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第2章 禅と脳科学:その2




2.19   自心が仏だ!





「伝心法要」において黄檗希運は次ぎのように言う、

修行者よ、疑うことなかれ。四大が集まって身体ができている

その四大には我(アートマン)はない

また身体には主体はない

このことよりこの身には我(アートマン)はなく、主体はない

五蘊が心である

五蘊には我(アートマン)はなく、主体はない

故にこの心には我(アートマン)はなく、主体はないことが分かる

六根、六識、六境(=十八界)が和合し生滅するのも同様である

このように十八界(=六識+六根+六境)は既に空であるから一切が皆空である

ただ、本心のみがあって無限定の清浄さを保っている」。

維摩経を引用した黄檗希運の説法は原始仏教の五蘊無我の考え方と殆ど同じで、

五蘊無我の意味を的確に表現している。

この後に黄檗希運は次のように説法する、

声聞という修行者は仏の説法を聞くことで悟るので声聞と呼ぶ

声聞は永劫の修行を経て悟りを開いても声聞仏になるだけである

これに対し、本来己の心が仏にほかならぬことを単刀直入に自覚し、一法も得るものは無く

一行も修行すべきものはないという境地に至るのが無上道であり

その境地に至った者が真如仏である

修行者が戒めなければならないのは「成ずべき仏や得るべき法、修すべき法がある

という思いである

この思いがある限り道から離れてしまう

念念無相、念念無為であるのが仏である

修行者がもし仏になりたいと欲するならば、一切の仏法を総て学ぶ必要はない

ただ無求無執着を学びさえすれば良いのだ。求めることが無ければ心は生起しない

また執着することが無いならば心は消滅することも無い

これが<不生不滅>ということであり、仏にほかならない

八万四千という法門は八万四千の煩悩に対する方便に過ぎない

もともと法というものは一切ない。その法に対する幻想から離れることこそ法である

それ(離れること)を知っているのが仏である

一切の煩悩から離脱しさえすれば得べき法など一つもないのだ。」

ここで黄檗希運が言っていることも原始仏教の「五蘊無我」の精神と殆ど同じである。

仏教では眼、耳、鼻、舌、身、意(こころ)の6感覚器官(広い意味で、6根とも言う)と

その対象として色、声、香、味、触、法の6境(対象)を考える。

6根が6境と接触すると6識が生ずると考える。

科学的には6境(対象)と6根が相互作用することで6識が生じる。

「6根が6境と接触する」とは「6境(対象)と6根が相互作用する」ことを意味する。

「外界である6境(対象)からの情報が感覚器官としての6根に入り、

6根を刺激すると、電気信号が生まれる。

その電気信号が脳に入り6識が生れる過程を言っている」と考えることができる。

6識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の6つを言う。

6x3=18となるので18界と言う。

図2.9 に十八界(=六識+六根+六境)を示す。

黄檗希運は本心と十八界は別物と考えているようである。

六根は感覚器官だけではなく大脳新皮質の機能を含むと考えることができる。

黄檗希運が言う本心とは六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)の内部に在る

脳幹を中心とした下層無意識脳優勢の心(無心)を言っているように思える。 

figure2.9

十八界と本心

 図2.9 十八界と本心



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2.20 法ではなく、心に於いて悟れ




黄檗は「伝心法要」で次ぎのように言う。

黄檗、「楞厳経には「もとは同じく一精明、それが分かれて六和合となる。」と説かれている

その一精明とは一心のことである。六和合とは六根のことである

この六根はそれぞれ六境と合わさると六識が生まれ十八界が形作られる。」

首楞厳経には「もとは同じく一精明、それが分かれて六和合となる。」という言葉がある。

黄檗はこの経典の言葉を引用して六根と十八界の関係を説明している。

黄檗は「つまり、眼は色と、耳は声と、鼻は香と、舌は味と、身は触覚と

意は法と合わり六識が生まれ十八界が形成される

もし十八界は実体なきものだと悟れば、六和合を一からげにして一精明にすることができる

その一精明とは心にほかならない

いかにも、修行者は皆このことを知っているが<一精明>とか<六和合>とか

言うことの知的理解に流れてしまう

その結果、法(知的理解)に縛られて、おのれの本心と契合できないのだ。」と言う。

ここで黄檗は法を知的に理解するだけではだめで、

実体験によって自己の本心と契合納得しなければ意味がないことを強調している。

知的理解に縛られることを嫌っていることが分かる。

図2.9に示した十八界の概念は原始仏教以来の仏教の伝統的考え方である。

黄檗が説く一精明を図2.9の中心に置けば図2.10になる。




十八界と一精明

 図2.10 十八界と一精明


この図から一精明は脳に相当することが分かる。

首楞厳経の「もとは同じく一精明、それが分かれて六和合となる。」

を引用した黄檗の説明は現代の脳科学と見事に一致し素晴らしい。



黄檗が生きた唐代は古代世界である。

しかし、黄檗は脳機能を正確に理解していたと言えるかも知れない。

その考えは黄檗の愛弟子である臨済義玄にも正しく伝えられている。

それは「臨済録」を読めば良くわかる。                    





2.21    臨済録に見る脳科学




「伝心法要」で黄檗は言う、

楞厳経にはもとは同じく一精明、それが分かれて六和合となる。』

と説かれている

その一精明とは一心のことである。六和合とは六根のことである

この六根はそれぞれ六塵と合わさると六識が生まれ十八界が形作られる。」


これは既に図2.10で説明した。

臨済は臨済録で次のように、全く同じことを言っている。

道流、心法は無形にして十方に通貫す。眼にあっては見、耳にあっては聞く

鼻にあっては香りを嗅ぎ

口にあっては論談し、手にあっては執捉し、足にあっては運奔す

本と是れ一精明、分かれて六和合となる。」

『臨済禄」「示衆1−4」を参照



臨済も楞厳経に説く「もとは同じく一精明、それが分かれて六和合となる。」

という考えを引用している。

これは「伝心法要」で黄檗が言っていることと同じである。

臨済義玄は黄檗希運の愛弟子であるから当然のことだろう。




獅子弄得問答

2.22   知と用―獅子弄得(ししろうとく)問答




雲巌曇晟(うんがんどんじょう、782〜841)は薬山惟儼(やくさんいげん、745〜828)の弟子である。

薬山惟儼と雲巌曇晟との間に次ぎのような問答がある。

薬山「お前は獅子を弄することを知っているというがほんとうか?」

雲巌「仰せの通りです。」

薬山「そんなら幾つを弄得出するのか?」

雲巌「六を弄得出します。」

この問答において獅子は心の本体(=)を、

六とは六識((眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)を意味している。

心が六識の官能を通して働くことを言っている。

薬山は雲巌の所見を聞き終わってから次ぎのように言った。

薬山「わしも獅子を弄得することを知っているよ。」

雲巌「あなたは幾つを弄得出されるのですか?」

薬山「わしは1つだけだ。」

雲巌はそこで、「一即六、六即一」と言った。

この問答は脳()と六識((眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識=六)の関係を

一即六、六即一」と見事に表現している。

雲巌曇晟は心の本体としての脳の機能を把握していたことが分かる。

唐代においてこのような事実を分かっていた驚くべきことである。

以上の問答はこのような脳科学の知見を基に解釈すれば簡単に分かる。

しかし文学的観点のみからこれを解釈しようとすれば難しい。

この問答は獅子が心の本体の象徴として出てくる点で、

碧巌録39則の「雲門花薬欄」と呼ばれる有名な公案と関係があると思われる。

碧巌録39則「雲門花薬欄」を参照


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2.23

2.23  ストレスが心身に与える影響




ストレスの原因であるストレッサーは主として大脳前頭葉などの上層脳(理知脳)から入る。

それは大脳辺縁体の情動脳の中心である扁桃体に行く。

扁桃体が不安や恐れなどのストレスを感じると、

視床下部から副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)が

放出され脳下垂体へ行って刺激を伝達する。

脳下垂体は副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)を分泌する。

副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)は血流に乗って副腎皮質に行き、

副腎皮質はコルチゾールなどの副腎皮質ホルモンを放出する。

副腎皮質から分泌されるコルチゾール(糖質コルチコイド)は、

静かに燃え続けるようにはたらき、血糖値と代謝をあげさせ、

免疫の活動をおさえこみ、炎症や痛みをおさえる。

そのため、大きなストレスがある時には、風邪などの症状が出にくくなる。

コルチゾールが増え過ぎるとリンパ組織が萎縮する。

その結果リンパ球が減少したり、NK(ナチュラルキラー)細胞の活性が低下し免疫力が低下する。

ここで副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)は

副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)を放出させるホルモンである。

この経路を次の図2.11に示す。



図2.11


図2.11 ストレスが脳と身心に及ぼす影響


ストレスが加わると視床下部からCRF(ACTH放出ホルモン)が放出される。

CRFが脳下垂体に働くとACTHが放出される。

ACTHは副腎皮質を刺激して副腎皮質ホルモンを分泌させる。

副腎皮質ホルモンは炎症、アレルギーなどの身体的ストレスを解消する。

図2.12 にストレスに対する身体反応を総合的に示す。

図2.11に示した副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)→

副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)→コルチゾール分泌の経路は

図2.12の左側の血管系経路(遅い反応経路)に対応している。

こうした反応の外に、視床下部が受けた刺激は自律神経系を通じて、

副腎髄質に伝えられ、ここからカテコラミン(アドレナリンとノルアドレナリン)を分泌する経路がある。

これは図2.12の右側の自律神経系を通る経路に対応している。

このようにストレスによる刺激は自律神経を通る急性の経路

血管系を通る遅い反応経路の二つがある。

右側の自律神経系を通る経路の場合には、

急に心拍数や血圧が上がったり、発汗、血糖上昇などが起こる。

これはもともと敵や獲物に出会った瞬間に

すばやく戦闘(もしくは逃避)態勢をとる必要があるために備わっている急性の反応経路である。

危険な敵に出会った場合、素早く逃げないと命を落としかねない。

あるいは敵と命を懸けてに戦わないとならない。

カテコラミンは、このために出るホルモンで闘争ホルモンとも呼ばれる。




図2.12


図2.12 ストレスに対する身体反応



ストレスによるコルチゾールの過剰分泌は何故悪いか?


答:

ストレスを繰り返し受けるとコルチゾールが過剰に分泌されるようになる。

ストレスによるコルチゾールの過剰分泌はリンパ球を萎縮させリンパ球を減らす。

このため免疫力が低下する。

また海馬の細胞に作用しその機能を萎縮破壊死滅させる。

高齢者において,慢性的ストレスとコルチゾールの上昇が記憶の中心である海馬の細胞に作用し、

その機能を萎縮破壊死滅させる。

そのことが認知症の原因にもなると考えられている。




2.24  ストレスに対する生体防御反応




ストレス、細菌、薬物などの対する生体防御機構は沼正作教授らの京大グループの研究によって明らかにされている。

それによると、脳がストレスを感じると、

核酸の持っている遺伝情報によってタンパク質POMC(プロオピオメラノコルチン)が合成される。

このPOMC(プロオピオメラノコルチン)の分解によって、

β・エンドルフィンと副腎皮質刺激ホルモンACTH(adrenocorticotropic hormone)が等量合成される。

副腎皮質刺激ホルモンACTHは副腎皮質に働いて、

炎症やアレルギーなどの身体的ストレスを解消させる

β・エンドルフィンは快感を生み、モルヒネの6.5倍も強力な鎮痛作用を有する脳内麻薬である

β・エンドルフィン精神的ストレス解消の主役となる

ACTHβ・エンドルフィンはストレス解消の妙薬とも言える脳内ホルモンである。

このストレス解消メカニズムを図2.13に示す。




図2.13


図2.13 生体防御メカニズムによるストレスの解消


2.25

2.25 坐禅は精神的ストレスと肉体的ストレスを解消する




図2.13はストレスなどを脳が感じた時の生体防御機構であるが、

坐禅時の丹田呼吸によるβ・エンドルフィンの分泌についても

図2.13と同様なメカニズムを適用できると考えられる。

図2.14に坐禅時の丹田呼吸による

ACTHとβ・エンドルフィン(ストレス解消の妙薬と言える脳内ホルモン

の分泌メカニズム(仮説)を示す。



図2.14


図2.14坐禅によるストレス解消のメカニズム(仮説)



図2.13に示したように、

 脳内で合成されたPOMC(前駆タンパク質)が酵素で分解され、

ACTHβ・エンドルフィンが同時に等量合成される。

ACTH (副腎皮質刺激ホルモン)は副腎皮質を刺激して副腎皮質ホルモンを分泌させ、

炎症やアレルギーなど身体的ストレスを解消させる。 

β・エンドルフィンは快感・鎮痛作用(モルフィネの6.5倍も強い)を持つ

脳内麻薬であり、精神的ストレス解消の主役となる。

坐禅中には快感・鎮痛作用を持つ脳内麻薬β・エンドルフィンが分泌され、

精神的ストレスが解消される。

図2.13に示したように、β・エンドルフィンが分泌される時には、

必ずACTH (副腎皮質刺激ホルモン)が等量分泌される。

β・エンドルフィンが分泌される時には、ACTH (副腎皮質刺激ホルモン)が必ず分泌される。

坐禅時に図2.14のメカニズムが働いていることは現在未だ立証されていない。

このメカニズムは未だ仮説の段階である。

しかし、腹式呼吸時にはβ・エンドルフィンが分泌されることは分かっている。

β・エンドルフィンが分泌されるとACTH (副腎皮質刺激ホルモン)が必ず等量分泌されるので、

図2.14に示したメカニズムが坐禅中にも働いている可能性は大きい。

それは次ぎのように考えれば分かる。

坐禅時の丹田呼吸ではゆっくりとした長息の呼気をする。

このゆっくりした呼吸で二酸化炭素濃度が増すことが分かっている。

それを脳は酸素が不足すると誤認し、ストレス(危機)だと勘違いする。

普通の呼吸では1分間に17回くらい呼吸するが、

坐禅では1分間に数回くらいの呼吸数に減少する。

筆者の場合1分間に1回くらいの呼吸である。

このゆっくりした呼吸によって酸素が不足し炭酸ガスが増える。

この状態を脳は酸素が不足する危機(ストレス)だと誤認するのではないだろうか。

そうすると、図2.13と同じ生体防御メカニズムが働いて、

β―エンドルフィンとACTHが同時に分泌されると考えられる。

筆者の経験では、眼を閉じて坐禅をすると眼から涙がうっすらと眼球を潤おすように出てくる。

これは坐禅すると必ず体験される事実である。

副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)は涙の分泌を促すことは分かっている。

坐禅中は悲しいという感情は全くない。むしろ、安楽や快感を常に感じる。

眼を閉じて坐禅をすると悲しくもないのに眼から涙がうっすらと出てくるのは

ACTHの分泌によって説明される。

 これらの事実より、坐禅時には図2.14に示すメカニズムが働き、

精神的ストレスのみならず、身体的ストレスを解消すると言っても良いのではないだろうか。

このようなことは以下の禅書にも経験的事実として記述されている。

我が国の栄西禅師(1141〜1215)は著書「興禅護国論」で

坐禅によって、身心は自然に一如一片となり、身体の調子は軽安となるだろう

と言っている。

「禅宗四部録」中の「坐禅儀」では

坐禅によって自然に身体の調子は軽安となり精神は爽利に寂然として清楽ならん

と言っている。

坐禅儀第7文段を参照

軽安とは軽快・安穏という意味で心身の健康を指している。

原始仏教以来の仏教の伝統的修行法に「三十七菩提分法」がある。

三十七菩提分法を参照

その中の七覚支の一つに「軽安覚支」がある。

軽安覚支」とは坐禅によって身心が軽快かつ安穏になるということである。

これらのことから坐禅は精神的ストレスだけでなく、

身体的ストレスを解消するので心身は軽快・安穏になると言っていると考えても良いだろう。

祇園精舎において、坐禅(禅定)の呼吸と悟りについて、ブッダは

弟子達よ、入出息を念ずることを実習するがよい

かくするならば、身体は疲れず、眼も患まず、観えるまゝに楽しみて住み

あだなる楽しみに染まぬことを覚えるであろう

と語ったと伝えられている(雑阿含経第二十九)。

ブッダが説く坐禅と呼吸を参照

ブッダのこの言葉は身体的ストレス解消について言っていると考えられるのではないだろうか。

弟子達よ、入出息を念ずることを実習するがよい。」

というブッダの言葉はマインドフルネスそのままである。

1979年マサチューセッツ大学医学部のガバットジン教授が創始した

マインドフルネスによるストレス軽減法MBSRMindfulness Based Stress Reduction

は今や世界的に有名である。

その起源はブッダのこの言葉にあると言っても過言ではないだろう。




2.26    坐禅は快ストレス




 ストレス学説で有名なハンス・セリエ博士(1907〜1982)は、

ストレスとは生体の中に起こる生理的・心理的な歪みであり

このストレスを作るものが外から加えられたストレッサーである

と述べている。

最近では、外部からの心理社会的ストレッサーと

内的なストレス状態を区別することが難しいことから、

両方をともにストレスと呼ぶようになっている。

ストレスとはすべてネガティブなものかというとそうではなく、

適度な刺激は交感神経系を活性化し抵抗力をつけるように働き、

ハンス・セリエ自身も「ストレスは人生のスパイスである

と述べているようにポジティブな面もある。

これを快ストレス(eustress)と呼ぶ。

人には適度なストレスが必要である。

快ストレスとは、私たちの身体に良い刺激を与え、充実感を作り出すものである。

分かりやすい言葉でいえば、「適度な運動」とか、「適度な労働」などと同じ意味である。

たとえば、仕事が忙しいときには、なにかとストレスを感じるが、

これが充実感や達成感につながる場合は、適度なストレスであり快ストレスだと言える。

人には適度なストレスが必要である。

快ストレスとは、私たちの身体に良い刺激を与え、充実感を作り出すものである。

分かりやすい言葉でいえば、「適度な運動」とか、「適度な労働」などと同じ意味である。

たとえば、仕事が忙しいときには、なにかとストレスを感じるが、

これが充実感や達成感につながる場合は、適度なストレスであり、快ストレスだと言える。

坐禅は一種の修行だから最初は足が痛く苦しいこともある。

しかし、坐禅を継続して実行することで、精神的・身体的ストレスを解消し、

安楽・軽安と表現される快適な状態を達成し生き生きとした充実感を味わうことができる。

図2.14を見ると、坐禅 →POMC →

β・エンドルフィン(心的ストレス解消)、ACTH(身体的ストレス解消)

分泌に終っている。

これより坐禅は心的ストレスと身体的ストレス解消のためのトレーニング

になっていることが分かる。

この観点からも坐禅は「快ストレス」の一種と言えるのではないだろうか?

快ストレスも度が過ぎると不快なストレスになり、

自律神経系、ホルモン系、免疫系に悪影響を与える事になることが多い。

この点坐禅は不眠不臥のような苦行をしない限り、不快ストレスになることはない。

むしろ図2.14に示したように、ストレス解消法となる。

「解脱や悟り」という高度な目的を達成するために長年にわたるたゆまぬ修行

(心身のトレーニング)を必要とする「快ストレス」と言えるのではないだろうか。




2.27

2.27   坐禅は安楽の法門なり

 :  脳内麻薬β・エンドルフィンの分泌とストレスからの解放





道元はその著「普勧坐禅儀」において

坐禅は唯だ是れ安楽の法門なり。菩提を究尽するの修証なり。」

と言っている。

「普勧坐禅儀」を参照)。

正法眼蔵「坐禅儀」においても道元は、

坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり。不染汚(ふせんま)の修証なり。」

と坐禅を<大安楽の法門>と述べている。

禅を<大安楽の法門>とする考えは大応国師(南浦紹明、1236〜1308)にもある。

大応国師は「大応仮名法語」に於いて、

・・・この大安楽のところ、即ち安心、安楽のところを相伝(法の伝承)するのであって・・・

と言っている。

坐禅中の安らぎと安楽感(or快感)は、

快感・鎮痛作用を持つ脳内麻薬β―エンドルフィンの分泌(図2.14参照)

とA10神経(快楽神経)の活性化と関係ある。

腹式呼吸をすると視床下部から脳内麻薬β―エンドルフィンが分泌されることは

呼吸の科学で明らかになっている。

β―エンドルフィンは呼吸の抑制作用を持つ。実際禅定に入ると呼吸はゆっくりとなる。

これはβ―エンドルフィンの持つ呼吸抑制作用によると考えられる。

坐禅中の脳波にリラクセーション時と同じα波が現れることもこの考えを支持する。

β―エンドルフィンはA10神経(快楽神経)を活性化し、

ドーパミンを分泌し快感と覚醒を生むことは知られている。

禅を<大安楽の法門>とする考えはこのメカニズムで説明できるだろう。





非思量

2.28 非思量とは何か?





坐禅に臨む心構えについて、薬山惟儼(やくさんいげん、751〜838)と僧との次の問答がある。


僧問う、

兀兀地(ごつごつち)、何をか思量す

師曰く、

箇の不思量底を思量せよ。

僧云く

不思量底、如何が思量せん。

師曰く、

非思量



この簡単な問答で思量や非思量という言葉が出てくる。

思量し分別するのは上層脳の前頭連合野である。

思量の対象外にあるのは無意識の下層脳(脳幹+大脳辺縁系)である。

下層脳は無意識であるが生命維持や感情の源泉となる生命情動脳である。

この無意識脳である下層脳の働きを薬山惟儼は非思量という言葉で強調したのではないだろうか?

「無門関」の第1則で有名な趙州の『』という言葉も公案禅の中心的な概念である。

「無門関」の第1則を参照 )。

南嶽懐譲と六祖慧能の問答に出る「説似一物即不中」という言葉も有名である。

「説似一物即不中」を参照 )。


』や「説似一物即不中」は

「 思量の外にある下層脳(脳幹と大脳辺縁系、無意識脳)を中心とする脳」

を指していると考えれば、この不可解な禅問答も簡単に理解できる。





2.29

2.29  「信心銘」と扁桃体




中国禅の第三祖僧サンの著書「信心銘」の冒頭に「至道無難、唯嫌揀択、但莫憎愛洞然明白

という有名な言葉がある。

「信心銘を参照」

その意味は「究極の道(悟りの本質)はただえり好み(揀択)を嫌うだけで、難しいことなどない

もし憎愛の心が無くなれば洞然として明白となる。」ということである。

この言葉は脳科学の観点からは次ぎのようになる。

自己中心的な好き嫌いやえり好みの感情は大脳辺縁系にある扁桃核で生じる。

僧サンは「扁桃核で生じる自己中心的な好き嫌いや憎愛の感情を坐禅によってコントロールし

超越できれば究極の道は洞然として明白となるだろう。」

と言っていると解釈できるのではないだろうか? 

因みに大脳辺縁系も脳幹と同様無意識の脳である。

坐禅によってセロトニン神経やA10神経を活性化し大脳辺縁系にある扁桃核を

コントロールすることができる

その時、憎愛の感情を離れて、悟りの心が洞然として明白となるだろう。」

と言っているのではないだろうか。




2.30 禅と健康





禅の修行によって脳は下層脳から活性化され健康になる。

坐禅修行によって心の健康が最高度に発揮された状態が

禅の悟り>だと言っても良いだろう。

黄檗希運は「伝心法要」の中でその境涯(心の状態)を

心は日輪が常に虚空を照らすごとく

その光明はおのずから輝いて、照らそうとしないでも照らす。」

と健康な脳と心を表現している。

禅僧には長生きする人が多い。

精神・肉体的ストレスから解放され、

生命情動脳(脳幹+大脳辺縁系)が活性化されているためだと考えられる。

精神的ストレスは活性酸素を発生させると言われる。

活性酸素は老化の原因物質である。

坐禅修行によって、

身体的・精神的ストレスから解放されると活性酸素の発生量が減少すると考えられる。

また、坐禅によるA10神経の活性化や脳内ホルモンβ・エンドルフィンの分泌は

免疫力を強め脳を健康にすると考えられる。

これが禅僧の長寿の理由の一つだと考えられる。

これを図示すると図2.15のようになるだろう。




図2.15

図2.15 坐禅によるストレス解消と老化防止効果



2.31  中国と日本の禅師達の平均寿命



中国と日本の生没年が分かっている有名な禅師達の平均寿命を計算すると次ぎのようになる。




表2.6 生没年が分かっている日本、中国の禅師達の平均寿命

 禅師  時代 計算に用いた人数 平均寿命/才
中国人禅師 隋・唐〜宋 74名  73.9
日本人禅師 平安〜江戸時代 67名  75.7
日本人禅師 明治〜現代 27名 85.8


比較参考のため昔の日本人の寿命を表2.7に示す。





表2.7 過去の日本人の寿命

 時代 平均寿命/才
縄文時代  31
弥生時代 30
古墳時代  31
室町時代  33
江戸時代  45



日本人の平均寿命が50才を超えたのは1947年だと言われている。

最近鎌倉時代の日本人の人骨の研究から、

鎌倉時代の日本人の平均寿命は約24歳であったことが分かった。

このような日本人の平均寿命と比べると、表2.6に示した禅師達の平均寿命は極めて長い。

この事実は坐禅に何らかの老化防止効果あるいは健康効果があることを示している。

禅寺の食事はお粥と漬物(沢庵漬け)、味噌汁くらいで、動物性タンパク質はない。

栄養豊富とはとても言えない粗食である。

表2.6に示された禅僧達の長寿は食事によるものではなく、

ストレスを解消し全脳(上層脳+下層脳)を健康にする禅的生活に起因していると考えられるだろう。





2.32

2.32   坐禅の健康効果:まとめ




坐禅の深くて、ゆっくりした呼吸は副交感神経を優位にし、身体と心をリラックスさせ、

心の安らぎを生む。坐禅を実践することで、毎日を楽しくすっきりした心で過ごすことができる。

坐禅の健康効果は次ぎの表2.8のようにまとめることができよう。



表2.8 坐禅の健康効果のまとめ

No  身体的効果   精神的効果
1 深い呼吸によって、酸素を十分に取り入れ、血中酸素量を増やし、細胞を活性化させる。 心身がリラックスし、爽快感と安らぎを生む(AB神経系の活性化)。
2  肺と横隔膜の機能を高める。  脳波がα波になり、安らぎの心を生む。 
3 血流を促進し新陳代謝を促進する。  自律神経が安定し、ストレスから開放される。 
4 細胞の再生能力と免疫力を高める。  気分が明るく、やる気がでる。
5 本来持っている自然治癒力が高まる。 意識が鮮明になり、創造性と集中力を高める。


表2.8の注:

1: 坐禅によるA10神経セロトニン神経系の活性化(東邦大、有田秀穂教授の研究成果)

によって説明できる。

2: 脳下垂体からのβエンドルフィンの分泌やセロトニン神経の活性化による。

3: 坐禅中の長息の腹式呼吸によって副交感神経A10神経が活性化される。

それとともに、多幸感が醸しだされ、自律神経が安定する。

これによって、安らぎの心が生まれストレスから開放される。

4:A10神経セロトニン神経の活性化によるドーパミンセロトニンの分泌は

意欲を生み、気分を明るく穏やかにする。

坐禅による意識の覚醒と快楽神経である A10神経からドーパミンが分泌される。

ドーパミンはやる気や意欲を生むことが分かっている。

また、ドーパミンは大脳新皮質を活性化するので、

認知症予防の観点からも注目される。

5: 坐禅による意識の覚醒には次ぎのようなメカニズムが考えられる。

坐禅(丹田腹式呼吸脳幹の中央部に位置する上行性網様体賦活系の刺激

意識の覚醒が起こる。

坐禅によって自然治癒力と免疫力が高まるメカニズムについては次ぎのようなことが考えられる。

坐禅時の腹式呼吸で副交感神経が活性化自律神経の調整 

自然治癒力と免疫力が高まる




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