を発現できたならば、

ここは場所が良くないとか尊くないと言って嫌うようなことがあろうか。

たとえそうであったにしても、

百尺竿頭からどのよにして一歩を進めたら良いか言って見よ。ああ。


頌:

頂門(ちょうもん)の眼(まなこ)を失えば無用のものに眼がくらむ。

身命を投げ捨ててこそ、迷える衆生を導く人となるだろう。




解釈とコメント


本則の解釈について、「禅の心髄 無門関」の著者安谷白雲老師は

禅修行において経験する難関を

百尺竿頭」と言う言葉によって禅修行者に伝えようとしているのだと説明している。

この説明は分かりやすく、説得力があるように思われる。

禅修行の難関に譬えられる「百尺竿頭」には二種類ある。

悟る以前の「百尺竿頭」と悟った以降の「百尺竿頭」である。

安谷説に従って以下に説明する。 


悟る前の「百尺竿頭」


無字なら無字の公案に参じた禅修行者が行き詰まって公案を銀山鉄壁にぶち当たったように感じてどうにもならなくなった状態:

を悟る前の「百尺竿頭」と言う。

それはあたかも「百尺竿頭」に上り詰めたようなものである。 

そこにしがみついていたらいつまで経っても公案は解決しない。

そこで、思い切って「百尺竿頭」を更に進み、放身捨命の覚悟で頭の中の妄想雑念を掃蕩する時忽然として大悟する。

これが悟る前の「百尺竿頭」である。 


悟った後の「百尺竿頭」


百尺竿頭に坐する底」とは悟りにしがみ付き安住している状態を言う。 

そう言う状態に陥った禅修行者は死人同様で役に立たない。

一旦悟ったらその悟りの粕や臭みを取り除き、更に一歩も二歩も前進しなければならない。 

小安に安住することなく、悟後の世界を深め大悟徹底する必要がある。 

悟後の世界を深め大悟徹底する禅修行者の前に出現する関門が悟った後の「百尺竿頭」である。 

悟った後の「百尺竿頭」は普通複数回体験する。

これに対し、悟る前の「百尺竿頭」は一度である。

本則の古徳云く、「百尺竿頭に坐する底(てい)の人・・・・」の古徳は長沙景岑を指している。 

百尺竿頭からさらに一歩を進めて十方世界に自己の全身を発現すべきだ。」

という長沙の言葉は悟った後の「「百尺竿頭」」について言っている。 

折角初関を通って悟っても「百尺竿頭」(悟りの境地)に満足し安住していたら、未だ本当の悟りではない

そこから更に歩を進めて十方世界に全機全能を発現させて、初めて大悟徹底できるのである。

我が国の白隠禅師と同様、長沙景岑は「悟後の修行」を重視していることが分かる。 

(「白隠禅の特徴」を参照)。


評唱」では

初関を通った後、「百尺竿頭」(悟りの境地)から更に歩を進めて転身自在ならば、

行くとして可ならざるはなく、

所として通ぜざるはなしといった天上天下唯我独尊の人になる。

しかし、それは言うは易しいが、その境地に到達するのは容易なことではない。

さあ、どう進めるかまあ言って見なさいと言っている。 

」では

たとえ悟ってもその悟りに執着し安住していては

悟りの固定観念に陥って大悟徹底はできない。

迷いは勿論、悟りの粕・臭みをすっかり捨てて本当の盲人

悟りの本体である下層脳を自由にできる人)になってこそ、

世の中の盲人(迷える凡夫)達を導くことができるのだと詠っている。 


   

47則: 兜率三関    

岩波無門関p.174〜177

本則:

兜率悦(とそつえつ)和尚、三関を設けて学者に問う、

撥草参玄(はっそうさんげん)は只だ見性を図る。即今上人の性、甚れの処にか在る?」


自性(じしょう)を識得(しきとく)すれば方(まさ)に生死(しょうじ)を脱す

眼光(がんこう)落つる時、作麼生(そもさん)か脱せん?」


生死を脱得すれば便ち去処を知る。四大分離して甚(いず)れの処に向ってか去る?」



評唱:

若し能く此の三転語を下し得ば、便ち以って随処(ずいしょ)に主と作(な)り、

縁に遇うて即ち宗なるべし。

其れ或いは未だ然らずんば、麁(そ)サンは飽き易く細嚼(さいしゃく)は飢え難し。

頌:

一念普く観ず無量劫、無量劫の事即ち如今。

如今箇の一念をショ破すれば、如今観る底の人をショ破す。



注:

兜率悦和尚: 兜率従悦(とそつじゅうえつ、1044〜1091)。北宋の禅者。

宝峰克文(ほうぼうこくぶん、1025〜1102)の法嗣

法系:臨済義玄→(五伝}→石霜楚円→黄龍慧南→宝峰克文→兜率従悦

撥草参玄(はっそうさんげん):草の根を分けて諸方を遍歴し

明眼の師に参じて宗旨を究めること。

見性:自己本来の根源的心(=本来の面目)を見徹すること。

「直指人心、見性成仏」は坐禅修行の目的である。

自性(じしょう):自己の本性(真の自己)。「六祖檀経」に見られる言葉。

自性を識得する。:見性する。

眼光(がんこう)落つる時:、死ぬ時。

四大分離:四大は古代の宇宙観におけるあらゆる存在を構成する

四大元素である「地水火風」を指す。四大分離は死を意味する。

40則の「評唱」にあった「地水火風 一散」と同じ。

三転語:三関に対応し、核心をつく適切な言葉。

随処(ずいしょ)に主と作(な)る:「臨済録」示衆に見える

随処(ずいしょ)に主と作(な)れば、立処皆な真なり」の言葉を受ける。

(臨済録示衆8−2を参照)。

いかなる環境に於いても主体性を持って行動すれば真実に適うという意味。

縁に遇うて即ち宗なるべし。:諸縁に遇って出てくる自己の働きがすべて仏法に契うだろう。

麁サン(そさん):粗末な食事

麁サンは飽き易い:粗末な食事はがつがつ食ってすぐ腹一杯になるが、すぐひもじくなる。

細嚼(さいしゃく):食物をよく噛んで味わって消化すること。

劫(こう):劫については種々の説がある。

払石劫説によれば、四十里四方の巨石に百年毎に天女が舞い降りてきて、その袖で石を払い、

やがて石がすっかり磨り減って無くなった時を1劫とする。

無限に長い時。無限を意味する数の単位。

ショ破(しょは)す:見破る。


現代語訳

本則:

兜率従悦和尚は三つの関門を設けて参禅修行者に問うた、

諸方を遍歴し明眼の師に参じて宗旨を究める目的は只だいかにして見性するかにある

1.

さあ即今あなたの自性はどこに在るか?」


自性を明らかにすれば、直ちに生死を超脱することができる

2.

ではあなたの眼光が落ち、死ぬ時、どのように死んだらよいだろうか?」


生死を超越できれば死後の行き先も分かる

3.

四大分離して死んだ時あなたは何処に向って去るのだろうか?」


評唱:

若しこれらの三の問いに対して核心をつく適切な言葉を言うことができれば、

何処に居ても主体性を発揮して環境に支配されるようなことはないだろう。

もし未だそのようにはなれないならば、

がつがつとあわてて食って直ぐ腹が減るといった食べ方を止めなさい。

良く咀嚼して食べれば飢えるようなことはないだろう。  


頌:

一念で無眼の時間を観ずれば、無眼の時間は今にある。

今この一念を見破れば、今その一念を観ている人を見破ることができるだろう。




解釈とコメント


この公案は「兜率の三関」と呼ばれ、臨済下では涅槃堂裡の禅と称し、

死に臨む人の心得と言われる。

第一関は修行者が参禅弁道する目的は見性悟道にあると

禅の目的を述べている。

そこで、お前さんの本性はどこにあるか、どんなものか、さあ出して見せなさいという問題である。

第二関は見性悟道して生死の問題に決着が付けば、生死が気にかからなくなる。

そうなったら、死に臨んでどんな死に方をするかという問題である。 

第三関は見性悟道して生死の問題に決着が付けば、死後どうなるかが分かるはずだ。

さあ、死後はどうなるかはっきり答えなさいという問題である。 

これらの問題は参禅して、老師に独参した時、室内で取り扱われる。 

第二関と第三関は無門関の解説書では、伝統的仏教の輪廻転生説に基づいて解説されることが多いようだ。

伝統的仏教の輪廻転生説は古代インドの輪廻転生説に基づいている。 

古代インドの輪廻転生説はチャーンドーギヤ・ウパニシャッドの「二道五火説」に起源を持つ単なる想像説である。

「輪廻転生と二道五火説」を参照)。 

伝統的仏教の輪廻転生説は科学的評価や検証に耐える客観的な根拠を持っていない。

現在でも、脳幹死を真の死と考えるかどうかなど、死の定義に関して議論は多い。

現代医学の著しい進歩によって死生観は現在と昔はかなり違って来ている。 

生死の問題については、このような現代医科学の進歩を考慮に入れて考える必要があろう。 


評唱」では、

もし、この三関に対して、それぞれ適当な一句を下すことができれば、

随処に主人公として主体的に振舞うことができるだろうと言っている。

しかもそれが仏法に適った振る舞いになっているのだ。

もし、それができなければこの公案に真剣に参じてその精神をよく噛みしめ、よく味わわなければならない。 

丸飲みすれば一時的に腹が膨れるかも知れないが、すぐ空腹になる。

よく咀嚼して味わわなければならないと言っている。

」では無眼の過去や未来は我々の頭で想像するだけで実体はない。

しかし、現在の一念には無眼の過去と未来が収まっている。

無眼の過去や未来は一念が集積し、そこから出ているものだからである。

即今の一念はそういう大切なもので絶対的価値を持っている。

即今の一挙一動、一念一思が全自己である。 

そのような一念を見破れば、

今その一念を観ている人(=真の自己)を見破ることができるだろうと詠っている。 

   
48

48則: 乾峰一路     

岩波無門関p.178〜181

本則:

乾峰(けんぽう)和尚、因みに僧問う、

十方薄伽梵(ばぎゃぼん)、一路涅槃門(いちろねはんもん)

未審(いぶか)し路頭甚麼(いずれ)の処にか在る?」。

峰、シュ杖(しゅじょう)を拈起(ねんき)し、劃(かく)一劃して云く、

者裏に在り」。

後に僧、雲門に請益す。

門、扇子を拈起(ねんき)して云く、

扇子勃跳(ぼつちょう)して三十三天に上って

帝釈(たいしゃく)鼻孔(びこう)を築著(ちくじゃく)す

東海の鯉魚(りぎょ)、打つこと一棒すれば雨盆を傾くに似たり」。


評唱:

一人は深深たる海底に向って行いて、簸土(ひど)揚塵(ようじん)し、

一人は高高たる山頂に立って、白浪滔天(はくろうとうてん)す。

把定放行、各一隻手を出して宗乗を扶竪(ふじゅ)す。

大いに両箇の馳子(だす)、相い撞着するに似たり。

世上応に直底(じきてい)の人無かるべし。

正眼(しょうげん)に観来れば二大老、惣に未だ路頭を識らざる在(な)り。

頌:

未だ歩を挙(こ)せざる時、先ず已(すで)に到る。

未だ舌を動ぜざる時、先ず説き了(おわ)る。

たとい著著(じゃくじゃく)機先に在るも、

更に須らく向上の竅(きょう)有ることを知るべし。



注:

乾峰(けんぽう)和尚: 越州乾峰(えっしゅうけんぽう、生没年不詳)。

唐末の禅者。曹洞宗の洞山良价(807〜869)の法嗣。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→雲巌曇晟→洞山良价→越州乾峰

薄伽梵(ばぎゃぼん):仏の十号(十の名前)の1つ。

梵語bhagabatの主格bhagabanの音写で世尊と漢訳する。

十方薄伽梵とは十方の諸仏という意味である。

「十方薄伽梵(じっぽうばぎゃぼん)、一路涅槃門(いちろねはんもん)」:

「十方薄伽梵、一路涅槃門」という言葉は首楞厳経卷五の

「阿毘達磨は十方の薄伽梵、一路涅槃の門なり」からの引用である。

「法の研究(阿毘達磨)は諸仏(十方の薄伽梵)にとって、悟りに至る一路である

(一路涅槃の門なり)」という意味である。

請益(しんえき):教えを請うこと。

三十三天:古代インドの世界観に須弥山説がある。

須弥山説では世界の中心に須弥山(高さ約64万km)という超巨大な山が聳える。

その山の中腹より上方に天上界が存在するとされる。

天上界には下から欲界天、色界天、無色界天の三界天がある。

欲界天には四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)が住む四天王天がある。

三十三天は四天王天のすぐ上にある天である。

この天には善見城があり帝釈天(インドラ神)が住むと言う。

「須弥山説と天の構造」を参照)。

帝釈:帝釈天。インドラ神。

インドラ神はインド最古の文献「リグ・ベーダ」賛歌

における最高の神で雷神の性格が強く、ギリシャ神話のゼウスに似た神である。

後世、仏教に取り入れられ仏教の守護神帝釈天となった。

帝釈天は三十三天の主である。

簸土揚塵(ひどようじん):土砂をふるい粉塵をまき上げること。

白浪滔天(はくろうとうてん):海の水が天に届くほど溢れる様子。

著著(じゃくじゃく):碁の一手一手。

碁盤に石を下ろすことを一著と言う。一歩一歩。

馳子(だす):駱駝のこと。

竅(きょう):竅(きょう)は穴のこと。

万物が出入りする所で、碁に於いては手を下す要関をさす。


現代語訳

本則:

ある時、僧が越州乾峰和尚に聞いた、

楞厳経には『十方の諸仏は、一つの路を通って悟りに入られた』とあります

一体その路は何処にあるのですか?」。

乾峰和尚は、シュ杖を持ち上げて、空中に一線を劃して云いった、

ここに在るじゃないか?」。

しかし、僧はこの返答の意味が分からなかった。

僧は、後になって、雲門禅師の処に行って同じ質問をして教えを乞うた。

雲門は扇子を持ち上げて云った、

それはあたかも扇子が三十三天に跳び上って

帝釈天の鼻に当たって突き上げるようなものだ

また池で泳いでいる鯉を棒で一打すれば

お盆をひっくり返したように水が飛び散るのに似ているよ」。


評唱:

一人は深深とした海底に入って、砂塵を上げ、

一人は高く聳える山頂に立って、海の水が天に届くほど溢れさせている。

一人が引き締めると、もう一人は緩める。

こうして互いに片手を出し合って禅宗を支えているわい。

まるで二頭の駱駝が頭をつき合わせているようだ。

世間ではこれに立ち向かって行くだけの力のある人はいないようだ。

しかし、この無門が正眼(しょうげん)で見れば、

乾峰と雲門の二大老は、未だ本当の「悟りの一筋路」を知らないようだ。

頌:

足を運ばないのに、もう着いている。

未だ舌を動かしていないのに、もう説き了(おわ)っている

たとい一手一手と機先を制して打っても、更に高い禅の境地が有るのだ。




解釈とコメント


ある時、僧が、首楞厳経の文句「十方薄伽梵、一路涅槃門」を引用して

『十方の諸仏は、一つの路を通って悟りに入られた』とありますが

一体その路は何処にあるのですか?」と越州乾峰和尚に質問した。 

乾峰和尚は、シュ杖(しゅじょう)を持ち上げて空中にグーと一直線を描いて

ここに在るじゃないか」と示した。 

これは馬祖禅の<作用即性>の思想を

シュ杖を動かすことによって示したと考えれば良く分かる(第25則の図10、11を参照)。 

第25則の図10を参照)。 

シュ杖を持って動かしているのは手ではない。

悟りの本体としての法身仏(=脳)から出ている運動指令に基づいて

シュ杖を持ち上げて空中に一直線を描いていることを示したのである。 

しかし、僧は乾峰和尚が何を教えてくれたのかサッパリ分からなかった。

僧は、後になって、雲門禅師の処に行って同じ質問をして教えを乞うた。 

雲門は扇子を持ち上げて、

それはあたかも扇子が三十三天に跳び上って

帝釈天の鼻にピシャリとぶち当たったようなものだよ

また池で泳いでいる鯉にそーっと近づいて棒で一打すれば

鯉はバシャーンと跳ねてあたりは水だらけになってしまうのに似ているよ」と答えた。 

雲門は脳神経系の自由でダイナミックな働きを鯉の動きに譬えて答えたと考えればよく分かる。 


本則では乾峰と雲門は悟りの本体である脳の働きを一直線を描いたり譬え話で教示している。 

しかし、中国の唐代には現代のような脳科学がなかった。

そこでこのように親切に教示されてもこの僧にはサッパリ分からなかったものと思われる。 

」では

未だ歩も踏み出さないのに、到り着く

と足を動かす前に脳が動くことで歩行するという中枢神経系の働きを詠っている。

未だ舌を動かしていないのに、もう説き了(おわ)っている」とは、

大脳のブローカ野(運動性言語中枢)の働きで舌が動き言葉をしゃべる

という事実を詠っていると解釈できる。

第20則:言葉をしゃべる脳の仕組みを参照)。 

未だ舌を動かしていないのに、もう説き了(おわ)っている」という表現は

脳神経系の動きが足や舌の実際の動き(歩行や話)に先行している事実を言っているのである。 

本則は20則と似た公案で、脳科学的観点からよく説明できる。

第20則を参照)。 


それでは、僧が、首楞厳経の文句「十方薄伽梵、一路涅槃門」を引用して

越州乾峰和尚に尋ねた「『十方の諸仏は、一つの路を通って悟りに入られた』とありますが

一体その路は何処にあるのですか?」という質問

に対する越州乾峰和尚の返答は何を意味しているのだろうか?


乾峰和尚は、シュ杖(しゅじょう)を持ち上げて空中にグーと一直線を描くことによって、

この動作の本源である脳が諸仏の悟りへの通路そのものでありここにあるじゃないか

と僧に直示し、回答したのである。 


   

「無門関」の参考文献


   

.西村恵信訳注、岩波文庫、「無門関」1994年、

.安谷白雲著、春秋社、禅の神髄 無門関、1965年.

.平田高志著、筑摩書房、禅の語録18 無門関、1969年.

4.飯田トウ隠著、森江書店、無門関鑽燧、1959年.

   

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