2015年6月7日〜9月13日作成        2023年12月20日表示更新

密教:その5:ヒンズー密教

   
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14インド密教と後期大乗仏教


インドにおいて大乗仏教は6,7世紀ごろからタントリズムの色彩を帯びるようになる。

タントリズムは秘儀的傾向の強い宗教形態で、

仏教ばかりではなくヒンズー教など他のインドの宗教でも大きな勢力となった。

これらに共通するのは精神的な行法の重視である。呼吸や脈管などの身体の諸器官の統御や、

独特な瞑想法が修行の中心となる。

象徴的図形であるマンダラやヤントラ、呪術的性格をもつことばマントラも、

精神的行法の補助的な道具としてひんぱんに利用される。

しばしば性的なヨーガをともなうのもタントリズムの特徴である。

仏教の場合、タントリズムは、はじめは在家信者や在野の修行者の間で異端的だと考えられていた。

しかし、しだいに大僧院を中心とするインド大乗仏教の中にもタントリズムは

勢力をひろげ大乗仏教はタントリズム化(密教化)した。

インド仏教が最後の隆盛をみせたパーラ朝(8世紀後半〜12世紀後半)では、

  仏教タントリズム(密教)は修行の最終段階とみなされるまでになったのである。


   

14.1 ヒンズー教とタントリズム



   

インドの思想やヨーガに興味があってちょっと勉強すると、「タントラ」や「タントリズム(Tantrism)」

という言葉に出会う。

タントラ(tantra, 密教経典)は、もともとは「織物」を意味するサンスクリット(梵語)で、

インドに古くから伝わる聖典(経典)のことである。

タントラから派生したタントリズム(Tantrism)とは密教のことである。

実践行法に関する規則、神仏を祀る具体的方法も含むタントリズム(密教)は

ヒンズー教、ボン教(チベット固有の民族宗教)、仏教、ジャイナ教などに共通して存在する。


ヒンズー教で「タントリズム(密教)」とは、簡単に言うと

神様となんとか一体化して幸せになる方法」のようなものと考えてよいだろう。

ヒンズー教のタントリズム(密教)は9〜12世紀に流行した宗教思想である。

古典的な「正統派」は、バラモン教の流れをくみ、

身分の高いバラモン階層の難解な神学(インド哲学)といえる。

しかし、そのような一部の人々のためより、多くの人々に分かり易い方法として登場したのが

「タントリズム(Tantrism、密教)」と呼ばれる考え方である。


「タントリズム(密教)」では

人間の欲望や物質的な肉体を否定しないで、その中にこそ神がいる」と考える。

「タントリズム(密教)」には呪術や性的儀式まで含まれていた。

同様な流れは中国を経て空海によって日本の真言密教にも取り入れられた。

ヒンズー教の「タントリズム(密教)」はシヴァ派、ヴィシュヌ派だけでなく、

仏教(特に後期密教)にも強い影響を与えたと考えられている。


ヒンズー教の「タントリズム(密教)」の影響下、6〜7世紀頃インドの大乗仏教から密教が生まれたと考えられる。

これを図1にまとめる。


図1

図1 ヒンズータントリズム(ヒンズー密教)の強い影響下に、大乗仏教から密教が誕生した。


   
   
14.2

14.2ヒンズータントリズム(ヒンズー密教)の基本思想


「ヒンズータントリズム(密教)」の思想は単純かつ素朴である。

次の4項目からなると考えることができる。

   

1.世界は、男性原理と女性原理の2大原理が交わってできている。

ここで男性原理とは精神・理性・方便を指し、

女性原理とは肉体・感情・般若を指す。

     

2. 男性原理と女性原理の大元は神であり、原理そのものである。

     

3.そうであるならば、自分も神(or 仏)になったら良いと考える。

     

4.神(or 仏)と一体化するため、呪術的儀式やイメージ的瞑想(性的ヨーガ)を行う。

男性原理と女性原理の合一によって神になるという「ヒンズータントリズム

(ヒンズー密教)」の考え方を図2に示す。


   

男性原理と女性原理との合一については「チベット密教」を参照)。


   
図2

図2 男性原理と女性原理の一体化が神のパワーである。


   
   

「タントリズム(密教)」では、実際にセックスをしなくても、イメージ的に、

(性的ヨーガを通して)神と一体化できれば良いと考える。

今では過激な儀式などは廃れて思想のみが密教として生きている。


   
   
14.3

14.3 ヒンズー教の宗派とタントリズム(密教)の思想



   
   

ヒンズー教の主要三派


多神教であるヒンズー教はどの神を崇拝するかによって一般に次の三派に分けられる。

   

1.シバ派:

     

ビシュヌ派とともに現在最も有力な宗派である。破壊と混沌の神であるシバ神を崇拝する。

リンガ (男根) 信仰と結合して栄え、現在もシバ派寺院にはリンガを祀る。

   

2.ビシュヌ派:

     

宇宙を維持するヴィシュヌ神、及びその多様な化身(アヴァターラ)を最高神として崇拝する。

   

3.シャークタ派(性力派):

     

シャクティ」とは「エネルギー、力」とりわけ「性力」を意味する。

シャークタ派(性力派)」は性的エネルギーである女神の性力(シャクティ)

に対する崇拝を特徴としている。

シャークタ派(性力派)」ではドルガーやカーリーなどの女神を崇拝する。

ヒンズー教が形成されていく中で、「タントリズム(密教)」はヒンズー教の正統派に吸収されていって、

今のヒンズー教では思想として残っている。

ヒンズー教では「神との合一」という思想が僧院などで思想的に研究されて発達した。

ヒンズー教の主要三派のうち、ヒンズータントリズムに一番関係が深いのは、 

ヒンズー教のシヴァ派の「左道派」や、「シャークタ派」(性力派)の信仰である。

シヴァ派の「左道派」は『 セックスによる男性原理と女性原理の合一によって神になる

という思想をそのまま実践し、性的儀礼をするハードな人々だったと考えられている。


   
   

男性原理と女性原理との合一については「チベット密教」を参照)。

一方、13世紀ころから盛んになった右道派は、特別の儀礼を行わず、身体を宇宙と相同であると

みなし、ヨーガの力でその身体を生理的に操作することによって目的を達成しようとした。

シヴァ派の「右道派」は、思想的には「左道派」と同じであるが、あくまで思想だけであって、

性的実際行動に出るのは論外である

と考える人々であったようである。 

シヴァ派から派生した宗派である「シャークタ派」(性力派)は、シヴァ神の妃の性力(シャクティ)

に対する崇拝を特徴としている。

「シャクティー」とは性的エネルギーのことで、男神ではなく女神が支配している。

男性神の性的パワーは女神に握られていると考えるのである。

「シャークタ派」(性力派)では男神よりも女神のパワーの方が強いと考え、女神を崇拝する。

女神の「シャティー(性力)」を崇拝する人たちが「シャークタ派(性力派)」を構成したと考えられる。

シヴァ派の「左道」も「シャークタ派」もすることは同じで、その儀式には性的儀礼も

含まれていたようである。

ヨーガが依拠するチャクラ理論において、会陰(肛門と性器の狭間)にあるチャクラ「ムーラーダーラ」

に眠るシャクティ(性力)のことを「クンダリニー」と呼ぶ。


   
   

チャクラについては霊的身体論を参照)。

これは伝統的にはシヴァ神の妃と同一視され、

とぐろを巻いた蛇(生命エネルギー)」として表現される。

チャクラ理論に基づいた修行では、

シヴァ神の座所である頭頂のチャクラ「サハスラーラへと、その(生命エネルギー)を上昇させて行き、合一させることを目指す。


   
   

チャクラ理論を参照)。

シャクティ派は、ヨーガの実践やチャクラ理論との結び付きが強く、

シヴァ派の左道の主要な担い手となり、

仏教の後期密教(特にチベット密教)にも大きな影響を与えている。 

チベット密教の霊的身体論を参照)。

神と合一する方法はいくらでも考えられるので、

ヒンズー教のシヴァ派だけでなく、ヴィシュヌ派にも同じような要素は入っている。

ヒンズー教には

男性原理と女性原理の合一が神のパワーである」という考え方がもともとあった。

ヒンズー教神話において、シヴァ(男神)とパールヴァティー(シヴァ神の妃)や、

クリシュナ(男神)とルクミニー(正妻)やラーダー(クリシュナの恋人)とのラブシーンが

しばしば登場するのはそのためである。


   
   

14.4 性的儀式の実際


タントラとはインドの性の秘儀と言われるようになった一つの原因としてシヴァ派の左道系の儀式の一部がある。

しかし、性的儀礼を実際に行っていたのかどうかはよくわからない。

男性原理と女性原理が肉体的に一体化する』→ 性的パワーで神と一体化する。

・正統派が禁止しているようなことを率先してやる→タブーを破ってより自由な意志を示す。

・神と合一するための神聖な儀式には呪文や精神力、環境も必要だと考えられた。

・女性も、普通の女性ではダメで、 性的儀式のための女性は女神の化身だと考えられた。



14.5 性的儀式の具体例


性的儀式においてパートナーとなるのは月経中の不可触選民(アウトカースト)の女性である。

輪になって座って、まず師が女神の化身である女性と交わり、

そのときの精液と血がまざった体液をその場にいる者たちで飲み、その後皆で交わる。

何故、わざわざこのようなことをしたかの理由として次のようなことが考えられている。

インドには「浄、不浄」の概念があり、「汚れ」と接することはタブーとされている。

そのような「タブー」を故意に破ることで、より自分が物事から解き放たれ精神的自由を

得ることができる、という意図もあったと考えられている。

穢れということでは、墓場での死体を使った儀式もあったと考えられている

ただ、これはあくまで宗教的な「儀礼」であり、当時の人たちが皆こんなことをしていたわけではない。


14.6 タントリズム(密教)に必要なモノ?




神と一体化するため色々なことをする。

儀式とか、呪文(真言、陀羅尼)とか、瞑想するためのアイテムが必要になってくる。

呪文(マントラ、真言)、瞑想するためのアイテムには「ヤントラ」という神秘図形

(神の存在を表した曼陀羅みたいなもの)がある。





14.7 タントリズムとヨーガ


インドには様々な流派の宗教とヨーガが存在し、その様式や方法論も多種多様なものが見受けられる。




インドの宗教の目的として、古くから、自己と宇宙と一体化する( 梵我一如)という共通思想がある。




  ヨーガは( 梵我一如)を達成するための修行法と考えられる。





14.7.1

14.7・1 梵我一如とは?




梵我一如」とは、梵、すなわち「ブラフマン」と

我(=アートマン)が同一であることを知ることにより、

永遠の至福に到達しようとする思想である。

梵我一如の思想」は古代インドの哲学書ウパニシャッド

(紀元前1000年頃から紀元前500年頃インドで編纂された)に代表されるバラモンの根本思想である。

ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。もともとは、ヴェーダの「ことば」を意味する語で、

呪力に満ちた「賛歌」「呪句」を表した。

やがて、それらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになった。

さらに、この力が宇宙を支配すると理解されて、『宇宙を支配する原理』と考えられるようになった。

 『アートマン』は、私という一個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている「霊魂」であり、

私をこのような私にしている「自我」、もしくは「人格」である。

仏教の開祖ゴータマ・ブッダは常一主宰の『アートマン』を否定して、「五蘊無我」の悟りを得たことは有名である。

「アートマン」については原始仏教を参照)。

アートマンは、もともと、ドイツ語のAtem「息、呼吸」と同じ語源から生まれた語で、「息」を意味した。

ここから、「アートマン」という言葉に対し、

生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには『個体を支配する原理』とみなされるに至った。




宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、

瞑想の中でありありと直観することを目指すのが「梵我一如」の思想である。

これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。

その代表的な思想家は、シャーンディリヤ、ウッダーラカ・アールニ、ヤージュニャヴァルキヤ

など古代インドの哲人である。




梵我一如の思想』の背景にあるのは、ヴェーダ祭式の「等置一体化の呪術論理」である。

「等置一体化の論理」は呪術の論理で、たとえば、獲物の足跡に傷をつける猟師のまじないがある。

足跡を獲物の足と同一視して、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げられないと考える。




「等置一体化の呪術原理」を参照)。

ヴェーダの祭式では、祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と等置同一視する。

この等置一体化の呪術によって、祭場にある祭具などを操作することで

自然を支配しようとするのである。

これに対して、ウパニシャッドの哲人たちは、同一視の論理を祭式でなく、

瞑想で用いた。

瞑想でAをBと同一のものとみなして意識を集中する。

意識の集中により、分別知を乗り越えて、対象を直観する。

そのとき、主観は対象の中に入り、対象と融和する。

対象そのものになり、一体化する。一体化すれば、

それのもつ力が自分のものになり、対象を支配することができると考えるのである。

こうして、瞑想によって対象そのものになり、

その対象のもつ力を体得し、対象を支配することができると考えるのである。

これはインド伝統の『等置一体化の呪術思想』だと言える。




「等置一体化の呪術原理」を参照)。

「太陽はブラフマンである」。

「虚空はブラフマンである」などといったものから、

「食物はブラフマンである」「思考力はブラフマンである」などと、

さまざまな原理が等置・同一視された。

とりわけ、気息、目、耳、思考力などの生活諸機能がブラフマンとの同一視の対象とされた。

ウパニシャッド思想の発展とともに、それらは、

個体原理アートマンと宇宙原理ブラフマンの等置・同一視』に収束していったと考えられている。

後にバラモン思想の主流となるヴェーダーンタ思想は、

梵我一如の思想」を発展させたものである。

また、大宇宙(梵)と小宇宙(我)の融合合一という考えは、

その後の神秘主義思想にくりかえしあらわれる。

たとえば、

仏教でも中期密教の大日如来の観想(たとえば、阿字観や三密加持)による『即身成仏の思想』には、『等置一体化の呪術思想』がみられる。




「加持と三密加持」を参照)。

即身成仏の思想を参照)。




14.8 タントリズムとヨーガと性


ここでは、インド宗教の一派に位置付けられるタントリズムとその背景にあるヨーガ、

特に「性」を対象としたヨーガをまとめよう。

古代インドの宗教は多神教が中心で、バラモン教はヴェーダと呼ばれる聖典をもとに広まった。

バラモン教は母神信仰を軽蔑し否定していたが、ヒンズー教による非ヴェーダ化が進むにつれ、

六世紀頃から、『男神は女神と一体になることによって完全になる』という考えに変わってきた。

そして、それまで村落ごとに崇拝していた豊穣母神に女神の地位を与えて、

ヒンズー教に重要な女神信仰が生まれた。



ヒンズー教の『三大神』は、『ブラフマー(宇宙の創造の神)』、『ヴィシュヌ(宇宙維持の神)』、『シヴァ(宇宙最後の時、宇宙の破壊神)』である。

ヒンズー教の三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、

中心となる三大神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァは一体をなすと考えられるようになる。

八世紀以後のインドの宗教、すなわちヒンズー教、密教、ジャイナ教の聖典には、

人間の本性はすべて宇宙の本体と同一であること( 梵我一如)を示す証として

性の表現と実践を積極的に導入したものが表われた。

このような聖典を「タントラ」といい、タントラにもとづくヒンズー教を「タントリズム(密教)」という。

タントリズムは紀元前二千年紀後半にインド先住民の間で生まれたともいわれている。

シヴァはインダス由来の神であり、



ドゥルガー、パールヴァティーは 先住農耕民が信仰していた豊穣母神(女神)である。

従って、タントリズムは非アーリア系先住民の信仰と深い関係がある。

ヒンズー教の修行法としてヨーガが挙げられる。



ヨーガは『心身の鍛錬によって肉体を制御し、

精神を統一して人生究極の目的である「解脱」に至ろうとする『伝統的修行法』である。

古代インドから伝わるヨーガでは、精神発達の基盤にシャクティーという力

(エネルギー、とりわけ性的力)を想定している。

シャクティ派と呼ばれる一派では、ヨーガによって精神を統御し、

マンダラとマントラの助けを借りながら、

シャクティとみなされる女性と儀礼的な性交を行いシャクティとの合一を目指した。



タントリズムにおける性交は、生殖や性欲の発散が目的ではなく、『シャクティ(エネルギー、とりわけ性的力)』成就を目指す行法である。

このときの陶酔は、解脱がもたらす悦楽であると考えられている。

また、インドにおける性の解放性を示すものとして、

性典「カーマ・スートラ」やシャクティを成就した神々の至福の姿を表している彫像群がある。

「カーマ」は愛、「スートラ」は教えを意味し、

古代インドのマッラナーガ・ヴァーツヤーヤナによって書かれた「愛の格言集」とも呼ばれている。

ミトウナ像(男女抱擁像)はシャクティを成就した神々の至福の姿を表し、

中でもカンダリーヤ・マハーデーバ寺院(カジュラーホーの寺院)の彫像群(世界遺産)は圧巻である。




14.9 ハタ・ヨーガ(ナータ派ヨーガ)とは


ハタ・ヨーガとは生理的ヨーガのことで、瞑想をしてプラナヤマ(呼吸法)により、

宇宙のエネルギー(プラーナ)を体に蓄え、体と心を整えていくヨーガである。

ハタ・ヨーガ」は、アウトカーストやシュードラの文化を基礎にした中世の「タントラ」的

身体思想から生まれた、力動的なヨーガである。




『ヨーガ・スートラ』に代表される「古典ヨーガ」が、心身の働きを順次止滅させていくことを目的とするが、

ハタ・ヨーガ』は身体を利用した方法によって、心身の止滅と再活性化を目的とする傾向がある。

「ハタ・ヨーガ」では、身体を神の神殿であり宇宙や神々と照応すると考え、

プラーナ(気息)のコントロール、象徴や観想、マントラを利用し、現世肯定的な思想である。




ハタ・ヨーガ』はタントラ独自の、プラーナ(気息)の次元における身体構造(霊的生理学)を前提としている。




   (チベット密教の霊的身体論を参照)。

身体を貫いて三つの主要な脈管(ナーディ)、7つの主要なチャクラ、

3つの結節(グランディ)などがあるとされる。

ハタ・ヨーガ』は、シバ派のタントリズムを基礎としている。  


気息という一種の生命エネルギーを利用し、会陰部に眠るとされる『クンダリニー(性力、シャクティ)』を覚醒させ、頭頂のチャクラまで上昇させることを目指している。

このため,

このヨーガは『〈クンダリニー・ヨーガ』と呼ばれることもある。




14.10 ヒンズータントリズムと仏教タントリズム(密教)


 大乗仏教は、中観派、唯識学派の成立により学問化する一方で、大衆の間では密教化していった。

タントリズム(密教)とは秘密の教えという意味である。

その特質は呪術性にある。呪力の発現により、現世利益の成就をはかる。

あるいは自己と絶対的な真理を体現する大日如来との神秘的な合一の体験、即身成仏を目指す。

空海の即身成仏論を参照)。

 呪力を発現させるために唱えられる呪句は、真言、あるいは陀羅尼(だらに)といわれる。

儀式は諸尊を配置した曼荼羅(まんだら)の前で行われる。

仏教における 密教的な要素は、大乗仏教の早い時代から認められる。

大乗仏教とヒンズー教を参照)。

呪句としての陀羅尼は、3世紀には成立していたとされる『法華経』の陀羅尼品をはじめ、

般若心経などの大乗経典にしばしば現れる。

4世紀ころから、それまで部分的に説かれていた陀羅尼を主として説く初期の密教経典が成立した。

そして、密教特有の教義が、7世紀ころの『大日経』と少し遅れて成立した『金剛頂経』

において確立された。

 『大日経』の説く曼荼羅は「胎蔵界曼荼羅」といわれる。

『金剛頂経』の説く曼荼羅は「金剛界曼荼羅」といわれる。

密教には、インドの民衆の信仰の影響が著しい。

密教にはヒンズー教の多くの神々がとり入れられ、

護法神あるいは明王(みょうおう)として崇拝・信仰の対象となった。

また、後期の密教には、性力を崇拝する快楽主義的なヒンズータントリズムの影響の下に、

男女交合や性的ヨーガを重視する左道密教が生まれた。

チベット密教を参照)。

インドの後期仏教(密教)ではヒンズー教の儀礼や呪句などを取り入れ、世界は仏そのものであり、

儀礼に基づく行法によって行者がその仏そのものと一体化することで即身成仏が可能だと考える。

このような密教思想は本来の仏教には無く、『ヒンズー教的仏教』と言えるだろう。

呪術や儀礼に基づく行法を真言密教の<三密加持>だと考えると、

真言密教の即身成仏法は次の図3でまとめることができる。


図3

図3 三密加持による即身成仏法


   
   

図3は空海の即身成仏法と殆ど一致する。

即身成仏の思想を参照)。

このことはヒンズータントリズムと仏教タントリズム(密教)の密接な関係を示唆している。




14.11  ヒンズー教における性愛の思想



14.11・1  ヒンズー教の性に対する考え方


 ヒンズー教の重要な神、シヴァ神とヴィシュヌ神には、

それぞれリンガ崇拝とバクティという信仰形態がある。

バクティについては大乗仏教を参照)。

ヒンズー教のリンガ崇拝のような男根崇拝の例は世界中いたるところに見られる。

日本にも道祖神や金精様などの男根崇拝がある。

その多くは豊穣を願った地域的・民族的な信仰である。

しかし、インドのリンガ崇拝は単なる多産豊穣の象徴ではない。

リンガはシヴァ神の男根であり、それは世界・宇宙の柱としての役割』を表している。


図4

図4 シヴァ神の象徴であるリンガ(ペニス)。(ヨーニ(女陰)の上に立っている)。


   
   

リンガがシヴァ神の一部という考えではなく、シヴァ神=リンガであり、

人々がリンガを礼拝するときは、シヴァ神を礼拝するのと同じなのである。



一見、卑猥に見えるリンガに牛乳を注ぐ行為は、

シヴァ神が世界創造に関与する』という宗教的思想を表しているのである。



インドの重要な信仰の一つに、

神を熱烈に信じ愛すること』を意味する『バクティ(誠信)』という思想がある。



バクティ(誠信)の思想を参照)。

 ヒンズー教ではヴィシュヌ神の化身であるクリシュナを恋人のように慕う信者が多い。

ムガル王朝時代には、クリシュナとその恋人ラーダーの官能的な絵画も多数見受けられた。

クリシュナに対する熱烈な信仰は詩や絵に表れているが、実際の性行動に信者が走ることはない。

バクティ(誠信)信仰は、俗世の愛から精神的な愛への昇華を目的とした信仰だと言える。





このように、 ヒンズー教では、生器崇拝や恋人への熱烈な愛といった、

一見すると俗物的な主題を宗教化して信仰することで、聖別化・宗教化しているのである。



14.10.2

14.10.2 「促進の道」、「寂静の道」とタントリズム


宗教に性の問題を持ち込んだのがタントリズムである。

原始仏教は性を信仰や修行の中から完全に除外した。


   
   

原始仏教では、

性欲』に代表される『生命エネルギー』を抑制して、精神的至福の境地(解脱)を目指そうとする。


   
   

その禁欲的態度は古来、『寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』と呼ばれてきた。


   

初期仏教の出家僧達はこの態度を重視し、

仏教はゴータマ・ブッダ以来禅定修行を重視する『寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』を踏襲して行ったのである。


   

原始仏教1、涅槃の定義を参照)。


   
   
   

後世、中国で発展した禅宗はブッダ以来の禅定修行を重視する『 寂静の道』(ニヴリッティ・マールガ)を行ったと言えるだろう。


   

これに対し、インドでは世俗を肯定し、生命エネルギーを活性化させて、

さらにそれを浄化する態度・方法も古来から存在した。

これは『 促進の道(プラヴリッティ・マールガ)』と呼ばれる。

古来インドでは人生の目的として、ダルマ(社会的正義、名声)、アルタ(財、金)、

カーマ(愛欲、その対象としての女性)、およびモクシャ(解脱)の四項目が数えられた。

はじめの三つは「促進の道(プラヴリッティ・マールガ)」によって達成されると考えられた。

最後の『モクシャ(解脱)」だけは

寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』によって達成されるというのがタントリズム以前の一般的理解であった。


   

しかし後世、世俗を肯定し、生命エネルギーを活性化させることで、

解脱に至ろうとする『促進の道(プラヴリッティ・マールガ)』に転換する動きが出て来た。


   

それが妙齢の女性をパートナーとして、性的ヨーガを実践する『タントリズム密教)』である。


   

密教では

寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』を基調としながらも、『促進の道(プラヴリッティ・マールガ)』の要素を取り入れる。


   

密教では、『寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』のように、現世を否定することなく、

輪廻の世界よりの「解脱』、あるいは『精神的至福の境地』をも得ようとする。


   

 ヒンズー教では伝統的な禁欲思想として苦行がある。

苦行は仏教の『寂静の道』と同様に生命エネルギーを抑制し、蓄えることを目的とするのである。


   

これとは異なり、シヴァとその妻パールヴァティーの交合によって、

生命エネルギーの増進を目指す『促進の道』が『ヒンズータントリズム(ヒンズー密教)』である。

仏教タントリズムやヒンズータントリズムでは性的ヨーガ

(性的イメージ瞑想や擬似的な交合儀礼)を行う。

密教でも中期密教までは「寂静の道」の色彩が強い。


   

仏教では、ゴータマ・ブッダの原始仏教から中期大乗(唯識仏教)までは『寂静の道』の伝統が強く残っている。


   

仏教と寂静の道を参照)。

世俗的欲望を肯定する「促進の道(プラヴリッティ・マールガ)」が

仏教にはっきり取り入れられたのは、『後期密教』からだと考えられる。

密教でも空海が日本にもたらした『中期密教』までは、『寂静の道』の色彩がまだ強く残っている。


   

しかし、チベット密教など後期密教になると、

性的ヨーガなど、『促進の道(プラヴリッティ・マールガ)』の要素がを取り入れられるようになった。


   

特に後期密教では、教義の中に『』を持ち込み、その生命エネルギーを得ようとしたのである。


   

図5に「寂静の道」と「促進の道」から見た初期仏教、大乗仏教と密教(後期密教)の関係を示す。


図5

図5 「寂静の道」と「促進の道」から見た初期仏教、大乗仏教と密教(後期密教)の関係


   
   

 図5に示すように、大乗仏教は初期仏教から密教へ至る途中に位置する。

寂静の道」としての初期仏教が『促進の道』としての密教に変容して行く途中に

位置するのが大乗仏教だと考えることができる。

そのように考えると、大乗仏教は、図5を見れば分かるように、

寂静の道』である『原始仏教』と『促進の道』である『密教』の中間に位置する教えであることが分かる。






 真言密教立川流について:




ヒンズータントリズムでは現世と性欲を肯定し、

性的ヨーガを行う後期密教『促進の道(プラヴリッティ・マールガ)』

への転換が起こっていた時代、

性欲肯定の『促進の道』である『密教』の波はいち早く、日本にも押し寄せていたと考えることができる。

空海によって禁欲的中期密教がもたらされた日本でも

性欲を肯定する真言密教の一派「立川流」が起こり流行の兆しを見せていた。

ここでは性欲を肯定する真言密教の一派「立川流」について簡単に紹介したい。


立川流」(たちかわりゅう)とは、

鎌倉時代に仁寛(?〜1114)によって開かれ、南北朝時代に文観(1278〜1358)によって

大成されたとされる真言密教の一派で、『真言立川流(しんごんたちかわりゅう)』ともいう。




 立川流の教義



所為依経典は般若波羅蜜多理趣品、所謂「理趣経(りしゅきょう)」で、荼枳尼天(だきにてん)を拝する。

本来仏教において、性交は『不邪淫戒』によって伝統的に誡められている。

しかし、後期密教になると、瑜伽タントラの「理趣経」や多くの「無上瑜伽タントラ」よって

性欲などの人間の欲望は肯定され、人間は『性欲などの欲望を持ちながら解脱することができる』と考えるようになる。

そして、性交を通して「即身成仏」しようとする思想が登場する。



しかし、日本には無上瑜伽タントラは部分的にしか伝わっていないため、

立川流を除く殆どの密教は性交には否定的な考えを持つ中国経由の仏教である。

特に、立川流の本尊(呪詛祈願の本尊)は頭蓋骨を用いた髑髏本尊であり、大頭、小頭、月輪行などの種類がある。

この髑髏本尊に使われる髑髏は王や親などの貴人の髑髏で、縫合線の全く無い髑髏、千頂といって1000人の髑髏の上部を集めたもの、

法界髏という儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならないとされた。

こうして選ばれた髑髏の表面に性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、

それを糊として金箔や銀箔を貼り、さらに髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。

しかもその儀式の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。

こうして約7年間もの歳月を費やして作られた髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現すという。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、

上位のものでは言葉を発して三千大千世界の全ての真理を語るという。

しかし、この淫靡な儀式の奥には別の真実が隠れている。

「理趣経」は本来男性と女性の陰陽があって初めて物事が成ると説いている。



この儀式に7年もの歳月がかかるのは、

その過程で、僧侶とその伴侶の女性が悟りを得ることを目的とするからである。

悟りを得ればもはや髑髏本尊は必要なくなる。



立川流の真髄』は性交によって男女が真言宗の本尊、大日如来と一体となり、『即身成仏』することである。





この点、

女性は穢れた存在であり、仏にはなれない」と説いていた従来の宗派と大きく異なる

立川流の金剛杵は特殊な金剛杵であり、片方が三鈷杵、もう片方が二鈷杵になっている。この金剛杵を割五鈷杵(わりごこしょ)という。

立川流の教義は、陰陽の二道により真言密教の教理を発展させたもので、

男女交合の境地を「即身成仏」の境地と見なし、男女交合の姿を曼荼羅として図現したものである。

髑髏を本尊とするなどの儀式に関しては、あくまでも俗説である。

立川流の秘儀や作法などが述べられた文献は殆ど焚書で無くなっており、

現存する文献はすべて弾圧した側のものであるから、それが真実かどうかは分からないと考えられている。

男女交合のオルガスムスが即身成仏の境地であるとされるに至ったのにはいくつかの理由がある。

密教には、

人間はそもそも汚れたものではないという、『自性清浄(本覚思想)』という考えがある。



   

「理趣経」では

「妙適清浄句是菩薩位(びょうてきせいせいくしぼさい)」、

「欲箭清浄句是菩薩位(よくせんせいせいくしぼさい)」、

「適悦清浄句是菩薩位(てきえいせいせいくしぼさい)」など、

性欲も菩薩の清浄な境地だと肯定されている。



そのような性欲肯定の思想では、

性行為を含め人間の営みはすべて、本来は、清浄である』と考える.



このような『自性清浄(本覚思想)』の思想は

「理趣経」が説く「十七清浄句」の思想に由来すると考えられている。



また立川流が東密(真言密教)の流れを汲む邪宗とされるのに対し、

台密(天台宗の密教)でも、男女の性交を以って成仏とする『玄旨帰命壇』という一派があった。



このことから、この二つはよく対比して論じられる事が多い。





 立川流の歴史



立川流は鎌倉時代に密教僧である仁寛(?〜1114)によって開かれ、

南北朝時代に後醍醐天皇の護持僧となった文観(1278〜1358)によって大成されたといわれる。

1113年(永久元年)、後三条天皇の第3皇子・輔仁親王に護持僧として仕えていた仁寛は、

鳥羽天皇の暗殺を図って失敗し、11月に伊豆の大仁(伊豆の国市大仁)へ流された。

名を蓮念と改め、この地で真言の教えを説いていた仁寛は、

武蔵国立川(たちかわ)出身の陰陽師・見蓮(兼蓮とも書く)と出会った。

ほかに観蓮、寂乗、観照という3名の僧と出会った仁寛は、彼らに醍醐三宝院流の奥義を伝授した。

1114年(永久2年)3月に仁寛が城山(じょうやま)から投身自殺を遂げた後は、

見蓮らが陰陽道と真言密教の教義を混合して立川流を確立し、布教したとされている。

鎌倉には、京都から放逐された天王寺真慶らによって伝えられた。

その後も立川流は全国に浸透を続けた。

『受法用心集』によると、真言密教の僧のうち、9割が立川流の信徒となっていたといわれる。

鎌倉時代末期、北条寺の僧・道順から立川流の奥義を学んだ文観は、「験力無双の仁」との評判を得ていた。

これを耳にした後醍醐天皇は彼を召し抱え、自身の護持僧とした。

文観は後醍醐天皇に奥義を伝授し、自身は醍醐寺三宝院の権僧正となった。

天皇が帰依したという事実は、文観にとって大きな後ろ盾ができたということであった。

1322年(元亨2年)、文観は後醍醐天皇の中宮・禧子が懐妊したのに際して、安産祈願の祈祷を行った。

しかしこの祈祷は、政権を掌握している執権の北条高時を呪い殺すことをも意図していたため、

高時の怒りを買った文観は鹿児島の硫黄島へ配流された。

1331年(元弘元年)に後醍醐天皇による元弘の変が勃発した。

倒幕計画に失敗して捕らえられた後醍醐天皇は隠岐島へ流されるが、

悪党や有力な御家人の相次ぐ挙兵によって、1333年(元弘3年)に倒幕が実現した。

これに伴い帰京を果した文観は、東寺の一長者にまで上り詰めた。

これに対し、真言宗の本流をもって任ずる高野山の僧らは文観を危険視し、

1335年(建武2年)に大規模な弾圧を加えた。

立川流の僧の多くが殺害され、書物は灰燼に帰した。

一長者の地位を剥奪された文観は、京都から放逐され甲斐国へ送られた。

その後も文観は、吉野で南朝を開いた後醍醐天皇に付き従い、親政の復活を期して陰で動いた。

後醍醐天皇の護持僧文観は立川流再興の祖と考えられている。

南朝が衰退した後、立川流も徐々に衰退し、江戸時代の弾圧によって断絶し、

現在には伝わっていないというのが定説である。

真言正統派は、立川流に対し、戒律を厳しくするなどして弾圧したとされる。




注:

理趣経(りしゅきょう):正式名称『般若波羅蜜多理趣百五十頌』。

『金剛頂経』十八会の内の第六会にあたる『理趣広経』の略本に相当する密教経典である。

真言宗各派で読誦される常用経典で、真言密教の「自性清浄」という思想が根本にある。

『理趣経』は、この「自性清浄」という思想 に基づき人間の営みが本来は清浄なものであると述べているのが特徴。

 大乗「涅槃経」の「一切衆生悉有仏性」に近い思想と言える。

無上ヨーガ・タントラ:8世紀後半以降に作られたインド後期密教経典群のチベット仏教における総称。

荼枳尼天(だきにてん):荼枳尼天の起源であるインドのダーキニーは、

裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女である。

ダーキニーは仏教に取り入れられたのち、ヒンドゥー教でも女神として知られるようになった。

もとはベンガル地方の女神カーリーの侍女で、

後にカーリーがヒンドゥー教の神シヴァの妃とされたため、

ダーキニーもシヴァ神のの眷属とされたと考えられている。

荼枳尼天は性愛を司る神と解釈された。

荼枳尼天は立川流の本尊として信仰されたという説もあるがはっきりしない。


「理趣経」の十七清浄句:

「理趣経」の十七清浄句は以下の十七句である。


妙適C淨句是菩薩位: 男女交合の妙なる恍惚境は、清浄なる菩薩の境地である。

2. 慾箭C淨句是菩薩位 :欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である。

3. 觸C淨句是菩薩位 :男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。

4. 愛縛C淨句是菩薩位 : 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である 。

.一切自在主C淨句是菩薩位 :男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、

天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である

見C淨句是菩薩位 :欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。

適悦C淨句是菩薩位 : 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である。

愛C淨句是菩薩位 :男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である

慢C淨句是菩薩位 :自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である。

10莊嚴C淨句是菩薩位 :ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である

11意滋澤C淨句是菩薩位 : 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である。

12光明C淨句是菩薩位 : 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である。

13身樂C淨句是菩薩位 :身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である。

14色C淨句是菩薩位 -:目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である。

15聲C淨句是菩薩位 : 耳にするもの音声も、清浄なる菩薩の境地である。

16香C淨句是菩薩位 : この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である。

17味C淨句是菩薩位 :口にする味も、清浄なる菩薩の境地である。



後醍醐天皇:後醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年 〜 1339年、日本の第96代天皇、

南朝初代天皇(在位:1318〜〈1339年〉諱は尊治(たかはる)。

大覚寺統の天皇。クーデターにより鎌倉幕府を打倒した。

しかし、その後軍事力の中核であった実子を粛清した事と失政により失脚した。

一地方政権の主として生涯を終える。

学問・宗教・芸術の諸分野で高い水準の業績を残した。

儒学では宋学(新儒学)受容を進めた最初の君主で、有職故実の代表的研究書『建武年中行事』を著した。

真言宗では父の後宇多上皇と同様に真言密教立川流の庇護者で阿闍梨(師僧)の位を持っていた。

禅宗では禅庭の完成者である夢窓疎石を発掘したことは、以降の日本の文化・美意識に影響を与えた。

真言密教立川流の文観を護持僧(ブレーン)とし、文観から真言密教の灌頂(仏教の位や教えを伝授されること)を受けたとも伝えられる。

後醍醐天皇は当時鎌倉幕府の庇護を受け、名声の高かった夢窓疎石に上洛を強く要望し、

「南禅寺」の住職とした。

また後醍醐天皇は、曹洞宗の太祖瑩山紹瑾禅師の高い徳風と評判を聞き、

瑩山禅師に対し禅宗に関する10の疑問を呈し聞いた。

この疑問に対する總持寺の瑩山紹瑾禅師の答えに満足したことから、

總持寺に「曹洞出世の道場」の綸旨を下賜し、總持寺は官寺に昇格した。

このようななことから後醍醐天皇と禅宗の良好な関係が見られる。


   
図 後醍醐

   

図5ー1 後醍醐天皇像



台密の玄旨帰命壇:「玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)」はかつて天台宗に存在した密教の一派である。

南北朝時代以降、現実の世界や愛欲の煩悩を「煩悩即菩提」の立場から積極的に仏事として肯定し、

交会(性交)の儀式を以って悟りを得ようと解釈する向きが強まった。

「玄旨帰命壇」は立川流の影響を受けたため、淫祠邪教として弾圧され、

江戸時代には廃絶したといわれる。


   




14.10.3 インドにおける四つの人生目的と性愛


宗教では、性的なモチーフを扱いながら、聖と俗を完全に切り離そうと試みる。

既に述べたように インドでは四つの人生目標がある。

それはダルマ(法)、アルタ(財、金)、カーマ(性愛)、モクシャ(解脱)である。

カーマ(性愛)の指南書として有名なカーマ・スートラ( Kama Sutra)は、

古代インドの性愛論書で、4世紀頃成立したと考えられる最古の経典である。

全七部からなる『カーマ・スートラ』には、男女の生活の規範から性交渉の方法、

結婚に関することから薬や呪術まで書かれている。

ポルノグラフィーと言うよりは、学術的な『カーマ・スートラ』が編纂された背景には、

古代インドの性愛重視の思想があると考えられる。

 実際、『カーマ・スートラ』の教えは、インド文学や美術の中に生き続けた。

美術の面では、古代から近世に至るまで作成され続けている男女交合像のミトナ像が挙げられる。

作成の動機が未だに不明なミトナ像であるが、さまざまな体位で交わる男女の像は、

古代インドの性を謳歌した時代を表現したようにも、考えられている。

 中世や近世になっても、文学や美術に性愛的な表現は見ることが出来る。

しかし、それが実際の当時の人々の生活を表している可能性は低いと思われる。





14.11 性欲の肯定とタントリズム




キリスト教やイスラーム教では、性を否定的に捉える。しかし一方で、

ヒンズー教や仏教のタントラや中国の道教のように、

性を積極的に評価し利用する宗教や流派がある。

カジュラーホは、インド北部の中央部に位置する小さな村である。

ここは、10世紀から12世紀にあったチャンデッラ朝というヒンドゥーの国の首都で、

ヒンズー教の寺院がいくつも建てられた。

この時代のヒンドゥー教寺院はイスラーム勢力の手でほとんどが破壊され現存しないが、

カジュラーホの寺院のいくつかは破壊をのがれ、当時の姿を今にとどめている。

これらの寺院群はインド北型建築の典型的なもので、壁面の浮き彫りで名高い。

これらの浮き彫りは、

性力』(シャクティ)による『『解脱』(モクシャ)への道筋を表現したものである。

これらは、芸術作品である前にあくまで宗教施設(寺院)なのである。

 同じインドの文化のもとに生まれ、輪廻思想(りんねしそう)を取り入れながら、

現世を肯定し性を積極的に利用するヒンズー教の思想は、

現世に否定的・禁欲的な仏教とは対照的である。

 ちなみにカジュラーホの寺院群は、1986年、世界遺産に登録されている。

既に述べたように、 ヒンズー教において人生の目的は、(1) 社会的名誉(ダルマ)、(2) 財(アルタ)、

(3) 愛欲およびその対象(カーマ)、(4) 解脱(モクシャ)である。

解脱(げだつ)とは、輪廻転生の苦からのがれることである。




これを得るには、『ヨーガ(心統一の修行)』や『シャクティ(性力)』を利用しなければならない。




そのシャクティによる解脱法を述べたものが『タントラ』である。

シャクティ(性力)』とは、男神(とくにシヴァ神)の根源的な力で、『宇宙のすべてを動かす『女性原理』をさす。




人であっても、この『シャクティ(性力)』を完全に支配できたら、シヴァ神と一体化し、超能力を得ると同時に、解脱することができるとする。




この性力を支配するための方法のひとつが、

マントラ(真言=呪文)を唱えつつ、性力とみなされた女性と性交することなのである。




そうすれば、男の会陰部にあった性力が脊柱の中にあるとされる中央脈管を通って、

シヴァ神の領域である頭部の『テャクラ(サハスラーラ)』に達し、神と一体化するとされる。




チャクラ理論を参照)。

このタントリズムの思想は、もともと仏教のタントリズム(密教)から始まったと考えられているようである。

7世紀頃成立したと考えられる中期大乗経典『理趣経』(りしゅきょう)では、

性欲が大胆に肯定されている。そこには「自性清浄」という思想がある。

理趣経』の大楽法門においては、




十七清浄句」といわれる17の句偈が説かれ、

性行為だけでなく、

それによって得られる快楽も、『清浄な菩薩の境地だと説いている。

後期密教の教典である『秘密集会タントラ』(ひみつしゅうえタントラ)では、

ブッダは真理の源泉である女性たちと『性的ヨーガ』を行じていたと説いている。




チベット密教、「秘密集会タントラ」を参照)。

ブッダは性的パートナー(女性)と性交する『性的ヨーガ』を続けて、

阿シュク如来と一体化し解脱(げだつ)したと説かれるのである。

このように、仏教の後期密教とヒンズータントリズムでは、

一体化する神が阿シュク如来とシヴァ神の違いはあっても、解脱のための方法論(『性的ヨーガ』)は同じなのである。

このことは、

仏教の後期密教』は『ヒンズータントリズム』の影響を受けて成立した。』ことを示唆している。

中国の道教でも、これと似た思想が見られる。

女性と性交することで性力を吸収することができるとされ、

多くの女性と交われば超能力を持つ神仙になれるとされた。

タントリズムでは、解脱の方法にしても、ヒンドゥー教と仏教のタントリズム(チベット密教など)

とでは微妙に内容が違っていても、

インド起源の神秘的身体論(チャクラ理論)に基づいている点では共通している。

どちらも神秘的身体論(チャクラ理論)をもとに呪文や性的ヨーガを利用する。

密教のこのアプローチは、

ナーガールジュナ(龍樹)らによって確立された『』思想に基づく禁欲的大乗仏教とは大きく異なる。

中期大乗仏教まではまだ『寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』であった。

しかし、後期大乗仏教である密教では『促進の道(プラヴリッティ・マールガ)』への変化が始まる。

ブッダの原始仏教から後期大乗仏教までには大きな変化があったのである。

初期大乗仏教から後期大乗仏教(密教)までの歴史を考えると、

仏教は次々に大きな変化・変容』を遂げていることが分かる。

しかし、チベットにおいて顕教と密教を統合したとされるチベット密教ゲルク派の宗祖ツォンカパは

性的ヨーガが伝統的な仏教の戒律に『矛盾(違反)』することを良く知っていた。

このため、

ツォンカパは『密教と顕教の併修』を説き、『性的ヨーガを文字通り実践することを禁止した』と言われている。

そのことで性的ヨーガと戒律の矛盾(違反)を緩和しようと努めたと考えられる。

その観点からも、ツォンカパが密教と顕教の併修を通し、空性の理解を重視している点は注目される。

彼は大乗仏教の禁欲的な「寂静の道」を密教に導入することで、

促進の道(プラヴリッティ・マールガ)』の行き過ぎを防ごうと思ったのではないだろうか。

その点、日本に導入された中期密教までは性的ヨーガを導入しなかったため、

禁欲的な『寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』のままである。

チベット密教に見られる『不邪淫戒』の矛盾がなくすっきりしている。

この点、『寂静の道(ニヴリッティ・マールガ)』を重視した空海は、やはり、賢明であったと言えるだろう。



14.12 ヒンズータントリズムとカジュラホのミトゥナ像


10世紀から14世紀のインドでタントリズムは最高潮に達した。

今ではインド中央部の小さな村にすぎないカジュラホは

10世紀〜14世紀にかけて栄えたチャンデッラ朝の 最盛期の都とされる。

10世紀から 14 世紀初めまで中央インドで栄えたチャンデーラ朝では85にのぼる

ヒンズー教やジャイナ教の大寺院が造られた。

寺院の壁面は豊満な女性像アプサラや、セックスの様子を描いた

交合像ミトゥナの彫刻で埋め尽くされている。

なかには複数でのセックスや、動物と交わっている様子を描いたものまである。

おそらく古代インドの人々は、あの世や強い戒律などの道徳や倫理こそが

対立を生み出すことをよく知っていたのではないだろうか。

彼等は道徳や倫理観を大切にしながらも、その道徳や倫理を絶対視しないで、

タブーを破ることの大切さもよくわかっていたと考えられる。

カジュラホのミトゥナ像には、

道徳や倫理を超えた、『生命や愛に対する普遍的な価値』が表現されている。

世界遺産の普遍的価値を理解するひとつの鍵が、カジュラホにあると言えるだろう。


図6

図6 ミトゥナ像(ラクシュマナ寺院 )


   
   

参考文献や参考になる本など


   

1.ツルティム・ケサン、正木晃共著、筑摩書房、ちくま新書230、 チベット密教、2000年

2.立川武蔵著、講談社、講談社現代新書 はじめてのインド哲学、1992年

3.立川武蔵著、法蔵館、ブッダの哲学、現代思想としての仏教、1998年.



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