2014年4月3日〜5月30日作成

密教:その2:後期大乗仏教

   
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12章 密教:後期大乗仏教



複雑に進化変容した仏教をA型宗教として見るのが一番はっきりしているのが密教である。

大乗仏教その1:宗教の定義を参照)。

真言密教では第1祖は大日如来である。大日如来は華厳経や十地経で説かれる毘盧舎那仏であり、

歴史的人物としての釈迦牟尼(ゴータマ・ブッダ)ではない。

大日如来は仏教の真理を抽象化した法身仏である。

大乗仏教その2:三身仏の思想を参照)。

密教の胎蔵界マンダラの中ではゴータマ・ブッダは400余りの仏・菩薩の中の1人に過ぎない。

真言密教の第2祖はヴァジュラ・サットヴァ(金剛サッタ)である。

ヴァジュラ・サットヴァは大日如来が説法する時の対告衆(聞き役)である。

これも歴史上の人物ではない。大乗仏教の菩薩(ボーディサッタ)が変容したものである。

このように、密教ではブッダが創始した仏教の歴史が無視されている。

多くを語らずとも、密教は信仰化した大乗仏教が行き着いた最後の姿であることが分かる。

 世界宗教に成長する前の仏教(原始仏教や部派仏教)は、

下層民衆から離れた少数のエリート(出家修行者)のものであった。

興隆するヒンズー教に対抗して、多くの民衆をも取り込むため仏教はヒンズー教に接近し、

古くからの土着信仰・迷信・俗信と結びついた。これは大乗仏教が興起した時点から見られる姿勢であった。

このように考えると、

原始仏教 →部派仏教→大乗仏教→密教(後期大乗仏教)への歴史的展開は、

必然的な変化としてスムーズに説明できる。



12・1インド密教の成立と歴史



12・1−1 密教以前


原始仏教では比丘が呪術を行うことは禁じられていたが、

律蔵においては(世俗や外道で唱えられていた)「治歯呪」や「治毒呪」といった

護身のための呪文(護呪)は許容されていた。

そうした特例のひとつに、比丘が遊行の折に毒蛇を避けるための防蛇呪がある。

これが大乗仏教において発展して、初期密教の『孔雀王呪経』が成立したと考えられている。

森で修行をするにあたって、様々な障害(木霊の妨害など)を防ぐために意味不明な呪文ではなく

慈経やアングリマーラ経を唱える。

また出産に際しては、安産を願って、慈経やアングリマーラ経のような経典を唱え

祝福するという習慣が存在する。

こうした祝福や護身のために、あたかも呪文のように経典を読誦する行為は、

古いパーリ仏教の系統では「パリッタ(paritta 護経、護呪)」と称された。

現代のスリランカや東南アジアの上座部仏教でも数々のパリッタが読誦されている。



12.1-2初期密教


呪術的な要素が仏教に取り入れられた段階で形成されていった初期密教(雑密)は、

特に体系化されたものではない。

祭祀宗教であるバラモン教のマントラに影響を受けて各仏尊の真言・陀羅尼を唱えることで

現世利益を心願し、成就しようとするものであった。

当初は「密教経典」なるものが特にあったわけではなく、

大乗経典に咒や陀羅尼が説かれていたのに始まると考えられる。

例えば、大乗仏教の代表的な宗派である禅宗では現在でも「大悲心陀羅尼」・「消災妙吉祥陀羅尼」等、

数多くの陀羅尼を唱えることで知られている。

中でも最も長い陀羅尼として有名な「楞厳呪」(りょうごんしゅ)は

大乗仏典の『首楞厳経』巻七に説かれる陀羅尼である。

これが密教に伝わり陀羅尼(ダーラニー)が女性名詞であるところから仏母となって

「胎蔵界曼荼羅」にも描かれ、日本密教では「白傘蓋仏頂」と呼ばれマイナーな存在ではあるが、

チベット密教では多面多臂の恐ろしい憤怒相の仏母である「大白傘蓋仏母(だいびゃくさんがいぶつも)」

として寺院の守護者として祀られるようになった。

ちなみに禅宗でもチベット密教でも、この陀羅尼を紙に書いてお守りとするが、

中国禅では出家僧の「女人避けのお守り」ともされている。


 注:

陀羅尼:比較的長い呪文のこと。

通常は翻訳しない。サンスクリット語原文を漢字で音写したものを各国語で音読して唱えるので、

これを聞く人にはその意味は分からない。

その神秘的な響きから、これを唱えたり書写したり、

また暗記する事で様々な霊験が現れるという「真言信仰」が生まれた。

陀羅尼を説く大乗経典として以下のような経典が知られている。



消災妙吉祥陀羅尼」:『消災呪』や『延寿経』とも呼ばれる。 

仏の大威徳光によって、悪星退散、善星皆来、招福を説く。

大悲心陀羅尼」:正式には『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙 大悲心陀羅尼』という。

伽梵達摩訳『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』の陀羅尼部分

を取り出したものとされる。略して大悲呪という。

大悲心とは観音菩薩の慈悲心のこと。

楞厳呪(りょうごんしゅ)」:首楞厳経巻七に収載された長文の呪として知られる。

宋代以降の禅門で盛ん に唱えられた陀羅尼。

現在でも、日本の禅寺においては、「消災呪」や「大悲心陀羅尼」は盛んに読誦されている。

このことは禅宗に対する密教の影響を示している。



白傘蓋仏頂 (びゃくさんがいぶっちょう、ドゥガル):

仏の中でも、最勝最尊の仏を仏頂尊という。

仏の三十二相(尊貴の相)の一つである白傘蓋仏頂の左手に持つ白傘は、

人で例えるならば、傘は雨や強い日光を退ける様に、白傘蓋仏頂は、

清浄な心の白い傘によって衆生を守り(魔よけ)、 智慧と慈悲を授けることを表している。



12.1−3中期密教


新興のヒンドゥー教に対抗するため、

本格的な仏教として理論体系化が試みられて七世紀頃中期密教が誕生した。

大乗経典では釈迦牟尼仏釈尊(ゴータマ・ブッダ)が説法する形式をとるが、

中期密教経典で大日如来(大毘盧遮那仏、Maha-vairocana)が説法する形になっている。

大日経』や『金剛頂経』などの密教経典が成立すると、

多様な仏尊を擁する密教の世界観を示す曼荼羅が誕生した。

一切如来(大日如来を中心とした五仏:五智如来)からあらゆる諸尊が生み出されるという形で

、密教における仏尊の階層化・体系化が進んでいった。

中期密教は僧侶向けに複雑化した仏教体系となったが、

インドの大衆層への普及・浸透ができず、

ヒンズー教の隆盛・拡大という大きな流れを変えることはできなかった。

ヒンズー教の隆盛に対抗するため、シヴァ神を倒す降三世明王や

ガネーシャを踏むマハーカーラ(大黒天)をはじめとして

仏道修行の保護と怨敵降伏を祈願する憤怒尊や護法尊が登場した。

空海によって日本に伝えられた真言密教は『大日経』や『金剛頂経』などを中心とする中期密教である。

『大日経』や『金剛頂経』などを中心とする中期密教は日本では純密と呼ばれている。

中期密教については「後期大乗仏教」を参照)。



12.1-4

12.1−4 後期密教


中期密教ではヒンドゥー教の隆盛に対抗できなくなると、理論より実践を重視した

無上瑜伽タントラの経典類を中心とする後期密教が登場した。

後期密教については「チベット密教」を参照)。

後期密教では仏性の原理が追求され、それに伴って法身普賢や金剛薩タ、

金剛総持が最勝本初仏として最も尊崇されることになった。

また、インドにおいてヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から

影響を受け、男性原理(精神・理性・方便)と女性原理(肉体・感情・般若)との合一を目指す

無上瑜伽の行も後期密教の特徴である。

男性原理と女性原理との合一については「チベット密教」を参照)。

男性名詞であるため男尊として表される方便と、女性名詞であるため女尊として表される智慧が

交わることによって生じるとされる不二智を象徴的に表す「歓喜仏」も多数登場した。

無上瑜伽タントラの理解が分かれていた初期の段階では、

修行者である瑜伽行者がしばしばタントラに書かれていることを文字通りに解釈し、

女尊との性的瑜伽を性行為として実行することがあったようである。

そうした性的実践が後期密教にどの時期にどのよう導入されていったかについてはいくつかの説がある。

仏教学者の津田真一は後期密教の性的要素の淵源として、性的儀礼を伴う「尸林の宗教」

という中世インドの土着宗教の存在を仮定し説明した。

後にチベットでジョルと呼ばれて非難されることになる性的実践は

主に在家の密教行者によって行われていたようであるが、出家教団においては

タントラ中の過激な文言や性的要素をそのまま受け容れることができないため、譬喩として考えられた。

しかし、時には男性僧侶が在家女性信者に我が身を捧げることを要求し、

破戒行為にまで及ぶこともあったようである。

そのため、インドの仏教徒の間では後期密教を離れて戒律を重視する部派仏教(上座部仏教)や、

大乗仏教へ回帰する現象もみられた。

男性僧侶の破戒に対する批判を受けて、無上瑜伽の実践も実際の性行為ではなく、

象徴を旨とする生理的瑜伽行のクンダリニー・ヨーガによる瞑想へと移行する動きも生じた。

これらの諸問題はそのままチベット仏教へと引き継がれ、後に解決された。

一方、瑜伽行は顕教ではすでに形骸化して名称のみであったが、

密教においては内的瑜伽や生理的な修道方法が探究された。

既に中期密教で説かれた「五相成身観」や「阿字観」、「五輪観」に始まり、

更には脈管(梵:ナーディー、蔵:ツァ)や風(梵:プラーナ、蔵:ルン)といった概念で

構成される神秘的生理学説を前提とした、呼吸法やプラーナの制御

を伴う瑜伽行の諸技法が発達した。

とりわけ母タントラ系の密教では、下半身に生じた楽を、

身体の中央を貫く中脈(梵:アヴァドゥーティー、蔵:ウマ)中

で上昇させることによって歓喜を生じ、空性を大楽として体験するとされる

瑜伽行が説かれるようになった。

後期密教の生理的瑜伽の発展した形は、チベット密教の「究竟次第」(完成のプロセス)

と呼ばれる修道階梯などにみることができる。

チベット密教の「究竟次第」については「チベット密教」の「究竟次第」を参照)。

さらに、当時の政治社会情勢から、イスラム勢力の侵攻によるインド仏教の崩壊が予見されていた。

最後の密教経典である時輪タントラ(カーラチャクラ)の中でイスラムの隆盛とインド仏教の崩壊、

インド仏教復興までの期間(末法時代)は密教によってのみ往来が可能と考えられた。

後期密教では、秘密の仏教国土・理想郷シャンバラの概念、

シャンバラの第32代の王となるルドラ・チャクリン(転輪聖王)、

ルドラ・チャクリンによる侵略者(イスラム教徒)への反撃、

ルドラ・チャクリン(転輪聖王)が最終戦争で悪の王とその支持者を破壊する予言、

そして未来におけるインド仏教の復興と地上における秩序の回復、

世界の調和と平和の到来などが説かれた。

13世紀初頭、インド北部におけるイスラム勢力の侵攻・破壊活動によって

インドでは密教を含む仏教は途絶した。

しかし、その後さらに発展した後期密教の体系は今もチベット密教の中に継承されたと考えられている。

チベット密教を参照)。



 注:

最勝本初仏: 後期密教に於いて説かれる宇宙の初めから存在する最も根源的な如来を本初仏と呼ぶ。

アーディ・ブッダと言い法身普賢 ・金剛薩タ ・金剛総持 の三尊が最勝本初仏とされている。

因みに日本の密教は中期密教であり後期密教とは異質と考えられる。 

不二智:大日経で説く胎藏界の理と、金剛頂経で説く金剛界の智は不二一体であるとする

「理智不二」や「金胎不二」の智慧のこと(後述)。

「究竟次第」:「究竟次第」(完成のプロセス)は気(プラーナ、ルン)をコントロールする瞑想法である。

これによって、「空」を認識すると共に、報身(浄化された魂と気の身体)を得ることができるとされる。



12.1-5 密教経典の四分類


密教経典はタントラ(tantra) と呼ばれる。

密教経典についてはチベット仏教の大学僧プトン(1190〜1364)の四区分法が有名である。

四区分法は次の四つである。


1.所作タントラ:

修法に用いる祭壇などの造営法、供物の調達法などの作法、あるいは基本的戒律などを説く。

灌頂経、蘇悉地経など初期の雑密経典。


2.行タントラ:

特定の尊格(仏格)や曼荼羅の諸尊に対する礼拝法を説く密教経典。大日経など。


3. 瑜伽タントラ:

三密行が完全に整備され、真言と印相と曼荼羅を使って自分自身が大日如来に異ならないという

密教的呪法(即身成仏、入我我入の方法)を説く金剛頂経、理趣経など。


4. 無上瑜伽タントラ:

最高のタントラ(密教経典)という意味。

8世紀後半以降に作られた「時輪タントラ」・「勝楽タントラ」・「秘密集会タントラ」など、

インド後期密教経典群のチベット仏教における総称。



12.1-6 インド仏教と密教の滅亡


後期大乗仏教はヒンズー教の一派のタントリズム(Tantrism、 密教)

の影響を受けその教義体系を受け入れた。

それが密教と考えることができる。

密教は呪文(真言・陀羅尼)、手の印相、曼荼羅を用いて修行の目的を達成しようとした。

密教では教義、儀礼は秘密とされ、門外漢には伝えないという特徴をもつ。

密教はヒンズー教化した仏教である。

その結果、ヒンズー教の要素が増えて、ヒンズー教との区別がつかなくなってきた。

密教はヒンズー教の衣を着た仏教である」とも呼ばれる。

それがインドで仏教が滅亡する致命的な原因の一つとなってしまう。

 7世紀に至って『大日経』『金剛頂経』といった体系的な密教経典が成立した。

そして、密教の宗教体験の世界を象徴的に表現する曼荼羅が生み出された。

それが中期密教であり、日本では純密と呼ばれる。

それ以後のインド仏教では密教が盛り上がるのであるが、

12世紀末頃を最後にインド仏教は消滅してしまう。

インド仏教は、インド北部から侵攻してきたイスラム教徒政権(デリー・スルタン朝)と

インド南部のヒンズー教徒政権との政治・外交上の挟撃に遭う。

侵攻してきたイスラム教徒から偶像崇拝や呪術要素を理由として武力的な攻撃と弾圧を受け、

1203年インド密教の最後の砦であったビクラマシーラ大僧院は炎上消滅してしまった。

その後、仏教はインド各地の僧院で細々と存続したようであるが歴史的にはインドから消滅してしまった。

 イスラム教により滅ぼされたということも理由ではあるが、

仏教が密教化したこともインド仏教滅亡の大きな原因だと考えられる。

仏教の密教化は、言い換えれば仏教のヒンズー教化である。

ヒンズー教の側でも釈迦牟尼仏(ゴータマ・ブッダ)をクリシュナ神の化身として

ヒンズー教の1神として取り込んだ。

その結果、仏教の独自の存在意義がなくなったと考えられる。



12.1-7

12.1-7 インド密教史のまとめ


インド密教の歴史をまとめると次の表1のようになる。

インド密教史

表1 インド密教の歴史



12.2 中国密教:密教の中国伝来



 インドにおいて長い間に成立した後期大乗仏教(密教)の諸経典は、

小乗・大乗の諸経論と平行して、漸次に中国へ伝来し訳出されていった。

 密教経典の初伝は、三国時代(222-280) に、

呉の支謙が「摩登伽経(密教占星経)」「華積陀羅尼神呪経」など四部を訳出したものが最初である。

この呉の支謙の訳経(222) 以来、西晋・東晋・ 南北朝・隋・唐の中期に至るまで

およそ五百年間に渡って、翻訳者はおよそ四十人百二十余部に及ぶ多くの密教経典が伝訳されている。

 この翻訳家の中には、五世紀初頭の優れた翻訳者であり、呪術者でもある

鳩摩羅什・曇無讖なども含まれる。

、彼等の努力によって、密教は中国へしっかりと根を下ろした。

しかし、これらの翻訳密教経典は、密呪や陀羅尼の功徳を重視し、現世利益を説く雑部密教の経典である。

八世紀初めに「大日経」「金剛頂経」が伝訳されるまで中国密教はこの雑部密教の時代であった。

その後、玄宗皇帝の開元四年(716)善無畏が中央アジアを経て来唐し、

新たに金剛頂経系の密教を伝えた。

そしてこの「大日経」「金剛頂経」の伝来により、

速疾成仏を説く「純密」密教の時代が開かれていったと考えられている。



 注:

 「大日経」:「大日経」は詳しくは「大毘盧遮那神変加持経」と言う。

「金剛頂経」:「金剛頂経」とは金剛頂経系の経典の総称であり、単一の経典の名称ではない。

善無畏:善無畏(シュバカラシンハ 、インド人、637-735)は真言宗伝持八祖のうち第五祖であり、

ナーランダー寺にて達摩掬多(Dharmagupta) に密教を学び、

即時に灌頂を得、師の命にて原典を持って中央アジアより来唐した。

玄宗皇帝により国師として迎えられ、長安で大日経七巻を訳し、

その弟子の一行に大日経疏十四巻を講義した。

 金剛智:金剛智((バジュラボディ 、インド人、671-741)は真言宗付法五祖・中国密教初祖に当たる。

十歳でナーランダー寺にて出家、大乗教学の般若燈論・百論・十二門論、

瑜伽論・唯識論・弁中辺論を学び、

南インドで金剛頂経系の密教を修め、インド・セイロンなどを巡った後航路で来唐し、

玄宗皇帝の援護のもとに主に金剛頂経系の経典・儀軌を翻訳した。



   

不空→ 恵果 →空海:密教の伝法




大日経系の密教はインドから来た善無畏によって、

また金剛頂経系の密教は 金剛智によって唐にもたらせられた。

金剛智の弟子の中には、真言宗付法六祖である不空がいる。

一行・不空によってそれぞれ「大日経」、「金剛頂経」が受け継がれ、密教は唐代の社会に定着していった。

 このうち金剛智から主に金剛頂経系の密教を学んだ不空三蔵(アモーガ ヴァジュラ、 705-774) は、

内乱・外寇の絶え間ない時代に一貫して国家の安泰を願って密教の普及に尽力した。

彼は玄宗皇帝の帰依を得、特に安禄山の乱(757) が治まるや一段と活発に密教の弘通をはかっている。

玄宗皇帝は自ら不空より灌頂を受け、また宮中に内道場(祈祷道場)

を設けて不空に智蔵の号を与え密教を保護した。

 不空は、金剛界曼陀羅が描かれることになった「金剛頂経」十八会の第一会の一部分、

「金剛頂一切如来真実摂大乗現証三昧耶大教王経」三巻、

 「金剛頂瑜伽般若理趣経」一巻、「大孔雀明王経」三巻、「金剛頂瑜伽五秘密修行儀軌」一巻、

「般若理趣釈」二巻、「仁王般若経」二巻、「菩提心論」 一巻

などの金剛頂経系の密教経典・儀軌を翻訳した。

不空は量質 共に中国訳経史上一時期を画する人として

高く評価され、四大翻訳家の一人に数えられている。

 このように不空を中心として密教経典が伝訳されたことにより、

名実共に密教は中国社会に定着していった。

不空の弟子は極めて多いが注目しなければならないのは恵果である。

恵果は不空が七十歳で寂した時まだ二十九歳であり、

不空の晩年における最も優れた弟子であった。

恵果は不空の寂後直ちに中心人物とはならなかったが、

次第にその実力を発揮し、

やがて不空の付法伝承者(正嫡)として名声を高めるに至っている。

この恵果が後に空海に密教を伝授した師となるのである。

 恵果(746-805) は真言宗付法七祖であり、金胎不二の教学を樹立した。

彼は、中国密教を集大成したばかりでなく、日本の真言宗の成立にも決定的な影響を及ぼした。

恵果は幼時に出家し、初め青龍寺聖佛院曇貞次いで不空を師とし密教を学び、

二十歳の時具足戒を受け、不空より密教を授かって伝法阿闍梨となった。

そして二十二歳で善無畏門の玄超から胎蔵法を受け、

師の寂した翌年(775年)三十歳の時に青龍寺東塔院に毘盧遮那灌頂道場を授かった。

 恵果は不空三蔵の密教を継承するとともに、

広く大乗経典を学び、特に天台・三論・華厳等の教学にも精通していたと言われる。

彼は多くの弟子を育て密法を授けた。

805年、恵果が六十歳の年に日本僧空海が恵果のもとを訪れ、最後の門弟となった。

 恵果は空海に会うとすぐに空海の優れた才能を直感した。

空海のために灌頂壇を開き、六月から八月のわずか三ヵ月の間に

胎蔵界・金剛界の学法灌頂および伝法阿闍梨の灌頂を相次いで授け、次いで諸尊瑜伽法を授けた。

空海に付法の図画・法具を与え、中国密教の正系を継承させた。

恵果から胎蔵界・金剛界の両部密教を伝えられたのは、恵果の弟子の中でも義明と空海だけである。

恵果は、いかに空海を高く評価していたかが分かる。

 空海への嗣法の後、恵果はその年の十二月十五日六十歳で示寂した。

この時空海は門下を代表して碑文を撰し、仏法の真髄が密教であることを述べている。

 恵果は775年から805年までのおよそ30年間活躍したが、

入寂後は恵果の門下の義明・弁弘・恵日・惟尚・義円たちにより、

806年から835年頃までのおよそ三十年間密教は保たれた。

その後、恵果の高足で灌頂位を継いだ義操の門下の人々によって

830年代より、数十年間の晩唐にかけて広められた。

特に838年から845年にかけては隆盛となった。 

わが国の円行・常暁・円仁・円載・恵運らはこの時期に入唐求法して密教を求めている。

しかし845年(会昌五年)武宗の法難(会昌の法難)により中国仏教は衰えてしまう。

この法難の後、玄法寺法全・慈恩寺造玄・大興善寺智慧輪という人々が出て再び密教を盛り上げた。

特に法全はわが国の台密の円仁・円珍・円載・東密の真如法親王・宗叡に

秘法を授け大きな功績を残した。

しかし、これらの人々の後には優れた継承者も現れず、

唐末仏教界全般の衰退とともに密教もまたその勢力を失って行った。



12.2-1 唐代密教は短命に終わり、日本に定着した!



密教は、金剛智(Vajrabodhi 671-741)や善無畏(Subhakarasimba 、637-735)、

不空三蔵(アモーガ ヴァジュラ、705-774)らによって中国にもたらされた。

しかし、中国唐代における密教の最盛期は

不空と恵果が活躍した開元4年(716)より貞元元年(785)までの

約70年間くらいに過ぎなかったと考えられている。

仏教を護国思想と結びつけた不空は唐の王室の帰依を得たほか、

さまざまな後援を得たことで、中国密教の最盛期をもたらした。

しかし、その後、密教は武宗による「会昌の廃仏」の打撃を被った。

円仁らが中国に留学した頃はまだそれなりに盛んであったと考えられるが、

「会昌の法難」や唐朝の衰退とともに教勢も急激に弱まって行った。

以後、唐代密教は歴史の表舞台からほぼ消失し、

次第に道教等と混淆しながら民間信仰化していったと見られている。

しかし、中国で短命だった中期密教(純密)は日本に定着した。

これは空海が偉大なためだけでなく、日本がもともと呪術が盛んな社会だった

ためだと考えられる。



12.2-2真言八祖



インドで起こった密教が、中国を経て、空海(弘法大師)に伝えられ、

日本で独立した宗派として真言宗を開くまでに、

八祖を経て伝えられたとする伝承がある。

これを真言八祖(しんごんはっそ)という。

「真言八祖」には「付法の八祖」と「伝法の八祖」がある。



12.2-2-1「付法の八祖」



「「付法の八祖」は真言宗の法流の正系を示している。

教主大日如来の説法を金剛薩捶が聞いて教法が起こり、

真言宗の教えが伝わったとする系譜である。

「付法の八祖」とは

 大日如来→金剛薩捶→龍猛→龍智→金剛智→不空→恵果→空海。

の系譜を指す。

上記の八名のうち、大日如来と金剛薩捶は歴史的人物ではない。

密教経典に出て来る霊的存在(架空の存在)である。

 大日如来は密法を説く法身仏、金剛薩捶は大日如来の説法を聞く側の代表質問役である。

「付法の八祖」は非歴史的な伝法の系譜と言える。

龍猛は南インドのバラモン出身の龍樹大乗中観派の「空」の論理を大成した

龍樹(ナーガルジュナ)と同一人物とされる。

龍樹(ナーガルジュナ)については大乗仏教その2:「空とは何か?」を参照)。

密教ではこの龍猛が南インドの鉄塔の扉を開いて 金

剛薩捶から『大日経』と『金剛頂経』を授けられたとする。

龍智も伝説的でよくわからない人物である。

龍猛の故跡である南インドの黒峰山に隠遁して秘法を伝えたという民間信仰がある。

善無畏が学んだナーランダー寺院の達磨掬多(ダルマグプタ)だという説もある。



12.2-2-2「伝法の八祖」



「伝法の八祖」とは密法(大日経・金剛頂経)伝承の系譜である。

真言宗の道場に掛けるのはこちらの方である。



 龍猛→龍智→金剛智→不空→善無畏→一行→恵果→空海



「伝法の八祖」では「付法の八祖」の大日如来と金剛薩捶が抜け落ちている。

大日如来と金剛薩捶は歴史的な人物ではないことが分かっていたからだろうか?

「伝法の八祖」は「付法の八祖」に比べると歴史的な伝法の系譜に近いと言える。

「真言八祖」は次の表2のようにまとめることができる。

表2「真言八祖」

No 付法の八祖 伝法の八祖
大日如来龍猛菩薩
金剛薩捶龍智菩薩
龍猛菩薩金剛智三蔵
龍智菩薩不空三蔵
金剛智三蔵善無畏三蔵
不空三蔵一行禅師
恵果阿闍梨恵果阿闍梨
弘法大師空海弘法大師空海




12.3金剛頂経系と大日経系の密教の流れ



空海によって日本にもたらされた中期密教(純密)には二つの体系がある。

宇宙の真理をつかむための実践的修行方法を中心とした精神原理を説く金剛頂経系の密教と、物質原理を説く大日経系の密教である。

金剛頂経系の密教は金剛智が伝え、大日経系の密教は善無畏が伝えた。

金剛智は、金剛頂経系密教を不空に伝え、不空は恵果に伝えた。

大日経系密教については、善無畏の弟子玄超が恵果に伝えたといわれている。

つまり、恵果はインド本国にあって別々に発達してきた二つの密教体系を一身に受けた人で、中国密教界の頂点に立ち、青龍寺で1,000人もの弟子をもっていた。

長安で学んだ空海は、密教界の最高権威(恵果)から学んだと言える。

金剛頂経系の密教と大日経系の密教の伝法の流れを次の図1に示す。

密教の流れ

図1金剛頂経系と大日経系の密教の流れ



図1の玄超は善無畏の弟子で、「大日経」系と「蘇悉地経」系の密教を恵果に授けたとされる。

上の図を見ると分かるように空海の師恵果は金剛頂経系と大日経系の二系統の密教を一身に継承した。

空海は金剛頂経系と大日経系の二系統の密教が統一された密教を恵果から継承したことが分かる。




12.3-1大日如来の歴史的系譜と起源



密教の教主大日如来は毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれる。

梵語名(サンスクリット名)ヴァイローチャナは「光が遍く照らす」という意味である。

華厳経ではゴータマ・ブッダが盧舎那仏と呼ばれ、

説法の場面で光明を発し全宇宙を照らすという奇跡を何度も起こす仏として描かれている。

大日如来の起源は原始仏教にまで遡ると考えられる。

原始仏典「テーラガータ(仏弟子の告白)」ではブッダを「太陽の裔」と呼んでいる。

初期大乗経典である観無量寿経でもビンビサーラ王の夫人ヴァイデーヒー

(韋提希夫人)もブッダのことを「太陽であるブッダ(仏日)」と呼んでいる。

法華三部経の一つ「仏説観普賢菩薩行法経」では

釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名付けたてまつる。」と言っている。

このようにブッダには古く原始仏教時代から太陽のイメージが付きまとっていたのである。

「十地経」や「華厳経」では

毘盧遮那仏(vairocana, ヴァイローチャナ、光輝くもの)が登場し、菩薩に不思議な加持を与える。

しかし、「十地経」、梵網経や「華厳経」に登場する毘盧遮那仏は法身仏であるため、自身は説法しない。

法身仏は抽象的な存在であるため、説法をしないのである。

大乗仏教その2:三身仏の思想を参照)。

法身仏としての毘盧遮那仏は沈黙し、菩薩に不思議な神力による加護(加持)を与えるだけで、

菩薩が代わって説法するのである。

ところが、密教経典の「大日経」や「金剛頂経」では摩訶毘盧遮那仏(大日如来)は説法する。

『金剛頂経』が説かれたところはアカニシュタ天(色究竟天)の大摩尼宝殿とされる。

これより密教の大日如来は「十地経」や「華厳経」で登場した毘盧遮那仏

(vairocana, ヴァイローチャナ、光輝くもの)とつながっている。

このように密教の大日如来には長い仏教の変容の歴史が反映されている。

しかし、その本質はゴータマ・ブッダの悟りを抽象化した法身仏だといえるので

原始仏教のゴータマ・ブッダと直結していると言えるだろう。

大日経に説かれる密教の教主大日如来の系譜を経典に現れるブッダの名前から辿ると

次の図2のようになる。

fig.2
大日如来の起源

図2 大日如来の起源とその歴史(ゴータマ・ブッダから大日如来へ)



図2に見るように、初期大乗経典の十地経、梵網経、華厳経などに現れる

廬舎那仏(Vairocana,バイローチャナ)は密教経典である

大日経と理趣経の毘盧遮那(Vairocana,バイローチャナ)と同じ名前である。

このことから初期大乗経典の華厳経と十地経に現れる廬舎那仏(Vairocana,バイローチャナ)は

密教の教主毘盧遮那(Vairocana,バイローチャナ)と歴史的につながることが分かる。

華厳経と十地経に現れる廬舎那仏(Vairocana,バイローチャナ)は

法身仏となった歴史上の人物ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)のことである。

従って、

密教の教主毘盧遮那(MahaVairocana,大日如来)も法身仏となったブッダ(釈迦牟尼仏)である

ことが分かる。

法身仏としての大日如来は歴史的人間であるゴータマ・ブッダを神格化した後、

理念化・抽象化した存在だと言える。

大乗仏教その2:三身仏の思想を参照)。

このように考えるとブッダ(釈迦牟尼仏)と大乗仏教と密教は歴史的につながる。

しかし、初期大乗経典の華厳経と梵網経に現れる廬舎那仏(Vairocana,バイローチャナ)は

ヒンズー教のシヴァ神(経典中では摩醯首羅天)のように描かれている。

密教その1を参照)。

大日如来には仏教の開祖ゴータマ・ブッダのイメージだけではなく、

シヴァ神のイメージも混在している。

大日如来の複雑な性格を図2aに示す。

fig.2a
大日如来の性格

図2a 大日如来の複雑な性格



大乗仏教徒が頭の中で新しく創造し作り上げた複雑かつ人工的な性格を持っている。

これは紀元1世紀ころ新しく勃興してきた大乗仏教の性格から来ているからでもあろう。

外見上、密教は初期大乗仏教と大いに異なる。しかし、それから直接的に発展した後期大乗仏教である。

司馬遼太郎氏によれば、空海は「過去のどの宗も真言密教にはるかに及ばない

ただ華厳経のみがいま一歩のところで密教に近づいている

という意味のことを言ったり書いたりしたとのこと。

この空海の考えは初期大乗経典の華厳経と十地経に現れる廬舎那仏(Vairocana,バイローチャナ)が

密教の根本仏である大日如来(Vairocana,バイローチャナ)

に発展したという考えを支持するものである。




12.3-2司馬遼太郎氏が説く空海と純粋密教



司馬遼太郎氏は著書「空海の風景」で次のよう述べている。

宇宙の原理そのものが大日如来であるとし、その原理による億兆の自然的存在

およびその機能と運動の本性すべてを菩薩と見なしている

さらにはすべての自然(人間をふくめて)はその本性において清浄であるとし

人間も修法によってまたその本性の清浄にたちかえり

さらに修法によって宇宙の原理に合一しうるならばすなわちたちどころに仏たりうる

という思想を根本にしている

司馬遼太郎氏の密教の説明は分かり易い。

それをまとめると次ぎの四項目になるだろう。



1. 宇宙の原理が大日如来である。

2. 宇宙の原理である大日如来の機能と運動の本性すべては菩薩と同じである。

3. よりすべての自然―人間をふくめてーはその本性において清浄である。

4. 人間も修法によってその本性の清浄にたちかえり、宇宙の原理に合一する時、

たちどころに仏になる。

上の四項目はさらに二項目にまとめることができるだろう。



1. 宇宙の原理は大日如来であり、人間をはじめ全ての自然の本性は清浄である。

2. 人は密教の修法をすることによって、その本性の清浄にたちかえり、宇宙の原理に合一する時、

たちどころに仏になる。

これを次の図3に表す。

密教の修法

図3 修法によって人は清浄な本性に合一し仏になる



図3は空海が説く即身成仏の原理(後述)を直感的に表現している。

司馬遼太郎は著書「空海の風景上巻」において密教の成立の歴史について次ぎのように述べている。

インドにおいて本来低次元の宗教現象で、箸にも棒にもかからない

雑密のたぐいを華厳経を触媒にして

純粋密教という従来の仏教とも土俗的な雑密とも違った形而上的世界を作り上げた」。

これを図にすると次ぎの図4のようになる。

純粋密教

図4 空海の純粋密教は華厳経が触媒となって雑密から作られた



図4を見れば分かるように、司馬遼太郎氏が説く純粋密教成立のプロセスは単純で分かり易い。

図4は密教の根本仏である大日如来(Vairocana,バイローチャナ)が

華厳経の教主廬舎那仏(Vairocana,バイローチャナ)と同じ名前であるという事実も説明する。

中国においては、南北朝時代(5〜6世紀)から、数は限られているものの、

初期の密教経典が翻訳され、紹介されてはいた。

その後、善無畏や一行が『大日経』の翻訳を行い、

さらに金剛智や不空が『金剛頂経』系密教を紹介することで、本格的に伝来することになった。

なかでも不空は、唐の王室の帰依を得て、させさまざまな力を得たことで、

中国密教の最盛期をもたらすことになった。

しかし、武宗が廃仏(845)を行ったため密教は衰退した。

そのため、インドから中国にもたらされた密教(中期密教=純密)の盛んな時代は

開元4年(716)より貞元元年(785)までの約70年間に過ぎなかった。

禅や浄土教の台頭、現世利益や呪術の面でライバルであった道教に押されて衰退・途絶したのである。

モンゴル系の元の時代以降の中国の密教は空海が学んだ密教(中期密教=純密)ではない。

インドからチベットに行き、チベットで独自の発達をした

チベット系の密教(=後期密教)が採用されたのである。

中華人民共和国では、唐代に盛んだった中期密教を唐密宗、

現代まで続くチベット仏教における密教を西蔵密宗と呼んでいる。

チベット密教は文化大革命などの中国政府の政策によって迫害され、

多くの寺院が破壊されたがチベット人を中心に現在もその信仰が続いている。

以下では9世紀空海が中国からもたらした真言密教について見ていこう。




12.4曼荼羅とは何か?



曼荼羅(まんだら、梵語: マンダラ)は仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを

仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したもので、

「曼陀羅」と表記することもある。

古代インドに起源をもち、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わった。

21世紀に至っても、チベット、日本などでは盛んに制作されている。

なお、日本語では、重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されている。

真言密教では、根本となる両界曼荼羅が有名である。

両界曼荼羅 は「両部曼荼羅」とも言う。

金剛界曼荼羅」、「大悲胎蔵曼荼羅

という2種類の曼荼羅からなる。

「金剛界曼荼羅」は「金剛頂経」、「大悲胎蔵曼荼羅」は「大日経」という、

密教の根本経典に基づいて造形されたものである。

二つの曼荼羅とも、中期密教の根本尊である大日如来を中心に、

多くの尊像を一定の秩序のもとに配置している。

曼荼羅は密教の宗教的世界観を象徴的に表したものといえるだろう。




12.4-1胎蔵(界)曼荼羅


 胎蔵曼荼羅について


胎蔵曼荼羅は7世紀中頃、西南インド地方で成立したと言われる大日経(大毘廬遮那成仏神変加持経)

に説かれる曼荼羅である。

詳しくは大悲胎蔵生曼荼羅(だいひたいぞうしょうまんだら)と呼ばれる。

母親が胎児を慈しみ育てるように、仏が大悲の徳をもって私達衆生の心の中に

本来具わる仏性(菩提心)を育て、

あたかも蓮の種が芽をふき、華開き、実を結んでゆくように、

悟りの世界へ導いてゆくようすを図絵化したものとされる。

本来は胎蔵界曼荼羅とは言わず、胎蔵生曼荼羅(弘法大師は大悲胎蔵曼荼羅と呼んでいる)

と呼ぶべきであるが、

後世両界曼荼羅と総称する事から、金剛界に対して胎蔵界と呼ぶ事が通例化した。

また、京都東寺に伝わる空海が請来した両界曼荼羅を原図(げんず)両界曼荼羅と呼ぶ。

 胎蔵界曼荼羅には、中央の大日如来を初めとして409尊の仏、菩薩、明王、天部の諸尊が

グループ別に12院を構成している。




12.4-2胎蔵界曼荼羅の構成と内容



 胎蔵界曼荼羅の構成を次の図5に示す。

   
胎蔵界曼荼羅

図5 胎蔵界曼荼羅の構成



胎蔵界曼荼羅の12院の内容と働きを簡単にまとめると次の表3のようになる。



表3 胎蔵界曼荼羅の12院の内容と働き

No 12院  内容
中台八葉院本尊大日如来を中心に四仏四菩薩からなる。
遍智院遍智印を中心に智慧とものを生み出す力を象徴する。
持明院不動明王や降三世明王などの降伏力を表している。
観音院観世音菩薩を中心とする慈悲の働きを象徴する。
金剛手院金剛薩タを中心とする力を象徴する。
釈 迦 院歴史的な仏である釈迦牟尼仏の教えが発展して密教が生まれたことを示す。
文 殊 院文殊菩薩を中心とする智慧の働きを象徴する。
虚空蔵院虚空蔵菩薩を中心にあらゆるものを生み出す力を象徴する。
蘇悉地院如来の智慧と悟りの成就を示している。
10地蔵院地蔵菩薩を中心にあらゆる者を救済する働きを象徴する。
11除蓋障院除蓋障菩薩を中心にあらゆる障害を取り除く象徴する。
12外金剛部曼荼羅を守り、その功徳を広める働きを象徴する。




12.4-3胎蔵界曼荼羅の解釈



  胎蔵界曼荼羅の12院の構造についていくつかの分類法がある。

大日経では「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」という「三句の法門」が説かれている。

この経文によって分類すると、


因 ──菩提心──中台八葉院(理、体

根 ──大 悲──中台八葉院と最外院を除く全院

究竟──方 便──外金剛部院(最外院)(事、用


の対応があると考えられている。

中台八葉院(中心)に位置する大日如来の菩提心(大悲)が外に向かって湧き出るように拡がり、

方便(加持祈祷という手段)によって衆生済度をしてゆく様子を表現している

とも考えることができる。

またこれを逆に考えると、迷える衆生が密教の方便(加持祈祷という手段)

によって中心に位置する大日如来の悟りの世界(中台八葉院)

へ向かって行く構造を表現しているとも言える。  

中心に位置する中台八葉院では、赤い八葉蓮華の中心に大日如来を描き、

その四方に宝幢(ほうとう)如来(東)開敷華王(かいふけおう)如来(南)、

阿弥陀如来(西)、天鼓雷音(てんくらいおん)如来(北)の四仏と、

その四隅に普賢菩薩(東南)、文殊菩薩(西南)、観音菩薩(西北)、弥勒菩薩(東北)

の四菩薩を八葉蓮弁上に配している。

中台八葉院の構造を次の図6に示す。

   
中台八葉院

図6 中台八葉院



大日如来は法界定印(ほうかいじょういん)を結び、五仏の宝冠を戴くきらびやかな菩薩形で描かれる。

法界定印は衆生を表わす左掌(五本の指は五大を表わす)の上に、 仏を表わす右掌(同じく五指は五大を表わす)を重ねる事によって、

仏と衆生が一体である事を表している。

大日如来は大悲の悟りの光に包まれた姿と言える。

中央の台実の上に「大日如来」が座っている。

それを取り囲むように、東側の花びらには「宝幢(ほうとう)如来」、南側の花びらには「開敷華王(かいふけおう)如来」、

西側の花びらには「無量寿如来(阿弥陀如来)」、北側の花びらには「天鼓雷音(てんくらいおん)如来」

がそれぞれ座っている。

この五如来は「胎蔵界の五如来」と呼ばれ、重んじられている。

大日如来をのぞく四如来には、それぞれ菩薩が寄り添い、宝幢如来には普賢菩薩、

開敷華王如来には文殊菩薩、無量寿如来には観世音菩薩、

天鼓雷音如来には弥勒菩薩が寄り添っている。

胎蔵界曼荼羅は正しくは「大悲胎蔵生曼荼羅(だいひたいぞうしょうまんだら)」と言う。

母親の子宮の中で眠り、育まれていく子供のように、人間が本来もっている仏性の種子が、

仏の慈悲によって目覚め、育ち、花を開き、

最後には悟りという形で実を結ぶまでが描かれていると考えられている。




12.4-4金剛界曼荼羅



金剛界曼荼羅は、7世紀末〜8世紀初頭、南インドで成立したとされる

金剛頂経(一切如来真実摂大乗現證三昧大経王経)に説かれる曼荼羅である。

 金剛界曼荼羅は智の曼荼羅と言われるように、大日如来の智恵の働きと、それに基づく悟りの世界を図像化したものである。

金剛界曼荼羅は9つの方形の小曼荼羅から成り立っているので、

九会曼荼羅とも言われる(一会からなる金剛界八十一尊曼荼羅もある)。

全体に大小の白い円形が幾何学文様のように配置されている。

これは智恵を象徴する満月輪であり、全尊がそれら月輪内の蓮華座に坐している。




12.4-5金剛界曼荼羅の構成



金剛界曼荼羅の構成を次の図7に示す。

   
金剛界曼陀羅

図7 金剛界曼荼羅の構成



金剛界曼荼羅の基本となるものは中心に位置する成身会である。

成身会は、金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、

四摂菩薩の37尊より構成され、

これを四大神(地神、水神、火神、風神)と賢劫千仏と二十天が囲んでいる。

金剛界曼荼羅は、成身会(じょうじんえ)、三昧耶会(さまやえ)、微細会(みさいえ)、

供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会 の九会(くえ)から成る。

金剛界曼荼羅は一つの曼荼羅が9ブロックより成り立つと考えるよりも、

9つの曼荼羅の集合体と考えた方が良い。

中心にある成身会の中尊は金剛界大日如来である。

大日如来の東・南・西・北には阿シュク(あしゅく)如来・宝生如来・

阿弥陀如来・不空成就如来の4如来が位置する。

大日・阿シュク・宝生・阿弥陀・不空成就を合わせて金剛界五仏あるいは五智如来という。

各如来の東・南・西・北には四親近菩薩(ししんごんぼさつ)という、

それぞれの如来と関係の深い菩薩が配されている。

三昧耶会、微細会、供養会は中央の成身会とほぼ同様の構成をもっており、

四印会はそれをやや簡略化したもの、一印会は他の諸仏を省いて

大日如来一尊で表したものと考えてよい。

胎蔵曼荼羅が真理を実践的な側面、現象世界として捉えるのに対し、

金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面、

精神世界として捉えていると考えられる。




12.4-6

12.4-6 金剛界五仏と五智



金剛界曼荼羅の基本となる成身会には、金剛界五仏がいる。

金剛界五仏とは中央の大日如来、東方の阿 (あしゅく)如来、南方の宝生(ほうしょう)如来、

西方の阿弥陀(あみだ)如来、北方の不空成就(ふくうじょうじゅ)如来の五仏を指す。

五仏の図像的特徴は、四仏は大日如来(自性法身)の化身(受用法身)とされることである。

大日如来以外の四仏は大日如来の功徳、働きを四分して顕れた仏とされる。

五仏には様々な理念が象徴的にあたえられているが、

特に金剛界曼荼羅を智の曼荼羅と呼ぶ理由となった

五智がそれぞれ五仏に配置・象徴されることである。

インド中期大乗仏教における心理学とも言える唯識説では、

我々の精神作用を五識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識)、

第六識(意識)、第七識(末那(まな)識)、

第八識(阿羅耶(あらや)識)の8つに分けた。

大乗仏教その3:唯識思想概論を参照)。

これらの8識は表層から深層へと深下してゆく心の重層的構造を表している。

密教ではこの8識に第九識(阿摩羅(あまら)識)を加える。




補足:


末那識について:


第七識(末那識)はエゴイズム(我執)の源泉とされている。

脳科学的には下層脳(脳幹+大脳辺縁系)を中心とする古い脳から生じる我執だと考えて良いだろう。

しかし、唯識論では末那識は思量識とも呼ばれ思量(考える、思いめぐらす)する力があるとされる。

下層脳(脳幹+大脳辺縁系)は無意識脳なので、考えることができない。

末那識は別名思量識とも呼ばれることより、

大脳新皮質(理知脳)の考える能力も含んでいると考えることができる。

唯識論は古代インドの考え方なので現代の脳科学と1:1で対応しない

複雑さを持っている。それは第八識の阿羅耶識についても言える。


阿羅耶識について:


阿羅耶はサンスクリットの「アーラヤ」を音写した言葉である。

アーラヤ」とは「下層に横たわる」「埋没する」という言葉が名詞化されたものである。

阿頼耶識は中期大乗仏教を支える根本思想とも言える。

大乗仏教その3:唯識思想概論を参照)。

阿頼耶識は心の深層部分の名称であり、人間存在の根本にある識であると考えられている。

別名「蔵識」とも呼ばれ、「過去の全ての経験の痕跡を蓄えている」とされる。

阿頼耶識は心の根源的な深層意識を意味することから下層無意識脳の側面を持つ。

また同時に、「蔵識」の働きは記憶作用を表しているように思われる。

万有発生の種子(しゅじ)を蔵するところから「種子識」ともいわれる。

唯識説の阿頼耶識は次の三つの性質があるとされる。


1. 過去の経験を貯える「蔵識」の働きを持つ。

2. 貯えられたものによって、自己の現在や未来が変えられるという面を持つ。

3. 末那識によって強く執着される性質を持つ。


このように阿頼耶識は脳の働きを表しているといえるが、複雑な側面を持っているため、

現代の脳科学とはっきり対応付けができないところがある。


12.4-6-1

法界体性智と阿摩羅識:


天台宗や華厳宗などの法性(ほっしょう)宗は、第八識阿羅耶識に

第九識(阿摩羅(あまら)識)を加えた。

阿頼耶識の奧に本来的に清浄無垢な「自性清浄心」と呼ばれる第9識が潜み、

これが密教でいう法界体性智(=大日如来の智恵)だとされたのである。

法界体性智は、永遠普遍、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、

他の四智を統合する智恵だと考えられている。

阿摩羅識は天台宗や華厳宗などの法性宗における仏性の異名とされる。

法相宗では阿頼耶識が無垢になったものだとするので

別に第九識をて立てることをしない。

天台宗以下、日蓮宗やその各派でもこの九識論に依り、これを九識心王真如の都と呼んでいる。

阿摩羅(あまら)とはサンスクリットで「汚れのない」という意味で、

根本清浄識」とも漢訳される。

このように、阿摩羅識については諸説があり、複雑である。

仏性の異名とされることから、

けがれが無い仏性のようなものだと考えて良いだろう。



   


12.4-7

12.4-7 瞑想修行による意識の転換



五識は、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用であるが、

密教では、これが成所作智(不空成就如来の智恵)に転換する

と考えられている。

第六識は五感の感覚的情報に基づいて行動や判断する意識であるが

これが妙観察智(阿弥陀如来の智恵)に転換する。

第七識(末那識)は第六識の意識下にある無意識で、自我を形成するが、

これが平等性智(宝生如来の智恵)に転換する。

第九識(阿羅耶識)は全く意識されない潜在意識で、

生死輪廻する業(活動)の主体であるが、

これが大円鏡智(だいえんきょうち)(阿シュク如来の智恵)に転じる。

密教ではさらに第八識の奧に清浄無垢な「自性清浄心」と呼ばれる第九識が潜み、

これが法界体性智(大日如来の智恵)に転じるとされる。

成所作智は、眼耳鼻舌身の五感を正しく統御し、

それらによって得られる情報をもとに、

現実生活を悟りに向かわせ成就させてゆく智恵である。

 妙観察智は、万物がもつ各々の個性、特徴を見極め、その個性を活かす知恵である。

平等性智は、森羅万象を平等に観る智恵で、万物が大日如来の化身であり、

平等の仏性をもつ事を覚る智恵である。

法界体性智は、密教で新しく付け加えられた大日如来の智慧である。

法界体性智は、永遠普遍、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、

他の四智を統合する智恵とされる。 

唯識論(大乗荘厳経論や摂大乗論)では我々の持つ八識は修行(主として禅定修行)

によって四智に変換することができると考えられている。

四智は覚者(ブッダ)の智慧と考えられている。

密教では、

九識は、金剛頂経の説く瞑想法である五相成身観によって五智に転換することができる

と主張する。

さらに、密教では、

1.成所作智→(不空成就如来の智恵)、

2.妙観察智→(阿弥陀如来の智恵)、

3.平等性智→(宝生如来の智恵)、

4.大円鏡智→(阿シュク如来の智恵)、

5.法界体性智→(大日如来の智慧)


のように、五智のそれぞれを五人の如来に対応付けている。

四智は既に中期大乗仏教で説かれるがそれを特定の如来に対応付けるようなことはなかった。

大乗仏教その3:「清く輝く心:四智」を参照)。

四智は覚者(ブッダ、如来)の智慧であり、全ての四智を円満に具足しているのが

覚者(ブッダ、如来)だと考えられている。

五智をそれぞれの如来に対応付けると、おかしなことが起こる。

例えば阿弥陀如来を例に考えよう。

密教では阿弥陀如来には妙観察智が対応付けられている。

「では、阿弥陀如来には妙観察智はあるが

平等性智、大円鏡智、成所作智、などの他の三智はあまりないのか?という疑問が起こる」。

四智の全てを円満に具足しているのが覚者(ブッダ、如来)の条件だからこの考えだとおかしなことになる。

この対応付けに対しては次のように考えると良いだろう。

阿弥陀如来は妙観察智が特に優れている、不空成就如来は成所作智が特に優れている、

宝生如来は平等性智が、阿シュク如来は大円鏡智が、大日如来は法界体性智が特に優れていると、

それぞれの如来の傑出した特徴的な智慧について述べている

と解釈すると矛盾がないように思われる。

いずれにせよ、このような対応付けは密教の特徴と言える。

これ次の図8にまとめて示す。

   
九識と五智

図8 九識と五智

馬祖道一の法嗣大珠慧海禅師は著書「頓悟要門」において

禅の立場から四智について分かり易く解説している。

大珠慧海は第九識(阿摩羅識)については何も触れていない。

しかし、四智について言うところは密教の言う所と殆ど同じであることが注目される。

大珠慧海は禅定修行によって脳機能が四智に転換され

覚者(ブッダ)としての自覚に至るとを述べている。

次の図8aは大珠慧海の言う「禅修行を経た四智の獲得と覚者への道」を分かり易く示す。

   
覚者への道

図8a 坐禅修行を経た四智の獲得と覚者への道

   

図8aは坐禅修行を経て覚者(ブッダ)になる道だと考えて良いだろう。

これにたいし、密教では、金剛頂経の説く瞑想法である五相成身観によって

九識を五智に転換し覚者になると考えている(図8を参照) 。

図8bに「密教の五相成身観を経た五智の獲得と覚者への道」を示す。

   
覚者への道

図8b 密教の五相成身観を経た五智の獲得と覚者への道

図8aと図8bは非常に良く似ている。

図8aにおける禅修行者と禅定修行と四智が図8bではそれぞれ、

密教修行者と五相成身観と五智に替わるだけである。

禅定修行が五相成身観に、四智が五智になるのは密教の特徴と言える。

禅と密教による悟りと覚者(ブッダ)への道は意外に近いことが注目される。

   

12.4-8 四智と五智のまとめ



四智と五智は密教だけでなく禅の思想でも重要な考え方なので以下にまとめる。

1.<大円鏡智>: 対象をそのまま映し出す大きな鏡のような智慧。

八識であるアーラヤ識が空と縁起の悟りによって<大円鏡智>に変化するとされる。

2.<平等性智>: 自己と他者との平等性と一体性を覚る智慧。

マナ識(第七識)が変化してこの<平等性智>になるとされる。

<慈悲>はこの<平等性智>の働きとされる。 

3.<妙観察智>: 自己と他者との一体性を覚るすばらしい観察の智慧。



4.<成所作智>: <成所作智>は作すべきことを作し遂げる智慧。

修行による意識の浄化は五感の変化をもたらす。其の結果、五感は<成所作智>に変化する。



5.<法界体性智>: 永遠普遍、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、

他の四智を統合する智恵とされる。

<法界体性智>は密教によって導入された智慧である。

自性清浄心」とも呼ばれるところから、

清浄無垢な仏性のようなものだと考えて良いだろう。



四智はブッダ(覚者)の智慧であるとされる。

禅定修行者によって最終的に到達・獲得されるべき仏智とされる。

歴史的には四智は唯識論(中期大乗仏教)から生まれた思想である。

大乗仏教その3:「清く輝く心:四智」を参照)。

密教によって大日如来の五智の中に取り入れられたのである。

五仏と五智の対応をまとめると次の表4のようになる。

   
表4


表4 五仏と五智の対応表



この表を見ると分かるように、これら五智は五仏によって象徴され、金剛界曼荼羅の核を形成している。

五仏の方位、部族、印契、色彩、座、三昧耶形、智慧を表示すれば次の表5のようになる。

表5

表5 五仏の方位、部族、印契、色彩、座、三昧耶形、智慧

金剛界曼荼羅とは金剛頂経に基づき、不壊で堅固な金剛界を描いて、

大日如来の悟りの世界を象徴していると言えるだろう。

五仏(大日如来、阿シュク 如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来)と

四智の関係を図にすると次の図9のようになる。

   
金剛界五仏

図9 五仏と四智

大日如来の法界体性智は永遠普遍の自性清浄な智慧で「自性清浄心」とも呼ばれる。

自性清浄な智慧は黄檗希運が著書「伝心法要」で言う「本源清浄心」という言葉に近い表現である。

禅の思想その1:「本源清浄の心」を参照)。

密教のこの思想は禅に意外に近いと言える。

胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の間にはもともと相互の関連は無かったが、

これを連携統合したのは唐の恵果である。

恵果からこの密教を伝授された空海が日本に持ち帰った。

現存する大部分の曼荼羅はこの写しとされている。


   
    12.4-8-1

12.4-8-1 五色幕について



密教では五智と五仏の精神を五つの色で関係づけて表すことを表5で述べた。

五色は青・黄・赤・白・黒が基本となるが、

青・黒の代わりに樺・紫・緑などを含める場合など差異がある。

この五色を幕に応用して使う場合、五色幕と呼んでいる。

寺院の落慶時の法要などや、灌仏会(花まつり)などのめでたい大祭の時に

寺院の壁面や堂内の入り口にこの五色幕が掛けられる。

五色幕はもともと密教起源だと考えられるが、必ずしも密教寺院に限らず、

禅宗寺院や山岳仏教寺院で用いられることが多いようである。

禅宗や山岳仏教は密教思想と関係深いからだと思われる。

五色幕の例を以下に示す。

   
五色幕

図 五色幕の例 1 金剛峰寺 壇上伽藍 大会堂の五色幕

   
五色幕

図 五色幕の例 2

お寺でこのような五色の幕を見た場合、このお寺は密教と何か関係があるらしいことと、

今は何かめでたい祭のようだと思えば良いだろう。



12.4-7-1

12.4-7空海の曼荼羅思想:立体曼荼羅



空海が真言密教の根本道場とした東寺(講堂)の立体曼荼羅は空海の真言密教の思想に基づいている。

東寺(講堂)の立体曼荼羅は金剛界曼荼羅を核として拡張発展させた曼荼羅で

空海の密教思想がどのようなものであったかが分かりやすく表現されている。

図10に東寺(講堂)の立体曼荼羅の構成を示す。

   
図10

図10 東寺(講堂)の立体曼荼羅の構成

図10を見れば分かるように、東寺(講堂)の立体曼荼羅の中心は大日如来を中心とする五如来である。

これは金剛界曼荼羅を核とした五智を表していると考えることができる。

その左右には不動明王を中心とする五大明王と金剛波羅蜜菩薩を中心とする五菩薩が配置されている。

左側の五大明王はヒンズー教起源の呪力を持つ神々で呪力を象徴している。

((五大明王については12.11-3、密教とヒンズー教を参照)。

右側の金剛波羅蜜菩薩を中心とする五菩薩は大乗仏教の基本精神である

知恵と慈悲の心を象徴している。

立体曼荼羅の四隅にはインド古来の四天王と梵天と帝釈天が守護している。

この配置を見るかぎり、空海の真言密教の思想は

金剛界曼荼羅の核である成身会の五智に基づいていると考えることができる。

それとともに呪力(左側)、大乗仏教(右側)インド伝統のバラモン教の神々(周り)

から構成された複雑な世界を表している。

立体曼荼羅は密教の持つ複雑な性格を簡明に示している。

空海は平面的な絵画に表された両界曼荼羅に満足できず

立体的な曼荼羅を密教修法の場にすることで密教修法を効率的に行うことを考えたと思われる。

立体曼荼羅の考えは空海の独創的な曼荼羅表現と言える。

簡明で分かり易いものとなっている。

1997年から2000年にかけて、東寺の修理にともない、

大日如来像の基壇(須弥壇)の発掘調査が行われた。

その時、講堂創建時の杭跡や護摩壇跡が確認された。空海が講堂の創建にあたって築いた

護摩壇の可能性が考えられる。

空海自身がこの立体的曼荼羅中に設けた護摩壇に坐って

頻繁に密教的修法を行っていた可能性も考えられる。




12.4-8

12.4-8大日如来は自己に他ならない:立川武蔵教授の解釈



著書「はじめてのインド哲学」おいて立川武蔵教授は

「大日如来が世界に充満しており、世界そのものであり、大日如来が自己にほかならない、という仏教タントリズム(密教)のテーゼ

はまさにウパニシャッドの『汝(個我)はそれ(宇宙原理)である』というテーゼと符号する。」と述べている。

また曼荼羅については、

仏教タントリスト達(密教徒達)が宇宙と自己の同一性を直証するために作り出したシンボルが

マンダラ(曼荼羅、曼陀羅)である。」

と述べておられる。この解釈は簡明であり、なかなか興味深い。

これは等式にして次式のように表わすことができる。



大日如来=法身=仏性=真の自己=宇宙    (1) 



マンダラ(曼荼羅、曼陀羅)は(1)式を直証するために作り出したシンボルである。



大日如来は法身仏であり、仏性や法身と同じであると考えられる。

真言宗智山派でもそのような解釈をとっているようである

そのような解釈では(1)式は禅の悟りや根本原理と一致する

「禅の根本原理」を参照)。

禅と密教は思想と方法論がかなり違うがその目指す目的と解釈は同じであることは興味深い。




12.4-9

12.4-9金胎理智不仁(こんたいりちふに)



空海が日本に請来した胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅のそれぞれはインドの異なる時期に、

異なる地方で成立した密教経典に説かれている。

胎蔵曼荼羅は大日経(7世紀中頃、西南インド地方で成立)に説かれ、

金剛界曼荼羅は金剛頂経(7世紀末〜8世紀初期南インド地方で成立)に説かれ、

両者は異なる起源を持つ。

しかし、空海の師である恵果阿闍梨(けいかあじゃり)は

大日経と金剛頂経は一対であるが、本質的に同じものだと考えたのである(両部の大経)。

そして、

恵果は胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅を一対一具のものとして弘法大師に伝えた。

後世これらの二つを両界(部)曼荼羅と一括して呼ぶ。

恵果阿闍梨による両部両界の思想は中国古来の陰陽五行思想などの影響が大きい。

密教教理を二元論的に解釈する上で両界曼荼羅を対照的に位置付けながら、

同時にそれらは本来一つのものであるという<金胎理知不二>という理念が生れた。

胎蔵曼荼羅は、宇宙の物質的生成原理である五大(地、水、火、風、空)の世界に

視座をおいて説いている事から理(理とは客体、客観世界)の曼荼羅と言われる。

一方金剛界曼荼羅は、精神的原理としての識大の世界に視座をおいている事から

智(識は意識の主体で、主観世界、智に転ずる)の曼荼羅と呼ばれる。

理と智は別けることができないから不二である。

これから金胎理智不二という理念が両界曼荼羅から生まれたと考えられる。

この考え方は次の図11のようにまとめることができる。

   
図11

図11 金胎理智不二の思想

図11に示すように、金胎理智不二の思想は胎蔵曼荼羅を「理の曼荼羅」と考え、

金剛界曼荼羅を「智の曼荼羅」と考え、理即智で不二であると考えれば説明できる。

金胎理智不二の理念は理の世界である[胎蔵界]と、 智の世界である[金剛界]

という二つの世界が揃ってはじめて仏の本質をあらわすと考えている。

この二つは分けて考えることができず、二つで一つという見方をして、

これを<金胎理知不二>と表現していると考えることができるだろう。

金胎理知不二>の概念は五輪の塔婆図で表されることがある。

図12に五輪の塔婆図で表された金胎理智不二の理念を示す。

   
図12

図12五輪の塔婆図で表された金胎理智不二の理念

金剛界曼陀羅に描かれた大日如来を金剛界大日如来と呼ぶ。

また胎蔵曼陀羅に描かれた大日如来を胎蔵大日如来と呼ぶ。

こうなると、大日如来に二種類あることになりおかしいではないかと考えられるだろう。

「金胎理智不二」であればこのような矛盾は解消されるので合理的な考え方だと言えるだろう。

もともと大日如来は歴史的な実在した如来ではない。

理念的抽象概念として創造された法身仏である

からこのような自由な考え方ができるのであろう。

大乗仏教その2:「三身仏の思想」を参照)。




12.4-10

12.4-10四種曼荼羅



宇宙の現象および形相論的説明として曼荼羅の表現を4種に分ける。

密教的宇宙の現象および形相論的説明として曼荼羅の表現を4種に分ける。

空海の説であるが、根拠は『大日経(だいにちきょう)』本尊三昧品にある。

四種曼荼羅とは大曼荼羅、法曼荼羅、三昧耶(さんまや)曼荼羅 、羯磨(かつま)曼荼羅 の四つである。

四種曼荼羅を次の表6にまとめる。



表6 四種曼荼羅

No 四曼荼羅  内容
大曼荼羅宇宙の全体を諸仏諸菩薩と見て五大の色を与えて表現した絵画、彫刻、工芸品の類
法曼荼羅諸尊を種子(=梵字)、真言の文字で表わしたもの
三昧耶曼荼羅諸尊の持つ種々の器具は仏の本誓を表すものと考え、その刀剣、輪宝、蓮華などの器具をシンボルとして表現したもの
羯磨曼荼羅宇宙の動きを実在の象徴的表現とみなし、立体的に諸尊を木造、銅(鉄)、塑像などで表現したもの




   
   






参考文献


   

1.頼富本宏著、講談社、講談社現代新書 密教 悟りとほとけへの道、1995年

2.立川武蔵著、講談社、講談社現代新書 日本仏教の思想、1995年

3.水原舜爾著、大蔵出版、科学時代の仏教、1984年

4.立川武蔵著、講談社、講談社現代新書 はじめてのインド哲学、1992年

5.入矢義高著、筑摩書房、禅の語録8 伝心法要、  1969年

6.松長有慶著、、岩波書店、岩波新書 密教 1997年

7.司馬遼太郎著、中央公論新社、「空海の風景」

8.松本史朗著、東京書籍、東書選書 仏教への道1993年

9.中村元訳、岩波書店、岩波文庫 ブッダの真理のことば、感興のことば 1989年

   

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