2008年4月作成
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第9章 原始仏教:その1





9・1 ゴータマ・シッダールタの生い立ちと出家



 仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは紀元前463年頃ネパールの1部族である

釈迦族のカピラ国(コーサラ国の属国)に王子として生まれた。

小国の王子であったが物質的には不自由なく成長した。

しかし、成長するにつれ世の中の矛盾、人生の苦しみを感じた。

それは精神的な苦しみであったと思われる。

小国ながらカピラ国の王子として生まれたゴータマ・シッダールタは当時の最高の教育を受けた。

将来王として釈迦族国家を統治することが期待されたゴータマは群を抜いて頭脳明晰な人

であったことは多くの経典に記されている。

ただ頭が良いだけでなく動物界のみならず人間社会の弱肉強食の姿を見て心をいためる優しい人であった。

彼は将来カピラ国の王として釈迦族を指導して強大な国にすることを周りから期待されたであろう。

当時は青銅器から鉄器時代に移行する時代で、

強力な鉄製武器による血生臭い闘争が起きていた時代でもある。

武力による弱肉強食と政治の世界は彼の性格に合わなかったようである。

当時のインドは多くの自由思想家が輩出した百家騒鳴の時代であった。

思想哲学による真理探究への止み難い憧れから出家修行の道を選んだのだと思われる。

彼は古代武術にも通じた青年だったとも伝えられることから、

単なる頭デッカチの青年でなかっただろう。

真理探究の修行を通して悟りを開き自己の精神的苦悩や葛藤を解決したいという

望みから妻子を捨てて出家したと思われる。

仏伝には悩める衆生を救うために王位を捨てて出家されたとしている。

これは後世の仏伝作者がブッダを神格化するために作った物語だと考えられる。

本当にそのような崇高な宗教的目的で出家したかどうかは疑わしい。




9.2 ゴータマ・シッダールタの出家の目的と修行



 中阿含経羅摩経にはブッダは自己の青春を回想して次のように述べたと伝えている。

我本未だ無上等正覚を覚らざりし時、是の如く念(おも)えり

我は自ら病法、老法、死法、憂寂法、穢汚法なり

しかもこれらの中において災患を見、出離を思う

故に我は今むしろ無病、無老、無死、無憂寂、無穢汚なる無上安穏の涅槃を求めんと

我時に年若くして清浄の青髪あり

盛年年29にして極めて多く楽戯し装飾して遊行せり

我その時において父母の啼哭し、親戚の楽(ねが)わざるにも拘わらず鬚髪を剃除し袈裟を着け

至信にして出家学道し身命の清浄を護り、口命意命の清浄を護れり

我この戒身を成就し巳りて、無病、無老、無死、無憂寂無穢汚なる無上安穏の涅槃を希求せんと欲するが故に

アララ仙人(アーラーラ・カーラーマ)の所に行きたり」。 


現代語訳

「私が未だこの上ない悟りを開く前、私はこのように考えた。

私自身は病気にも罹るし、齢を取って老い、死ぬ。

また心は時に憂いに沈み、汚れやすい存在だ。このような問題の中に私は災患を見た。

そのような苦しみの世界に沈んでいるより、私は今むしろ、無病、無老、無死、無憂寂で、無穢汚なる

無上安穏の涅槃を得たいものだと、そこから出離脱することを真剣に考えた。

その頃私は年は若く、清浄なる青髪があった。

青春の盛りの29才の時であったので、気の向くむままに多くの娯楽を楽しみ、

服飾(ファション)にも気を使って遊びまわったものだ。

そのような時に私は出家したいと言うと、父母は声を上げて泣き叫び、親戚は反対して中止させようとした。

しかし、私は髪の毛を剃り袈裟を着け、出家学道し、身命の清浄と、口命意命の清浄を心から護ろうとした。

こうして私はこの戒身を成就することができたので、

無病、無老、無死、無憂寂、穢れの無い無上安穏の涅槃を希求した。

そこで、ついにアララ仙人(アーラーラ・カーラーマ)の所に行ったのだ」。 

これを読むと、29才で出家したゴータマ・シッダールタの出家の目的は

無病、無老、無死、無憂寂、無穢汚なる無上安穏の涅槃を求める

ことにあったことが分かる。

ゴータマ・シッダールタの出家は彼自身の内面の問題意識に基づいていたのだ。

後世の大乗仏教では一切衆生を救う為に出家したと言うようになる。

現代の我々には出家の目的が<一切衆生を救うため>より

無病、無老、無死、無憂寂、無穢汚なる無上安穏の涅槃」を求める

個人的真理探究であったと考える方が分かりやすい。

中阿含経羅摩経においてブッダは

「私はその時に父母が泣き叫び、親戚も反対したにも拘わらず、

鬚髪を剃除し袈裟を着け、至信にして出家学道し身命の清浄と、口命意命の清浄を護った。」

と回想している。 これを読むと、ゴータマ・シッダールタは真面目で求道心あふれる人柄であったことが分かる。

この経典の中で注目されるのはブッダが「我は自ら病法、老法、死法、憂寂法、穢汚法なり。」

と考えているところである。

ゴータマ・シッダールタはそんなに健康に恵まれた人ではなく

病気にも悩まされる人であったことを示唆している。

原始仏教(ブッダの仏教)には現世否定と悲観的人生観がつきまとっている。

これもゴータマ・シッダールタが健康に恵まれた人ではなかったことを仮定すれば理解しやすい。

この経典からゴータマ・シッダールタの出家の目的は、

後世の大乗仏教が言うように、全ての苦しむ衆生を救うためではなく

彼自身の苦しみを解決するためだったことが分かる。

またゴータマ・シッダールタが考える真理は単なる真理ではない。

。聖なる真理だという条件が付いていた。

これは彼の言葉「至信にして出家学道し身命の清浄を護り、

口命意命の清浄を護れり。・・・無穢汚なる無上安穏の涅槃を希求・・・  」

の中の「清浄、無穢汚なる」といった言葉に表れている。

この聖なる真理を求める姿勢は彼の一生に付きまとっている。

これが後に仏教が宗教化される要因の1つとなったと考えられるのである。

ゴータマ・シッダールタの6年にわたる求道の旅で最初に師事したのは

アララ仙人(アーラーラ・カーラーマ)とウッダカ仙人(ウッダカ・ラーマプッタ)

と伝えられている。

このことはとの関係から注目される。

何故ならアララ仙人(アーラーラ・カーラーマ)もウッダカ仙人(ウッダカ・ラーマプッタ)

もバラモン階級に属する正統派の思想家ではなく、

禅定修行に専念する自由思想家であったからである。





9・3 アララ仙人とウッダカ仙人の下での修行



シッダールタが最初に訪ねたアララ仙人は<無所有処

(何物も所有する想いがないという境地)に達しその禅定修行を指導していた。

中阿含経羅摩経にはアララ仙人のもとで禅定(坐禅)修行した

ゴータマ・シッダールタはほどなくアララ仙人の説く法を作証した。

ブッダの言葉として「我は識無辺処を越え無所有処を得て成就せり。」とある。

アララ仙人の<無所有処定>に満足できなかったゴータマ・シッダールタは次にウッダカ仙人を訪ねた。

ウッダカ仙人は<非想非非想処>(想いがあるでもなく、無いのでもないという境地)に達していた。

ウッダカ仙人のもとで修行したゴータマ・シッダールタはほどなくウッダカ仙人の説く法を作証した。

この時のブッダの言葉として、

独り遠離せる安静に住して心に放逸なく修行し精勤せり

久しからずして彼法を証することを得たり

いわゆる無所有処を越え非想非非想処を得て成就せり。」とある。

このことから、ゴータマ・シッダールタは出家後の最初の求道の旅において

アララ仙人とウッダカ仙人の指導を受け坐禅修行に集中したことが分かる。

その修行の結果、アララ仙人の説く<無所有処定>とウッダカ仙人の説く<非想非非想処定

という禅定法を短期間で修得した。

しかし、これに満足できなかった彼はそこを去る。

その後彼は長い苦行を行うのである。






9・4 ゴータマ・シッダールタの苦行:壮絶な生体実験




ゴータマ・シッダールタは29才の時出家して開悟するまで6年を要している。

アララ仙人とウッダカ仙人のところでどれくらいの期間修行したかもはっきりしない。

苦行は6年間行ったと伝えられる。苦行の内容は比較的はっきりしている。

ゴータマ・シッダールタは山林にこもって修行をする。

この修行の目的は1つは恐怖との戦い、2つは欲望との戦いであった。

欲望とは主として食欲である。

彼は激しい断食に挑戦する。

飲食物を最低限、命をぎりぎり維持するところまで制限する。

1日にナツメの実1粒から始め、次には1日に米1粒、

次には1日にゴマ1粒と食事量を減らしたと伝えられる。

最後には全ての食物を断つのである。

このような苦行によってかって美しかった身体も色艶が全くなくなり、

断ち割ったヒョータンのようにしなびた。

肋骨も見えるようになったが悟りを得ることができなかった。

また呼吸のコントロール(止息)も実践したことが伝えられる。

これは呼吸とは何か?息を止めたらどうなるかを実体験で知りたかったからだと考えられる。

息を止めると最後には頭がガンガンと鳴り耳で呼吸するようなところまで経験したとも伝えられる。

その頃のインドでは人間は何故呼吸するのか、

空気中の酸素が生命維持に不可欠な役割をしていることなどの知識がなかったためであろう。

ブッダの生きた時代(古代)には現代の科学はなかった。

人類の文化の夜明けの時代であったからこのような無謀とも言える修行ができたものと考えられる。

古来インドでは肉体を苦しめ修行することは宗教的な熱力(タパス)を蓄積すると信じられていた。

特に断食をすれば神秘的な熱力が獲得されると信じられていた。

ゴータマ・シッダールタは自己の身体と心を明らかにするため、

自己の身命を賭して壮絶な生体実験を行ったと考えることができる。




9.5

9.5   ゴータマ・シッダールタの開悟と梵天勧請説話




 このような苦行に集中したため、何度も気を失ったり、死にかけたりしたことが伝えられている。

さすがのゴータマ・シッダールタもこのような苦行から何も得ることができないことに気づくのである。

彼は遂に苦行を捨てるのである。

シッダールタの苦行を見ていて密かに心をいためていたスジャータ

という村娘の差し出す乳粥を食べ体力を回復したと伝えられる。

その後、悟りを必ず達成しようという一大決心のもと、吉祥草を敷き菩提樹の下で澄心端座(坐禅)する。

ある日彼は深い禅定に入ったまま夜を徹して坐禅を続けた。

そのまま早朝に至り、ふと眼を上げて暁の明星を見て大悟し、ブッダ(覚者)としての自覚を得たと伝えられる。

それはシッダールタ35才の時であった。

普通、苦労して悟りを開いたのだから直ぐ布教のため説法を開始したと思われるかも知れない。

しかし、ゴータマ・ブッダは菩提樹の下で開悟した後、

有頂天になってすぐ悟りの内容を人々に説法したのではない。

説法をしないでそのまま涅槃に入ろう(死のう)としたとも

あるいはこのまま静観しようとしたとも伝えられている(相応部経典6・1・1.)。

ゴータマ・ブッダの<初転法輪>(最初の説法)には梵天(ブラフマー神)が関わったと伝えられている。

 ブッダが最初に説法をしたのは開悟して実に5週間後であった。

彼はその間菩提樹などの樹下にいたのである。

開悟の後最初の一週間彼は菩提樹下で解脱の喜びと楽しみをかみしめながら坐禅していた。

第2週目にはアジャパーラ榕樹(バンヤン)の下に移り7日間を過ごした。

第3週目にはムチャリンダ樹の下で7日間を過ごした。

その時大雲が起こり7日間雨が降り寒風が吹いた。 第4週目には ラージャヤータナ樹の下で7日間を過ごした。

第5週目には アジャパーラ榕樹の下に移った。

この時<梵天勧請>という現象(奇跡)が起こったと伝えられる。

即ち梵天(ブラフマー神)が出てきてこのまま静観したまま死のうとする

ブッダに三度も生きて説法をしてくれるよう懇願したというのである。

梵天(ブラフマー神)の三度にわたる熱心な懇願によって、

ブッダはようやく説法を始める気になったというのである。

梵天(ブラフマー神)とは宇宙の創造神であり、ヴェーダ時代のインドの最高神である。

この<梵天勧請>説話を記した原始仏典もある(「説法の要請」相応部経典6・1・1)。

この物語は大乗仏教でブッダが神格化される前に

既にブッダを神格化しようとする動きがあったことを示唆している。

その経典にはブッダの悟りと説法躊躇の理由が簡潔に述べられているので興味深い。

経典の述べていることを見よう。

わたしの悟り得たこの法は深遠で、理解しがたく、さとりがたい

静寂であり、卓越していて思考の領域を越える

微妙であって、ただ賢者のみよくそれを知ることができる

ところが、世の人々は五つの感覚器官の対象を楽しみとし

それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている

それらを楽しみとし、それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている人々にとって

実にこの道理、即ちこれを条件としてかれがあるという縁起の道理は理解しがたい

また、すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと

欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃であるというこの道理も理解しがたい

もしわたしが法を説いたとしても

他の人々がわたしを理解してくれなかったらそれはわたしにとって疲労であるだけだ

それはわたしにとって苦悩であるだけだ、と。・・・

わたしが苦労して悟り得たものを、いま人に説いて何の得るところがあろうか

貪欲と憎悪とにうち負かされた人々にとって、この法をさとるのは容易ではない

常識の流れに逆らい、精妙で、深遠で、理解しがたい

微妙なこの法を、貪欲に汚され、幾重にも無知の闇におおわれている人々はみることがない。」

ブッダはこのように考え、人々に説法はしないでそのまま涅槃に入る(死ぬ)か、

このまま静観しようとした。

その時宇宙の最高神である梵天(ブラフマー神)が現れ

ブッダにあなたがこのまま説法をしないでいると世界は闇になる。

世の中には優れた能力を持った人もいるからどうか説法を開始して下さいと懇願する。

ブッダはこの梵天の熱心な懇願を三度も受けて説法を開始する気になった、

と言うのが梵天勧請説話である。

このドラマチックな梵天勧請説話は仏教徒に一般的に信じられている。

しかし、「三明経」という原始仏典ではブッダは梵天ブラフマー神)の存在と信仰を明快に否定している。

この方がその後のブッダの一貫した思想と矛盾しない。

この観点からすると梵天勧請説話

仏教徒がブッダと仏教を権威づけるために創作した作り話だと思われるのである。

では、ブッダは開悟後5週間の間菩提樹などの樹下で何をしていたのだろうか? 

筆者は次のように考えている。

開悟の後最初の一週間は菩提樹下で解脱の喜びと楽しみをかみしめながら

坐禅していたというのは本当に近いだろう。

長く苦しかった修行の後に達成した悟りの喜びに浸ったに違いないだろう。

しかし、その喜びがそんなに長く続くはずはない。

現実に立ち戻ったに違いない。 その後1カ月(4週間)は自分の悟りの内容を点検し、

他人に思想として言葉で伝えるとどうなるのだろうか?

誰に話したら一番良いだろうか?

など今までの求道の過程を振り返りながら初転法輪の説法(処女説法)

の準備をしていたと考えるのが一番自然である。

即ち1カ月間は自分の悟りの内容を体系化し

それを分かりやすく説法する準備をしていたのではないかと思われるのである。

何故なら初転法輪の説法の内容がその場の思いつきでは考えられないほど

極めて論理的で首尾一貫した思想となっているからである。

充分な準備のもとに説法を開始したに違いないと考えられるもう1つの理由は

開悟の場所(ブッダガヤ)と処女説法(初転法輪)の地バーラーナシーまでの距離を考えれば分かる。

ブッダは悟りを開いた後、かって苦行を共にした5人の比丘を相手に初転法輪を行った。

ブッダが開悟した場所はブッダガヤである。

ブッダガヤから初転法輪の地バーラーナシー(ベナレス)まで直線距離にして200km以上はある。

1日20km近くの速度で歩いても10日以上はかかる遠距離である。

2500年前の交通路は現代のような平坦な道ではない。

山道や橋の無い河もある悪路であったはずである。

この悪条件を考えればもっと日数を要したと考えられる長距離である。

これを歩いて行かねばならない。

200kmは普通の人には嫌になる距離であろう。

初転法輪への充分な準備と大いなる意欲があったから

バーラーナシーまで行ったとしか考えられないのである。

ブッダの最初の説法が開悟から5週間もかかったのは梵天勧請のためではなく、

この準備のためだと考えるのが自然ではないだろうか?

<梵天勧請>説話を記した相応部経典にはブッダの悟りの本質と内容が分かりやすく述べられている。

経典の中でブッダは「世の人々は五つの感覚器官の対象を楽しみとし

それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている

  それらを楽しみとし、それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている人々にとって

実にこの道理、即ちこれを条件としてかれがあるという縁起の道理は理解しがたい。」と考える。

経典の中のブッダの言葉「世の人々は五つの感覚器官の対象を楽しみとし

それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている

は現代人にもピッタリ当てはまる。

2500年前と現在とでは文明は格段の進歩をしたが人間の本質は殆ど変わっていない

ことを知って愕然とするくらいである。

ブッダの考えは2500年経った現代にもあてはまることを示している。

続いてブッダは「これを条件としてかれがあるという縁起の道理は理解しがたい」と言っている。

この部分は現代には当てはまらないだろう。

現代人にとってこれを条件としてかれがあるという縁起の道理は理解し易い。

これは科学的思考法と同じであるからである。

その後に続いて、「すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと

欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃であるというこの道理も理解しがたい。

という言葉も現代人にとって理解しにくいだろう。

すべてのものへの執着を捨てることができ、渇欲をなくすことができ

欲情を離れることができたならば、煩悩が消滅する

という論理(理屈)は理解できる。

即ち、現代人にとってブッダの言うことは実に合理的で分かる(理解できる)。

しかし、実行できない、というのが本当のところであろう。

現代資本主義社会はキリスト教の禁欲精神から解放され、

人間の諸欲を肯定しそれを追求したところに成立した文明と考えられている(M.ヴェーバーの説)。

ブッダの言う理論(理屈)はよく理解できるが実行はできないというところである。

またブッダの言う「すべての存在の静まること」とは何か?

ブッダが体験した涅槃とは何か?

という点は何を言おうとしているのか良く分からないところがある。

その意味では現代人にとってブッダの悟りと涅槃には

あと実体験すれば分かる壁1枚隔てた近い場所にあると思われる。

この経典には仏教の最終目的である<涅槃>が分かりやすく定義されているのが注目される。




9.5-1
9.5.1 涅槃の定義


すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと

欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃である。


   
解釈

この<涅槃>の定義のなかで特に、冒頭の言葉「すべての存在の静まること」の意味が分かりにくい。

この言葉は禅定(坐禅の集中状態)の視点から考えると比較的分かりやすくなる。

すべての存在の静まること」とは深い禅定(坐禅の集中状態)に入って雑念が消滅した<寂静の境地

を指していると考えることができる。

そのように考えれば、

禅定(坐禅)の修行によって、すべての執着を捨て、渇欲をなくし

欲情を離れ、雑念や煩悩が消滅すること、それが即ち涅槃である」と言っていることが分かる。


これが涅槃の定義だと言っても良いのではないだろうか?



9.5.2
9.5.2 仏教と寂静の道



古来より、仏教の旗印は<三法印>とされる。

三法印>とは「諸行無常」、「諸法無我」、「涅槃寂静」の三つの旗印である。

この<三法印>が仏教の旗印となる特徴的な教えと考えることができる。

以上で考えた<涅槃>の定義はこの<三法印>の中の「涅槃寂静」にぴったりと対応している。

禅定(坐禅)の修行によって、すべての執着を捨て、渇欲をなくし

欲情を離れ、雑念や煩悩が消滅する<寂静の境地>に至ると、深い安らぎの心が生まれる」。

それが(「涅槃寂静」)」だと言っていると考えることができる。

これが仏教の開祖ゴータマ・ブッダが説いた涅槃の原点だと考えることができるだろう。

またブッダの死後、紀元四世紀頃の創作と考えられている『涅槃経(大乗涅槃経)』には

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の無常偈が説かれている。

この無常偈も<三法印>と同様に、

仏教のエッセンスを表現していると言えるだろう。

三法印の「涅槃寂静」と『涅槃経』の無常偈第四句「寂滅為楽」はともに、

禅定修行によって得られる「静かな安らぎの心」を表している。

また紀元1世紀頃成立したと考えられているヒンズー教の聖典「ヴァガヴァッド・ギーター」には、

古代インドのヨーガ(瑜伽)の修行が

絶えず自己(心)の実修を行い、意を統御する実修者は涅槃を極致として

わたしの中にある寂静に到達する。」と述べられている。

ブッダの原始仏教時代より、仏教の正統的修行法は三十七道品を主とする禅定修行(坐禅)であった。

「仏教の正統的修行法である三十七道品」を参照)。

そのことを考えると「仏教は寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)だ」という結論は正しいと考えられる。

「ヴァガヴァッド・ギータ」が説く、「寂静の道」を参照)。

これらの例からも分かるように、

仏教はインド伝統のヨーガ(瑜伽)の修行とともに、「寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)」といえる。

ところが6〜7世紀に生まれた後期大乗仏教(密教)では、

欲望肯定の「促進の道(プラヴリッティ・マールガ)」が説かれるようになる。

密教が説く欲望肯定の「促進の道(プラヴリッティ・マールガ)」は

寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)」が変化・変容したものであることが分かる。

以上の考察より、ブッダの死後、紀元6〜7世紀頃現れた密教は、

ブッダが説いた仏教が「寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)」から、

促進の道(プラヴリッティ・マールガ)」へと変化・変容したものであると結論できるだろう。

密教(特に後期密教)はゴータマ・ブッダが創始した本来の仏教には無かった教えである

ことに注意すべきである。

「促進の道」と、「寂静の道」とタントリズムを参照)。



9.5.3
9.5.3 いろは歌と涅槃経、寂静の道



現代に伝わる「いろは歌」の内容は、以下の通りである。

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせす


「いろは歌」は、手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。

12世紀の僧侶で新義真言宗の開祖である覚鑁(かくばん、1095〜1144)は

『密厳諸秘釈(みつごんしょひしゃく)』の中で「いろは歌」 の注釈を記し、

「いろは歌」は『大乗涅槃経』の中の無常偈(むじょうげ)「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」

(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真のやすらぎがある)

の意訳であると説明した。

いろは歌は四十七のかな文字を使って作られている歌で、文字を習得する手習い歌として、

近代に至るまで長く使われてきた。七五調四句からなる今様形式の歌である。

古くから弘法大師空海の作と伝えられていたが、その当時に今様形式の歌は存在しなかったなどの

理由によりその可能性はきわめて低く、もう少し後の時代に作られたようである。

作者は諸説あるが、確定した説はなく、現時点では不明である。


 いろは歌の二通りの読み方


いろは歌の、最後の行の読み方に 二通りある。

第一の読み方は 「浅き夢みじ」 と 「し」 に濁点がつく読み方(説)である。 

第二の説は 「浅き夢みし」 と、 「し」 には濁点がつかないという説である。

「浅き夢見し」 ならば、現代語では 「浅い夢を見た」 という意味になる。

つまり、悟った今の境地に立てば、

今までは 「"有為の奥山"= "無常なる無明 (煩悩) の世界"で 、

浅い夢を見ていたことだなあ」 という解意味になる。

しかし、第一の説「浅き夢見じ」 の場合には、

悟りを開いた今となっては「(酔っていないの時のような浅い夢を見るようなことはない」

と、浅い夢を見るような生き方をしていないと宣言していることになる。 

この場合、これまでの色々な苦しみを乗り越え、悟りに至った感慨と喜びのようなものが感じられる。

アカデミズムの世界では、ほとんどがこの 「浅き夢見じ」 説をとっているようである。

『大乗涅槃経)』の「諸行無常偈」との対応を考えると、いろは歌の現代語訳は次の表のようになる。


表9.0「諸行無常偈」との対応を考えた、いろは歌の現代語訳
 
いろは歌 「諸行無常偈」との対応 意味
いろはにほへと ちりぬるを  色は匂えど 散りぬるを (諸行無常) 匂うがごとき 喜びや楽しみもすぐ散ってしまう 
わかよたれそ つねならむ 我が世誰ぞ 常ならむ  (是生滅法) 人の世の移り変わりを誰がとどめられようか
うゐのおくやま けふこえて 有為の奥山 今日越えて (生滅滅已)今日、修行の結果、悟りを完成して無常と迷いの山々を超えることができた。 
あさきゆめみし ゑひもせす 浅き夢見じ 酔ひもせず  (寂滅為楽) 浅はかな夢を見たり快楽に酔うこともすでに無くなった。 


「諸行無常偈」の第4句「寂滅為楽」は深い禅定に入って、

雑念が無くなった下層脳中心の大安楽の「涅槃寂静」の状態を表していると考えることができる。

  こう考えると、「諸行無常偈」は原始仏教から続く「寂静の道」を表していることが分かる。

「促進の道」と、「寂静の道」とタントリズムを参照)。

世の無常を歌った「いろは歌」 は古くから誰もが知る日本人にとって基本的教養となっている。

  このことは仏教の「寂静の道」は日本文化にしみこみ深い影響を与えてきたことを示している。

例えば、茶道の心得を示す標語に「和敬清寂」という有名な言葉がある。

特に千家ではこの標語を千利休(1522〜1591)の定めた

「和」、「敬」、「清」、「寂」を表す「四規」として重要視している。

「和敬清寂」という有名な言葉は「清」を「静」と読み替えて、「和敬静寂」と書くこともある。

しかし、「和敬静寂」は間違いで「和敬清寂」が正しい。

深い禅定に入った時、「静寂」の境地から「清寂」の境地が生まれる。

従って、「和敬静寂」と「和敬清寂」とは本質的には同じと言えるだろう。

このように、利休より続く茶道の精神は、

ゴータマブッダ以来2500年も続く仏教の「寂静の道」につながっているのである。


9.6

9.6  ゴータマ・ブッダの悟りと説法の内容




ゴータマ・ブッダの悟りの内容については種々の解釈があり、特定できない。

ゴータマ・ブッダは開悟の後バーラーナシーのイシパタナ・ミガダーヤ(仙人住処・鹿野苑)に行き、

かって一緒に修行した5人の修行者に最初の説法を行った(初転法輪)。

その時の説法が経典として今に伝えられている。

初転法輪の説法には大悟した直後の生々しい息吹が反映されていると考えられる。

初転法輪の時ブッダが何を語ったかを見ることにしよう。



初転法輪の内容は

中道

八聖道(8正道)

四聖諦

五蘊無我

の教えである。


この教えによって5人の修行者は解脱し、阿羅漢になったと伝えられている。

阿羅漢とは原始仏教や小乗仏教では最高位の聖者とされる。

古い経典ではブッダも阿羅漢の1人とされるのである。

それでは1〜4の内容を点検しよう。




9.7

9.7 中道




ブッダは欲望のおもむくままに快楽に耽る生活と苦行主義をともに否定し

その両辺に偏らない中道が悟りに導く実践的方法だとした。

2の八聖道(8正道)はその具体的実践内容として説かれたのである。

3の四聖諦は人生苦に関する4つの聖なる真理である。

そして、ブッダは初転法輪の後に4の五蘊無我を説いたと伝えられている。

1の中道は分かりやすい。

当時は苦行によって解脱は達成できるという一般的風潮があった。

苦行も激しければ激しいほどよいと信じられていた。

激しい苦行を実行したブッダは苦行は必要以上に心身を苛むだけで、

悟りには至らないことを身を持って体験している。

また苦行の反対に位置する快楽主義も悟りに至る道ではないと否定している。

快楽主義は出家する前に王宮で経験している。

中道とは現代の考え方で言えば、

苦楽の中間を行く合理的な道(理にかなった教法、理法)だと考えれば分かりやすいだろう。

よく中道とは両極端を離れた中庸だという解釈がなされている。

しかし、ブッダの教えを客観的に見る時合理的な道(道理にかなった教法)だ

と考えた方が正鵠を得ていると思われる。

勿論現代の考えに基づく合理ではない。

2500年前ブッダが生きていた時代、

ブッダから見た合理的なものの見方であることは言うまでもない。

2000年前は合理的な考え(現代では科学的考え方と言っても良い考え方)や

概念がなかったため中道と言う表現をしたに過ぎないと思われる。






9.8

9.8  八聖道(はっしょうどう、八正道)



八聖道(or八正道)は仏教の基礎となる考え方で、

八聖道の実践によって苦の止滅に至ることができるとされる。

、四聖諦のうち苦滅道諦の具体的内容となっている。

八正道は次の表9.1に示す8項目からなる。




表9.1 八聖道
 
No 八聖道 意味
正見(しょうけん) 正しい見解 
正思(しょうし) 正しい思索 
正語(しょうご)正しい言葉 
正業(しょうぎょう) 正しい行為 
正命(しょうみょう)正しい職業  
正精進(しょうしょうじん) 正しい努力 
正念(しょうねん) 正しい注意力 
正定(しょうじょう) 正しい精神統一 



9.9

9.9 四聖諦(しょうたい)



4つの聖なる真理という意味。これも表にまとめた方が分かりやすい。



表9.2 四聖諦


4つの聖なる真理 意 味 内 容
苦聖諦  迷いにもとづく生存は苦であるという真理 人生の苦は四苦八苦からなる。 
苦集諦 苦の生起に関する真理苦の生起は喜と貧が伴い、いたるところにおいて執着する渇愛が原因となっているという真理。
苦滅諦  苦の止滅に関する真理苦は不変の状態ではない。苦の原因である渇愛を余すところなく滅し去ると、もはや執するところのない境地(解脱)に至る。 
苦滅道諦 苦の止滅に至る方法に関する真理。 八聖道からなる。八聖道の実践によって苦の止滅に至ることができる。 

注:

苦聖諦で言う四苦とは生・老・病・死の苦しみである。

この他に次の4つの苦(四苦)を付け加えて八苦となる。





四苦:




@ 怨憎会苦(おんぞうえく):   (怨み憎む人に会う苦しみ)


A 愛別離苦(あいべつりく):  (愛する者と別れる苦しみ)



B  求不得苦(ぐふとくく):  (求めても得られない苦しみ)



C 五蘊盛苦(ごうんじょうく):   (心身が元気すぎるための苦しみ)


の4つの苦しみを言う。<四苦八苦する>という言葉の語源はここにある。



生・老・病・死から五蘊盛苦までを合わせると八苦になる。

これが苦聖諦の内容である。

この四苦八苦は人生苦を客観的に分析し、まとめたものである。

現代でも充分通用する真理である。

よく108の煩悩があり、大晦日にお寺の鐘を108回鳴らすのはそのためであると言う。

四苦八苦を掛け算で表すと 

4x9+8x9=108となる。これから来ていると言う説もある。




四聖諦と八聖道は仏教の基礎となる考え方となっている。

四聖諦のうち苦、集の2諦は事実をありのままに見る実相観である。

滅・道の2諦は解脱観である。

八聖道は苦滅道諦そのものである。

八聖道は苦からの解放と解脱を実現するための実践法である。

四聖諦は分かりやすい。人生は苦しみに満ちている。

それには渇愛という原因がある。渇愛を滅し去るともはや何ものにも執着しない境地に至る。

その実践法として八聖道がある。

四聖諦は非常に合理的・論理的な教えである。

これは病人に対する医者の姿勢に例えるとさらに分かりやすい。


苦聖諦:



医者が病人に言う、「あなたは苦という病に罹っています

その苦という現実の状態を直視して下さい。」

苦集諦:



医者「この苦には原因があります。それは渇愛です。」

苦滅諦:



医者「原因である渇愛を取り去ればあなたは苦から解放されます。」



苦滅道諦:



医者「八聖道は苦を治す治療法です。八聖道を実践すればあなたは苦から解放されますよ。」



八聖道のうち、4.正業(正しい行為)、5.正命(正しい職業)を除けばすべて精神<心>の問題である。

いやすべてに正という言葉があることを考慮すればすべてが<心>の問題であると言って良い。

肉体を鍛えよとか金を儲けて豊かな生活をすることが解脱への道であると考えられていない。

このように、仏教の中心命題は苦からの解放(精神的解放=解脱)にある!

八聖道は仏教の核心である。これを分かりやすく図示すると次のようになる。



fig.9.1
図9.1

図9.1 仏教の中心命題は苦からの開放(精神的開放=解脱)である



上の図9.1において正精進を抜き出した形で図が描かれている。

図の左半分が八聖道を表している。正見、正思、正語、正業、正命、正念、正定を努力して実践すること

(正精進)によって渇愛を滅尽し苦からの開放(解脱)が実現することを表している。 

八聖道の目指すものが精神的苦しみからの解放であることは

八聖道の各項、正見・正思・・全てが人間の精神活動・頭脳活動そのものであることからわかる。

生活水準を上げて物質的貧困・苦しみから解放することではない。

出家修行が基本であるため、<小欲知足>の生活をせざるを得ない。

物質的豊かさからくる幸福より精神的安らぎを目指したものである。

そこに仏教の特徴があるとともに、限界にもなっている。

八聖道の第一に「正見」と言う項目が来ているのが注目される。

もう一つ注目されることは八聖道の項目には正しい信仰、

神仏への信仰という宗教的な項目が一つもないことである。

正見・正思のような合理的知性を重んじる実践項目が最初に来ていることも仏教の特徴と言える。

ブッダはSN(スッタニパータ、経集)81詩で

バラモン・バーラドヴァージャに対し覚者のことを「正しく見る人」と言っている。

ブッダの考えがどこにあったかを示している。

以上をまとめると次のようになる。

四聖諦の真理を理解し、八聖道の実践を通し、心を清らかにする。

そうすると渇愛に基づく感情的・感覚的生き方が止む。

そのことによって無明・苦の生活から離脱(解脱)できる。

自己を八聖道の実践を通し鍛えなさい。

そのことによって無明・苦の生活から離脱(解脱)できる。

これがブッダの説いた八聖道のエッセンスではないだろうか?

そのような観点から直感的な図で八聖道のエッセンスを示すと次の図9.2になるだろう。



図9.2

図9.2 八聖道の実践による自己確立と自帰依



図9.2で示すように8角形の角が8正道の各項目を表している。

八正道の実践(修行)によって形成される自己がブッダの説く理想的な自己であると考えられる。

ブッダはその一生の終わりに臨み<自帰依>の教えを説く(マハー・パリニッバーナ経)。

「ブッダの遺言と最後の教え」を参照)。

<自帰依>の教えはこの図を見るとよく分かる。

八正道の実践(修行)によって形成される自己に帰依し信頼しなさいと言っているのだ。

初転法輪以来終生考え方は変わらなかったことを示している。

理化学研究所の認知機能表現研究チームのリ−ダー田中啓治博士は

ヒトとは自分独特の方法で自分を訓練し独創的自分を作り上げることで文化を築く存在である」と言っておられる。

八正道の実践(修行)によって理想的自己実現を説くブッダは

四諦・八聖道などの方法で修行することで

信頼に値する独創的自分を作り上げることで苦しみや迷いからの開放をを目指した

と言えるのではないだろうか。

ブッダの説く八正道で特徴的なことは何が正しいかをはっきりと規定していないことである。

各自が何が正しいかを考え、追求する自由度があることであろう。

他の宗教のように、堅苦しい宗教的ドグマや教条によって縛るようなことがない。

このような自由と寛容さも仏教の特徴の一つと言えるのかも知れない。


 注目されるのはブッダの初転法輪における説法はこれだけではなかったことである。




9.10

9.10 五蘊無我




普通初転法輪の説法では「1.中道 2.八聖道(8正道)3.四聖諦」までとされている。

しかし、5人の修行者に対するブッダの説法はこれに止まらず五蘊無我の教えを説いている。

これは「無我相経」として「律蔵」や「相応部経典」にある。このことは重要な意味を持っている。

ブッダは5人の修行者に対してはまず「1.中道 2.八聖道(8正道)3.四聖諦」を説き、

寝起きを共にしながら托鉢修行の生活をした。

この生活によって心を清らかにし、渇愛に基づく感情的・感覚的生き方を止めさせたと思われる。

即ち、ブッダは5人の修行者の心がこの生活を通して素直にかつ清らかになることを

待っていたと思われるのである。

そのことが確認できた時、ブッダは5人の修行者に受戒して、弟子となることを許している。

この場面を経典では次のように述べている。

尊師よ、わたくしは世尊のもとで出家しとうございます。わたくしは受戒したく存じます。」

来なさい。修行者よ。真理はよく説かれた。正しく苦を終滅させるために、清らかな行いをしなさい。」

と世尊は言われた。

これが尊者(5人の修行者)たちの受戒であった。

尊師よ、わたくしは世尊のもとで出家しとうございます。わたくしは受戒したく存じます。」

来なさい。修行者よ。真理はよく説かれた。正しく苦を終滅させるために

清らかな行いをしなさい。」と世尊は言われた。

これが尊者(5人の修行者)たちの受戒であった。

その後ブッダは機が熟すのを見て五蘊(ごうん)無我の教えを説いた。

「中道、八聖道、四聖諦」は五蘊無我を説くための基礎的準備説法と考えられる。

五蘊(ごうん)とは(色かたちあるもの、身体)、(感受作用)、(表象作用)、(形成作用)、(識別作用)

の五つである。

「律蔵」では五蘊(ごうん)無我の教えによって5人の修行者は解脱し、阿羅漢(さとりを開いた最上位の修行者)

になったと述べている。

ここで注目されるのはブッダの「清らかな行いをしなさい。」という言葉である。

ブッダの説く教えは清らかさを重視する。聖なるものの追求である。単なる哲学や思想と異なる側面である。

清らかさを重視する」ことが後世仏教が宗教化する原因の1つになったと考えられる。

「中道、八聖道、四聖諦」は非常に明晰で強固な論理に支えられている。

これだけを見る限りブッダの説く教えが宗教であるという印象は受けない。

人生は苦であると分析し、その人生苦からの開放を目指す「中道、八聖道、四聖諦」の教えは

平易で明晰な実践哲学の性格をもっている。

この考えに到達するために6年間の苦しい修行が必要であったとは考えられない。

このように考えるとブッダの悟りの核心は五蘊無我の教えにあると考えられるのである。

中国禅の黄檗希運禅師は「伝心法要」において「五蘊無我」を強調している。

「自心が仏にほかならぬ」を参照)。

禅宗が説く無我や無心の境地の源流はここにあると言えるだろう。





9.11

9.11  七仏通誡偈に見る原始仏教の倫理




過去七仏が説いたとされる「諸悪莫作、諸善奉行、是諸仏教」という偈がある。

諸々の悪をなすこと莫れ、諸の善を奉行せよ。これぞ諸仏の教えなり」と訳される。

この句は通常七仏通誡偈と言われる有名な偈である。

この漢訳偈の原詩はDP(ダンマパダ、法句経)183詩

すべて悪しきことをなさず、善きことを行い、自己の心を浄めること、−これが諸の仏の教えである。」

とされる。

これに似た偈が「感興のことば」第28章「悪」にある。

それは「みずから悪をなすならば、つねに自分が汚れる

みずから悪をなさないならば自分が浄まる。」という句である。

これを参考にすると七仏通誡偈の意味は「すべて悪いことをしてはいけない

諸の善いことを行うことによって自己の心を浄めなさい。」

これが諸の仏の教えである、となるだろう。

この七仏通誡偈の精神は善いことを行うことは自己の心を浄めるためであるとして

自己心浄化に重点が置かれている。

ブッダの説く教えは単に苦しみの消滅だけではなく清らかさと聖なるものを追求していることが分かる。

これは八聖道のめざすものである。

七仏通誡偈の言っていることは実行は難しいかも知れないが単純で分かりやすい。

このような単純明解さがブッダの原始仏教の特徴と言える。

七仏通誡偈の言っていることは実行は難しいかも知れないが単純で分かりやすい。

このような単純明解さがブッダの原始仏教の特徴と言える。


9.12

9.12 ブッダが説く五蘊無我




「無我相経」でブッダは5名の修行者に五蘊(ごうん)無我について次のように説く、

「修行僧らよ、いろ・かたちあるもの(色)は我(アートマン)ならざるものである。

もしこのいろ・かたちあるもの(色)が我(アートマン)であるならば

このいろ・かたちあるもの(色)は病にかかることはないであろう。

いろ・かたちあるもの(色、身体)について「わがいろ・かたちあるもの(色)はこのようであれ」とか

「わがいろ・かたちあるもの(色)はこうあることがないように」となしえよう。

しかるに修行者たちよ、いろ・かたちあるもの(色、身体)は我(アートマン)ならざるものであるから、

いろ・かたちあるもの(色)は病にかかり、また、いろ・かたちあるもの(色)について

「わがいろ・かたちあるもの(色)はこのようであれ」とか

「わがいろ・かたちあるもの(色)はこうあることがないように」となしえないのである。」

このように言った後に

感受作用(受)、表象作用(想)、形成作用(行)、識別作用(識)についても

同じ論理で我(アートマン)でないことが説かれる。

これらは自分の思い通りにはならない。

すべて無常であり、苦であることが説かれている。

そして最後の結びの部分で、

「修行僧らよ、このように観察し、教えを学ぶ聖なる弟子は、

いろ・かたちあるものを厭い離れ、感受作用(受)を厭い離れ、

表象作用(想)を厭い離れ、形成作用(行)を厭い離れ、識別作用(識)を厭い離れる。

厭い離れたとき、貪りを離れる。

貪りを離れるから、解脱する。解脱したとき『わたくしは解脱した』と知る者になる。

すなわち、『輪廻の生まれはは尽きた。清らかな行いは収められた。なすべきことはなしおえた。

もはやこのような迷いの生存を受けることがない」とさとるのである』と言っている。

ブッダがこの五蘊無我の教えを説くと、5人の修行者は執着なく、煩悩の汚れから心が解脱した。

そのとき、世間に6人の阿羅漢(さとりを開いた最上位の修行者)がいることになったと述べている。

6人の阿羅漢とはブッダと5人の修行者を指している。

原始仏教ではブッダと5人の修行者を平等にあつかい区別していないことが注目される。

五蘊(五陰ともいう)とは物質的なかたち()、感受作用()、表象作用()、

形成作用()、識別作用()である。

五蘊とは人間存在の5つの根源的要素である。

蘊とは積集、即ち寄り集まってできたものの意味である。

五蘊は仏教の中心概念の一つである。

ここでいう物質的なかたち()とは無機的物質ではなく身体(肉体)のことと考えて良い。

 ブッダは人間存在を()、()、()、()、()の5要素(五蘊)に分析する。

これらの5要素はたえず変化しており、自分の思う通りにはならない(コントロールの外にある)。

我(アートマン)と言われる霊的中心はそこには存在しない。

我(アートマン)的実体や霊魂のようなものは無いにもかかわらず、

人はそれをあるとして執着する。

そのため苦が生じる。それをありのままに正しい智恵によって見、

我(アートマン)という考えに執着しなければ解脱できるという教えである。




9.13

9.13 「五蘊」説は何故出てきたのだろうか?



 荒巻典俊氏は五蘊説は禅定体験から出たものだとして次のように説明している。


禅定が深まるとともに滅して行く意識は表層から深層に向かって次のように分析できる。

まず一番の表層には眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)、意(脳)の6根(感覚、意識器官)がある。

これらは色(物質)でできている。

その次ぎにはこの6根が外界から刺激を受け取る。

この段階が受である。

次ぎの段階では想(表象作用)が生じる。

想は意識の原初的なものを指すと考えられる。

意識の原初的なものである想が生成する働きである行によって識(分別意識、認識)になる。

即ち、受、想から識(分別意識、認識)になるのは何らかの形成作用が働いたからだと考えたのである。

このためため行という概念を導入し、識の形成を説明したらしい。


このように考えると五蘊説は分かりやすい。

五蘊説は自己存在に対する認識論として考えられたものであることが分かる。

外界からの刺激(情報)が肉体(色)である感覚器官を通して

脳の中で認識や意識となる過程を五つの要素に分析したもので現代の我々にも分かりやすい。

ここで注意しておくべきことは古代インドでは意識の座が脳にあることは分かっていなかったことである。

「行」という考えで意識生成の直前になんらかの形成作用が働いていると想像したものと思われる。

現在では行は形成作用と訳されているようである。

現在の脳科学では6根で受容された刺激は電気的インパルスとして神経を通り、脳に行く。

その後脳内神経回路で6根に対応した認識(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、意識)

が形成されると考えられている。

例として視覚を考えよう。

りんごを目で見た時、眼で生じた電気信号は脳内の視覚連合野に行き丸い、赤いなどの初期的情報が生じる。

この情報が更に高次連合野に行く。

高次連合野では過去の記憶と照合され、これがりんごであるかどうかを判断し、

さらにどこにあるか(位置関係に関する情報)という情報の統合が行われる。

視覚連合野での初期的情報が生じる段階が受であり、

高次連合野で行われる情報の統合が行(形成作用)だと考えられる。

このような脳内過程が分かったのはこの100年の脳神経科学の成果による。

勿論最先端科学の精密な測定装置を使っての研究成果である。

五蘊とは入力神経系とそこで認識が生まれるまでを

五つの要素に分析して言っていると考えれば分かりやすい。

古代インドには脳内現象を測定する精密分析装置はない。

高度な科学もない時代だ。

坐禅(定)という実体験(実験)に基づいてこの説を考えたのだ。

今で言えばブッダは実験科学者である。

このように考えると五蘊説は面白い。




9.14

9.14  五蘊説の直観的図示




五蘊説は次のような四面体を使って図示すると分かりやすい。



図9.3

図9.3 五蘊の直感的説明−その1


即ち、三角形のマットの上に正四面体を乗せる。三角形のマットを色(身体)とする。

受は正四面体の底面とする。想は正四面体の他の面とする。

形成作用を表す行を正四面体の各陵線とするのである。

正四面体の頂点に識を置く。色は身体と外界(物質的存在)と考えよう。

身体と外界からの刺激と情報は脳の中で初期的感受である受を生じる。

受の次ぎに想が生まれ形成作用(行)によって高次の意識が生まれると考えるのである。

このように考えると五蘊説は分かりやすい。

現代の脳神経科学の説と一致する合理的な考えであることがわかる。

図9.3を更に簡略化した次の図9.4によっても五蘊説の直感的な理解が可能である。




図9.4

図9.4 五蘊の直感的説明−その2



これらの図を見るとブッダの言いたかったことがよく分かる。それは次ぎの4点である。


1:


色、受、想、行、識は常に変化しており(無常)、常一主宰のアートマン(我)のようなものは存在しない。

霊魂のような常住不変の中心点はない。

アートマンを仮定しなくても人間存在は五蘊で理解できる。

五蘊無我説は無霊魂説である」と言っても良いだろう。



2:


心と身体(色)は一体である。心身不可分である。これは仏教の伝統的考え方である。

これは図9.4のbを見るとよく分かる。脳・神経系も身体の1部である。

識は脳・神経系や身体と不可分である。これを仏教では伝統的に色心不二という言葉で表現している。

今上の図9.4で脳神経系と色(身体)との間の境界を取り去り融合したらどうなるだろうか?

脳神経系中心の人間観になるのではないだろうか?

中国唐時代の禅僧黄檗希運は「伝心法要」において「五蘊とは心である」と言っている。

「自心が仏にほかならぬ」を参照)。


五蘊のうち色を身体、(受)、(想)、(行)、(識)の4要素は脳内事象だと考えれば、


五蘊=身心=脳神経系



という等式で表わすことができるだろう。

黄檗希運の「五蘊とは心である」と言う考え方は

脳や心を中心とする人間観になるのではないだろうか。



3:


現代の考えでは色は身体である。受、想、行、識はすべて脳内現象に結びつく。

五蘊説で人間を捉える時、物質的現象(色)はたったの1/5しか占めていない。

ブッダの教説に於いて色は20%、である。受、想、行、識で80%を占める。

心(脳)中心の教えである。

これは図9.4のbに示されている

。色→受→想→行→識の1連の流れは入力神経系に於ける情報の流れであると考えることもできる。

この考えに立つと、五蘊無我とは入力神経系は外界からの刺激に無条件に(素直に)

応答する科学的事実を言っていると考えることもできる。

そこには「常住不変の霊的な主体(アートマン)が存在して支配している事実はない」。

これが「無我の科学的意味」と言ってもよいだろう。



4:



人間とは何か?」という問いに対しインド伝統のウパニシャッド哲学は

人間は不生不滅の霊的な主体(アートマン)が内部に存在して支配している個体存在である」と説明する。

これに対しブッダはそのような霊的な主体(アートマン)を仮定することを否定した。

人間は脳で捉えることができる。」と考え、答えたとも言えるだろう。

一種の唯脳論である。これは仏説の特徴である。

この考え方は身体運動やスポーツの軽視に結びつくのではないかと考えられるかも知れない。

しかし、身体運動やスポーツも右脳の運動領域や小脳に支配されているのを考えれば的を射ていると言えよう。

五蘊説はこのように考えると2500年後の現在でないとその真価は理解できない。

1:の考え方は既に述べたように、徹底した禅定体験においてブッダによって見出されたものである。

その意味ではブッダの悟りの契機となった禅定修行(坐禅)は近代科学における実験に当たる。

ブッダの禅定→悟り(真理)は近代科学における実験実験結果科学的真理の発見

に対応するプロセスと言える。

仏教では古来これを教・行・証と言ってきた。教=理論、行=実験、証=実験による検証

と考えれば近代科学のアプローチと同じである。

ブッダは普通宗教としての仏教の開祖だとされる。

しかし、上述した観点から見れば宗教家と言うより、

「人間とは何か?」を究明した己事究明(自己究明)の実験科学者だと言えるのかも知れない。





9.15  バラモン教について




ブッダの教説の真意を知るために、ブッダ在世当時の宗教と考え方を見ておく必要がある。

バラモン教はブッダ在世当時のインドの代表的宗教である。

バラモン教では祭祀が絶対的な力を持っていると考える。

祭祀が規則通りに行われるならば、神々も司祭者の意思に従わざるをえないと考えた。

もし、司祭者が不注意に、或いは故意に祭祀の手順を違えるならば祭祀全体が無効になるだけでなく、

災いの原因になる。

このような考えのもとでバラモンを司祭者とする祭祀万能主義の宗教がバラモン教である。




9.16

9.16 アートマンについて




ここで無我という仏教の概念を深く理解するため<アートマン>について述べる。

アートマン>はウパニシャッド哲学の中心概念の1つである。

漢訳仏典では<アートマン>は我と翻訳されている。

アートマン>は不生不滅の霊的個体原理を意味する。

仏教ではこれを<常一主宰>という言葉で表現している。

仏典において<アートマン>は我と翻訳されているため

現代の我々が用いる我(われ)と同じ意味を持つと誤解されやすい。

我々が普通使う我とは意味が全く違うことに注意すべきである。

ブッダによって否定された我(=アートマン)とは常一主宰の霊的個体原理をいう。

古代インド(B.C.800〜B.C.600)のウパニシャッド哲学では

常一主宰の霊的主体が個々人に存在することを主張した。

アートマン>は当時の哲学の一大問題であったといえるだろう。

アートマン>はもともと息の意味を持った言葉であり、

後に霊魂の意味を持つようになる。

ゴータマブッダはその苦行時代に止息と呼吸法を研究している。

このことは出家したゴータマの目的の1つは当時の大問題であった「アートマンとは何か?」

の問題を解決することにあったことを示唆している。

自己の探求である。

しかし、ゴータマの結論は「このようなアートマン(我)はいくら探しても無かった!」

という無我の発見であり主張であった。

紀元前600〜500年前に成立していたと考えられる

「ブリハット・アーラーヌカヤ・ウパニシャッド」の第4章に

ウパニシャッドの哲人ヤージニャヴァルキヤとヴィデーハ国王ジャナカの問答がある。

ヴィデーハ国王ジャナカはヤージニャヴァルキヤに聞く、

アートマンとはどのようなものですか?」

ヤージニャヴァルキヤは答える、

「認識から成り、諸機能のうちに、また心臓に存在する

内部の光であるこの神人(プルシャ)であります。

彼は(この世界にも、かなたのブラフマンの世界にも)共通ですから、両世界を往来します。

(かなたの世界においては)沈思するかのようであり、

(この世界においては)動きまわるかのようであります。

彼は夢となって、この世界・・・・・、死のさまざまな形をこえ出て行くのです。

実に、この神人は・・・・・。まさしくこの神人は・・・・・。」

これを読む限り、アートマンは精神(心)の中にあり夢などになって

この世界とブラフマン(梵、宇宙原理)の世界を往来する神人と考えられている。

これを現代の脳科学の観点から読むと次ぎのようになるだろう。

哲人ヤージニャヴァルキヤは脳機能が分からなかったので人間の内部には神人(プルシャ)がいると誤解した。

アートマンとは脳機能を誤解したものと言えよう。

心は心臓に存在する内部の光であるという考えは古代各地にある。

例えば、中国では古くから心は心臓にあるという考えが支配的であった。

心臓とは心の臓器の意味である。このような考え方は世界共通の考えである。

アートマンとは脳機能が分からなかった

2000年以上前の古代インドの考えであることが分かる。

 アートマンは当時のインド思想界で誰もが信じていた伝統的思想であった。

驚くことにそれから2000年以上たった今日でもインドでは信じられていることである

(これは筆者がインドの若い科学者から直接聞いたことなので間違いないだろう)。

ブッダは人間存在を(色)、(受)、(想)、(行)、(識)の5要素(五蘊)に分析した。

このことは(色)、(受)、(想)、(行)、(識)の5要素(五蘊)で人間は理解でき、

我(アートマン)という常一主宰の霊的個体原理をつけ加える必要がないことを意味している。

それがゴータマ・ブッダの無我の主張と言える。

注:

アートマンという言葉は古代インドの「梵我一如」の思想において

ブラフマン(梵、宇宙原理)という言葉と共によく出て来る。

「梵我一如とは?」を参照)。




9.17

9・17 ブッダの霊魂否定論-常見(じょうけん)と断見(だんけん)




雑阿含経「仙尼」にはブッダは「仙尼」と呼ぶ外道(バラモン教)出身の出家の質問に対し、

世の中には三種類の師がいることを述べている。

そのなかでブッダは霊魂(アートマン)否定論を展開している。

これも無我説と関係深い経典であるが意外に知られていない。

ブッダが雑阿含経「仙尼」で説く三種類の師とは次の三種である。

第一種の師:現在世には我(アートマン)の存在を認めるが死後には無くなると考える。

第二種の師:現在世にも死後にも我(アートマン)の存在を認める。

第三種の師:現在世にも死後にも我(アートマン)の存在を認めない。

ブッダの考え方はこの中のどれだと考えられるだろうか?

ブッダは同じ質問を「仙尼」にするが彼は答えることができない。

  ブッダの答は次の通りである。

第一種の師は現世では我(アートマン)の存在を認めるが

死後には我(アートマン)の存在を認めないので「断見」と言う。

第二種の師は現世、来世ともに我(アートマン)の存在を認めるので「常見」と言う。

ブッダは「断見」と「常見」を乗り越えた第三種の師の考えこそ

如来等正覚者(=ブッダ)の説であると答えている。

第三種の師の考えでは、現世来世とも我(アートマン)の存在を認めていない。

これは常識論ではニヒリズムである。

ブッダの考えではないと考えられよう。

しかし、この経典でブッダははっきりと

「第三師の説は是即ち如来等正覚者の説にして、現世に愛断し離欲し滅尽し涅槃せり」

と断言しているのである。

仙尼はこの言葉を聞いて混乱し、疑いを増してしまう。

彼はブッダに「よく分からなくなりました。」と言う。

ブッダは「疑いが増すのは当然だ。この考えは微妙な深い考えで理解しにくい。

聡慧者のみが理解でき、凡愚の衆生は理解できない。

何故なら衆生は常に、異見、異忍、異求、異欲するからだ。」

と答える。

この経典からもブッダは「現世のみならず来世にも(アートマン)は存在しない」

と考えていたことが分かる。




9.18 道元の霊魂否定論




この問題に関係して、我が国の道元禅師(1200〜1253)は

著書「正法眼蔵―弁道話」の中で次ぎのようなことを言っている。

ある者は次ぎのようなことを言います、

「生まれて死ぬことを憂い悲しむことはない。生死の苦しみから逃れ出るのに早道がある。

世に言う心の本体が永遠不変であるという道理を知るのである。

その説くところは、この身体は、生まれたら必ず死ぬのであるが、この心の本体は決して滅することはない。

生滅の法則に押し流されない心の本体が自身にあることを知ってしまえば、

これを本性とするのであるから、今の身は仮の姿である。

ここに死んではかしこに生まれ、一定していない。

心は、これ永遠不変である。過去、現在、未来にわたり変わるはずがない。

このように知るのを生死の苦を逃れたというのである・・・。

この心の本体の永遠不変である趣旨をよくよく知るべきである。

坐禅などといって、益もなくのんびりと坐って、一生をすごしたところで、何の効果が期待されよう。」

このような趣旨は本当に諸仏諸祖の道にかなっているでしょうか、いかがでしょうか?



お答えしましょう。「今言われた考えは全然仏法ではありません。

先尼外道(せんにげどう)の考えです。それについて言えば、次ぎの通りです。

先尼外道の考えは、「自分の身の中に一つの霊知(たましい)がある。

その霊知(たましい)は、何かに出会うと、好き嫌いを弁別し、是非を弁別する。

痛い、かゆいを知り、苦楽を知るのは、すべてこの霊知の力である。

ところが、この霊知の正体は、この身が死んでなくなる時、中身だけ抜け出して別の所に生まれ変わるから、

ここで死んでなくなったと見えても、別の所で生まれるから、

永久になくならず、不変である」というのです。

先尼外道の考えは、このようなものです。

この考えを教わって仏法だとするのは、瓦や石ころをつかんで黄金の宝だと思うよりももっと間抜けです。

愚かな迷いの恥ずべきこと、たとえようもありません。

大唐国の慧忠国師が深くいましめておられます。

今、心は不滅で、相(かたち)だけが死んで行くという間違った考えを、

諸仏の妙法だとし、生死(まよい)の根本原因を作っておいて、

それで生死の苦を逃れたと思うのは間の抜けたことではありませんか。

最も哀れなことです。これは外道の間違った考えだと知って耳を傾けてはなりません。」

と言っている。

このように道元は不生不滅の霊魂をはっきり否定していることが分かる。

これはブッダ以来の仏教の正統的な考え方であることが分かる。

日本にある先祖供養などに付随した霊魂肯定論は仏教由来の考え方だと考えがちである。

しかし、それは、素朴な民俗論に由来するもので、

仏教本来の考え方と違うことに注目すべきであろう。


注:

著書「正法眼蔵―弁道話」の中で道元は「先尼外道(せんにげどう)」と呼んで、

先尼は外道(げどう)だとしている。

しかし、雑阿含経「仙尼」では「仙尼」は「外学の出家」だとしている。

「外学の出家」とは外道(バラモン教)出身の出家者(仏教僧)を意味している。

即ち、「仙尼」は外道(バラモン教)出身の出家で今や仏教僧だとしているのである。

この点は道元は誤解していたことが分かる。この誤解は訂正すべきであろう。


9.19 「五蘊無我」とブッダの問題意識について




 ブッダの無我観は仏教を特徴づける考え方であるにもかかわらず、

難解なためか、専門の仏教学者にも誤解されている。

はっきり言って理解されていないのだ。

この教説はすでに見たようにブッダの悟りの核心をなすものと考えられる。

最も古い仏教経典とされるSN(スッタ・ニパータ)の全編を通しての主題は無我である。

SN915〜916詩に次のようなブッダの言葉がある。

とうていわく「修行者はどのように観じて世の中のなにものをも執することなく安らいに入るのですか?」

(ブッダ)は答えた「<われは考えて、有る>という<迷わせる不当な思惟の根本>をすべて制止せよ

内に存するいかなる妄執をもよく導くため常に心して学べ

死を直前にしたブッダはアーナンダに対し次のように言う(マハー・パリニッバーナ経)、

アーナンダよ、修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか

わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた

完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は存在しない

「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、あるいは「修行僧のなかまはわたくしを頼っている」

とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう

しかし向上につとめた人は「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」

とか「修行僧のなかまはわたくしを頼っている」とか思うところがない

向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。」

ここには無我の悟りを生涯をかけて追求、体現したブッダの姿がある。

現代にこのようなことを言う新興宗教の教祖が居るであろうか?

彼らは皆教団の維持・発展に執着し、汲々としているであろう。

上の言葉は無我の教えがブッダの生涯を通して変わらなかった悟りの核心

であったことを示しているのである。

原始仏典「ダンマパダ(DP)」153〜154詩はブッダが悟った時の歓喜(よろこび)の詩だと伝えられている。

「ダンマパダ(DP)」153〜154詩は次のような詩である。


私は、幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た

ー「自分」という家屋の作り手を探し求めてー

あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである

だが家の作り手よ、お前の正体は見られてしまった

汝はもはや家屋を作ることはないであろう

汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった

心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした」。


求道の旅について、ブッダは

「自分」という家の作り手を探し求め、生死の流れを無益に経めぐって来た。」

と言っている。

これはブッダの問題意識がアートマン問題を中心とする

苦しみの原因である自分とは何か?」を解決すること、

即ち、自己究明にあったことを示唆している。

その結論が「五蘊無我の悟り」であったと言えるのではないだろうか?




9.20  「無我」が正しいか「非我」が正しいか?




最近仏教学者のなかには無我という言葉より非我と言った方が正しいと主張する人達が居る。

ブッダは経典中(無我相経)で

修行僧らよ、いろ・かたちあるもの(色)は我(アートマン)ならざるものである。」と言っている。

これは(色)は我(アートマン)ならざるものである、

即ち非我(アートマンではない)と言っているのであり、

無我(アートマンは無い)と言っているのではないと言う考え方である。

ブッダは色だけでなく、受、想、行、識夫々についてアートマンではない(非我)と言ったのであり、

アートマンは存在しないと言ったのではないという主張である。

この考えを突き詰めるとブッダは五蘊の各構成成分、即ち色、受、想、行、識夫々はアートマンではないが

どこか別のところに存在していると考えていたということになる。

この考えは一見厳密で正しいようにも見える。

しかし、ブッダは五蘊以外にアートマンは存在すると言ったことは一度もない。

五蘊の各成分は非我(アートマンではない)であるとはっきり言っている。

筆者はこの問題に対し次のように考える。

自己存在は五蘊で説明できる。五蘊の各成分は非我(アートマンではない)である。

色、受、想、行、識夫々はアートマンではないならばその総体である自己はアートマンではないと結論できる。

結局のところ自己はアートマンではないし、アートマンの存在は確認できない。

従って自己はアートマン的存在ではない(=無我)と結論するのが素直な考えであろう。 

実際アートマンは何処かにあると主張した仏教徒はいないと言ってよい。

雑阿含経「仙尼」はそのことを主張していると考えられる。

非我という回りくどい表現より無我の方が積極的で強力な主張になっている。

また、この方が脳科学的真実と合致するのである。





9.21 縁起の理法




ブッダが悟ったのは縁起の理法であるとする経典もある(例えば Vinaya:律蔵 )。

  縁起は生滅する事象の道理を説くもので無我思想とも関係がある。

ブッダの根本思想と言っても良い思想である。

経典(律蔵)は「およそ、いかなる諸事象も因によって生起する

それらの因を如来は説きたまう。また、それらの滅尽があると説きたまう。」と言っている。

縁起は事物の相依相関性を主張する。事物は相依相関的に存在し、生滅変化すると考える。

後に、仏弟子中智恵第一とうたわれたサーリプッタがブッダに帰依する前に

尊者アッサジに会い、ブッダの教えは何かと質問した。

尊者アッサジはがブッダの教えについてサーリプッタに次のように答えた。

諸々の事柄は原因から生じる。真理の体現者はそれらの原因を説きたまう。また、それらの止滅をも説かれる

サーリプッタはそれを聞いてブッダの教えに強く惹かれるものを感じ、

友人のモッガラーナと一緒にブッダに会いに行く。

そして2人ともブッダに帰依することになる。

ブッダの弟子の中で智恵第一とうたわれた

サーリプッタ尊者(舎利弗尊者)は縁起について分かりやすく説いている。

友よ、ではたとえをもって説いてみよう。友よ、たとえば、ここに二つの芦束があるとするがよい

それら二つの芦束は、相依っているとき、立っていることができる

それと同じように、それがあるから、かれがあるのである

だが、もし、その二つの芦束のうち一つの芦束を取り去れば、他の芦束もまた倒れるだろう

それと同じく、これがなければかれはないのであり

かれがなければ、これもまた、ないのである。」

サーリプッタの説いた教説では縁起は相互依存、共生(持ちつ持たれつ)の色合いが強く出ている。

ブッダの説いた縁起は生滅する事象の道理を説くものである。

もともと縁起とは事象の根本を支配する客観的法則で自然科学の言う因果律に近かったと考えられる。

しかしサーリプッタ尊者の説く縁起は共生の色合いが強く、宗教的、倫理的であると言えよう。

縁起の思想は因果律と深い関係がある。

因果律は因と果というように一方向的な関係であるが、

縁起はそれよりも多次元的、函数的因果関係を意味している。

因は結果を生じる直接原因であり、縁は間接原因と考えて良い。





9.22    縁起説の意義




ブッダ在世当時の思想家の代表的考え方は人間の受ける苦楽、善悪の原因について



.超越者=絶対者=神が決める。


.宿命である。


.無因(原因なんかない)あるいは偶然である。



 の三種のいずれかであったと言って良い。




 ブッダはそのいずれの考えも否定した。苦は原因と条件に基づく生起(縁起)であることを主張した。

実際ブッダは神に祈ったり頼ったりはしていない。

これは、当時では全く新しい合理的かつ科学的な考え方であると言える。

懐疑論者サンジャヤの弟子であったサーリプッタが

この縁起説を聞いて友人のモッガラーナと一緒にブッダに帰依したのが良く分かる。

古代インドに科学的思想に近い縁起説がブッダによって創始されたのは驚嘆すべきことである。

仏教が現代に生きるにはブッダに始まる合理的(科学的)な縁起思想をもっと強調すべきであろう。



9.23   縁起思考の例





例1:

「穀物はその種子を因とし、労力、太陽光、水、肥料を縁として生じ成長する」

穀物の種を人が撒き、水と肥料を与える。

太陽光の当たるところで発芽成長し穀物が実る。

この関係は縁起的関係である。

縁起観は関係的実在観である。

存在は、それ自体で存在する実体と見る本体的実在観を否定して、

相互の関係においてのみ実在性を認める実在観である。

この実在観は同時に流動的実在観である。

何故なら各実在は他の実在との相依相関によって存在するが、

相依相関の相互作用は常に変化している(無常である)からである。

この実在観は近代科学の実在観と殆ど一致する。

一致しない点は、仏教ではそれ自体で存在する実体(本体的実在)を否定する(特に大乗仏教の「空」思想で)。

「空とは何か?」を参照)。

しかし、近代科学ではそれ自体で存在する電子、光子、原子、原子核などの実体を認めているからである。

そのようなことは多くの科学者の苦闘の後、20世紀になって初めて到達した知見である。

2000〜2500年前にそのようなことまで分からなかった。

ブッダがいかに天才であれ、時代的制約を受けるのは当たり前である。

電子、光子、原子などなどの実体は我々が考えるような粒子(古典的粒子)ではない。

粒子であると同時に波動の性質を持っている(粒子・波動の二重性)。

これは20世紀になって確立した量子力学の基礎となる考えである。

その波動的性質は仏教的実在観と一致する点もある。

実在相互の関係(相互作用)と不断の生滅変化は近代科学が明らかにしてきた客観的真理である。

ブッダやその後の仏教徒によって2500〜2000年前に提唱された古い考え方であるにもかかわらず、

現代の科学的実在観と矛盾しない優れた考え方と言える。



例2:漁師は何故山に木を植えるか?

宮城県気仙沼湾は牡蛎の養殖が盛んである。

この牡蛎の養殖のために、湾に流入する川の保護と森林の保護(植林)が行われている。

植林と牡蛎の養殖の間にはどのような関係があるのだろうか?

実は牡蛎の養殖と森の間には密接な関係があるのである。

牡蛎の栄養となるのはプランクトンである。

このプランクトンは今まで海のプランクトンであると考えられていた。

しかし、最近の研究によって牡蛎の栄養源となるプランクトン(珪藻類)は

海で成長するのではなく、川で成長するものであることが分かった。

牡蛎の栄養となる川のプランクトンが成長するためには

上流の森が豊かでなければならないという因果関係があるのである。

このような関係は一般に魚類と森の間にもあることが分かってきている。

このような関係を知った漁師さんが「森は海の恋人」という言葉で表現し、上流の森に落葉樹を植えている。

このような関係はまさに縁起的関係の典型であろう。このような思考法は縁起思考と言える。

上に挙げた例は仏教の縁起的思考法である。

これは合理的思考法であるが、仏教の受容過程において

しばしば古い迷信と結びついたのは不幸なことであった。



 誤った縁起的思考法:<生類憐れみの令>

江戸時代5代将軍徳川綱吉に子供ができなかったことに端を発した。

綱吉の母桂昌院(お玉の方)はそのことを知足院住職隆光に相談した。

僧隆光は綱吉に子供ができない原因として

「綱吉公は前世において多くの悪行をなさっています。

その報いでお子が生まれないのです。

天下に令を発して生類特に犬を保護することが必要です。

そうすればきっとお子に恵まれましょう。」と説いた。

桂昌院はこの隆光の言葉を盲信して綱吉に説いた。

これが原因となって綱吉は<生類憐れみの令>を貞享4年(1687)に発令した。

これは悪法として現在でも有名である。

迷信が支配した昔だから仕方のないところもあるが、

因果律を安易に考え盲信した僧隆光の考え方に責任がある。

以前は<生類憐れみの令>は悪法であったとされていたが、

最近の研究の進展により、評価され直す動きもある。

生類憐れみの令>の本筋は、昔言われた犬を始めとする動物の保護などではなく、

本当の目的は「捨て子、老人、病人などの保護」にあったと考えられるようになって来たのである。

つまり<生類憐れみの令>の真の目的は「捨て子、老人、病人などの保護」であり、

犬などの動物保護はその“おまけ”でしかなかったと評価され直す動きもある。



9・24    無常観



無常は仏教の基本的考え方である。

「平家物語」冒頭の文


「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらはす。

奢れる人も久しからず ただ春の 夜の夢の如し。

猛き者も遂には亡びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。」



鴨長明の「方丈記」冒頭の

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」


などの名文で知られるように仏教の無常観は日本人の考え方や感性に大きな影響を与えてきた。

日本人の無常観はこれらの文に表れているように多分に情緒的詠嘆的意識に支えられている。

鴨長明が「方丈記」を書いたのは1212年である。源平争乱、鎌倉幕府の成立と変化の激しい時代であった。

そのためこのような情緒的表現になったと思われる。

しかし、仏教の説く無常観はもともと客観的事実を述べたものでブッダの「正見」から結論づけられた真理だ

と考えたほうが正しい。

人間の作為に関する事象(有為法)が生滅変化し、

恒常不変なものはないという客観的真理を述べたものである。

無常の事実を見た上でこれに冷静に対処すべきことを述べたもので感情的情緒的なものは

もともと入っていないと見た方が正しい。



注:有為法と無為法について



有為法とは因と縁とによって生起した現象を言う。精神的・物質的な全現象をさす。現象界のことである。

後のアビダルマ仏教では物質(色)、心、心所有、不相応(心の生起を伴わない作用)の4つに分類している。

「五位75法」を参照)。

この4つの内物質は1つであり他の3つは精神作用である。

仏教の基本的姿勢を示していて興味深い。

これに対し無為法とは因縁によって生起した存在でないものを言う。

現象を越えた常住不変の存在をさす。

人間は当然有為法である。この場合の法とは存在を意味する。



無常の例



例1:平家の栄華と無常

大納言平時忠(1130〜1189)は平家について、

この一門にあらざらん者は、すべて人にして人にあらずと言うべし

と言ったと伝えられている。

平家の栄華を見てみよう。平家の全盛時代は清盛の時である。

年表で清盛の関連事件を振り返ると次の表9.3のようになる。




表9.3  平氏の栄枯盛衰年表

番号 西暦年 事項
1118 清盛生誕
1159 平治の乱
1160 清盛三位、参議となる。源頼朝伊豆に配流される
1167 盛太政大臣になる。
1177 鹿ヶ谷の陰謀(平家打倒の陰謀)
1180 清盛福原に遷都する。
1181 清盛死亡
1184 木曽義仲征夷大将軍となる。
1184 木曽義仲死亡。
101184 平家壇ノ浦で滅亡する。


このように平清盛の全盛はせいぜい20年しか続いていない。

次にこれと対をなす源頼朝を中心とする源氏の繁栄を見てみよう。



例2:源氏の鎌倉幕府




表9.4 源氏の栄枯盛衰年表

番号 西暦年 事項
1160 源頼朝伊豆に配流される。
1180 頼朝挙兵
1192 鎌倉幕府成立
1199 頼朝死亡
1204 二代将軍源頼家暗殺される。
1219 三代将軍実朝暗殺される。


表9.4に見られるように、源頼朝とその直系の繁栄もわずか30年に過ぎない。

源氏の傍系である木曽義仲の場合を表9.5に示す。


表9.5  木曽義仲の栄枯盛衰

番号 西暦年 事項
1180 義仲挙兵
1183 クリカラ峠で平家を破る
1184 1月11日 征夷大将軍となる
1184 1月21日義仲死亡



木曽義仲の場合、わずか10日間の征夷大将軍で30才の短い生涯を閉じた。

これらの年表に見られるように平家の栄華だけが短いのではない。

源氏の場合も繁栄は永続していない。

無常の法則は普遍的原理であると考えた方がよい。

人間の寿命は限られているため長期の繁栄は不可能である。

また独裁世襲政権は永続したためしがない。これは歴史の示すところである。

諸行無常というと平家物語の名文でも分かるように哀感を持っている。

中国文学研究家吉川幸次郎氏は無常観について「推移を悲哀と呼ぶ感情」と言っている。

しかし、無常観はもともとこのような感情が入ったものではないと言ったほうがよいだろう。

変化の激しい事象を冷静に見つめて導き出されたものの見方(原理的)である。

子供が誕生し成長して行くのも無常である。健康であっても病気になるのも無常である。

病気になっても適切な治療によって回復するのも無常である。

歳老いて死ぬのも無常。生老病死すべてに無常の原理が貫いている。

秋になると木々の葉が緑からあざやかな色に紅葉するのも無常であるからである。

春になると殺風景な裸の木々が芽吹き、目を洗うような新緑に輝くのも無常な自然の姿である。

田畑に種を撒くと時と共に作物は成長し農作物として収穫される。

これも無常だからである。

白米を水で研ぎ炊飯器で炊くとご飯になる。

これも無常だからである。無常でなければ硬い白米のままである。

料理一般は加熱したり調理することによって食材の性質が変化することを利用している。

無常であるからこそ、食材がおいしい料理に変化するのである。

このように考えると無常とは何も悲しい感情を伴う事象だけでなく、喜ばしい積極面を持っている。

しかし、従来仏教では悲しい面否定的な面を強調し過ぎたきらいがある。

これは自我や五蘊に対する執着から脱するための方便だったと思われる。

しかし、無常でなければ人の誕生も成長もない。

大学に入学しても卒業がないし、人間的成長もない。米も種籾のままで実らない。

無常とは物事が変化する姿を客観的に観察することで捉えたものである。

しかし、日本人は、多くの場合、無常を悲哀の感情と結び付け過ぎた。

このような捉え方は一面的な捉え方である。

昔は生きていくこと自体が大変であった。

生産力も低く専制君主の圧政下では人生を楽しむことなどは難しかった。

医学のレベルも低く病気の原因も分からない。

いったん病気に罹ると死ぬ確率が高い。

人生の無常は死を意味した。

そのような時代には「人生は苦である

というテーゼが共感を持って受け入れられたと思われる。

しかし、現代においては「人生は苦しいものである」と言っても、

楽しい事もいっぱいあるじゃないかと反論されるのがオチである。

ブッダが2500年前に説いた法も無常の法則を免れなかったということであろう。

人生=無常=苦という

型にはまった思考から脱皮する時が来たと考えられる。

これからは「無常」という概念に対し、

喜ばしい面、積極的な面を付与して考える必要があろう。





例3:死に方に見る人生の無常


例3-1:大パリニッバーナ経にみるブッダ最後のことば



ブッダの死(涅槃)を述べたパーリ語経典「大パリニッバーナ経」には

ブッダが死に臨んで修行僧に述べた言葉(遺言)が書いてある。

「さあ、修行僧たちよ、おまえ達に告げよう、「もろもろの事象は過ぎ去るものである

怠ることなく修行を完成なさい」と、これが修行をつづけてきた者の最後の言葉であった。」

この言葉で分かるように、

ブッダは「全ての事象は無常である。人間の生死もその内の一つである

いたずらに死を悲しむことなく、修行に励みなさい」と言っている。

ブッダは「修行をつづけてきた者」とされている。

ここには超自然的教祖の死は描かれていない。



例3-2:豊臣秀吉の死:


慶長3年(1598)一代の英雄豊臣秀吉は伏見城で没した。享年63歳であった。

秀吉の辞世の句は「露とおき露と消えにしわがみかな、難波のことも夢のまた夢」である。

いかにも日本人的な無常観が表されている。

豊臣家とわが子秀頼の未来に対する不安がにじみ出ているような辞世の句である

。権勢を誇った英雄の哀れさが感じられるが悟りや達観の世界とは遠い人であったことが分かる。



例3-3:大灯国師の死:




比較のために室町時代日本臨済禅の偉大な禅師であった大灯国師(宗峰妙超、1282〜1337)

の辞世の句を見てみよう。

大灯国師(宗峰妙超)については「応・燈・関の法系」を参照)。



佛祖を裁断し、吸毛常に磨く

機輪転ずる処、虚空牙を咬む。


現代語訳:

私は坐禅修行によって、仏祖の境涯を乗り越え、般若智を常に磨いてきた。

その鋭い機鋒を発揮すると、この広大な大空をも、牙を剥いて呑み込んでしまうようだ。


大灯国師は「気宇、王者のことし」と言われた人で、大徳寺を開創した。

56歳で端座したまま示寂したと伝えられる。

難解であるが、雄大で力に満ちた辞世の句である。とても死んでいく人の句とは思えない。

秀吉の弱々しい辞世の句と違い死を超越するような力強さに溢れた句である。




例4:日本の産業の変遷に現れた無常




日本を支えた産業も短い間に目まぐるしく変化した。

戦前(太平洋戦争前)から戦後にかけて日本の主力産業は繊維産業であった。

繊維産業は戦後の高分子化学、石油化学の隆盛とともに栄えた。

しかし、その隆盛は永くは続かず1970年代以降は衰退し発展途上国に中心が移りつつある。

エネルギー産業について見ると戦後から1960年頃までは石炭が中心であった。

その後石油が中心となった。その頃電器産業が盛んとなり日本経済は発展した。

その結果テレビ、洗濯機、冷蔵庫の3種の神器が普及した。

日本経済の躍進はさらに続きカラーテレビ、クーラー、自動車の3Cが普及した。

その間石炭、繊維産業は衰退した。また化学産業、電器産業は隆盛に至ったものの曲がり角に来ている。

現在はコンピュータ、携帯電話(スマートフォン)などの

情報産業が隆盛しているが今後どのようになるかは分からない。




例5:政治の世界の無常





例5−1:共産主義と共産国家の無常


 鉄のような強さと団結を誇ったソ連共産党が君臨したソ連邦は75年にして崩壊した。

資本主義を蛇蝎の如く嫌った中国共産党も市場経済を採用し、

経済発展に血道を上げ今や世界第二位の経済大国に成長し、資本主義社会に近づいている。

戦後長く日本の政治を支配していた自民党政権も1993年に崩壊した。

これも政治世界の無常の1例である。




例5−2:鎖国政策の無常(日本、江戸時代)


 江戸時代日本は鎖国政策を取り、国際社会から孤立していた。

このため今では考えられないようなことが起きた。

例えば幕府は「異国船打ち払い令」(文政8年、1825)によって

清国とオランダ以外の外国船は見つけ次第力ずくで撃退せよと命じている。

このような法律は現在の人々からは野蛮そのものに考えられよう。

しかし、当時は真剣に考え、それを実行しようとしたのだ。

当時は外国に行くことも堅く禁じられていた。

吉田松陰はアメリカ渡航を試み幕府の政策に反対しただけで死刑にされた。

その後数年にして明治維新が松陰の弟子を中心にしておこり、

開国政策に転じるとは、当時誰も予見出来なかっただろう。

今では大勢の日本人が毎年外国に行くがそのことで逮捕されたり死刑になることはない。




例6:価値観の無常




例6−1:忠臣蔵の義士は有罪か無罪か?


1994年12月のNHKテレビの歴史番組で「忠臣蔵の義士は有罪か無罪か?」が議論された。

100人の視聴者による結論は有罪であった。

47人の義士のしたことは殺人罪に相当するというのだ。

これは江戸時代から戦前まで、日本人にとって最高の美徳とされた「忠義」という価値観の崩壊を示している。

正義の基準も価値観も時代とともに変化する。

以上の例を見れば分かるように「無常の原理」は人間界を支配している。まさに有為法は無常なのだ。




例6−2:新撰組の評価


幕末に活躍した新撰組に対し戦前までは徳川幕府の犬で、

明治維新を邪魔した悪者達として否定的な評価しかなかった。

明治維新を推進した薩長の有能な志士の活動を邪魔し惨殺したからである。

しかし、明治維新から100年以上経った現在、近藤勇、土方歳三をはじめ見直され、再評価されている。

このように歴史の評価は時代とともに変化する。





例7:人体の無常




我々の肉体は60兆もの細胞から出来ている。

この細胞の2%が毎日入れ替わっている。

毎日1200億個の細胞が入れ替わっている。 1年にすると98%が入れ替わる。

この入れ替わりの速度は体の各部位によって異なる。

2年〜3年くらいで全細胞が入れ替わる。この変化は自我のコントロール外である。

これも「無我」の1例である。

この激しい変化の中で若い人は成長する。

老人ではこの途中で1部の細胞が癌化すると考えられている。





例8:金剛般若経の偈に見る無常観 




初期大乗経典である金剛般若経につぎのような偈がある。

一切の有為法は夢・幻・泡。影の如く、露の如く、また電の如し。まさにかくの如きの観を作すべし

この偈も無常を説いたものとして有名である。

先に見た方丈記の冒頭の文章に似たところがある。

仏教(特に原始仏典)の言っていることは全ての現象は無常、変化性のものである(諸行無常)

という客観的真理を述べているだけで

悲哀などの感情的情緒的なものは入っていないと考えた方が正しい。

これは現代の科学的真理と一致する不変の真理である。

最古の経典と言われるスッタ・ニパータ(SN)を読むと

ブッダは全ての現象を客観的に観察することを繰り返し説いている。

仏教の無常の原理はそのような冷静な自然観察の結果、

ブッダが演繹的に結論したものの見方であると言える。

客観的な自然観察重視の姿勢は科学者に通じるものがある。





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