初回作成:2008年2月  表示更新:2021年8月10日
ファイルナンバー
ページの先頭

第3章  禅の思想:その2



3.27  臨済の「無位真人」 




「臨済録」の上堂には有名な無位真人の説法がある。

「臨済録」上堂3を参照)。

「上堂。云く、

赤肉団(しゃくにくだん)上に一無位の真人有って、常に汝等諸人の面門より出入す

未だ証拠せざる者は看よ看よ」。

時に僧あり、出て問う、

如何なるか是れ無位の真人。」

師禅床を下がって把住して云く、

道(い)え道え」。

その僧擬議す。

師托開して、

無位の真人是れ什麼(なん)の乾屎ケツ(かんしけつ)ぞ、」

と云って便ち方丈に帰る。


この上堂説法において「赤肉団上」とは普通生身の身体と解釈される。

しかし、「赤肉団上」を生身の身体と解釈するより心臓と解釈した方が理解しやすい。

中国においては赤肉団とは心臓を表わす言葉であるからである。

心臓は赤い色をしているためであろう。

また仏教に於いても肉団心とは心臓に宿る心を意味している。

中国では古くから心は心臓に宿ると考えられていた。

しかし、現代科学では心は心臓ではなく、脳に宿ることが分かっている。

従って、赤肉団上とは脳だと解釈することができるだろう。

また、乾屎ケツ(かんしけつ)は昔は糞かき箆(へら)と考えられていたが、

最近では乾いた棒状の糞と考えられている。

このように考えると上の無位真人の説法は分かり易く次ぎのようになる。

「師は上堂して言った、

心臓(本当は脳)には一無位の真人がいて、常にお前たちの面門(感覚器官)より出入している

未だこれを見届けていない者は、サア見よ!見よ!』。

その時に1人の僧が進み出て質問した、

その無位の真人とはいったい何者ですか?』

師は席を降りて僧の胸倉を捉まえ、

さあ言え!言え!

と迫った。

その僧は戸惑ってすぐに答えることができなかった。

師は僧を突き放して、

お前さんの無位の真人はなんと働きのないカチカチの糞の棒のようなものだな。』

と云って方丈に帰った。

このように考えると臨済の言う「無位の真人」とはいきいきと働く脳を指していることが分かる。

常に汝等諸人の面門より出入す。」

ということは

身体と諸感覚器官(目、耳、鼻、舌、皮膚、脳)より出入する

脳情報や運動指令などを直感的に表わしていると言えるだろう。

また真人という言葉が注目される。

道家の理想は万物の一なる根源である無為無名の「」と一体化することであった。

その「」の奥義を体得した人を聖人とか至人・真人とか称する。

臨済の無位真人は道教の真人から来ていると思われる。

これは仏教を中国の老荘思想によって解釈する格義仏教的理解と言える。

 A.D.842〜846には中国では「会昌の廃仏」という仏教弾圧が行われた。

臨済もこれを経験した筈である。道教は臨済が生きた唐王朝の国教である。

臨済は中国で生き、

中国人に禅宗を布教するために道教の「真人」の理想を取り入れたものと考えられる。



3.28  心臓と心の座



中国では古くから心の座は心臓の中にあると考えられていた。

心臓という漢字が示すように心臓は心が生じる臓器という意味を表わしている。

明治6年(1873)遣欧使節団の一員としてプロシャ(ドイツ)を訪れた

大久保利通は鉄血宰相ビスマルクが主催する宴席に招待された。

ビスマルクが話す建国の苦労話を聞いて

感激した大久保利通は友人の西郷隆盛に手紙を書き次ぎのように言っている。

何れもこの人の方寸に出でざるなしと察せられ候」。

ここで方寸とは心臓の中の心を指している。

この手紙文から日本人は明治の初期まで心は心臓にあると考えていたことが分かる。

中国からこの思想を受け入れた日本人は

心は心臓にある

と考えていたことは次のような言葉を見れば分かる。



胸襟:胸の中、心。胸襟を開く:(心を開く)。


胸算用:心の中で見積もる。胸奥:胸の中、心の中。


胸の奥にしまう:(心の中にしまう)。複雑な胸中を明かす。無念の胸中


古代インドでも心は心臓にあると考えていた。

それは「ヨーガスートラ」の

心臓とは、小さな蓮華の形をした心の住処である

という言葉からも分かる。



3.29  禅に対する道教の影響:僧肇の説く万物一体




クマーラジーバ(羅什)の弟子で解空第一と称された僧肇は

「涅槃無無名論」の中で次ぎのように述べている。

然れば即ち玄道は妙悟に在り、妙悟は即真に在る

真に即すれば、即ち有と無と斉観され、斉観すれば即ち彼と己と二つなし

故に天地と我と同根にして、万物と我と一体なり。」

これは体用論によって次ぎのように解釈される。

真の道は深い悟りの中にあり、深い悟りは真理に直結し、一体になることである

真理と一体になれば相対的な有と無の対立はもはや存在せず同じである

有と無が同じなら自他の対立は無くなり、天地と我と同根であり、万物と我とは一体となる。」

道家の理想は万物の一なる根源である無為無名の「道」と一体化することであった。

その「道」を体得した人を聖人とか至人・真人とか称する。

僧肇は涅槃=妙悟=真理=道と老荘思想によって解釈している。

臨済義玄の「無位真人」も道教の真人から来ていると思われる。

万物一体の思想は老荘思想にもともとあるから、

「涅槃無無名論」のこの考え方は老荘思想に影響を与えられていると言えるだろう。

このような老荘思想の影響は「山僧歌」にブッダのことを「釈迦老人」と呼んでいることや、

「碧巌録」にブッダのことを「釈迦老子」と呼んでいることなどにも現れている。

日本でも大燈国師は大徳寺の開堂のとき読んだ偈頌でブッダのことを

「釈迦老子」と呼んでいることも同例と言えよう。

「無門関」第42則女子出定でもブッダのことを「釈迦老子」と呼んでいる。

仏教を中国の老荘思想によって解釈する発想法は後世の禅宗にまで及んでいる。

道教の「道」の発想法は禅のみならず日本文化一般に及んでいる。

例:茶道柔道弓道華道書道武士道剣道合気道

仏教も本来は「仏法」が正式な呼称であろうが「仏道」という「道」と呼ばれることも多い。

これも「道」という道教的概念の影響であろう。 




3.30  格義仏教について




伊藤隆寿氏は「中国仏教の底流─万物一体の思想」において次ぎのように述べておられる。

「中国に仏教が伝えられたのは後漢代のこととされるが、はじめは阿羅漢を応真と呼び、

仏を大仙と称するなど、中国古来の黄老思想や神仙思想の反映が認められる。

道家の理想は、万物の一なる根源である無為無名の「」と一体化することにあった。

その「道」を体得した人を「聖人とか至人・真人」とか称し、

彼らはまた不老不死の神仙と同一視された。

仏教の「仏」も、それと同様のものとして受け止められたのである。

このような状況は、釈道安の残した文章によっても窺うことができる。

一方、仏典の翻訳にも中国の伝統思想の影響が見られる。

中国での仏典翻訳の特徴は、訳された期間がきわめて長期にわたり、

しかも訳された分量が膨大であること、

また訳されたものが原典以上に尊重され神聖視されていた

(中央公論社「大乗仏典」6『浄土三部経』月報13の岡部和雄「訳経史点描」参照)。



つまり中国の仏教者たちは、仏教を学ぶに際し、

インド原典について直接学習するということをほとんどしなかった。

中国での仏教解釈はどのような状態であったのかと言えば、

いわゆる「格義」と呼ばれるものであった。

冒頭に述べたような仏に対する理解は格義なのである。

すなわち格義とは、中国人がインドの仏教を受容理解するに際し、

中国固有の思想──特に老・荘思想を媒介として行なったことを指し、

そのような仏教を「格義仏教」と呼ぶのである。

それは従来一般に、中国への仏教伝来から魏晋期に見られた現象であると理解されているが、

その後の仏教者の文章を虚心に読むならば、

鳩摩羅什以後禅宗の人々に至るまで、すべて格義仏教から脱却してはいない。

つまり魏晋期の特殊現象ではないのである。

漢文に訳された仏典から出発した中国仏教の宿命であったとも言える。」

伊藤隆寿氏は

結局中国仏教はインド仏教とは異質のものとなっているということは

仏教を学ぶ者の銘記すべきことである。」

と述べておられる。

伊藤隆寿氏は「涅槃無名論」の万物一体の思想もその典型例だとされている。

参考文献:伊藤隆寿『中国仏教の批判的研究』、大蔵出版、1992年、pp. 5-6




3.31 中国の華厳宗と万物一体の思想



中国には、もともと宇宙的視野から人間を考えようとする荘子の哲学があった。

『荘子』の「斉物論」には万物一体の思想が説かれている。

鎌田茂雄氏はこの荘子の「斉物論」の思想と、

インド的思惟の典型である『華厳経』の思想がみごとに結実して生まれたのが中国の華厳宗とされる。

荘子の「斉物論」では、是非の対立を、言葉や論争においておこなうならば、

対立はさらに対立を生み、無限に闘争が続き、精神は消耗するのみだと言う。

人間が是非をあげつらうことをやめ、魂の安らぎを求めようとするならば、

議論や争いによる解決を捨てて、

絶対の一としての「天倪」(てんげい)にまかせなければならないという。

是非の対立は天倪によって和解させる以外にはないのである。

「天倪」とは「天鈞」(てんきん)と同じであるが、

「天鈞」とは絶対的な一や道そのものをいう。

生と死、可と不可、是と非の対立も、それはたがいに相因り、

相待って成立する相対的な概念にほかならず、

一切の矛盾と対立の姿こそ、そのまま存在の世界の実相である。

荘子は彼と此(これ)というような、

自他が互いに対立するものを一切失いつくした境地を「道枢」とも呼んでいる。

道枢は一切の対立と矛盾をこえた絶対の一に立脚して、

千変万化する現象の世界に自由自在に応ずるのである。

そこにおいては是と非、此と彼の対立は(一体となったもの)に帰せられる。

このような万物斉同な実在の真相を観照する叡智を

自己のものとするところに、理想の世界が開けると説くのが荘子の考え方である。

万物斉同の実在の真相(道枢)においては、

大もまた小であり、長もまた短であり、個もまた普遍なのである。

荘子はこの間の消息を、「天地は一指なり。万物は一馬なり」という言葉であらわす。

この考え方は、『華厳経』で説く「一即多・多即一」の思想ときわめて類似している。

荘子の思想の影響といえるだろう。



参考文献:鎌田茂雄著 「華厳の思想」 P.25〜26





3.32  神会の「知之一字衆妙門」と道教



六祖慧能の法嗣 荷沢神会(かたくじんね)の荷沢宗では「知の一字は衆妙の門なり」と言う。

荷沢神会については「六祖壇経・4」神会の入門を参照)。

悟った者、未悟の者を問わず全ての人々は本来分別を超えた

絶対知とでも言われる真心を具有していると考える(本具の真心)。

この本具の真心の働きが知である。

この知こそがあらゆる妙理が出てくる根源であるという意味である。

これを体用思想で説明すると次ぎの図3.13のようになる。

本具の真心」が体で、「」はその用となる。




 図3.13

図3.13 体用思想による「知の一字は衆妙の門」の説明


道教の根本聖典「老子道徳経」の冒頭部分に「玄の又玄は衆妙の門なり」という言葉がある。

宇宙の森羅万象を成り立たせている「道」は玄の又玄としか表現のしようのない

玄妙なるものであり、すぐれたものを生み出す根源であるという意味である。

荷沢神会の「知の一字は衆妙の門なり」と言う主張は

「老子道徳経」の「玄の又玄」を「知の一字」に置き換えた形になっている。

「老子」の影響を受けていることは明らかであろう。

では荷沢神会の言う「本具の真心」とは一体何だろうか?

本具の真心」とは大脳新皮質において理知を司る大脳前頭葉だけでないと考えられる。

大脳前頭葉は分別意識の中心でストレスや苦の入口だからである。

坐禅修行によって生まれる分別意識を超えた下層脳(脳幹+大脳辺縁系)を中心とする

無分別智」だと考えたら良いだろう。




3.33  心法は無形だ: 臨済は脳機能が分かっていた



「臨済録」示衆で臨済は次のように言う、

「臨済録」示衆1−4を参照)。

 「道流、心法は形無くして、十方に通貫す。

眼に在っては見と曰(い)い、耳に在っては聞と曰(い)い、鼻に在っては香を嗅ぎ、

口に在っては論談し、手に在っては執捉(しっそく)し、足に在っては運奔(うんぽん)す。

本(も)と是れ1精明(せいめい)。分かれて六和合と為(な)る。

一心既に無なれば、随処に解脱す。

山僧がかく説くは、意は什麼(いずれ)の処にか在る。

祇(た)だ道流が一切馳求(ちぐ)の心止むこと能(あた)わずして、

他の閑機境(かんききょう)に上(のぼ)るが為なり。

道流、山僧が見処を取らば、報化(ほうけ)仏頭を坐断し、

十地(じゅうじ)の満心(まんしん)は猶(な)お客作児(かくさじ)の如く、

等妙の二覚は担枷鎖(たんかさ)の漢、羅漢辟支(らかんびゃくし)は

猶(な)お厠穢(しえ)の如く、菩提涅槃は繋驢ケツ(けろけつ)の如し。

何を以ってか此の如くなる。

祇(た)だ道流が三祇劫(さんぎごう)空に達せざるが為に、

所以に此の障礙(しょうげ)有り。

若(も)し是れ真正の道人(どうにん)ならば、終に是の如くならず。

但だ能く縁に随って旧業(きゅうごう)を消し、

任運(にんぬん)に衣裳を著けて、行かんと要(ほっ)すれば

即ち行き、坐せんと要(ほっ)すれば即ち坐し、一念心の仏果を希求(きぐ)する無し。

何に縁(よ)ってか此の如くなる。

古人云く、若(も)し作業(さごう)して仏を求めんと欲すれば、

仏は生死の大兆なり」



現代語訳


「諸君、心は形が無く、十方世界を貫いている。

眼に働けば見る。耳に働けば聞き、鼻に働けば嗅ぐ。

口に働けば話し、手に働けば捉まえ、足に働けば歩いたり走ったりする。

しかし、元々とこれは1精明(せいめい)なのだ。

それが分かれて六感覚器官(六和合)を通して働いているのだ。

その一心が無であると徹見したならばいかなる境界にあってもそのまま解脱できる。

私がそのように説く意図はどこにあると思うか。

君達があれこれ求め回る心を止めることができずに、

古人のつまらない方便に取り付いているからだ。

諸君、私の見地に立てば、いながらに、報身仏、化身仏の頭を断ち切るどころか、

十地の菩薩とて召使同然、等覚・妙覚の悟りを得た者とて牢獄の囚人、

羅漢・辟支仏は汚穢同然、菩提涅槃はロバを繋ぐ棒杭のようなものだ。

『君達がこのように徹し切れない』のは何故かと言えば、

君達が無限の時間を空じ切るまでに達観できていないから、

こんなつまらぬものに引っかかるのだ。

本物の修行者なら、決してそんなことはない。

ただその時その時の在りようのままに宿業を消して行き、

成り行きのままに着物を着て、歩きたければ歩く、坐りたければ坐る。

修行して仏果を得ようとは思わない。

何故かと言えば古人も言っているではないか、

もしあれこれ計らいをして成仏しようとしたならば、仏は輪廻生死の大きな兆しである。」



考察


臨済は「『君達がこのように徹し切れない』のは何故かと言えば、

君達が無限の時間を空じ切るまでに達観できていないから

こんなつまらぬものに引っかかるのだ。・・・」と言っている。

臨済は「正しい見地に立って修行すれば、無限の長時間にわたる輪廻転生と修行は必要ない

こう信じ達観すれば、この世で直に頓悟成仏できる。」と言っていることが分かる。

さらに臨済は「心は形が無く、十方世界を貫いている

しかし、元々とこれは1精明(せいめい)なのだ

それが分かれて六感覚器官(=六和合)を通して働いているのだ

眼に働けば見る。耳に働けば聞き、鼻に働けば嗅ぐ

口に働けば話し、手に働けば捉まえ、足に働けば歩いたり走ったりする。」

と言う。

本(も)と是れ一精明(せいめい)。分かれて六和合と為(な)る

という言葉は首楞厳経に出ている言葉である。

黄檗希運もこの言葉を「伝心法要」において引用している。

一精明(せいめい)が分かれて六感覚器官(六和合)を通して働く

ということから一精明(せいめい)とは脳を指していると考えられる。

「眼に働けば見る」とは視覚を、「耳に働けば聞き」とは聴覚を、

「鼻に働けば嗅ぐ」とは嗅覚をそれぞれ言っている。

「口に働けば話し」とは脳のブローカ野(運動性言語野)を通し口でしゃべることを言っている。

「手に働けば捉まえ、足に働けば歩いたり走ったりする」

とは脳からの運動指令が手足の運動になることを言っていることが分かる。

これらのこと全て19世紀〜20世紀になって初めて明らかになった脳科学の真実である。

臨済録では脳機能と六感覚器官(=六和合)の繋がりを正確に表現している。

驚くべきことだが7〜8世紀の古代において、

臨済は脳機能を正しく理解していたと言えるだろう。 

図3.14に六感覚器官(=六和合)とその働きを示す。

外側の六角形は六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)を、

内側の六角形は六識(眼識=視覚、耳識=聴覚、鼻識=嗅覚、舌識、身識、意識)

をそれぞれ表わしている。

内向きの矢印は六感覚器官(六和合)への入力情報を、

外向きの矢印は「口で話したり、手で掴んだり、足で歩いたりする出力情報を表わしている。

fig.3.14

図3,14

図3.14.六感覚器官(六和合)とその働き

一精明が眼に働けば見、耳に働けば聞き、鼻に働けば嗅ぐ。

口に働けば話し、手に働けば捉まえ、足に働けば歩いたり走ったりする。




この図の中心は脳である。

この図からも一精明(せいめい)とは脳を指していることは明らかであろう。

このように、臨済録も脳科学の観点を入れればすっきり合理的に説明できることが分かる。  


   

3.34  自己を信じよ



「臨済録」示衆において、臨済は次のように言う、

「今日、仏法を修行する者は、何よりも先ず正しい見地をつかむことが肝要である。

もし正しい見地をつかんだならば、生死につけこまれることもなく、死ぬも生きるも自在である。

至高の境地を得ようとしなくても、それは向こうからやって来る。

諸君、古(いにしえ)の祖師達は皆、越え出させる導き方を心得ていた。

今わしが君達に言いたいことは、ただ他人の言葉に惑わされるなということだけだ。

自力でやろうと思ったら、すぐやることだ。決してためらうな。

このごろの修行者達が駄目なのは、その原因はどこにあるか。

病因は自らを信じきれぬ点にあるのだ。

もし自らを信じきれぬと、あたふたとあらゆる現象についてまわり、

全ての外的条件に翻弄されて自由になれない。

もし君達が外に向かって求めまわる心を断ち切ることができたなら、そのまま祖仏と同じである。

君達、その祖仏に会いたいか。今わしの目の前でこの説法を聴いている君こそがそれだ。

君達はこれを信じ切れないために、外に向かって求める。

しかし、何かを求め得たとしても、それはどれも言葉の響きが良いだけだ。

それでは生きた祖仏の心は絶対つかめぬ。

君達、取り違えてはならぬぞ。

今ここで仕留めなかったら、永遠に迷いの世界に輪廻し、

好ましい条件に引き回されてロバや牛の腹に宿ることになろう。

君達、わしの見地からすれば、この自己は釈迦と別ではない。

現在のこのさまざまな働きに何の欠けたものがあろう。

この六根の働きから出る輝きは、未だ途切れたことはない。

このように見て取ることができれば、これこそ一生無事の人(大安心の人)である」。

 臨済は正しい見地に立って、自己を信頼すれば、一生無事の人(大安心の人)であると言う。

これはブッダの<自帰依>の思想と殆ど同じである。



3.35

3.35 「無事是れ貴人」の思想



無事是れ貴人」の思想は臨済録の至る所に見られる。

「師は皆に説いて言った、

諸君、正しい見地をつかんで天下を歩き

狐付きのような禅坊主などに惑わされないのが肝要だ

無事の人こそが高貴の人である。」ただ計らいを離れ、あるがまゝであればよい

外に向かって助けを求めてはならない。」

無事とは一切の作為を絶って自らの本然に安らいでいることを意味する。

唐末の詩人羅隠の詩に

無事貴し

と言う。

同じく杜荀鶴の詩に

無事の人

とある。

無事

という言葉は当時の愛用語であったようだ。

しかし、無事の無には道教の

」や「無為自然

の思想の影響も感じられる。

さらに臨済は次ぎのように言う、

君達は脇道の方へ探して行って手掛りを得ようとする

これは大きな間違いだ。君達は仏を求めようとするが、そのような仏はただの名前に過ぎない

君達は一体その求め廻っている当人が誰であるかを知っているか

三世十方の仏や祖師が世に出たのはただ法を求めるためであった

今の修行者諸君も法を求めるため生まれたのだ

法を得たら、それで終わりだ

得られないなら今まで通り五道の輪廻を繰り返す

一体法とは何か?

法とは心である

心は形無くして十方世界を貫き、目の前に生き生きと働いている

ところが人々はこのことを信じ切れないため

菩提や、涅槃などという言葉を信じて、文字表現の中に仏法を推し量ろうとする

天と地の取り違いだ。」

ここで臨済は真正の見解を重視している。

真正の見解」はブッダの八聖道の「正見」に通じる。

臨済は

また外に向かって助けを求めてはならない

形無くして十方世界を貫き、目の前に生き生きと働いている自己の心を識得し信じよ。」

と言う。

現代的に言えば目の前に生き生きと働いている健康な脳の働きを肯定し信ぜよと言うことだろう。

臨済の

形無くして十方世界を貫き、目の前に生き生きと働いている自己の心

とは我々の脳で生まれる心の性質を言っている。

我々の脳は微小電流が流れる電気的システムで電磁的相互作用の世界である。

電磁的相互作用は遠距離相互作用であるため、

「十方世界を貫いている広大な世界」を実感するのである。

微小電流が流れる電気的システムで電磁的相互作用の世界である

脳宇宙を臨済は実感的に表現していると言えるだろう。

禅ではよく「蓋天蓋地(がいてんがいち)」という言葉を使う。

蓋天蓋地(がいてんがいち)」とは天を蓋い地を蓋うという意味である。

この言葉も遠距離相互作用に基づく電気的システムである脳宇宙を

実感的に表現した言葉だと言えるだろう。

以上に見る臨済の悟りは、ブッダの<自帰依>に通じる姿勢と言えるだろう。

このように、臨済の思想はゴータマ・ブッダの原始仏教に直結していることが注目される。

その他にも臨済録には

自己の身心はそのまま祖仏と同じであると知って

即座に無事大安楽になることが出来た時法を得たと言うのである。」

と<無事>の思想が出ている。

臨済録には<無事>の思想が頻繁に見られる。

このことから「<無事>の思想」は

臨済義玄の主要思想であると言ってよいだろう。



3.36  大珠慧海に見る<無事>の思想の源泉



「諸方門人参問語録」で大珠慧海は言う、

諸君は幸いに本来無事の人であるのに

一生業を作り、自分にくびかせをはめて地獄に墜ちるようなことばかりしている

一体何をしようとしているのだ

朝から晩まで奔走して

俺は参禅し道を学んでいる。仏法が分かっている。』などと言っている

こんなことではますます仏法とは無縁になってしまう

ひたすら現象界でうろうろ走り回っているばかりできりが無い

愚僧は、馬祖和尚から

そなたにある宝蔵には一切のものが具わっている

思いのまゝに使うことができるのだ。外に求める必要はない

と言われた

それ以来心は安らかになり、自分の財宝を自分の身に応じて使っている

全く愉快というものだ

大珠慧海は言う、

師である馬祖道一禅師から

そなたには一切が具わった宝蔵がある

それを思いのまゝに使えば外に求める必要はない。』

と言われ心は安心できた。

それ以来自分の財宝を自分の身に応じて使い、全く愉快な毎日を過ごしている」。

ここで大珠慧海が言っていることは「<無事>の思想」と同じである。

大珠慧海は馬祖道一禅師からこの思想を受け継いだと言っている。

このことから臨済録の<無事の思想>は臨済独自のものではなく,

馬祖道一禅師から受け継がれてきたことが分かる。

大珠慧海は続けて、

一法も取ることのできるものはなく、何一つ捨てることのできるものはない

何一つ生滅する姿を見ない。何一つ行ったり来たりする姿を見ない

この十方世界何一つ己が財宝でないものはない

綿密に己の心を観察すれば一体としての三宝が常に自ずから現われている。」

と述べる。

ここでは大珠慧海は自己の心に具わった宝蔵とは

不生不滅の一体としての三宝(一体三宝)だとしている。

臨済の<無事是れ貴人>の思想が分かり易く説かれている。

仏教では三宝とは,仏、法、僧を指す。

六祖慧能はこの考えを発展させ「自性の三宝」を説いたことは既に見た。

「六祖壇経・2」を参照)。

慧能が説く「自性の三宝」とは自心覚(=仏)、自心正(=法)、自心浄(=僧)の三つである。

一体三宝とはこの自性の三宝が一体で自己の心に具わっていると考えることである。

しかし、六祖慧能は自性の三宝が不生不滅であるとは説いていない。

大珠慧海は自性の三宝である自心覚、自心正、自心浄を修行によって深めることを述べている。

自心覚、自心正、自心浄を修行によって深め、

健康で快適に機能する脳を作ることが自性の一体三宝であり、

それに帰依(信頼)することが<自帰依>だと説いていると考えられる。

ただし、不生不滅の宝蔵が心に具わっていると考えるのは

中期大乗仏教の如来蔵思想によるもので元々のブッダの教えには無い。

大珠慧海は言う、

疑わしいことは何も無い。思念するな

捜し求めるな。心の本性は元々清浄なのだ

  「華厳経」に『すべてのものは生ぜず、すべてのものは滅せず。』と言っている

このように分かったならば諸仏は常に目の前に現われるだろう

また『浄名経(維摩経)」には

「自分自身のありのまゝの真実の姿を観よ

仏についてもそのように観よ。』と言っている

もし現象界の物事に引きずられて心を働かすことをせず

姿・形を追いかけて観念を生じなければ自ずから安らいでいることができる。」

大珠慧海は如来蔵思想が説く清浄な仏性を疑うなと言っている。

しかしこれは信仰であろう。

ブッダは「心に清浄な仏性がある。」などとは言っていないのである。

心に清浄な仏性がある」とは

中期大乗仏教(特に唯識思想)において初めて出てきた思想でありブッダの原始仏教にはないからである。

大珠慧海は

「自己の心に具わった不生不滅の宝蔵にある清浄なる仏性を信じる。

これが分かれば本来仏であることが分かるから心は安らぎに満たされるので、

外に求める必要はない」。これが<無事の人>である。

しかし、この考え方には飛躍があると思われる。

普通、心に具わった不生不滅の清浄なる仏性と言われても、

それを信じることはできないだろう。

如来蔵思想は信仰の問題で、それが真実かどうかは分からない。

むしろ、坐禅修行を真剣にすることで、慧能が言う清浄なる仏性を体験実証できる。

そのことによって<自帰依>が可能になると考える方が合理的で分かり易い。

キリスト教では人間の「原罪」と罪深さを説く。

大乗仏教や禅ではこれと正反対である。

心には清浄な仏性がある」と如来蔵思想に基づいて考えるのが注目される。




3.37

3.37  <無事>の思想のまとめ





無事是れ貴人>の概念は永嘉真覚禅師(六祖慧能の法嗣、665〜713)が

「証道歌」で説く<絶学無為の閑道人>に通じるところがある。

黄檗希運も「伝心法要」で

百般のことに博識であるより、求めるものがないというのが何より第一のことである

道人とは<無事の人>である。」

と言っている。

それを考慮すると<無事>の思想は

永嘉真覚→ 馬祖道一 → 大珠慧海 → 黄檗希運 → 臨済に流れていると考えられる。

無事是れ貴人>の思想はさらに道教の<無為の思想>の影響を受けたと思われる。

臨済の<無事貴人>の思想は悟り(本来仏の悟り)の境涯にある人について言えることであり、

我々凡俗については当てはまらないだろう。

もし、<無事貴人>の思想を

我々俗人が何もしないでのんびり過ごすことは貴い。」と考えると大間違いである。

こう考えると何もしない怠け者が貴人となりかねない。

日本の禅では一般に「無事禅」は悪い禅とされている。

無事の思想を説いた臨済を開祖とする日本臨済宗においてもそうである。

これは中国と日本の国民性の違いから来ているのかも知れない。

しかし、臨済の<無事貴人>の思想は「俗人が何もしないでのんびり過ごすことは貴い。」と考える思想ではない。

厳しい修道の結果得られた境地だと考えるべきであろう。

「ただのんびり過ごす無事禅」は馬祖道一、大珠慧海、臨済達の真意でないのは明らかであろう。 




3.38   仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺せ


禅と自由の精神





臨済録の示衆で臨済は「諸君、出家者はともかく修行が肝要である。」

と修行の重要性に言及した後次のような激しく刺激的な言葉を述べる。

諸君、出家者はともかく修行が肝要である

わしなども当初は戒律の研究をし、また経論を研究した

後に、これらは世間の病気を治す薬か、看板の文句みたいな物だと知ったので

そこでいっぺんにその勉強を打ち切って、道を求め禅に参じた

その後、大善知識に逢って、始めて真正の悟りを得

かくて天下の和尚達の悟りの邪正を見分け得るようになった

これは母から生まれたままで会得したのではない

体究練磨を重ねた末に、はたと悟ったのだ

諸君、まともな見地を得ようと思うならば、人に惑わされてはならぬ

内においても外においても、逢ったものはすぐ殺せ

仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し

羅漢に逢えば羅漢を殺し、父母に逢えば父母を殺し

親類に逢ったら親類を殺し、そうして始めて解脱することができ

何者にも束縛されず、自在に突き抜けた生き方ができるのだ」。

「臨済録」示衆10−6を参照)。

臨済のこの示衆の言葉

仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し

羅漢に逢えば羅漢を殺し、父母に逢えば父母を殺し、親類に逢ったら親類を殺せ

は有名である。

この示衆の言葉を読むかぎり、

仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺すくらいの気迫や激しさで修行することで

始めて解脱することができる

と言っていることが分かる。

何も祖仏を殺すのが目的ではない。

それくらいの気持ちや激しさで修行しないと到底解脱はできないぞと言っているのである。

我が国の茶聖千利休(1522〜1591)はその遺偈において

吾這宝剣 祖仏共殺(わがこのほうけん そぶつともにころす)」と詠っている。

利休の遺偈の言葉は臨済のこの示衆の言葉を引用していると考えることができる。

利休は切腹に臨んで、

祖仏ともに殺す」という臨済の言葉を引用し、

生死を超えた解脱の境地を示そうとしたのではないだろうか?

利休の遺偈を参照)。

殆どの宗教では宗祖や神を絶対的なものとして尊敬崇拝する。

宗祖や神を自由に批判したり、自分と同じレベルで論ずることはゆるされない。

例えばイスラム教において、

開祖ムハンマドを批判したりすると死刑宣言が出て迫害されることからも分かる。

特に一神教では、「バーミャンの大仏爆破(2001年)」に示されるように非寛容さは際立っている。

ところが禅では臨済以来そのような束縛を脱し自由である。

ブッダ以来の伝統を引き継ぐ人間主体の自由な宗教であるためではないだろうか。

上の臨済と類似の思想は雲門文偃にもあったようだ。

「碧巌録(16則の評唱)」には次ぎのようなことが述べられている。

雪竇云く「釈迦老子、初め生まれ来たりて、一手は天を指し、一手は地を指して、

四方を見回して云く、『天上天下唯我独尊』と。

雲門云く、「我当時もし会わば、一棒に打殺(うちのめ)し

狗子(いぬ)に与えて喫却(くらわ)しめ、貴(ひとえ)に天下の大平を要(もと)めん

と雲門文偃の言葉が紹介されている。

雲門(雲門文偃、864〜949)は雲門宗の開祖で

その言語表現の見事さで雲門大師として尊敬されている大禅者である。

雲門文偃は仏教の開祖釈迦に会ったら、

一棒のもとに打殺(うちのめ)し

狗子(いぬ)に与えて喫却(くらわ)しめ、貴(ひとえ)に天下の大平を要(もと)めん

と宗教者とは思えない言葉を吐いているのである。

「臨済録」示衆10−6を参照)。

仏教では祖仏は神に相当する神格的存在である。

それを否定し殺すことは他の宗教ではありえない。

その意味で、このような権威否定の自由な批判精神は宗教においては珍しい。

眼を見張るほど新鮮である。科学者の真理発見の創造的精神に通じると言えるだろう。

自由な批判精神と発現は臨済の真面目であるとともに禅の精神だと言える。

辞書で「自由」の意味を調べると、

自由とは他からの強制・拘束・支配などを受けないで、

自らの意志や本性に従っている・こと(さま)をいう。

自らを統御する自律性、内なる必然から行為する自発性などがその内容であるとされる。

禅では自己本来の面目(自己の本質本性)を明らかにすることを目的に修行に励む。

一旦自己本来の面目(自己の本性)を明らかにすると(見性すると)、

他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従って行動する。

まさに自由と自律(自立)を大切にするのである。

このように考えると禅と自由の精神には深い関係があることが分かる。

この自由の精神は

自由思想家であるブッダの<自帰依>と<無我>の思想に起源があると思われる。

このようなこと考えると禅を始め大乗仏教は一神教にはない実に心の広い寛大な教えである。

筆者は「自由の精神」を高く評価しこのホームページでも自由に発言させて貰っている。

その点からも禅を始め、大乗仏教の心の広さと寛大な教えを心から有難く思っている。




3.39

3.39  臨済が説く「無」と東洋的無 




臨済録の色んな所に真仏無形、真法無相、真道無体、というような

を含む言葉が頻繁に現れる。

臨済は「今聴法する底の人を識取せよ

無形無相、無根無本、無住処にして活溌溌地なり。」

などのような言葉でを説いている。

臨済の説くはどのように解釈できるだろうか。

真法無相、無形無相、などの言葉で表わされるとは

脳内の神経回路を行き来する微弱電流(パルス電流)を指していると考えれば分かりやすい。

脳内の神経回路を行き来する電流(パルス電流)は非常に微小なもので

0.1マイクロアンペア(=10−7A)くらいの大きさである。

坐禅中でも脳はそれを感知することはできない。

言わば「無形無相、無根無本で、無住処に(留まる処無く)して活溌溌地なり

としか表現できないだろう。

特に敏感な人でも何か微かに感じられるかも知れないがはっきりしない。

有るか無いかといったぐらいだろう。

この無は坐禅中に活性化される下層脳(脳幹+大脳辺縁系、無意識脳)を表わしていると考えることもできる。

下層脳は無意識脳であるから無形無相としか表現できないだろう。

このは宋代には

有でもなく無でもない無字の思想

に発展して行く。

この極微電流がいわゆる

東洋的無」の起源だと考えられる。

このような世界は文学的には

不立文字」とか「」、

或いは

無であるとともに有

と言うしか仕様がないだろう。

特に敏感な人でも何か微かに感じられるようだがどうもはっきりしない。

その場合はハッキリ否定できないので

真空妙有

と言うしかない。

このように科学的知見を取り入れて解釈すれば

や「真空妙有」、

不立文字」と言う表現は少しスッキリと分かり易くなる。

禅は文学(日常言語)や哲学だけでは表現できない。

科学的観点が不可欠な世界であることは明らかであろう。




 3.40 「無門関」と無字の完成





五祖法演(?〜1104)に始まり大慧宗杲(1089〜1163)

によって強化された無字の公案は南宋の時代、無門慧開(1183〜1260)によって完成された。

彼はその著書「無門関」の第一則に「無の公案」を採用している。

「無門関」は48件の公案を選んで無門の解説と詩(頌)を付けたもので

東洋的無』の原典として世界的に有名である。

その構成は「碧巌録」に似ている。

「無門関」図1」を参照)。

「無門関」は48則の公案の内4則が五祖法演に関係している。

これは無門が五祖法演の禅を重視していたことを示している。

無門関第一則「趙州無字」の取り上げ方は法演の方法に依っている。

無門慧開はこの無字の公案を透過するため不眠不休の努力をして悟った。

そのためかこの公案に対しては、特に力を込めて、詳しく解説しているのである。

無門は言う、

禅に参じようと思うなら

何としても禅を伝えた祖師達が設けた関門を透過しなければならない

素晴らしい悟りを得るには一度徹底的に意識を無くすことが必要である

祖師の関門も透らず、意識も絶滅できないような者は

すべて草木に憑り付く精霊のようなものである・・・

360の骨節と84、000の毛穴を総動員して、全体を疑いの塊にして、この無の一字に参ぜよ

昼も夜も間断なくこの問題を引っ提げなければならない

あたかも一箇の真っ赤に燃える鉄の塊を呑んだようなもので、吐き出そうとしても吐き出せず

そのうちに今までの悪知悪覚が洗い落とされて、時間をかけていくうちに

だんだんと純熟し、自然と自分の区別がつかなくなって一つになり

おしの人が夢を見たようなもので、ただ自分一人で噛みしめるよりほかない

ひとたびそういう状態が驀然(まくねん)として打ち破られると

驚天動地の働きが現われ、まるで関羽の大刀を奪い取ったようなもので

仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺すという勢い

この生死の真っ只中で大自在を得、迷いと苦しみの中で遊戯三昧の毎日ということになるのだ

さて、諸君はどのようにしてこの無の字をひっ提げるか

ともあれ持てる力を総動員して、この無の字と取り組んでみよ

もし絶え間無く続けるならば、ある時、小さな種火を近づけただけで

仏法の灯火が一時にパッと燃え上がることだろう。」


「無門関」第1則を参照)。

宋代において「碧巌録」や「無門関」などの公案集が出版され公案禅は成立した。

公案と公案禅は宋代禅の精華だと言えよう。




3.41 無の心の発達(U)




禅の悟りの心は六祖慧能の無念、無相、無住の三要心から

大珠慧海 の無生心、無住心、さらに黄檗希運の無心へと、時と共に単純化した(図3.4参照)。

図3.4参照)。

それは臨済においては「無位真人」となる。

宋代の五祖法演、無門慧開によって「」という言葉(or無字)に帰着する。

無位真人」と「」は一見異なるように見える。

しかし、その意味するところは同じである。

2章の「禅と脳科学」でも議論したように、「」は「東洋的無」だと難しく考えるよりも、

坐禅によって活性化され健康になった下層脳(無意識脳)から生まれる心

と考えれば具体的で分かり易いだろう。

」心の発達を図3.15 に示す。

図3.16 にはの脳科学的解釈を示す。



図3.15

図3.15 「無」の心の発達(U)



図3.16

図3.16 無の脳科学的解釈:無は健康な下層脳から生まれる心




六祖壇経、慧能の三要を参照)。





3.42  禅と密教 





禅と密教は意外に近いところがある。これは密教の歴史を見れば理解できる。

中国密教確立期の人である善無畏三蔵、一行禅師、不空三蔵は次ぎのようにまとめられる。



表3.5 中国密教確立期の祖師

密教の祖師名    出身地など 生没年     業 績など  
善無畏三蔵(シュバカラシンハ)  東インドオリッサ出身のインド僧 (637〜735)  『大日経』を訳出した。インドのナーランダ寺院で顕密両教を学びから中国に密教を請来した
一行禅師中国(683〜727) 善無畏三蔵の『大日経』の訳出を助けた。『大日経嶇疏(しょ)』20卷を撰述した。密教のみならず、禅、天台、或いは道教をも含めて広範な学識を持った人で、真言密教を相承した八名の祖師の1人
不空三蔵(アモーガヴァジュラ)  純粋の漢族ではなくインドの血が混じった西域系の混血児 (705〜774) 110部143巻もの経典を漢訳した。中国密教の完成者とされる。



これらの中国密教の開祖達の活躍時期は禅の創生期とほぼ一致している。

彼等は密教、禅、天台、を区別せず併習している。これは次のように説明できる。

禅も密教も中期大乗仏教(如来蔵思想)と関係がある。

中期大乗仏教(如来蔵思想)を経て仏教がさらにヒンズー教を取り込み

宗教化したのが密教(後期大乗仏教)である。

密教(後期大乗仏教)を参照)。

これに対し、如来蔵思想を基に自己(心)を究明し、

ブッダの<自帰依>の道を進んだのが禅であると考えることができる。

これを図3.17に示す。




図3.17

図3.17 中期大乗仏教(如来蔵思想)を経て禅と密教に分かれる



3.43  禅と密教の分岐点 




図3.18に示すように禅と密教への分岐点は救いを求める方向の違いにあったと思われる。

 

図3.18

図3.18 禅と密教の分岐点は救いを求める方向の違いにあった。
 


通常の宗教と同じく信仰によって仏に救いを求めるのが密教(及び、その他の大乗仏教)である。

これに対し己事究明によって自己(仏性)を明らめ自己に帰依するのが禅である。

悟りと救いを仏(外の)に求めるか自己に求めるかで密教と禅に分かれたと見ることができよう。

この己事究明の道はゴータマ・ブッダ(原始仏教)の<自帰依、自灯明>に通じる。

大乗仏教によって迷路に迷い込んだ仏教が言わば先祖(原点)帰りしたと言って良いだろう

この分岐(6〜7世紀)は当時の人類の文明のレベルから見て仕方が無かったと思われる。

我が国の真言宗智山派の教義を見ても密教と禅は近いところがある。



真言宗智山派の教え: 即身成仏(三劫成仏の否定)と「凡聖不二」。

凡聖不二」は「生仏不二」とも言われ「衆生と仏は本質的に同じである

という考え方で、

我々は本来大日如来と同じである

とも言われる。


や「凡聖不二の教えは禅の衆生本来仏なり」の教えと驚くほど良く似ている。


我が国の鎌倉五山のうち寿福寺と浄妙寺は最初は密教系の寺院で禅密併修であった。

これも密教と禅宗の近い関係を示唆している。

密教(大日如来は自己に他ならない)を参照)。




3.44  禅と山:禅は森の思想 




有名な禅師の多くは山中で修行した。

山の静寂さと澄んだ空気は禅定修行の理想的環境である。

禅師とそのゆかりの修行や居住の地を次の表3.6に示す。

その中で多くの人が居住した山の名前で呼ばれている。

牛頭法融や南嶽懐譲などである。

臨済や道元は自分のことを「山僧」と呼んでいる。

この言葉にも禅と山(森)の深い関係が分かる。

このことから禅思想は森の思想に属すると言っても良いだろう。

お寺が山号を持ち、山門があるのも、もともと山と仏教の深い関係を示している。

現在でも山に籠って修行する人がいる。山と修行は切り離せない。


表3.6 禅師とその修行(或いは居住)の地(山)
禅師 生没年 修行(或いは居住)の地
菩提達磨(初祖) (?〜536)   嵩山 
二祖慧可 (487〜593 嵩山 
三祖僧サン (?〜536)  羅浮山 
南嶽慧思 515〜577  南嶽(衡山) 
四祖道信(580〜651) 双峯山(黄梅破頭山)
五祖弘忍 (601〜674)  憑茂山(東山) 
六祖慧能 (638〜713)  曹渓山 
南嶽懐譲 (677〜744)  南嶽(衡山) 
青原行思 (673〜741)  青原山 
石頭希遷 (700〜791)  南嶽(衡山) 
百丈懐海 (720〜814)  百丈山 
馬祖道一 (709〜788) 南嶽(衡山) 
南泉普願(748〜834) 南泉山 
大梅法常 (752〜839)  大梅山 
イ山霊祐 (771〜853)  大イ山 
黄檗希運 (?〜860)  黄檗山 
雲門文偃 (864〜949)  雲門山 
雪峰義存 (822〜908)  雪峰山 


トップページへ

第4章 悟りの経験と分析:その1 へ


ページの先頭へ戻る