弁道とは、仏道修行に精進することである。
道元禅師は日本に帰国後、最初の体系的な著作として「弁道話」を著した。
それは寛喜3年(1231)8月、深草安養院に閑居中(32歳)と推定されている(面山『聞解』の見解)。
末尾には「入宋伝法沙門道元」の自著がある(別本では「入宋伝法沙門住観音導利院道元」とも)。
「弁道話」は本来は『正法眼蔵』にはなかったが、95巻本では第1巻として収録された。
「弁道話」において、天童如浄に参学して正伝した仏法は、坐禅を正門とするもので、
坐禅は万人が等しく成仏できる安楽の法門で、修(坐禅修行)のほかに証(悟り)はないとする修証一如の思想を述べている。
その他後半部の18箇の問答が特徴的である。
ここでは「弁道話」の全体をを28文段に分け、
「弁道話・1」では第1文段から第10文段までを、
「弁道話・2」では第11文段から第19文段までを、
「弁道話・3」では第20文段から第28文段までを、
合理的(科学的)観点から分かり易く解説したい。
原文1
諸仏如来ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。
これただほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。
この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。
この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。
はなてばてにみてり。
一多のきはならむや。かたればくちにみつ。縦横きはまりなし。
注:
弁道: 真実に生きる修行に力をつくすこと。
如来: 悟りを開いた者、また仏法や宇宙の真理そのもの。仏の最高位。
妙法: 人間の思議の及ばない仏法。
阿耨菩提(あのくぼだい):阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の略。
阿耨多羅三藐三菩提は仏の最高の理想的な悟り。無上正等覚などと訳される。
自受用三昧:自証の法悦を自ら味わいながら、正法のままに生きる仏の境界。
この自証の境界を出て、他を教化する立場に立つことを他受用という。
「自分自身を素直に受け取り(自受する)、自分自身を使いこなす(自用する)三昧」。
真の自己と一つになる三昧。
現代語訳
諸仏如来は、皆共に優れた法を人から人へと単伝して、仏の悟りを証明してきたが、
この悟りを証明するのに、最も優れた無為の法がある。
この、ただ仏から仏へと授けて、誤りのない法とは、自受用三昧(真の自己と一つになること)であり、それがその標準である。
この三昧に遊ぶには、端坐して坐禅することが正しい門である。
この自受用三昧の法は、すべての人々の身の上に豊かに具わっているのだが、
修行しなければ現われず、証明しなければ得ることはない。
この法は、手を放せば手に満ちる。その分量は多い少ないという問題であろうか。
語ればそれは言葉は口に満ちて縦横自在で窮まりない。
この文段では、諸仏如来の悟りを証明するのに、最上無為の法は自受用三昧であると述べている。
ところが、この最上無為の法である自受用三昧(真の自己と一つになる三昧)について詳しく説明していない。
しかし、続く言葉で「この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。」
と述べていることから
自受用三昧とは真の自己と一つになる三昧である坐禅のことだと考えることができる。
これに続いて、
「この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、
証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり。
一多のきはならむや。かたればくちにみつ。縦横きはまりなし。」
と述べている。
この文は少し難解だが、人々の身の上に豊かに具わっている悟りの内容について説明している。
「この法は、手を放せば手に満ちる。その分量は多い少ないという問題であろうか。
語ればそれは言葉は口に満ちて縦横自在で窮まりない。」
という言葉の意味は次の図1で科学的に説明することができる。
図1 言語動作は自己の性(本体)である健康な脳の働きである
「この法は、手を放せば手に満ちし、その分量は多い少ないという問題ではない。
語ればそれは言葉は口に満ちて縦横自在で窮まりない。」
と述べていることから
自己の本体(性)である健康な脳の働き(=言語動作)を説明していることが分かる。
自己の本体(性)である脳神経系の働きは「手を放すという動作をすれば、手に満ちるし、
語ればそれは言葉となっては口に満ちて縦横自在で窮まりない。」
と述べていると解釈できる。
これは図1に示した<作用即性>の思想である。
<作用即性>の禅思想は図1に示すように脳科学によって簡単に説明することができる。
しかし、道元の生きた鎌倉時代には脳科学がなかったのでそのように言葉で表現するしかなかった。
(禅の根本原理と応用を参照)。
原文2
諸仏のつねにこのなかに住持たる各々の方面に知覚をのこさず。
群生のとこしなへにこのなかに使用する各々の知覚に方面あらはれず。
いまをしふる功夫弁道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。
その超関脱落のとき、この節目にかかはらむや。
注:
各々の方面: 四方八面。知覚の対象。
群生: 衆生。
方面: 客観。
知覚: 主観。
出路: 出身の活路。解脱。
超関脱落のとき: 自他を隔てる関を超えて解脱した時。
節目: 竹の節と木の木目。くぎりをつけた形。
諸仏は常に、この三昧の中にあって、見聞覚知の各方面に知覚を残すことはない。
また人々が永久にこの三昧の中で使用している各々の知覚には、客観が現れることはない。
今ここで教える修行弁道は、悟りの上に一切の存在を在らしめ、
解脱のために主・客一如の自己を行ずることである。
その自他を隔てる関を超えて悟った時には、今までの教理の細目に関わることがあろうか。
ここでは安谷白雲老師の解釈に従って、「方面」とは客観であり、「知覚」とは主観であると解釈しよう。
そのような解釈の下では、
「見聞覚知の各方面に知覚を残すことはない」とは客観だけであり、
主観を残すことはない状態を指しているから、臨済の四料簡でいう「奪人不奪境」にあたる
「奪人不奪境」は主観を忘れた客観三昧の状態を言っている。
「各々の知覚には、その方面が現れることはない」とは
「主観だけで、客観は少しも残って居ない」状態を意味する。
それは臨済の四料簡でいう「奪境不奪人」(主観三昧)に相当する。
「奪境不奪人」は主観三昧の心境一如の状態を言っている。
(「奪境不奪人」と「奪人不奪境」については「臨済録示衆1−1」を参照)
(「奪境不奪人」と「奪人不奪境」については「臨済録示衆1−1」を参照)。
従って、この文段では、諸仏は常に、自受用三昧にあって、心境一如の悟りの境地を達成し、自他を隔てる壁を超えるので、
今までの教理の細目にこだわることがないと言っているのである。
(心境一如を参照)。
(「心境一如」を参照)。
原文3
予発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。
ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり。
いささか臨済の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足としてひとり無上の仏法を正伝せり。
あへて余輩のならふべきにあらず。予かさねて大宋国におもむき、知識を両浙にとぶらひ家風を五門にきく。
つひに太白峰の浄禅師に参じて一生の参学の大事ここにをはりぬ。
それよりのち大宋紹定のはじめ本郷にかへりしすなはち弘法救生をおもひとせり。
なほ重担をかたにおけるがごとし。
注:
知識: 仏法の善知識・指導者。
建仁の全公: 栄西の高弟明全(1184〜1225)。
霜華: 霜と華で1年。
九廻: 9年。
祖師西和尚: 明庵栄西(1141−1215)。平安後期-鎌倉時代の僧。
比叡山で顕密をまなび,仁安(にんあん)3年(1168)から2度宋 (中国)にわたり,虚庵懐敞(こあん-えしょう)の法をつぐ。
日本に臨済禅をつたえ,博多聖福寺,鎌倉寿福寺,京都建仁寺を開いた。
台密葉上流の祖。茶種を移入して茶祖ともされる。
両浙: 浙江の両岸。浙江の両岸に五山十刹があった。
五門: 曹洞・臨済・法眼・雲門・イ仰の五家。
太白峰の浄禅師: 天童如浄(てんどう にょじょう、(1163〜 1228)は、中国の南宋の曹洞宗の僧。
如浄は、1224年に天童山景徳寺の住職となった。渡宋した道元は1225年から帰国する1227年まで如浄の元で学んだ。
如浄は1225年の夏安居の期間に大悟した道元(25歳の時)に印可を授けた。『如浄禅師語録』が伝えられる。
図2 天童如浄禅師像
大宋紹定: 紹定元年(1228)。日本の安貞2年。
私は、発心して仏法を求めてから、我が国の各地に善知識を訪ねた。
縁によって建仁寺の明全和尚に会い、付き従った年月ははやくも九年になった。
この時、いささか臨済宗の家風を聞くことが出来た。
明全和尚は、祖師 栄西和尚の高弟として、ただ一人無上の仏法を正伝し人であり、
まったく我々の及ぶような人ではない。
私は、更に大宋国に赴き、浙江省の東西の善知識を訪れ、禅の五門の家風を尋ねた。
そしてついに、太白峰(天童山景徳禅寺)の如浄禅師に参じて、この一生に参学すべき仏道を悟ることが出来た。
その後、大宋国 紹定の年の初めに郷里に帰った。
その時は、仏法を広め人々を救うことを願いとした。
それはあたかも重い荷物を肩に担ぐような気持ちだった。
この分段では道元禅師の求道の旅について述べている。
国内では建仁寺で栄西禅師の高弟明全和尚の下で9年間臨済禅を学んだ。
更に渡宋して、浙江省の東西の善知識を訪れ、禅の五門の家風を尋ねた。
そしてついに、太白峰(天童山景徳禅寺)の如浄禅師に参じて、一生に参学すべき仏道を悟ることが出来た。
その後、帰国し、仏法を広め人々を救うことを願いとした。
それはあたかも重い荷物を肩に担ぐような気持ちだったと述べている。
第三文段で言っていることで難しいところはない。
原文4
しかあるに弘通のこころを放下せむ、激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄してまさに先哲の風をきこえむとす。
ただしをのづから名利にかかはらず道念をさきとせん真実の参学あらむか、
いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解をおほひむなしく自狂にゑうてひさしく迷郷にしづまん。
なにによりてか般若の正種を長じ得道の時を得ん。
貧道はいま雲遊萍寄をこととすればいづれの山川をとぶらはむ。
これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、
しるしあつめて参学閑道の人にのこして仏家の正法をしらしめんとす。
これ真訣ならむかも。
注:
激揚のとき: 今から後、このさき。
雲遊萍寄(うんゆうひょうき): 萍は浮草。
雲のごとく行き、浮草のように寄る。物事に執着せずに自然のままに行動すること。
先哲の風: 優れた先人の生活態度。
貧道: 道徳の貧しいこと。僧の謙称。
稟持(ひんじ)::受けて保つ。
参学閑道: 閑は習うこと。閑道は学道に同じ。
真訣(しんけつ): 真の秘訣。極意。
しかし、今は仏法を広める心を打ち捨てようと思う。仏法を激しく興す時機を待つためだ。
暫くは雲や浮草のように居所を定めず、まさに先哲の家風を学ぼうと思う。
ただし、自ずから名利にかかわることなく、道心を第一とする真実の修行をしたいものだ。
もし、いたずらに邪師に惑わされて妄りに正しい見解を覆い隠し、空しく自分の狂惑に酔って、久しく迷郷に沈むようなことになれば、
いったい何によって般若(悟りの智慧)の正しい種を成長させ、仏智を会得する時を得るだろうか。
しかし今、雲や浮草のように居所が定まらない私のような者は、どこの山や川を訪ねればよいだろうか。
これを哀れに思い、私が目の当たりに大宋国で見聞した禅道場の規則や、受け伝えてきた善知識の深い宗旨を集めて記し、
仏道を参学する人に残して仏家の正法を知らせたいと思う。これが仏道の秘訣ではないだろうか。
ここには道元禅師が「弁道話」を書いた目的が記してある。
道元禅師が目の当たりに大宋国で見聞した禅道場の規則や、受け伝えてきた善知識の深い宗旨を集めて記し、
仏道を参学する人に残して仏家の正法を知らせるのが仏道の秘訣だと考えた。
それが「弁道話」執筆の動機だとしている。
原文5
いはく大師釈尊霊山会上にして法を迦葉につけ祖々正伝して菩提達磨尊者にいたる。
尊者みづから神丹国におもむき法を慧可大師につけき。これ東地の仏法伝来のはじめなり。
かくのごとく単伝しておのづから六祖大鑑禅師にいたる。
このとき真実の仏法まさに東漢に流演して節目にかかはらぬむねあらはれき。
ときに六祖に二位の神足ありき。南嶽の懐譲と青原の行思となり。ともに仏印を伝持しておなじく人天の導師なり。
その二派の流通するによく五門ひらけたり。いはゆる法眼宗、イ仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗なり。
見在大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。五家ことなれどもただ一仏心印なり。
注:
迦葉: ブッダの十大弟子の一人摩訶迦葉(マハーカシュパ)尊者。付法蔵第一祖。
神丹国: 中国。
六祖大鑑禅師:六祖慧能禅師(638〜713)。中国禅(南宗禅)の大成者。
流演: 伝わり演(の)べること。
節目にかかはらぬむね:「証上に万法」と「出路に一如」の間に区切りがないこと。
二位の神足: 2人の優れた弟子。南嶽懐譲(677〜744)と青原行思(?〜740)を指す。
仏印(ぶっちん):仏の心印。仏としてのいつに変わらぬ坐禅の形。
伝持する: 相伝護持する。
見在(けんざい): 現在。
さて、大師 釈尊は、霊鷲山において法を摩訶迦葉に授け、
その法は祖師から祖師へと正しく伝えられて菩提達磨尊者に至った。
達磨尊者は自ら中国に赴いて、法を慧可大師に授けた。
これが東地中国の仏法伝来の始まりである。
このように一すじに祖師から祖師へと相伝して、自然に六祖 大鑑慧能禅師に至った。
この時真実の仏法が東の中国に流伝して、
教理経論や言語文字の枝葉末節に拘泥しない活きた仏法の妙旨が世に現れたのである。
その時六祖には、二人の優れた弟子がいた。南嶽の懐譲と青原の行思である。
二人は共に仏の悟りを相伝護持した人間界 天上界の導師である。
その二派が世に広まると、さらに五つの門流が開いた。
いわゆる法眼宗、イ仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗である。
現在、大宋国には臨済宗だけが天下に広く行き渡っている。
五家の名前は異なっているが、ただの一つの仏の悟りを伝えているのだ。
ここでは 釈尊は、霊鷲山において仏法を摩訶迦葉に授け、その法は祖師から祖師へと正しく伝えられて菩提達磨尊者に至った。
達磨尊者は自らインドから中国に赴いて、法を慧可大師(第2祖)に授けた。
これがインドから中国に伝わった仏法(教外別伝の仏法、禅)伝来の始まりである。
中国では達磨尊者を初祖とする教外別伝の仏法である禅は
一筋に祖師から祖師へと相伝して、自然に六祖 大鑑慧能禅師に至った。
この時真実の仏法がインドから東の中国に流伝して
教理経論や言語文字の枝葉末節に拘泥しない活きた仏法の妙旨が世に現れた。
これが教外別伝の仏法である中国禅(南宗禅=祖師禅)であると
中国禅(南宗禅=祖師禅)の始祖である六祖 慧能禅師に至る禅の歴史を紹介している。
六祖には、南嶽懐譲と青原行思という二人の優れた弟子がいた。
この二人の教えが世に広まると、法眼宗、イ仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗という五家の門流が開いた。
(「宋代の禅」を参照)。
現在、大宋国には臨済宗だけが優勢であると道元留学中の中国禅の現状に触れている。
五家の名前は異なっているが、
ただの一つの仏の悟りを伝えているのは中国禅だけだと中国禅の歴史と特徴について述べている。
この記述より道元の宋滞在時には、
法眼宗、イ仰宗、曹洞宗、雲門宗の四家は既に衰え臨済宗のみが盛んだったことが分かる。
ここで道元は中国禅が教理経論や言語文字の枝葉末節に拘泥しない活きた仏法だと考えているのが注目される。
この考え方に立てば、教理経論に基づいた中国仏教の流れである
天台宗、真言宗、浄土宗など殆どの日本の大乗仏教は教理経論や言語文字の枝葉末節に拘泥した死んだ仏法ということになる。
実際、天台宗、真言宗、浄土宗など殆どの日本の大乗仏教の殆どは、
教理経論に基づいた中国仏教の流れで、悟って仏になったと言う僧を排出輩出していない。
たとえば、空海は「即身成仏」を主張したけれども、自分は成仏したとは言っていないのである。
そういう観点から見ると、
道元に殆どの日本の大乗仏教は教理経論や言語文字の枝葉末節に拘泥した死んだ仏法だと言われても
天台宗、真言宗、浄土宗、日蓮宗など禅宗を除く日本の大乗仏教では、
菩薩と呼ばれる僧侶はいても、仏の悟りを得て、仏になった人はいないので、これに反論するのは難しいかも知れない。
原文6
大宋国も後漢よりこのかた教籍あとをたれて一天にしかりといへども雌雄いまださだめざりき。
祖師西来ののち直に葛藤の根源をきり純一の仏法ひろまれり。
わがくににもまたしかあらんことをこひねがふべし。
いはく仏法を住持せし諸祖ならびに諸仏ともに自受用三昧に端坐依行するをその開悟のまさしきみちとせり。
西天東地さとりをえし人その風にしたがえり。
これ師資ひそかに妙術を正伝し真訣を稟持(ぼんじ)せしによりてなり。
宗門の正伝にいはく、この単伝正直の仏法は最上のなかに最上なり。
参見知識のはじめよりさらに焼香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちゐず、
ただし打坐して身心脱落することをえよ。
注:
一天にしかり:天下に流布した。
葛藤の根源: 煩悩の根源。
西天東地: インドと中国。
焼香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちゐず:焼香、礼拝、念仏、修懺、看経などは
身心脱落の悟りのために役に立たないので用いない。
打坐: 坐禅をすること。
大宋国にも後漢以来、経典が伝えられて天下に広まり、その教えの優劣が論じられたが決定できなかった。
しかし、祖師達磨がインドより来てからは、
直ちにその問題の葛藤の根源が断ち切られ、純一な仏法(禅)が広まったのである。
我が国もまた、そのようになることをこい願うべきである。
さて、仏法を伝え相続してきた諸祖師や諸仏は、
皆共に自受用三昧(真の自己と一つになる坐禅)に正しく坐る修行を、悟りを開くための正道としてきたのである。
西のインドや東の中国で悟りを得た人たちは、皆その習わしに従った。
これは師と弟子とが、ひそかに悟りを開く妙術を正伝して、その秘訣を受け継いできたからである。
宗門の正伝の教えでは、
「祖師がひとすじに相伝した正直な仏法は、最上の中の最上である。
善知識(優れた師)に参じた最初から、さらに焼香、礼拝、念仏、懺悔、読経などを用いず、
ただひたすらに坐禅して身心脱落すべきである。」と言っている。
中国には後漢以来、経典が伝えられて広まり、
その教えの優劣が論じられたが決論は出なかった、
と中国への大乗仏教の伝来と教えの優劣について触れている。
しかし、祖師達磨がインドから渡来してからは、直ちに経典仏教の優劣問題の葛藤の根源が断ち切られ、
純一な仏法(禅)が広まったと、
経典に基づく大乗仏教より純一な仏法である禅の優位性を主張している。
それとともに、日本にも、純一な仏法(禅)が広まることをこい願うべきだと言っている。
仏法を伝え相続してきた諸祖師や諸仏は、
皆共に自受用三昧(真の自己と一つになる坐禅)に端坐する坐禅修行を、悟りへの正道としてきた。
インドや中国で悟りを得た人たちは、皆坐禅修行をした。
これは師と弟子とが、ひそかに悟りを開く妙術である坐禅を正伝して、
その秘訣を受け継いできたからであると述べている。
宗門の正伝では、 「祖師が相伝した正直な仏法は、最上中の最上である。
優れた師に参じた最初から、さらに焼香、礼拝、念仏、懺悔、読経などの雑多な修行をすべきではない。
ただひたすらに坐禅して身心脱落すべきである。」
と坐禅中心の禅仏教が最高の仏法だと言っている。
身心脱落とは自我への執着が脱落して無我の悟りを得ることだと考えると
道元の身心脱落の悟りはブッダの無我の悟りとおなじだと考えることができる。
この道元の結論は只管打坐を中心とする日本曹洞宗の教えに結実したと考えることができる。
図3に只管打坐から身心脱落(無我)の悟りへの道を図3に示す。
図3 自受用三昧(真の自己と一つになる坐禅三昧)による坐禅中心の仏教が
心身脱落(無我)の悟りへ至る最高の仏法だ
原文7
もし人一時なりといふとも三業に仏印を標し三昧に端座するとき遍法界みな仏印となり尽虚空ことごとくさとりとなる。
ゆえに諸仏如来をしては本地の法楽をまし覚道の荘厳をあらたにす。
および十方法界・三途六道の群類みなともに一時に身心明浄にして大解脱地を証し本来面目現ずるとき
諸法みな正覚を証会し万物ともに仏身を使用してすみやかに証会の辺際を一超して
覚樹王に端座し一時に無等々の大法輪を転じ究竟無為の深般若を開演す。
注:
仏心印: 仏の悟りの法。
三業に仏印を標し三昧に端座する:身口意の三業。身は結跏趺坐し、口は黙し、意は是非善悪を思わないこと。
身は結跏趺坐し沈黙し、是非善悪を思わないで三昧に端坐する。
本地の法楽をます: 坐禅三昧にある時の法楽を味わうこと。
三途(さんず): 死者が悪行のために生まれるとされる三つの場所。
即ち、火途(地獄道)・血途(畜生道)・刀途(餓鬼道)の総称。三悪道(さんあくどう)ともいう。
六道: 人が死んだら生まれ変わるという6つの世界のこと。
天界を頂点に、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道からなる。
人は良い行いをしていれば極楽へ行けるが、悪いことをしていると地獄へ落ちるといわれる。
天界、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道からなる六道は、
人間界での生前の行い次第で、次の行先が決まると言われている。
六道は古代インド神話に起源に持つ考え方である。
輪廻転生は、人は死んだら六道のどこかに生まれ変わるというもので、
それは因果応報で、自分の行い次第で決定されると言う。
万物ともに仏身を使用して: あらゆる衆生は本来仏であり、
仏身を使用しているという禅の基本的考えを表している。
覚樹王(かくじゅおう)に端座する: 釈尊が成道したと伝えられる菩提樹下に坐禅する。
法楽: 仏の教え、修行、悟りなどから生まれる超世間的な悦び。
ブッダが悟りを開いた時、1週間、自分の悟った法を味わい楽しんだことに由来する。
覚道の荘厳:悟りのおごそかさ。
究竟無為の深般若を開演す: これ以上ない仏の深い智慧を開きのべる。
もし人が、ひと時であっても三業(身、口、意の行い)に仏の悟りの法を示して、坐禅三昧にある時には、
全法界が皆仏の悟りとなり、あらゆる空間は悉く悟りで満たされるのである。
そのため、諸仏は仏としての法楽を増して、悟りの世界が新たに荘厳されるのである。
そして、三途(地獄 餓鬼 畜生)と六道(地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天上)のすべての世界の人々は、
皆共に同時に身心が浄められて健康になり、大解脱の境地を証明する。
本来の面目が現れる時には、あらゆるものが皆 仏の正覚(悟り)を証明し、万物は共に仏身を働かせ、
すみやかに悟りのほとりを飛び越えて釈尊が成道した菩提樹下に坐すのである。
それと同時に無上の大法を説いて、究極無為の深い般若の智慧を演説するのである。
もし人が、ひと時であっても三業に仏心印を示して、坐禅三昧にある時には、
全法界が皆仏の悟りとなり、あらゆる空間は悉く悟りで満たされる。
そのため、諸仏は本身の法楽を増して、悟りの世界が新たに荘厳されるのである。
その時、三途と六道の世界の人々は、皆共に同時に身心が浄められて健康になり、大解脱の境地を証明する。
人が真の自己(=仏性)を覚知する時には、あらゆるものが皆 仏の正覚(悟り)を証明し、万物は共に仏身を働かせ、
すみやかに悟りのほとりを飛び越えて釈尊が開悟成道した菩提樹下に端坐する。
それと同時に無上の大法を説いて、究極無為の深い般若の智慧を演説すると述べている。
普通曹洞宗では道元禅師は見性や悟りを強調したり説かなかったとして、
見性や悟りを否定する人がしばしば見受けられる。
しかし、この文段では見性や悟りをはっきり説いているのが注目される。
坐禅人が真の自己(=仏性)を悟り、見性する時には、
無上の大法を説いて、究極無為の深い般若の智慧を演説すると述べているので坐禅至上主義とも言える。
ここで、本来の面目が現れる時には、
あらゆるものが皆 仏の正覚を証明し、「万物ともに仏身を使用して・・・」と述べている。
これは「衆生は本来仏であり、本来仏身を使用している」
という禅の基本的考えを述べていると考えることができる。
この文段で言っていることをまとめると図4のようになるだろう。
図4 禅修行者が仏心印を示して、坐禅三昧にある時には全法界は
仏の悟りとなり、悟りで満たされ、般若の智慧を完成する。
第7文段の冒頭の文
「もし人一時なりといふとも三業に仏印を標し三昧に端座するとき遍法界みな仏印となり尽虚空ことごとくさとりとなる」
という文章表現にみられるように、宗教的で神秘的な表現がみられるが、
これも道元禅師に特徴的な直観的な表現であると考えることができる。
しかし、このような宗教的で神秘的な世界は
筆者のような科学者には到底ついて行けない宗教的世界である。
原文8
これらの等正覚、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふがゆゑに、
この坐禅人、かく爾として身心脱落し、従来雑穢の知見思量を截断して、天真の仏法に証会し、
あまねく微塵際そこばくの諸仏如来の道場ごとに仏事を助発し、
ひろく仏向上の機にかうぶらしめて、よく仏向上の法を激揚す。
このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫みな仏事をなすをもて、
そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、
みな甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。
この水火を受用するたぐひ、もみな本証の仏化を周旋するゆゑに、これらのたぐひと共住して同語するもの、
またごとごとくあひたがひに無窮の仏徳をそなはり、展転広作して、
無尽、無間断、不可思議、不可称量の仏法を、遍法界の内外に流通するものなり。
注:
冥資(みょうし): 冥々のうちにたすけられること。目に見えないところでたすけられる。
さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふ: 一切が悟りとなったその力が、
知らないうちに、当人に影響する道が通じること。
確爾(かくじ)として: 忽ち、確実に。
雑穢の知見思量: 雑多のけがらわしい知識、見解、思想、情量。
截断(せつだん): 物をたち切ること。切り離すこと。
微塵際: 無量無辺。
仏向上: 仏法の最上の境地。
本証の仏化(ぶっけ): 本来悟りの中にあるという仏の教化。
激揚:盛んにすること。
これらの無上の悟りの力は、さらにその人に帰って、親しく、目に見えないところで助ける道が通じるために、
この坐禅人は確実に身心脱落し、
従来の邪な雑多な見解、思量を断ち切って、天真の仏法を悟るのである。
そして無量無辺の諸仏の道場ごとに、仏の教化を助け、
仏を超えた働きの影響をこうむって、仏を超えたような悟りの法を盛んにする。
この時、あらゆる世界の土地、草木、土塀、瓦礫も、 皆仏法を説き始めるので、
それらの起こす風水の利益を受ける人々は、
皆、甚だ優れた不思議な仏の化導に密かに助けられて、親しい悟りを現わす。
そして、この水火を受け用いる人々は、皆、本来悟りの中にあるという仏の教化を行き渡らせるため、
これらの人々と共に住み共に語る者には、皆互いに無窮の仏徳がそなわって、次々に広くはたらきを及ぼして、
尽きることもない、絶えることもない、考えることも計ることもできない仏法を、あらゆる法界の内外に広めて行くのである。
この文段で述べていることをまとめると次のようになるだろう。
1.
坐禅の無上の悟りの力は、修行者に帰って、親しく、ひそかに助ける道が通じるので、
この修行者は確実に身心脱落し、従来の邪見、思量を断ち切って、天真の仏法を悟る。
2.
無量無辺の諸仏の道場ごとに、仏の教化を助け、仏を超えた働きの影響を受けて、仏法の最上の境地を宣揚する。
3.
その時、十方世界の土地、草木、土塀、瓦礫のうな無情も皆仏法を説き始め、
それらの起こす風水の利益を受ける人々は、
皆、甚だ優れた不思議な仏の化導(本具の仏性の作用)に密かに助けられて、親しい悟りを現わす。
4.
そして、この水火を受用する人々は、皆、本来悟りの中にあるという仏の教化を行き渡らせるため、
これらの人々と共に住み共に語る者には、皆互いに無窮の仏徳がそなわることになる。
5.
尽きることも、絶えることも、考えることも計ることも出来ない不可思議な仏法を、
次々にあらゆる世界の内外に広めて行く。
「仏法を説く十方世界は仏法を説き始める」
というような考え方や表現は第7文段に続き、宗教的かつ神秘的で、合理的(科学的)には説明不可能である。
以上の1〜4項目は図5のように簡単にまとめることができる。
図5 坐禅の悟りの力によって修行者は真の仏法を悟り、
仏の化導により世界中に広める。
図5にまとめた道元の考え方は第7文段に続きかなり宗教的である。
これは若い時から修業した比叡山の天台仏教の影響を受けたためだと考えられる。
道元の宗教的実感によって正しいと感じられても、合理的根拠がない場合が多いので注意すべきであろう。
原文9
しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜらしむることは、静中の無造作にして直証なるをもてなり。
もし、凡流のおもひのごとく、修証を両段にあらせば、おのおのあひ覚知すべきなり。
もし覚知にまじはる証則にあらず。証則には迷情およばざるがゆゑに。
又、心境ともに静中の証入、悟出あれども、自受用の境界なるをもて、
一塵をうごかさず、一相をやぶらず、広大の仏事、甚深微妙の仏化をなす。
この化道のおよぶところの草木、土地ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きはまるときなし。
草木牆壁はよく凡聖含霊のために宣揚し、凡聖含霊はかへって草木牆壁のために演暢す。
自覚、覚他の境界、もとより証相をそなへてかけたることなく、
証則おこなはれておこたるときなからしむ。
注:
静中: 坐禅中。
無造作: 自然作用。
直証:直ちに自性を証すること。本証。本来の面目に目覚めること。
凡流: 凡見者流。
修証: 修行と証悟。
修証を両段にあらせば: 修行と悟りが二つに分かれていれば、
証則: 悟りの本筋。
迷情: 凡夫の迷妄暗愚の意識、常識、見識。
心境: 主観(心)と客観(境)。
この化道のおよぶところの草木、土地ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きはまるときなし。:
この教化の及ぶ草木 土地は共に本来の姿になり、本来の働きを充分発揮するのである。
草木牆壁(そうもくしょうへき): 草木 土塀。ここでは非情の代表。
凡聖含霊(ぼんしょうがんれい): 凡夫や聖人、意識作用を持つ生物の総称。
演暢(えんちょう)す: のべる。
自覚、覚他の境界: 本来の面目、真の自己(=仏性=下層脳中心の脳)のこと。、
しかし、この悟りが坐禅人の知覚に入ってこないのは、坐禅中の自然な働きであり、それがそのまま悟りだからである。
もし、凡人が思うように、修行と悟りの二つに分かれていれば、それぞれ修行と悟りに分けて覚知できるはずである。
しかし、もし覚知できれば、それは悟りの法ではない。
悟りの法には、凡夫の迷情の心は及ばないからである。
また坐禅の時、主観と客観は、共に坐禅中に悟りの本体に入り、出ているのであるが、
自己をそのまま受用する世界なので、塵一つ動かさず、かたち一つ壊さずに、
広大な仏事や甚深微妙の仏の教化が行われているのである。
この教化の及ぶ草木土地は共に本来の姿になり、本来の働きを充分発揮するのである。
草木牆壁などの無情は、凡聖含霊の有情(衆生)のために広く法を説き、
また有情(衆生)は、無情のために法を説くのである。
この自覚、覚他の境界(本来の面目=仏性)は、もともと悟りの相を欠けることなく具え、
悟りの法を休みなく行っているのである。
ここでは道元の禅思想の特徴である修証一如の考え方について述べている。
悟りの広大な功徳が坐禅人の知覚に入って来ないのは、
坐禅中の自然な働きであるため、意識に上らないからである。
もし、凡人が思うように、修行と悟りが二つに分かれていれば、
それぞれを修行と悟りに分けて覚知できるはずである。
しかし、もし分けて覚知できれば、それは悟りの法ではない。
修行と悟りは二つでなく、凡夫の迷情によって二つに分けることはできないと修証一如について述べている。
道元の主要な思想「修証一如」は次のように考えれば理解できる。
今、修行を性(悟りの本体=仏性)の用(作用)だと考えよう。
これを馬祖禅の<作用即性>の禅思想にあてはめると修行即性(性=悟りの本体=脳)となる。
「修」を悟りの本体(脳)の作用だと考え、悟りの本体の働きを「証」だと考えよう。
その時、体用思想では「修」即「性」、あるいは「証」即「性」となる。
「修即性」を体用思想の考え方で表すと次の図6のようになる。
図6 修(修行)は本体(性)である健康な脳(仏性)の作用(働き)である。
図6は、
悟りを求めて重ねて行く「修行」は悟りの本体である健康な脳(仏性)の働きや現れであることを表している。
いま、「証(悟り)」を悟りの本体である仏性(健康な脳)の働きであり現れだと考えると、
「証」即「性」だと考えることができる。
「証」即「性」は体用思想の考え方で表すと次の図7のようになる。
図7 「証(悟り)」はを本体である仏性(健康な脳)の働きである。
道元禅師は<修証不二>を主張する。
「修」は修行のことであり、「証」は「悟り」のことである。
常識的には修行した結果として「悟り」を得ることができる。
その意味で「修行」と「悟り」は全く別物である。
それにもかかわらず、<修証不二>とは全く非論理的で理解しがたい言葉である。
しかし、次のように考えれば理解できる。
いま修行を悟りの本体の作用(働き)だと考えると
図6で示したように、「坐禅修行」は悟りの本体である仏性(健康な脳)の働きである。
また「証(悟り)」は、悟りの本体を直覚したり、
悟りの本体の作用(働き)であり現れだと考えることができる。
これを図示したのが図7である。
図6と図7を比べると互いに良く似ている。
即ち、「修(修行)」も「証(悟り)」も
共に、悟りの本体である仏性(健康な脳)の用(働き)であるから、同等のレベルにある。
図6と図7を統一的に表現すると次の図8になる。
図8 道元禅師の「修証不二」の脳科学的表現
図8見ると分かるように、
「修」も「証」も悟りの本体である仏性(健康な脳)の働きであるから、同じレベルにあり不即不離である。
これが道元禅師が言う、「修証不二」や「修証一等」だと考えることができる。
図6、7、8を見ると分かるように、
馬祖道一の<作用即性>の禅思想と道元の<修証不二>の思想の間には密接な関係がある。
道元禅師は、もし、凡人が思うように、修行と悟りが二つに分かれていれば、
それぞれを修行と悟りに分けて覚知できるはずである。
もし分けて覚知できれば、それは悟りの法ではない。
修行と悟りは二つでなく、凡夫の迷情によって二つに分けることはできないのだと修証不二について述べている。
これは「修」も「証」も悟りの本体である仏性(健康な脳)の働きである。
しかしながら、我々は脳内の事象をはっきり見たり、識別することはできない。
坐禅修行が深く進めば、脳内事象である「修」と「証」をはっきり分けることもできなくなるところまで進んで行く
のは当然であろう。
そうなると、益々、この二つをはっきり識別できなくなる。
もし分けて覚知できれば、それは悟りの法ではない。
悟りの法には、凡夫の迷情の心は及ばないからであると言っているのである。
また坐禅の時、主観と客観は、共に坐禅中に悟りの本体(=脳)に入り、出ているのであるが、
自ら(=脳)が受用する世界なので、塵一つ動かさず、かたち一つ壊すものではない。
ここで述べていることは次の図9で表すことができる。
図9 坐禅時には、主観と客観は、共に悟りの本体(=脳)に出入している。
図9を見れば、坐禅の時、主観と客観は、共に悟りの本体(=脳)に出入しているのであるが、
情報が脳内の微小電流として出入しているだけなので、感知できない。
脳内の微小電流を塵一つ動かさず、かたち一つ壊すものではないと表現していると考えることができる。
元のままで変わらないが、順次に広く働きを及ぼして、
広大な仏事や甚深微妙な仏の教化が脳内で密かに行われているのである。
と述べている。このあたりは難解であるが、
感知不能で甚深微妙としか表現できないような脳宇宙の事象を、
広大の仏事、甚深微妙の仏化をなす(広大な仏事や甚深微妙な仏の教化が脳内で密かに行われている)
と表現していると考えれば分かり易い。
この教化の及ぶ草木土地は共に本来の姿になり、本来の働きを充分発揮するのである。
草木牆壁などの無情は、凡聖含霊の有情(衆生)のために広く法を説き、 また有情(衆生)は、草木牆壁などの無情のために法を説くのである。
このように有情(衆生)と無情は互いに仏法を宣揚し互いに影響し合っていると述べている。
この自覚、覚他の坐禅人の境界(本来の面目=仏性)は、
もともと悟りの相を欠けることなく具え、悟りの法を休みなく行っている
と我々が具有する仏性(健康な脳)の働きを述べ、
我々がその存在にに気付くように促している。
原文10
ここをもて、わづかに一人一時の坐禅なりといへども、諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに、
無尽法界のなかに、去来現に、常恒の仏化道事をなすなり。
彼彼ともに一等の同修なり、同証なり。
ただ坐上の修のみにあらず、空をうちてひびきをなすこと、
撞の前後に妙声綿綿たるものなり。
このきはのみにかぎらむや、
百頭みな本面目に本修行をそなへて、はかりはかるべきにあらず。
しるべし、たとひ十方無量恒河沙数の諸仏、ともにちからをはげまして、仏智慧をもて、
一人坐禅の功徳をはかり、しりきはめんとすといふとも、あへてほとりをうることあらじ。
注:
去来現: 過去、未来、現在。
仏化道事(ぶっけどうじ): 仏の教化し導く働き。化導。
彼彼ともに一等の: それらがみな一つであり平等な。
撞の前後に妙声綿綿たるものなり: 鐘を撞木(しゅもく)でつくと
打つ前後で鐘の妙声は綿綿と続いて絶えない。
十方無量恒河沙数の諸仏: 十方の数限りないガンジス河の砂の数ほどの諸仏。
ほとり: 際限。
このことによって、わずか一人の一時の坐禅であっても、
すべてのものと互いに期せずして一致し、すべての時と円満に通じるので、
広大無辺の法界の中で、過去 現在 未来にわたり、常に変わることのない仏の教化をするのである。
誰もが皆共に平等な一つの法を同じく修め、同じく悟るのである。
これはただ坐上の修行だけではない。
空を打って響く鐘の音は、鐘を突く前後に妙音が綿綿として絶えないようなものである。
この坐の時だけに限ることがあろうか。
すべての人が皆、本来の面目の中に本来の修行を具えていることを計り知ることはできないのだ。
知るべきだ、たとえ十方の無数の諸仏が、共に力を励まして、
仏の智慧で一人の坐禅の功徳を量り、知り尽くそうとしても、すべてを知ることは出来ないのだ。
そういうわけだから、わずか一人の一時の坐禅であっても、諸法と互いに期せずして一致し、諸時と円満に通じるので、
広大無辺の法界の中で、過去 現在 未来にわたり、常に変わることのない仏の教化をするのである。
坐禅人は諸法諸時と共に平等な一つの法を同じく修め、同じく悟るのである。
これはただ坐上の修行だけではない。空を打って響く鐘の音は、
鐘を突く前後に妙音が綿綿として絶えることがないように
絶え間なく仏の教化を実践するのである。
ここで「空を打って響く鐘の音」を「自受用三眛」を喩えた言葉だと考えると、
「自受用三眛」の修行は、
あたかも鐘を突く前後に妙音が綿綿として絶えないように、仏の教化を絶え間なく実践する三昧(禅定)である
と「自受用三眛」(坐禅修行修行)を賛美していることが分かる。
これだけに限ることがあろうか。
すべての人が皆、本来の面目(脳)の中に本来の修行を具えているのだが、
仏性は無性なので、そのことを計り知ることはできないのだ。
ここでは「本来の面目である仏性は無性(=無意識)なのでそのことを計り知ることはできない。
悟りの世界は無意識である下層脳中心の脳に基づいているので無性であり、
上層脳(分別智=理知)では計り知ることはできないと述べている解釈できる。
知るべきだ、
たとえ十方の無数の諸仏が、共に力を励まして、仏の智慧で坐禅の無量無辺の功徳を量り、
知り尽くそうとしても、すべてを知ることは出来ない。
このように、坐禅とそれが直結する脳宇宙と坐禅の功徳の無限性・不可測性について述べ、締めくくっている。
参考文献など:
1.道元著 水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫、「正法眼蔵(一)」1992年
2.安谷白雲著、春秋社、正法眼蔵参究 弁道話 1970年
3.玉城康四郎編集、筑摩書房、日本の思想2道元集 1969年
4.(道元禅師 正法眼蔵現代語訳の試み)。