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弁道話・3

   
数

『正法眼蔵』「弁道話」について



弁道とは、仏道修行に精進することである。

道元禅師は日本に帰国後、最初の体系的な著作として「弁道話」を著した。

それは寛喜3年(1231)8月、深草安養院に閑居中(32歳)と推定されている(面山『聞解』の見解)。

末尾には「入宋伝法沙門道元」の自著がある(別本では「入宋伝法沙門住観音導利院道元」とも)。

「弁道話」は本来は『正法眼蔵』にはなかったが、95巻本では第1巻として収録された。

「弁道話」において、天童如浄に参学して正伝した仏法は、坐禅を正門とするもので、

坐禅は万人が等しく成仏できる安楽の法門で、修(坐禅修行)のほかに証(悟り)はないとする修証一如の思想を述べている。

その他後半部の18箇の問答が特徴的である。

ここでは「弁道話」の全体をを28文段に分け、

「弁道話・1」では第1文段から第10文段までを、

「弁道話・2」では第11文段から第19文段までを、

「弁道話・3」では第20文段から第28文段までを、

合理的(科学的)観点から分かり易く解説したい。



20

 第20文段(18問答の第10)


原文20


とうていはく、

あるがいはく、生死をなげくことなかれ、生死を出離するにいとすみやかなるみちあり

いはゆる、心性の常住なることわりをしるなり

そのむねたらく、この身体は、すでに生あればかならず滅にうつされゆくことありとも

この心性はあへて滅することなし

よく生滅にうつされぬ心性わが身にあることをしりぬれば

これを本来の性とするがゆゑに、身はこれかりのすがたなり、死此生彼さだまりなし

心はこれ常住なり、去来現在かはるべからず

かくのごとくしるを、生死をはなれたりとはいふなり

このむねをしるものは、従来の生死ながくたえて、この身をはるとき性海にいる

性海に朝宗するとき、諸仏如来のごとく、妙徳まさにそなはる

いまはたとひしるといへども、前世の妄業になされたる身体なるがゆゑに、諸聖とひとしからず

いまだこのむねをしらざるものは、ひさしく生死にめぐるべし

しかあればすなはち、ただいそぎて心性の常住なるむねを了知すべし

いたづらに閑坐して一生をすぐさん、なにのまつところかあらん

かくのごとくいふむね、これはまことに諸仏諸祖の道にかなへりや、いかん。」

しめしていはく、

いまいふところの見、またく仏法にあらず、先尼外道が見なり。」

いはく、かの外道の見は、わが身うちにひとつの霊知あり、かの知、すなはち縁にあふところに、よく好悪をわきまへ、是非をわきまふ

痛痒をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり

しかあるに、かの霊性は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにうまるるゆゑに

ここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり

かの外道が見、かくのごとし

しかあるを、この見をならうて仏法とせん

瓦礫をにぎりて金宝とおもはんよりもなほおろかなり

癡迷のはづべき、たとふるにものなし

大唐国の慧忠国師、ふかくいましめたり

いま心常相滅の邪見を計して、諸仏の妙法にひとしめ、生死の本因をおこして

生死をはなれたりとおもはん、おろかなるにあらずや、もともあはれむべし

ただこれ外道の邪見なりとしれ、みみにふるべからず

ことやむことをえず、いまなほあはれみをたれて、なんぢが邪見をすくはん

しるべし、仏法には、もとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる、西天東地おなじくしれるところ、あへてうたがふべからず

いはんや常住を談ずる門には、万法みな常住なり、身と心とをわくことなし

寂滅を談ずる門には、諸法みな寂滅なり、性と相とをわくことなし

しかあるを、なんぞ身滅心常といはん、正理にそむかざらんや

しかのみならず、生死はすなはち涅槃なりと覚了すべし、いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし

いはんや心は身をはなれて常住なりと領解するをもて、生死をはなれたる仏智に妄計すといふとも

この領解知覚の心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず

これ、はかなきにあらずや

嘗観すべし、身心一如のむねは、仏法のつねの談ずるところなり

しかあるに、なんぞこの身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて生滅せざらん

もし一如なるときあり、一如ならぬときあらば、仏説おのづから虚妄になりぬべし

又生死はのぞくべき法ぞとおもへるは、仏法をいとふつみとなる

つつしまざらんや

しるべし、仏法に心性大総相の法門といふは

一大法界をこめて、性相をわかず、生滅をいふことなし

菩提涅槃におよぶまで、心性にあらざるなし

一切諸法 万象森羅、ともにただこれ一心にして、こめずかねざることなし

このもろもろの法門、みな平等一心なり

あへて異違なしと談ずる、これすなはち仏家の心性をしれる様子なり

しかあるを、この一法に身と心とを分別し、生死と涅槃とをわくことあらんや

すでに仏子なり

外道の見をかたる狂人のしたのひびきをみみにふるることなかれ


注:

心性の常住: 心の本性の永遠不滅性。

そのむねたらく: その趣旨は。

死此生彼(しししょうひ): ここで死んでかしこに生れること。

性海(しょうかい): 本性の世界。広く深いことを海に喩えている。

閑坐(かんざ): 静かにすわっていること。静座。

先尼外道: 仏在世時我(アートマン)の思想を主張した外道の一派。

霊知(れいち): 不思議な知覚のはたらき。

瓦礫(がりゃく):かわらと小石。

慧忠国師: 南陽慧忠。(なんよう えちゅう、675- 775年)、中国の唐代の禅僧。

六祖慧能の直弟子。粛宗・代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。


図13

図13 慧忠国師像


   

心常相滅の邪見; 心(霊魂)は不滅不変で姿(相)が滅するという誤まった考え方。

生死の本因をおこして: 心常相滅という邪見が生死(迷い)の根本原因であるのに、それを起こして。

もともあはれむべし。: 最も憐れむべきだ。

心性大総相の法門: 「大乗起信論」に見える言葉。

生きている真実は本体と様相に分けることができない全体的事実であるという法門。

心の本性は、あらゆるものを包み込んだ平等の一心であるという法門。

涅槃: 梵 :ニルヴァーナ。 吹き消すこと、あるいは吹き消された状態の意。

あらゆる煩悩が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地。究極の理想の境地。悟りの世界。寂滅。

原始仏教その1,「涅槃の定義」を参照)。

ひとしめ: 等しからしめ。

一心にして、こめずかねざることなし。一心であって、その中に含まれないもの、兼ねないものはない。

嘗観(しょうかん)すべし: 嘗は深くあじわいかみしめること。

よくよく身に親しく観察してみなさい。

菩提涅槃におよぶまで、心性にあらざるなし。:菩提も涅槃も、心の本性に基づいている。


第20文段の現代語訳


問うて言う、

ある人が言うには、生死流転を嘆いてはならない

生死流転の迷いを早く抜け出るのに良い方法がある

いわゆる、心の本性は変わることなく常に存在するという道理を知ることだ

その道理は、この身体は、まさしく生まれれば必ず滅して行くが、この心の本性はまったく滅しない

この生滅に動かされない心の本性が、我が身にあることを知れば

これを自分の本来の性とするので、身は仮の姿であり、ここに死して彼の所に生まれるという決まりはない

心は常に存在していて、過去 未来 現在で変化しない

このように知ることを、生死流転を離れたと言うのである

この道理を知る者は、今までの生死流転の迷いが長く絶えて、この身が終わる時には、本性の海に入る

その本性の海に集まる時には、諸仏如来のような素晴らしい妙徳がまさに具わるのである

今は、たとえこれを知ったとしても、前世の妄業によって変えられた身体なので、聖人たちと同じではない

まだこの道理を知らない者は、長く生死を巡るであろう

このようであるから、急いで心の本性は常住であるという道理を知るべきだ

空しく坐禅して一生を過ごして、何の得るところがあろうか

このような言葉の意味するところは、本当に仏祖の道に叶っているであろうか?」

答えて言う、

今言うところの見解はまったく仏法ではない

先尼外道の思想である

その外道の見解を言えば、我々の身中には一つの霊知があり

その霊知は、縁に会えばよく好悪を分別し、是非を分別し、また痛痒を知り、苦楽を知る

これらは皆、その霊知の力である

そして、その霊知の本性は、この身が滅する時には、脱け出て他に生まれるために

我々はここで滅するように見えても、他の生があるので、永久に滅せずして常住であると言うのである

先尼外道の見解はこのような思想である。 

しかしながら、この見解を学んで仏法とするのは、瓦礫を握って黄金と思うよりも、もっと愚かなことである

愚迷の恥ずかしさは例えようもない

この見解を大唐国の慧忠国師は、深く戒めたのである

今、心は常住で身相は生滅する、という邪見を諸仏の妙法に等しいと考えて

生死(迷い)の根本原因を引き起こしているのに、生死(迷い)を離れたと考えることは、愚かではないだろうか

最も哀れなことだ。これは外道の邪見である

  耳に触れてはならない

 黙ってはいられないので、今、 哀れみを垂れて、あなたの邪見を救いましょう

知るべきだ、仏法では、元来 身と心は一如で、本性と身相は不二だと説くことは

インドや中国でもよく知られていることであり、疑ってはならない

まして常住を説く教えでは、すべてのものが皆 常住であり、身と心とを分けることはない

また寂滅を説く教えでは、あらゆるものが皆寂滅であり、本性と身相を分けることはない

  それなのにどうして、身は滅するが心は常住である、と言うのか。正しい道理に背いていないだろうか

それだけでなく、生死はつまり涅槃であると悟るべきである。いまだ生死の他に涅槃を説くことはないのである

まして、心は身を離れて常住であると理解することが、生死を離れた仏の智慧であると妄りに考えても

この理解し知覚する心は、依然として生滅変化して全く常住ではない

これでは頼りにならないではないか

よく観察すべきだ、身心は一如である、という主旨は、仏法が常に説いているところである

それなのに、なぜこの身が生滅する時に、心だけが身を離れて生滅しないことがあるだろうか

もし一如の時があり、一如でない時もあるならば、仏説は自ずから虚妄になるだろう

又、生死は除くべき法だと思うならば、仏法を厭う罪になる。慎しむべきだ

知るべきだ、仏法にいう心性大総相(心の本性)は、あらゆるものを包み込んだ平等の一心である

この法門では、全法界を含めて、本性と形相とを分けることなく、生滅をいうこともない

仏の悟り、煩悩の滅に至るまで、心の本性でないものはない

一切諸法、森羅万象は、皆ただこの一心であって、その中に含まれないもの、兼ねないものはないのである

このすべての教えが、「皆、平等の一心であって、少しも異なることはない。」

と説いているのは、仏家が心の本性を理解している様子である

それなのに、この一つの法に於いて、身と心とを区別し、生死と涅槃に分けることがあるだろうか

我々は、すでに仏子である。外道の見解を語る狂人の話を聞いてはならない。」



第20文段の解釈とコメント

この文段での質問は、

ある人が言うには、生死流転を嘆いてはならない

生死流転の迷いを早く抜け出るのに良い方法は「心の本性は常住不変である」という道理を知ることだ

その道理は、この身体は、まさしく生まれれば必ず滅して行くが、この心の本性はまったく生滅しない

この生滅に影響されない心の本性が、我が身だと知れば、この身は仮の姿で、ここに死して彼の所に生まれるという決まりはない

心は常に存在していて、過去 未来 現在で変化しない。このように知ることを、生死流転を離れたと言うのである

この道理を知る者は、今までの生死流転の迷いが消えて、死ぬ時には

本性の海に入り、諸仏如来の素晴らしい妙徳が具わる

今は、たとえこれを知ったとしても、前世の妄業によって変えられた身体なので、聖人たちと同じではない

まだこの道理を知らない者は、長く生死を巡るであろう

このようであるから、急いで心の本性は常住であるという道理を知るべきだ

空しく坐禅して一生を過ごして、何の得るところがあろうか

このような言葉の意味するところは、本当に仏祖の道に叶っているであろうか?」

という長い質問である。

この質問に対し道元は、

今言うところの見解はまったく仏法ではなく、先尼外道の思想である

その外道の見解は、我々の身中には一つの霊知があり

その霊知は、縁に会えばよく好悪を分別し、是非を分別し、また痛痒を知り、苦楽を知る

これらは皆、その霊知の力である

そして、その霊知の本性は、死ぬ時には、脱け出て他に生まれるために

我々はここで滅するように見えても、他の生があるので、不生不滅である

先尼外道の見解はこのような思想である

  しかしながら、この見解を学んで仏法とするのは、瓦礫を握って黄金と思うよりも愚かである

愚迷の恥ずかしさは例えようがない。この見解を大唐国の慧忠国師は、深く戒めた

今、心は不生不滅で身体は生滅する、という邪見を諸仏の妙法だと考えて、生死(迷い)の根本原因を引き起こしている

それにもかかわらずの、生死(迷い)を離れたと考えるのは、外道の邪見である

これを諸仏の妙法だと考えるのは愚かで最も哀れなことだ

  耳に触れてはならない

黙ってはいられないので、哀れみを垂れて、あなたの邪見を救いたい

知るべきだ、仏法では、元来 身と心は一如で、本性と身相は不二だと説くことは、インドや中国でもよく知られている

まして常住を説く教えでは、すべてのものが皆 常住であり、身と心とを分けることはない

また寂滅を説く教えでは、あらゆるものが皆寂滅であり、本性と身相を分けることはない

  それなのにどうして、身は滅するが心は不滅である、と言うのか。これは正しい道理ではない

それだけでなく、生死はつまり涅槃であると悟るべきである

いまだ生死の他に涅槃を説くことはないのである

まして、心は身を離れて不生不滅だと理解することが、生死を離れた仏の智慧であると妄りに考えても

この理解し知覚する心は、依然として生滅変化している

これでは頼りにならないではないか。」

よく観察すべきだ、身心一如(不二)は、仏法が常に説いている

それなのに、なぜこの身が生滅する時に、心だけが身を離れて生滅しないことがあるだろうか

もし一如の時があり、一如でない時もあるならば、仏説は虚妄になる

又、生死は除くべき法だと思うならば、仏法を厭う罪になる。慎しむべきだ

知るべきだ、仏法にいう心性大総相(心の本性は、あらゆるものを包み込んだ平等の一心である。)の法門では

全法界を含めて、本性と形相とを分けることなく、生滅をいうこともない

仏の悟り、煩悩の滅に至るまで、心の本性でないものはない

一切諸法、森羅万象は、皆ただこの一心であって、その中に含まれないもの、兼ねないものはないのである

このすべての教えが、「皆、平等の一心であって、少しも異なることはない。」

と説いているのは、仏家が心の本性を理解している様子である


ここで出て来た「心性大総相の法門」という言葉は

「大乗起信論」に見える言葉であり、

生きている真実は本体様相に分けることができない全体的事実であるという法門である。


「大乗起信論」ではあらゆるものを包み込んだ一心は心真如門と心生滅門から成る。

心真如門は一心の体であり、性(本質)である。

心生滅門は一心の相であり、用(はたらき)である。

体と用は不二一体であると考える。

「心性大総相の法門」では

体としての一心はあらゆるものを包み込むが一心の性(本質)と用(はたらき)は不二一体であると考えるのである。

馬祖禅における<作用即性>の考え方と全く同じである。

禅の思想その1,「馬祖道一の禅思想」を参照)。


道元は、「それなのに、この一つの法に於いて、身と心とを区別し、生死と涅槃に分けることがあるだろうか

我々は、すでに仏子である。外道の見解を語る狂人の話を聞いてはならない。」

と答えている。

第20文段での質問と答えはどちらも長いからすっきりしないが

簡単にまとめると次のようになるだろう。


質問:


生死流転の迷いを早く抜け出る良い方法は心の本性は変わることなく不生不滅であるという道理を知ることだ

その道理は、身体は無常であり生まれれば必ず死ぬが、この心の本性は不生不滅である

我が身の本性が不生不滅だと知れば、この身は仮の姿で、輪廻転生することはない

心は常に存在していて、過去 現在未来 で変化しない

このように知ることを、生死流転の迷いを離れたと言う

  この道理を知れば、生死流転の迷いが消えて、死ぬ時には、本性の海に入り、諸仏如来の素晴らしい妙徳が具わる

たとえ今これを知ったとしても、前世の妄業によって受けた身体なので、聖人たちと同じではない

まだこの道理を知らない者は、長く生死を巡るだろう

そうであるから、急いで心の不生不滅の道理を知るべきだ

坐禅などで一生を空しく過ごして、何の得るところがあろうか

このような思想は仏教の思想と言えるだろうか?」


道元の答:


心が不生不滅だという見解は先尼外道の思想であり仏法ではない

先尼外道の思想によると、我々の身中には一つの霊知があり、その霊知は、好悪、是非を分別し、また痛痒、苦楽を知る

我々が死ぬ時には、その霊知の本性は、脱け出て他に生まれる

そのため、我々はここで死滅するように見えても、他の生があるので、不生不滅である

先尼外道の見解はこのような思想である

先尼外道の思想についてはは原始仏教1、ブッダの霊魂否定論を参照)。

道元は先尼外道の思想について言う、

この思想を仏法だとするのは、瓦礫を黄金と思うよりも、もっと愚かである

愚迷の恥ずかしさは例えようがない。この思想を大唐国の慧忠国師は、深く戒めたのだ

身体は生滅するが心は不生不滅であるという邪見は、生死(迷い)の根本原因となっている

それにもかかわらず、生死(迷い)を離れたと考えるのは、外道の邪見である

これを諸仏の妙法だと考えるのは最も愚かで 耳に触れてはならない外道の邪見だ。」

黙ってはいられないので、哀れみを垂れて、あなたの邪見を救いたい

仏法では、元来 身と心は一如で、本性と身相は不二だと説くことは

インドや中国でもよく知られている

まして常住を説く教えでは、すべてのものが皆 常住であり、身と心とを分けることはない

また寂滅を説く教えでは、あらゆるものが皆寂滅であり、本性と身相を分けることはない

  諸行無常は仏教の基本原理である

それなのに、肉体は死滅するが心は不滅であるとどうして言えるか

これは心身一如の考えから見ても正しい道理ではない

それだけでなく、生死はつまり涅槃であると悟るべきである

仏教では無常の一場面である生死の他に涅槃を説くことはない

その意味で「生死即涅槃」であるのだ。」

ここで道元が言う「生死即涅槃」という考え方は脳科学的には次のように説明できる。

無常そのものである我々の生死は脳の生死で決まる。

涅槃は脳活動が鎮静化し寂滅の状態になった状態で現前する。

 そのように考えると涅槃は無常の一場面である。

生死も涅槃も脳の活動状態で決まる脳の一状態、一場面であると考えれば

生死と涅槃の間には本質的な違いはなく、「生死即涅槃」と言える。


これを次の図14で説明する。


図14

図14 生死即涅槃:生死も涅槃も無常なる脳の活動状態の一場面である。その意味で生死即涅槃である。


   

道元は言う、

心は肉体を離れて不生不滅だと考えるのは、生死を超えた仏の智慧ではなく虚妄の説である

心の本体(脳)は、生滅変化する。無常で生滅変化する心の本体(脳)は決して頼りにならないものである

よく観察すべきだ、身心一如(不二)は、仏法で常に説いているところである

それなのに、なぜ肉体が死ぬ時に、心だけが身を離れて生滅しないことがあるだろうか

肉体が生滅する時には、心の本体(脳)も生滅するのである

もし身心一如の時があり、一如でない時もあるならば、仏説は虚妄の説になる

  又、生死は除くべき法だと思うならば、仏法ではない

知るべきだ、「大乗起信論」にいう心性大総相(心の本性は、あらゆるものを包み込んだ平等の一心である。)の法門では

全法界を含めて、本性と形相とを分けることなく、生滅をいうこともない

仏の悟り、煩悩の滅に至るまで、心の本性でないものはない

一切諸法、森羅万象に関する情報は、皆この一心(脳)に含まれ

その中に含まれないもの、兼ねないものはないのである

このすべての教えが、「皆、平等の一心であって、少しも異なることはない。」

と説いているのは、仏家が心の本性(脳)を理解している様子である

それなのに、この一つの法に於いて、身と心とを区別し、生死と涅槃に分けることがあるだろうか

我々は、すでに仏子である。外道の思想を語る狂人の話を聞く時間はないのだ。」



21

 第21文段(問答第11)


原文21


とうていはく、

「この坐禅をもはらせん人、かならず戒律を厳浄すべしや。」

しめしていはく、

「持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり。

いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。」


注:

いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。 まだ戒を受けていない人も破戒の人も、

坐禅をすればしただけのことはある。


第21文段の現代語訳


問うて言う、

この坐禅を専一に修行する人は、必ず戒律を厳守するべきでしょうか?」

答えて言う、

持戒梵行は禅門の規律で、仏祖の家風である

しかし、まだ戒を受けていない者や戒を破った者も、坐禅をすればしただけのことはある。」


第21文段の解釈とコメント


この文段での質問は、

この坐禅を専一に修行する人は、必ず戒律を厳守するべきでしょうか?」である。

これに対する道元の答えは、

持戒梵行は禅門の規律で、仏祖の家風である

ここでは禅宗での持戒梵行の重要性を言っているように見える。これは当然であろう。しかし、これに続いて、

しかし、まだ戒を受けていない者や戒を破った者も、坐禅をすればしただけのことはある。」と述べている。

この答で道元は「坐禅修行は、持戒に匹敵する価値がある」と言っているようにも見える。

この文段の問答は簡単明瞭で特に難しいところはない。しかし、よく考えると次のような複雑な面も示している。

中国南宗禅の祖六祖恵能は一切の法は皆自性(真の自己=健康な脳)の用(働き)であると考えた。

真の自己である自性は、坐禅修行で健康で浄化され、「本源清浄心」とも言われる悟りの心(仏性=健康な脳)である。

見性し自性である「本源清浄心(=健康な脳)」を悟れば、

そこに<戒定慧>の三つを立てる必要はないとして戒定慧の三つは一体であると考えた。

(六祖壇経3の三学の統一を参照)

「禅の思想その1」3.9三学の統一を参照)。

インド仏教以来の伝統思想であった<戒定慧>三学の思想は禅の中に統一され消え去ってしまうのである。

ここで道元が述べる答は<戒定慧一体の思想>に基づいた答えだと考えることができる。

   

「六祖壇経・3」9.1「志誠の参門」を参照)。

   

22

 第22文段(問答第12)


原文22


とうていはく、

この坐禅をつとめん人、さらに真言止観の行をかね修せん、さまたげあるべからずや。」

しめしていはく、

在唐のとき、宗師に真訣をききしちなみに、西天東地の古今に、仏印を正伝せし諸祖

いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき

まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。」


注:

止観: 止とは精神を集中し,心が寂静となった状態,観とは対象をありのままに観察することを意味し,止を観の準備段階とする。

この止と観とは持戒とともに仏教徒の重要な実践とされる。坐禅と本質的に同じ。

般若心経の仏教の瞑想を参照)。

一事をこととせざれば一智に達することなし: 仏法の正門である坐禅をしなければ悟りの智慧に達することはない。


第22文段の現代語訳


問うて言う、

この坐禅に励む人が、さらに密教の真言止観の行を兼ねて修行しても、妨げはないでしょうか?」

答えて言う、

私が中国にいた時に、宗門の師に修行の秘訣を尋ねたところ、古今のインドや中国に於いて、仏の悟りを正しく伝えた祖師たちが

そのような行を兼ねて修行したという話は聞かないと教えられた

実に一事に専念しなければ、悟りの智慧に達しないのである。」


第22文段の解釈とコメント


この文段での質問は、

この坐禅に励む人が、さらに密教の真言止観の行を兼ねて修行しても、妨げはないか?」

である。

この質問に対する道元の答は、

私が中国にいた時に、宗門の師に修行の秘訣を尋ねたところ

古今のインドや中国に於いて、仏の悟りを正しく伝えた祖師たちが

そのような真言止観の行を兼ねて修行したという話は聞かないと教えられた

実に一事に専念しなければ、悟りの智慧に達しないのである。」

である。

この問答も簡単明瞭で特に難しいことはない。

真言止観の行を修行した空海は即身成仏を説いたが、彼自身は成仏せず菩薩の境涯で留まったようである。

密教3、空海と真言密教、12.9-10  空海は即身成仏したか?を参照)。



23

 第23文段(問答第13)


原文23


、とうていはく、

「この行は、在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか。」

しめしていはく、

「祖師のいはく、仏法を会すること、男女貴賤をえらぶべからずときこゆ。」


第23文段の現代語訳


問うて言う、

この坐禅の修行は、在家の男女も励むことが出来ますか、それとも出家の人だけが修行するものですか?」

答えて言う、

祖師は、仏法を会得することに、男女や貴賤を選んではならないと説いている。」


第23文段の解釈とコメント


この文段の質問は、

この坐禅の修行は、在家の男女も励むことが出来ますか、それとも出家の人だけが修行するものですか?」

である。

道元の答えは、

祖師は、「仏法を会得することに、男女や貴賤を選んではならない」と説いている。

である。

この問答も特に難しいところや問題になるところはない。



24

 第24文段(問答第14)


原文24


とうていはく、

「出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅弁道にさはりなし。

在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の仏道にかなはん。」

しめしていはく、「おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。

これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天たれかいらざらんものや。

ここをもて、むかしいまをたづぬるに、その証これおほし。

しばらく代宗・順宗の、帝位にして万機いとしげかりし、坐禅弁道して仏祖の大道を会通す。

李相国防相国、ともに輔佐の臣位にはんべりて、一天の股肱たりし、坐禅弁道して仏祖の大道に証入す。

ただこれ、こころざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかかはらじ。

又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。

いはんや世務は仏法をさゆとおもへるものは、ただ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なきことをいまだしらざるなり。」

ちかごろ大宋に、馮相公(ひょうしょうこう)といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、

みづからをいふにいはく、

「公事の余に坐禅を喜む、

曾て脇を将て床に到して眠ること少し。

然く現に宰官相と現出せりと雖も、

長老の名、四海に伝わる。

これは、官務にひまなかりし身なれども、仏道にこころざしふかければ得道せるなり。

他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし。

大宋国には、いまのよの国王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。

武門、文家、いづれも参禅学道をこころざせり。

こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。

これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。

国家に真実の仏法 弘通すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化太平なり。

聖化太平なれば、仏法そのちからをうるものなり。

又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下には、?者、樵翁さとりをひらく。

いはんやそのほかの人をや。ただ正師の教道をたづぬべし。


注:

  諸縁:   諸々の生活上のひっかかり。

代宗(だいそう):  唐朝の第11代皇帝(在位:762〜 779)南陽慧忠禅師に参禅した。

順宗(じゅんそう):  唐朝の第13代皇帝(在位:805年2月28日〜8月31日)。仏光如満禅師に参禅した。

万機: 天下の大政。政務多端。

輔佐の臣位: 天子を助けて大政にあずかる臣位。

馮相公(ひょうしょうこう): (?〜1153)不動居士。仏眼清遠や大慧宗杲(1089〜1163)に師事。

 心地: 心は大地のようにあらゆるものを生じるので地という。

心地を開明する: 一切諸法がただ自らの心にあることを明らかにする。

 王化: 王者の仁徳により万民を感化し世の中をよくすること。

聖化:  王化に同じ。

しょう者(しょうしゃ):  猟師。馬祖(709〜788)の弟子石鞏(しゃっきょう)慧蔵は猟師であった。

樵翁(しょうおう): 樵はきこり。六祖慧能は樵(きこり)だった。

逆人邪見:  逆人は五逆・十悪を犯した人。父母を殺した阿闍世王。

邪見には千人の人を殺してその指を取って髪飾りにし、指鬘外道(しまんげどう)と呼ばれたアングリマーラがいる。


第24文段の現代語訳


   

問うて言う、

出家は、様々な世俗の諸縁を速やかに離れているので、坐禅修行に障害はない

しかし、在俗の多忙な人は、どのようにして一途に修行し、無為の仏道にかなうだろうか?」

答えて言う、

およそ仏祖は、人々を哀れに思うあまり、広大な慈悲の門を開いたのだ

これは一切衆生を悟らせるためである

だから、人間界や天上界の中で、誰がこの門に入れない者がいるだろうか

これについて古今を尋ねれば、その証例は多い

例えば唐の代宗や順宗は、帝位にあって政務に多忙だったが、坐禅修行して仏祖の大道を悟ったのだ

また李宰相や防宰相なども、共に補佐の臣として仕える天子の家来だったが、坐禅修行して仏祖の大道を悟った

ただこれは、志の有無によるものだ。その身が在家か出家かには関係ない

又この法は、深く物事の優劣をわきまえる人であれば、自ずから信じるものだ

まして世俗の務めは仏法を妨げると思う者は、ただ世の中には仏法は無いということだけを知って

仏法の中には世間の法がないことをまだ知らないのである。」

最近、大宋国に馮という宰相がいた。仏祖の道に優れた高官だった

後に次のような詩を作って自ら述懐した


公務の余暇に坐禅を好む

横になって眠ることは少ない

今は宰相となっているが

長老名は天下に知られる


この人は、宰相として官務で忙しかったが、仏道の志が深かったので悟りを得たのだ

このような他の行跡をもって自己を顧み、昔をもって今の手本とすべきだ

大宋国では、今の世の国王や大臣、庶民の男女が、皆 心を仏祖の道に寄せている

武人や文人の誰もが禅を学び仏道を志している

そして仏道を志す者は、必ず心の本性を解明することが多い

これで、世俗の務めは仏法を妨げないことが、自然と分かるのである

国家に真の仏法が広まれば、諸仏諸天が絶えず護ってくれるので、国王の治世は太平である

聖帝の治世が太平ならば、仏法は力を得るのである

又、釈尊の在世時には、悪逆非道の者が改心して仏道を悟り、祖師の門下で、猟師や樵が悟りを開いた

ましてその他の人はいうまでもない

ただ、ひたすらに正師の教導を尋ねるべきである」。



第24文段の解釈とコメント


この文段の質問は、

出家僧は、様々な世俗の縁を速やかに離れているので、坐禅修行に障害はない

しかし、在俗の多忙な人は、どのようにして一途に修行し、無為の仏道にかなうか?」

と在家信者の禅修行について質問している。

この質問に対する道元の答は、

およそ仏祖は、人々を哀れに思うあまり、広大な慈悲の門を開いた

これは一切衆生を悟らせるためである

だから、人間界や天上界の中で、誰がこの門に入れない者がいるだろうか

これについて古今を尋ねれば、その証例は多い

例えば唐の代宗や順宗は、帝位について政務に多忙だったが

坐禅修行して仏祖の大道を悟った

また李宰相や防宰相なども、共に補佐の臣として仕える天子の家来だったが

坐禅修行して仏祖の大道を悟った

ただこれは、志の有無によるものだ

その身が在家か出家かには関係ない

又この法は、深く物事の優劣をわきまえる人であれば、自ずから信じるものだ

まして世俗の務めは仏法を妨げると思う者は

ただ世の中には仏法は無いということだけを知って

仏法の中には世間の法がないことをまだ知らないのである

最近、大宋国に馮という宰相がいた

仏祖の道に優れた高官だった。後に次のような詩を作って自ら述懐した


公務の余暇に坐禅を好む

横になって眠ることは少ない

今は宰相となっているが

長老名は天下に知られる


この人は、官務で忙しかったが、仏道の志が深かったので悟りを得たのだ

このような他の行跡をもって自己を顧み、昔をもって今の手本とすべきだ

大宋国では、今の世の国王や大臣、庶民の男女が、皆 心を仏祖の道に寄せている

武人や文人の誰もが禅を学び仏道を志している

そして仏道を志す者は、必ず心の本性を解明することが多い

これで、世俗の務めは仏法を妨げないことが、自然と分かるのである

国家に真の仏法が広まれば、諸仏諸天が絶えず護ってくれるので、国王の治世は太平である

聖帝の治世が太平ならば、仏法は力を得るのである

又、釈尊の在世時には、悪逆非道の者が改心して仏道を悟り、祖師の門下で、猟師や樵が悟りを開いた

ましてその他の人はいうまでもない

ただ、ひたすらに正師の教導を尋ねるべきである。」

この文段の問答は少し長いが特に難しいところはない。



25

 第25文段(問答第15)


原文25


とうていはく、

「この行は、いま末代悪世にも、修行せば証をうべしや。」

しめしていはく、

「教家に名相をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし、修すればみな得道すといふ。

いはんやこの単伝の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。

証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし。」


注:

教家: 天台宗など、経典の教えに拠って仏法を説く宗派。

名相: 法門の名目と様相。

正像末法: 仏滅後、仏教の衰えを正法・像法・末法の三時に分けて説く予言的「歴史観」。

「三時」(さんじ)とは、釈尊入滅後の教法の受け取られ方を

(1)正法、(2)像法、(3)末法の3期に分けた予言的「歴史観」。 

(1)「正法」(しょうぼう)とは、正しい教法が世に行われる期間、すなわち、釈尊入滅後の500年間あるいは1000年間の時代で、

「教」(釈尊の教え)と「行」(釈尊の教えを実践する人)と「証」(釈尊の教えを実践した結果悟りを開く人)の3つが

正しく備わっている時代とされる。

(2)「像法」(ぞうぼう)とは、正法時代の次の500年間あるいは1000年間の時代で、

「教」と「行」はあっても、「証」を完成できない(悟りを開く者はいない)時代とさる。

「像」とは、形を模した、似せたという意味。 

したがって、「像法」とは、釈尊の教えが骸化した時代を言う。

日本では、永承6年(西暦紀元後1051年)をもって像法時代は終わると考えられ、

その接近に伴って、しだいに末法の到来に対する危機意識が高まった。

「末法」とは、正法と像法の次の時代で、「教」だけが残り、

人がいかに「行」をおさめ「証(悟り)」を得ようと努力しても、悟ることができない時代とされる。

三時または五箇の五百歳は『大集経』に説かれる。

大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり

所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固

次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん。」

『大集経』は中期大乗仏教経典の一つとされる経典である。

殆どの大乗経典はブッダの死後500年以上経って出現した創作経典であり

ブッダがそのようなことを言ったという根拠はない。

「三時」(さんじ)の歴史観は仏教が中国に伝わってから生まれた歴史観である。


三時の数え方には諸説あり、一説には、

1.正法 :  1,000年

2.像法 :  1,000年

3.末法 : 10,000年(尽未来際)

とされている。


原始仏典にはそのような教えはないので

三時の数え方は

ブッダの死後500年以上経って『大集経』で勝手に創作された考え方だと見た方が良いだろう。

入法出身: 入法は初めて法に入る時、出身は執着を捨てて、悟りが思いのままに発揮される境界のこと。


第25文段の現代語訳


   

問うて言う、

この坐禅の行は、今の末法の悪世でも、修行すれば悟りを得られるでしょうか?」

答えて言う、

経典を拠り所とする教家では、教えの名目や法相を重んじているが

大乗真実の教えでは、正法、像法、末法と時代を分けることはない

誰でも修行すれば、悟ることが出来るのである

まして、この正しく相伝した正法は、法に入って解脱を得るのに、皆同じく自己に具わる財宝を用いるのである

悟りを得たか否かは、修行者が自知することである

それは、ちょうど水を使う人が冷暖を知るようにすぐ分かるのである。」



第25文段の解釈とコメント


この文段の質問は、

この坐禅の行は、今の末法の悪世でも、修行すれば悟りを得られるでしょうか?」

である。

これに対して道元は、

経典を拠り所とする教家では、教えの名目や法相を重んじているが

大乗真実の教えでは、正法、像法、末法と時代を分けることはない

修行すれば、皆悟ることが出来るのである

まして、この正しく相伝した正法は、法に入って解脱を得るのに

皆同じく自己に具わる財宝を用いるのである

悟りを得たか否かは、修行者が自知することである

それは、ちょうど水を使う人が冷暖を知るようにすぐ分かるのである。」

と答えている。

道元の答「大乗真実の教えでは、正法、像法、末法と時代を分けることはない。」という考え方は正しい。


原始仏典にはそのような教えは見られないのでブッダがそのようなことを言ったとは考えられない。

道元は「修行すれば、皆悟ることが出来る」と考えている。

この正しく相伝した正法である坐禅の修行では、入信するのも大悟するのも

皆同じく自己に具わる財宝である仏性(自己本来の面目=健康な脳)を用いるのである

悟りを得たかどうかは、修行者が自己本来の面目を自知するのである

それは、ちょうど水を使う人が冷暖を知るようにすぐ分かる。」

と述べているのが興味深い。

これを次の図15で説明する。


図15

図15 悟りとは自己に具わる財宝である仏性(=健康な脳)を用い、自己本来の面目を直覚することである。


   

図15に示すように、悟りとは

「、一切衆生悉有仏性」と言われる自己に具わる仏性(=健康な脳)を用い、

その直感的働き(行為的直観=閃き)によって、自己本来の面目(真の自己=健康な脳)を覚知することである。



行為的直観については「西田哲学と禅、脳科学」を参照)。



26

 第26文段(問答第16)


原文26


とうていはく、

「あるがいはく、仏法には、即心是仏のむねを了達しぬるがごときは、

くちに経典を誦せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし。

ただ仏法はもとより自己にありとしる、これを得道の全円とす。

このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず、いはんや坐禅辨道をわづらはしくせんや。」

しめしていはく、

「このことば、もともはかなし。

もしなんぢがいふごとくならば、こころあらんもの、たれかこのむねををしへんに、しることなからん。

しるべし、仏法は、まさに自他の見をやめて学するなり。

もし自己即仏としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道にわづらはじ。

しばらく古徳の妙則をもてこれを証すべし。

むかし、則公監院といふ僧、法眼禅師の会中にありしに、法眼禅師とうていはく、

「則監寺、なんぢわが会にありていくばくのときぞ。」

則公がいはく、「われ師の会にはんべりて、すでに三年をへたり。」

禅師のいはく、「なんぢはこれ後生なり、なんぞつねにわれに仏法をとはざる。」

則公がいはく、「それがし、和尚をあざむくべからず。

かつて青峰禅師のところにありしとき、仏法におきて安楽のところを了達せり。」

禅師のいはく、「なんぢいかなることばによりてか、いることをえし。」

則公がいはく、「それがし、かつて青峰にとひき、いかなるかこれ学人の自己なる。

青峰のいはく、丙丁童子来求火(びょうじょうどうじらいぐか)。」

法眼のいはく、「よきことばなり。ただし、おそらくはなんぢ会せざらんことを。」

則公がいはく、「丙丁(びょうじょう)は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと会せり。」

禅師のいはく、「まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでにつたはれじ。」

ここに則公、懆悶してすなはちたちぬ。

中路にいたりておもひき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり、わが非をいさむる、さだめて長処あらん。

禅師のみもとにかへりて、懺悔礼謝してとうていはく、「いかなるかこれ学人の自己なる。」

禅師のいはく、「丙丁童子来求火」と。

則公、このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき。

あきらかにしりぬ、自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらずといふことを。

もし自己即仏の領解を仏法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。

ただまさに、はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辨道して、一知半解を心にとどむることなかれ。

仏法の妙術、それむなしからじ。」


注:

即心是仏:  即心是仏:仏の心は人間の心のほかにあるのではなく、迷いの多いこの心がそのまま仏の心であるという考え。

「即心即仏」や「是心是仏」については。「無門関」第30則「即心即仏」や正法眼蔵「即心是仏」を参照されたい。

正法眼蔵「即心是仏」を参照)。

「無門関」第30則「即心即仏」を参照)。

了達しぬる: 完全に理解する。

全円: 完全。円満。

こころあらんもの: 意識、分別のある者。

自他の見: 自分と他人は別であるとする考え方。他人は他己である。

古徳: 昔の、徳をつんだ人。昔の聖(ひじり)。

法眼:  教禅一致を重視した法眼宗の開祖、法眼文益禅師(885〜958)。

北宋末には、法眼宗の系統は断絶してしまった。

則公監院:金陵報恩院玄則:法眼文益禅師(885〜958)の法嗣。

監寺(かんす)や監院は寺の事務を監督して衆僧を統率する事務長。役名。

後生:  後輩。

丙丁童子(びょうじょうどうじ):丙は火の兄、丁は火の弟で丙丁童子とは火の兄弟のこと。

火を擬人化して童子と言っている。「火童子」と考えれば良いだろう。

懆悶(そうもん): 煩悶すること。

中路: 途中。

礼謝: おわびを述べること。

いましむ: 訓戒する。

咨問する:  たずねる。

一知半解(いっち-はんかい):少ししか分かっておらず、十分に理解していないこと。

生半可な知識や理解しかないこと。生かじり。一つの事を知っているが半分しか理解していない意。

仏法の妙術:坐禅のこと。


第26文段の現代語訳


   

問うて言う、

ある人が言うには、仏法では、即心是仏の趣旨を了解すれば

口に経典を唱えることなく、身に仏道を行なわなくても、少しも仏法に欠けたところはない

ただ仏法は本来自己に具わっていると知れば、これが円満な悟りである

このほか、更に他人に向かって求めるべきではない

まして坐禅修行を煩わしくする必要があろうか、と言います

これは正しいでしょうか?」

答えて言う、

この言葉は、大変はかない言葉である

もし仏法が、あなたの言う通りであれば、心ある人ならば、誰でもこの趣旨を教えれば理解できるだろう

知るべきだ、仏法は、まさに自他を分けて見る考え方を止めて学ぶのである

もし自己即仏と知ることが悟りであれば、釈尊は昔、人々を教化するのに苦労しなかっただろう

しばらく、昔の祖師の優れた規範を例にして、これを証明しよう

昔、則公監院という僧が法眼禅師の道場にいた時、法眼禅師が尋ねた

則監寺さん、あなたはわたしの道場に来て、どれほどになりますか?」

則公は答えた、

私は師の道場で修行して、すでに三年がたちました。」

禅師が言った、

あなたは私の後輩である。どうして平生私に仏法を尋ねないのか?」

則公は答えた、

私は和尚様をあざむいていません。以前、青峰禅師のところにいた時、私は仏法に於いて安楽のところを悟りました。」

禅師が言った、

あなたは、どういう言葉によって悟ることが出来たのか?」

則公は答えた、

私は以前、青峰に尋ねました、「仏道を学ぶ人の自己とは、どういうものでしょうか?」

 青峰は答えた、

丙丁童子がやって来て火を求める。」

法眼が言った

良い言葉だ。しかし、おそらくあなたは会得できていないだろう。」

則公は答えた、

丙丁は火の仲間です。火をもって更に火を求めるとは、自己をもって自己を求めるようなものであると会得しました。」

禅師が言った

本当にあなたは会得していないことが分かった

仏法がもしそのようものならば、今日まで伝わらなかっただろう。」

その言葉に則公はイライラして怒って、煩悶して師の下を立ち去った

しかし、その途中で思った、

禅師は天下に知られた良き師であり、又五百人の修行僧の大導師である

私の非を戒めたのは、きっと師には長所があるからにちがいない。」

そこで禅師の下に帰って懺悔礼拝して尋ねた、

仏道を学ぶ人の自己とは、一体どういうものですか?」

禅師は答えた、

丙丁童子が来て火を求める。」

則公は、この言葉を聞き言下に仏法を悟った。

これによって明らかなことは、自己即仏と理解することが、仏法を知ることではないということだ。

もし自己即仏と理解することが仏法であれば、

禅師は前の言葉で則公を導かず、又このように戒めることもなかったはずだ。

ただまさに、良き師に会ったならば、最初に修行の規則を尋ねて、

ひたすらに坐禅修行して、わずかな知識や理解をも心に留めてはならない。

仏法の妙術である坐禅は、空しくはないのだ。



第26文段の解釈とコメント


この文段の質問は、

ある人が言うには、仏法では、即心是仏の趣旨を了解すれば

口に経典を唱えたり、身に仏道を行なわなくても、少しも仏法に欠けたところはない

ただ仏法は本来自己に具わっていると知れば、これが円満な悟りである

このほか、更に他人に向かって求めるべきではない

まして坐禅修行を煩わしくする必要もない、と言います

これは正しいでしょうか?」

である。

この質問中に「即心是仏」という言葉がでてくる。

「即心是仏」については「正法眼蔵」の中にも「即心是仏」の巻があるので参照されたい。

正法眼蔵「即心是仏」を参照)。

この質問に対する道元の答は、

この言葉は、大変はかない言葉である

もし仏法が、あなたの言う通りであれば

心ある人ならば、誰でもこの趣旨を教えれば理解できるだろう

知るべきだ、仏法は、まさに自他を分けて見る考え方を止めて学ぶのである

もし自己即仏と知ることが悟りであれば、釈尊は昔、人々を教化するのに苦労しなかっただろう

しばらく、昔の祖師の優れた規範を例にして、これを証明しよう。」

と述べて、法眼禅師と則公監院の話を取り上げる。

昔、則公監院という僧が法眼禅師の道場にいた時、法眼禅師が尋ねた、

則監寺さん、あなたはわたしの道場に来て、どれほどになりますか?」

則公は答えた、

私は師の道場で修行して、すでに三年です。」

禅師が言った、

あなたは私の後輩である。どうして平生私に仏法を尋ねないのか?」

則公は答えた、

私は和尚様をあざむいていません

以前、青峰禅師のところにいた時、私は仏法に於いて安楽のところを悟りました。」

禅師が言った、

あなたは、どういう言葉によって悟ることが出来たのか?」

則公は答えた、

私は以前、青峰に尋ねました

仏道を学ぶ人の自己とは、どういうものでしょうか?」

 青峰は答えた、

丙丁童子がやって来て火を求める。」

法眼が言った

良い言葉だ。しかし、おそらくあなたは悟っていないだろう。」

則公は答えた、

丙丁は火の仲間です

火をもって更に火を求めるとは、自己をもって自己を求めるようなものであると会得しました。」

禅師が言った

本当にあなたは悟っていないことが分かった

仏法がもしそのようなものならば、今日まで伝わらなかっただろう。」

その言葉に則公はムラムラと怒って、煩悶して師の下を立ち去った。

しかし、その途中で思った、

禅師は天下に知られた善知識であり、又五百人の修行僧の大導師である

私の非を戒めたのは、きっと師に考える所があるからにちがいない。」

そこで禅師の下に引き帰って懺悔礼拝して尋ねた、

仏道を学ぶ人の自己とは、一体どういうものですか?」

禅師は答えた、

丙丁童子が来て火を求める。」

則公は、この言葉を聞き言下に仏法を悟った。

これによって明らかなことは、自己即仏と理解することが、仏法を知ることではないということだ

もし自己即仏と理解することが仏法であれば

禅師は前の言葉で則公を導かず、又このように戒めることもなかったはずだ

ただまさに、良き師に会ったならば、最初に修行の規則を尋ねて

ひたすらに坐禅修行して、わずかな知識や理解をも心に留めてはならない

仏法の妙術である坐禅は、空しくはないのだ。」

と少々長い返答である。

この例話で分かるのは則公監院は「丙丁童子来求火」の公案を概念化して理屈として理解していた。

それを仏法の悟りだと誤解していた。

その概念化した理屈を法眼禅師に話したため、

本当にあなたは悟っていないことが分かった

仏法がもしそのようなものならば、今日まで伝わらなかっただろう。」

とお前さんは即心是仏の理屈を憶えただけだ。それは頭に描いた絵であり活きた真の仏法ではない。

則公監院はまだ悟っていないと見抜かれてしまったのである。

道元は 

仏道修行者は、良い師に会ったならば、最初に修行の規則を尋ねて

ひたすらに坐禅弁道して、わずかな知識や理解をも心に留めてはならない

そうすれば仏法の妙術である坐禅は、空しくはない。必ず豁然として大悟するだろう

と述べてしめくくっている。

これまで則公監院は「丙丁童子来求火」の公案を概念化して理屈として理解していた。

その概念化した理屈を法眼禅師に話したため、

本当にあなたは悟っていないことが分かった

仏法がもしそのようなものならば、今日まで伝わらなかっただろう

お前さんは即心是仏の理屈を憶えただけだ。それは頭に描いた絵に過ぎない。」

と法眼禅師に否定された。

そのため則公は、悩み反省し、

真の悟りとは何か?」

と真剣に坐禅し追及した。

その過程で則公監院の心は真っ白な素直な心になっていたと考えることができる。


そこで禅師の下に引き帰って懺悔礼拝して尋ねた、

仏道を学ぶ人の自己とは、一体どういうものですか?」

法眼禅師は答えた、

丙丁童子が来て火を求める」。

真っ白な素直な心になって法眼禅師に尋ねた則公は、

この言葉を聞き言下に仏法を悟ったと考えることができる。

道元はこの則公監院と法眼禅師の物語にコメントして

これによって明らかなことは、自己即仏と理解することが、仏法を知ることではないということだ

もし自己即仏と理解することが仏法であれば、禅師は前の言葉で則公を導かず、又このように戒めることもなかったはずだ。」

と述べている。

道元は禅の悟りは理屈や知識・概念によって説明できるようなものではなく、

虚心にひたすら坐禅に集中することで体得されるものだ

と述べていると考えられる。



27

 第27文段(問答第17)


原文27


とうていはく、

「乾唐の古今をきくに、あるいはたけのこゑをききて道をさとり、あるいははなのいろをみてこころをあきらむるものあり。

いはんや、釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめし。

のみならず、六代よりのち、五家のあひだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。

かれらかならずしも、かつて坐禅辨道せるもののみならんや。」

しめしていはく、「古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、

ともに辨道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし。」


注:

たけのこゑをききて道をさとり: 香厳(きょうげん)智閑禅師の悟り。

(悟りの体験4を参照)。

「悟りの体験」4香厳智閑禅師の悟りを参照)。

はなのいろをみてこころをあきらむるもの: 霊雲志勤禅師の悟り。

(「悟りの体験」5霊雲志勤禅師の悟りを参照)。

「悟りの体験」5霊雲志勤禅師の悟りを参照)。

釈迦大師は、明星をみしとき道を証し: 仏教の開祖ゴータマ・ブッダの悟り。

(「悟りの体験」1ゴータマ・ブッダの悟りを参照)。

「悟りの体験」1ゴータマ・ブッダの悟りを参照)。

阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめし: 「無門関」第22則を参照。

「無門関」第22則「迦葉刹竿」を参照)。

六代: 中国南宗禅の開祖六祖慧能禅師。

五家: 法眼宗、イ仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗。

見色明心: 霊雲志勤禅師が桃の花を見て悟ったこと。

(悟りの体験5を参照)。

「悟りの体験」5霊雲志勤禅師の悟りを参照)。

聞声悟道せし当人:香厳智閑禅師が竹の音を聞いた時の悟り。

辨道に擬議量なく、: 何らおしはかろうとする気持ちがなく。

直下に第二人なきことをしるべし。: 自他の対立がなく、

全自己のほか何物もない「心境一如」の境地(純粋経験)を知るべきである。

「心境一如」と純粋経験を参照)。


第27文段の現代語訳


   

問うて言う、

インドや中国に於ける古今の先人の足跡を聞くと

ある人は竹の声を聞いて道を悟り、又、ある人は花の色を見て心を明らかにしている

まして釈迦大師は、明星を見た時に道を悟り

阿難尊者は、説法の旗竿が倒れたところで法を明らかにしたのである

そればかりか、六祖慧能禅師から後の五家の中でも

わずかな言葉の下に心を明らかにした者は多い

彼らは必ずしも、以前に坐禅修行した者ばかりだろうか?」

答えて言う、

古今に、花の色を見て心を明らかにしたり、竹の声を聞いて道を悟った当人は

共に仏道精進に於いて是非を推し量る心がなく、自他の対立がなく

全自己のほか何物もない心境一如(純粋経験の境地)を知るべきである。」



第27文段の解釈とコメント


   

この文段での質問は、

インドや中国に於ける古今の先人の足跡を聞くと、ある人は竹の声を聞いて悟り

又、ある人は花の色を見て心を明らかにしている

釈迦大師は、明星を見た時に悟り、阿難尊者は、説法の旗竿が倒れたところで法を明らかにした

そればかりか、六祖慧能禅師から後の五家の中でも、わずかな言葉で悟った者は多い

彼らの悟りは必ず、以前に坐禅修行した結果だけだろうか?」

である。

昔から道を悟った者は多いが彼らは色んな機縁で悟っている

必ず坐禅修行しないと悟ることはでいないのだろうか?」

という問いである。

これに対して道元は、

「古今に、花の色を見て心を明らかにしたり、竹の声を聞いて道を悟った人達は、

仏道修行に於いて是非を推し量る心がなく、自他の対立がなく、全自己のほか何物もない

「心境一如」の境地にあったからである。」

と答えている。

是非を推し量る心がなく、自他の対立がなく、全自己のほか何物もない

「心境一如」(純粋経験)の境地は坐禅修行によって一番効果的に達成できる。

従って、必ず坐禅修行でないと悟ることはできないと断言することはできないかも知れないが、

「一番効果的に「心境一如」の悟りの境地に至ることができる坐禅修行は不可欠である。」

と考えていると言えるだろう。

(心境一如を参照)。


「心境一如」と純粋経験を参照)。



28

 第28文段(問答第18)


原文28


とうていはく、

「西天および神丹国は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入す。

我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし。蛮夷のしからしむる、うらみざらんや。

又このくにの出家人は、大国の在家人にもおとれり。挙世おろかにして、心量狭小なり。

ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ。

かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せんや。」

しめしていはく、

「いふがごとし。わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。

たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となるぬべし。

名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし。

しかはあれども、仏法に証入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。

仏在世にも、てまりによりて四果を証し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。

ただし、正信のたすくるところ、まどひをはなるるみちあり。

また、癡老の比丘黙坐せしをみて、設斎の信女さとりをひらきし、

これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり。

また釈教の三千界にひろまること、わづかに二千余年の前後なり。

刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず、人またかならずしも利智聡明のみあらんや。

しかあれども、如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて、ときいたればその刹土にひろまる。

人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。

わが朝は、仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、仏法を会すべからずとおもふことなかれ。

いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし。

さきの問答往来し、賓主相交することみだりがはし、いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる。

しかあれども、このくに、坐禅辨道におきて、いまだその宗旨つたはれず。

しらんとこころざさんもの、かなしむべし。

このゆゑに、いささか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて、参学のねがはんにきこえんとす。

このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草々にすべからず。

おほよそ我朝は、龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、

欽明用明の前後より、秋方の仏法東漸する、これすなはち人のさいはひなり。

しかあるを、名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ。

いまは破衣綴盂を生涯として、青巌白石のほとりに茅をむすんで、端坐修練するに、

仏向上の事たちまちにあらはれて、一生参学の大事すみやかに究竟するものなり。

これすなはち龍牙の誡勅なり、鶏足の遺風なり。

その坐禅の儀則は、すぎぬる嘉禄のころ撰集せし普勧坐禅儀に依行すべし。

それ仏法を国中に弘通すること、王勅をまつべしといへども、ふたたび霊山の遺嘱をおもへば、

いま百万億刹に現出せる王公相将、みなともにかたじけなく仏勅をうけて、

夙生に仏法を護持する素懐をわすれず、生来せるものなり。

その化をしくさかひ、いづれのところか仏国土にあらざらん。

このゆゑに、仏祖の道を流通せん、かならずしもところをえらび、縁をまつべきにあらず。

ただ、けふをはじめとおもはんや。

しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはん哲匠、

あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せん参学の真流にのこす。

ときに、寛喜辛卯中秋日 入宋伝法沙門道元記 辨道話


注:

質直なり: 堅実で素直である。

正種つもりがたし: 真の智慧の種子が積りにくい。

蛮夷: 中華に対して野蛮未開の地。野蛮人。えびす。

挙世: 世をあげて。世の中全体が。

有為の功を執して、: 結果を期待することに執着して。

事相の善をこのむ。: 形に現れた善いものだけを好む。

迂曲(うごく)なり: 真っ直ぐでない。

甘露(かんろ):  サンスクリット語アムリタの訳語で,不死,天酒とも訳される。

インド神話では,諸神の常用する飲物で,蜜のように甘く,飲むと不老不死になるという。

酒あるいは美味な飲物に対しても用い,仏教の教法にもたとえる。

四果:  部派仏教(小乗仏教)において、修行によって得られる結果を分類したもの。

聖者の位に入った預流よる果、天界と人間界を往復する一来果、

流転することのなくなる不還ふげん果、完全な悟りを開く無学果(阿羅漢果)の総称。

「仏とは何か」四向四果を参照)。

惑執とらけがたし。:  迷執は溶けにくい。

癡狂(ちきょう)の畜類なり: 愚かで気違いの畜生である。

文:  文字。

ことば: 言葉。

かたり: 話。

ただし: ただただ。

三千界:  三千大千世界。 

「アビダルマ仏教の世界観と三千大千世界」を参照)。

刹土(せつど): 国土。

承当すること:   真実にぴったり合った生き方をすること。

受用:  自受用。

ならし。:  なるらん。

賓主相交すること: 問う側と答える側の主客の交流。

はななきそらにはなをなさしむる。:  花のない空に花を咲かせるようなことができただろうか。

その宗旨: その根本となる内容。

異域の見聞:  外国で見聞したこと。

明師の真訣:  道眼明らかな正師の秘訣。

叢林の規範および寺院の格式:   修行道場の決まりと手本。

龍海:   龍の住む海。

欽明用明の前後より、秋方の仏法東漸する:秋方は西方の意味。

「扶桑略記」では欽明13年(552)、百済から仏像・経論等が献ぜられたとする。

破衣綴盂(はいとつう):  破れた袈裟と補修した応量器。僧として最低の生活。

茅(ぼう):  ちがや。粗末な庵。

仏向上事(ぶつこうじょうじ):  仏とは、仏教の修行を通して至る覚者であるが、

本来の修行とはこの結果にとらわれず、どこまでも継続していくことで、仏の境涯をも超えることを仏向上という。

龍牙(りゅうげ):  龍牙居遁(りゅうげきょどん、835〜923)禅師。

中国曹洞宗の開祖洞山良价禅師の法嗣で曹洞宗の禅僧。

龍牙居遁禅師の以下に示す詩偈が有名で知られている。

鶏足の遺風:  鶏足山に入って入寂した摩訶迦葉の遺風。

霊山の遺嘱(ゆいぞく): 霊鷲山で法華経を説いた釈尊が残した委嘱。

雲遊萍寄(うんゆうひょうき):  萍は浮草。雲のように行き浮草のように漂うこと。

物事に執着せずに自然のままに行動すること。

   

龍牙居遁禅師の偈

   

木食草衣心似月(もくじきそういこころつきににる)

一生無念復無涯(いっしょうむねんまたむがい)

若人居何処住問(もしひときょいずれとこにすむかととわば)

青山緑水是我家(せいざんりょくすいこれわがや)


現代語訳:

木の実を食べ草の衣を着て生活すれば、自分の心も月と同じようになる。

一生は無念にして またかぎりも無い。

仮に、ひとから住居は何処かと問われたら、

即座に青山緑水是我家と応える。


上の詩偈からも分かるように、龍牙居遁禅師の教えとは

学人は衣食住の充実に腐心することなく、財物を貪らずに修行すべきである

という教えである。

   

第28文段の現代語訳


   

問うて言う、

インドと中国は、人間がもともと正直である

中華という文明の中心国なので、仏法を教化するにしても、すぐに理解する

しかし、我が国は、昔から人に仁愛や智慧が少なく、正法の種子が根付きにくい所である

番夷の未開人のためであり、残念なことである

又、この国の出家人は、大国の在家人よりも劣っている。世をあげて皆 愚かで心は狭小である

深く世間の功利に執して、うわべの善を好んでいる

このような人達がたとえ坐禅したとしても、すぐに仏法を証得できるだろうか?」

答えて言う、

あなたの言うとおりだ。我が国の人は、まだ仁愛や智慧が行き渡らず、人の心はねじけている

たとえ正しい法を教えても、甘露はかえって毒となるだろう

名利には向かいやすく、迷執からは離れ難いのだ

しかしながら仏法を悟るには、必ずしも人の世間的智慧をもって解脱の舟とするわけではない

釈尊在世時にも、手まりで頭を打たれて四果の悟りを得た人や

戯れに袈裟を着けた縁で大道を明らかにした人がいたが

皆、暗愚な者、狂痴な畜類のような者達だった

しかし、正しい信心に助けられて、迷いを離れたのである

又、説法を請われた愚かな老僧が黙って坐っているのを見て、供養を設けた女性が悟りを開いた

これは智慧や、経文によらず、言葉や話を聞いたりしたからでもなかった

ただただ正しい信心に助けられたのである

また釈尊の教えが全世界に広まったのは、わずか二千余年前後にすぎない

その国土はさまざまで、必ずしも仁智のある国ばかりではなく

人も又理智聡明の者ばかりではない

しかしながら、如来の正法は、もともと不思議な大功徳力を備えていて

時至ればその国土に広まるのだ

また人は、まさに正しい信心を起こして修行すれば

賢愚の区別なく、等しく悟りを得るのである

我が国は、仁智の国ではないが、人の理解力が劣って仏法を理解できないと思ってはならない

まして人は皆、悟りの智慧の種子を豊かに持っているのだ

ただそれを会得することが稀なので、それを受用することがまだ出来ないだけなのだ

これまでの問答は、自ら問う人と答える人の交流が少し乱雑だった

どれほど花のない空に花を咲かせるようなことができただろうか

しかしながらこの国は、坐禅修行に於いてまだその宗旨が伝わっていない

それを知りたいと志す者は悲しむだろう

 このために、少しばかり外国の見聞を集め

正法に明るい明師の秘訣を記して、仏道を学びたい人に伝えたいのである

  この他の、禅道場の規範や寺院の規則については

今教える余裕はないし、又それらは、簡略に済ませるべきものではないのだ

およそ我が国は、大海の東方に位置して、釈尊がいたインドから遙か遠いが

欽明、用明天皇の前後から、西方の仏法が伝来したことは、人々の幸せだった

しかし、その仏法の教えと実践は多様で入り乱れ、どのように修行したらよいのかに悩むところだった

今は、破れ衣と粗末な鉢を生涯の友として、苔むす岩や白石のほとりに草庵を結んで、坐禅修練すれば

仏を超えた悟りの境涯がたちまち現れて

一生に学ぶべき仏道の悟りを速やかに究めることが出来るのである

これは龍牙居遁禅師の教えであり、鶏足山に入った摩訶迦葉尊者が残した家風である

その坐禅の作法は、以前 嘉禄の年に私が編集した「普勧坐禅儀」に従ってください

そもそも仏法を国中に広めるには、まず天皇の勅許を待つべきと言うが

釈尊が霊鷲山で後世に大法を託されたことを思い返せば

今日 無数の国々に現れ出た国王、宰相、将軍などは、皆ありがたいことに

釈尊のお言葉を受けて、前世に於いて仏法を護持するというかねての願いを忘れずに

この世に生まれてきた人々なのである

その人々が治める地域は、どこであろうと仏国土である

このために、仏祖の道を広めるのに、必ずしも場所を選び、縁を待つべきではないのだ

ただ今日を始めの日と思うだけだ

そうであるから、これらのことを集めて、仏法を求める優れた人や

仏道を尋ねて雲や浮草のように漂う参学の修行者のために、これを書き残すのである

この時、寛喜三年(西暦1231年) 辛卯 八月十五日 中秋の日 

入宋伝法沙門 道元記す。 辨道話。


 第28文段の解釈とコメント

   

この文段の質問は、

インドと中国は、人間がもともと正直である

中国は、中華文明の中心国なので、仏法を教化しても、すぐに理解する

しかし、我が国は、仁愛や智慧が少なく、正法が根付きにくい所である。蛮夷の未開人のためで、残念である

又、この国の出家人は、大国の在家人よりも劣り、皆 愚かで心は狭小である

深く世間の功利に執して、うわべの善を好む

このような人達がたとえ坐禅したとしても、すぐに仏法を証得できるだろうか?」

である。

インドと中国などは、文明の中心国で人間がもともと正直である。そのため仏法を教化しても、すぐに理解する

しかし、日本人は、仁愛や智慧が少なく、正法が根付きにくく、蛮夷の未開人である

その上に日本の出家人は、中国インドなどの在家人よりも劣り、皆 愚かで心は狭小である

深く世間の功利に執して、うわべの善を好む

このように中国インドなどより劣った人達がたとえ坐禅したとしても、すぐに仏法を証得できるだろうか?」

と言う質問である。

この質問に対し、道元は答える、

あなたの言うとおり、我が国の人は、まだ仁愛や智慧が行き渡らず、人の心はねじけている

たとえ正しい法を教えても、甘露はかえって毒となるだろう

名利には向かいやすく、迷執からは離れ難いのだ

しかしながら仏法を悟るには、必ずしも人の世間的智慧で解脱するわけではない

釈尊在世時にも、手まりで頭を打たれて四果の悟りを得た人や、戯れに袈裟を着けた縁で大道を明らかにした人がいたが

皆、暗愚な者、狂痴な畜類のような者達だった

しかし、「正しい信心に助けられて、迷いを離れる道がある

として正しい信心を持って修行すればば仏法を証得できるとして正しい信心を強調している

又、説法を請われた愚かな老僧が黙って坐っているのを見て、供養を設けた女性が悟りを開いた

これは智慧や、経文によらず、言葉や話を聞いたからでもなかった

ただただ正しい信心に助けられたのである。」とここでも、正しい信心の重要性を強調している

また仏教が全世界に広まったのは、わずか二千余年前後にすぎない

その国土はさまざまで、必ずしも仁智のある国ばかりではなく、人も又理智聡明の者ばかりではない

しかしながら、如来の正法は、もともと不思議な大功徳力を備えていて、時至ればその国土に広まるのだ

ここで道元は如来の正法が持つ不思議な大功徳力について触れているがその具体的内容について何も述べていない。

筆者が調べた健康に関する坐禅の持つ功徳力は以下のようにまとめることができる

「坐禅の健康効果」を参照)。




坐禅の持つ功徳力としての健康効果

   


表2. 坐禅の健康効果のまとめ

No  身体的効果   精神的効果
1 深い呼吸によって、酸素を十分に取り入れ、血中酸素量を増やし、細胞を活性化させる。 心身がリラックスし、爽快感と安らぎを生む(AB神経系の活性化)。
2  肺と横隔膜の機能を高める。  脳波がα波になり、安らぎの心を生む。 
3 血流を促進し新陳代謝を促進する。  自律神経が安定し、ストレスから開放される。 
4 細胞の再生能力と免疫力を高める。  気分が明るく、やる気がでる。
5 本来持っている自然治癒力が高まる。 意識が鮮明になり、創造性と集中力を高める。



表2の注:


1: 坐禅によるA10神経セロトニン神経系の活性化(東邦大、有田秀穂教授の研究成果)

によって説明できる。

2: 脳下垂体からのβエンドルフィンの分泌やセロトニン神経の活性化による。

3: 坐禅中の長息の腹式呼吸によって副交感神経A10神経が活性化される。

それとともに、多幸感が醸しだされ、自律神経が安定する。

これによって、安らぎの心が生まれストレスから開放される。

4:A10神経セロトニン神経の活性化によるドーパミンセロトニンの分泌は

意欲を生み、気分を明るく穏やかにする。

坐禅による意識の覚醒と A10神経からドーパミンが分泌される。

ドーパミンの分泌はやる気や意欲を生むことが分かっている。

また、ドーパミンの分泌は大脳新皮質を活性化するので、

認知症予防の観点からも注目される。

5: 坐禅による意識の覚醒には次ぎのようなメカニズムが考えられる。

坐禅(丹田腹式呼吸脳幹の中央部に位置する上行性網様体賦活系の刺激

意識の覚醒が起こる。

坐禅によって自然治癒力と免疫力が高まるメカニズムについては次ぎのようなことが考えられる。

坐禅時の腹式呼吸で副交感神経が活性化 自律神経の調整 

自然治癒力と免疫力が高まる


以上で述べた禅の健康効果は医学や脳科学が未発達か皆無であった

道元禅師の時代には明らかにすることはできなかったのは当然のことであろう。

ただ道元禅師は禅の持つ不思議な大功徳力について経験的に知っていたので

不思議な大功徳力について触れたと考えることができるだろう。

   

また人は、まさに正しい信心を起こして修行すれば、賢愚の区別なく、等しく悟りを得るのである

ここで道元が述べている言葉、

人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。」

がこの文段冒頭での質問に対する道元の答えだと考えてよいだろう。

我が国は、仁智の国ではないが、人の理解力が劣って仏法を理解できないと思ってはならない

まして人は皆、悟りの智慧の種子を豊かに持っているのだ

ただそれを会得することが稀なので、それを受用することがまだ出来ないだけに違いない

これまでの問答は、自ら問う人と答える人の交流が少し乱雑だった

どれほど花のない空に花を咲かせるようなことができただろうか

しかしながらこの国には、坐禅修行に於いてまだその宗旨が伝わっていない

それを知りたいと志す者は悲しむだろう

 このために、少しばかり外国の見聞を集め

正法に明るい明師の秘訣を記して、仏道を学びたい人に伝えたいのである。 

この他の、禅道場の規範や寺院の規則については

今教える余裕はないし、又それらは、簡略に済ませるべきものではないのだ

およそ我が国は、大海の東方に位置して、釈尊がいたインドから遙か遠いが

欽明、用明天皇の前後から、西方の仏法が伝来したことは、人々の幸せだった。

しかし、その仏法の教えと実践は多様で入り乱れ、どのように修行したらよいのかに悩むところだった

今は、破れ衣と粗末な鉢を生涯の友として、苔むす岩や白石のほとりに草庵を結んで

坐禅修練すれば、仏を超えた悟りの境涯がたちまち現れて

一生に学ぶべき仏道の悟りを速やかに究めることが出来るのである

これは龍牙居遁禅師の誡勅であり、鶏足山に入った摩訶迦葉尊者が残した家風である

と突然龍牙居遁禅師の誡勅が出て来る。

龍牙居遁(りゅうげきょどん、835〜923)は注で述べたように洞山良价禅師の法嗣で曹洞宗の禅僧である。

ここで道元が称賛する龍牙居遁禅師の誡勅は

学人は衣食住の充実に腐心することなく、財物を貪らずに修行すべきである

という教えである。

この龍牙居遁禅師の教えは道元が「正法眼蔵」「行持」の巻などで推奨する禅僧の生き方と一致する。

ここで道元が尊敬する龍牙居遁禅師の誡勅を引用することによって「弁道話」の巻を

龍牙居遁禅師の教えでしめくくっているような趣がある。

「従容録」第80則(龍牙過板)には龍牙居遁が登場する。

「従容録」第80則を参照)。

また「碧巌録」第20則(龍牙西来意)には龍牙居遁が登場する。

「碧巌録」第20則(龍牙西来意)を参照)。

坐禅の作法は、以前 嘉禄の年に私が編集した「普勧坐禅儀」に従うべきである

そもそも仏法を国中に広めるには、まず天皇の勅許を待つべきと言うが

釈尊が霊鷲山で後世に大法を託されたことを思い返せば

今日 無数の国々に現れ出た国王、宰相、将軍などは、皆ありがたいことに

釈尊のお言葉を受けて、前世に於いて仏法護持の願いを忘れずに、この世に生まれてきた人々なのである

その人々が治める地域は、どこであろうと仏国土である

このために、仏祖の道を広めるのに、必ずしも場所を選び、縁を待つべきではないのだ

ただ今日を始めの日と思うだけだ

そうであるから、これらのことを集めて

仏法を求める優れた人や、参学の修行者のために、これを書き残すのである。」

と「弁道話」執筆の契機を述べている。

この28文段に於いて道元はインドと中国は、文明の中心で人間がもともと正直であると称賛し、

それに比べると、日本人は、仁愛や智慧が少なく、

正法が根付きにくく、番夷の未開人であると日本人を低く評価している。

道元は中国での留学経験があるので中国人については良く知っているかも知れない。

しかし、彼はインドには行ったことがないはずである。

実際に行ったことがないインドについての評価は単なる推察や想像に基づいたものだと考えることができるだろう。

1203年(道元3才の時)にはインド仏教(密教)最期の砦であったヴィクラマシーラ寺院が

イスラム教徒の軍隊によって破壊され、多数の僧侶と尼僧が虐殺された。

このヴィクラマシーラ寺院の破却によってインド仏教は実質的に滅亡したとされている。

道元が中国に留学した時期にはインド仏教は既に滅亡し、

中国においても、曹洞禅はすでに衰退の危機に瀕していたはずである。

インド仏教は既に滅亡に瀕していたという情報や、中国における曹洞禅の衰退の危機に関する認識はあまりなかったのだろうか。

そのため、インドと中国は、文明の中心で人間がもともと正直であると称賛し、

それに比べると、日本人は、仁愛や智慧が少なく、正法が根付きにくく、

番夷の未開人であると日本人を低く評価したのだと考えられる。

道元の時代から800年経った21世紀の現代インドでも、古代からのカースト制度はまだ残っている。

ダリット(不可触民)に対する犯罪は2012年でも3万3655件から2016年の4万801件に増加しているとのこと。

おそらくこの数字は実際よりもはるかに少ない。

グジャラート州では馬に乗ったダリットが殺された。

馬に乗るのは上位カーストだけに許されるとされているからである。

ウッタラカンド州では結婚式で上位カーストのテーブルのそばで食べ物を口にしたダリットが殺されたとのこと。

しかしインドではこれらのニュースをほとんど取り上げないとのこと。

道元の時代から700年以上経った現代でもカースト制度は残り、

インド人の民度は日本よりあるかに低い。

道元は中国についても大宋国と大をつけて高く評価している。

中国人についても現代でも中国人の民度があまり高くないのはニュースや民度評価ランキングでも見聞するところである。

この文段で道元は「インドと中国は、文明の中心で人間がもともと正直であると称賛し

それに比べると、日本人は、仁愛や智慧が少なく、正法が根付きにくく、番夷の未開人である

とインドと中国を賞賛し、それに比べ日本人は、番夷の未開人であると述べている。

このような道元の認識と考え方に筆者は少なからず疑問と違和感を感じる。

現代の世界における日本、中国、インドに対する評価はどうであろうか?

参考になる調査研究として「世界最高の国ランキング2020年」がある。

これはアメリカの時事解説誌『USニューズ&ワールド・リポート』で発表された調査研究である。

ランキングを表にすると次の表3のようになる。


表3

表3 世界最高の国ランキング2020年


   

表3のランキング付けは、ペンシルベニア大学ウォートン校の研究チームなどが開発した評価モデルに基づいて、

「ビジネスの開放度」「生活の質」「市民の権利」「政治・経済的影響力」「文化・自然遺産」など

9項目について調査したものである。

当然のことだが、このランキング付けは絶対なものではない。

しかし、少なくとも国の経済や文化、豊かさを見るうえで、参考になる調査研究だと考えることができる。

この調査研究結果を信用する限り、

現代世界での文化や国の評価は日本>>中国、インドである。

2019年の『USニューズ&ワールド・リポート』で発表された調査研究でも

日本のランキングは世界第2位だったので中国とインドに対する日本の優位さは変わらないと言ってもよいだろう。

このような調査研究での文化や国の評価は道元禅師の評価

中国、インド>>日本 とは全く違う。

順位が全く逆転している。

諸行無常とは言え、この評価の逆転は一体どこでどのように起こったのだろうか?





参考文献など:



1.道元著 水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫、「正法眼蔵(一)」1992年

2.安谷白雲著、春秋社、正法眼蔵参究 弁道話 1970年

3.玉城康四郎編集、筑摩書房、日本の思想2道元集 1969年

4.(道元禅師 正法眼蔵現代語訳の試み)。



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