2013年6月1日〜8月30日作成   表示更新:2023年2月5日

従容録:その1: 1〜25則

   
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従容録について



容録(しょうようろく)は、中国宋時代の公案集である。

中国宋時代の万松行秀(1166〜1246)が編集したもので六巻、百則よりなる。

万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録」ともいう。

宏智正覚禅師(1091〜1157)が編集した「宏智禅師頌古百則」を元に、

万松行秀が垂示と著語(部分的短評)、評唱(全体的評釈)を加えたもので、

1223年に成立した。

従容録(しょうようろく)の名称は、万松行秀が居住していた従容庵に由来している。

図1に従容録の文段構造を示す。

この図を見れば分かるように、碧巌録の「垂示」が従容録では「示衆」になっている。

従容録の文段構造は碧巌録と良く似ている。

碧巌録の文段構造を参照)。

従容録は宏智正覚と万松行秀が曹洞宗の禅師であったため、曹洞宗でとくに重視される。

この点、臨済宗で重視される碧巌録と対をなすような公案集と言える。

図1に示すように、「碧巌従容録」は示衆、本則、短評と長評、頌から成る文段構造になっている。

文段構造

図1 従容録の各則の文段構造


ここでは安谷白雲著、「従容録」と高崎直承校注和訳校注「従容録」を参考にし、

合理的科学的立場から「碧巌録」の公案1〜25則を分かり易く解釈・解説したい。



1soku

 第1則 世尊陞座



示衆:

門を閉じ、打睡(だすい)して上上の機を接す。

顧鑑(こかん)頻申(ひんしん)、曲げて中下の為にす。

那んぞ曲碌木上(きょくろくもくじょう)、鬼眼晴(きがんぜい)を弄するに堪えん。

箇の傍らに肯(うけが)わざる底あらば出で来たれ。也(ま)た伊(かれ)を怪しむことを得じ。


注:

顧鑑(こかん):振り返り見ること。

頻申(ひんしん):身体を伸縮するみぶりのこと。

曲碌(きょくろく):自然木を曲げて作った椅子。

鬼眼晴(きがんぜい):悪鬼あるいは死人のような恐ろしい眼つき。



示衆の現代語訳


飛び切り優秀な修行者には門を閉めて昼寝をしながら接してもよいが、

中根下根の修行者には巧みな方便を用いて指導しなければならない。

どうして大きな椅子に座って鬼のような怖い眼をして指導する必要があろうか。

もしそれでは納得できないと言う人がいれば出て来なさい。そんな人がいてもちっともおかしくない。


本則:

世尊一日陞座、文殊白槌して云く、「諦観法王法、法王法如是。

世尊便ち下座。


注:

陞座(しんぞ):高座に登って説法すること。

白槌(びゃくつい):槌を打って大衆に告白すること。

法王法:ブッダの説法。

本則の現代語訳:

ある日、ブッダは説法の座に上った。

すると文殊菩薩が槌をカチーンと打って、言った、

法王の法を明らかに観ると、このようなものだ

するとブッダはサッと下座した。


頌:

一段の真風見るや也た麼しや。綿々として化母(けも)、機梭(きさ)を理(おさ)む。

織り成す古錦(こきん)、春象(しゅんしょう)を含む。

東君の漏洩(ろえい)を奈何(いかん)ともすること無し。


注:

真風:世尊陞座の真風。

化母(けも):造化の主。仏教では一心だとする。

機梭(きさ):機はハタ織道具。梭(ヒ)はオサ。

東君(とうくん):春の神。ここでは文殊の白槌をさす。


頌の現代語訳


ブッダの説法の真意が見えただろうか。それは造化の神が機(はた)を織っているようなものだ。

造化の神が機(はた)を織って紡ぎだす真理の古錦は春の景色のようだ。

それは春の女神が一年中春の景色を織り続け、

もらし通しているようなものでどうすることもできない。



解釈とコメント



本則は「碧巌録」92則と全く同じである。

「碧巌録」92則を参照)。



2soku

 第2則 達磨廓然


示衆:

卞和三献(べんかさんこん)、未だ刑に遭うことを免れず。

夜光人に投ず、剣を按ぜざる鮮(すくな)し。

卒客(そっかく)に卒主(そっしゅ)無し。假に宜しうして真に宜しからず。

差珍異宝(さちんいほう)、用不著(ようふじゃく)ならば。

死猫児頭(しみょうにとう)、拈出す見よ。


注:

卞和三献(べんかさんこん):卞和(べんか)という人が玉を得て、楚の霊王に献じた。

しかし、霊王は偽物を献じたといって足を切った。 

武王が即位した時に卞和(べんか)はまたこれを献じた。

しかし、偽物を献じたといってまた足を切られた。

文王の代になって卞和は玉を抱いて泣いていた。

文王が召してそのわけを聞くと、

卞和は「足を切られたのは恨まないが、真石を凡石となし忠義を欺瞞とされたことを恨んでいます

と云った。

文王がその石を磨かせてみたら立派な真玉になったという故事のこと。

夜光人に投ず、剣を按ぜざる鮮(すくな)し:夜光る玉を人に投げるとそれを怪しいものと間違えて、

剣に手をかけない人は少ない。

達磨も武帝のような分からず屋にあっては何ともいたしかたない。

卒客に卒主無し:にわかに来た客(達磨)に対し

武帝は彼を気軽に接待する主人(卒主)になれなかった。

差珍異宝(さちんいほう):珍しい宝物。

死猫児頭(しみょうにとう):死んだ猫の頭。 

差珍異宝(さちんいほう)用不著(ようふじゃく):

せっかく珍しい宝物を出してもそれを用いることができないこと。

差珍異宝(さちんいほう)用不著(ようふじゃく)。死猫児頭(しみょうにとう)拈出す見よ。:

せっかく珍しい宝物を出してもそれを用いることができない。

そうなら死猫児頭(しみょうにとう)を出すので見よ。


示衆の現代語訳


昔、卞和は璞を三度献上して三度目にその真価を分かる王に

出会うことができたと伝えられている。

達磨が武帝に会っても武帝はその真価を理解することができなかったのは

卞和三献の故事に似ている。

また夜光る玉を人に投げると、怪しいものだと間違えられて剣を抜いて切りつけられる。

達磨も武帝のような分からず屋に会っては仕方がない。

達磨はにわかに来た客だったが、武帝はそれをもてなすことができる主人ではなかった。

武帝はうわべを取り繕って真実を逃がしてしまった。

せっかく、珍しい宝物を出しても分からないならば死んだ猫の頭でも出してやろうか。


本則:


梁の武帝達磨大師に問う、「如何なるか是れ聖諦第一義?」

磨云く、「廓然無聖」。

帝云く、「朕に対する者は誰そ?」

磨云く、「不識」。

帝契はず。遂に江を渡って少林に至って、面壁九年。



注:

聖諦第一義:仏法の本質、真髄。 

江:揚子江。

少林:魏の嵩山少林寺。


本則の現代語訳:

梁の武帝が達磨に尋ねた、「仏法の根本義はどのようなものですか?」

達磨は云った、「からりと晴れ渡った空のように「聖」も何も無いわい」。

武帝は云った、「朕に向かいそのようなことを言っているお前は一体何者だ?」

達磨は云った、「そんなことは識(し)らん」。

武帝は達磨の言っていることを理解することができなかった。

達磨は遂に揚子江を渡って少林寺に入って、九年間面壁して坐禅をした。


頌:


廓然無聖、来機逕庭。得(とく)は鼻を犯すに非ずして斤を揮(ふる)い、

失は頭を廻らさずして甑(そう)を堕(おと)す。

寥寥(りょうりょう)として少林に冷坐し、黙々として正令(しょうれい)を全提す。

秋清うして月霜林を転じ、河淡(あわ)うして斗夜柄(やへい)を垂(た)る。

縄縄(じょうじょう)として衣鉢(えはつ)児孫に付す。此(これ)より人天薬病(やくへい)と成る。


注:

廓然無聖(かくねんむしょう):からりと晴れ渡った空のように聖も何も無い。

来機:来たって法を聞く人。武帝をさす。

来機逕庭(らいきけいてい):武帝と達磨の境涯には大きなへだたりがある。

鼻を犯すに非ずして斤を揮い:昔、斧使いの名人が斧を振るって

他人の鼻先についている泥を風をきって取り去った。

泥だけが取れて鼻には少しも傷がつかなかっという。

頭を廻らさずして甑を堕す:孟敏という人が太原にいた時、

甑という陶器の蒸し釜をかついで行く途中、誤って後ろに落とした。

その時、蒸し釜の割れた音を聞いたが後を振り向かずに行ってしまったという故事に基づく。

得は鼻を犯すに非ずして斤を揮い、失は頭を廻らさずして甑を堕す:

達磨は斧使いの名人が斧を振るって

鼻先についている泥だけを取ることができるような名人であった。

しかし、武帝に対しては失敗をした。

失敗を失敗であると知って、さっさと後を見ずに去ったところは

得失がありながら得失を超越している。

寥寥(りょうりょう)として:さびしいこと。

寥寥として少林に冷坐し:一人さびしく少林寺に坐禅して分別妄想をの熱を捨てきって冷坐した。

正令(しょうれい):真実の仏法の大号令。

全提(ぜんてい)す:完全に実現している。

黙々として正令を全提す:黙々と坐禅に専念し真実の仏法を宣伝し完全に実現した。

叢林(そうりん):もともとは樹木が叢がっている静かな林という意味。禅の修行道場。

秋清うして月霜林(そうりん)を転じ:達磨の面壁9年は、

月が清らかな秋の空に輝くように、汚れは微塵ほども付いていない。

そして任運堂々の活三昧はあたかも月が空を行くようだ。

河:天の川。銀河。

斗:北斗七星。

斗夜柄を垂る:北斗七星の柄が垂れて地上に近づく。

北斗七星の柄については碧巌録28則の頌を参照(「碧巌録」28則の頌を参照)。

河淡うして斗夜柄を垂る:月の光が輝くと天の川の光も淡く見えるように、

仏臭さや悟り臭さが少しも無い。 

そのように、二元対立の天の川の光が淡くなれば、

北斗七星の柄は地上に垂れたように地上に近づいて、本来の自己に目覚める。

縄縄として衣鉢児孫に付す:連綿と相続して

正伝の仏法が今日まで伝わっているのは達磨大師のお陰だ。

薬病(やくへい)と成る:達磨が伝えた正伝の仏法は人間の心の病を治す薬であるが、

その薬の副作用によって病気(悟り病)にかかることもあるから気を付けなければならない。

此(これ)より人天薬病と成る:達磨が伝えた正伝の仏法はこれより人間界と天上界の薬となった。

しかし、それは薬になるとともに病の原因ともなる。

その薬の副作用によって病気(悟り病)にかかることもあるから気を付けなければならない。


「頌」の現代語訳

からりと晴れ渡った空のように「聖」も何も無い」と言った達磨の境地と

武帝の境地は大いに隔たっている。

達磨は斧を振るって鼻先についている泥だけを取ることができるような名人である。

しかし、武帝に興味を持ってもらえなかったので、さっさと去ってしまった。

彼は一人さびしく少林寺に坐禅して分別妄想の熱を捨てきって冷坐した。

彼は黙々と九年間面壁して坐禅に専念し真実の仏法を悟りそれを宣伝し完全に実現した。

達磨の面壁9年は、清らかな秋の空のように、汚れは微塵ほども付いていない。

そして任運堂々の活三昧はあたかも月が空を行くようだ。

月の光が輝くと天の川の光も淡く見えるように、達磨の禅には仏臭さや悟り臭さは少しも無い。

月の光が輝くと二元対立の天の川の光のような分別意識が淡くなり、

北斗七星の柄は地上に垂れて、本来の自己に目覚める。

正伝の仏法が連綿と相続して今日まで伝わっているのは達磨大師のお陰だ。

達磨が伝えた正伝の仏法はこれより人間界と天上界の薬となった。

しかし、薬になるとともに病の原因ともなる。

その薬の副作用によって病気(悟り病)にかかることもあるから気を付けなければならない。



解釈とコメント




本則は「碧巌録」の第1則と殆ど同じである。

「碧巌録」の場合、問答の後半から宝誌が出て来るが、本則には宝誌は登場しない。

本則と「碧巌録」第1則を比較すると従容録第二則の方が簡潔であり、

本来のものであると考えることができる。

「碧巌録」第1則は従容録第二則に宝誌を登場させ、武帝と対話させることで複雑化している。

「碧巌録」第1則を参照)。

達磨と武帝の問答は以下のようである。



達磨と武帝の問答



  武帝「私はこれまでに多くの寺を建て、写経をし

たくさんの僧や尼僧にお布施をしてきたことは数えきれないほどです

  それにはどんな功徳があるのでしょうか

武帝が発したこの問いには

自分が多くの寺を建て、仏像を造り、写経をし、たくさんの僧や尼僧にお布施をしてきた功績に対して、

インドの高僧である達磨大師に「それは素晴らしい!」と大いに褒め讃えられ、

認められたいとの願いが潜んでいるように思われる。

どうです。私がしてきたことは素晴らしいでしょうと

自分を誇る驕りの気持ちが武帝の表情にも現れていたことも考えられる。

しかし、この問に対し、達磨は「無功徳!」と答える。

この答えは武帝の心を裏切る」ものだった。

「無功徳!」という達磨の答えに納得できない武帝はさらに問いかける。

これだけ朕(チン)は仏法のためにつくしてきたのに、どうして功徳が無いというのですか?」  

この問答には「武帝が多くの寺を建て、仏像を造り、写経をし、

たくさんの僧や尼僧にお布施をしてきた功績に対して、

達磨大師に「それは素晴らしい!」と褒め讃えられ、

認められたいとの願いが潜んでいるように思われる。

武帝は多くの寺を建て、仏像を造り、写経をし、

  多くの僧や尼僧にお布施をしてきたことに対しても無功徳と言われたことに

どうしても納得できなかったので、達磨に問いかける。

武帝「朕はこれだけ仏法のために尽くして来たのにどうして功徳が無いと言うのですか?」

達磨「それはただ人天の小果であり、煩悩の原因となるものに過ぎません

形に随う影のように、有るといっても実のあるものではありません。」

武帝は達磨が言っていることがよく分からないので再び問いかける。

武帝「では、どのようなものが、真の功徳といえるものですか?」

達磨「浄智円妙、体おのずから空寂です

このような功徳は世上に求められるものではありません。」

武帝は質問を変える。

武帝「では聖諦第一義とはどのようなものですか?」

達磨「廓然無聖(かくねんむしょう)」

武帝はますます分からなくなり、質問する。

朕に対する者は誰ぞ?」

武帝のこの質問には、「皇帝である朕に向かって偉そうなことを言っているお前は一体何者だ

という上下関係を意識した底意が隠されている。

この武帝の言葉には俺は皇帝で、お前のような乞食坊主が寄り付けないほど偉いんだぞ

という驕りが感じられる。

これに答える達磨の言葉「そんなことは識(し)らん(不識)」には

お前さんが皇帝か国王であるか知らんが、そんな世俗の身分は

ここで話し合っている仏教の本質と何ら関係ない。

それは世俗のつまらん価値だ。そんなものをここに持ち出すな!

この俗物め!」という響きがある。 

結局、現世利益を求める武帝の心と俗物根性に失望した達磨は梁を去り、

嵩山の少林寺で面壁9年の修行をして禅を広めた結果中国禅の初祖となるのである。 




3soku

 第3則   東印請祖


示衆:

劫前未兆(こうぜんみちょう)の機、烏亀(うき)火に向かう。

教外別伝(きょうげべつでん)の一句、碓嘴(たいし)花を生ず。

且(しば)らく道(い)え。還って受持読誦(どくじゅ)の分ありや也(ま)た無しや。


注:

劫前未兆(こうぜんみちょう)の機:心に思慮分別が少しも起こらない状態を言い表す言葉。

父母未生以前という言葉と同じ。

烏亀(うき):めくらの亀(下層脳=爬虫類の脳)。一切が見えない真の解脱人の喩え。

烏亀火に向かう:一切が見えない下層脳が活性化した真の解脱人は

火の中でも恐れずに自由に入ることができる。

下層脳が活性化した真の解脱人は火の中のような所にも自由に入ることができる。

碓嘴(たいし):石臼のくちばし。ありえない不思議なものの喩え。

還って受持読誦の分ありや也た無しや。:本当の経典を受持読誦するとは

どのようなことか分かるだろうか?


示衆の現代語訳

父母未生以前の本来の面目の働きは

めくらの亀(下層脳が活性化した脳を持つ人)のように一切が見えない真の解脱人である。

教外別伝の一句は石臼の取り手に花が生咲くような不思議な神通妙用ができるようになる。

実をいえば、我々は誰でも皆朝から晩まで悟りの世界に入って

読経三昧しているようなものだが、凡夫はそれを知らないだけだ。

それが分からなければ仕方がない。次の例を挙げるから、参究しなさい。


本則:


東印度の国王二十七祖般若多羅を請して斎す。

王問うて日く、「何ぞ看経せざる?」

祖云く、「貧道入息陰界に居せず。出息衆縁に渉らず。常に如是の経を転ずること百千万億巻


注:

東印度の国王:スリランカの国王。

二十七祖般若多羅:ンドにおける第1代摩訶迦葉尊者から数えて27番目

の禅の祖師とされる般若多羅尊者。達磨大師の師匠とされる。

西天28祖の伝説を参照)。

貧道:般若多羅尊者は国王に対し、自分のことを謙遜して「貧道」と言っている。

陰界:五蘊、十二処、十八界のこと。主観の全部と客観の全部

十八界については「禅と脳科学:その2」図2.9を参照。

「禅と脳科学:その2」図2.9を参照)。

衆縁:すべての存在。

如是の経:すべてこの通りだという活きたお経。


本則の現代語訳:


東印度の国王が二十七祖般若多羅尊者を招待して食事を供養した。

そんな時にはいつも説法をしお経を読んでいた。

しかし、この時は説法も読経もしないで帰ろうとした。

そこで国王は聞いた、

どうして読経をしないのですか?」

般若多羅尊者は云った、

私は十八界にも居ませんし、あらゆる妄想の世界にも関係ありません

自己本来の先天性のままに如是の経を転じて生きているのです



頌:


雲犀(うんさい)月を玩(もてあそ)んで燦として輝(ひかり)を含む。

木馬春に遊んで駿(しゅん)として羈(ほだ)されず。

眉底一双碧眼寒し。看経(かんきん)那(な)んぞ牛皮を透るに到らん。

明白の心は曠劫(こうごう)を超え、英雄の力重囲を破る。

妙円の枢口(すうく)霊機を転ず。

寒山来時の路を忘却すれば、拾得(じっとく)相将(ひき)いて手を携えて帰る。


注:

雲犀(うんさい):水牛の形をした雲。

雲犀月を玩んで:水牛の形をした雲が月を玩んでいるように見えて、

木馬:すぐれた馬。駿馬。

眉底一双:左右の眉の下の眼。

眉底一双碧眼寒し:眉の下の青い眼が涼しく冴えている。

看経(かんきん)那(な)んぞ牛皮を透るに到らん:どうして牛皮に穴があくほど

お経を読む必要があるだろうか。

明白の心:大悟徹底した本心。

曠劫(こうごう):無限の時間。

明白の心は曠劫(こうごう)を超え:大悟徹底した本心は時間を超えて、

英雄の力重囲を破る:大悟徹底した人は煩悩妄想の重囲を破ることができる。

妙円の:まんまるの、

枢口(すうく):車の軸がはまる穴。

妙円の枢口霊機を転ず:

車軸がはまる丸い穴は車軸をくるくる回転してすばらしい働きをしている。

寒山:文殊菩薩。絶対平等の悟りの智慧をなぞらえている。

拾得:普賢菩薩。衆生救済の慈悲の心をなぞらえている。

寒山来時の路を忘却すれば、拾得相将(ひき)いて手を携えて帰る:

文殊の知恵と普賢の慈悲を円満に備えている。

般若多羅尊者の境涯を詠っている。


頌の現代語訳:


無分別智の活作用は水牛の形をした雲が月を弄んでいるように輝き、

自然にのびのびと生活している駿馬のように自由にはたらく。

大悟徹底した本心は時間を超え、煩悩妄想の重囲を破ることができる。

車軸がはまる丸い穴は車軸をくるくる回転して

すばらしい働きをするように心は自由自在に働く。

般若多羅尊者は文殊の知恵と普賢の慈悲を円満に備えて

衆生救済に自由自在の活動をしている。



解釈とコメント



本則は西天27祖般若多羅尊者の境涯に関する公案である。

般若多羅尊者は達磨大師の師匠とされる。

原始仏典を読むと禅定(坐禅)は37道品の基礎となる修行法である。

37道品を参照)。

仏教では戒、定、慧の三学が修道論の基礎である。

このように仏教では伝統的に禅定(坐禅)は重視され基本的修行法となっている。

しかし、ゴータマ・ブッダの原始仏教以来、インドにおいて、

禅的思考や表現は殆ど見られないし、禅宗のようなものがあったとは考えられない。

禅が取り入れた「仏性」思想も原始仏教には見られない。

「仏性」思想は紀元後、中期大乗仏教になって初めて出てきた思想である。

「如来蔵思想と仏性」を参照)。

このことからも、

筆者にはインド仏教において摩訶迦葉を初祖とする禅の28伝があったとは思われない。

筆者はブッダに始まり、摩訶迦葉を初祖とする禅の28伝は怪しいと思っている。

それは禅をブッダ以来の仏教として位置づけ、権威づけるための神話でないだろうか。

(禅の思想:その1を参照)(西天28祖の伝説を参照)。

禅は仏教、特に大乗仏教と関係深い。

中国思想を取り入れ中国で独自に発達した大乗仏教の一派であると考えることもできるかも知れない。

本則は馬祖禅の日用即妙用や<作用即性>の思想によって説明できる。

馬祖禅の思想を参照)。

般若多羅尊者は招待されて食事を供養されると、いつも説法をし、お経を読んでいた。

しかし、この時は説法も読経もしないで帰ろうとした。その無心で自然な振る舞いは


悟りの本体である真の自己(仏性=脳)の作用(働き)である。


般若多羅尊者の無心で自然な振舞いは<作用即性>の悟りの現れである。

禅の本質は説法や経典読誦にはない。

般若多羅尊者の

私は自己本来の先天性のままに如是の経を転じて生きているのです

という言葉には

そのような無心で自然な振る舞いに真の自己(仏性=健康な脳)の作用(働き)が現れている

と言っているのである。



4soku

 第4則  世尊指地 


示衆:

一塵纔(わず)かに挙ぐれば大地全く収まる。

疋馬単槍(ひっぱたんそう)、彊(きょう)を開き土を展ぶることは、

処に随って主と作り、縁に遇うて宗に即する底なるべし。

是れ甚麼人(なんびと)ぞ。


注:

晴天白日:

一塵纔(わず)かに挙ぐれば:万法一に帰すれば。

一塵纔かに挙ぐれば大地全く収まる:万法一に帰すところの

本来の面目を悟れれば、迷いの夢が収まる。

疋馬:一匹の馬。

帝釈天(たいしゃくてん):天界の最高位に住む仏法守護の主神。

対で祀られている梵天(ぼんてん)とともに仏教の二大護法神とされる。

もとは古代インド神話の英雄神・インドラと考えられている。

疋馬単槍:一匹の馬に乗り、一本の槍を持つように、純一無雑に修行に集中すれば。

彊を開き土を展ぶることは、処に随って主と作り:辺境を開発し、

領土を拡大させるように、豁然大悟して主体性を発揮し、

縁に遇うて宗に即する底なるべし:順縁逆縁、

どんな状況に出会っても宇宙大の生活ができるようになる。


示衆の現代語訳

万法一に帰すところの本来の面目を悟れば、迷いの夢が収まる。

一匹の馬に乗り、一本の槍を持つように、純一無雑に修行に集中すれば、

辺境を開発し、領土を拡大することができるように、

豁然大悟して主体性を発揮し、宇宙大の生活ができるようになるだろう。

それはどんな人だろうか。


本則:


世尊衆とともに行く次いで、手を以て地を指して云く、

此の処宜しく梵刹を建つべし」。

帝釈一茎草(きょうそう)を将って地上に挿して云く、

梵刹(ぼんせつ)を建つること已に竟(おわ)んぬ」。

世尊微笑す。


注:

梵刹(ぼんせつ):お寺。説法教化の道場。


本則の現代語訳:


ブッダは弟子達と一緒に行く途中、手で大地を指して云った、

ここは説法教化の道場を建てるに良い処だなあ」。

その時、帝釈天が一茎の草を地上に挿して云った、

この通りお寺が完全に建ちましたよ」。

ブッダはニッコリ微笑んだ。


頌:


百草頭上無辺の春。手に信(まか)せ拈(ねん)じ来って用ひ得て親し。

丈六の金身(こんしん)功徳聚(くどくじゅ)。

等閑に手を携(たずさ)えて紅塵(こうじん)に入る。

塵中(じんちゅう)能く主と作る。化外(けがい)自ら来賓。

触処(そくしょ)生涯、分に随って足る。

未だ嫌はず伎倆の人に如かざることを。


注:

百草頭:森羅万象の姿。馬祖門下の居士ホウ蘊(ほうおん、?〜808)に

明明百草頭、明明祖師意」という言葉がある。

百草頭上無辺の春:森羅万象の姿に限りない常世の春が現れている。

手に信(まか)せ拈(ねん)じ来って用い得て親し:

帝釈天は一茎の草を地上に挿して説法教化の道場をうまく建ててしまった。

丈六の金身功徳聚、:説法教化の道場にいる主人公は自己本来の面目(真の自己)である。

それは広大無辺な功徳を集めた丈六の金身仏と言っても良いものだ。

等閑に:無造作に、

紅塵:色声香味触法の六塵(六境)。

等閑に手を携(たずさ)えて紅塵に入る:無造作に六境六塵(色声香味触法)の世界に入る。

塵中能く主と作る:六境六塵(色声香味触法)の世界に入っても

環境の奴隷にならずその主人公になる。

化外(けがい)自ら来賓(らいひん):帝釈天はブッダの教化の範囲外にいるから来賓である。

そのように本来の自己に目覚めない人は皆ブッダの教化の範囲外の人と言える。

触処(そくしょ)生涯、分に随って足る:生きて触れる処は

どこも安住の処であり不足なところはない。

未だ嫌はず伎倆の人に如かざることを:自分が宇宙第一等の存在である

ことが分かれば伎倆の人と比較して、彼に及ばないと嘆くことはないのだ。


頌の現代語訳:


目前の森羅万象の姿に限りない常世の春が現れている。

帝釈天は一茎の草を地上に挿して説法教化の道場をうまく建てたが、

その道場の中にいる主人公は広大無辺な功徳を集めた

丈六の金身仏にも等しい自己本来の面目(真の自己)である。

普段我々は無造作に六境六塵(色声香味触法)の世界に入って生活しているが、

六境六塵(色声香味触法)の世界に入っても

環境の奴隷にならずその主人公にならねばならない。

帝釈天のようにブッダの教化の外にいる来賓になってはだめだ。

我々が生きて触れる生活の場所はどこも安住の処であり不足なところはない。

真の自己に目覚めて自分が宇宙第一等の存在であることが

分かれば伎倆の人と比較して、及ばないと嘆くことはないのだ。



解釈とコメント


地上の草木など森羅万象は真理の本体(=)の働きでありその現れであるという

理事無礙法界観がある。

帝釈天が地上に挿したありふれた一茎の草(現象=事)も

根本真理(=)の働きとその現れであり、

何処でも仏法の真理を説き、修行道場となりうると考えることができる。

そのように考えると、本則は理即事の思想や理事無礙法界観でよく説明できる公案である。

碧巌録50則の理事無礙法界観を参照)。

しかし、理即事の思想や理事無礙法界観は

中国で華厳経の研究によって成立発展した華厳宗や華厳思想

の影響を受けて唐代以降に成立した中国の思想である。

紀元前に生きたゴータマ・ブッダがそのような中国的な思想を持っていたとは到底考えられない。

この公案はそのような華厳思想の影響を受けて中国で創作されたものだと考えられる。

ブッダが生きた時代は中国唐代(618年 - 907年)よりはるか昔である。

ブッダが生きた原始仏教時代にこのような会話があったとは到底考えられない。


古い原始仏典には本則に出てくるような中国的な思想や禅問答的会話は見られないからである。


ヒンズー教の神である帝釈天(インドラ神)が出てきて

ブッダと話すのもなんとなく場違いな印象を受ける。



5soku

 第5則  青原米価 


示衆:

闍提(しゃだい)肉を割きて親に供ずるも、孝子の伝に入らず。

調達(ちょうだつ)山を推して仏を圧するも、豈に忽雷(こつらい)の鳴るを怕れんや。

荊棘林(けいきょくりん)を過得し、栴檀林(せんだんりん)を斫倒(しゃくとう)して、

直きに年窮歳尽(ねんきゅうさいじん)を待て。

旧(ふる)きに依って孟春(もうしゅん)猶(な)お寒し。

仏の法身甚麼(いずれ)の処にか在る。


注:

闍提(しゃだい):大報恩経に出る闍提太子。

自分の肉を割いて、両親の飢えをしのがせた親孝行の人。

調達(ちょうだつ):デーバダッタ。阿難の兄でブッダの従兄弟。

仏弟子になったがブッダを殺害しようとしたと伝えられる。

仏身から血を出した五逆罪を犯したとされる。

忽雷(こつらい):五逆罪を犯した人は忽ち雷に打たれて身を裂かれると言う。

荊棘林(けいきょくりん):妄想分別。凡夫のはからい。

栴檀林(せんだんりん):香木ばかりの林。妄想分別を透過した大悟徹底のところ。

栴檀林を斫倒(しゃくとう)して:香木のような悟りにも執着せず、切り倒して。

年窮歳尽を待て:ぎりぎりのところに押し詰まって追い込まれる時、

そこを大死一番し突破しなければならない。

孟春(もうしゅん):春の初め。

孟春猶お寒し:春の初めはまだ寒い。

仏の法身甚麼(いずれ)の処にか在る:仏の法身はどこにあるのだろうか。

ただ見失っているだけで坐禅しているこの身こにあるではないか。


示衆の現代語訳


闍提(しゃだい)は自分の肉を割いて、

両親の飢えをしのがせた親孝行の人だが孝子の伝に入らない。

調達(デーバダッタ)は仏身から血を出した五逆罪を犯した悪人だから

地獄に落ちるのが当たり前だがそれを恐れなかった。

我々は闍提(しゃだい)は親孝行の人だから、善人、

調達(デーバダッタ)は五逆罪を犯した悪人だと決めつける

善悪、苦楽の二元対立の世界に生きている。

しかし、禅の第一義門の立場からみれば、

そのような善悪、苦楽の二元対立の世界は第二義門の世界に過ぎない。

初心の間は善の道なら善の道、孝の道なら孝の道に叶うように、

地道に努力していけばだんだんそれに同化していって二元対立の世界が頭に上がらなくなる。

本当に同化すれば地獄も極楽も超越する。

しかし、我執があるうちはどうしても徹底することができない。

妄想分別を透過し、香木のような悟りにも執着せず、

切り倒し乗り越えて行けば、最後にぎりぎりのところに追いつめられる。

そこを大死一番し突破しなければ悟りの世界に到達できないだろう。

春の初めはまだ寒い。仏の法身はどこにあるのだろうか?

衆生本来仏である。

我々はそれを見失っているだけである。

ただそのことに気付けば法身は坐禅しているこの身にあるではないか。


本則:


僧青原に問う、「如何なるか是れ仏法の大意?」。

原云く、「盧陵の米作麼の価ぞ」。


注:

青原:青原山静居寺にいた青原行思(?〜740)。

六祖慧能の法嗣。青原行思は曹洞宗の源流に位置する禅師である。

盧陵:地名。米の名産地。

仏法の大意:仏法の究極のところ。

作麼(そも)の価:どれほどの値段。


本則の現代語訳:

僧が青原に聞いた、

仏法の究極のところとはどのようなものでしょうか?」。

青原は云った、

盧陵の米価はどれくらいするかな」。



頌:

太平の治業に象無し。野老の家風至淳なり。

只管村歌社飲す。那んぞ舜徳堯仁を知らん。


注:

太平の治業に象無し:本当に天下泰平の時には、天下泰平ということに気付かない。

野老:田舎親爺。ここでは青原行思禅師を指す。

野老の家風至淳なり:田舎親爺は飾り気がなく純朴淳粋で仏境界に近い。

迷いも悟りも何も持っていない青原行思禅師の悟りの世界になぞらえている。

只管:ひたすら。

村歌社飲す:田舎のお祭りで皆が一杯飲んで、上機嫌で歌う。

那んぞ舜徳堯仁を知らん:舜も堯も古代中国の聖天子。

堯舜は仁政を施し、徳政を行って天下を治めたため、並び称されている名天子。

堯舜の仁政・徳政すらも国民は意識しなかった。

恩恵があまりにも広大だから太陽の恩恵に気付かないようなものである。

それと同じで、悟りが人格と同化し、

生活の中に溶け込んでしまうと、悟りらしいものを感じなくなる。

堯舜の仁政にことよせて、青原行思禅師の悟りの世界を詠っている。



頌の現代語訳:

本当に天下泰平の時には、天下泰平ということに気付かない。

迷いも悟りも何も持っていない青原行思禅師の悟りの境涯は

田舎親爺のようには飾り気がなく純朴淳粋である。

田舎のお祭りで皆が一杯飲んで、上機嫌で歌っているようなものだ。

昔、堯舜の時代、彼等の仁政・徳政を人々は意識しなかった。

恩恵があまりにも広大だったからである。

それと同じで、悟りが人格と同化し、生活の中に溶け込んでしまうと、

悟りらしいものを感じなくなる。

それが青原行思禅師の悟りの世界だと言えるだろう。


解釈とコメント


本則では僧が青原に、「仏法の究極のところとはどのようなものでしょうか?」と聞くと、

青原は、「盧陵の米価はどれくらいするかな」と答える。

このような、仏性(本来の面目=脳)の活作用(活きた働き)の中に仏法の究極が現れている

と言っていると考えることができるだろう。

本則は「無門関」18則の「洞山三斤」の公案と似たところがある。

「無門関」18則を参照)。



登場人物から見た碧巌録と従容録の比較 


第1則から第5則までの登場人物を比較すると碧巌録と従容録の特徴が見えてくる。

表1に碧巌録と従容録の第1則から第5則までの登場人物を比較する。

 表1 登場人物から見た碧巌録と従容録の比較

本則 碧巌録の登場人物 従容録 の登場人物
第一則菩提達磨世尊(ブッダ)
第二則趙州従シン菩提達磨 
第三則馬祖道一般若多羅尊者(西天27祖)
第四則 徳山宣鑑とイ山霊祐 世尊(ブッダ)
第五則雪峰義存青原行思
第六則雲門文偃馬祖道一や百丈懐海達

碧巌録では中国禅の初祖菩提達磨が第一則に登場するが

それ以降は趙州従シン、馬祖道一、徳山宣鑑、イ山霊祐、雪峰義存

と中国禅の祖師達が主役として登場し活躍する。

世尊(ブッダ)は後半の第92則に登場するだけである。

これに対し、従容録では第一則と第四則に世尊(ブッダ)が登場している。

従容録では中国禅の初祖菩提達磨は第二則に登場し、

達磨の師とされる西天27祖の般若多羅が第三則に登場しているのが注目される。

碧巌録では中国禅の祖師達を中心に置いているという印象が強い。

それに対し、従容録では世尊(ブッダ)→・・・→般若多羅尊者(西天第27祖)

→菩提達磨(西天第28祖)と

禅は仏教の開祖であるインドのブッダから始まり、継承されてきたものと考え、

禅の系譜を重視し、主張している。

第一則〜第五則まではその系譜を考慮に入れて、編集された印象を受ける。



以上の考察より、

従容録は禅の法系や系譜を重視する点で中国的であると言えるだろう。

碧巌録は臨済宗が重視する公案集である。

これに対し、従容録の著者である宏智正覚と万松行秀はともに曹洞宗の禅師である。

このため、従容録は曹洞宗で重視されている公案集である。

碧巌録を臨済宗に、従容録を曹洞宗に置き換えて考えると、

次のように言えるだろう。

臨済宗でも菩提達磨に始まる中国禅の系譜を重視することは当然であるが

祖師達が活躍する祖師禅という印象が強い。

これに対し、曹洞宗は仏教の開祖であるインドのブッダから始まり、

摩訶迦葉・・・→西天28祖(菩提達磨)を経て、

菩提達磨が中国に禅をもたらしたとする伝説を踏まえ、禅の系譜を重視している。

しかし、インドの原始仏教から大乗仏教→密教への変容と展開の歴史は

明治時代以降の仏教研究によってはっきりしている。

明治以降導入発展した合理的で客観的な仏教学の観点から見ると、禅問答に見られるような

禅的思想がインドのゴータマ・ブッダに始まる』とっ考えたり主張することは難しい

のは事実であろう。

しかし、

禅が成仏(悟りを開き仏になること)を目指す点、仏教と密接な関係があることは確かである。


禅は禅仏教と言われるように、

ブッダに始まる仏教と密接な関係があることは否定できない事実である。

西天28祖の伝説を参照)。



6soku

 第6則  馬祖白黒  


示衆:

口を開き得ざる時、無舌の人語ることを解す。

脚を抬(もた)げ起さざる処、無足の人行くことを解す。

若し也(ま)た他(かれ)の殻中に落ちて、句下に死在せば、豈(あ)に自由の分有らんや。

四山相逼(あいせま)る時、如何が透達(とうだつ)せん。 


注:

口を開き得ざる時、無舌の人語ることを解す:健康な時には、

口を開いたかどうかを意識しない人(脳)が働いてしゃべっている。

脚を抬(もた)げ起さざる処、無足の人行くことを解す:健康な時には、

足を動かしているかどうかを意識しない人(脳)が働いて歩いている。

以上の2句は、我々が口で喋ったり足を動かして歩く時、

無舌無足の人(=脳)が働いてしゃべったり歩いたりしているという事実を言っている。

殻(こう):矢ごろ。矢を弦につがえ張って矢を射るに都合の良い頃合い。

殻(こう)中:矢ごろの時。

他(かれ)の殻中に落ちて:彼の術中に落ちて、

句下に死在せば:こちらの言葉の表面に引っかかって釣り込まれれば、

四山:生老病死。

四山相逼(せま)る時:生老病死の苦しみが迫る時。

ここでは僧が「四句を離れ百非を絶して・・・」と難問を突き付けて来た時、

透達:束縛を透りぬけて自由を得ること。


示衆の現代語訳

健康な時には、口を開いたかどうかを意識しないでしゃべっているし、

足を動かしているかどうかを意識しないで歩いている。

これは全て無舌、無足の人である真の自己(=脳)の働きから来ている。

もし、相手がこちらの言葉の表面に引っかかって釣り込まれれば自由を失ってしまうだろう。

難問を突き付けられた時、

どうしたらその束縛を透りぬけて自由を得ることができるだろうか?

その実例を挙げるから参究しなさい。


本則:


僧馬大師に問う、「四句を離れ百非を絶して、請ふ師某甲に西来意を直指せよ」。

大師云く、「我今日労倦す、汝が為に説くこと能はず、智蔵に問取し去れ」。

僧蔵に問う。蔵云く、「何ぞ和尚に問わざる?」。

僧云く、「和尚来たって問わしむ」。

蔵云く、「我今日頭痛す、汝が為に説くこと能わず、海兄に問取し去れ」。

僧海に問う。海云く、「我這裏に到りて却って不会」。僧大師に挙示す。

大師云く、「蔵頭白、海兄黒」。


注:

四句、百非:四句と百非の論理。

無門関25則「三座説法」を参照)。

馬大師:馬祖道一禅師(709〜788)。唐代の禅者。洪州宗の始祖。百丈慧海の法嗣。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一

西来意:祖師西来意。達磨大師がインドから中国に来た意味。禅の究極のところ。

智蔵:西堂智蔵(735〜814)。馬祖の法嗣。

海兄:百丈懐海(749〜814)。馬祖の法嗣。


本則の現代語訳:


ある時、僧が馬祖大師に尋ねた、

すべての理論や四句論理を離れて、私に 禅の究極のところ(西来意)を示して下さい」。

馬祖は言った、

私は今日は、ぐったりとくたびれているのでだめだ。智蔵のところに行って聞いてくれ」。

僧は、智蔵のところに行って尋ねた。

智蔵は云った、

何で老師に聞かないんだ?」。

僧は云った、

和尚は、あなた(智蔵)のところに行って聞けと言われました」。

智蔵は云った、

あいにくおれは今日は頭痛がして休んでいるところでだめだ

懐海(海兄)のところに行って聞いてくれ」。

僧は懐海に尋ねた、懐海は云った、

実はわしも、そこがわからんで困っているんじゃよ」。

僧は師匠や兄弟子達にタライ回しされて元の馬祖大師のところに戻って来た。

馬祖に以上のことを報告すると、馬祖は云った、

どっちもどっちじゃのう」。




頌:

薬の病と作る、前聖(ぜんしょう)に鑑(かん)がむ。

病の医と作る、必ずや其れ誰(た)そ。白頭黒頭、克家(こっか)の子。

有句無句、裁流(せつる)の機。

堂々として坐断す舌頭の路。

応(ま)さに笑ふべし、毘耶(びや)の老古錐(ろうこすい)。 


注:

薬の病と作る:薬がたとえ妙薬であっても間違った用い方をすると病を作る。

仏祖の言葉尻に付いて回ってその真の精神を受け取りそこなうと、

折角の親切がかえって仇になる。

克家(こっか)の子:家を良くする子。

白頭黒頭、克家の子:白髪頭の西堂智蔵も黒い頭の百丈懐海のどちらとも、

馬祖の禅をよく継いでいる優秀な弟子だ。

有句無句:ぺらぺらしゃべるのが有句、祖師西来意が無句。

有句無句、裁流の機:有句も無句も煩悩妄想の流れを、裁断する働きをもっている。

堂々:任運堂々として。少しも無理もなく堂々として。

坐断:造作もなくぶち切ること。

舌頭の路:分別妄想。

毘耶:維摩居士がいた古代インドのバイシャーリのこと。

毘耶の老古錐:バイシャーリにいた維摩居士。

応さに笑うべし毘耶の老古錐:不二法門(祖師西来意)を説くのに維摩居士は黙然として、

一言も言わなかったなどとはお笑い種だ。

維摩経の不二法門のことを言っている。

碧巌録84則「維摩不二の門」を参照)。



頌の現代語訳:

薬がたとえ妙薬であっても間違った用い方をすると病を作るように、

仏祖の言葉尻に付いて回ってその真の精神を受け取りそこなうと、

折角の親切がかえって仇になるだろう。

白髪頭の西堂智蔵も黒頭の百丈懐海の二人とも、馬祖の禅をよく継いでいる優秀な弟子だ。

ぺらぺらしゃべる有句も沈黙の無句もうまく使えば

煩悩妄想の流れを裁断する働きをもっている。

禅の悟りの道に入れば、任運堂々として分別妄想を造作もなくぶち切ることができる。

そうなれば、不二法門(祖師西来意)を説くのに維摩居士は黙然として、

沈黙を守ったなどとはお笑い種だと分かるだろう。


解釈とコメント


本則は碧巌録「73則」と同じである。

碧巌録「73則」を参照)。


7soku

 第7則 薬山陞坐  


示衆:

眼耳鼻舌、各一能有って、眉毛は上に在り。

士農工商各一務に帰して、拙者常に閑なり。

本分の宗師如何が施設せん。


注:

眼耳鼻舌、各一能有って、眉毛は上に在り:眼耳鼻舌は

それぞれ能力と役割があってそれを立派に果たしている。

しかし、眉毛は眼の上に在るが何の能も無い。

眉毛は眼の上に在るだけで無能であるように見える。

しかし、何か心配事があると、眉をひそめるし、安心するときには眉は開く。

喜ぶときには共に喜び、憂える時には共に喜んでいるのだ。

これは本来の面目の活作用だと言える。

拙者:本来の面目=真の自己=脳。

士農工商各一務に帰して、拙者常に閑なり:士農工商はそれぞれの仕事で忙しいが、

本来の面目(=真の自己=脳)はいつも静かにしているように見える。

本分の宗師:一能一務にかかわらず、すべてを統一する宗師家。

ここでは七則の主役である薬山惟儼をさす。

施設:施設。施行。教化の方便を施設する。


示衆の現代語訳


眼耳鼻舌はそれぞれ能力と役割があってそれを立派に果たしている。

しかし、眉毛は眼の上に在るが何の能も無い。

眉毛は眼の上に在るだけで無能であるように見える。

しかし、何か心配事があると、眉をひそめるし、安心するときには眉は開く。

喜ぶときには共に喜び、憂える時には共に喜んでいるのだ。

眉毛は本来の面目の活作用を表していると言えるだろう。

士農工商はそれぞれの仕事で忙しいが、

本来の面目(=真の自己=脳)はいつも静かにしているように見える。

すべてを統一する宗師家はどのように教化の方便を施設するのだろうか。

本則:


薬山久しく陞坐(しんぞ)せず。

院主白して云く、「大衆久しく示誨を思う、請う和尚、衆の為に説法したまえ」。

山、鐘を打たしむ。、衆方に集まる。

山陞坐(しんぞ)、良久、便ち下座して方丈に帰る。

主後(しりえ)に随って問う、「和尚適来(せきらい)、衆の為に説法せんことを許す

云何(いかん)ぞ一言を垂れざる?」。

山云く、「経に経師あり、論に論師あり、争でか老僧を怪しみ得ん」。


注:

薬山:薬山惟儼(やくさんいげん、745〜828)禅師。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼

院主:住持を補佐する役。

良久:しばらく黙って考える様子。

適来(せきらい):さきほど。

経に経師あり、論に論師あり、争でか老僧を怪しみ得ん:

講釈を聞きたいなら講釈師のところに行きなさい。

論を聞きたいなら論師のところに行きなさい。

私は禅僧として本物を与えたのにどうして怪しむのか?

本則の現代語訳:


薬山は長い間説法をしなかった。

そこで院主が願い出て言った、

大衆は和尚の説法を待ち望んでいます

和尚さん、どうか説法をお願いできないでしょうか」。

薬山は鐘を打たせた。すると門下の修行僧達が集まってきた。

薬山は説法の座に上がるとしばらく黙って考える様子であったが

そのまま座を降りて方丈に帰ってしまった。

院主は後について行って聞いた、

さきほど和尚は大衆の為に説法されようとされましたが

どうして一言を言わずに下座されたのですか?」。

薬山は云った、

講釈を聞きたいなら講釈師のところに行きなさい。論を聞きたいなら論師に聞けばよい

私は禅僧として本物を与えたのにどうして怪しむのか?」




頌:

癡児(ちじ)意を刻(きざ)む止啼銭(していせん)。

良駟追風(りょうしついふう)も、影鞭(えいべん)を顧(かえり)みる。

雲、長空を払うて月に巣くう鶴。

寒清(かんせい)骨に入って眠りを成さず。


注:

癡児(ちじ):なにもわきまえない幼児。ここでは院主と大衆をさす。

止啼銭(していせん):子供が泣くのを止めさせる為に与える木の葉の銭。

意を刻む:苦心する。

癡児(ちじ)意を刻む止啼銭(していせん):

薬山もこの院主と大衆を指導するのは並大抵の苦労じゃない。

良駟追風(りょうしついふう):良駟も追風も共に名馬の名前。

駿馬は鞭の影を見て走り出すが鈍馬は骨が痛むほど打たれてから驚いて走り出す。

良駟追風(りょうしついふう)も、影鞭を顧みる:薬山の

私は本物を与えたのにどうして怪しむのか?」

という言葉尻について行く。

雲、長空を払ふて月に巣くう鶴:薬山禅師の境涯を詠う言葉。

迷いはもちろん悟りという雲霧もなく、

一切の臭みが無くなった薬山の境涯を鶴に譬えている。

寒清骨に入って眠りを成さず:骨の髄まで寒清になって迷悟凡聖の眠りを超えている。



頌の現代語訳:

薬山もこのような院主と大衆を指導するのは並大抵の苦労じゃない。

彼等は薬山の「私は本物を与えたのにどうして怪しむのか?」

という言葉尻について行くだけで真意が分からない鈍感さだ。

迷いはもちろん悟りという雲霧もなく、一切の臭みが無くなった薬山は月に住む鶴のようだ。

彼は骨の髄まで寒清になって迷悟凡聖の眠りを超えている。


解釈とコメント


本則は第一則「世尊陞座」によく似ている(第一則「世尊陞座」を参照)。

第一則「世尊陞座」を参照)。

薬山は陞座して示衆にいうところの

拙者常に閑なり」の本体(本来の面目=脳)の働きを黙って示したのである。


それなのに、「私は本物を与えたのにどうして怪しむのか?」

と言って院主に迫っていることが分かる。

」では薬山の境涯について、

迷いはもちろん悟りという雲霧もなく、一切の臭みが無くなった薬山は月に住む鶴のようだ。』

と讃えている。



8soku

 第8則   百丈野狐 


示衆:

箇の元字脚(げんじきゃく)を記して心に在けば、地獄に入ること箭を射るが如し。

一点の野狐涎(やこせん)、嚥下すれば三十年吐不出(とふしゅつ)。

是れ西天の令厳なるにあらず、只だガイ郎の業重きが為なり。

曾て忤犯(ごぼん)の者有りや。


注:

元字脚:一。

箇の元字脚を記して心に在けば、地獄に入ること箭の射るが如し:

自分の心に何か一物でもとどめたら地獄に入るだろう。

自分の心に何物もなければ及第だという意味。

野狐涎(やこせん):野狐の涎(よだれ)。分別妄想。

三十年吐不出(とふしゅつ):永久に迷う。

一点の野狐涎、嚥下すれば三十年吐不出:分別妄想を心に持てば永久に迷うだろう。

西天(さいてん)の令:西天はインドのこと。令は因果律の法則。仏教の因果律の法則。

是れ西天の令厳なるにあらず:仏教の因果律の法則が厳しいためではない。

ガイ郎:痴人、馬鹿者。

ガイ郎の業:無知蒙昧の分別妄想という悪業。

只だガイ郎の業重きが為なり:ただ無知蒙昧の理屈や分別妄想という悪業が重いためである。

忤犯(ごぼん)の者:分別妄想の罪を犯した者。

曾て忤犯(ごぼん)の者有りや:かって分別妄想の罪を犯した者はいるだろうか。


示衆の現代語訳


自分の心に何か一物でもとどめたら地獄に落ちるだろう。

また分別妄想を心に持てば永久に迷うだろう。

これは仏教の因果律の法則が厳しいためではない。

ただ無知蒙昧の理屈や分別妄想という悪業が重いためである。

かって分別妄想の罪を犯した者はいるだろうか。

本則:


百丈上堂。常に一老人有って法を聴き、衆に随って散じ去る。

一日去らず。丈乃ち問う、「立つ者は何人ぞ?」。

老人云く、「某甲(それがし)過去迦葉仏の時に於て、曾て此の山に住す

学人有りて問う、大修行底の人還って因果に落つるや也た無しや

他(かれ)に対して道く、「不落因果(ふらくいんが)」と。野狐身に堕すること五百生。今請う和尚一転語を代(かわ)れ」。

丈云く、「不昧因果(ふまいいんが)」。

老人言下に於て大悟す。


注:

百丈:百丈懐海禅師(720〜814)。「百丈清規」という禅林の規矩を創定したことで有名。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海

上堂:法堂に上がって説法すること。

百丈:

某甲(それがし):自分。

不落因果:因果の法則に支配されて落ちることはない。

一転語:心機一転させるような力のある言葉。

不昧因果(ふまいいんが):因果の法則は歴然として昧ますことはできない。


本則の現代語訳:


百丈和尚の説法があると、いつも一人の老人が大衆の後ろで聴聞していた。

そして修行僧達が退けば老人もまた出て行くのであった。

ところがある日彼はその場に居残って出て行こうとしない。

そこで百丈は聞いた、

そこに居るのは誰か?」。

老人は云った、

はい、私は人間ではありません

過去において、迦葉仏(かしょうぶつ)が出現した昔にこの山に住んでいました

ある時弟子の一人が

『仏道修行を完成した人でも因果の法則に落ちて苦しむものでしょうか?』と尋ねました。

その時私は『因果の法則に落ちることはない』と答えました。

このため、私は五百生もの間野狐の身に堕(お)ちてしまいました。

和尚さま、どうか、私のために正しい答えの一語を言って野狐の身から脱出させて下さい」。

百丈は云った、

因果の法則を昧(くらま)すことはできない」。

この言葉を聞いた途端に老人は大悟した。



頌:

一尺の水一丈の波。五百生前奈何ともせず。

不落不昧、商量せり。依然として撞入(どうにゅう)す葛藤カ(かっとうか)。

。阿呵呵(あかか)、会すや也たなしや。

若し是れ汝、灑灑落落(しゃしゃらくらく)たらば、我がタタ和和を妨げず。

神歌社舞(しんかしゃぶ)自ら曲を成す。

手をその間に拍して哩羅(りら)を唱(とな)う。


注:

一尺の水一丈の波:一尺の波がそれ以上の一丈の波になることがある。

一尺の水一丈の波、五百生前奈何ともせず:

一尺の波がそれ以上の一丈の波になることがある。

しかし、因果の道理が分からなかったため、五百生の前からどうにも動きがとれなかった。

商量:議論。

葛藤カ(かっとうか):葛藤の穴の中

不落不昧商量せり。依然として撞入す葛藤カ(かっとうか):

不落因果が正しいか不昧因果が正しいか考えて議論した。

しかし、依然として葛藤の穴の中へ頭を突っ込んで動きがとれない。

阿呵呵(あかか)、会すや也たなしや:アツ、ハッ、ハ。 

分かったか、あるいは未だ分からないか。

灑灑落落(しゃしゃらくらく):こだわりがない。

タタ和和:赤ん坊の独り言。

神歌社舞:氏神様のお祭り。

哩羅(りら):自然に出て来る一種の音曲。例えば、ラ、ラ、ラ、ラ、ラーラーラのようなもの。

神歌社舞自ら曲を成す。手をその間に拍して哩羅(りら)を唱う:

氏神様のお祭りでラ、ラ、ラ、ラーラーラと自然に声が出るように、

自由無為な生活を楽しんでいる。



頌の現代語訳:

一尺の波がそれ以上の一丈の波になることがある。

しかし、因果の道理が分からなかったから、

五百生の前からどうにも動きがとれなかった。

不落因果が正しいか不昧因果が正しいかもよく考えて議論した。

しかし、依然として葛藤の穴の中へ頭を突っ込んで動きがとれない。

アツ、ハッ、ハ 。分かったか、あるいは未だ分からないか。

もし、あなたが本当に分かってこだわりがないならば、

私が赤ん坊の独り言のようなことを言っても何ら差支えがないだろう。

しかし、そんな問題とは関係なく、

氏神様のお祭りでラ、ラ、ラ、ラーラーラと自然に歌声が出るように、

人々は自由無為な生活を楽しんでいる。

そのように我々もこだわりなく、自由無為な生活を楽しめば良いのだ。


解釈とコメント


本則は「無門関」第二則「百丈野狐」と同じである。

無門関」第二則「百丈野狐」を参照)。



9soku

 第9則 南泉斬猫


示衆:

滄海をテキ翻(てきほん)すれば、大地塵の如くに飛ぶ。

白雲を喝散(かっさん)すれば、虚空粉のごとくに砕く。

厳に正令を行ずるも、猶お是れ半提(はんてい)。

大用全く彰(あらわ)る、如何が施説(せせつ)せん。


注:

滄海:迷い。妄想。

テキ翻:足でけって、ひっくり返すこと。

大地:頑固な迷いや妄想。

白雲:風に吹かれて雲が流れるように無理がない。

一見病気とは思われないような立派な生活に見える。

しかし、その境地に執着し捕らわれたら、それが一種のとらわれ病になる。

ここではとらわれ病をさす。

喝散(かっさん)すれば:一喝して吹き飛ばせば、

半提(はんてい):半分提出したようなもの。

厳に正令を行ずるも猶お是れ半提(はんてい):

正しい仏法を厳しく実践してもまだ半分くらいを実行したに過ぎない。

大用全く彰らわる、如何が施説せん:

法の大機大用を完全に現すにはどうしたらによいだろうか。


示衆の現代語訳


迷いや妄想を一気にけってひっくり返せば頑固な迷いや妄想も塵のように吹き飛ぶ。 

白雲のようなとらわれ病を一喝して吹き飛ばせば、虚空に粉のように砕け散る。

このように正しい仏法を厳しく実践してもまだ半分くらいを実行したに過ぎない。

それでは、仏法の大機大用を完全に実現するにはどうしたらによいだろうか。

本則:


南泉一日東西の両堂猫児を争う。

南泉見て遂に提起して云く、「道ひ得ば即ち斬らじ」。

衆無対。泉猫児を斬却して両断と為す。

泉復た前話を挙して趙州に問う。

州便ち草鞋を脱して頭上に戴いて出ず。

泉云く、「子若し在らば恰かも猫児を救い得ん」。


注:

南泉:南泉普願(748〜834)。唐代の禅者。馬祖道一(709〜788)の法嗣。

百丈懐海、西堂智蔵とともに馬祖門下の三大師の一人。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→南泉普願

掠虚頭(らっきょとう)の漢:たわけもの。

本則:


南泉和尚は東西の両堂の修行僧達が一匹の猫のことで論争しているのに出会った。

南泉は直ちにその猫をつまみあげ云った、

さあ、お前さん達この事について何とか言ってみよ

もし、お前達が何とかうまく言うことができたらこの猫を助けてあげよう

しかし、もしうまく言うことができなかったらこの猫を切り捨ててしまうぞ」。

しかし、誰も応える者がいなかった。

南泉和尚は遂に猫を切り捨ててしまった。

その日の夕方に高弟の趙州が外出より帰って来た。

南泉は、趙州に今日の出来事を語って聞かせた。

これを聞いた趙州は履いていた草鞋を脱ぐと頭の上にチョコンと載せて出て行った。

これを見た南泉は云った、

もしお前が居たならば猫の命は救うことができたのに」。



頌:

両堂の雲水尽(ことごと)く紛弩(ふんど)す。

王老師能く正邪を験(こころ)む。利刀斬断(ざんだん)して倶に像を亡ず。

千古人をして作家(さっけ)を愛せしむ。此の道未だ喪(ほろ)びず。

知音(ちいん)嘉(よ)みす可(べ)し。

山を鑿(うが)って海に透(とお)すことは唯(ひと)り大禹を尊とす。

石を錬って天を補(おぎな)うことは独り女カ(じょか)を賢とす。

趙州老(じょうしゅうろう)生涯(しょうがい)有り、

草鞋(そうあい)頭に戴いて些些(ささ)に較(あた)れり。

異中来(いちゅうらい)や還って明鑑(めいかん)。

只だ箇の真金(しんきん)沙(しゃ)に混ぜず。


注:

紛弩(ふんど)す:ガヤガヤと議論する。

両堂の雲水尽く紛弩(ふんど)す:東西両堂の雲水達がガヤガヤと議論した。

王老師:南泉普願。南泉普願は王氏の出であるため王老師ともいう。

王老師能く正邪を験(こころ)む:南泉が正邪をしらべてみたら、皆わからず屋ばかりだった。

像:頭の中の影法師。妄想。

利刀斬断(ざんだん)して倶に像を亡ず:

南泉の切れ味のよい指導によって頭の中の妄想は無くなってしまった。

千古人をして作家を愛せしむ:

そのすばらしい指導ぶりには人々は南泉を永く敬愛するばかりだ。

此の道:禅の道。

此の道未だ喪びず。知音嘉(よ)みす可(べ)し:禅の道は南泉の時代には

盛んだったが今や衰亡絶滅の危機に瀕している。

南泉と趙州は真の知音で慶賀の至りだがそれを昔話にしてはならない。

大禹:禹(う、紀元前2070年頃)は中国古代の伝説的な皇帝で、夏朝の創始者。

山を切り開いて黄河の水を海に通したと伝えられる。治水事業で有名。

女カ(じょか):女カは中国古代の伝説上の女神。

黄土を人の形にこね、人間を創っていったと伝えられる(人類創造神話)。

また天地を覆う惨状を深く嘆いた女カは、

虹のように輝く五色の鉱石を精錬して天を補い天地を修復したと伝えられる(天地修復神話)。

山を鑿(うが)って海に透(とお)すことは唯(ひと)り大禹(だいう)を尊とす:

大禹は治水のために山を鑿って黄河を海に通したと伝えられる。

南泉は我々の分別妄想の水が無明煩悩の山にぶつかって氾濫するのを

一刀両断にぶち切って、分別妄想の水を大海に流してくれた。

それは大禹の治水事業のようだ。

石を錬って天を補ふことは独り女カを賢とす:

南泉は我々の分別妄想を一刀両断にぶち切った後をうけて

趙州が活人剣を振るって一切を活かしてくれた。

それは戦禍によって折れた天の柱を補って

天地の四極を立てた賢人女カ(じょか)のようだ。

生涯有り:自己確立をしっかり実現している。

趙州老生涯有り、草鞋頭に戴いて些些(ささ)に較(あた)れり:

趙州は大悟徹底して自己確立を実現している。

草鞋を頭に戴いた大馬鹿者だ。大馬鹿者となっていささか本来の面目を表現した。

異中来や還って明鑑:犬や猫などの異類(動物など人間とちがう生き物)

と一緒になって生きてみると(異類中行をすると)、かえって明らかになる。

只だ箇の真金沙に混ぜず:何といっても趙州は真金のような存在だ。

その境涯は混砂のような俗僧達の中にあって黄金のように光っている。



頌の現代語訳:

東西両堂の雲水達がガヤガヤと議論した。

南泉が正邪をしらべてみたら、皆わからず屋ばかりだった。

南泉の切れ味のよい指導によって頭の中の妄想は無くなってしまった。

南泉のすばらしい指導ぶりには人々は永く敬愛するばかりだ。

禅の道は南泉の時代には盛んだったが今や衰亡絶滅の危機に瀕している。

南泉と趙州は真の知音で慶賀の至りだがそれを昔話にしてはならない。

大禹は治水のために山を鑿って黄河を海に通したと伝えられる。

南泉は我々の分別妄想の水が無明煩悩の山にぶつかって

氾濫するのを一刀両断にぶち切って、大海に通してくれた。

南泉は我々の分別妄想を一刀両断にぶち切った後をうけて

趙州が活人剣を振るって一切を活かしてくれた。

趙州は大悟徹底し、草鞋を頭に戴いた大馬鹿者だ。

大馬鹿者となっていささか本来の面目を表現した。

大馬鹿者の境涯は犬や猫などの異類(動物など人間とちがう生き物)

と一緒になって生きてみると、彼等の無心で自由な生き方がかえって明らかになる。

趙州は真金のような存在だ。

その境涯は混砂のようなレベルが低い俗僧達の中にあって黄金の光を放っている。


解釈とコメント


本則は「無門関」第14則「南泉斬猫」と殆ど同じである。

「無門関」第14則を参照)。

本則は碧巌録第63則と64則にも出ている。

「碧巌録」第63則を参照)。



10soku

 第10則 台山婆子 


示衆:

収(しゅう)有り放(ほう)有り、干木(かんぼく)身に随う。

能殺能活(のうせつのうかつ)権衡手(けんこうて)に在り。

塵労魔外(じんろうまげ)尽く指呼(しこ)に付す。

大地山河皆戯具(けぐ)と成る。

且(すべか)らく道(い)え是れ甚麼(なん)の境界ぞ。



注:

収(しゅう):引き締めること。殺人刀に同じ。

放(ほう):ゆるめること。活人剣に同じ。

干木(かんぼく):竿。棒。師家が用いる探り棒のこと。

収有り放有り、干木身に随う:師家は常に探り棒を身に着けて指導するから、

引き締めるのも緩めるのも自由自在だ。

権衡(けんこう):ハカリ。

能殺能活権衡手に在り:趙州のように優秀な師家になると

修行者の境涯の深浅を計るハカリをいつも持っているから、

修行者の力量を誤りなく計って活殺自在だ。

塵労(じんろう):煩悩。ストレス。

魔外:天魔外道の神通力。

塵労魔外尽く指呼に付す:ストレスや天魔外道の神通力を指の先で自由にあしらう。

大地山河皆戯具と成る:山河大地も皆おもちゃになる。



示衆の現代語訳


師家は常に探り棒を身に着けているから、引き締めるのも緩めるのも自由自在だ。

趙州のように優秀な師家になると

修行者の境涯の深浅を計るハカリをいつも持っているから、

修行者の力量を誤りなく計って活殺自在である。

彼はストレスや天魔外道の神通力を指の先で自由にあしらい

山河大地も皆おもちゃにしてしまう。

これはどのような人の境涯だろうか? 言ってみなさい。

本則:


台山路上一婆子有り。

凡そ僧有り台山の路什麼の処に向かって去ると問えば、

婆云く、

驀直去」。

僧わずかに行く。婆云く、

好箇の阿師又恁麼にし去れり」。

僧趙州に挙示す。州云く、

待て与(た)めに勘過せん」。

州亦た前の如く問う。

来日に至って上堂云く、

我汝が為に婆子を勘破し了れり」。


注:

婆子:老婆。

台山:五台山。文殊菩薩が出現したという霊場。

驀直去:道草せずに真っ直ぐ行きなさい。

趙州:趙州従シン(じょうしゅうじゅうしん)(778〜897)唐代の大禅者。

南泉普願(748〜834)の法嗣。趙州観音院に住んだので趙州和尚と呼ばれる。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン



本則の現代語訳:


五台山へ行く途中に一老婆がいた。僧が五台山へ行く路を聞くと、

老婆は言った、

真っ直ぐに行きなさい」。

僧が、その言葉通りに三五歩行くと老婆は言った、

なかなかの坊さんに見えたが、やはり同じように行きなさる」。

後で僧がその話を趙州に話した。 趙州は言った、

ひとつわしが行ってこの婆さんの正体を見届けてやろう」。

明くる日になると、趙州は出かけて行って同じように道を尋ねた。老婆もまた同じように答えた。

趙州は帰って来ると門下の修行僧に言った、

わしはお前さんたちのためにあの台山(だいざん)の婆さんを見破ってしまったぞ」。



頌:

年老いて精と成る、謬って伝えず。

趙州古仏南泉に嗣ぐ。

枯亀命を喪うことは図象に因る。良駟追風も纏索(てんけん)に累(わずら)わさる。

枯亀命を喪うことは図象に因る。良駟追風も纏索(てんけん)に累(わずら)わさる。


注:

精:おばけ。趙州の円熟ぶりを喩えている。

年老いて精と成る、謬って伝えず:趙州は年を取って円熟してお化けのようになった。

彼は棒喝などを用いず、正伝の仏法を正しく伝えた。

趙州古仏南泉に嗣ぐ:古仏趙州は南泉の法嗣だ。

枯亀:老亀。

図象:亀の甲羅を焼いて吉凶を占う時、亀の甲羅の表面に現れるかたち。

枯亀命を喪ふことは図象に因る:

老亀はその甲羅を焼くと表面に図象が出るため命を失うのだ。

道を聞いた僧は先入観を持っていたため亀のように命を失うことになったと言っている。

良駟追風(りょうしついふう):名馬の名前。

禅の1見識を持った老婆を名馬に譬えている。

良駟追風も纏索(てんけん)に累(わずら)わさる:

禅の見識を持った老婆も名馬だったため趙州に綱を付けられて引っ張り回されることになった。

勘破了老婆禅、人前に説向すれば銭に直たらず:

趙州の禅も老婆の禅も親切すぎる老婆禅のようなもので

人の前に出すと三文の価値もない

(私、宏智正覚には、そんなけちな仏法くさいものはないぞ)。



頌の現代語訳:

趙州は年取って円熟してお化けのようになった。彼は、正伝の仏法を正しく伝えた。

古仏趙州は南泉の法嗣だ。

老婆に道を聞いた僧は先入観を持っていたため亀のように命を失うことになった。

禅の見識を持った老婆も名馬だったため趙州に綱を付けられて引っ張り回されるはめになった。

趙州の禅も老婆の禅も私(宏智正覚)から見れば三文の価値もない。

(私、宏智正覚には、そんなけちな仏法くさいものはないぞ)。


解釈とコメント


本則は「無門関」第31則「趙州勘婆」と殆ど同じである。

「無門関」第31則を参照)。


11soku

 第11則  雲門両病  


示衆:

無身の人疾病を患ひ、無手の人薬を合す。

無口の人服食し、無受の人安楽なり。

且(しば)らく道え膏盲(こうこう)の疾(やまい)、如何が調理せん。


注:

無身の人:心身脱落の眼が開き、心身に煩わせられなくなった人。

無身の人疾病を患い、:心身脱落の境地に腰かけるとそれが病になる。

無手の人:物を持ったり話したりすることを意識することなく無心にできる人。

無手の人薬を合す:無手の人は薬を調合する。

無受の人:外界から入ってくるストレスを受け付けない人。

無受の人安楽なり:外界から入ってくるストレスを受け付けない人は苦しみが無く安楽である。

無口の人服食し:無口の人は好き嫌いなく粗食でも美味しく食べることができる。

膏盲(こうこう)の疾(やまい):不治の病。

調理:治療。

且らく道へ膏盲の疾、如何が調理せん。:

それでは不治の病はどのように治療すればよいだろうか。


示衆の現代語訳


心身脱落の眼が開き、心身に煩わせられなくなった人は

その境地を後生大事にしてそれに腰かけるとそれが病になる。

物を持ったり話したりすることを意識することなく無心にできる人は薬を調合できるだろう。

無口の人は好き嫌いなく粗食でも美味しく食べることができる。

それでは不治の病はどのように治療すればよいだろうか。


本則:


雲門大師云く、「 光透脱せざれば、両般の病有り

一切処明ならず、面前物有る是れ一つ。一切の法空を透得するも

隠隠地(おんのんじ)に箇の物有るに似て相似たり

亦是れ光透脱せざるなり。又た法身にも亦両般の病有り。法身に到ることを得るも

法執(ほっしゅう)忘ぜず己見猶お存するが為に、法身辺に堕在す是れ一つ

直饒(たと)い透得するも放過せば即ち不可なり

子細に点検し将(も)ち来たれば、甚麼(なん)の気息か有らんと云うも

是れ亦病なり」。


注:

雲門:雲門宗の開祖。雪峰義存の法嗣。

雲門の禅風は天子の位ありと言われるほど気高いところといわれる。

また、紅旗閃爍(せんじゃく)とも言われる。

赤い旗に字が書いてあるけれど、

風にハタめいているので読みにくいのと同じようなところがあるという意味である。 

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

光:悟り。自己の光明。

光透脱せざれば、両般の病有り:

大悟徹底して光が透脱するようにはっきりしなければ、二つの病がある。

一切処明ならず、面前物有る是れ一つ:一切の処が明らかでなく、

面前に霞がかかったようで物があるようではっきりしない。これが一つの病である。

法空:外界が空で存在しないこと(唯識無境)。

唯識無境については中期大乗仏教を参照)。

一切の法空を透得するも、隠隠地に箇の物有るに似て相似たり:

一切の外界は空であるという唯識無境説は良く理解しているのだが、

未だなんとなく空でない物があるように感じられる。

一切の法空を透得するも、隠隠地に箇の物有るに似て相似たり。亦是れ光透脱せざるなり:

一切の外界は空であるという唯識無境説は良く分かっているのだが、

未だなんとなく空でない物があるように感じられる。

これも悟りが徹底していないための禅病だ。

法身:真の自己。下層脳中心の脳。

又た法身にも亦両般の病有り:また法身にもまた二種類の病がある。

法身に到ることを得るも、法執忘ぜず己見猶を存するが為に、法身辺に堕在す是れ一つ:

真の自己に目覚めたのだが、

その悟りに執着するが為に、自分勝手な法身の悟りに堕在するのが一つである。

直饒(たと)い透得するも放過せば即ち不可なり:

たとい真の自己に目覚めたてもその悟りを深めないで放置するならだめである。

子細に点検し将ち来たれば、甚麼の気息か有らんと云ふ、是れ亦病なり:

一所懸命悟りの内容をくわしく点検し注意をしてきたのだから、

どこに問題があるだろうかと思ってそこに腰かけるのも、また病である。


本則の現代語訳:


雲門大師は云った、

大悟徹底して光が透脱しなければ、二つの病がある

一切の処が明らかでなくならず、面前に霞がかかったようで物があるようではっきりしない

これが一つの病である

一切の外界は空であるという唯識無境説は良く分かってはいるのだが

未だなんとなく空でない物があるように感じられる

これも悟りが徹底していないための禅病だ

また法身の悟りにもまた二種類の病がある

真の自己に目覚めたのだが、その悟りに執着するが為に

自分勝手な法身の悟りに堕在するのが一つである

たとい真の自己に目覚めてもその悟りを深めないで放置するとだめである

一所懸命努力して悟りの内容をくわしく点検し深めてきたのだから

どこに問題があるだろうかと思って自己満足してそこに腰かけるのも、また病である」。



頌:

森羅万象崢榮(そうこう)に許(まか)す。

透脱無方なるも眼晴(がんぜい)を礙(さ)う。

人の胸次に隠れて、自から情をなす。

船は野渡の秋を涵(ひた)して碧(みどり)なるに横たえ、

棹(さお)は蘆花の雪を照らして明(あきらか)なるに入る。

串錦(かんきん)の老漁市に就かんことを懐(おも)い、飄飄(ひょうひょう)として一葉浪頭に行く。


注:

崢榮(そうこう):山の高い様子。

森羅万象崢榮(そうこう)に許(まか)す:森羅万象はあるがままで申し分ない。

透脱無方:一切を透脱して三世も十方もない。本来無一物の下層脳の世界。

透脱無方なるも眼晴を礙(さ)う:本来無一物で迷いも悟りもない下層脳の世界は暗く、

眼を遮ってはっきり見えない。

しかし、この考え方も禅病だ。

彼の門庭を掃って誰か力有る:頭の中のゴミを掃除することのできる

力のある人は誰かいるだろうか。

人の胸次に隠れて、自から情をなす:人々の頭の中に隠れて、ああだこうだと胸算用をする。

船は野渡の秋を涵(ひた)して碧(みどり)なるに横たえ

棹は蘆花の雪を照らして明なるに入る:

秋の静かな川に船が静かに置いてある。

空も水もともにあくまで碧(あお)い。船は岸につながれたまま置きっぱなしである。

岸には蘆花(あしの花)が白く雪のように光っている。

これは何の用事も無くなった“涅槃寂静の世界”といってよいだろう。

串錦の老漁市に就かんことを懐ひ、飄飄として一葉浪頭に行く:

色気がすっかり無くなった魚取りの親爺は魚を売ろうと、

飄飄(ひょうひょう)として小さな船をこいで行く。



頌の現代語訳:

森羅万象はあるがままで申し分ない。

本来無一物で迷いも悟りもない下層脳の世界は暗く、眼を遮ってはっきり見えない。

頭の中のゴミを掃除することのできる力のある人は誰かいるだろうか。

頭の中のゴミを掃除はどうすればよいだろうかと頭の中で、ああだこうだと考え胸算用をする。

秋の静かな川に船が静かに置いてある。

空と水の色はともにあくまで碧(あお)い。

船は岸につながれたまま置きっぱなしである。

その岸辺には蘆花(あしの花)が白く雪のように光っている。

色気が抜けた漁師の親爺は魚を売ろうと、飄飄(ひょうひょう)として小さな船をこいで行く。


解釈とコメント



雲門が説く禅病とは:


1. 外界に物が存在するかどうかについての病

a.

面前に霞がかかったようで、物があるようではっきりしない。

b.

一切の外界の存在は空で、

ただ識(脳による認識が)あるだけだという唯識無境説は良く分かっているのだが、

未だなんとなく空でない物があるように感じられる。

唯識無境説が徹底していないための病)。

これも悟りが徹底していないため禅病になる。

しかし、唯識無境説は現代の科学的観点に立つと、

単なる観念論であり誤りである。

大乗仏教3を参照)。

従って、なんとなく空でない物が実際にあるように感じられる方が正しい。

外界に物は実在するからだ。

もし、唯識無境説が正しいと仮定すると、以下のようなことになる。

病気の患部をメスなどを使って切除する手術をしても病気が治ることはない。

病気の患部などと言っても実際は空で実在しないからメスなどを使って切除しても、

病気が治ることはない。また出血することもないだろう。

しかし、実際は外科手術は有効な手段であり多くの病気が治っている。

また輸血は立派な治療手段となっている。

もし、唯識無境説が正しいと仮定すると、

飛行機や自動車のような乗り物も空なるもので本当は実在しないことになる。

しかし、中国行の飛行機に乗ると中国に着くことができるし、

自動車に乗っていけば容易に目的地にたどり着くことができる。

これは飛行機や自動車のような乗り物は空なるものではなくそういう機能を持って外界に実在するからである。

もし、唯識無境説が正しいと仮定すると、刀で切られても血を流して死ぬことはないだろう。

また手足を切られても痛くともなんともないはずである。

しかし、刀で手足を切られたら血を流して死ぬだろうし、痛くてもがき苦しむ。

これは刀が外界に実在するからである。唯識無境説の方が間違いである。

2022年に始まるロシアのウクライナ侵略には

多数のミサイルがウクライナに打ち込まれ多くの被害を出した。

ミサイルによる被害を「唯識無境」説を出して否定する人は誰もいないだろう。

このように、の外界に物が存在するかどうかについての病は現在では解決されている。

このような禅病は病でもなんでもない。禅病から除外し否定すべきであろう。


2.法身の悟りについての二種類の病

a.

真の自己に目覚めたのだが、その悟りに執着するが為に、

自分勝手な法身の悟りに堕在する病。

b.

一所懸命努力して悟りの内容をくわしく点検し深めてきたのだから、

どこにも問題はないだろうと思って自己満足してそこに安住する病。

雲門が説く禅病は次の表2のようにまとめることができる。


 表2 雲門が説く4つの禅病

禅病の4分類 禅病の内容
物の存在についての病(a)面前に霞がかかったようで、物があるようではっきりしない。
物の存在についての病(b)空でない物があるように感じられる(唯識無境説についての病)
法身についての病(a)自分勝手な法身の悟りに堕在する病。
法身についての病(b)くわしく点検し深めてきたため自己満足してそこに安住する病

法身の悟りの本体は科学的に見ると脳(特に下層脳を中心とする脳)である

ことははっきりしている。

禅の根本原理を参照)。

中国や日本においては19世紀にいたるまで心は心臓にあるという考え方が主流であり、

脳機能については殆ど分かっていなかった。

そのため、法身の悟りについて曖昧で不確実なところがあり、禅病があったのが理解できる。

しかし、それは未発達な文明という時代的制約によるものである。

科学的観点から真の自己や法身の悟りについてはっきりした現在では

雲門のいうような禅病(特に物の存在についての唯識無境説の病)は考えられないだろう。

雲門は、

たとい真の自己に目覚めてもその悟りをさらに深めないといけないない

と言っていると考えることができるだろう。



12soku

 第12則 地蔵種田 


示衆:

才子は筆耕し弁士は舌耕す。

我が衲僧家、露地の白牛を看るに慵(ものう)し。

無根の瑞草を顧みず、如何が日を度らん。


注:

才子は筆耕し弁士は舌耕す:文才のある人は小説を書いたり、

著述活動をして生活するし、雄弁の人は講演などで世渡りする。

露地の白牛:真の自己。

衲僧家:禅僧。

我が衲僧家、露地の白牛を看るに慵(ものう)し:

本物の参禅修行者は真の自己のような悟り臭いものや

有難そうなものをそんなに見たいとも思わない。

無根の瑞草:迷いや悟り。

無根の瑞草を顧みず、如何が日を度らん:

迷いや悟りを顧みないでどのような生活をしているのだろうか。


示衆の現代語訳


文才のある人は小説を書いたり、著述活動をして生活するし、

雄弁の人は講演などで世渡りする。

しかし、本物の参禅修行者は真の自己のような悟り臭いものや

有難そうなものにかかずりあって見たいとも思わない。

それでは彼らは迷いや悟りを顧みないでどのような生活をしているのだろうか。


本則:


地蔵、脩(しゅう)山主に問う、「 甚れの処より来る?」。

脩云く、「 南方より来る」。

蔵云く、「 南方近日仏法如何?」。

脩云く、「 商量(しょうりょう)浩浩地(こうこうち)」。

蔵云く、「 争でか如かん我が這裏(しゃり)、田を種(う)え飯を摶(まろ)めて喫せんには」。

脩云く、「 三界を争奈(いかん)せん?」。

蔵云く、「 汝甚麼(なに)を喚んでか三界と作す」。


注:

地蔵:地蔵桂チン(じぞうけいちん、867〜928)。羅漢桂チン(らかんけいちん)ともいう。

玄沙師備(835〜908)の法嗣。法眼文益(885〜958)の師。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑→雪峰義存→玄沙師備→地蔵桂チン

商量(しょうりょう):問答や議論。

浩浩地(こうこうち):盛んである。

三界:欲界、色界、無色界の三つの世界。迷いの世界。

大乗仏教1を参照)。

三界を争奈(いかん)せん:それで三界を出離できるでしょうか?


本則の現代語訳:


地蔵桂チンが脩山主に聞いた、「 どこから来たのですか?」。

脩山主は云った、「 南方より来ました」。

地蔵は云った、「 最近南方では仏法はどうですか?」。

脩山主は云った、「 問答や議論が盛んです」。

地蔵は云った、「 ここでは、田を作って米を取って、飯を炊いて皆でパクパク食べているよ

この方がよっぽどましだよ」。

脩山主は云った、「 それで三界を出離できるでしょうか?」。

地蔵は云った、「 お前さん、三界なんてどこにあるか」。



頌:

宗説(しゅうせつ)般般(はんぱん)尽(ことごと)く強いて為す。

耳口(じく)に流伝すれば便ち支離(しり)す。

田(でん)を種(う)え飯を摶(まろ)む家常(かじょう)の事。

是れ飽参(ほうさん)の人にあらずんば知らず。

参じ飽いて明らかに知る所求(しょぐ)無きことを。

子房(しぼう)終に封侯(ほうこう)を貴(とお)とばず。

機を忘じ帰り去って魚鳥(ぎょちょう)に同じうす。

足を濯(あら)う滄浪煙水(そうろうえんすい)の秋。


注:

宗説(しゅうせつ):宗通説通の略。

宗(本来の面目=真の自己)に通じて自由であり、

それを化導説教を通して自由に表現できるのを説通という。

般般(はんぱん):盛んに論ずること。

強いて為す:無理なことをする。

宗説般般尽く強いて為す:本来の面目=真の自己を悟って自由になっても、

それを言葉であらわし説教を通して自由に表現しようとしても無理なことである。

耳口に流伝すれば思想的に研究すれば。

耳口に流伝すれば便ち支離す:思想的に研究しても支離滅裂な説明になる。

飽参の人:充分に参学坐禅修行をした人。

子房:漢の功臣張良。

田を種え飯を摶(まろ)む家常の事:田を作って米を取って、

飯を炊いて皆でパクパク食べることは日常の事にすぎない。

是れ飽参の人にあらずんば知らず:充分に参学し

大悟徹底した人でないとこれの本当の価値は分からない。

参じ飽いて明らかに知る所求無きことを:飽きるまで参じ尽くして

はじめて求めるところが無い境地をはっきりと知ることができる。

子房終に封侯を貴とばず:漢の功臣張良が恩賞にあずかろうとした時それを貴とせず断った。

それと同じように充分に参学し大悟徹底してもそれを貴とせず忘れなければならない。

機を忘じ帰り去って魚鳥に同じうす:分別がなく無心になって

はじめて魚や鳥と一緒に仲良く遊ぶことができる。

足を濯(あら)う滄浪煙水(そうろうえんすい)の秋:滄浪の水が濁っている時には、

足を洗い滄浪の水が澄んだ時に冠のひもを洗えばよい(楚辞)。

足を洗うべき時には足を洗い、頭を洗うべき時に頭を洗えばよい。

そのように因縁に従い因縁に安住するのが煙水の秋だ。



頌の現代語訳:

本来の面目=真の自己に通じて自由になっても、

それを言葉で表わし説教を通して自由に表現しようとしても無理なことである。  

それを思想的に研究しても支離滅裂になるだろう。

田を作って米を取って、飯を炊いて皆でパクパク食べることはたんなる日常の事にすぎない。

充分に参学し大悟徹底した人でないとこの本当の価値は分からない。

飽きるまで参じ尽くしてはじめて求めるところが無い境地をはっきりと知ることができる。  

漢の功臣張良が恩賞にあずかろうとした時それを貴とせず断った。

それと同じように充分に参学し大悟徹底してもそれを貴とせず忘れなければならない  

分別がなく無心になってはじめて魚や鳥と一緒に仲良く遊ぶことができる。

足を洗うべき時には足を洗い、頭を洗うべき時に頭を洗えばよい。

そのように因縁に従い因縁に安住するのが煙水の秋だ。


解釈とコメント


本則は従容録独自の公案と言える。

禅の理想とする姿は何も特別のところにあるのではない。

 

それは、

田を作って米を取って、飯を炊いて皆でパクパク食べる日常の事にあるのだ

脩山主の、「南方では問答や議論が盛んです」という言葉に対する地蔵の言葉、

 

ここでは、田を作って米を取って、飯を炊いて皆でパクパク食べているよ

 

この方がよっぽどましだよ

にその精神が表れている。

充分に参学し飽きるまで参じ尽くして大悟徹底すると、

このような日常の真の価値が分かるとともに、

求めるところが無い幸せの境地をはっきりと知ることができると言っている。 

これを分り易く示すと次の図3のようになるだろう。

   
求めることの無い境地


図3 飽きるほどの参学・参禅修行から求めることの無い境地に至る 


この図を見ても分かるように、大悟徹底し、何も求めることの無い無心の境地に至るには

飽きるほどの参学・参禅修行」が不可欠である。

それが曹洞宗を特徴づける道元の「只管打坐の精神」ではないだろうか。


   

13soku

 第13則  臨済瞎驢  



示衆:

一向に人の為に示して己れ有ることを知らず。

直に須らく法を尽くして民無きことを管せざれ。

須らく是れ木枕(もくちん)を拗折(ようせつ)する悪手脚なるべし。

行に臨むの際合(まさ)に作麼生(そもさん)。  

注:

一向に人の為に示して己れ有ることを知らず:師家が修行者を指導する時には、

修行者のためを考え自分のことを考えない。

直に須らく法を尽くして民無きことを管せざれ:あたかも国法を厳しくして、

そのため国民が他国へ逃げ出して、居なくなっても気にしないといった調子だ。

木枕:木の枕。殆どの人が中途半端な悟りを枕にしていることの譬え。

須らく是れ木枕(もくちん)を拗折(ようせつ)する悪手脚なるべし。:

殆どの人が中途半端な悟りを枕にしているがその木枕をぶち折る悪辣な手段であるべきだ。

行(こう)に臨むの際:臨終に臨む際。

行に臨むの際合に作麼生:死に臨む際どのように教化指導したら良いだろうか。


示衆の現代語訳


師家が修行者を指導する時には、修行者のためを考え自分のことを考えない。

あたかも国法を厳しくして、そのため国民が他国へ逃げ出して、

居なくなっても気にしないといった調子だ。

修行者の多くが中途半端な悟りを枕にしているが

その枕をぶち折るような悪辣な手段で指導すべきである。

それでは、死に臨む際どのように教化指導したら良いだろうか。


本則:


臨済将に滅を示さんとして三聖に囑す、「吾が遷化の後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ」。

聖云く、「争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん」。

済云く、「忽ち人有って汝に問わば作麼生(そもさん)か対(こた)えん?」。

聖便ち喝す。

済云く、「誰か知らん、吾が正法眼蔵這(こ)の瞎驢辺(かつろへん)に向かって滅却することを」。


注:

臨済:臨時義玄(?〜867)。臨済宗の宗祖。

玄沙師備(835〜908)の法嗣。法眼文益(885〜958)の師。

法系:六祖慧能→南岳懐譲→馬祖道一→百丈懐海→黄檗希運→臨済義玄

三聖:三聖慧念。臨時義玄の法嗣。

臨済将に滅を示さんとして三聖に囑す:臨済は臨終に臨んで弟子の三聖に遺囑した。

遷化:僧の死。教化を他の世界に遷すという意味。

正法眼蔵:真実の仏法。

吾が遷化の後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ:私が遷化した後、

私が教えた真実の仏法を滅却してはならない。

争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん:

どうして和尚が説かれた真実の仏法を滅却することがあるでしょうか。

作麼生(そもさん)か:どのように。

忽ち人有って汝に問はば作麼生(そもさん)か対(こた)えん:

もし人が急に来てお前さんに聞いたらどのように答えるのか?

瞎驢(かつろ):めくらの驢馬。

誰か知らん、吾が正法眼蔵這(こ)の瞎驢辺(かつろへん)に向かって滅却することを:

わしの正法眼蔵はこのめくら驢馬のもとで滅却することを誰が知るだろうか?


本則の現代語訳:


臨済は臨終に臨んで弟子の三聖に遺囑した。

臨済、「わしが遷化した後、わしが教えた真実の仏法を滅却してはならんぞ」。

三聖は云った、

どうして私が和尚が説かれた真実の仏法を滅却することがあるでしょうか 」。

臨済は云った、

もし人が急に来てお前さんに聞いたらどのように答えるのか?」。

三聖は、「カーツ!」と一喝した。

臨済は云った、

わしが説いた正法眼蔵はこのめくら驢馬のもとで滅却することを誰が知るだろうか」。



頌:

信衣半夜蘆能に付す、攪攪(こうこう)たり黄梅七百の僧。

臨済一枝の正法眼、瞎驢滅却して人の憎しみを得たり。

心心相印し祖祖灯を伝う。

海嶽を夷平し、鯤鵬(こんぼう)を変化す。

只だ箇の名言比擬し難し、大都(おおよ)そ手段飜倒(ほんとう)を解す。 

   

注:

信衣:ブッダから代々伝わってきたとされる袈裟のこと。

それは仏法を正伝した証拠として師から弟子へ伝えられてきたと言われる。

それは神話であり史実ではないだろう。

達磨がインドから中国に来たのはブッダの死後1000年くらい後のことである。

ブッダから代々伝わってきた袈裟が1000年ももつはずはないだろう。

単なる作り話だと考えられる。

蘆能:六祖慧能。

攪攪(こうこう)たり:かき乱されて騒々しい。

黄梅七百の僧:黄梅山にいた五祖弘忍禅師の道場には

700人の修行僧がいたことを言っている。

信衣半夜蘆能に付す、攪攪(こうこう)たり黄梅七百の僧:

五祖弘忍は伝法のしるしとして信衣を夜半ひそかに六祖慧能に付与した。

そのことが知れると、黄梅山の700人の修行僧達は騒然となった。

臨済一枝:臨済を大樹に譬えそこから出た三聖慧念を第一枝になぞらえている。

瞎驢滅却:瞎驢である三聖が正法眼蔵を滅却すると臨済が言ったこと。

臨済一枝の正法眼、瞎驢滅却して人の憎しみを得たり:

我が正法眼蔵は三聖のところで滅却するだろうと臨済は褒めた。

このことで三聖は人々の嫉妬と憎しみを得た。

心心相印し祖祖灯を伝う:臨済から三聖への伝法は以心伝心であることはもちろんのこと、

歴代の祖師達は以心伝心で心から心へと法灯を伝えて来たのだ。

夷平(いへい)す:平らにする。

鯤鵬(こんぼう):鯤も鵬も大きな鳥。

海嶽を夷平し、鯤鵬を変化す:高い山のようなものは低くし、

海のような低いものは高くするように、

凡聖迷悟・是非得失などをならして、

本来の浄裸裸赤洒洒な心に帰る偉大な指導力を持っている。

臨済や三聖の技量を褒める言葉。

只だ箇の名言比擬し難し、大都(おおよ)そ手段飜倒(ほんとう)を解す:

誰か知らん、吾が正法眼蔵這(こ)の瞎驢辺に向かって滅却することを

のような名言は比較を絶し、正法眼蔵を説きつくしている。



頌の現代語訳:

五祖弘忍は伝法のしるしとして信衣を夜半ひそかに六祖慧能に付与した。

そのことが知れると、黄梅山の700人の修行僧達は騒然となった。

それと同様に我が正法眼蔵は三聖のところで滅却するだろうと

臨済は三聖を褒め、その仏法を遺囑した。

このことで三聖は人々の嫉妬と憎しみを得た。

臨済から三聖への伝法は以心伝心であることはもちろん、

歴代の祖師達は以心伝心で心から心へと法灯を伝えて来たのだ。

臨済や三聖の偉大な指導力は高い山のようなものは低くし、海のような低いものは高くする。

そうすることによって、凡聖迷悟・是非得失などを平均して

本来の浄裸裸赤洒洒な心に復帰する力を持っている。

臨済の名言「誰か知らん、吾が正法眼蔵這(こ)の瞎驢辺に向かって滅却することを

は比較を絶し、正法眼蔵を説きつくしている。


解釈とコメント


臨済の最後の言葉

わしが説いた正法眼蔵はこのめくら驢馬のもとで滅却することを誰が知るだろうか?」

は言貶意揚(ごんぺんいよう)の表現である。

言貶意揚(ごんぺんいよう)とは口で貶すが心では褒める禅宗特有の表現法である。

臨済は最後の言葉において

わしが説いた正法眼蔵はこのめくら驢馬(三聖)のもとで滅却することを誰が知るだろうか?」

と三聖をめくら驢馬と呼んでこき下ろしているように見えるがその真意は

わしが説いた正法眼蔵はこの三聖のもとで興隆することを誰が知るだろうか?」

と言っているのである。

また、「頌」の作者宏智正覚は曹洞宗の禅者である。

曹洞宗の禅者が臨済宗の開祖である臨済を「頌」において

このように絶賛しているのは素晴らしく、印象的である。


14soku

 第14則  廓侍過茶(かくじかさ)  



示衆:

探竿(たんかん)手に在り、影草(ようぞう)身に随(したが)う。

有る時は鉄に綿団を裏(つつ)み、有る時は綿に特石(とくせき)を包む。

剛を以て柔を決することは、即ち故さらに是、強に逢うては即ち弱なる事如何。


注:

探竿(たんかん):さぐり棒。相手の力量をさぐる棒。

影草(ようぞう):天狗のかくれ箕。

こちらの手の内を相手にしられないようにする作用。

探竿手に在り、影草身に随う:相手の力量をさぐる棒を手にし、

こちらの手の内を相手にしられないようにする作用が身に付いている。

特石(とくせき):特別な石。

有る時は鉄に綿団を裏(つつ)み、有る時は綿に特石(とくせき)を包む:

表面は鉄のような怖い顔をしていても、

内心は綿のような柔らかな慈愛に満ちている。

剛を以て柔を決することは、即ち故さらに是、:

強い立場の師匠が弱い立場の弟子叱ることは当たり前だ。

強に逢うては即ち弱なる事如何:

強い立場の師匠が弱い立場の弟子にコロリと負けてやるのはどのような事だろうか。  

示衆の現代語訳


相手の力量をさぐる棒を手にし、

こちらの手の内を相手にしられないようにする作用が身に付いている。

表面は鉄のような怖い顔をしていても、内心は綿のような柔らかな慈愛に満ちている。

強い立場の師匠が弱い立場の弟子叱ることは当たり前だが、

強い立場の師匠が弱い立場の弟子にコロリと負けてやるのはどのような事だろうか。

本則:

廓侍者徳山に問う、「従上の諸聖什麼の処に向かって去るや?」。

山云く、「作麼作麼(そもそも)」。

 

廊云く、「飛龍馬を勅点すれば跛鼈はべつ)出頭し来る」。

山便ち休し去る。来日山浴より出ず、廓茶を過して山に与う。

 

山、廓が背を撫すること一下。

廓云く、「這の老漢方に始めて瞥地」。

 

山又休し去る。

   

注:

廓(かく)侍者:汝州南院宝応慧グウ(えぐう)禅師の侍者。

徳山:徳山宣鑑(680〜865)。唐代の禅者。青原下、龍潭崇信(生没年不詳)の法嗣。

もと「周金剛」という名で呼ばれる金剛般若経の有名な研究者であったが

龍潭崇信の指導下に大悟し禅門に投じた。

棒をもって弟子を鍛えたので「徳山の棒、臨済の喝」として知られる。

法系:六祖慧能 →青原行思→石頭希遷→

天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存

従上の諸聖:三世の諸仏、歴代の祖師達。

飛龍馬(ひりゅうめ):駿馬。名馬。

跛鼈(はべつ):びっこのすっぽんのような鈍感な者の譬え。

作麼作麼(そもそも):どこだどこだ。

勅点する:絶対的な命令を出す。

山便ち休し去る:徳山は黙って引っ込んだ。

来日:その後。

来日山浴より出ず、廓茶を過して山に与う。:

その後徳山が入浴して風呂から出た時に、廓侍者はお茶を差し上げた。

山、廓が背を撫すること一下:

徳山は廓侍者の背中を撫でて有難うありがとうとやった。

瞥地(べっち):チラリとわずかに見えること。

廓云く、這の老漢方(まさ)に始めて瞥地。:廓侍者は云った、

この親爺さんやっと俺の親切が分かったか」。

山又休し去る。:徳山は黙って引っ込んだ。


本則の現代語訳:

廓侍者が徳山に聞いた、

三世の諸仏、歴代の祖師達はどこに向かって去るのでしょうか?」。

徳山は云った、

どこだどこだ」。

 

廓侍者は云った、

名馬が出るはずの絶対命令を出したらびっこのすっぽんのような鈍感な者が出てきたわい」。

徳山は黙って引っ込んだ。

その後徳山が入浴して風呂から出た時に、廓侍者はお茶を差し上げた。

 

徳山は廓侍者の背中を撫でて有難うありがとうとやった。

廓侍者は云った、

この親爺さんやっと俺の親切が分かったか」。

 

徳山は黙って引っ込んだ。




頌:

覿面(てきめん)に来たる時作者知る、可(こ)の中石花電光遅し。

機を輸(ま)く謀主に深意有り。敵を欺く兵家に遠思無し。

発すれば必ず中る、更に誰をか謾ぜん。

脳後に腮(さい)を見て、人触犯し難し。眉底に眼を著けて渠(かれ)便宜を得たり。


注:

覿面(てきめん)に:まのあたりに。

作者:力量ある禅師。ここでは徳山をさす。

覿面に来たる時作者知る、可の中石花電光遅し:まのあたりに向かい合うと、

力量ある禅師徳山には電光石花にすばやく分かる。

機を輸(ま)く:わざと負けたようなふりをする。

機を輸(ま)く謀主に深意有り。敵を欺く兵家に遠思無し。:

わざと負けたふりをした徳山には深意があったが、

敵を欺こうとした廓侍者には深い考えは無かった。

発すれば必ず中る。更に誰をか謾ぜん。:

徳山のような力量ある禅師には無駄矢は一本もない。

百発百中だ。誰も徳山を馬鹿にすることはできない。

腮(さい):顎の骨。

後ろからみて顎骨が出っ張って見える徳山のような人は

油断できない人であると言われている。

脳後に腮(さい)を見て、人触犯し難し。:

後ろからみて顎骨が出っ張って見える

徳山のような人は油断できない人で馬鹿にはできない。

便宜を得たり。:

具合の良い手づるを得て、そこに売り込んで大儲けをする。

眉底に眼を著けて、渠便宜を得たり。:

眼の引っ込んだ廓侍者が「飛龍馬を勅点すれば跛鼈が出頭し来る

と言ったところは立派で評価できる。

しかし、調子に乗って今度は大損をした。



頌の現代語訳:

まのあたりに向かい合うと、力量ある禅師徳山には電光石花にすばやく分かかってしまう。

わざと負けたふりをした徳山には深意があったが、

敵を欺こうとした廓侍者には深い考えは無かった。

徳山のような力量ある禅師には無駄矢は一本もない。百発百中だ。

誰も徳山を馬鹿にすることはできない。

後ろからみて顎骨が出っ張って見える徳山のような人は馬鹿にはできない。

眼の引っ込んだ廓侍者が

飛龍馬を勅点すれば跛鼈が出頭し来る

と言ったところは立派で評価できる。

しかし、調子に乗りすぎて大損をした。


解釈とコメント


本則は廓侍者と徳山宣鑑の問答である。

徳山への廓侍者の質問、

三世の諸仏、歴代の祖師達はどこに向かって去るのでしょうか?」

は三世の諸仏、歴代の祖師達の境涯や人格はどのようなものですかと聞いている。

これを聞いた徳山は、「どこだどこだ?」と云う。

これは廓侍者が鼻息が荒いことを見取った徳山が

あたかも聞こえなかったかのようにとぼけた返答をして

侍者の悟り病を引き抜こうとしている言葉だと言える。

それに気付かない廓侍者は、

名馬が出るはずの絶対命令を出したらびっこのすっぽんのような鈍感な者が出てきたわい

と云う。

徳山は黙って引っ込んだ。

これは弟子に罵倒されてもなんとも思わず、

どこ吹く風かと黙って受け流す徳山の境地を表している。

徳山は智慧の力も慈悲の力も充分働く高い境地にいることを表している。

その後徳山が入浴して風呂から出た時に、廓侍者はお茶を差し上げた。

すると徳山は廓侍者の背中を撫でて「ありがとう」と言った。

すると廓侍者は、

この親爺さんやっと俺の親切が分かったか」と云う。

 

徳山にうまく釣り上げられたことにも気づかず、廓侍者は強気に云う。

徳山はまた黙って引っ込んだ。

門下の廓侍者にこのように馬鹿にされても

黙って引き下がる自由さは容易に得られるものではない。

本則は徳山の高い禅的境地を表した公案となっている。


15soku

 第15則  仰山挿鍬




示衆:

未だ語らざるに先ず知る、之を黙論(もくろん)と謂う。

明かさざれども自ずから顕わる、之を暗機(あんき)と謂う。

三門前に合掌すれば両廊下に行道す。

箇の意度(いたく)あり、中庭上に舞いを作せば、後門下に頭を揺かす、又作麼生(そもさん)。


注:

黙論と暗機:真の自己(脳)の機能に6つあるとされる。

その内の二つが黙論と暗機。黙論とは理屈なしに理解しあうこと。以心伝心と同じ。

その以心伝心の上においてお互いに自由自在、適切適度の働きができるのが暗機。

未だ語らざるに先ず知る、之を黙論と謂う

明かさざれども自ずから顕はる、之を暗機と謂う。:

真の自己(脳)について未だ語っていないのに以心伝心で分かるのが黙論である。

また明かになっていないのだが自ずから顕われ活発に働いているのが暗機である。

それが分かれば自由自在、適切適度の働きができるので気楽である。

三門:寺院の門。空・無相・無願の三境地を経て仏国土に至る門で、

三解脱門を表すとされる。

両廊下:仏殿に行く左右の廊下。

三門前に合掌すれば両廊下に行道す。:

坊さん達がお寺の三門の前に揃って合掌すれば

左右に分かれて左右の廊下を通って仏殿に行くことができる。

箇の意度(いたく)あり:箇のことはお互い暗黙のうちに了解している。

中庭上に舞いを作せば、後門下に頭を揺かす、又作麼生。:

相手がにっこり笑えば、こちらもにっこり笑う。

時所位に適した態度をとり、お互いに心が通じる。

それが真の自己(=脳)の活作用だ。そのような働きはどこから来ているのだろうか。


示衆の現代語訳


真の自己(=脳)は未だ語っていないのに以心伝心で通じるのが黙論である。

また明かになっていないのに自ずから顕われ活発に働いているのが暗機である。

それが分かれば自由自在、適切適度の働きができる。

坊さん達がお寺の三門の前に揃って合掌すれば

左右に分かれて左右の廊下を通って仏殿に行くことができる。

このことはお互い暗黙のうちに了解しているからだ。

相手がにっこり笑えば、こちらもにっこり笑う。

時所位に適した態度をとり、お互いに心が通じる。

それが真の自己(=脳)の活作用だ。

それではそのような活作用はどこから来ているのだろうか。


本則:

イ山仰山に問う、「甚麼(いずれ)の処よりか来たる?」。

仰云く、「田中(でんちゅう)より来たる」。

 

山云く、「田中多少の人ぞ?」。

仰山鍬子(しゅうす)を挿下(そうげ)して叉手(しゃしゅ)して立つ。

 

山云く、「南山に大いに人有って茆(ちがや)を刈る」。

仰鍬子(しゅうす)を拈(ねん)じて便ち行く。

   

注:

イ山:イ山霊祐(771〜853)。百丈懐海の法嗣。イ仰宗の開祖。

法系:六祖慧能→南岳懐譲→馬祖道一→百丈懐海→イ山霊祐

仰山:仰山慧寂(807〜883)。イ山霊祐の法嗣。イ山霊祐とともにイ仰宗の開祖となる。

仰山慧寂は師のイ山霊祐と黙論と暗機の間柄であったのでこの公案に取り上げられている。

甚麼の処よりか来たる:どこからきたのか?

叉手:両手を胸のところの交叉すること。

茆を刈る:茅刈りをする。


本則の現代語訳:

イ山は仰山に聞いた、「どこから来たのか?」。

仰山は云った、「田んぼより来ました」。

 

イ山は云った、「田んぼには大勢の人がおったかな?」。

仰山は鍬を大地に挿して叉手して立った。

 

イ山は云った、「今日は大作務で皆大勢で南山で茅を刈っているぞ」。

仰山は鍬をかついでさっさと行った。

   


頌:

老覚(ろうかく)情多くして子孫を念(おも)う、而今慚愧(ざんき)して家門を起こす。

是れ須らく南山の語を記取すべし。

骨に鏤(ちり)ばめ肌(はだえ)に銘じて共に恩を報ぜよ。


注:

老覚(ろうかく):老老大大たる覚者という意味。ここではイ山霊祐禅師をさす。

老覚情多くして子孫を念う:

老老大大たる覚者であるイ山霊祐禅師は

情念のこまやかな人で弟子や法孫達の仏道成就を願って

あれこれと親切に指導される。

而今慚愧して家門を起こす:仰山は師であるイ山に注意されて、

すぐに自分の見識を捨てて鍬をかついでさっさと行った。

このような素直でこだわらない性格は素晴らしい。

鍛錬修行を怠らず、悟りの臭みを捨てて、脱落さらに脱落と自分を磨いている。

記取すべし:忘れてはならない。

是れ須らく南山の語を記取すべし:イ山が言った

今日は大作務で皆大勢で南山で茅を刈っているぞ

という言葉を忘れてはならない。

骨に鏤(ちり)ばめ肌(はだえ)に銘じて共に恩を報ぜよ:

骨にも彫り付け肌にも記して修行を重ねて自分を磨き、人々を教化するのだ。

それでこそ仏祖の恩に少しでも報じることになるのだ。



頌の現代語訳:

老老大大たる覚者であるイ山霊祐禅師は情念のこまやかな人で

弟子や法孫達の仏道成就を願ってあれこれと親切に指導される。

仰山は師であるイ山に注意されて、すぐに自分の見識を捨てて鍬をかついでさっさと行った。

仰山の素直でこだわらない性格は素晴らしい。

彼は鍛錬修行を怠らず、悟りの臭みを捨てて、悟後の修行に励み悟りを深めている。

イ山が言った「今日は大作務で皆大勢で南山で茅を刈っているぞ

という言葉を忘れてはならない。

骨にも彫り付け肌にも記して忘れないようにして

修行を重ねて自分を磨き、人々を教化するのだ。

それでこそ仏祖の恩に少しでも報じることになるだろう。


解釈とコメント


本則はイ山霊祐と弟子の仰山慧寂の問答である。

イ山は仰山に問うた、「どこから来たのか?」。

この質問は場所を聞いた質問ではない。借事問である。

。借事問については(無門関15則を参照)

「無門関」第15則を参照)。

そのことは仰山は百も承知で仰山は答えている。

それは仰山の次の答えで分かる。

仰山は云った、「田んぼより来ました」。

この答えの「田んぼ」は

自己の心田、即ち本来の自己(=真の自己)を意味し、立派な答えになっている。

イ山は云った、「田んぼには大勢の人がおったかな?」。

イ山と仰山は互いに相手を良く分かった知音同志であるが

田んぼより来ました」という答えだけではまだはっきりしない。

そこで、再勘弁の質問をしている。

仰山は鍬を大地に挿して叉手して立った。

「田んぼ」は自己の心田、即ち本来の自己(=真の自己)であるから

本来の自己(=真の自己)は、自己の脳中に一つしかないことを行動で示している。

イ山は云った、「今日は大作務で皆大勢で南山で茅を刈っているぞ

という言葉に対しても仰山は、少しも動揺しない。

仰山の態度は立派で、そこに少しでも慢心や執着が有ってはいけない。

そこでこのような言葉になった。

今日は大作務で、皆忙しく茅刈りをしている。その事を仰山は充分分かっている。

自己の心田、即ち本来の自己(=真の自己)とであるから、茅刈りなどの大作務とは関係ない。

そこで、仰山は鍬をかついでさっさと行った。

仰山は何も言わない。

ただ鍬を担いで、はい左様ですかと、いわんばかりに、さっさと行ってしまった。

本則では、イ山霊祐と高弟の仰山慧寂の息の合った見事な問答と行動を見ることができる。


16soku

 第16則   麻谷振錫  




示衆:

鹿を指して馬と為し土を握って金と為す。

舌上に風雷を起こし、眉間に血刃を蔵す。坐ながらに成敗を観、立ちどころに死生を験す。

且く道え是れ何の三昧ぞ。


注:

鹿を指して馬と為し土を握って金と為す:鹿を指して馬と言うとは人を馬鹿にした話だ。

それと似た話でインドでは土を握ったら金となったという話があるとのこと。

そういう手品のようなうまい話はある筈もないだろう。

舌上に風雷を起こす:褒めたり、貶したりが自由にできる。

眉間に血刃を蔵す:血の出ない斬り方をする。

坐ながらに成敗を観、立ちどころに死生を験す:

坐ったままで直ちに相手の長所短所を見、法眼の明暗、

境涯の深浅を看破することができる。

そしてどこまで死んだか、どれだけ復活しているかをたちどころに試験してしまうことができる。

且く道え是れ何の三昧ぞ。:それは如何なる三昧力によるものだろうか。


示衆の現代語訳


鹿を指して馬と言うとは人を馬鹿にした話だ。

それと似た話でインドでは土を握ったら金となったという話があるとのこと。

そういう手品のようなうまい話はある筈もないが、

優れた禅僧や師家は相手を褒めたり、貶したりを自由にでき、

血の出ない斬り方をするような活作略を持っている。

彼等は坐ったままで直ちに相手の長所短所を見、

法眼の明暗、境涯の深浅を看破することができる。

そしてどこまで死んだか、どれだけ復活しているかをたちどころに試験してしまうことができる。

それは如何なる三昧力によるものだろうか。


本則:

麻谷錫を持して章敬に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振るうこと一下、卓然として立つ。

敬云く、「是是」。

谷又南泉に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振るうこと一下、卓然として立つ。

泉云く、「不是不是」。

谷云く、「敬は是と道う、和尚什麼としてか不是と道う?」。

泉云く、「章敬は即ち是是、汝は不是。此れは是れ風力の所転、終に敗壊を成す」。


注:

麻谷:麻谷宝徹。山西省蒲州、麻谷山の宝徹禅師。

馬祖道一の法嗣。

麻谷宝徹禅師には「風性常住、無処不周」という有名な公案がある。

現成公案を参照)。

章敬:西安の章敬寺にいた章敬懐キ(えき)禅師(757〜818)。麻谷宝徹の兄弟子。

南泉:南泉普願禅師(748〜834)。馬祖道一の法嗣。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 → 南泉普願 


本則の現代語訳:

ある時麻谷禅師は、錫杖を持って兄弟子の章敬禅師を訪ねた。

麻谷は章敬禅師が坐っている禅床を三回回って、

錫杖をジャランと振って突き立て、意気衝天の勢いを示した。

それを見て章敬は云った、

よし、よし」。

麻谷はまた南泉禅師の所を訪ねた。

麻谷は南泉禅師が坐っている禅床を三度回って、

錫杖をジャランと振って突き立て、意気衝天の勢いを示した。

それを見て南泉は云った、

だめだ、あかん!」。

麻谷は南泉に云った、

章敬は是と言いました

南泉和尚はどうしてだめ(不是)と言うのですか?」。

南泉は云った、

章敬には関係ないよ。章敬はそれでいいさ。お前さんがいかんのだ

お前さんは風力に動かされている。それでは最後にはだめになるよ」。




頌:

是と不是と、好し椦(けん)キを看るに。抑(よく)するに似たり、揚するに似たり。

兄たり難く、弟たり難し。

従也彼れ既に時に臨む。奪也我れ何ぞ特地(とくち)ならん。

金錫一たび振るうて太はだ孤標。縄牀三たび遶(めぐ)って閑に遊戯す。

叢林擾擾(そうりんじょうじょう)として是非生ず。

想像(おもいや)る髑髏前(どくろぜん)に鬼を見ることを。


注:

椦(けん)キ:罠(わな)。

是と不是と、好し椦(けん)キを看るに:

是と不是は、罠(わな)にかかるかどうかを見るのによい。

抑(よく)するに似たり揚するに似たり。兄たり難く弟たり難し:

南泉は「不是不是」と言って麻谷を抑えたように見える。

また章敬は「よし、よし(是是)」と言って麻谷を持ち揚げたように見える。

しかし、南泉も章敬も抑えたり持ち揚げたりしたわけでもない。

彼らは是や不是にとらわれたり、こだわるような人達ではない。

どちらが兄でどちらが弟とも言えない。

南泉も章敬も負けず劣らずの立派な対応ぶりだ。 

従:是としてゆるす応対。

奪:不是として許さない応対。

特地:特別なもの。 

従也彼れ既に時に臨む、奪也我れ何ぞ特地ならん:章敬が「よし、よし(是是)」

と言って麻谷を許したのも、

南泉が「だめだ、あかん!(不是不是)」と言って麻谷を許さなかったのも、

その時に適当な判断をして臨機応変に対応しただけであって何も特別なものではない。

金錫:立派な錫杖。

太はだ孤標:天上天下唯我独尊の独立の境地。 

金錫一たび振るうて太はだ孤標:

麻谷は立派な錫杖を振るって天上天下唯我独尊の境地を示した。

縄牀:禅牀。 

縄牀三たび遶って閑に遊戯す。:

麻谷は禅牀の回りを三回何のたくらみもなく閑かに遊戯しただけだ。

叢林:禅の修行道場。 

擾擾として:大騒ぎをして、

叢林擾擾として是非生ず。想像(おもいや)る髑髏前に鬼を見ることを:

道場では「是」だ「不是」だと大騒ぎをしたが、

それは百年二百年経った髑髏にお化けがくっ付いていると

大騒ぎをするようなものでばかばかしい。  

頌の現代語訳:

是と不是は、わなにかかるかどうかを見るのによい。

南泉は「だめだ。あかん!(不是不是)」と言って麻谷を抑えたように見える。

また章敬は「よし、よし(是是)」と言って麻谷を持ち揚げたように見える。

しかし、南泉も章敬も抑えたり持ち揚げたりしたわけでもない。

彼らは是や不是にとらわれたり、こだわるような人達ではない。

どちらが兄でどちらが弟とも言えない。

南泉も章敬も負けず劣らずの立派な対応ぶりだ。

章敬が「よし、よし(是是)」と言って麻谷を許したのも、

南泉が「だめだ、あかん!(不是不是)」と言って麻谷を許さなかったのも、

その時に適当な判断をして臨機応変に対応しただけであって何も特別なものではない。

麻谷は立派な錫杖を振るって天上天下唯我独尊の境地を示した。

麻谷は禅牀の回りを三回まわったが、彼は何のたくらみもなく閑かに遊戯しただけだ。

道場では「是だ「不是」だと大騒ぎをしたが、

それは百年二百年経った髑髏にお化けがくっ付いていると

大騒ぎをするようなものでばかばかしい。


解釈とコメント


本則は碧巌録の31則と殆ど同じである(碧巌録31則を参照)。

碧巌録の31則では麻谷の境地を否定的に見て、まだ反省すべき点があるとしている。

しかし、本則では南泉の批判を曖昧にし、麻谷の境地を肯定的に高く評価している。

南泉は「「汝は不是。此はこれ風力の転、ついに敗壊を成す

という言葉で麻谷の境地を「不是」とはっきり言っている。

馬祖道一の法嗣である大珠慧海は著書「頓悟要門」において

「定」とは対象に対して無心であり、八風にも動揺させられることがない

八風とは利益、損失、かげでそしること、かげでほめること

面前でほめること(称)、 面前でそしること(譏)、苦しみ、楽しみである

この八つを八風と名付ける」としている

麻谷は章敬に褒められ慢心してこれなら南泉にもきっと褒められるだろう

と思っていたのではないだろうか。

麻谷は南泉にも褒められることを期待していた。

あるいは、麻谷は南泉にも褒められたいものだと望んでいた。

即ち麻谷は(称)という風に動かされていた。

そのため、南泉の前で無心に振る舞うことができなかった。

そこを敏感に見抜いた南泉は

章敬には関係ないよ。章敬はそれでいいさ。お前さんがいかんのだ

お前さんは風力(特に称)に動かされている。それでは最後にはだめになるよ

と麻谷の境地を「不是」としたのではないだろうか。

示衆」では「優れた禅僧や師家は坐ったままで直ちに相手の長所短所を見

法眼の明暗、境涯の深浅を看破することができる。」と述べている。

これは南泉に当てはまる言葉である。

そのように考えれば、南泉が麻谷の境地を「不是」と言った理由が良く分かる。



17soku

 第17則  法眼毫釐  



示衆:

一双の孤雁(こがん)地を搏(はう)って高く飛び、一対の鴛鴦(えんおう)池辺に独立す。

箭鋒(せんぶ)相柱(ささ)うることは即ち且らく致(お)く。

鋸解秤錘(きょげひょうすい)の時如何。


注:

一双の孤雁:

眉間に血刃を蔵す:2羽の雁。

一対の鴛鴦(えんおう):一つがいのオシドリ。

箭鋒(せんぶ)相柱(ささ)うること:2人の弓の名人が弓を射合った時、

2本の弓矢が途中で正面衝突してそのまま地面に落ちたという故事に基づく。

実力伯仲の師家と学人が法戦することの喩え。

鋸解秤錘(きょげひょうすい):学人の妄想分別を鋸で引き切るように切断すること。


示衆の現代語訳


2羽の雁が池から羽ばたいて高く飛び、

一つがいのオシドリが一体になって仲睦まじく池で泳いでいる。

2人の弓の名人が弓を射合った時、

2本の弓矢が途中で正面衝突してそのまま

地面に落ちたという話はしばらくおき、

学人の境涯の深浅を試験したり、

妄想分別を鋸で引き切るように切断する時はどうなるだろうか。


   

本則:

法眼脩山主に問う、

毫釐(ごうり)も差有れば天地懸かに隔(へだ)たる、汝作麼生(そもさん)か会す?」。

脩云く、

毫釐も差有れば天地懸(はる)かに隔たる」。

 

眼云く、

恁麼ならば又争(いか)でか得ん?」。

脩云く、

某甲只だ此の如し。和尚又如何?」。

 

眼云く、

毫釐も差有れば天地懸かに隔たる」。

脩便ち礼拝す。


注:

法眼:法眼文益禅師(885〜958)。法眼宗の始祖。

法系:石頭希遷→・・→ 徳山宣鑑→雪峯義存→玄沙師備→羅漢桂チン→法眼文益 

毫釐も差有れば天地懸かに隔たる:ほんの少しでも差誤が有れば、

天と地のように遠く隔たってしまう。

「信心銘」の冒頭に出て来る言葉。

信心銘を参照)。

恁麼ならば又争(いか)でか得ん:

そんなことでどうして仏法を手に入れたと言うことができようか。



本則の現代語訳:

脩山主に法眼が聞いた、

「 「信心銘」に『毫釐も差有れば天地懸かに隔たる』という言葉があるが

お前さんはこの言葉をどのように理解しているのか?」。

脩山主は云った、

毫釐も差有れば天地懸かに隔たる」。

 

法眼が云った、

そんなことでどうして仏法を手に入れたと言うことができようか?」。

脩山主は云った、

私はただそのようです。和尚はどうなんですか?」。

 

法眼は云った、

毫釐も差有れば天地懸かに隔たる」。

脩山主はすぐ礼拝した。



頌:

秤頭に蝿坐(はえざ)すれば便ち欹傾(きけい)す。

万世の権衡不平を照らす。

斤両錙銖(ししゅ)端的を見るも、終いに帰して我が定盤星(じょうばんせい)に輸(ま)く。


注:

欹傾(きけい)す:傾く。

秤頭に蝿坐(はえざ)すれば便ち欹傾(きけい)す。:

精巧な秤には蠅が一匹止まっても傾くように、

本来の面目に少しでも分別妄想が生じると、

それだけ道にそむく。

(心境一如の状態からそむいて主客分離の状態になる)。

万世の権衡:万世のハカリ。仏法のこと。

不平:不平等。差別。 

万世の権衡不平を照らす。:

すべての差別は平等な一である下層脳の上に位置する上層脳(大脳新皮質=理知脳)

から生まれる。

すべての差別の根源である下層脳の世界は平等である。

万世のハカリである仏法の光はそのことを照らし、明らかにしている。 

斤両錙銖(きんりょうししゅ):目方。

斤両は重い方の目方で、錙銖は軽い方の目方。

斤両錙銖で軽重という意味にもなる。

定盤星(じょうばんせい):秤の基本点。

普通は動きのとれない悪い意味に使うがここでは立派な意味に使っている。

斤両錙銖(ししゅ)端的を見るも、終いに帰して我が定盤星(じょうばんせい)に輸(ま)く。:

脩山主が軽重の重さを誤らないように端的にみるのはなるほど偉いには偉いが、

法眼禅師の定盤星(じょうばんせい)にはとても叶わない。



頌の現代語訳:

精巧な秤には蠅が一匹止まっても傾くように、

本来の面目に少しでも分別妄想が生じると、それだけ道にそむく。

すべての差別は平等な一である下層脳中心の脳から生まれる。

その意味ですべての差別は平等である。

万世のハカリである仏法の光はそのことを照らし、明らかにしている。

脩山主が軽重の重さを誤らないように見たのは、

なるほど偉いには偉いが法眼禅師の優れた仏法のハカリにはとても叶わない。


解釈とコメント


毫釐も差有れば天地懸かに隔たる

は「信心銘」の冒頭に出て来る有名な言葉である。

信心銘を参照)。

この言葉は「ほんの少しでも差誤が有れば、天と地のように遠く隔たってしまう」

と訳すことができる。これではよく分からない。

本則はそれに対する一つの答えになっていると思われるがそれでもはっきりしない。

その理由は天と地のように遠く隔たってしまう主語がはっきりしないためだと思われる

これも禅語の特徴の一つである。次のように脳科学的観点から解釈した方が分かり易い。




脳科学的解釈:



脳科学的に解釈すると次のようになるだろう。

本来の面目である下層脳中心の脳は

上層脳(理知脳)が鎮静化し健康(明浄)である時には、

明浄妙心とも呼ばれる心境一如の状態(純粋意識)になる。

(明浄妙心については6章「公案」を参照)(6章「公案」を参照)。

脳が心境一如の状態(明浄妙心=純粋意識の状態)にある時、

上層脳(=理知脳)で色々考えると分別妄想が生まれる。

ちょっとした心の動きや曇り(差誤)によって、

心境一如という一種の均衡状態が破れて主客分離の状態に陥る。

それを「毫釐も差有れば天地懸かに隔たる」と言っているのではないだろうか。

   
   
18soku

 第18則   趙州狗子 



示衆:

水上の葫蘆(ころ)按著すれば便ち転ず。

日中の宝石、色に定まれる形無し。

無心を以ても得るべからず、有心を以ても知るべからず。

没量の大人語脉裏に転却せらる、還って免れ得る底有りや。


注:

葫蘆(ころ):瓢箪。

按著すれば:押さえつければ、

日中の宝石、色に定まれる形無し:太陽の光に照らされると、

宝石がいろんな色に輝くように、一定の色ではない。

水上の葫蘆(ころ)按著すれば便ち転ず。日中の宝石、色に定まれる形無し:

水に浮いている瓢箪をちょっと押さえると、くるりと回転する。

太陽の光に照らされると、宝石はいろんな色に輝く。

そのように、何かに固着したり定着したら生きた仏法ではない。

仏祖の説法もそのようである。

その時、その条件に適応して変化するのが活きた説法である。

無心を以ても得るべからず、有心を以ても知るべからず:心に何か有ったらだめである。

だからといって無心を以て得ようとしてもだめだ。

熟慮しても無念無想でもだめだ。

有にとらわれても無にとらわれてもだめで、

素直で頭の中が白紙の状態でなければならない。

没量の大人:よく修行のできた人。

語脉裏に転却せらる:言葉尻に引っかかる。

没量(もつりょう)の大人(たいにん)語脉裏に転却せらる:

よく修行のできた人でも言葉尻に引っかかる。

還って免れ得る底有りや:そうならば、この過ちを免れることができるような人はいるだろうか。  


示衆の現代語訳


水に浮いている瓢箪をちょっと押さえると、くるりと回転する。

太陽の光に照らされると、宝石はいろんな色に輝く。

仏法もそれと同じで、

何かに固着したり定着していきいきとしなくなったら生きた仏法ではなくなる。

仏祖の説法もその時、その条件に適応して変化するのが活きた説法である。

心に何か有ったらだめである。

だからといって無心を以て得ようとしてもだめだ。熟慮しても無念無想でもだめだ。

有にとらわれても無にとらわれてもだめで、

素直で頭の中が白紙の状態でなければならない。

よく修行のできた人でも言葉尻に引っかかり易い。

そうならば、この過ちを免れることができるような人はいるだろうか。  



本則:

僧趙州に問う、

狗子に還(かえ)って仏性有りや也た無しや?」。

州云く、

」。

僧云く、

既に有れば、甚麼(なん)としてか却って這箇の皮袋に撞入(どうにゅう)するや?」。

州云く、

他(た)の知って故さらに犯すが為なり」。

又僧有り問う、

狗子に還って仏性有りや也た無しや?」。

州云く、

」。

僧云く、

一切衆生皆仏性有り、狗子什麼(なん)としてか却って無なる?」。

州云く、

伊(かれ)に業識(ごっしき)の有る在るが為なり」。


注:

狗子:犬。

趙州:趙州従シン(じょうしゅうじゅうしん、778〜897)。南泉普願の法嗣。

趙州の観音院に住した。

趙州の口唇皮(くしんぴ)禅といわれ、口唇皮上に光明を放つとも言われた大禅師。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→ 趙州従シン

業識:煩悩心。



本則:

趙州に僧が聞いた、

犬に仏性はあるでしょうか、あるいはないでしょうか?」。

趙州は云った、

あるよ」。

僧は云った、

仏性があるなら、なぜあんな皮袋をかぶってワンワンやっているのですか?」。

趙州は云った、

あいつは承知で犬になるような業をつくったから、それで犬になったんだよ」。

又ある僧が聞いた、

犬に仏性はあるでしょうか、あるいはないでしょうか?」。

趙州は云った、

無い」。

僧は云った、

涅槃経には一切衆生皆仏性有りと書いてあります

どうして、犬に無いといわれるのですか?」。

趙州は云った、

犬には煩悩があって、そのため悪業を作り犬になったのだ」」。




頌:

狗子仏性有狗子仏性無。

直鈎(ちょっこう)、元、命に負むく魚を求む。

気を遂ひ香を尋ぬ雲水の客。

そうそう雑雑として分疎をなす。

平らかに展演し大いに舗舒(ほじょ)す。

怪しむこと莫れ儂が家初めを慎しまざることを。

瑕疵(かし)を指点して還って璧(たま)を奪う。

秦王(しんのう)は識らず藺相如(りんそうじょ)。


注:

狗子仏性有狗子仏性無:犬に仏性はある。犬に仏性は無い。

直鈎(ちょっこう):まっすぐな釣り針。丸出しになっている真実。

命に負むく魚:生命を投げ出している魚。命がけになっている修行者。

直鈎(ちょっこう)、元、命に負むく魚を求む:丸出しになっている真実を明らかに

するためには命がけになっている修行者が必要である。

気を遂(お)い香を尋ぬ雲水の客:あっちこっちふらふらしているから

いつまで経っても悟ることができないのだ。

そうそう雑雑として:騒がしく、

言い訳。理屈。 分疎:

そうそう雑雑として分疎をなす:いろんな理屈をいっているが、そんなものは理屈にすぎない。

展演し舗舒(ほじょ)す:広げて見せる。

平らかに展演し大いに舗舒(ほじょ)す:趙州は惜しげもなく仏性を広げて見せている。

怪しむこと莫れ儂(かれ)が家初めを慎しまざることを:趙州が初めに有といったから

今度は無と言うのはおかしいぞと怪しむ必要はない。

彼の言葉は宝石のようにキラキラと光っている。

瑕疵(かし):キズ。

璧(たま):宝石。

瑕疵(かし)を指点して還(かえ)って璧(たま)を奪う。:

その宝石にはキズがあるぞと偽って宝石を奪い返した。

これは以下の故事に基づいている。

昔中国で趙という国の王がすばらしい宝石を持っていた。

それを秦国の王が欲しがって、15城(15都市)と交換して欲しいと趙王に申し込んだ。

趙王は気が進まなかったが、藺相如を秦国に派遣して交渉に当たらせた。

藺相如を迎えた秦国王は宝石を受け取って大いに喜んだ。

そこで藺相如は一策を按じて

この宝石には少しキズがあります。それをはっきりさせましょう

と言って宝石を通りかえして言った、

わが趙王は5日間斎戒沐浴して、この宝石を私に託しました

しかし、大王は15城(15都市)を渡そうともされない

私は今頭でこの宝石を石柱にぶちつけて粉みじんにしてしまいます」。

秦王は宝石割られては大変だと思い言葉を和らげて

予も斎戒沐浴して、あらためてその宝石を受け取るであろう

と言った。

藺相如はその晩、徹夜で秦国を脱出し、宝石を持って趙国へ逃げ帰った。

「瑕疵(かし)を指点して還って璧(たま)を奪う」という言葉はこの故事に基づいている。

ここでいう璧(たま)は我々本具の仏性を宝石になぞらえている。

秦王(しんのう)は識らず藺相如(りんそうじょ)。:

秦王は藺相如の腹の中を知らずに宝石を持って行かれた。

宝石を持って行かれた秦王のように間抜けたことをしてはならない。



頌の現代語訳:

趙州はある時には「犬に仏性はある」。

ある時には「犬に仏性は無い

と言って仏性の真実を丸出しにした。

この丸出しになっている真実を明らかにするためには命がけになって修行する必要がある。

あっちこっちふらふらしているといつまで経っても悟ることができないぞ。

いろんな理屈をいっているが、そんなものは理屈にすぎない。

趙州は惜しげもなく仏性を広げて見せている。

趙州が初めに有と言い、今度は無と言うのはおかしいぞと疑う必要はない。

彼の言葉は宝石のようにキラキラと光っている。

趙の藺相如は「その宝石にはキズがありますぞ」と偽って宝石を秦王から奪い返した。

秦王は藺相如の腹の中がわからなかったので宝石を持って行かれた。

宝石を持って行かれた秦王のように間抜けてボーッとしていてはならない。


解釈とコメント


本則は趙州と僧の間に交わされた、「犬に仏性はあるか、ないか?」

という問答を通して仏性とは何かの問題を扱っている。

趙州はある時は云った、「犬に仏性はある」と言い、ある時は「犬に仏性は無い」と答える。

犬に仏性は無い」という趙州の答えは「無門関」第一則の「趙州狗子」の公案として有名である

「無門関」第一則を参照)。

仏性(真の自己)は無我、無心、「本来無一物」の観点から見ると「無」の側面を持っている。

だからと言って仏性(真の自己)は無いかというとそれは確かに有る。

本則は仏性(真の自己)が持つ無と有の二面性を扱っていると考えることができる。

仏性(=真の自己)が持つ無と有の二面性は科学的に考えると簡単に説明することができる。


 仏性)が持つ無と有の二面性の科学的説明


仏性(=真の自己)が持つ無と有の二面性は科学的に考えると次のように簡単に説明することができる。

本ホームページでの研究によると

仏性(=真の自己)は下層脳(脳幹+大脳辺縁系)を中心とする脳である。

「禅の根本原理と応用」を参照)。

下層脳(脳幹+大脳辺縁系)は無意識脳であるのでの側面を有する。

「禅と脳科学」を参照)。

下層脳(脳幹+大脳辺縁系)は生命情動脳であり、生命と情動を支えている点で、の側面を有する。

このように、脳科学的観点から見ると、仏性(=真の自己)の二面性を持つことが分かる。

趙州は仏性(=真の自己)のの側面を強調したい時には、「犬に仏性はある」と言い、

の側面を強調したい時には、「犬に仏性は無い」と答えたのではないだろうか。


19soku

 第19則  雲門須弥 



示衆:

我は愛す韶陽新定の機、一生人の与めに釘楔(ていけつ)を抜く。

甚(なん)としてか有る時は也た門を開いて膠盆(こうぼん)を綴出(てつすい)し、

当路に陥穽(かんせい)を鑿成(さくせい)す。

試みに揀弁(けんべん)して看よ。




注:

韶陽(しょうよう):雲門文偃の居た場所。雲門をさす。

新定(しんじょう):雲門文偃を指導し見性させた睦州和尚の居た場所。睦州をさす。

我は愛す韶陽新定の機:私は雲門文偃と睦州和尚の活機輪が好きだ。

釘楔(ていけつ):クギとクイ。我々を釘づけにしたりクサビを打ち込んで

動きをとれなくする分別妄想のこと。

一生人の与めに釘楔(ていけつ)を抜く:

彼等は一生人のために煩悩妄想を引き抜いて真の自由人にした。

門を開いて:教化の手段を用いて、

膠盆(こうぼん):ニカワの盆。手の付けられないもの。

綴出(てつすい)する:取り出す。

陥穽(かんせい):落とし穴。

鑿成(さくせい)する:穴を掘る。

甚(なん)としてか有る時は也た門を開いて膠盆(こうぼん)を綴出(てつすい)し、

当路に陥穽(かんせい)を鑿成(さくせい)す:

どうしてある時には教化の手段として、ニカワの盆を取り出したり、

落とし穴を掘ったりして修行者を導くのだろうか。

揀弁(けんべん)して:見分けて、


示衆の現代語訳


私は雲門文偃と睦州和尚の活機輪が好きだ。

彼等は一生人のために煩悩妄想を引き抜いて真の自由人にした。

彼等はどうしてある時には教化の手段として、ニカワの盆を取り出したり、

落とし穴を掘ったりして修行者を導くのだろうか。

試みに例を挙げるので見分けて見なさい。



本則:

僧雲門に問う、

不起一念還って過有り也また無しや?」。

門云く、

須弥山」。


注:

雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の始祖。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→

龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存→雲門文偃

不起一念:分別妄想を起こさないこと。一念を起こさないこと。

須弥山:

世界の中心にあるという高山。

須弥山世界観を参照)。

ここでは本来の面目(真の自己)を須弥山になぞらえている。

禅版:


本則の現代語訳:

僧が雲門に聞いた、

一念を起こさないことには過(とが)が有るのでしょうか?あるいは無いのでしょうか?」。

雲門は云った、

須弥山」。



頌 

不起一念須弥山。

韶陽(しょうよう)の法施意志慳(お)しむに非ず。

肯(うけが)い来たれば両手に相ひ分布せん。

擬(ぎ)し去れば千尋(せんじん)攀(よ)ず可(べ)からず。

滄海(そうかい)濶(ひろ)く白雲閑たり。

毫髪(ごうはつ)を将(も)って其の間に著くこと莫れ。

假鶏(かけい)の声韻(せいいん)我を謾(まん)じ難し。

未だ肯(あ)えて模胡(もこ)として関を放過(ほうか)せず。



注:

不起一念須弥山:不起一念は「須弥山」だと雲門は云った。

須弥山は世界の中心にそびえている高山だ。

不起一念の坐禅は須弥山のような本来の自己の顕現だということを雲門は示した。

韶陽の法施意志慳しむに非ず。雲門は僧に惜しげもなく法施をした。

肯(うけが)い来たれば両手に相ひ分布せん:

それが分かれば両手一杯に受け取ることができるだろう。

擬(ぎ)し去れば千尋攀(よ)ず可からず:ハテナと頭をひねったりすれば、

雲門が云った須弥山によじ登って拝むことはできない。

思想や理知でこの須弥山によじ登り体験することはできない。

滄海(そうかい)濶(ひろ)く白雲閑たり:我々が本具する須弥山から眺める

海は濶く白雲はのどかにたなびいている。

毫髪を将って其の間に著くこと莫れ:

毛筋ほどでもそこに思想や理屈を持ち出して説明してはならない。

假鶏(かけい)の声韻:鶏の鳴き声のまね。

假鶏(かけい)の声韻我を謾じ難し:鶏の鳴き声をまねて

私宏智正覚や雲門をだまそうとしても騙されないぞ。

模胡(もこ):曖昧なこと。

放過:許して通すこと。

未だ肯(あ)へて模胡(もこ)として関を放過せず:曖昧な答えでは

この関門を通ることはできない。



頌の現代語訳:

不起一念は「須弥山」だと雲門は云った。

不起一念の坐禅は須弥山のような本来の自己の顕現だということを雲門は示した。

雲門は僧に惜しげもなく法施をした。

それが分かれば両手一杯に受け取ることができるだろう。

ハテナと頭をひねったりすれば、雲門が云った須弥山によじ登って拝むことはできない。

我々が本具する須弥山から眺める海は濶く白雲はのどかにたなびいている。

毛筋ほどでもそこに思想や理屈を持ち出して説明してはならない。

鶏の鳴き声をまねてわし(宏智正覚)や雲門をだまそうとしても騙されないぞ。

曖昧な答えではこの関門を通ることはできないのだ。



解釈とコメント


本則で雲門は不起一念で坐禅をすると

須弥山のような本来の自己が顕現するだろうと言っている。

不起一念とは上層脳(理知脳)を働かせない状態をいうので

下層脳(脳幹中心の生命情動脳、無意識脳)を中心とする脳しか働いていない。


それは無分別智の開発をめざす坐禅の理想的状態といえる。



この不起一念の禅定中にある「本来の自己」を雲門は「須弥山」という言葉で文学的に表現した

ことが分かる。

本来の自己」は

宇宙の中心にある「須弥山」のように堂々と聳え立っていると文学的に表現したのである



」において、

万松行秀は「毛筋ほどでもそこに思想や理屈を持ち出して説明してはならない

と述べている。

雲門の時代には本来の面目を合理的に説明できる理論である科学(脳科学)がなかった

のでこう言うしかなかっただろう。



20soku

 第20則  地蔵親切  



示衆:

入理(にゅうり)の深談(しんだん)は三を嘲(あざけ)り四をさく。

長安の大道七縦八横、忽然(こつねん)として口を開いて説破(せっぱ)し、歩を挙げて蹈著(とうじゃく)せば、

便ち高く鉢嚢(はつのう)を掛け柱杖(しゅじょう)を拗折(ようせつ)すべし。

且らく道え誰か是れ其の人。


注:

入理の深談:仏法(禅)の第一義。

入理の深談は三を嘲り四をさく:仏法(禅)の第一義は

三つや四つに分けて議論しては本質を明らかにできない。

長安の大道:中国の古都長安の大道。

都に通じる大道という意味だがそれは表面的な意味で、

長安には長久平安への大道という意味を込めていると考えることができる。

長安の大道七縦八横:本当に悟ると

真の自己は古都長安のように自己の中心であることが分かる。

そこから七通八達の大機大用が発現して、往くところ可ならざるはない。

忽然として:時に臨んで自然になにげなく、

忽然として口を開いて説破し、歩を挙げて蹈著せば、:

時に臨んで自然になにげなく言うべきことを言い、為すべきことができるので、

鉢嚢:雲水が食事をする時の応量器。

柱杖を拗折(ようせつ)すべし:つえを折ることができるだろう。

便ち高く鉢嚢を掛け柱杖を拗折(ようせつ)すべし:

便ち高く応量器を掛け杖を折ることができるだろう。

雲水が行脚する時に必要な応量器や杖はもう必要なくなる。

もう行脚する必要はなくなるだろう。


示衆の現代語訳


仏法(禅)の第一義は三つや四つに分けて議論しては本質を明らかにできない。

本当に悟ると真の自己は古都長安のように自己の中心であることが分かり、

七通八達の大機大用が発現して、往くところ可ならざるはない。

時に臨んで自然に言うべきことを言い、為すべきことができるようになる。

そうなれば、行脚に必要な応量器や杖は不用になり、もう行脚する必要はなくなるだろう。



本則:

地蔵法眼に問う、「上座何くにか往くや?」。

眼云く、「いりとして行脚す」。

蔵云く、「行脚の事作麼生?」。

眼云く、「知らず」。

蔵云く、「不知最も親切」。

眼豁然として大悟す。


注:

地蔵:地蔵桂チン(じぞうけいちん、867〜928)。

羅漢桂チン(らかんけいちん)ともいう。玄沙師備(835〜908)の法嗣。

法眼:法眼文益(885〜958)。法眼宗の始祖。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑→雪峰義存→玄沙師備→地蔵桂チン→法眼文益

いりとして行脚す:ブラブラと足の向くままに行脚する。


本則の現代語訳:

地蔵桂チンは法眼に聞いた、

上座はどこに行くのか?」。

法眼文益は云った、

ブラブラと足のむくままに行脚するつもりです」。

地蔵は法眼に聞いた、

何のために行脚するのか?」。

法眼は云った、

知りません」。

地蔵は云った、

その不知が最もピッタリしている」。

法眼は豁然として大悟した。


而今(にこん)参じ飽いて当時(そのかみ)に似たり。

簾繊(れんせん)を脱塵して不知に到る。

短に任せ長に任せて剪綴(せんてつ)することを休(や)めよ。

高きに随い下(ひく)きに随って自ずから平治す。

家門の豊倹(ほうけん)時に臨んで用う。

田地優遊(でんちゆうゆう)歩みに信(まか)せて移る。

三十年前行脚の事(じ)、分明(ふんみょう)に辜負(こふ)す一双の眉。


注:

而今参じ飽いて当時に似たり。:法眼は長い間の努力によって、

修行が純熟し、今豁然と大悟した。

しかし、大悟しても、少しも変わったものはなく、全く元の通りだ。

簾繊:微細な迷い。

不知に到る。:馬鹿でも、何でもない人になる。

簾繊(れんせん)を脱塵して不知に到る。:微細な迷いがすっかり無くなって、

偉くもない、馬鹿でも、何でもない人になった。

短に任せ長に任せて剪綴(せんてつ)することを休(や)めよ。:

何人も、そのままで、本来無欠である。

それぞれ使い道と働く場所がある。不平不足や世迷い事を言ってはならない。

高きに随い下(ひく)きに随って自ずから平治す。:高い下(ひく)いは一時的な姿に過ぎない。

どう変化しても必ず高低がある。

高低を受け入れてそのままに安住して、

進歩改善を計って努力するのが本当の平治であり平和である。

家門:仏家の教化門。

豊倹(ほうけん):活人剣と殺人刀。

家門の豊倹(ほうけん)時に臨んで用う:

教化に臨んでは活人剣と殺人刀を自在に使い分ける。

田地:心の閑田地。

辜負(こふ)す。:そむく。

田地優遊(でんちゆうゆう)歩みに信(まか)せて移る。:焦らず怠らず、

こだわりもなく、時処位に応じて出処進退はいつも自由自在である。

三十年前行脚の事(じ):三十年来の長い間の修行。

一双の眉:眼の上の二つの眉。

辜負(こふ)す一双の眉:今まで全く余所見をしていたことに気づいた。

一双の眉(二つの眉)が、元からちゃんと眼の上に付いていたことに気づくこと。

三十年前行脚の事(じ)、分明(ふんみょう)に辜負(こふ)す一双の眉。:

三十年来の長い間の修行をして来たが、

やっと今まで全く余所見をしていたことに気づいた。



頌の現代語訳

法眼は長い間の努力によって、修行が純熟し、今豁然と大悟した。

しかし、大悟しても、少しも変わったものはなく、全く元の通りだ。

彼には微細な迷いがすっかり無くなって、偉くもない、馬鹿でも、何でもない人になった。

微細な迷いがすっかり無くなって、偉くもない、馬鹿でも、何でもない人になった。

何人も、そのままで、本来無欠である。それぞれ使い道と働く場所がある。

不平不足や世迷い事を言ってはならない。

高い低いは一時的な姿に過ぎない。どう変化しても必ず高低がある。

高低のままに安住して、進歩改善を計って努力するのが本当の平治であり平和である。

教化に臨んでは活人剣と殺人刀を自在に使い分ける。

焦らず怠らず、こだわりもなく、時処位に応じて出処進退はいつも自由自在である。

法眼は三十年来の長い間の修行をして来たが、

やっと今まで全く余所見をしていたことに気づいて大悟した。


解釈とコメント


本則は法眼宗の始祖法眼文益の大悟の物語となっている。

地蔵桂チンが法眼に聞いた質問、「上座はどこに行くのか?」は

汝の自己本来の面目はどこにあるのか?」という質問のように聞こえる。

法眼の返答「知りません」や地蔵の「不知」は

本来の面目(=下層脳中心の脳)は不可知だと言っているようにも聞こえる。

地蔵の「不知」は法眼に対し、

本来の面目(=下層脳中心の脳)は分からないから、

不知」という言葉で良いのだと言っているようにも響く。



その意味では南嶽懐譲の「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)」という言葉に似ている。

「南嶽懐譲の説似一物即不中」を参照)。



21soku

 第21則  雲巌掃地  



示衆:

迷悟を脱し聖凡を絶すれば多事無しと雖も、

主賓を立て貴賎を分つことは別に是れ一家(いっけ)。

材を量(はか)り職を授くることは即ち無きにあらず。

同気連枝(どうきれんし)、作麼生(そもさん)か会せん。


注:

迷い:真理に迷う見惑と事実に迷う思惑(あるいは修惑)に大別される。

悟りを脱する:真理に迷う見惑を断破すること。

しかし、悟ると悟りにともなう病気になることが多い。

悟りの副作用による病気といえる。

悟りを脱するとはその悟りの副作用による病気を取り除くことを言う。

多事無し:太平安心である。

(無事については禅の思想3.35を参照)。

禅の思想3.35を参照)。

迷悟を脱し聖凡を絶すれば多事無しと雖も:

迷悟を脱し聖凡を脱すれば太平安心の境地に至るけれども。

主賓を立て貴賎を分つことは別に是れ一家:

修行者と修行者が互いに主となり、客となって問答商量し切磋琢磨する。

そうするとそこに一家風が生まれ色んな流儀が出て来る。

材を量り職を授くること:修行者の志や力量をはかり、適切な指導をすること。

同気連枝:兄弟の交情。

材を量り職を授くることは即ち無きにあらず、同気連枝、作麼生んか会せん:

修行者の志や力量をはかり、

適切な指導をすることは勿論あるけれども、今は問題ではない。

同じ師匠のもとで無事安心の境涯に達した

兄弟のような間柄で互いに鍛錬するところの消息はどのようなものだろうか。


示衆の現代語訳


迷悟を脱し聖凡を脱すれば太平安心の境地に至る。

修行者と修行者が互いに主となり、客となって問答商量し切磋琢磨すると

そこに一家風が生まれ色んな流儀が出て来るだろう。

修行者の志や力量をはかり、適切な指導をすることは勿論であるが、今は問題ではない。

それでは、同じ師匠のもとで無事安心の境涯に達し、

兄弟のような間柄で互いに鍛錬するところの消息とはどのようなものだろうか。



本則:

雲巌掃地の次いで、道吾云く、「太区区生」。

巌云く、「須らく知るべし、区区たらざる者有ることを」。

吾云く、「恁麼ならば則ち第二月有りや?」。

巌掃菷を提起して云く、「這箇は是れ第幾月ぞ?」。

吾便ち休し去る。

玄沙云く、「正に是れ第二月」。

雲門云く、「奴は婢を見て慇懃」。


注:

雲巌:雲巌曇晟(782〜835)。

雲巌曇晟は始め百丈懐海に20年も師事したが悟ることができず、

百丈懐海の遷化後薬山惟儼の下に移った。

次に示す法系を見れば分かるように、 法嗣に洞山良价がいる。

曹洞禅の本流に属する禅師と言える。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷 →薬山惟儼→

雲巌曇晟→洞山良价→曹山本寂 

道吾:道吾円智禅師(769〜835)。

雲巌曇晟禅師と道吾円智禅師は共に薬山惟儼の弟子。

道吾円智の方が 雲巌曇晟の先輩に当たる。

雲巌と道吾は共に薬山に参禅し熱心に修行した。

雲巌と道吾は薬山の下での修行中に

40年間決して横になって寝なかった(脇を席に著けず)と伝えられている。

このように雲巌と道吾の熱心な修行ぶりを褒めている。

しかし、この三人の有能な弟子の中で雲巌の法系だけが曹洞宗につながり栄える。

図2に本則に登場する道吾、雲巌とともに、

石頭希遷から薬山を経て曹洞宗に到る法系図を示す。

曹洞宗に到る法系図

図2 薬山を経て曹洞宗に到る法系図 

太区区生:たいそう精が出ますね。

恁麼ならば則ち第二月有りや:そうなら仏法に第二のものがあるのかい?

玄沙:

玄沙:玄沙師備禅師(835〜908)。雪峰義存の法嗣。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→

徳山宣鑑→雪峰義存→玄沙師備

奴:下男。

婢:下女。

奴は婢を見て慇懃:下男と下女の話のように下品で聞いておれない。



本則の現代語訳:

雲巌が掃除をしていた時、道吾が云った、

たいそう精が出ますね。ご苦労さん!」。

雲巌は云った、

しかし、その中で少しも苦労していないものがあるのを知らないといけないよ」。

道吾が云った、

そうならば仏法に第二の仏法というものがあるのかい?」。

雲巌は箒を持ち上げて云った、

それじゃこれは第何の仏法かい?」。

道吾は黙ってしまった。 

後に玄沙師備は批評して云った、

まさにこれは第二の仏法だ」。

雲門はこの問答を批評して云った、

雲巌と道吾の問答は下男と下女の話のようであまり品がないな」。


借り来たって聊爾(りょうじ)として門頭(もんとう)を了ず。

用い得て宜しきに随って便ち休す。

象骨巌前(ぞうこつがんぜん)、蛇を弄するの手、児の時の做処(さしょ)老いて羞を知るや。


注:

門頭:眼、耳、鼻、舌、身、意の六根。

聊爾(りょうじ)として:いささか。造作なく。

借り来たって聊爾(りょうじ)として門頭を了ず:

雲巌は箒を借りてわけもなく六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)を清めた。

用ひ得て宜しきに随って便ち休す:雲巌と道吾は問うべき時に問い、

答えるべき時に答え、黙るべき時に黙った。

象骨巌前(ぞうこつがんぜん):象骨は雪峰義存がいた象骨山のこと。

雪峰山には象骨巌という象の頭の形をした岩山があったと言われる。

ここでは雲門の師雪峰義存をさす。

做処(さしょ):しぐさ。若い時雲門が雪峰義存のいた象骨山で杖を投げ出して

ソーラ大蛇が出たぞ!」と身震いして見せたしぐさを指している。

24則「雪峰看蛇」を参照)。

象骨巌前、蛇を弄するの手、児の時の做処(さしょ)老いて羞を知るや:

象骨山でかって問答があった時、若い雲門は杖を投げ出して

ソーラ大蛇が出たぞ!」と身震いして見せた。

今思い出すと小羞かしいしぐさだったではないか。

雲門は「奴は婢を見て慇懃

と雲巌と道吾の問答を批判したが

お前さんも若い時のことを考えたら他人の批評どころではあるまいと

雲門をたしなめている。

しかし、それは表面的なもので、実は雲巌と道吾は最も親しい同気連枝の間柄で、

親密な商量で互いに切磋琢磨していると褒めている。  

頌の現代語訳:

雲巌は箒を借りてわけもなく六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)を清めた。

雲巌と道吾は問うべき時に問い、答えるべき時に答え、黙るべき時に黙った。

象骨山でかって問答があった時、

若い雲門が杖を投げ出して「ソーラ大蛇が出たぞ!」と身震いして見せた。

今思い出すと小羞かしいしぐさだったではないか。

雲門は「奴は婢を見て慇懃」と雲巌と道吾の問答を批判したが

お前さんも若い時のことを考えたら他人の批評どころではあるまいと

雲門をたしなめている。

しかし、それは表面的なもので、

実は雲巌と道吾は最も親しい気のあった友人で、

親密な商量で互いに切磋琢磨していると褒めているのである。


解釈とコメント


本則は共に薬山惟儼の弟子であった道吾円智と雲巌曇晟の問答である。

二人の間では道吾円智の方が雲巌曇晟の兄弟子に当たる。

雲巌が掃除をしていた時、道吾が云った、「たいそう精が出ますね。ご苦労さん!」。

これに対し雲巌は

しかし、その中で少しも苦労していないものがあるのを知らないといけないよ

と云う。

雲巌は「掃除をして、たいそう精が出て苦労しているもの

と「掃除をしても、少しも苦労していないもの

の2種類があるのを知らないといけないと云っている。

この雲巌の指摘は大変面白い。

掃除をして、たいそう精が出て苦労しているもの

とは科学的に考えると、

偏位(上層脳)とそれがコントロールしている身体(肉体)と考えることができる。



また「掃除をしても、少しも苦労していないもの」とは

正位(下層脳=脳幹+大脳辺縁系)だと考えることができる。


正位(下層脳=脳幹+大脳辺縁系)は無意識脳の世界であり

少しも苦労を意識していないからである(洞山五位の正位と偏位を参照)。

洞山五位の正位と偏位を参照)。

この雲巌の言葉に対し、道吾は

そうならば仏法に第二の仏法というものがあるのかい?」

と疑問を呈する。

そして雲巌は箒を持ち上げて、

それじゃこれは第何の仏法かい?」

と道吾に聞く。

一本の箒を立てることによって、

雲巌は仏法を第一とか第二とか言うものはなく、一つであると示した

と考えることができる。

雲巌にやり込められた道吾は黙ってしまう。

後に玄沙師備は批評して、「「まさにこれは第二の仏法だ」と云う。

玄沙師備は道吾と雲巌の問答を批評して

このような議論が第二の仏法でありまだ、

充分悟っていない証拠でないかと疑問を呈したのである。

雲門は、「雲巌と道吾の問答は下男と下女の話のようで品がないな

と道吾と雲巌の問答を批評した。

本則と非常に似た問答が

道元の「永平広録」の雲巌豎起掃箒(うんがんじゅきそうそう)に出ている。

そこでは雲巌とイ山霊祐の問答となっている。

本則では雲巌の相手は道吾であり「永平広録」のイ山霊祐とは異なる。

禅問答にはそのようなあいまいなところが時々見られる。

:大谷哲夫訳注、講談社学術文庫道元「永平広録」p.59.2007年発行



22soku

 第22則  巌頭拝喝



示衆:

人は語を将って探り、水は杖を将って探る。

撥草瞻風(はっそうせんぷう)は尋常用うる底なり。

忽然として箇の焦尾(しょうび)の大虫を跳出せば又作麼生。


注:

一言一句:

人は語を将って探り、水は杖を将って探る:学人の眼の明暗、

力量をはかるにはその一言半句で探り、水の深さは杖で探る。

撥草瞻風(はっそうせんぷう):分別妄想の雑草をはらって本来の面目を見ること。

撥草瞻風は、尋常用いる底なり:分別妄想の雑草をはらって

本来の面目を見ることは尋常のことである。

大虫:虎。

焦尾(しょうび)の大虫を跳出せば:虎が尾を焼くと人になると言う中国の伝説がある。

忽然として箇の焦尾(しょうび)の大虫を跳出せば又作麼生:

虎が尾を焼くと人になると言う話があるが、

そのように転処自在の禅僧が出てきたらどう取り扱えば良いだろうか。


示衆の現代語訳


学人の眼の明暗、力量をはかるにはその一言半句で探り、水の深さは杖で探ることができる。

分別妄想の雑草をはらって本来の面目を見ることは尋常の手段である。

虎が尾を焼くと人になると言う話があるが、

そのように転処自在の禅僧が出てきたらどう取り扱えば良いだろうか。



本則:

巌頭徳山に到り門に股がって便ち問う、「是れ凡か是れ聖か?」。

山便ち喝す。

頭礼拝す。

洞山聞きて云く、「若し是れ豁公にあらずんば大いに承当し難し」。

頭云く、「洞山老漢好悪を識らず。我れ当時一手擡(たい)一手捺(なつ)」。


注:

巌頭:巌頭全豁(がんとうぜんかつ、828〜887)。唐代の禅者。

徳山宣鑑の法嗣。賊に首を切られた時、大叫一声して死んだことでも知られる。

雪峰義存の兄弟子に当たる。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→

天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →巌頭全豁

洞山:洞山良价禅師(807〜869)。曹洞宗の開祖。

豁公:巌頭全豁。

一手擡(たい)一手捺(なつ): もちあげたり抑えたりすること。

擡(たい)は持ち上げること。捺(なつ)は押さえること。



本則の現代語訳:

ある時、巌頭は師匠の徳山のところにやって来て門の敷居に股がって問うた、

これ凡か、これ聖か?」。

徳山は

カーツ!」と一喝した。

巌頭は礼拝した。

洞山はこれを聞いて云った、

もしこれが巌頭のような傑物でなければぴったりとした答えを出すことは難しかっただろう」。

巌頭は云った、

洞山はまだ好悪を知らんようだな。おれはあの時、徳山の一喝に感心して頭を下げたが

内心では徳山はまだいかんという腹であった」。


来機(らいき)を挫(くじ)き、権柄(けんぺい)を総(す)ぶ。

事に必行(ひつぎょう)の威あり。国に不犯の令あり。

賓、奉(ぶ)を尚(たっと)んで主驕(おご)り、君、諫(かん)を忌んで臣佞(ねい)す。

底(な)んの意ぞ巌頭、徳山に問う。

一擡一捺、心行を看よ。


注:

来機:やって来た修行者。ここでは巌頭をさす。

権柄(けんぺい):絶対的権威を持つ法柄。

ここでは絶対的権威を持つ法柄を握っている徳山宣鑑を指している。

来機を挫(くじ)き、権柄(けんぺい)を総(す)ぶ:徳山宣鑑は巌頭を挫(くじ)き、

絶対的権威を持つ法柄を握って自在に用いている。

事に必行(ひつぎょう)の威あり。国に不犯の令あり:

こういう場合には必らずこうしなければならないという行があるように、

国には不犯の法令がある。

巌頭が門が敷居に股がって、「これ凡か、これ聖か?」と質問したことに対し、

徳山宣鑑は一喝でこれに答えたことは、

法王が不犯の法令を執行したようなもので素晴らしい。

賓、奉を尚(たっと)んで主驕(おご)り、:

客が、恭しく進物などを捧げて主人のご機嫌をとると

主人はいい気になって驕慢になる。

君、諫(かん)を忌んで臣佞(ねい)す:徳山の応戦ぶりには、

巌頭の諫言を忌み嫌うような趣があるし、

巌頭の礼拝は徳山のおもねるようで見っともない。

心行:精神と行動。

底(な)んの意ぞ巌頭、徳山に問う。一擡一捺、心行を看よ:

巌頭が徳山に問うた質問「これ凡か、これ聖か?」

にはどういう精神があるのだろうか? 

もちあげたり抑えたりした駆け引きの行動と精神をよく看て取らねばならない。



頌の現代語訳

徳山宣鑑は巌頭を挫(くじ)き、絶対的権威を持つ法柄を握って自在に用いている。

こういう場合には必らずこうしなければならない行があるように、国には不犯の法令がある。

巌頭が門が敷居に股がって、「これ凡か、これ聖か?」と質問したことに対し、

徳山宣鑑は一喝でこれに答えたことは、

法王が不犯の法令を執行したようなもので素晴らしい。

客が、恭しく進物などを捧げて主人のご機嫌をとると主人はいい気になって驕慢になる。

徳山の応戦ぶりには、巌頭の諫言を忌み嫌うような趣があるし、

巌頭の礼拝は徳山のおもねるようで見っともない。

巌頭が徳山に問うた質問「これ凡か、これ聖か?」にはどういう精神があるのだろうか? 

もちあげたり抑えたりした駆け引きの行動と精神をよく看て取らねばならない。



解釈とコメント



巌頭が師匠の徳山のところにやって来て門の敷居に股がって問うた言葉、

これ凡か、これ聖か?」とはこのように門に跨って「これ凡か、これ聖か?」

と質問しているものの当体は何かという質問だと考えることができる。

これは一種の借事問である(「無門関」第15則を参照)。

門に跨って「これ凡か、これ聖か?」と質問しているものの当体は本来の面目(脳)である。

巌頭は本来の面目(脳)の作用(はたらき)を示しながら、

これ凡か、これ聖か?」と質問しているのである。

勿論、本来の面目(下層脳中心の脳)は凡・聖を超えた存在なので答えようがない。

巌頭の質問に対し徳山宣鑑は「本来の面目」の活作用(一喝)でこれに答えたのである。


本則は馬祖禅の<作用即性>の思想によって良く説明できる。


禅の根本原理を参照)。



23soku

 第23則  魯祖面壁 



示衆:

達磨九年、呼んで壁観と為す。

神光三拝、天機を漏泄(ろえい)す。

如何が蹤(あと)を掃(はら)い、跡を滅し去ることを得ん。



注:

達磨九年:菩提達磨が嵩山の少林寺で9年間面壁坐禅していたこと。

達磨九年、呼んで壁観と為す:菩提達磨が嵩山の少林寺で9年間面壁坐禅していた。

当時の人々は達磨を壁観婆羅門と呼んでいた。

神光:菩提達磨の法を嗣いで中国禅の第二祖となった神光慧可(禅の歴史を参照)。

禅の歴史を参照)。

神光三拝、天機を漏泄(ろえい)す:二祖神光慧可は

三拝して禅の第一義をあらわした。

如何が蹤を掃ひ、跡を滅し去ることを得ん:

どうしたら仏法臭いところを滅尽することができるだろうか。



示衆の現代語訳


菩提達磨が嵩山の少林寺で九年間面壁坐禅していた。

当時の人々は達磨を壁観婆羅門と呼んでいた。

菩提達磨の法を嗣いで中国禅の第二祖となった神光慧可は

達磨を三拝して禅の第一義をあらわした。

菩提達磨の法を嗣いで第二祖となった神光慧可にはまだ悟り臭さが残っている。

どうしたら仏法臭いところを滅尽することができるだろうか。



本則:


魯祖凡そ僧の来たるを見れば便ち面壁す。

南泉聞きて云く、「我れ尋常他に向かって、空劫以前に承当せよ、仏未だ出世せざる時に会取せよと道うすら

尚ほ一箇半箇を得ず。他恁麼ならば驢年にし去らん」。


注:

魯祖:魯祖宝雲。馬祖道一の法嗣。南泉普願とは兄弟弟子の間柄。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →魯祖宝雲

空劫:宇宙生成以前。

宇宙は空劫、成劫、住劫、壊劫 の4つの時期を経ながら

生成壊滅を繰り返すという古代インドの考え方。

承当:理解してそうだとうなずくこと。

一箇半箇を得ず:1人はおろか半人も得ず(誰もいない)。

驢年にし去らん:驢年とは十二支にも無い年のこと。

いつまで経っても嗣法の弟子を得ることはできないという意味。


本則の現代語訳:

魯祖は僧が来るのを見るとサッと面壁して坐禅を組むのだった。

そのことを聞いた兄弟弟子の南泉は云った、

わしが相手に空劫以前、仏が出現する以前からの本来の面目を会取せよと

親切に指導しても、それが分かる者は誰もいない

もし、魯祖のように黙りこくってただ面壁坐禅をしているだけでは

いつまで経っても嗣法の弟子を得ることはできないだろう」。


淡中(たんちゅう)に味有り、妙に情謂(じょうい)を超ゆ。

綿綿として存するが如くにして、象の先なり。

兀兀(ごつごつ)として愚の如くにして、道貴し。

玉は文を雕(ちりば)めて以て淳を喪し、珠は淵に在って自(おの)ずから媚(こ)ぶ。

十分の爽気(そうき)、清く暑秋を磨し、一片の閑雲(かんうん)、遠く天水を分つ。


注:

情謂:情はこころ、謂は言葉。

情謂を超ゆ:頭で考えてわかるものではない。

淡中に味有り、妙に情謂を超ゆ:魯祖の面壁禅(只管打坐の禅)は実に淡々として、

その妙味は何とも言えないものだ。

綿綿として:続いて絶えないこと。

象の先なり:分別意識が(心象が)生じる以前の世界である。

下層脳(=脳幹+大脳辺縁系)中心の世界である。

綿綿として存するが如くにして、象の先なり:

連綿として続いて分別意識が(心象が)生じる以前の世界である。

兀兀(ごつごつ)として:聳えたつ山のように不動であり。坐禅の形の形容。

兀兀(ごつごつ)として愚の如くにして、道貴し:聳えたつ山のように不動であり、

一見愚かなように見えるが、迷悟を超越した道は貴い。

文:かざり。

珠は淵に在って:真珠は海の中に在って。

玉は文を雕(ちりば)めて以て淳を喪し、珠は淵に在って自(おの)ずから媚(こ)ぶ:

宝石はへたな飾り付けをちりばめると折角の淳真さを失ってしまう。

真珠は海の中に在って自然にその美しさを呈している。

十分の爽気(そうき)、清く暑秋を磨し、一片の閑雲、遠く天水を分つ:

魯祖の面壁禅のすがすがしさは、あたかも済みきった初秋の暑熱を磨消するようだ。

また南泉の言葉は魯祖の面壁禅を批判しているように見えるが、

一片の閑雲のようなもので、魯祖の面壁禅と違うものではない。

二人とも秋の空のように仏法臭いところを滅尽しすがすがしい。



頌の現代語訳

魯祖の面壁禅(只管打坐の禅)は実に淡々として、その妙味は何とも言えないものだ。

連綿として続いて分別意識が(心象が)生じる以前の世界である。

聳えたつ山のように不動であり、一見愚かなように見えるが、迷悟を超越した道は貴い。

宝石はへたな飾り付けをちりばめると折角の淳真さを失ってしまう。

真珠は海の中に在って自然にその美しさが輝く。

魯祖の面壁禅のすがすがしさは、あたかも済みきった初秋の暑熱を打ち消すようだ。

また南泉の言葉は魯祖の面壁禅を一見批判しているように見えるが、

一片の閑雲のようなもので、

魯祖の面壁禅と本質的に違うものではない。

二人とも秋の空のように仏法臭いところが無くすがすがしい。


解釈とコメント


」では

「魯祖の面壁禅のすがすがしさは、あたかも済みきった初秋の暑熱を打ち消すようだ。

また南泉の言葉は魯祖の面壁禅を一見批判しているように見えるが、

一片の閑雲のようなもので、

南泉の禅と魯祖の面壁禅との間には本質的な違いはないと考えられている。

二人とも秋の空のように仏法臭いところが無くすがすがしい。」

として南泉の言葉は魯祖の面壁禅を一見批判しているように見えるが、

二人の禅に本質的な違いはないとしている。

しかし、「本則」において、南泉は「わしが相手に空劫以前

仏が出現する以前からの本来の面目を会取せよと親切に指導しても

それが分かる者は誰もいない

もし、魯祖のように黙りこくってただ面壁坐禅をしているだけでは

いつまで経っても嗣法の弟子を得ることはできないだろう」と言っている。

これを素直に読めば南泉は「魯祖の面壁禅は黙照禅だ」として、

魯祖のように黙りこくってただ面壁坐禅をしても駄目だ。』

(それではいつまで経っても嗣法の弟子を得ることはできない


(嗣法の弟子がいないと禅宗は断絶してしまうぞ)と魯祖の面壁禅(黙照禅)を批判している。

南泉は魯祖の兄弟弟子なので魯祖の魯祖の面壁禅を近くで見ていたはずである。

南泉の魯祖の「面壁禅」に対する意見は的確である可能性は高いと思ってよいだろう。

南泉は「空劫以前、仏が出現する以前からの『本来の面目』を会取せよと親切に指導している」


これより分かるのは、南泉は六祖慧能已来の「見性」を指導していることである。

南泉普願は馬祖道一の法嗣で、臨済禅の本流の禅師である。

普通、臨済系の看話禅と曹洞系の黙照禅の枝分かれは

大慧宗杲(1089〜1163)と宏智正覚(1091〜1157)が活躍した宋代だと考えられている。


禅の歴史を参照)。

しかし、この公案を素直に読むかぎり、看話禅(臨済宗)と黙照禅(曹洞宗)の分裂の源流

馬祖、南泉、魯祖達が活躍した唐代にまで遡ることができると言えるのかも知れない。



24soku

 第24則  雪峰看蛇 



示衆:

東海の鯉魚、南山の鼈鼻(べつび)、普化の驢鳴(ろめい)、

子湖の犬吠(けんぺい)、常塗(じょうと)に堕せず異類(いるい)に行かず。

且(しば)らく道(い)え、是れ什麼人(なんびと)の行履(あんり)の処ぞ。


注:

東海の鯉魚:鯉。本来の面目を指している。

無門関48則を参照)。

普化の驢鳴:ある時、普化が生野菜をポリポリ食べていた。

それを見た臨済が「お前は驢馬みたいな奴だな」と言った。

すると普化が「ヒヒーン」と驢馬の鳴き声をまねたと伝えられている。

これも本来の面目の活作用を指している。

子湖の犬吠:南泉普願の法嗣である紫胡利ショウ禅師は猛犬を飼っていた。

常塗に堕せず:当たり前の月並みのものではない。

異類に行かず:東海の鯉魚、南山の鼈鼻、普化の驢鳴、子湖の犬吠、と鯉、蛇、驢馬、犬

と人間でない異類が出てきているが何も人間と関係ない奇抜なことを言っているのではない。

すべて本来の面目と関係しているのだ。

本来の面目については「禅の根本原理」を参照)。

鯉、蛇、驢馬、犬の脳は生命・情動脳が大部分で理知脳は未発達で小さい。

すべて下層脳(脳幹+大脳辺縁系)を中心とする本来の面目と関係していることが分かる。

行履:日常生活。行為。

且らく道え、是れ什麼人の行履の処ぞ:それではこれらは

どのような人の日常生活や行動に関係しているのだろうか。


示衆の現代語訳


東海の鯉魚、南山の鼈鼻(べつび)、普化の驢鳴、子湖の犬吠、と言えば、

鯉、蛇、驢馬、犬とすべて人間でない異類を言っているように見えるかもしれない。

これらは何も人間と関係ない奇抜なことを言っているのではない。

すべて本来の面目(真の自己)と関係していることに注目しなければならない。

それではこれらはどのような人の日常生活や行動に関係しているのだろうか。


本則:

雪峰衆に示して云く、

南山に一条の鼈鼻蛇(べつびじゃ)有り、汝等諸人切に須らく好く看るべし」。

長慶云く、

今日堂中大いに人有りて喪身失命(そうしんしつみょう)す」。

僧玄沙に挙似す。

沙云く、

是れ我が稜兄にして始めて得べし、是の如くと雖も我は即ち不恁麼(ふいんも)」。

僧云く、

和尚作麼生(そもさん)?」。

沙云く、

南山を用いて作麼(なに)かせん」。

雲門、柱杖を以って峰の面前に竄向(ざんこう)して怕(おそ)るる勢いを作す。


注:

雪峰:雪峰義存禅師(822〜908)。

学徒が常に1500人を下らず、雲門、玄沙師備、長慶慧稜、保福、

鏡清など多くの立派な弟子を育てた。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存

南山:雪峰山。

鼈鼻蛇(べつびじゃ):鼻のひしゃげた毒蛇(コブラ?)で

ここでは「真の自己」を毒蛇に譬えている。

長慶:長慶慧稜(854〜932)。雪峰義存の法嗣。

玄沙:玄沙師備禅師(835〜908)。雪峰義存の法嗣。

雲門:雲門文偃(864〜949)。雪峰義存の法嗣で、雲門宗の祖。

本則に登場する長慶慧稜、玄沙師備、雲門文偃の3名は雪峰義存の法嗣である。

本則は雪峰義存とその門下生3名の問答になっている。

本則は雪峰義存がその門下生3名を指導するための問答だと言えるだろう。



本則の現代語訳:

雪峰義存禅師がある時、大衆に示して言った、

この雪峰山には一匹の毒蛇がおるぞ

お前さん達、その毒蛇に呑み込まれないよう気を付けるが良い」。

すると長慶が進み出て言った、

いや、たしかに堂中の雲水達はその毒に当てられて一人も生きていませんよ」。

ところがその時側にいた僧にはこの問答の意味が分からなかったらしく、

玄沙師備禅師にその話をした。

玄沙はそれを聞くと言った、

なるほど、さすがに慧稜兄だ

彼だからそういう答えができた。しかし、わしだったらそうは言わんな」。

僧は言った、

和尚だったらどう言われるのですか?」。

玄沙は言った、

その蛇は何も南山(雪峰山)だけにいるわけじゃないよ」。

雪峰と長慶が交わしていた問答を聞いていた雲門はいきなり柱杖を雪峰の面前に投げ出し、

そりゃ、出たぞ!」

とぶるぶる震えていかにも恐ろしいといった様子をして見せた。




玄沙は大剛、長慶は少勇。

南山の鼈鼻(べつび)死して用無し、風雲際会して頭角(ずかく)生ず。

果して見る韶陽(しょうよう)手を下して弄することを。

手を下して弄す、激電光中変動を見よ。

我れに在るや能く遺り能く呼ぶ。

彼に於けるや擒あり縱あり。

底事(なにごと)ぞ如今(にょこん)阿誰(たれ)にか付するや。

冷口(れいく)人を傷(やぶ)れども痛みを知らず。


注:

玄沙は大剛、長慶は少勇:玄沙は大剛だが、

長慶は少勇で、どっちも偉いがどっちも不十分だ。

南山の鼈鼻(べつび)死して用無し:

風雲際会して:風雲に会って。丁度良い機会にあって。

頭角(ずかく)生ず:頭に角が生えて竜になった。

風雲際会して頭角(ずかく)生ず:雪峰山の毒蛇は丁度良い機会にあって、

頭に角が生えて竜になった。

韶陽:雲門文偃。

果して見る韶陽手を下して弄することを:果せるかな、

雲門がシュ杖を放り出して活竜を立派にひねり出した。

激電光中変動を見よ:よどみない雲門の働きは激しく電光石火のすばやさだ。

その働きの中にある機変動を見なければならない。

擒縱:擒(とら)えたり縱(はな)ったりすること。

我れに在るや能く遺り能く呼ぶ。彼に於けるや擒あり縱あり:私が良く呼べば、

彼(=本来の面目)を能く擒(とら)えることができるし、

彼を能く遺る時にはよく縱(はな)つことができる。

本来の面目(脳)を操縦することは意のままである。

底事ぞ:何事ぞ。

如今:即今。

冷口:蛇の冷たい口。

底事ぞ如今阿誰にか付するや。冷口人を傷れども痛みを知らず:

今更この蛇使いの妙術(禅の第一義)を誰に与えたらよいかとは何事だ。

この蛇の冷たい口に食いつかれていながら痛みを知らないとは何事だ。

誰もがこの蛇に飲み込まれ、こき使っているのにそれが分からないとは情けないぞ。



頌の現代語訳

玄沙は大剛だが、長慶は少勇で、どっちも偉いがどっちも不十分だ。

玄沙と長慶の蛇の使い方がまずいから、雪峰山の毒蛇は死んで用をなさない。

雪峰山の毒蛇は丁度良い機会にあって、頭に角が生えて竜になった。

果せるかな、雲門が?(シュ)杖を放り出して活竜を立派にひねり出した。

雲門の激しくよどみない電光石火の働きの中にある機変を見なければならない。

私が良く呼べば、彼(=本来の面目)を能く擒(とら)えることができるし、

彼を能く遺る時にはよく縱(はな)つことができる。

本来の面目を操縦することは意のままである。

今更この蛇使いの妙術(禅の第一義)を誰に与えたらよいかとは何事だ。

この蛇の冷たい口に食いつかれていながら痛みを知らないとは何事だ。

今までの修行を反省しなさい。

誰もがこの蛇に飲み込まれ、こき使っているのにそれが分からないとは情けないぞ。


解釈とコメント


本則は「碧巌録22則と殆ど同じである

本則においては、柱杖子によって本来の面目(=真の自己)を比喩的に表す借事問になっている。


本則は「碧巌録22則と殆ど同じである


碧巌録22則を参照)。


25soku

 第25則 塩官犀扇 



示衆:

 刹海(せっかい)涯(はて)無きも当処を離れず、塵劫(じんごう)前の事、尽く而今にあり。

試みに伊(かれ)をして覿面(てきめん)に相呈せしむれば、

便ち風に当たって拈出(ねんすい)することを解せず。

且らく道え過(とが)什麼(いずれ)の処にか在る。


注:

刹海:陸海の国土。

刹海涯(かぎり)無きも当処を離れず、塵劫(じんごう)前の事、尽く而今にあり:

陸海の国土は限りなく広いが

仏法の真理はいつも自己を離れない。空劫以前本来の面目は今ここにある。

伊(かれ):自己本来の面目。

覿面(てきめん)に:面と向かって。

風に当たって拈出(ねんすい)する:出会いがしらに取り出す。

試みに伊(かれ)をして覿面(てきめん)に相呈せしむれば、

便ち風に当たって拈出(ねんすい)することを解せず:

試みに自己本来の面目を面と向かって取り出そうとしても

なかなか無造作に取り出して見せることができない。

且らく道え過(とが)什麼(いずれ)の処にか在る:それはどこに過(とが)があるのだろうか。


示衆の現代語訳


陸海の国土は限りなく広いが仏法の真理はいつも自己を離れない。

空劫以前本来の面目は今ここにある。

試みに自己本来の面目を面と向かって取り出そうとしても

なかなか無造作に取り出して見せることができない。

それはどこに過(とが)があるためだろうか。


本則:

塩官一日侍者を喚ぶ、「我が為に犀牛の扇子を過ごし来たれ」。

者云く、「扇子破れぬ」。

官云く、「扇子既に破れなば我れに犀牛児を還し来たれ」。

者対(こた)うる無し。

資福一円相を描きて、中に於て一の牛の字を書く。


注:

塩官:塩官斉安(?〜842)。馬祖道一の法嗣。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →塩官斉安

犀牛:犀。

図4に犀の写真を示す。

犀の写真

図4 犀の写真

犀牛児:犀牛の骨。

資福:資福如宝。イ仰宗の仰山慧寂(807〜883)の孫弟子。



本則の現代語訳:

ある日塩官斉安禅師が侍者を呼んで言った、

犀牛の扇子を持って来なさい」。

侍者は云った、

あの扇子はとっくに破れてしまいました」。

塩官は云った、

扇子が破れているなら骨が残っているだろう。それを持って来なさい」。

侍者は返事ができず無言だった。 

資福如宝は一円相を描いて、その中に一の牛の字を書いた。


扇子破るれば犀牛を索(もと)む。

捲攣(けんれん)中の字来由あり。

誰れか知らん桂穀(けいこく)千年の魄、妙に通明一点の秋と作らんとす。


注:


注:

扇子破るれば犀牛を索む:死後骨と灰が残る。

捲攣(けんれん):木を丸く曲げて網を付けたもの。魚を捕える道具。

ここでは一円相を表している。

捲攣(けんれん)中の字来由あり:本来の面目を表す一円相には由来がある。

桂穀(けいこく):月。

魄:月の出ない晩。黒漫漫の下層脳の世界を表す。

穀(けいこく)千年の魄:月の出ない晩のような黒漫漫の下層脳(脳幹+大脳辺縁系)の世界。

桂穀(けいこく)千年の魄、妙に通明一点の秋と作らんとす:

侍者は無言で返事ができなかったが、

それは下層脳の世界のように黒漫漫で光がない。

しかし、不思議なことに、孤灯をつければ(上層脳が活動し始めれば)

パッと明るくなって一点の秋となる。



頌の現代語訳

誰も死ねば骨と灰が残る。資福が描いた一円相は「本来の面目」を表すがそれには由来がある。

それは本来無一物の下層脳の世界であり、月の出ない晩のように黒漫漫である。

しかし、不思議なことに、灯りをつければ(上層脳が活動し始めれば)

パッと明るくなって一点の秋となる。




解釈とコメント


本則では「犀牛の扇子」が出てきている。

犀牛の扇子」は「本来の面目」を比喩的に表す借事問だと考えると分かり易い。

借事問については「無門関」第15則を参照)。

本則において、塩官斉安禅師は侍者に『本来の面目」とは何か?』と聞いて、

本来の面目」が分かったらここに出して見せなさいと迫っているのである。

本則は碧巌録91則と殆ど同じである。

碧巌録91則を参照)。


   






「従容録」の参考文献


   

1.安谷白雲著、春秋社 禅の真髄「従容録」 2002年

2.高橋直承校註、鴻盟社、和訳校註「従容録」1982年

   

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