2009年1月作成

第10章 大乗仏教: その1


   

部派仏教から大乗仏教へ

 

10・1  部派仏教の成立と大乗仏教


- 大乗仏教はいかにして起こったか? -


 図10.1にブッダの死(仏滅)から部派仏教の成立に至る仏教の歴史を年表にした。仏滅の年代については諸説がある。簡単のためここでは宇井伯寿博士の説〜紀元前380年を採用する。


図10.1

図10.1インド仏教関連の歴史(I)

ブッダ滅後も一味和合し団結していた仏教教団もアショーカ王時代(B.C. 268〜B.C.232)保守派と進歩派に分裂する。時代と共にブッダ在世時代の戒律が社会に適合しなくなったためと、仏教に対する解釈の相違が表面化したためと考えられる。これを根本分裂と呼ぶ。

根本分裂によって西方の長老比丘を主とする保守派(上座部と長老部)と東方の自由な立場を主張する大衆部に分裂したと伝えられている。根本分裂後も仏教教団は分裂を繰り返した。これを枝末分裂と呼ぶ。

この結果紀元前100年頃までに約20あまりの部派が成立した。これを部派仏教(あるいはアビダルマ仏教)と呼ぶ。通例に従いブッダ死後から根本分裂まで比較的ブッダの教えが保持された仏教を原始仏教と呼ぶことにしよう。

ブッダ死後100年も立つとブッダに直接師事し悟りを体験した比丘もいなくなった。それとともにブッダの残した法に対する解釈に相違が出始め枝末分裂に至ったものと考えられる。

仏教には一神教に見られる異端を厳しく排斥するような異端審判の思想はない。考え方の違いから起きる分裂はもともと自由思想家であるブッダから生まれた仏教の宿命だと思われる。その他にブッダの原仏教が社会の変化に適応できなくなったことも変化の一因ではないだろうか。

ブッダの原始仏教では1)食事は托鉢で得る。しかも午前に一回である。2)金銀財物を蓄えることが禁止されている。3)快適な僧院に住むことより森や野山に臥し修行に専心することが求められている。

これは、欲望や渇愛が苦の原因だとする原始仏教の教義から来る。無一物の小欲知足の生活(頭陀行)(原始仏教その2、 「頭陀行」を参照)を理想とするからである。しかし、時代と共に生産力は増大し、社会が豊かになる。仏教が王族や富裕商人層からも支持されるようになると僧が精神界の特権階級となる。

僧院も整備され、僧はそこに居住し、僧団を維持運営するようになる。経済的により楽な生活と修行ができるようになる。そうなるとブッダの時代の小欲知足の戒律は守ることが困難になってきたと思われる。

部派仏教の成立はそのように考えると理解できる。多くの部派に分れたとはいえ、ブッダの教えである阿含経と戒律はまだ忠実に守られていたと言える。この時代に仏教の三蔵が成立する。


10.2  結集と三蔵の成立  


三蔵とは.仏教の基本的教理を述べた経蔵.戒律の集大成である律蔵.経典の注釈や基本教理の理論である論蔵、の三つを指す。

ブッダ入滅直後仏教教団の事実上の指導者であったマハーカッサパ(摩訶迦葉、まかかしょう、十大弟子の1人)を中心に500人の仏弟子が集まってブッダの教説を互いに確認しまとめる作業を行った。会議の席上でブッダの教説を誦出して全員の確認を求めた後これを仏説と決定した。これを第1次結集と言う。

この時の結集において教法(ダンマ)はブッダに25年間近侍したアーナンダ(阿難、あなん、ブッダの従弟)が主として誦出した。教団の規律は戒律に造詣が深かったウパーリ(優波離、うぱり)が主として誦出したと伝えられる。

漢訳仏典の多くの冒頭は「如是我聞(にょぜがもん)」(かくの如く我聞けり)で始まる。「如是我聞」とはこのように私(我)は聞いたと言う意味である。この我は25年近くブッダに近侍した記憶力抜群のアーナンダ(阿難、あなん)のことである。仏典がアーナンダの記憶に頼って編纂された故事に基づいている。

この第1次結集でまとめられた教法と規律は記憶に便利な偈とか短文(スッタ、経)であったと考えられる。その後100年ほど経って第2次結集がヴァイシャーリーで行われたと伝えられる。第2次結集は戒律に関する異端を正すため正統派が中心として開いた。仏滅100年後までには長文の経が作られていった。

仏滅100年後頃には教団に分裂が起こり上座部と大衆部に分かれた(根本分裂)と考えられている 。

この頃教説は経蔵(きょうぞう、スッタ・ピタカ)に教団規律は律蔵(りつぞう、ビナヤ・ピタカ)にまとめられた。上座部と大衆部はその後さらに分裂し、最後には合わせて18部派となった(枝末分裂)。また「経蔵」と「律蔵」は各部派ごとに伝持されるうちに若干の増補・変容を受けた。

この時代の教法に関する研究は「法の研究」(アビダンマ、音写して阿毘達磨(あびだるま)、漢訳して対法)と呼ばれ部派教団の中で盛んに行われた。この「法の研究」は一つにまとめられ西紀前後頃完成した。これを阿毘達磨蔵(あびだるまぞう、アビダンマ・ピタカ)あるいは「論蔵(ろんぞう)」と言う。この「経蔵」、「律蔵」「論蔵」を三蔵(ティピタカ)と言う。三蔵は一切経あるいは大蔵経とも言う。

中国唐時代の僧玄奘は三蔵法師として現在でも有名である。これは玄奘が経、律、論の三蔵にくわしい知識を有することから来ている。玄奘はその著「大唐西域記」の中で「彼がインドを旅行した8、9世紀頃まで部派仏教が盛んであった」ことを述べている。

三蔵成立までに仏教教団は3回の結集を行ったと伝えられる。第1回目は仏滅直後、第2回目は仏滅後100年である。第2回目の時「戒律」の解釈をめぐって教団内部に異論が生じ、ついに上座部と大衆部に分裂した(根本分裂)。

アショーカ王時代に同王の保護の下に首都パータリプトラで第3回結集が行われたと伝えられる。さらに、紀元後クシャーナ朝最盛期のカニシカ王(2世紀前半頃に即位?)の時代、王の援助のもと第4回の結集が行われたとも伝えられているがはっきりしたことは分からない。

部派仏教ではブッダの理法が既に変容し始めている。上座部系の法蔵部や犢子部(とくしぶ)においてはブッダが禁止した神呪を集めた明呪蔵を三蔵の外に設けたのである。

この事実は呪術的仏教としての密教の萌芽は部派仏教の時代にまで遡ることを示唆している。


10.3 阿毘達磨倶舎論(あびだるまくしゃろん)にみる部派仏教 


阿毘達磨倶舎論はヴァスバンドゥ(Vasubandhu, 世親 、320〜 400頃)によって書かれた。略して倶舎論(くしゃろん)と呼ばれる。阿毘達磨(アビダルマ)とは「法について」という意味である。部派仏教はアビダルマ仏教とも言われている。

阿毘達磨倶舎論には部派仏教の中で有力であった説一切有部(せついっさいうぶ)の教理がまとめられている。古来日本の仏教学では「唯識3年、倶舎8年」と言われてきた。これは唯識学(ここでは法相宗学の意味)は3年で卒業できても、倶舎論を修学するのには8年かかるという意味である。これほどアビダルマの教理は複雑で難解である。仏教におけるスコラ哲学という人もいる。

これは現代の科学や合理的観点からみると言われるほど難解ではない。極めて論理的であり整理してみると意外にやさしいのである。

よく無味乾燥な論理の羅列だと言われる。しかし、2000年前の仏教徒が仏教をどのように考えていたかを知ることができるので興味深い。その研究は思想の考古学と言っても良い側面を持っている。その概略をみよう。


10.4 説一切有部(せついっさいうぶ)の教理概説 


説一切有部(せついっさいうぶ)はその名前が示すように全てのものが存在すると考える。原始仏教はすべてを否定的に考えるのに対し全てのものが存在すると考える説一切有部の考えは際だっている。そして存在するものは法(ダルマ、Dharma)と呼ばれる。法(ダルマ、Dharma)は五位75法に分析される。


10.4-1

 五位75法 


五位とはすべての存在(ダルマ、法)を5つに分類したものである。色法、心王、心所有法(しんしょうほう、心作用)、心不相応行法(特に心とあい伴う関係にない法)、無為法(生滅変化しないもの) の5つから成る。表にまとめると次の75種類になる。


表10.1 五位75法の分類

No 五位 内容 種類 有為法or無為法
色法 五根、五境、無表色など 11 有為法(変化する法)
心王心の中心となるもの(=脳)
心所有法(しんしょうほう)心作用に伴なう法 46
心不相応行法心作用とあい伴なわない法14
無為法虚空、択滅無為(涅槃)、非択滅無為 無為法(変化しない法)
総合計75

表10.1で無為法とは虚空(大空)のように生滅変化しない法(=もの、存在)。択滅無為の択滅とは択力(ちゃくりょく)(=知恵の力)によって得られる煩悩の止滅=涅槃のことである。非択滅無為(ひちゃくめつむい)とは正しい智恵によらないダルマの止滅をいう。

涅槃とは正しい智恵(択力)によるダルマの止滅と定義されるので非択滅無為とは涅槃の反対概念である。具体性がないので単なる形式論理から生まれた概念とみてよい。

 無為法以外は生滅変化するもの(有為法)である。虚空(大気)も科学的に見ると変化している。本当は有為法に分類されるべきものであろうが大気の成分は肉眼で捉えることはできない。観測手段を持たない古代仏教徒は虚空(大気)は不生不滅の無為法と考えたらしい。心王とは心の中心となるようなものである。現代では脳と考えても良いだろう。

以上の全ての法を足し会わせると、

全ての法=色法(11)+心王(1)+ 心所有法(46)+心不相応行法(14)+無為法(3)=75

と合計75種の法に分類されることが分かる。これを5位75法という。75法のうち物質的なものは色法(11種)と、心王と虚空(空間)だけである。

その他はすべて心と心作用によるものである。75法の内72法が有為法(生滅変化するもの)で3法だけが無為法である。殆どの法が生滅変化する有為法である。諸法無常の原理は成立している。

説一切有部の教理は心と心理作用を中心とした世界観であると言える。五位75法は独立して実在しており、「自性」(実体ないし本体)を持つとする。これが説一切有部と言う名前の由来となっている。少し複雑であるがこの説は自己の心と心理作用から見た世界観である点原始仏教の伝統を受け継いでいる。

心理作用について実体を有する実在と考えたところは古代思想であるが、現代思想にも通じるところがある。神格化された仏はどこにもいない点など、大乗仏教のように宗教化はされていない。



10.5 アビダルマ仏教の考え方 



Aという人が怒るという事象を考えよう。アビダルマ仏教ではこれを次のように説明する。Aの「心」というダルマ(法)と「忿」あるいは「瞋」というダルマ(法)が結合して生じると考えるのである。

Aの怒りが止むのは「心」というダルマに結合していた「忿」あるいは「瞋」というダルマが「心」から脱離することによってAの怒りが止むと考える。

このような考え方は一見、幼稚な考えのようにと思える。しかし、「心」を脳、「忿」や「瞋」というダルマを神経伝達物質や脳内ホルモンに置き換えて考えれば面白くなる。

現代の脳科学では脳中(辺縁系)の扁桃体にCRFホルモンが分泌され作用することによって恐怖や不安の感情が生じると考えられているからである。「心」である(脳)に「瞋」を起こすCRFホルモンが結合して(分泌されたCRFホルモンが結合作用すると)人が怒るという事象が起こると読み換えればアビダルマ仏教の考え方と矛盾しない。

またアビダルマ仏教の教理では2心の併起を認めない。これも脳科学で解釈すると面白い。「2心の併起を認めない」とは心が働く時は2心が同時に働くことはないことを意味している。

六識の中のどれか一つが働く時、基本的にはどれか一つが働くだけである。例えば眼識が働く時(視覚が働く時)、視覚のみが働き、同時に耳識(聴覚)が働くことはないことを意味している。この主張は脳機能の観点から見て正しいと考えられる。

脳機能は脳の各領域に局在し、その機能を分担していることが脳神経科学で分かっている。視覚が働いている時は、基本的に視覚領域が働き見るという作業に集中しているのである。このため視覚を働かせながら聴覚も同時に機能させるような作業は困難である。

脳が集中できるのは一つだけだと考える「サーチライト仮説」がある。これに近い考え方である。

食べながら(味覚を働かせながら)考える(意識を働かせる)ことをするとどちらかの能率を犠牲にしている。深く考えながら充分味わうようなことは普通できない。考えながら(意識を働かせながら)聞く(聴覚を働かせる。)ことも困難なことが多い。

例えば上司からしかられた場合を考えよう。何か馬鹿なことをしでかした場合も何でこんなことをしたのか。こうすればもっと良かったのにと反省の心で自分の考えが一杯になってしまう。そんな時に、他人が難しい話しをして来ても、注意は話しを聞くことに向かない。そんな時には話が理解できないのが普通である。これも「2心の併起は不可能」な例となろう。

ではムード音楽やクラシックの好きな曲を聞きながら単純な手仕事をする場合は能率が上がるではないか?と言う反論が出るかも知れない。この場合ムード音楽や好きなクラシック音楽は既に良く聞いていて、それを聴くことにエネルギーを使わなくても良く分かる場合が多い。そんな場合にはぼんやり聴いていても(聴き流しながら)心は充分リラックスできる。そのような時には仕事に集中できて単純な手仕事ははかどる。2心は併起していないことになる。

「2心の同時併起は不可能である」という考えと矛盾しない。「ながら」族は良い(高度な)仕事はできないと結論しても良いだろう。このようにアビダルマの教理は脳科学で解釈すると面白いことが多い。



10.6 アビダルマ仏教における心作用(心所有法) 



アビダルマ仏教(説一切有部)の教理の特徴は心理作用の分析にある。心所有法(しんしょうほう)は次の表に示すように46種に分類される。


表10.2 心所有法の分類

No 心所有法 内容 種類
大地法 最も普遍的な10種の心作用 10
大善地法 すべての善心とあい伴なうもの 10
大不善地法 すべての悪心とあい伴なうもの
大煩悩地法 二つのけがれた心に伴なうもの 10
小煩悩地法 ある種の悪心とけがれた心にあい伴なうもの 10
不定法 ある時は善心と、ある時は悪心と、ある時は無記の心とあい伴なうもの
総合計46

以上で、無記とは善でも悪でもない中性のものを言う。善とも悪ともはっきり判断できないものである。以上の1〜6を足すと46種になる。このように心所有法(心作用)は46種に分類される。



10.7 アビダルマ仏教における聖者への道:


三学道と四向四果を経た阿羅漢(あらかん)・ブッダへの道



部派仏教では出家修行者が悟りを開くまでの過程を3段階(三学道)と4段階に分けて次のように説明する。4段階は四向四果と呼ばれる。悟りは煩悩を断ち切ることによって得られるとされる。煩悩は次の2つに分類される。

1.見所断の煩悩:

四諦の真理を理知的に理解することで断ち切ることが可能な煩悩、理知的に理解できれば断ち切ることができる比較的克服し易い煩悩。

2.修所断の煩悩:

情、意の面での煩悩。禅定三昧を修行して真理の観知を繰り返し行わないと断ち切ることができない。この煩悩は単なる理知では滅尽不可能な根深い煩悩である。主として、貧、瞋、痴、慢の4つの煩悩。

修所断の煩悩を断ち切るための修行法には次の3つの修行をする。

1. 不浄観:

放置された死体(死屍)が次第に腐敗して遂に白骨化するまでの姿を心中に観想することによって性欲を制御する。

2. 持息念:

呼吸法の修行をする。

3. 四念住:

身体は不浄である、感受は苦である、心は無常である、すべての事物は無我である、という四つを観念する(心に思い浮かべる)修行をする。

三学道は次の表にまとめられる。


表10.3 アビダルマ仏教における悟りへの三階梯(三学道)

階梯 名称 内 容
1見道 見所断の煩悩を断ち切る過程
修道 修所断の煩悩を断ち切る過程
無学道 見道、修道の修行を完成して到達できる境地

注:無学とはこれ以上学ぶことはないという意味。

表10.3の修行の結果として得られる四向四果はまとめると次のようになる。


表10.4 アビダルマ仏教における修行の成果:四向四果

階梯 名称 内 容
1シュダオン:預流果 第一果:初めて法の流れに入った者
シダゴン:一来果 第二果:悟りを達成するまでに一度だけこの世に還って来る者
アナゴン:不還果 第三果:輪廻を解脱しもはや二度とこの欲界に還って来ない者
阿羅漢:無学、応供 第四果:供養を受けるにふさわしい者

不浄観、持息念、四念住などの修行法や表10.3 に示した三学道は修行法とそのプロセスを示している。表10.4の四向四果はその修行の成果を言っていることが分かる。 このような修行によって実際に四向四果が得られるかどうかは疑問であろうが、ここに描かれた悟りへのプロセスは論理的かつ具体的である。これはアビダルマ仏教の特徴と言えるだろう。


部派仏教における最高位の聖者は阿羅漢(あらかん)(Arhat、アルハット)と呼ばれる。阿羅漢(あらかん)は羅漢(らかん)と同じで、無学あるいは 応供(おうぐ)とも呼ばれる。原始仏教では阿羅漢はブッダと同じ意味で用いられた。 

ゴータマ・ブッダが五比丘に教えを説いた(初転法輪)のち、五比丘もゴータマ・ブッダと等しく悟りの境地に至ることができた。この時のことを古い仏典は「ここに世に6人の阿羅漢があった。」と表現している。ゴータマ・ブッダもこの6人の阿羅漢の1人であり平等であるとされていた。このように阿羅漢は部派仏教時代までは仏教の最高位に位置する聖者とされ尊敬されていた。凡夫から阿羅漢への道はもっぱら煩悩を断ち切る修行をすれば到達できる道であり万人に開かれている。

しかし、凡夫から阿羅漢への道は広く開放されていると言っても在家信者には閉ざされている。在家信者はせいぜい第3果である阿那含(アナゴン)果までしか到達できないとされていた。それ以上の阿羅漢に達するためには出家して僧として専門的修行をすることが必須条件とされていたのである。

もともと阿羅漢はブッダと同じ悟りの段階に達した者であったが時代が経つにつれてブッダは他の阿羅漢と違う特別な存在として神格化され、凡夫からブッダになることは到底できないとされていくのである。

説一切有部の説ではブッダ(仏・如来)は菩薩しかなることができないとされるようになる。その菩薩たる人は六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の修行を3x1059マハーカルパ(無限大の時間)の間行う。1カルパは一説で42億3000万年とされるので無限大の時間をかけた修行である。その上に42億もの多数のブッダ達に供養する。それによってブッダの悟りを得て大慈悲の行いをする無量の徳が蓄えられる。さらに何回も地球に生まれ変わって100マハーカルパ(無限大の時間)の間修行を重ねる。するとブッダだけに備わる32の優れた肉体的特徴(32相)が獲得されると考えられた。この修行をした菩薩は人間か天の富貴の境遇に生まれるようになる。

このような菩薩は全ての生き物に利益を与え大慈悲を行って倦むことがない"無給の使用人"になる。ここに描かれる菩薩は利他性と自己研磨の極限的存在と言えるだろう。

この利他性と自己犠牲の精神は大乗仏教の菩薩の理念として受け継がれるのである。

凡夫から阿羅漢への道も出家修行者にとって超エリートの道といえよう。出家して修行を積んでも阿羅漢になることは非常に困難だったからである。これに対し、菩薩からブッダへの道は人間からは到達不可能な道といっても過言ではない。このようにブッダは時代とともに阿羅漢とは引き離され到達不可能な全知全能の神に等しい存在に神格化されていくのである。

仏教とは2つの意味がある。1つは「ブッダの教えた教え」である。他の1つは「ブッダになる教え」である。ブッダ在世中はブッダになることも可能であった。悟りを達成した修行僧の詩が残されている。しかし、ブッダの死後時が経つにつれ悟りを開いてブッダになることは不可能なことになる。


10.8

10.8 アビダルマ仏教の世界観と三千大千世界:



須弥山説(しゅみせんせつ)に基づく世界の構造



須弥山説は古代インド人の考えに仏教的教理を加味して出来上がった世界観で、概略は次のようである。世界の中心には須弥山(スメール山、妙高山)がある。その高さは8万ヨージャナ(〜64万km)である。この山の頂上より上に天上界があるとする。天上界に帝釈天(インドラ神)をはじめとする神々が住んでいる。日月星宿もこの山を巡って運行する。一種の天動説である。

スメール山の東西南北の4面はそれぞれ銀、水晶、エメラルド、金で構成されている。この須弥山を中心に七重に山脈が囲んでいる。その山は金で出来ているので七金山と言う。

その七金山の間に七重の香水の海(香水海)があるとする。海の中に四大陸(四大洲)がある。また一番外側の海の果てには

鉄囲山という山があって海を囲んでいるとする。鉄囲山は世界の果てになる高さ2500kmの鉄の山である。四大洲は@南のジャンブドビーパ(一辺1万6,000kmの三角形に近い形)A北のクル州(一辺1万6、000kmの正方形大陸)、B東のヴィデーハ、C西のゴーダーニーヤー州(直径2万kmの円形大陸)である。この世界の基底には地輪(金輪)があるとする。地輪は海面下8万ヨージャナ(〜64万km)にあるとする。金輪際という言葉はここから来ている。地の底に至るまでというのが元の意味である。地輪の下には水輪がある。水輪の下に風輪があってこの世界を支えている。風輪とは空気の層と考えればよいだろう。

以上の須弥山を取り巻く世界を1世界(小世界)と言う。 この1世界(小世界)が千個集まったものを小千世界と呼ぶ。小千世界が千個集まった世界を中千世界と呼ぶ。さらに中千世界が千個集まったものを三千大千世界と呼ぶ。三千大千世界は小世界が10の9乗個(=10億)集まった世界と言える。

普通須弥山はヒマラヤ山脈をイメージして考えられたとされる。実際のヒマラヤ山脈は最も高くても8km級である。須弥山の高さは8万ヨージャナ(〜64万km)とされる。ヒマラヤ山脈の高さの実に80,000倍もある途方もない高さである。しかもその四面が銀、水晶、エメラルド、金で出来ているとする。太陽も月も風によって空中に保たれ須弥山の周りを回っている(24時間かけて)と考える。このような山は地球上にはない。古代インド人の想像(妄想?)によって考えられた高さであることがよく分かる。

この世界の基底は海面下〜64万kmであるとする。これも実測値と大きく異なる。世界の果てにあるとする鉄囲山も2,500kmの鉄の山である。このような山は地球上どこにもない。七金山は金でできた山である。そのような山があったらゴールドラッシュどころの話でない。

須弥山説は古代世界に共通する平面的な世界観である。図10.2にこれを示す。




図10.2

図10.2 須弥山説(平面図) 


須弥山説は古代インド人の想像(空想)と実感によって作られた世界観といえるだろう。このため客観的実測によって確立した現在の科学的世界像と大きく異なる世界観である。 須弥山説では、我々の住む須弥山世界は1280万kmもの分厚い大気の層(風輪という)の上に浮かんでいるとする。風輪の上には水輪がある。

水輪の上には更に大地(金輪、厚さ=256万km)があるという。この説を図10.3に示す。


図10.3

図10.3 須弥山説(遠方、横から見た図) 




表10.5 参考になる地球のパラメーター

地球の直径 12,700km
地球の半径 6,400km
地球の外周40,200km
地球の大気圏の厚さ約10km


yuzyun
由旬の考察


ここで古代インドの距離の単位ヨージャナについて考えよう。ヨージャナは漢訳仏典によく出てくる長さの単位で、須弥山説もこの単位で記述されている。漢訳経典では由旬(ゆじゅん)と表されている。

500尋=1クローシャ で、8クローシャ=1ヨージャナ とされる。

いま1尋=2mを仮定すると、 1クローシャ=500尋=500x2m=1000m=1km となる。

従って、1ヨージャナ=8クローシャ=8x1km=8km となる。

この考察により、漢訳仏典で由旬(ゆじゅん)と表される距離は8kmとしても良いことが分かる。

以下の考察では、1由旬=8kmの関係を用いる。



10.9

10.9 アビダルマ仏教における天の構造と神々の世界


アビダルマ仏教では須弥山世界という我々の世界に対する説と共に、神々の住む天上界に関する思想が完成する。

特に天上界は神々と天人の住む想像的(空想的)世界である。神々や諸天が住む天上界は須弥山の頂上付近から上に存在すると考えられていた。須弥山の中腹付近から下には夜叉と言う鬼霊が住む。中腹には四天王(持国天(東方守護)、広目天(西方守護)、増長天(南方守護)、毘沙門天(北方守護))の住む四天王天がある。四天王天の上にはトウ利天(とうりてん)がある。

トウ利天(とうりてん)は須弥山の頂上にあると考えられた。トウ利天には33の神々が住む(33天)。その神々の主は帝釈天(インドラ神)であり善見城に住むと考えられた。トウ利天の上(空中)には夜摩天(やまてん)、兜率天(とそつてん)、ニンマーナラティ(化楽天(けらくてん))、他化自在天(たけじざいてん)(欲界の最上天)、大梵天(だいぼんてん)、有頂天(うちょうてん)(アカニシュタ天、色究竟天(しきくきょうてん))などがある。 須弥山説に基づく天の概要を図10.4に示す。


図10.4

図10.4 仏教の天の構造と須弥山説 

これらの天とそこに住む神々は大乗仏教の経典に頻繁に出てくる。華厳経ではブッダが天に行って説法する場面が出てくる。仏教の天とその構造、神々は大乗仏教の本質とは何かを論じる時、避けては通れない。

図10.4を見てもわかるように、仏教の天は単なる抽象概念ではない。全て禅定と対応している。欲界天と色界天は四禅定に、無色界天は無色界定と対応している。

これは禅定に入ることによって天へ行くことを意味している。天とは心の状態や境地を言っていると言える。

仏界(仏の世界)は無色界以上の心的存在だと言えるのではないだろうか?(次の表10.6を参照)

仏教で禅定(坐禅)が重視されるのはこのためだと考えても良いだろう。

天に住む神々は人間ではない超人的存在であるがキリスト教の神のような不変の存在ではない。天にも欲界、色界、無色界の三界がある。彼等も三界の住人である以上生死輪廻の法則を免れることはできない。

天の住人も生死輪廻の法則に支配される相対的存在に過ぎない。仏教で天が理想とされない理由である。 表10.6に仏教の天とその構造についてまとめる。なお、人間界は欲界に属し、欲界の下の方にあることに注意すべきである。



表10.6 仏教における天の構造と神々

No 天の分類 天の名称とそこに住む神々 場所など
15仏界?諸仏??
14無色界の天(4天) 非想非非想処天無色界の心の状態に対応した天
13無所有処天
12空無辺処天
11識無辺処天
10 色界の天(18天) 四禅天(9天)、上から5位までの天を浄居天と言う。四禅天の最高天が有頂天(アカニシュタ天、色究竟天)であり、そこの主がシヴァ神である。 四禅定の心の状態に対応した天
三禅天(少浄、無量浄、遍浄天の三天)
二禅天(少光、無量光、光音天の三天)
初禅天(梵衆天、梵輔天、大梵天の三天)。大梵天の主がブラフマン(梵天)である。
欲界の天(6欲天)他化自在天(欲界の最上天、第六天) 須弥山の上空
ニンマーナラティ(化楽天)
兜率天(トゥシタ神群)
夜摩 天(ヤーマ神群)
33天(トウ利天、インドラ神=帝釈天を首班とする33神の世界) 須弥山の頂上
四天王天、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)が住む。 須弥山の中腹
夜叉(常酔鬼夜叉、持マン鬼夜叉、堅手鬼夜叉など)が住む世界須弥山の中腹より下方

注:

インドラ神 : 帝釈天(たいしゃくてん)のこと。釈提桓因(しゃくだいかんいん)とも呼ばれる。三十三天の主神であり、天の中の王者天帝である。固有名をカウシカ(喬尸迦)と言う。

ブラフマン: 大梵天の主。万物の根本原理を人格化したバラモン教の最高神。

ブッダに仏教を説くように懇願したとされる神である(原始仏教9.5 梵天勧請説話を参照)。



図10.4や表10.6から分かるように、仏教で説く神々の居場所(住所)は非常に具体的である。キリスト教の神は「天にいる(天にまします我等の神・・・)」と言われるだけでそれ以上のことは分からない。両者を比較するとその神に対する考え方の違いが際立っている。


10.10

10・10 三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)と三界(さんがい)



一世界=一銀河だと考えると三千大千世界は10億個の銀河から構成された宇宙といえる。現代のハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙は1250億個の銀河からなるとされているハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙は三千大千世界よりさらに100倍ほど大きな宇宙である。三千大千世界は壮大さにおいて現代の科学的宇宙観にも通じる。

しかし、古代インド仏教徒の想像によって造られた宇宙観であるのでその真理性において問題にならないくらい低レベルであることに注意すべきである。

大乗仏教を理解するために必要な概念に「三界」という概念がある。この概念はアビダルマ仏教において既に現れている。三界とは人間の精神世界を欲界、色界、無色界の3つに分類して理解したものである。

ここで色とは肉体を中心とする物質のことである。欲界とは性欲、食欲など欲望の世界のことである。色界とは性欲、食欲などの欲望を離れ欲界の上にある物質的世界を言う。無色界とは全く物質的なものを離れ色界の上にある純粋精神の世界である。

仏教では欲界が1番下級の世界とされる。次に位置するのが色界である。色界では既に性欲、食欲などの欲望を離れていることに注意すべきである。色(物質)のみには性欲、食欲などの欲望がないと考えられていたのであろう。純粋精神の世界である無色界が1番上位にある。これは天の構造を説明した図10. 4や表10.6を見ても分かる。

法華経比喩品に「三界は安きことなし。猶お火宅の如し。衆苦充満して甚だ怖畏すべし。如来は巳に三界の火宅を離れて寂然として閑居して林野に安処せり・・・」という有名な言葉がある。

ここでは三界は人間界の意味で使われている。

天の構造を説明した図10.4や表10.6を見ても分かるように、この三界は天と深い関係がある。

天上界の内六欲天は最下級の天である。この天に住む神々は欲望を離れていない。欲界の第1天を四天王天と言う。ここには四天王と言われる神(持国天、広目天、増長天、多聞天)が住んで東西南北を守っていると考えられた。欲界の第2天をトウ利天と言う。トウ利天に住む神がインドラ神(帝釈天)であり、古くは偉大な神として崇拝されていたが時代とともに力を失う。

欲界の天の上に色界の天がある。色界の天の最下位には初禅天に属する三天がある。初禅天の第三天を大梵天という。大梵天の主がブラフマン(世界の主、創造神)である。 その上に二禅天に属する三天、さらにその上に三禅天に属する三天がある。三禅天の上に四禅天に属する九天がある。四禅天の最高天が色究竟天(アカニシュタ天)である。色究竟天の主がヒンズー教の3大主神の1人シヴァ神である。シヴァ神は欲望を既に離れた世界(色界の天)にいると考えられているためであろう。色究竟天は肉体を有するものの最高の世界であり、輪廻の世界に属する。

このように色界天(18天)は原始仏教で説かれた四禅定の精神的境地と関係がある。禅定における心の澄み切った状態や喜悦(恍惚感)を伴う精神状態は天と関係付けられたのかも知れない。

色究竟天は肉体を有するものの最高の世界であり、輪廻の世界の最高処と言う意味で有頂天と呼ばれる。現在でも喜びのあまり有頂天になると言うが、語源はここにある。

色界天(18天)の上には無色界の天(4天)がある。無色界の天は純粋精神の世界であり既に仏・如来の世界に属すると考えられているようである。



10.11

10.11 ウパニシャッドが説く輪廻転生(りんねてんしょう)の思想



仏教では人間には過去世、現世、来世の三世があると考える。来世にどう生まれるかは現世における業(=行為、身口意の三行為)によって決定されると考える。

来世で生まれる世界は1.天、2.人間、3.阿修羅、4.畜生、5.餓鬼、6.地獄の6つである。これを六道という。この六道を三世にわたって生まれ変わることを輪廻転生(六道輪廻)という。輪廻転生の思想は仏教誕生以前の古ウパニシャッドにも見られるインド人の実感と想像に基づく人生観である。仏教もこの考えを取り入れたことはよく知られている。

古代インドでは人間を含む生物は生と死を繰り返し生まれ変わると信じられていた。これを輪廻説という。

チャーンドーギア・ウパニシャッド」(紀元前800〜500年頃成立したと考えられる古ウパニシャッド)では 五火・二道説と言う輪廻説が述べられている。

この説は次の図10.5のようにまとめられる。


図10.5

図10.5  五火・二道説による輪廻説 

五火・二道説と言う輪廻説は次のように説明される。人は大人になり寿命が尽きると死ぬ。

死んで火葬されると霊魂は煙に乗って月に至る。月にしばらく留まった後、雨と一緒に地上に落ちてきて植物(食物)に付着する。食物は人(男)に食べられ体内に入って精子となる。

女性と男性の性交によって受精され胎児の中に入り子供として生まれる。子供は成長して大人になる。この過程を繰り返し輪廻するというものである。

死者のたどる道には神の道祖霊の道の2つがあるというのが二道説である。人は正しい信仰と苦行によって月から輪廻を抜けて神の道をたどりブラフマンに行きブラフマンと合一する。これが神の道である。

他方、祖霊の道を行く人は月から雨、食物と輪廻転生を繰り返すと言うのである。

輪廻の過程において食物(霊魂が付いている)を豚が食べれば豚の精子に入るので豚に生まれる。食物(霊魂が付いている)を人が食べれば人の精子に入るので人間に生まれる。その分岐点は食物を豚が食べるか人間が食べるかの点にある。その分岐点で豚が食べて豚に生まれるか人間が食べて人間に生まれるかを決定するのはカルマ(業)の力である。即ち、現世での生のあり方(業)が次ぎの生(来世)を決定するのである。

二道とは1)神の道と2)祖霊の道(輪廻の道)の二つである。五火とは次の五つを指す。 

1)かなたの世界、2)雨神、3)大地、4)男、5)女

死んで火葬されると霊魂は煙に乗って月に至ると言う説明はなかなか面白い。霊魂が煙に乗るからには物質的なものと考えられたのだろうか。煙は空に昇り月にたどり着くと考えられたようである。

2000年以上前の神話的説明に基づく輪廻思想が仏教思想に取り込まれたのである。今でももっともらしく語られることがあるのは驚くべきことである。死体を火葬にするのは霊魂を煙に乗せて月に送り込むためであることが分かる。煙が月まで行く筈はない。2000年以上前のインドでは煙は月まで昇ると信じられていたのであろう。

ウパニシャッドが説く輪廻転生説は古代インド人の単なる想像(妄想)に基づく神話的説明で、科学的根拠は何もない。この輪廻転生説を現代でも盲目的に信じる人がいるならば、おめでたいと言う他ないだろう。

現代の科学的観点からみると、輪廻転生思想は遺伝子に基づく生殖現象を想像によって誤って理解したものと言われても仕方がないだろう。

子供をふくめ子孫の身体的特徴は、遺伝子に基づいて両親や祖父母などの特徴や性質を受け継ぐことが多い。これを生まれ変わりや輪廻転生思想によって説明しようとしたのではないだろうか?



10.12 原始仏教と部派仏教に含まれた矛盾、問題点


37douhon

 ー 三十七道品(三十七菩提分法)の修行とその矛盾 ― 



原始仏教と部派仏教( 部派仏教は大乗仏教徒によって小乗仏教と呼ばれた)。

原始仏教と部派仏教は紀元前後に起こった大乗仏教と著しく異なる。

そこではブッダの説いた合理的な教法がまだ実践・修行されていた。

しかし、ブッダ以来の教法(教)、修行(行)があっても悟り()は見失われていた。

仏教の最終目標は悟りを得てブッダ(覚者)になることである。

しかし、ブッダに直接師事し悟りの経験をした高弟は誰もいない時代になると、

ブッダ以来とされる教法(教)、修行法(行)に基づいて修行しても悟る者は

殆どいなくなったと考えられる。

そうなると、悟りはブッダのような天才だけが達成できるものとして

ブッダは神格化されたのである。

ブッダの悟り(証)はたとえ、出家して修行しても普通の人間にとって

この世の一生だけの修行では達成できない。

無限に長い時間をかけた輪廻転生によって始めて達成される超困難なものと

考えられるようになったのである。

 大乗仏教以前の部派仏教の時代まで、どのような考えのもと、

どのような修行が行われていたかを見よう。

原始仏教時代から部派仏教の時代まで続いた伝統的修行法に「三十七道品(三十七菩提分法)」

と呼ばれている修行法がある。これを表10.7にまとめて示す。




表10.7 「三十七道品」(三十七菩提分法)の修行法 

番号7修道法37菩提分法内容
四念処(四念住)「身念処」この身体は不浄であると観じる内観。
「受念処」感受は苦であると観じる内観。
「心念処」心は無常であると観じる内観。
「法念処」すべての事象は無我であると観じる内観。
四正勤(四正断))「律儀断」まだ生じない悪を新しく生じないように努めること。
「判断」すでに生じた悪を断とうと努めること
「随護断」まだ生じない善を生じるように努めること。
「修断」すでに生じた善を増大させるように努めること。
四如意足(四神足)「欲如意足」すぐれた禅定を得ようとすること。
10「精神如意足」優れた禅定を得ようと努力すること。
11「心如意足」心を収め、優れた禅定を得ようとすること。
12「思惟如意足」智慧をもって思惟観察して優れた禅定を得ようとすること。
13五根「信根」心を澄ませ浄らかにするための内観。
14「精進根」心を浄化するための精神的努力。
15「念根」対象に向かう想いを留め、他の想いを止めて心を動乱させないための観想。
16「定根」禅定中に心を散乱させないこと。
17「慧根」心を感覚器官から智慧に転換すること。
18五力「信力」仏に対する堅固な帰依をし、信抑の力を堅持すること。
19「精進力」悪を止め、善を修するための精神的努力をすること。
20「念力」じっと思い続ける憶念の力を付けること。
21「定力」禅定の力をつけること。
22「慧力・智力」見思惑という理智と情意の煩悩を断滅し、矮小な知恵を破して、真実の無漏の智慧をもたらす力を持つこと。
23七覚支「念覚支」常に禅定と智慧を念ずること。
24「択法覚支」智慧によって教法の中から真実なものを選び取り、偽りのものを捨てること。
25「精進覚支」真実の正法を選んで専心に精励し修行を続けること。
26「喜覚支」真実の教えを修行する喜びに住すること。
27「軽安覚支」心身を常に軽快で快適な状態(健康)に保つこと。
28「定覚支」常に禅定を修行して心を散乱させないこと。
29「捨覚支」対象へ執着する心を捨て、心を客観的で平等に保ち、安定していること。
30八正道「正見」仏教の真理である苦・集・滅・道の四諦や、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死の十二縁起の理法などを自覚した正しい見解を持つこと。
31「正思惟」正しい意業で、心のおこないを正しくして、無我に基づいて正しく四諦や縁起の理法を思惟すること。
32「正語」正しい言葉で、無我の立場から真実のみを語ること。
33「正業」正しいしい身業で、戒律を守り、身心のおこないを正して、悪業をつくらないこと。
34「正命」身・口・意の三業を清浄にした正しい生活をすること。
35「正精進」正方便ともいわれ、堅固な自我意識を否定するために、正しい努力を継続すること。
36「正念」「正精進」の意識的な方面で、「正見」という目的を常に心に留めて忘れないこと。
37「正定」心を正しく統一し、対象に向け正しい禅定に基づく修行生活をすること。

表10.7に示した修行法は原始仏教時代から部派仏教の時代まで続いた伝統的修行法である。

三十七道品のうち30%〜75%が禅定に関する項目である。

三十七品菩提分法は坐禅が中心になっている修行法であることが注目される。

全体で37項目から成り立っているため古来「三十七道品」とか「三十七菩提分法」と呼ばれている。

 日本の大乗仏教では「読経」、「滝行(滝に打たれる修行)」、

諸仏礼拝」などが重要な修行とされている。

「三十七道品」には「読経」や「滝行」、「諸仏礼拝」のような修行法はない。

「三十七道品」は原始仏教時代から部派仏教の時代まで続いた伝統的修行法である。

このことより、「読経」、「滝行」、「諸仏礼拝」のような修行法は比較的新しい修行法と言えるだろう。

我が国の道元禅師は、七十五巻本『正法眼蔵』第六十で「三十七品菩提分法」を説示している。

彼は、三十七道品の七種類の一々について具体的な講説をし、

三十七品菩提分法、すなはち仏祖の眼晴鼻孔、皮肉骨髄、手足面目なり。

と言って高く評価している。

「三十七品菩提分法」の中で、四念処観はもともと身体・感受作用、心の対象を

ありのままに観ずる修行である。

これは八聖道のうち正見に相当するものである。

真剣に行えば大きな効果が見られるとされるが、大きな問題点も含んでいる。

四念処観の1「身念処」で、この身は不浄なり、感受は苦なり

と観ずることは性欲、食欲を始め身体に対する種々の欲望を抑制するために行われた。

死体が腐乱して白骨にまでなる過程を観察する瞑想(不浄観)が有名である。

原始仏教〜部派仏教時代の仏教は総じて禁欲的である。

五官に基づく多くの欲望は汚れだと否定的に考える考え方が主流であった。

これはブッダ以来の伝統的考え方と言える。

四念処観はこれらの欲望を制御するために行われたようである。

ある程度の効果はあるかも知れない。

しかし、性欲、食欲を始め身体に対する種々の欲望は生物である人間にとって不可欠な

個体維持、生命維持の本能に由来するものである。

現在では「食は健康維持の基本である」ことはよく分かっている。

2500年前は食事の基本的意味が分からなかったのかも知れない。

この身は不浄なりという考えは2500年前の古代インドの文化的(医学的)、

衛生的、経済的環境(低い生活レベル)に基づくと考えられる。

その頃は、衛生観念も希薄で頭髪や身体を洗い清潔に保つようなことはあまりなかったと思われる。

病気も蔓延しても、何の病気に罹ったか、何の原因によって病気になったかも分からず

人々は死んだと思われる。特に幼児の死亡率は高かっただろう。

そのような時代に受け入れられた考えも時代とともに受け入れられなくなった。

「人生は苦である」と見る厭世観は時代とともに説得力を失ったのではないだろうか。

この原因の一つに紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東征が考えられる。

これによってギリシャ人植民王国(バクトリアなど)がインド北西部に誕生し、

インド文化に影響を及ぼしたことが考えられる。

ギリシャ文化がインド文化に影響を及ぼしたことは

ナーガセーナ長老比丘とメナンドロス王(ギリシャ人王)との対話が「那先比丘経」

として残っていることからも分かる。

またガンダーラで製作された仏像がキリシャ的特徴を持つことからも分かる。

ギリシャ人は「人体は美しく、人生は生きるに値する」という考えを持っている。

人生肯定派である。このようなギリシャ、ヘレニズム文化と触れた時、

2項の「受は苦なり.」という主張も説得力を失うであろう。

生きている限り外部から刺激が入る。感覚器官はこれに無条件に応答する。

感覚器官の応答は無我でありそれは苦と無関係である。

このように、四念処観の1.2.項の主張は時代とともに説得力を失っていく。

現代ではもはや強い説得力はない。

四念処観以外の四正勤、四神足、七覚支はもっともであり、なんらおかしいところはない。

ブッダ以来の禅定中心の修行法と言える。

特に注目されるのは神や諸仏を信仰するような修行項目がないことである。

また「読経」や「滝行」、「礼拝(仏を礼拝すること)」のような日本でよく見られる修行もここにはない。

この時までは大乗仏教のように未だ仏教は宗教化されていないことが分かる。

ゴータマ・ブッダ以来の合理的な修行法を保持していると言えるのではないだろうか。

 これらの修行法(四念処観、四正勤、四神足、七覚支)に共通する特徴はまじめすぎて、

人間性に乏しいことである。

非人間的を通り過ぎて超人間的とも言える。ある種の超まじめ人間にしか

このような修行法は受け入れられないだろう。

普通の人間にとってはこのような観想で修行しても生き生きとした悟りと喜びは得られないだろう。

後世の大乗仏教徒はこのような部派仏教の聖者の境地を評して「灰身滅智(けしんめっち)」と言った。

的を射た評価かも知れない。



10.12−1  戒律にみる矛盾



ブッダ以来最も基本的な戒律は表 10.8 に示した五戒である。


表10.8 五戒とその内容

No 五戒 内容
不殺生戒(ふせっしょうかい)  生命の尊重(不殺生:ahimsa)。生き物を傷つけない。これは外的のみでなく思考と感情との心の中での態度においてもこの戒律を守らねばならない。生きものに対して敵意を抱いたり、冷酷な、不親切な、侮辱的な言葉を吐くことも禁止される。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 自由意志で与えられたものでないものをとらないこと。これは盗むことの禁止に止まらず、他人の持ちものを欲しがってもいけない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい)比丘にたいしては、不淫と純潔(性的行為の禁止)が要求される。 在家信者に対しては姦淫と不貞とをさけることだけが要求される。
不妄語戒(ふもうごかい)嘘をつかないこと。誠実であること。粗暴で不親切な言葉はいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒類を飲まない。

 五戒は在家信者が守らねばならない最も基本的な戒律である。出家修行者はそれ以外に多くの戒律を守ることが要求される。五戒以外に出家修行者が守らなければならない戒律として次のような戒律がある。


1.食物は托鉢乞食によって得たものを昼間一度食べるだけで夕方は食べない。

2.舞踏、歌謡、音楽、演劇の上演を見に行かない。

3.花輪、塗香、装身具を用いない。

4.高いまたは贅沢な寝台に横たわらない。

5.金銀を受け取らない。またそれらを蓄えない。



10.13  根本分裂とその原因



ブッダ滅後も一味和合し団結していた仏教教団は仏滅後100年頃、保守派と進歩派に分裂した。これを根本分裂と呼ぶ。根本分裂によって西方の長老比丘を主とする保守派(上座部と長老部)と東方の自由な立場を主張する大衆部に分裂したと伝えられている。

主として戒律をめぐる意見の違いであった。東方ワッジー族出身の比丘達が10ヶ条は戒律において許されるべきだと主張したとされる(十事の非法)。

表10.9に 十事の非法を示す。


表10.9 十事の非法

No  十事の非法 内容
角塩浄普通の食物は翌日まで持ち越すことが許されない。しかし、腐らない食塩は容器に入れて保存することが許される。
二指浄比丘の食事は正午までに終わることが原則であるが、食事の途中に正午が過ぎ太陽の影が二指節(時間は棒を立てて影の長さで測る。)だけ移る間までは食べることが出来る。
他集落浄 托鉢によって一度食事を終えた後も、午前中ならばさらに他の集落で托鉢することが許される。
住処浄 1ヶ月2回行われる布薩(Uposatha,ウポーサタ=戒律に違反しなかったかどうかを告白・懺悔する教団の反省会)には同一地域内の出家教団員は必ず一ヶ所に集まって行うのが決まりである。しかし、都合によっては、全員が二ヶ所に分かれて布薩の会合を行っても良い。
随意浄 出家教団の議決は全員出席のもと、多数決で決め、少数者の独裁専行は許されない。しかし、都合が悪くてこの会合に出席できない者がいた場合事後承諾によって決めても良い。
久住浄先例あることは律の規定がなくて一見許しがたいようなことでも許される事がある。その時の事情で罪となることもあるが、罪とならないこともある。
生和合浄 比丘は正午以降は水やジュースのような飲み物しかとってはいけない。しかし、水を加えて薄めた牛乳は正午を過ぎても飲んでもよい。
飲闍楼伽酒浄 比丘は酒を飲むことは禁じられている。しかし、病気の時は、薬用として、水で割った酒、又は未発酵の酒のようなアルコール分の少ないものは用いてもよい。
無縁座具浄 比丘の用いる座具はその縁(へり) の大きさが規定されている。しかし、縁を附けない座具の場合その大きさは自由である。
10 金銀浄 出家者が金銭を手にすることは堅く禁じられている。しかし、やむを得ない場合は金銭を受けてこれを蓄えてもよい。

この10項目について長老比丘はすべて非法であるとした。そのため「十事の非法」と呼ばれる。これに反対したのが大衆部だとされる。

この十事の非法をめぐる根本分裂の話は、その後の仏教の展開を考える上で示唆に富んでいる。上に述べた十事は現代の人間が考えても特におかしな要求や主張を含んでいない。充分合理的な主張である。

十事の内1、2、3、7、8項が食事に関したものである。ブッダ以来の戒律では「食物は托鉢乞食によって得たものを昼前一度食べるだけで夕方は食べない」という誠に厳しいものである。

出家修行者は社会によって支えられているもので、修行に専念するため身を養うに必要な最低限のものを一般人から有り難く(托鉢行で)頂く。食料は古代世界では貴重なものであったに違いない。このため夕方2度目の食事をするような贅沢は許されないとする考えがあったようである。

これは当時(2500年前)のインド社会の食料生産力と生活水準を反映している。一般人でも食べて生きていくのが精一杯だったはずである。ましてや生産者ではない出家修行者は修行に専念するため身を養うに必要な最低限のものを一般人(在家)から有り難く(托鉢行で)頂き、一食で我慢すべきだという考えだと思われる。

この戒律は食事に対する認識と誤解も含まれているように見える。それは食欲も欲望の1つであるという考えである。

原始仏教では渇愛が苦の原因であると考える。食欲も渇愛(欲望)の1つで制すべき欲望あるという考えた可能性がある。現在では食事が健康の基本で何をどれくらい食べれば良いかまで分かっているが昔はそこまで分かっていない。

「出家の功徳」という古い経典には食物について「実に、わたしのこの身体は形をもち、四種の元素から成り、父母から生まれ(食べた)飯と粥との集積にすぎず、恒常的でなく(たえず)衰え、消耗し、分解し、崩壊するのがその本質である。しかもわたしの意識はこの身体に密着し、この身体に依存している。」と述べている。

この経典には2000年前のインドにおける食物と身体の関係をどのように考えていたかが述べてある。 2000年前のインドの古代仏教徒の考えは現代から見れば幼稚である。食欲を単純に<欲望>に抽象化して、これを抑制し、食事を我慢するようなことをすれば、どういうことになるかは、現代では中学生レベルの知識を持った人でも分かる。

現代では医学と科学の発達により食事は生命と健康維持に不可欠であることは常識である。生命と健康維持にどのようなどのような栄養素が必要であり、どのような食物にどれだけ含まれているかも分かっている。ビタミンや蛋白質の摂取量が不足するとどのような病気になるかも明らかになっている。

インドの古代仏教徒達が生きた時代にはそのような知識は無かった。そのような無知が食事と食欲を単純に<欲>として否定的に考えたものと思われる。欲は苦の原因である。従って、1日1食の戒律を守るべきだとする考えを生んだのだろう。

このような無知は当時の文化程度から見れば仕方がなかった。しかし、食事と食欲に対する誤解(無知)がブッダ以来の戒律に矛盾を生み根本分裂の原因となったと考えることもできるだろう。



 10.14  食欲に対する現代の考え方



一昔前までは食欲は胃袋が満腹感と空腹感を感じると考えられていた。現代では食欲は脳で感じられ脳(間脳)の視床下部にある満腹中枢と摂食中枢によってコントロールされていると考えられている。

満腹中枢は「もうこれでお腹はいっぱい。満足しました。」ということを教えてくれる中枢である。摂食中枢は「何か食べたい。もっと食べたい。」と食欲を促す中枢である。

動物実験によって次のことが分かっている。摂食中枢を破壊すると、食欲が無くなり食べなくなる。痩せて遂には死んでしまう。満腹中枢を破壊すると、いくら食べても満足することがなく、常に食べる。その結果ボールのように丸々と肥る。

さらに、摂食中枢から分泌されるオレキシンという小さなタンパク質が、視覚や精神状態、血液中のぶどう糖量などの情報を統合し、最終的に食欲を刺激する食欲促進物質と考えられている。

これと反対に食事をすると腸の内壁にある細胞で「ペプチドYY3−36」(PYY)という満腹ホルモンが作られる。これが血流によって脳の視床下部に達すると、食欲のスイッチを入れる神経の働きを抑え満腹感を感じるようになる。

このように、食欲は脳内の神経伝達物質やホルモン分子でコントロールされている。古代仏教徒が考えたような精神的・心理的な<欲>ではないことが分かってきている。



 10・15 仏教の宗教化



ブッダの教えである原始仏教では神や仏などの神格を礼拝したり信仰することはない。その本質は合理的な<自帰依>と<法帰依>にあったからである(原始仏教9.31を参照 )。

ところが仏教は紀元前後大きく変容し、宗教化される。その結果生まれたのが大乗仏教である。大乗仏教はブッダの教えである原始仏教と大きく異なっている。大乗仏教の問題を考える前に宗教とは何かを以下で簡単に考えよう。



10.15-1

10.15-1 宗教の定義



 定義A:


 宗教とは超越的なもの(あるいは超越者=神、仏)への信仰である。超越者を意識する世界では全てが超越者の意志のもとに動いていると考える。超越者(神)とは祈りと信仰、儀礼によってつながることができ心が浄化され救われると言う教えである。そのような考えを信じる。

それに基づき祈ったり、儀式を行う。この信仰行為によって精神的に救われ安心を得る。殆どの宗教はこのタイプである。このタイプの宗教の例として、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、大乗仏教などがある。

 キリスト教やイスラム教などの一神教では、全知全能の唯一神を考える。その唯一神が世界を創造したとする。その神は人格神であり、世界は神の意志と摂理のもとに動いているとし、それを信じる。信者は祈りや儀礼を通して神と接触でき、神からの恩寵や、心の浄化・救いを受けることができると考える。

そのため祈りや儀礼のような宗教的行為を行う。唯一神を信じる一神教の他にヒンズー教、大乗仏教、神道のように多数の神々を信じる多神教がある。

この型の宗教をA型宗教と呼ぼう。このタイプの宗教と違う宗教もある。


 定義B:


宗教とは清らかで真実なる自己(本来の自己)を求めて歩む人間の営為である。

 この定義の宗教では定義Aの宗教のような神のような超越者(神)は必ずしも必要でない。定義Bの宗教は特に<己事究明(自己究明)>を目的として掲げる禅仏教にはぴったりした定義であろう。

既に見たように、ゴータマ・ブッダの創始した仏教はこの型の宗教である。このタイプの宗教をB型宗教と呼ぼう。

一般的にはA型宗教が宗教と呼ばれている。以下で単に宗教と呼ぶ場合はA型宗教をさす。宗教化とはA型宗教に変化することを意味している。

大乗仏教はB型宗教である原始仏教がA型の宗教に変化した結果、生まれたと考えることができる。また、中国において唐代に生まれた禅宗はA型宗教の大乗仏教がB型宗教(ブッダの原始仏教)に先祖帰りしたと考えることができるだろう。



3.15-2

 3.15-2   呪術(じゅじゅつ)と宗教、科学



 宗教と呪術的思考は密接な関係がある。呪術的思考とはなんだろうか?いま、A,B2つの事象(事実)を考える。科学ではA,B2つの事象(事実)の間にAを原因としてBが生じたという因果関係を客観的実験を通して検証する。

この検証によって明白な因果関係があるか、別の研究者が同一条件で実験を行い再現性があるかどうかをも検証する。そのような一連の過程を通して因果関係が立証される。

因果関係が立証された場合でもそれが科学的理論によって合理的に説明できる時始めて「Aを原因としてBが生じる」と考える。そのような思考を科学的思考と言う。

これと逆に「Aを原因としてBが生じる」という関係に、客観的明白な因果関係がない場合や、はっきりしない時にもそれを盲目的に信じる場合は呪術的思考である。


 呪術の例:


 1.わら人形と釘:

昔日本では憎しみや恨みの対象となった人を呪い殺す方法として深夜藁人形に釘を打ち込むことによって呪い殺すことができると信じられていた。

「深夜藁人形に釘を打ち込む」という行為が原因となって殺人が可能になるとは考えられない。しかし、昔の人はそれを信じていた。これも客観的明白な因果関係があれば科学であるが到底あるとは考えられない。怨敵を呪殺するため読経する密教の儀礼もこのような部類に入る。太平洋戦争や鎌倉時代の元寇の時などにこのような祈祷が行われた。全て科学的根拠のない呪術である。


 2.人柱:

古代日本やインカ帝国では人間を生き埋めすることによって堤防の決壊を防いだり建造物が崩壊しないようにできると考えられていた。

人柱と建造物の堅牢さとの間には何も因果関係がない。これも呪術的思考の例である。


 3.梵鐘の銘文と呪い:

江戸時代初期。徳川家康は豊臣秀頼に難問を突きつけて天下取りを狙った。豊臣秀頼が方広寺に寄進した梵鐘に刻まれた銘に 「国家安康・・君臣豊楽・・・」という銘文を見つけた徳川方は、この銘文は家康という字を分断していることから呪いが込められていると強引に解釈した。同時に「君臣豊楽」の文は豊臣を君とする願いを込めたものだと難癖をつけた。

これによって豊臣家を戦争(大坂冬の陣)に引きずり込んだ。ついで、夏の陣で勝利し豊臣家を滅亡に追いやり、天下を取った。これも呪術的思考が支配していた時代だからできたことである。現代でそのようなことを言ったら頭がおかしいと思われるだろう。


 4.千人針:


戦前の日本では徴兵によって戦争に出征して行く人に千人の人が針の縫い目を入れたもの持たせた。

千人もの人が針の縫い目を入れたものは鉄砲の弾も避け無事帰還できる力を持つと信じられたからである。これも呪術的思考の例である。


 5.雨ごい:


昔は雨は龍(神)が降らせると信じられていた。空海や日蓮は本気でそれを信じ雨ごいの祈祷をしたことが知られている。

密教には請雨法を説く経典があるようである。現代ではそれを本気で信じる人はいないだろう。鎌倉時代、文永の役(1274)、弘安の役(1281年)の元寇の時に日本人は神風が吹き元の兵船は沈没したと信じた。

しかし、現代になって見れば台風や低気圧に伴う強風のせいで元の兵船は沈没したことが明らかになっている。神風思想やそれから生まれた神国思想も科学的根拠のない呪術思想である。

密教の陀羅尼や真言は言葉に霊力があると考える点、呪術的思想と深い関係がある。

実際に陀羅尼を呪文と翻訳し密教を呪術的宗教と考える学者もいるくらいだ。この問題は後期大乗仏教(密教)の章で議論したい。



10.16

 10.16  大乗仏教の興起とその原因



 大乗仏教が何故起こったか?については謎が多い。インドでは歴史学が発達しなかったため紀元前後の仏教の歴史ははっきりしない。このため大乗仏教興起の原因は推論するしかない。

原因として次のことが挙げられよう。マウリア王朝時代アショーカ王は熱心な仏教徒となって仏教教団を保護した。それまで小集団でしかなかった教団もアショーカ王の庇護のもとに大きく発展した。大きくなった教団は分裂を繰り返し部派仏教が成立する。

この部派仏教僧団は大きくなり専門化したため、仏教が神学化し難解になった。部派仏教を含め伝統仏教はあまりにも禁欲的である。また基本的にはエリートである出家僧(個人)の救済しか説かない。エリート(出家修行者)のための教えである。

ブッダ以来、仏教には在家信者はいたが基本的には出家修行者のための教えである。大勢の一般民衆(衆生)を救うという思想はない。このような仏教のままでは巨大化した仏教僧団と支持母体としての一般民衆の間の距離は開く一方である。

エリート出家僧の仏教から大衆のための仏教(個人救済から大勢の衆生を救済する為の宗教へ)の変化は時代の要請でもあったと考えられる。何故なら、紀元前後からインドにおいて新しい宗教運動が起こる。アーリヤ人の宗教であるバラモン教(ヴェーダの宗教)と先住民の信仰との融合が起こりヒンズー教が形成され始めるのである。

ヒンズー教は広範な民衆の支持を受け急速な発展をとげた。ヒンズー教の形成は信仰化への流れである。誠信(バクティ)の思想(10.16−1参照)によるA型宗教の誕生である。ヒンズー教で説くように偉大な神に信仰の誠をささげれば神から救われるという教えの方が神学化した部派仏教の教えより簡単明瞭で分かりやすい。

祈りによって簡単に神とコンタクトができ、神から救いを受けられる。この方が実践もし易い。紀元前後インドではヒンズー教がこのような教えの下に民衆の支持を受け隆盛してきた。遂には仏教をも圧倒する勢いを示すようになる。

このようなヒンズー教の興隆に影響されて仏教のA型宗教化が起こったと考えられる。これが大乗仏教だと考えられる。大乗仏教はブッダを神格化し、ブッダの前世や在家仏教徒を想定することで菩薩と言う新しい理想的宗教者像を創り出した。

このような、仏教のA型宗教化の担い手として考えられるのは、教団内のバラモン階級出身者達だと考えられる。

仏教学者岩本裕博士はその著「仏教入門」において、初期仏教教団内での出家僧の出身階層を研究した結果を述べている。その一例を図10.6に示す。


10.6
図10.6

図10.6 初期仏教教団内での比丘の出身階層 

この図に見られるように、ブッダの教団の比丘(出家僧)にはバラノモン階級出身者が圧倒的に多いのである。バラモン階級はインドの四姓(バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ)の最上級の階層である。

祭式と教育を独占する特権階級と言っても良いだろう。彼等は若い時からインド伝統のバラモン教で育てられていたのでインドの多神教の教えは身体にしみついていただろう。

古代インドでは科学的な合理思想は未だ無い。彼等にはブッダの合理的な<自帰依>と<法帰依>の教えはなかなか理解されなかったのではないだろうか?

ましてや、ブッダはもはや死去していない。ブッダの死後、教団の事実上の指導者となったのは、ブッダの十大弟子の一人マハーカーシュパ(摩訶迦葉)と考えられている。マハーカーシュパ(摩訶迦葉)もバラモン階級の出身である。ブッダの十大弟子のうち実に6人がバラモン階級の出身である。

指導者がバラモン階級の出身で、教団の比丘の大多数もバラモン階級の出身である。社会的にもバラモン教が復興しヒンズー教の勃興期にあたる。このような時代に仏教教団内で何か起こったかを推測するのは難しいことではない。


ブッダは偉大な聖者であったことは疑うべくもない。原始仏教から部派仏教まではブッダは仏教の創始者、偉大な聖者であるがあくまで人間である。

しかし、ブッダの死後、時が経つにつれ人間ブッダへの記憶は薄れる。インド伝統の神々を信仰する彼等によって神格化されるようになったのではないだろうか。

ブッダは前世では菩薩(悟りを求める求道者)であった。かれは前世で菩薩として多くの善行をし徳を積んだ。その積善の結果として現世では悟りを開くことが出来たとのだいう神話が部派仏教内部でも作られるようになる。

ブッダはマーヤ夫人の脇から生まれた。うまれてすぐ7歩歩み「天上天下唯我独尊!」と言ったという空想的な神話が創作されるようになる。

生まれてすぐ歩くような人間はいない。1年経ってやっとよちよち歩きができるようになる。生まれてすぐ歩いたりしゃべるような人間はいない。脇から生まれるような人間もいない。すべて人間ブッダを神に祭り上げるためのフィクションであろう。

偉大な人間の神格化はよく見られる現象である。日本では平安時代の詩人、学者、政治家であった菅原道真(AD.842〜901)が天満宮で神として祭られている。彼を祭神とする天満宮は日本全国で1万2000社もあるとのこと。驚くほかない。豊臣秀吉が豊国神社に、徳川家康が日光東照宮に、乃木大将が乃木神社に、神として祭られている。中国や北朝鮮では毛沢東や金日成が個人崇拝の対象として神格化されている。

神格化の対象は人間だけではない。日本は神国であるという思想まである。国まで神格化した異常な例である。神格化の例は良く見られることから人間の自然の性行に根ざしているのかも知れない。自分の属する仏教教団の教祖ブッダが神にも等しい存在になればそれだけで信者である自分達までが何か偉大に見えてくるようになる。こんな好都合なことはない。

このような流れの下に、ブッダの死後4〜500年経った紀元前後に仏教に大変化がおこり大乗仏教が興起したのではないだろうか?大乗仏教ではブッダや菩薩を神にも等しい存在だと考える。そのようなブッダや菩薩を信仰することによって救われるとするA型宗教である。

大乗仏教は自帰依>と<法帰依>を説いたゴータマ・ブッダの本来の教えとあまりにも異なる。多くの大乗経典(華厳経、法華経、大般若経など)の中ではブッダは神通力によって眉間の白蒙や足の裏から宇宙を照らすような強烈な光を出す超能力を持つ神格として現れる。もはや人間ブッダではないのである。これは人間ブッダの教説ではないことはすぐ分かる。

仏教の宗教化を進めたのは大多数を構成した教団中のバラモン階級の出身者だと考えると大乗仏教の誕生は分かり易い。

ブッダの死後、仏教教団の事実上の指導者であったマハーカーシュパ(摩訶迦葉)もそれを放置し認めたのではないだろうか?何故なら、彼自身もバラモン階級の出身者だったからである。

大乗仏教が大乗経典と共に、初めて出現した時伝統的仏教(部派仏教)の方はこれを仏教(ゴータマ・ブッダの教え)ではないと完全に無視したようである。

議論をして心を興奮させることは僧の戒律で禁止されていた。議論をして教団の和合を破ることを恐れたのではないだろうか?教団の和合を破ることも五逆罪の一つであり、仏教では堕地獄の重罪だったからである。部派仏教自体もブッダの教法を変容させて信仰化への道を歩んでいたので大乗仏教を批判する資格を失っていたと考えられる。

在野の仏教研究者である山崎勇夫博士は最近、その著書「仏教の源流」において最古の仏典とされる「スッタニパータ」を詳しく研究しておられる。山崎博士は「スッタニパータ」においても各章の内容に矛盾が見られることより、改変と変質が既に見られることを指摘している。このことはブッダの没後直ちに仏教の改変と変質が起こったことを示唆しているのではないだろうか?

多くの伝統仏教(部派仏教)の出家僧は自分達が仏教の本流であると自信を持っていたようである。彼等はブッダ以来の戒律をまじめに守り修行に専心しているという自信を持っていたと思われる。しかし、改変されなかったのは戒律だけでブッダの教法(理法)は部派仏教においてもバラモン教に近い方向に変容していたのである。

ブッダは自由思想家であり、インド伝統のバラモン教(多神教)に反旗を翻したことで知られる。しかし、その教団内部の自由さは反旗を翻した当のバラモン教に付け入られる隙を持っていたというしかない。そのように考えると、ブッダの先進的教法は最初から改変される運命にあったと言えるだろう。

仏教の宗教化は大乗仏教からさらに進み、7、8世紀には密教を生んだ。ブッダが禁じた呪術や性欲までも肯定するようになった密教は仏教のヒンズー教化と言える。

始めて密教に接したあるヨーロッパの仏教学者は密教を「密教は仏教の衣を着たヒンズー教だ」と言ったと伝えられている。

このように次々に変容したインド仏教はインドに侵入したイスラム軍によって1203年ヴィクラマシラー寺院が徹底的に破壊されるとともに滅亡への道を辿ったのである。

その後、ブッダはヒンズー教のビシュヌ神の9番目の化身とされるのである。このことは仏教がA型宗教化の極限において,独自の存在意義を失いヒンズー教に同化吸収され消失してしまったことを意味するのではないだろうか?



10.16-1

10.16-1 誠信(バクティ)の思想



誠信(せいしん、バクティ)の思想では神を讃え、神に専念し、神に誠信をささげる者は、その行為の善悪や生まれの貴賎にかかわりなく等しく神に愛され、神の恩寵によって解脱の境地に至ると考える。

ヒンズー教の聖典「バガヴァッド・ギーター」は神への誠信(せいしん)(バクティ)を詠ったものである。原形は1世紀に成立しヒンズー教の形成に寄与したと考えられている。

ヒンズー教の聖典「バガヴァッド・ギーター」は神への誠信(せいしん)(バクティ)を詠ったものである。原形は1世紀に成立しヒンズー教の形成に寄与したと考えられている。

仏教界でも神学化し難解になった仏教を革新し分かりやすい大衆のための仏教が求められた。その方が巨大化した仏教教団のために必要であったからである。そのような考えの下、個人の悟りより大衆を救うことこそブッダの真の精神だと主張する集団が現れた。

仏教の宗教化はブッダの遺骨を納めた仏塔を守り信仰する神殿式仏塔信仰集団から始まったと考える人もいる(中島睦玄氏)。仏教学者平川彰氏は仏舎利塔信仰を大乗仏教の起源だと考えている。

その他の原因として考えられるのは戦乱である。世界的にみても紀元前後は青銅器時代から鉄器時代へ移り変わる時代である。強力な鉄製武器を使った血なまぐさい征服戦争が各地で起きていた。

インド北西部においても紀元前1〜2世紀には中央アジア方面から南下してきたシャカ(サカ)族、パフラヴァ族によってインド・ギリシャ人による植民王国(バクトリアなど)は滅亡した。シャカ(サカ)、パフラヴァ族王国も南下して来たクシャーナ族(大月氏の1部族)によって滅ぼされた。

クシャーナ王朝(貴霜王朝)から有名なカニシュカ王(在位130〜155頃)が出る。カニシュカ王は首都をガンダーラ地方のプルシャプラ(現ペシャワール)に置き中央アジアからガンジス中流域にわたる広大な領土を支配した。

彼は「大王、王中の王、天子、カニシュカ」として強大な王権を握った。このように紀元前後のインドは異民族の侵略による血なまぐさい征服戦争の時代であった。暴力が支配した時代である。

それらの戦争においてはブッダの悟りや不殺生の教えは無力である。人間は無力な状況に陥った時神のような絶大な力を持つ超越者に救いを求めるしかない。このような絶望的時代背景の中で平和と悟りを求める仏教徒もブッダを神として信仰し救いを求めるしかなかったに違いない。

大乗仏教が興起した背景として上のような複数の原因が考えられるだろう。



10.16-2 大乗仏教興起の背景とヘレニズム文化



中島睦玄氏はその著「仏教の新研究」で大乗仏教にはヘレニズム文化の影響があるとされている。実際マウリア王朝の都であったパータリプトラはギリシャ人によって侵略された。パータリプトラを侵略したギリシャ人王はメナンドロスに比定されている。

マウリア王朝はインドで大乗仏教が興起する直前の紀元前3世紀の王朝である。当時インド北西部にはアレキサンダー大王が残したギリシャ人(インド・ギリシャ人)の植民王国があったことも分かっている。

メナンドロス王はアフガニスタン東部からガンジス川上流域を支配した。メナンドロスの名はローマ世界にまで鳴り響いていた。プルタルコスやストラボンはこの王についてインド・ギリシャ人のなかでも最も偉大であり正義をもって統治したと記している。

ギリシャ人王メナンドロスと長老比丘ナーガセーナとの対話は「那先比丘経」となって仏教経典のなかに残っている。原始仏教では伝統的に身体は不浄であるとみなす。「人生は苦である。」と考える。ところがギリシャ文化では「人間の身体は美しい。人生は苦しいかも知れないが生きるに値するものである。」と考える。まさに反仏教的人生観といえるだろう。

このような肯定的人生観は否定的人生観を持つ当時の仏教徒にとって新鮮な驚きであったに違いない。仏教はインド西北部のギリシャ人に受け入れられたことは歴史的事実のようである。その理由として原始仏教の持つ高い論理性と合理性が考えられよう。

ギリシャ人も高い論理性と合理的な思考性を持つ。このためギリシャ人にも理解し易く受け入れられたと考えられる。紀元前後に始まったガンダーラの仏像はギリシャ人の容貌を持っている。ギリシャ人に受け入れられた仏教はギリシャ人の影響を受け人生肯定の思想を持つようになる。

否定的人生観から肯定的人生観への変化は大乗経典の特徴である。大乗仏教興起にヘレニズム文化の影響があるとは卓見だと思われる。今後さらなる研究が必要であろう。



10.16-3 マニと大乗仏教



マニ(A.D.215〜276)はマニ教の開祖として知られる。マニ教は古代イランのゾロアスター教を母胎にして成立した宗教である。

マニは23才の時インドを旅行し1年くらい滞在した。彼がインドに行ったのはインドの英知を知るとともに、仏教を研究するためだったらしい。

彼は手紙の中で仏教について「仏弟子達は仏の教をすべて伝えたのではなく、師から聞いたことのほんの1部を文字に記したに過ぎない」と述べている。当時の大乗仏教徒はそのように言って小乗仏教(部派仏教)を非難していたようである。

逆に小乗仏教徒(部派仏教徒)は大乗仏教は非仏説だと言ってお互いを非難していた。そのような大乗小乗仏教徒間の論争について述べていると考えられる。

この論争を見聞して、マニは自分の生存している間に自分の教えを文字に記す決心をしたのである。教祖である自分が記すことによって後代の人が自分の教えをゆがめたり勝手に解釈することがないようにするためであると書いている。

これはマニがインドで大乗vs小乗仏教徒の論争と確執を実体験したためであると考えられる。



10.17 バクティの思想と聖書: キリスト教の思想との関連性



「ルカによる福音書」の第10章にはイエスと律法学者の対話が書かれている。イエスが律法学者に律法には何が書いてあるかを聞き返す。

律法学者はこう答える、「『心を尽くし、精神を尽くし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣人をに愛せよ』とあります。するとイエスはこう言う、「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。

ここには隣人愛とともにバクティの思想が述べられている。この事実は紀元前後にはインドのみならず、イスラエルにもバクティの思想が広がり、ユダヤ教にも浸透していたことを示唆している。

紀元前後にはインドとローマ世界の間には貿易が盛んに行われたことが分かっている。バクティの思想が交易を通してローマ世界に広がり影響を与えたことは考えられないことではない。

バクティの思想は当時の最新の宗教思想であり、キリスト教、ヒンズー教、仏教に影響を及ぼしたのではないだろうか?その中で伝統的な仏教(原始仏教)はブッダの説いた合理的な教えの核心を見失い宗教化する(大乗仏教に変容する)に至ったと考えられるのではないだろうか?

宗教思想は紀元前後に世界中広がった。古代には現代のような高度の科学と文明はなかったからである。宗教思想では分からない不思議なことは全て神のせいにする。

例えば雷は古代ギリシャでは神ゼウスの怒りであると考えられた。インドでは雨は竜神のせいだと考えられた。干ばつ時の雨ごいに龍神を拝む風習は現代でも地方で残っている。

現代では雨は地球物理によって説明される自然現象であることはよく分かっている。宗教では神様(龍神)に全身全霊をこめてお願いすれば神様(龍神様)はどんなことでも解決し救ってくれる(雨を降らしてくれる)と考える。親が愛する子供の願いを聞くようなものである。ここに難しい理論などはない。単純明快で分かりやすい。

「鰯の頭も信心から」と言うように精神的なストレスからくる病気は宗教で治ることもしばしば見られる。当時では科学にも匹敵する強力な新思想として多くの人に迎えられ世界中に広がったものと思われる。A型宗教(キリスト教、ヒンズー教、大乗仏教)の成立はこのように説明されるのではないだろうか?



10.18 インド仏教美術にみる仏教の変化と宗教化



仏教はインドの伝統的宗教に対する批判として始まった。ブッダはバラモンの権威と伝統的儀式を否定し「苦悩からの解脱」を説いた。自己究明の結果「五蘊無我」の悟りを得て生涯それを説き続けた人である。

仏教はもともとB型宗教であるが、時が経つにつれてこの原形は衰退し、A型宗教への変化が起こったのである。この変化はインドの仏教美術にも反映されている。


初期の仏教美術はブッダの遺骨を祭る仏舎利塔(ストゥーパ)の飾りとして発達した(B.C.1〜2世紀)。

サーンチーの仏舎利塔(ストゥーパ、B.C.〜2世紀頃)の飾りにはブッダの一生の物語(仏伝)が浮き彫り彫刻によって描かれている。そこではブッダは象徴的に示されるだけでその姿は描かれていない。

例えば1.出家するゴータマ・シッダールタは馬にさしかけられたとして、2.菩提樹の下で開悟したブッダは菩提樹として、3.その他の場所ではブッダの足を刻んだ仏足石として象徴的に表現されるだけである。

このように、古くはブッダは菩提樹などのシンボルによって表わされ、リアルな人間の姿として描かれることはなかったのである。

B.C.2世紀頃から300年間南インド デカン高原で栄えたサータヴァーハナ王朝は仏教を支持した。サーンチーの仏塔(ストゥーパ、B.C.〜2世紀頃)の飾りを寄進したのはこの王朝である。サータヴァーハナ王朝は仏教教団に土地を寄進していた。仏教教団の土地は無税であった。僧の生活費は商人が寄進した銀貨を他の商人に貸し付けた利子によってまかなわれた。

この王朝は西方ローマ帝国と季節風(ヒッパロスの風)を利用した海上貿易によって栄えた。これはサータヴァーハナ王朝の繁栄都市であったアマラーバティで大量のローマ金貨が発見されていることからも分かる。

アマラーバティでもよりよい死後を願って多数のストゥーパが建立された。しかも、アマラーバティのストゥーパはサーンチーのものより表現が具体的になっている。


アマラーバティの浮き彫り彫刻



アマラーバティの浮き彫り彫刻の中では誕生したブッダは産着火の柱として表現されている。また仏舎利塔(ストゥーパ)の礼拝が描かれている。ブッダが生きていればは仏舎利塔の礼拝は無益なこととして否定したに違いない。

仏舎利塔の礼拝は悟りとは無関係であるからである。ブッダなら「骨を拝んで何になるか」と言って厳しく否定したに違いない。しかし、仏教徒達はブッダを超人的存在として尊敬するあまり、ストゥーパは涅槃を表すものとして礼拝の対象にしてしまったものと考えられる。それと共にストゥーパの礼拝や信仰がインドに拡がっていたことを物語っている。

サータヴァーハナ王朝時代になると仏教は"ストゥーパ礼拝"を採り入れ変容し宗教化していった。この時代には仏教の本質が既に見失われていたことを示している。


ナーシクの石窟寺院



西インドのナーシクには23の石窟があり、ストゥーパを礼拝堂に祭った寺院がある。紀元前1世紀〜後2世紀に成立し、6〜7世紀に手を加えられた石窟院もある。これらは王侯と商人達によって寄進されたものである。

商人が僧院を寄進したのは僧院の寄進は無税だったためと功徳を積むためであった。"ストゥーパ崇拝"は王侯貴族、商人とともに女性層によって支持されたと考えられている。


仏像の出現



原始仏教では<自灯明(自帰依)>・<法灯明(法帰依)>(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)という基本的理念から、もともとブッダ本人を信仰対象としていなかった。また初期仏教においては仏像というものは存在しなかった。

仏陀となった偉大な釈迦の姿は、人の手で表現できないと思われていた。

既に見たように、インドの初期仏教美術では、人々はブッダの象徴としてストゥーパ法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの)や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹台座などで象徴的にブッダの存在を暗示的に表現し、礼拝していた。

仏像が出現したのは釈迦入滅後500年以上経ってからである。最初の仏像がどこでどのようなきっかけで制作されたかは明らかでないが、最初期に仏像の制作が始められたのは西北インド(現パキスタン)のガンダーラと、中インドのマトゥラーの2つの地域である。

ガンダーラとマトゥラーのいずれにおいて仏像が先に造られたかについては、長年論争があり、決着を見ていない。しかし、仏像がさかんに造られるようになったのは紀元後1世紀頃からインドを支配したクシャーナ朝の時代であることはほぼ定説となっている。

ギリシャ的風貌を持つ理想的人間像として表現されたガンダーラ仏はクシャーナ朝のカニシュカ王(在位:A.D.130〜170)の時最盛期を迎えた。

ブッダは普通の人間と違う32相(32の特徴:白豪、長広舌など)を持つ超人として表現されている。これは人間ブッダが超人から神として信仰の対象にされていった過程を示している。

仏像の出現時期(1世紀)は大乗仏教の誕生とちょうど同じ頃である。誕生したばかりの仏像は大乗仏教徒の礼拝の対象として大乗仏教に取り入れられ、仏教のA型宗教化に寄与した。そして、現在の多様な仏像の形にまで進化・発展したと考えられる。

これらの仏像の多くはブッダが説法している姿を表現している。このことはブッダの教えは言葉で表現できるものであり、言語を越えた神秘的な教えではないことを示しているのではないだろうか。


 仏教とギリシャ人



仏教を支持した層にギリシャ人がいたことはガンダーラ地方のストゥーパにギリシャ人風の衣裳をまとった人物が描かれていることからも分かる。

インド北西部ガンダーラ地方(タキシラ)にはギリシャ人が居住していた。このインド北西部に居住していたインド・ギリシャ人仏教徒が仏像製作に関与したと考えられる。

ブッダは最初姿無き象徴としてしか描かれていない。しかし、ギリシャ人の思想の中では神々は人間の姿をしている。これが最初姿無き象徴としてしか描かれていなかったブッダが人物像として表現されるようになった原因だと考えられる。これがフーシェによる「仏像のガンダーラ起源説」である。

即ち、仏像はギリシャ人仏教徒の思想と宗教的欲求によって生まれたと考えられる。この事実は大乗仏教成立にギリシャ思想の影響があったことを示唆するものである。

ガンダーラのストゥーパの飾りにはギリシャ人風の衣裳を着た男女が表現されている。それまで法輪として表現されていたものが仏像としてブッダの姿が描かれている。涅槃図も最初は象徴的にしか描かれていなかったが仏像として具体的に描かれている。

ギリシャ的風貌を持つ理想的人間像として表現されたガンダーラ仏はクシャーナ朝のカニシュカ王(在位:A.D.130〜170)の時最盛期を迎えた。

ブッダは普通の人間と違う32相(32の特徴:白豪、長広舌など)を持つ超人として表現されている。これは人間ブッダが超人から神として信仰の対象にされていく過程を示している。

これらの仏像の多くはブッダが説法している姿を表現している。このことはブッダの教えは言葉で表現できるものであり、言語を越えた神秘な教えではないことを示しているのではないだろうか。


グプタ朝時代の仏教


グプタ王朝は古代北インドの統一王朝で、4?5世紀にインド史の黄金時代を築いた。

この時代になると、西方貿易もローマ帝国の没落とともに衰退し仏教の支持層である商人層が没落して行った。

このため仏教も衰えていった。これと対照的にヒンズー教が興起してきたのである。ヒンズー教はアーリア人の宗教バラモン教(ヴェーダの宗教)と先住民の信仰との融合によって、長い期間をかけて徐々に形成されたと考えられている。

ヒンズー教の興起はバクティ(信愛、誠信)という信仰によって支えられた。バクティ信仰は神への献身的な熱愛によって神に受け入れられ救われるという信仰である。

これは特に難解な思想もなく一般大衆に理解されやすい。仏教の宗教化と大乗仏教はバクティ(信愛、献愛)信仰の影響を受けて起こったとも考えられる(仏教学者E・コンゼの説)。

宗教化した大乗仏教はヒンズー教とあまり違わなくなった。ブッダもビシュヌ神の一化身と考えられヒンズー教に吸収されていったのである。グプタ朝時代以前、1世紀に仏教の宗教化によって興った大乗仏教は時を経ず、中国に伝えられた。

そのため「仏教とは宗教であり、大乗仏教である」という認識が北伝仏教(大乗仏教)が伝搬した国々(中国、朝鮮、日本)で定着したものと考えられる。



インド仏教終焉の地-ビクラマシーラ寺院



インド東北部にビクラマシーラ寺院があった。この寺は8世紀後半パーラ王朝のもとで創建された。この寺ではヒンズー教の影響を受けた密教が盛んであった。

しかし、1203年インドに進入したイスラム教徒によって徹底的に破壊され財宝も略奪された。現在ビクラマシーラ寺院の発掘が進行している。

遺跡で多数の仏塔(ストゥーパ)が発掘された。このことは仏塔(ストゥーパ)が最後まで仏教徒の心の支えになっていたことを物語っている。普通1203年イスラム軍によってビクラマシーラ寺院が破壊された時をもってインド仏教終焉の年としている。



10.19   大乗仏典 成立史


大乗経典はゴータマ・ブッダの直説を述べたものでないことは現在では定説となっている。

しかし、何時誰の手によって書かれたかははっきりしていない。

インドでは歴史学が発達しなかったためである。しかし、その大体の歴史としては次ぎのように考えられている。


1. 般若系経典


  最初に現れた般若系経典は大乗仏教の基本的教説である「諸法は無自性で不可得であり、一切は皆なである」と説く。

大乗を最も早く宣言した経典群の総称である。その数は漢訳されたものだけで42種にのぼる。

その代表的なものとして、

a.大品般若経(=二万五千頌般若経 )

b. 小品般若経(=八千頌般若経 )

c.般若心経

d.金剛般若経

e.理趣経

f.仁王経

g.金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)


などがある。般若経の原始的な形態は紀元前2世紀に存在したと考えられている。

紀元後50年頃 原始般若経が出来る。A.D.200年頃までに成立したと考えられている。

般若系、法華系経典は竜樹(ナーガルジュナ)の著作に出てくるので彼の出世以前に完成されたと考えられる。

般若経系経典のうち金光明最勝王経は後述するように特異な経典である。やや遅く4世紀頃に成立したと考えられている。


2.  第1期大乗経典(1世紀〜3世紀)


 般若系経典の次ぎに出来た経典としては

a.維摩経(ゆいまきょう):

 維摩経はA.D.200年頃成立したと考えられている。

在俗信者の維摩詰(ゆいまきつ、ヴィマラキールティ)を主役にした経典で

仏塔を中心とした在家の仏塔財団の製作になると考えられる。

b. 法華経:

天台宗や日蓮宗が所依する法華経は4時期に渡って増補され、

ガンダーラ地方でA.D.50 〜 150年あたりに完成したと考えられている。

c.華厳(けごん)経:

華厳経の中核をなす十地品と入法界品が最初に制作されたと考えられている。

華厳経六十巻品(東晋ブッダバダラ三蔵訳)はA.D. 350年頃迄に完成したと考えられている。

華厳経は4世紀末から5世紀初頭中央アジア(コータンあたり)で編纂されたと考えられているが

その創作グループがどのような集団であったかははっきりしていない。

華厳経は八会座で説かれているが、そのうち地上で説かれたのはたったの三会座である。

説法の殆どは「トウ利天、夜摩天、兜率天、他化自在天などの天上界」で説かれている。

その間、「ブッダの意識だけが天上界に昇り、ブッダの肉身(身体)は地上にある(禅定中)

という不思議な設定になっている。

天上界での説法を普通の人間が聞くことはできないはずである。

しかし、その説法の内容は饒舌なほど詳しく説かれ記述されている。

法華経など多くの大乗経典では「如是我聞」から始まり、侍者の阿難(アーナンダ)が聞いたことになっている。

しかし、華厳経では誰が聞いたかは分からない。

殆どの研究者は語らないが、内容は非合理で不思議に充ちた経典である。

その内容には密教の性欲肯定思想の萌芽も見られる(入法界品、婆須蜜多女の歓喜三昧)。

大乗菩薩道の高邁な理想を説く華厳経は法華経とともに多くの仏教徒に影響を与えた経典である。

華厳経は法華経とともに禅や密教にも影響を与え、大乗経典の最高峰に位置している。

竜樹の十住毘婆沙論は華厳経の十地品に対する注釈である。

d.浄土系経典:

浄土系経典には大無量寿経、阿弥陀経、観無量寿経などがある。

このうち大無量寿経や阿弥陀経はA.D.140年頃成立したと考えられている。

浄土系経典は4世紀の終わり頃完成したと考えられる。

次ぎに作られた経典は第2期大乗経典である。


3.  第2期大乗経典(A.D. 300 〜 ): 中期大乗経典 


第2期大乗経典は如来蔵系経典とも呼ばれ唯識説に基づく中期大乗仏教の経典である。

a.涅槃経(大乗涅槃経)

竜樹以前には存在せずA.D.320 〜340年頃に成立したと考えられる。一切衆生悉有仏性を説く。

これより古い原始仏教経典に同名の「涅槃経」がある。

原始仏教経典の「涅槃経」と区別するため「大乗涅槃経」とも呼ばれる。

b.如来蔵経

A.D.3 世紀頃に成立したと考えられる。如来蔵(如来を胎児として宿すもの=仏性)思想を初めて説く。

c.勝鬘経(しょうまんきょう)

勝鬘経は竜樹以前には存在せずA.D.3 〜4世紀頃に成立したと考えられる。如来蔵(=仏性)思想を説く。

d.解深密経(げじんみつきょう)

解深密経は唯識思想を展開した経典である。A.D. 300 〜400年頃成立と考えられている。

空の思想を実践的・主体的な立場から考察し、心の本質を究明することを主眼にしている。

e.大乗阿毘達磨経:

f.楞伽経:

4世紀中頃成立したと考えられる如来蔵系経典。

などの経典がある。

唯識説はインド仏教において,3〜4世紀ころに興った中期大乗仏教の思想である。

唯識説ではあらゆる存在は唯(た)だ識すなわち心のはたらきで表された仮の存在にすぎないと考える。

唯識説は唯心論や唯脳論とも言える考え方である。

〈般若経〉に説かれるの思想を受け継いでいる。

>を虚無主義ととらえる傾向を是正し、あらゆる存在は心がつくり出した影像にすぎないと考える。

唯識説はヨーガ(禅定)の実践を好む人びと(瑜伽行派)によって説かれ、

禅定体験に基づいて生まれたと考えられている。

次ぎに作られた経典は第2期大乗経典である。


4. 中期大乗経典から密教経典に至る中間的経典 


理趣経:正式名称:『般若波羅蜜多理趣百五十頌』。


理趣(りしゅ)経は主に真言宗各派で読誦される常用経典である。

理趣(りしゅ)経は7世紀中頃成立したと考えられる大乗経典であるが性欲などの欲望を肯定し、菩薩の境地だとする。

このため、性欲を肯定し「性的ヨーガ」によって仏位に至るとする後期密教(チベット密教に代表される)

への先駆的大乗経典だと考えることができるだろう。




5.後期大乗経典(密教経典)



7〜8世紀になると大乗仏教はヒンズー教化した。その宗教化は密教を産んだ。

中期密教(真言密教)の根本経典である大日経は西南インドで七世紀頃、

金剛頂経はは大日経成立の後南インドで成立したと考えられている。




6.後期密教経典



密教経典(タントラ)の製作はこれで終わらなかった。

中期密教経典の他に、後期密教経典として以下のような密教経典(タントラ)が製作された。

a.秘密集会タントラ(8世紀後半頃成立)。

b.幻化網タントラ(8世紀後半頃成立)。

c.ヘーヴァジュラ・タントラ(10世紀後半成立)。

d.ヴァジュラ・バイラヴァ・タントラ

e.カーラチャクラ・タントラ(時輪タントラ、11世紀頃成立)。

上の密教経典の内でカーラチャクラタントラ(時輪タントラ)は

インド最後期密教の最終経典であるとされている。


 注:

タントラ:密教経典のこと。



このように大乗経典は実に1000年近くにわたって創作され続けたのである。

このような経典製作はキリスト教やイスラム教などの一神教においては考えられない。

自由思想家ブッダを開祖とする仏教の特徴と言えるのではないだろうか。



10.20  大乗経典は誰が説いたのだろうか?



大乗仏典は現在ではブッダの直説ではないと考えられている。

ブッダの死後500年も経って突然出現したので、いわば、偽作経典と言える。

日本では江戸時代の富永仲基(1715〜1746)や、明治時代の村上専精(1851〜1929)などの学者による「大乗非仏説論」がある。

現在では「大乗非仏説」は疑いようもない事実である。

しかし、大乗経典が何時誰によって書かれたか正確なことは分かっていない。

 その成立については大乗経典の中にそれが仏滅後500年以後に創作されたことを暗示する言葉が見られる。



例1.金剛般若経


この経典の比較的最初の部分で仏弟子スブーティ(須菩提、十大弟子の1人)はブッダに次のように尋ねる。「仏滅後500年経った後の世これらの経典の句がこのような形で説かれたことを真実だと考える者が居るでしょうか?

これに対しブッダは「そのような質問をしてはいけない」と釘をさす。そしてブッダは「後世徳をそなえ、戒律を保ち、智恵のすぐれた偉大な菩薩達がいてこれらの経典を真実と考えるにちがいない」と言う。

このような経典の記述は般若経系の経典が仏滅後500年後に創作されたことを示唆している。またその時代にこれらの経典はブッダ直説の経典ではないのではないかと疑問を呈する者達が居たことを暗示するものであろう。

またこの経典のおかしなところはスブーティがブッダに仏滅後500年経った後の世について尋ねていることである。

まだ生きて目の前で説法している(ことになっている)ブッダに弟子のスブーティがそのような無礼なことを尋ねるだろうか?

ブッダならそのような下らない質問をするより現在の修行の時間を大事にしなさいと諭すだろう。

この経典には菩薩についてブッダは次のように言ったことになっている。

ブッダ「スブーティよ、またこれら偉大な菩薩たちは、ただ1人のブッダにのみ仕え、ただ1人のブッダのもとで善根を植えたのではない

スブーティよ、これら偉大な菩薩たちは、百千という非常に多くのブッダに仕え、百千という非常に多くのブッダのもとで功徳の善根を植えた者であるであろう

彼等はこれらの経典の句がこのような形で説かれる際に、浄らかな1心(浄信)を得るであろう。」と言われた。

金剛般若経ではこのようにブッダが言ったとしているが、

原始仏典では菩薩についてブッダが触れることは殆どないのである。

部派仏教の経典の中にジャータカ(本生経)と言うジャンルの経典がある。ジャータカ(本生経)ではブッダの前世を菩薩と呼ぶ。

ブッダは菩薩として偉大な行為をして修行した。その行為の積み重ねによって現世でブッダになったと説明する。

ブッダの出現を過去世の菩薩の積善効果によって説明しようとしたものである。

しかし、ジャータカ(本生経)は動物などを主人公にする寓話であり、

イソップ物語のような童話に近い物語である。ブッダがもともと説いたとは到底考えられない。

ジャータカ(本生経、ほんじょうきょう)は部派仏教の中で低レベルの民衆や子供に分かり易く説き聞かせるため創作されたものと考えられる。

このようなジャータカ(本生経)的発想によって過去にもブッダは出現したという過去仏の思想が確立した。

過去仏の思想は過去にも偉大なブッダ(覚者)が出現したと説くものである。これも仏説の普遍性と真理を主張するため創作されたものと考えられる。

過去仏の思想は紀元前3世紀のアショーカ王時代に既にあったことが分かっている。

在家の仏教信者を中核とした大乗仏教徒はこのジャータカに説かれるブッダの菩薩としての前世物語に注目したと思われる。

金剛般若経ではこれをブッダ自身に語らせた形式を取ることでかれらの説く菩薩思想の市民権を確立しようとしたものであろう。

この記述は大乗仏教(菩薩思想)がどのようにして成立したかを示唆するものとしても興味深い。



例2. 法華経


法華経13勧持品には「この諸々の比丘等は利養を貪るをもっての故に、外道の論議を説く

自ら此の経典を作って世間の人を誑惑(おうわく)す。・・・・・」とある。

この経文は法華経が作られた頃(A.D.1世紀頃)いろんな経典が勝手に創作され人々を惑わしていたことを示唆している。



例3.大般涅槃経(大乗涅槃経)


大般涅槃経の邪正品には経律には魔の経律と仏の経律があることに言及し、「もし魔の経律に随順する者あらばこれ魔の眷属、

もし仏の経律に随順する者あらば即ち、これ菩薩なり。」とある。

この経典の記述は大乗涅槃経成立時に仏教の経典と戒律に大きな乱れがあったことを示唆している。

いろんな大乗経典が創作され、魔の経律が問題にされていたことを言及しているのではないだろうか?



例4.大般涅槃経(大乗涅槃経)


邪正品ではブッダは生まれてすぐ「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説と関連してブッダ(世尊)は次のように語ったと述べられている。

もし、『如来(ブッダ)が誕生してすぐ七歩歩いたというようなことは信じられないと言う者があれば、その説は悪魔の説であるしかし、『如来(ブッダ)が誕生してすぐ七歩歩いたのは如来が方便として示現したものであると言う経典があれば、それは如来の説である」。

邪正品第九には 「ブッダの説いた説法を記録した経典は無数と言ってよいほど沢山ある。しかし、大乗経典のような経典は今までない。このような経典はデーヴァダッタのような悪人が作った経典に違いない。自分達はこのような経典は信じない。これは悪魔が仏法を破壊するために説いたものに違いない」と言う者がいるかも知れないが、彼等は悪比丘である。

一方、ブッダは「大乗経典は如来が衆生を救うために説かれたものである」と言う者がいれば、この人は真の我が弟子である。『もし大乗経典を受持しない者があればその人は自分の弟子ではない。』・・・」と言ったと述べられている。

ブッダの説いた説法を記録した経典は無数と言ってよいほど沢山ある。しかし、大乗経典のような経典は今までない。このような経典はデーヴァダッタのような悪人が作った経典に違いない。自分達はこのような経典は信じない。これは悪魔が仏法を破壊するために説いたものに違いない」という批判は部派仏教からの批判だと思われる。

大般涅槃経邪正品のこの記述は大乗経典が新しく創作された経典(偽作経典)で当時から仏説でないと批判されていたことが分かる。

大般涅槃経邪正品ではこれをブッダが説いた正法であると開き直っている。

ブッダが言うはずもない言葉を勝手に使って自分達の経典偽作を正当化していると言えるだろう。


注:

デーヴァダッタ: ブッダの従兄弟で教団を乗っ取りブッダを殺害しようとした悪人だと伝えられる。



例5.大般涅槃経(大乗涅槃経)


哀歎品第三ではブッダは比丘達に、「私は、今無上の正法の全てを摩訶迦葉に付嘱する。この迦葉はお前達の指導者(大依止)となるだろう」と言ったと記述されている。

もし、これが本当だとすると、ブッダは彼の死に際して、「無上の正法摩訶迦葉(マハー・カーシュパ)に付嘱し、を死後の教団指導者として指名したことになる。

しかし、そのような事実はありえない。摩訶迦葉はブッダが死ぬ時、側にいなかった。彼は500人の修行僧とともに別の場所にいて、死後7日経ってブッダの死を知り、火葬の時にやっと間に合うのである(マハー・パリニッバーナー経)。摩訶迦葉はブッダに信頼された十大弟子の1人でありブッダの死後教団の事実上の指導者となった人として知られる。しかし、臨終の場にいなかった摩訶迦葉をブッダが教団指導者として指名することはありえないことである。

禅宗が重視する経典に「大梵天王問仏決疑経」という経典がある。この経典には、次のような話が述べてある。

ある時大梵天王(ブラフマー神)が世尊(ブッダ)に説法を願い出て金婆羅華(こんぱらげ)という美しい花を世尊に奉った。

説法の座でブッダはその花を大衆に見せた。この時大衆はブッダが考えていることが分からずポカンと見ているのみであった。ただ一人摩訶迦葉(ブッダの高弟)が思わずニッコリ笑った。これを見たブッダは「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相微妙の法門あり。不立文字、教外別伝なり。摩訶迦葉に付嘱す。」と言ったという。

この経典ではブッダは不立文字、教外別伝の法門を摩訶迦葉に付嘱したことになっている。しかし、この経典は後世中国で創作された偽作経典であることが分かっている。

大乗涅槃経哀歎品第三で、ブッダが、「私は、今無上の正法の全てを摩訶迦葉に付嘱する。この迦葉はお前達の指導者(大依止)となるだろう」と言ったという話も作り話であるのは明らかである。

このような記述から、大乗涅槃経は摩訶迦葉(マハー・カーシュパ)を崇拝するバラモン階層出身の僧達を中心とするグループによって創作された偽経だと考えるられるのではないだろうか? 摩訶迦葉(マハー・カーシュパ)自身もバラモン階層出身であるからである。



例6.梵網菩薩戒経 


梵網菩薩戒経の第22戒は「大乗は仏説ではないと言ってはいけない」という戒律である。

このことは梵網菩薩戒経の成立時に「大乗は非仏説である」と主張する人々がいたことを示している。しかもこの戒律を破っても軽垢罪であり軽い罪としているのはそう言う人々が大勢いたのではないだろうか?


以上の諸例は大乗経典が仏滅後500年以後に、新たに創作(偽作)されたことを示するものと言えるだろう。



10.21  大乗経典と竜樹


 ー大乗経典出現の物語ー



偉大な大乗論師である竜樹(ナーガルジュナ)の伝記には彼と大乗経典発見の物語が述べてあるとのこと。

それによると彼は90日間で三蔵の全てを読破した。そこで彼は別の経典を求めたがどこにも見いだせなかった。

しかし、ヒマラヤ山中で1人の老比丘に会い大乗経典を授けられた。

大乗経典を授けられた竜樹は「実義」に通じ、外道と議論しても至る所で論破した。しかし、教えを充分身につけるに至らなかったことに気づいた竜樹は水精房と言う所で独り座禅していた。

「静かな水精房中に独座していると、大龍菩薩がこれを憐れんで海に案内し、宮殿に連れて行って七宝の蔵を開けた。大龍菩薩は七宝で飾られた華函を取り出して諸々の深奥な大乗経典を彼に与え、無量の妙法を授けた。竜樹は90日間でこれを読破したが、この宮殿中には数え切れないほどの経典がある。」という不思議な経験をしたと伝えられている。

この物語の文学的表現は何を意味しているのだろうか?

これは大乗経典を神秘化し権威づけることを目的に創作された物語だと思われる。

大乗経典は一部の仏教徒によって勝手に想像によって創作されたと白状したりすれば実もふたもない。そこでこのような不思議な物語にしたのではないだろうか?

古代インドの仏教徒達はこのような絵空事の物語にすっかり騙されたかも知れない。

しかし、現代人が冷静にこれを読むと「大龍菩薩が竜樹を海の宮殿に連れて行って七宝の蔵を開け大乗経典を彼に与えた」などという話は到底信じられない。

海の底に行くには酸素ボンベと潜水服が必要なことは子供でも分かる。いくら竜樹が偉い人であろうと海中の宮殿に行き、90日も滞在できるはずがない。このようなことは合理的な思考をすれば誰でも分かることである。

この大乗経典出現の物語は日本の浦島太郎を連想させるような物語である。古代インドの仏教徒達はこのような物語を聞いて大乗経典は何と素晴らしい神秘的なものだと感激し、信じたのだろうか?

しかし、古代人を騙せても現代人を騙す事はできないだろう。


トップページへ
第10章 大乗仏教:その2 へ行く