2018年7月21日〜9月13日  表示更新:2022年4月21日

有時:その2

   
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『正法眼蔵』「有時」について



もともと仏教では、時間論には、それほど重点を置いていない。

原始仏教では現在のみが存在する時であり、過去も未来もないとする

過未無体(かみむたい)」という考え方がある。

正法眼蔵の「有時」の巻はこの「過未無体」説に基づき

道元が独自の時間論を展開したところに特徴がある。

「有時」の巻における道元禅師の時間論は、

仏教思想の中でも、特筆すべき例だと考えることができる。

「時間」を哲学した書物としては世界最古と言えるかもしれない。

『正法眼蔵』「有時」の巻を12文段に分け、

「有時:その2」では、第7文段〜第12文段を合理的(科学的)観点から分かり易く解説したい。



7

 第7文段


 第7文段の原文


   

有時に経歴の功徳あり。

いはゆる今日より明日に経歴す、今日より昨日に経歴す、昨日より今日に経歴す、

今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す。経歴はそれ時の功徳なるがゆゑに。

古今の時重なれるにあらず、ならびもつれるにあらざれども、青原も時なり、

黄檗も時なり、江西も石頭も時なり。

自他すでに時なるがゆゑに、修証は諸時なり。入泥入水おなじく時なり。

いまの凡夫の見、および見の因縁、

これ凡夫のみるところなりといへども、凡夫の法にあらず。

法しばらく凡夫と因縁せるのみなり。

この時この有は法にあらずと学するがゆゑに、丈六金身はわれにあらずと認ずるなり。

われを丈六金身にあらずとのがれんとする、

またすなはち有時の片々なり、未証拠者の看々なり。


注:

 経歴(きょうりゃく): 経も歴もへる、とおる、すごすの意。ひき続いて行く。

道元は、時間が瞬間瞬間に切断されていながら、

しかも連続しているという時間観にたち、

時間を連続した経過として把えることの誤りを指摘している。

その結果、瞬間瞬間に発現し、同時に瞬間瞬間に消滅していく時間の性質を

経歴という特別の用語で表現している。

青原: 青原行思禅師(?〜740)。六祖慧能の法嗣。

 黄檗:  臨済義玄禅師の師、黄檗希運禅師。 

 法系: 六祖慧能→南岳懐譲→馬祖道一→百丈懐海→黄檗希運。

江西:江西大寂禅師、すなわち馬租道一禅師(709〜788)。

 法系:六祖慧能→南岳懐譲→馬祖道一。

 石頭:  石頭希遷禅師(700〜790)。

 法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷。

入泥入水:  泥にまみれ、水につかって四苦八苦するような衆生救済の活動。

因縁す: 直接、間接の原因となってこの世に出現させる。

片片: 瞬間、瞬間。

未証拠者:  未だ悟っていない人。

看看: それぞれの見方。 



第7文段の現代語訳


有時には経歴(経験が連なり歴る)の性質がある。たとえば今日より明日に連なり歴る、

今日より昨日に連なり歴る、昨日より今日に連なり歴る、今日より今日に連なり歴る、

明日より明日に連なり歴るのである。

経歴することは時の本質である。

古今に亙っている時は重なっていないし、並んで積もってもいない。

唐代の諸祖師の悟りも時である。

青原行思の悟りも時であり、黄檗希運の悟りも時であり、

江西の馬祖道一や石頭希遷の悟りも時の功徳が経歴し、現成したのである。

自己も他人も時であるから、修証(修行も悟り)も諸々の時である

(唐代の諸祖師の悟り=時=本来の自己=仏)。

また泥沼に入ったように衆生済度に苦労するのも同じ時である。

いま見た凡夫の見解、およびその見解をもたらした因縁、

それは凡夫の見解とは言っても、凡夫の法ではない。

因縁の理法によって凡夫を凡夫にしているだけである。

この時、この有は普遍の理法(仏法)ではないと考えるから、

仏は自己ではないと誤認するのである。

自己は仏でないと考え逃避するのも、また有時のある時である。

それは未だ見性していない者がきょろきょろとわき見をしているようなものである。



第7文段の解釈とコメント


前で説かれていたように時は去来するものではない。

その去来しない時と有が一つになった有時である。

有時であるから有も去来するものではない。

有は去来するものではなく、連なっている。

連なっているものであるから、あらゆる有はただ一つのものである。

しかしその去来することのない有時に去来というものがないわけではない。

去来することのない有時は仮に去来をみせて現れているだけである。

つまり今の有時の中に今の有時以外の一切の有時は入るのである。

有時の中に今の有時以外の一切の有時は入るはたらき、

すなわち無去来の有時が去来という形をもってあらわれるはたらき、

これを道元は経歴と言う。

有時は

今日より明日に経歴する。今日より昨日に経歴する。昨日より今日に経歴する。」

と言う。 

道元が、

今日より昨日に、今日より今日に、明日より明日に、」

と述べているのは、

時は去来するように見えているが、じつは無去来であることを示すためである。

時は一方方向に流れているものではないことを示すためだと考えられる。

今日明日昨日は去来するものではない。去来は無去来な時のはたらきである。

しかし今日から明日、昨日から明日、というと、どうしても一方向の時間経過があると誤解してしまう。

そこで

今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す

と言って、その誤解を除くのである。

これは時間経過があるように見えるが実は時間経過はないと言うためである。

経歴とはたんなる去来ではなく無去来の去来を意味する言葉である。

それは無去来な有時の現れるはたらきであって、過去現在未来のあらゆる有時は連なっている。

昨日の有時、今日の有時、明日の有時は別々のものではない。

古今の時は重なり、連なるが、同じものである。

従って、唐代の青原、黄檗、馬祖、石頭などの有名な祖師達は、

今の我からかけ離れた存在ではなく、いまの我と本質的に同じである。

彼らも飛去することのない時のあらわれである。

去来することのない時の本質(仏、仏性)が我とあらわれ、

青原、黄檗、江西(馬祖)、石頭と現れているのである。

彼らの修行や悟りにしても、時が青原、黄檗、江西、石頭と現れて修行をし、

悟りを開いたのである。それは時の功徳である。

また彼らが「入泥入水(泥にまみれ。水につかり)」して

苦労して成就した衆生済度にしても、

時が青原、黄檗、江西、石頭と現れ、衆生済度をしているのである。

全ては各人が為しているのではなく、時が各人と現れて、

各人をそのようにさせているのである。それは時の功徳である。

ところが凡夫はこのようには思わない。

彼らは自己と有時は一つであると思わない。

自己と有時が一つであると分からないから、

凡夫は有時はわれの目前から飛去し、変化して行くものと思う。

たとえば青原、黄檗、江西、石頭などの有時は

今のわれの有時から過ぎ去ってしまった過去の存在だと思う。

自分とは別の存在だと思う。

青原という有時、黄檗という有時、江西という有時、石頭という有時は、

今のわが有時の外に飛去してしまったものと考えるのである。

たとえば凡夫は丈六金身の仏に会うと、その丈六金身の仏とわれを別物と思う。

丈六金身の仏を有時の現れとみない。

われに対峙している有時は飛去し、変化するものだと思っているからである。

飛去するものと思っているから自己と有時は同じであることがわからない。

本当は自己と有時は一つであり、仏とわれの本質は同じである。

吾は本質である有時(仏、仏性)の現れであり、

吾は吾とあらわれている本質(仏、仏性)の現れである。

しかし、凡夫は有時は飛去するものだと思うから、

そのように現れている仏そのものであること

(諸々の祖仏=有時=自己=本来の自己=仏の現れ)が分からない。

図8 にこれを体用思想で図示し説明する。

図8

図8 有時の体(本体)を仏や仏性とし、

唐代の諸祖師(青原、黄檗、江西、石頭)や彼等の悟り、自己(本来の自己)

をその用(現れ)とする体用思想による表現。



私達の大多数は自己と対象と時は別物であると誤解している。

その原因は、有時の道理がわからないためである。

世界と自己が一如(心境一如)であり、

ことごとくが仏法の現成であることを体得するには

有時の道理(世界=有時=自己=本来の自己=仏の現れ

を知るしかない。

しかし、凡夫は自己と自己に対している有時は別物であると錯覚しているから

丈六金身はわれにあらずと認ずるなりわれを丈六金身にあらずとのがれんとする

のである。

今、丈六金身の仏に対峙していても、それが自己と本質的に同じであることが分からない。

そのため、その丈六金身の仏は自己ではないと思う。

しかしその丈六金身の仏は有時(=自己)の現れであり、

自己は丈六金身の仏から逃れることはできない。

逃れることはできないのに逃れようとする。

自己は本来仏であることが分からないからだ。

未だ有時の道理が分からない凡夫の悲しさである。

未だ有時を証していないものの境涯はこのようなものである。

しかし、そのような凡夫も有時の現れ(「有時の片片なり」)である。



結局、有時の道理(世界=有時=自己=本来の自己=仏)から漏れるものは何もないのだ。





8

 第8文段


第8文段の原文


いま世界に排列せるむまひつじをあらしむるも、住法位の恁麼なる昇降上下なり。

ねずみも時なり、とらも時なり、生も時なり、仏も時なり。

この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す。

それ尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはいふなり。

丈六金身をもて丈六金身するを、発心、修行、菩提、涅槃と現成する、

すなはち有なり、時なり。

尽時を尽有と究尽するのみ、さらに剰法なし。

剰法これ剰法なるがゆゑに、たとひ半究尽の有時も、半有時の究尽なり。

たとひ蹉過すとみゆる形段も有なり。

さらにかれにまかすれば、蹉過の現成する前後ながら、有時の住位なり。

住法位の活発発地なる、これ有時なり。

無と動著すべからず、有と強為すべからず。

時に一向にすぐるとのみ計功して、未到と解会せず。

解会は時なりといへども、佗にひかるる縁なし。

去来と認じて、住位の有時と見徹せる皮袋なし。

いはんや透関の時あらんや。

たとひ住位を認ずとも、たれか既得恁麼の保任を道得せん。

たとひ恁麼と道得せることひさしきも、いまだ面目現前を模索せざるなし。

凡夫の有時なるに一任すれば、菩提涅槃も、わづかに去来の相のみなる有時なり。


注:

排列:排もならべる、列もならべる。排列とは、順序よくならべること。  

法位:存在、実在。法としてのあり方。

法華経方便品に「是の法は法位に住して世間の相常住なり」と、

法位という言葉が出ている。

 住法位: 仏教的秩序の適当な個所に座を占めること。

生: 衆生のこと。 

生も時なり:衆生も時である。 

この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す。:  

この時という観点から見ると、

衆生となり仏となって尽界を証している。

三頭八臂は衆生、丈六金身は仏をさしている。

丈六金身をもて丈六金身するを、発心、修行、菩提、涅槃と現成する

すなはち有なり、時なり。:本来の仏が本来の仏に目覚めるのに、

発心、修行、菩提、涅槃という過程を経て仏を現成するのが、すなはち有であり、時である。

剰法: 余分な仏法。

半究尽の:中途半端な。 

蹉過(さか): 落第。

形段: 形勢、段階。かたち。 

活溌溌地: 魚がはねるように勢のよいさま、活気の横溢しているさま。 

動著: 動はうごかす。著は動作をます助字。心を動かす。 

計功(けこう):  計はかんがえる。功は努力する。

計功は強いて考えること。

皮袋(ひたい):臭皮袋ともいう。

人間を動物的唯物論的観点から眺めた場合、

くさい臭いの皮の袋でしかないところから、人間のことを皮袋、

臭皮袋という言葉で表現する。 

模索: 手さぐりでさがすこと。



十二時辰について:


この文段の冒頭で「いま世界に排列せるむまひつじ・・・・ねずみも時なり、とらも時なり

と述べられているように、時刻の呼び方が現在と違う。

道元は近代以前の中国や日本などで用いられた、

時法である十二時辰(じゅうにじしん)を用いている。

十二時辰(じゅうにじしん)は1日をおよそ2時間ずつの12の時辰(じしん)に分ける時法である。

“およそ2時間”というのは、夜と昼、季節で長さが変動するからである。

十二辰刻(じゅうにしんこく)・十二刻(じゅうにこく)・十二時(じゅうにじ)とも呼ぶ。

時辰・辰刻・刻・時は、いずれも本来は単に時間・時刻という意味の言葉だが、

十二時辰制のもとでは1日を12に分けたそれぞれのおよそ2時間を意味し、

刻・時はまた任意の2時間を表す単位としても使われる。

12の時辰を右表に示す。時刻は定時法の場合で、不定時法では季節によりやや変動する。

図9に十二時辰法による時刻表記を示す。

図9

図9 十二時辰法による時刻表記



図9を見ると分かるように、

1日のちょうど半分である12時は、

十二時辰法で言うと『午(うま)』の刻である。

 時刻だけでなく方角もあらわしているので複雑である。

1日の前半、つまり、『午』の前の時間帯のことを『午前』と、

1日の後半、『午』の後の時間帯のことを『午後』と、現在でも言っている。

現在も使っている、午前・午後の『午』は、ここから来ている。

図10に十二時辰法の表を示す。

図10

図10 十二時辰法の表


第8文段の現代語訳


いま世界に排列する午(うま)や未(ひつじ)の十二支をあらしめているのも、

それぞれの法位にある時の昇降上下である。

子(ねづみ)の刻も時であり、寅(とら)の刻も時であり、衆生も仏も時である。

これらの時は、三頭八臂の阿修羅の姿を以て全世界を証し、

丈六金身の仏の姿を以て全世界を証している。

全世界をもって全世界を証し尽すことを、究尽すると言う。本来の仏が本来の仏に目覚めるのに、

発心、修行、菩提、涅槃という過程を経て仏を現成するのが、すなはち有であり、時である。 

全時間を全存在だとして究尽するだけであって、その他にさらに余分な仏法はない。

余分な仏法は普遍的な理法からはみ出た存在であるためである。

そのため、たとえ中途半端な有時であっても、中途半端なままで有時の究尽である。

たとえ落第(ダメ)修行者でもそのままで有である。

たとえ誤って見えた形象でも本来の自己にまかせてよく参究すれば

(本分上から見ると)、疑いなく有時の法位を占めている。

それぞれの法位に住する本来の自己に目覚めて魚が活き活きと飛び跳ねるように

現成するのが有時である。

これを無と考え、うろたえたり、有だとこじつけてはならない。

時はただ未来に向かって過ぎるだけだとだけ考えて、

未だ終着点に到着していないのだと理解することはない。

理解するのは時だといえ、その時はそれぞれの縁によって現成するのだ。

有時を去来するものとだけ考え、

法位に住した有時だと徹見した人は今までいなかったのである。

いわんやこの有時を正しく徹見し、迷いを脱した見性透関の時である

ことを示した人がいただろうか。

たとえ有時が法位に住していることを認めても、

今まで誰がこの有時の真理を言葉で言い表わし理解できただろうか。

たとえ久しい昔に有時の真理をこのように言い表すことができた人がいたとしても、

本来の面目が現前するのを模索しないわけにはゆかない。

もし凡夫が理解する有時のままであったならば、菩提や涅槃も、

ただ去来する相としての有時になってしまうだけである。



第8文段の解釈とコメント


道元は言う、

いま世界に排列せるむまひつじをあらしむるも、住法位の恁麼なる昇降上下なり

子(ねづみ)も時であり、寅(とら)も時であり、生も時であり、仏も時である」。

この文中にある、むま(うま)、ひつじ、ねずみ、とら等は動物のことではない。

注で述べた十二時辰の時刻表記法に出て来る時刻である。

図9に示したように、道元の在世当時は午(うま)、未(ひつじ)、子(ねづみ)、

寅(とら)などの十二支を一日に排列して時刻を表したのである。

それが十二時辰である。 

そこで昇降上下とあるが昇降も上下も同じことである。

この昇降はどういうことかというと、一日に十二時を排列して、

子の時から丑の時、寅の時、卯の時(明け方)と下ってゆき、

そこから上ってゆき、子の時に戻る(朝→昼→夕方→夜)。

このことを昇降上下というのである。

現代の我々には、時計が夜の12時から午前1時、2時と下って朝の6時に到り、

そこから昼の12時に上ってゆくことを思い浮かべるとよく分かる。

その十二時の昇降上下を道元は「住法位の恁麼なる昇降上下なり」と述べている。

十二時のそれぞれの時はそれぞれの法位に住していると言っている。

それぞれの法位に住しているとは何かというと、たとえば午の時ならば、

その午の時は十二時の中の一時ではなく、その一時は尽時であり、

尽時が一時(この場合ならば、午の時)と現れているのだ。

それ故に午の時のほかに時はない。

すなわち時そのものが午の時と現れているのである。

それは無論、午の時だけではない。

子(ねづみ)も時なり、寅(とら)も時なり」であって、

子(ねづみ)の時も、寅(とら)の時も、時そのものが

子(ねづみ)の時、寅(とら)の時とあらわれているのである。

つまり一般に考えられているように、時の中に子の時、寅の時、午の時があるのではない。

別言すると、子の時、寅の時、午の時は十二時の一つではない。

つまり十二分の一ではない。

それらはことごとく時そのものの現れなのである。

従って、子の時とあらわれたら、その子の時のほかに時はない。

だからそれはまた「生も時なり、仏も時なり」となる。

衆生も、仏も、三頭八臂の不動明王も、丈六金身の仏も時そのものの現れである。

この道元の考え方は次の図11に示すように時を体(本体)とし、

子の時、寅の時、午の時、生、三頭八臂の不動明王も、

丈六金身の仏を用とする体用思想によって表すことができる。

図11

図11 時を体(本質、本体)とし、子の時、寅の時、午の時、衆生

三頭八臂の不動明王、丈六金身の仏を用とする体用思想による表現。


たとえば衆生と現れたら、その衆生は尽有尽界の現れである。

尽有尽界が生(衆生)として現れている。その衆生で尽有尽界は究め尽くされている。

故にその衆生の外にあるものは一物もない。

だからその衆生のほかに時はなく、時が衆生であり、衆生が時である。

すなわち有時である。

図11に示したように、時が本質、本体であり、衆生はその現れ(用)である。

そこで「この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す

それ尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはいふなり」となる。

たとえば三頭八臂の不動明王が現前したら、

その三頭八臂の不動明王は尽界の現成であり、三頭八臂の不動明王のほかの世界はない。

だから三頭八臂の不動明王のほかにわれ(時=真の自己)はない。

三頭八臂は尽界だから、三頭八臂の不動明王の外に去来しているものはない。

すなわち三頭八臂の不動明王は有時である。

有時の現成、すなわち仏の現成である。

そこでわれが有時(仏)を究め尽くすには、

われの現前に三頭八臂の不動明王があらわれたら、

その三頭八臂の不動明王を全宇宙の中の一つの存在と見るのではなく、

三頭八臂の不動明王を全宇宙、全世界、

全次元すなわち尽界と見るのである(心境一如の立場で)。

すなわちその三頭八臂の不動明王で尽界を究めつくすのである。

その三頭八臂の不動明王で全宇宙を究め尽くすのである。

全宇宙を究め尽くすとは、三頭八臂なら三頭八臂のほかに全宇宙はない

と覚悟して生きることである。

それは全宇宙であるわれを生きることである。

すなわち自己・有・時が一つの仏として生きることなのである(有時=世界=本来の自己=仏)。

そして「丈六金身をもて丈六金身するを、発心、修行、菩提、涅槃と現成する

すなはち有なり、時なり」と言う。

丈六金身をもて丈六金身する」とは何か。

本来仏である自己が本来の仏に帰ることである。


このように仏として生きることは発心・修行・菩提・涅槃と現成する。

しかし発心・修行・菩提・涅槃と言われると、

これまた時間的経過があるように誤解してしまう。

しかし発心の時は修行の時、菩提の時、涅槃の時はことごとく発心の時のなかに入る。

それを

尽時を尽有と究尽するのみ、さらに剰法なし

と言われると、

発心・修行・菩提・涅槃は直線的な時間的経過と思ってしまう、

そんな誤解を打ち払うのである。

いま此処に現れているものが尽時尽有なのだから、それ以外に余分な有も時もないのである。

道元はこのことを「さらに剰法なし」と言っている。

しかし凡夫は時は去来するものと考えるから、たとえばいま修行の時にいるならば、

その修行の時の外にいまだわれには到来していない菩提の時、涅槃の時があると考える。

またもしわれが涅槃の時に居るようなことになったとしたら、

発心の時や修行の時は、われの居る涅槃の時の外に過ぎ去って行くものと思う。

つまり凡夫はいまのわれの有時(=真の自己)を尽界尽時している自己と受け取らないのである。


いまのわれの有時以外に他の有時というものがあると考える。

つまり「剰法これ剰法なるがゆゑに」であり、

凡夫においては剰法(余分な法)というものがある(もちろん、その剰法は無論分別妄想であるが・・)。

すなわち凡夫は有時を究め尽していない。

凡夫の認識は有時の究尽ではなく有時の半究尽(中途半端に究尽した)有時である。

しかし

たとひ半究尽の有時も、半有時の究尽なり。たとひ蹉過すとみゆる形段も有なり」であり、

その有時の半究尽にしても、じつは半有時を究尽しているのである。

半究尽の有時とは換言すると迷いにほかならない。

その迷いは迷いとあらわれている有時(真の自己)であり、

したがって本分上には剰法はない。

剰法(余分な法)はない――これが肝要なところである。

つまり悟りの時も迷いの時も、ともに真の自己のあらわれである。

真の自己は有時であり、有時の現れでないものは何一つないと考えている。

さらにかれにまかすれば、蹉過の現成する前後ながら

有時の住位なり。住法位の活発発地なる、これ有時なり。」

かれにまかすれば、」のかれとは何か?

 彼とは本来の面目=真の自己を指している。

従って、「かれにまかすれば、」とは

「本来の自己にまかせてよくよく参究すれば、即ち本分上からみれば」という意味になる。

本分上からみれば、たとえ勘違いをしたり見損ないをしていること自体やその前後も、

そのまま有時の住位である。

有時とは真の自己であり、

魚がピチピチはねるように勢いよく躍動している自己(=生命情動脳中心の脳)である。


禅と脳科学1を参照)。

それが有時である。

有時は有無にかかわるものではない。

 有時は有無にかかわるものではないから道元は

無と動著すべからず、有時と強為すべからず」と言う。

有時(真の自己=本来面目=仏)を去来するものとみていたら、

有時が有るときと、有時が無いときがあることになる。

しかし、有時を

有るとか無いとかの有無の観点から

みてはならないと言う。

図11を見ると分かるように、

一切は時のあらわれ(有時)、すなわち真の自己(=仏)の現成であるからである。

そこで凡夫のように「時に一向にすぐるとのみ計功して、未到と解会せず」という姿勢が大切である。

即ち、「有時(仏)を過ぎ去るものとのみとみたり、未だ到来していない」

と間違った理解をしない姿勢が大切である。

有時(真の自己)は去来するものではないからである。

  有時は正しい理会、間違った理会の両面をもって現れている。 

そこで道元は「去来と認じて、住位の有時と見徹せる皮袋なし、いはんや透関の時あらんや

たとひ住位を認ずとも、たれか既得恁麼の保任を道得せん

たとひ恁麼と道得せることひさしきも、いまだ面目現前を模索せざるなし

凡夫の有時なるに一任すれば、菩提涅槃も、わづかに去来の相のみなる有時なり

と言う。

有時を去来するものとだけ考え

法位に住した有時だと徹見した人は今までいなかった

いわんやこの有時を正しく徹見し

迷いを脱した見性透関の時であることを示した人がいただろうか

たとえ有時が法位に住していることを認めても

今まで誰がこの有時の真理を言葉で言い表わし理解できただろうか

たとえ久しい昔に有時の真理をこのように言い表すことができた人がいたとしても

本来の面目が現前するのを模索しないわけにはゆかない

もし凡夫が理解する有時のままであったならば、菩提や涅槃も

ただ去来する相としての有時になってしまうだけである。」

と締めくくるのである。



9

 第9文段


第9文段の原文


おおよそ羅籠とどまらず、有時現成なり。

いま右界に現成し、左方に現成する天王天衆、いまもわが尽力する有時なり。

その余外にある水陸の衆有時、これわがいま尽力して現成するなり。

冥陽に有時なる諸類諸頭、みなわが尽力現成なり、尽力経歴なり。

わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし、

経歴することなしと参学すべし。

経歴といふは、風雨の東西するがごとく学しきたるべからず。

尽界は不動転なるにあらず、不進退なるにあらず、経歴なり。

経歴は、たとへば春のごとし、春に許多般の様子あり、これを経歴といふ。

外物なきに経歴すると参学すべし。

たとへば春の経歴はかならず春を経歴するなり。

経歴は春にあらざれども、春の経歴なるがゆゑに、

経歴いま春の時に成道せり、審細に参来参去すべし。

経歴をいふに、境は外頭にして、能経歴の法は東にむきて百千界をゆきすぎて、

百千劫をふるとおもふは、仏道の参学、これのみを専一にせざるなり。


注:

羅籠(らろう): 羅は鳥を獲る網。

寵は鳥をとらえておくかご。羅籠は鳥をとらえたりとじこめたりする網や籠のように

人の心をとらえ自由を奪う煩悩・妄想・執着・偏見などをいう。  

おおよそ羅籠とどまらず、有時現成なり: およそ網や籠のような

なにものであっても、有時の現成を妨げることはできない。

有時は自由に現成することを言っている。

天王:  四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)や帝釈天など

天界に住むとされている鬼神の類。 

天衆: 天人。

尽力する:全力を尽す。  

冥陽: 冥界と陽界と。冥界は不可視の世界。陽界は可視の世界。 

諸類: もろもろの生物。

諸頭:もろもろの事物。 

様子: 様相。  

外物:  ここでは春以外のものの意。

境:客観世界。外界。環境。  

外頭:主体と別個の事物の意。 

能経歴の法:経歴の主体となっている実在。経歴するもの。

主体。




第9文段の現代語訳

およそなにものも、有時の現成を妨げることはできない。

現にいま右に出現し、左に出現して我々を守護してくれる欲界の四天王

(持国天、増長天、広目天、多聞天)などの諸天達も、

我々が全力を尽くしている時の有時である。

これらの六欲天の活動も我々が全力を尽くしている時の有時である。

欲界の四天王天などについては大乗仏教1「天の構造」を参照)。

  その他すべての水陸の生物の有時は、

まさに我々自身が力を尽くしている現実があればこそ出現するのである。

不可視の世界や可視の世界における諸生物現象もみな、

我々が力を尽くしている現実があればこそ出現する。

これこそ力を尽くしての経歴である。

我々自身が現に力を尽くして経歴することがなければ、

一存在一事物たりとも現成することはなく、

有時として経歴することはないと学ばなければならない。

経歴と言うのは、風雨が東から西に動くようなものだと学んではならない。

全世界は不動転ではないし、不進退のものでもない。

文字通り経歴するものである。

経歴は、例えば春のようなものである。春には春の様々な様相がある。

こうした様相を経歴と云うのである。

それは、別に何物かがなくても経歴するものと参学すべきである。

例えば春の風情はかならず春の風情において春を経歴するのである。

経歴とは春そのものではないが、春の風情が春であるがゆえに、

経歴が春の季節に顕われたのである。

これらのことを注意深く詳らかに思索・参究すべきである。

経歴を考えると、人には六根の対象として、色、声、香、味、触、法の六境がある。

その六境を経た経歴の主体は東に向かって百千の世界を過ぎ行き、

百千万の時間を経ると考えるのは、仏法の参究に専心していないと言える。



第9文段の解釈とコメント


前段で一切は有時の現成にほかならないと説かれていたが、

この段も引き続いて一切が有時の現成であることが説かれる。

ただし前段はいまだ有時を悟らぬものの立場からであり、

この段は有時を悟っているものの立場からである。

まず「おおよそ羅籠とどまらず、有時現成なり。いま右界に現成し

左方に現成する天王天衆、いまもわが尽力する有時なり

その余外にある水陸の衆有時、これわがいま尽力して現成するなり

冥陽に有時なる諸類諸頭、みなわが尽力現成なり」を参究しよう。

文中の「羅籠」とは、羅は魚をとるあみで、籠は鳥をとるかごのことである。

それは煩悩・妄想を象徴している。

われわれは煩悩・妄想という羅籠にとらわれている。

ここでは羅籠は時空物と考えてもよい。

煩悩にとらわれていることと、時空物を誤認して、

それらにとらわれていることは同意語だからである。

悟りを開いた者においては「おおよそ羅籠とどまらず、有時現成なり」であり、

彼においては何物も有時現成を妨げることはできない。

常識的には、右を向いても左を向いてもあちこちらに現成している有時、

そこかしこに現成している有時、

それらはいまのわれの有時とは違うと考える。

たとえば天界に住む天王や天衆などにしても、

あるいは水陸に住むもろもろの存在にしても、

それらの有時はいまのわれの有時とは時空的に違うところに存在し、

いまのわれの有時とは違うものと考える。

しかし有時の道理を体得して悟りを開いた人においては、

それらの有時はいまのわれの有時(真の自己)とは別ではない。

それらの有時はいまのわれの有時の中に包含されており、

いまのわれの有時(真の自己)の現成である。

いまのわれの有時(真の自己)なくしてはそれらの有時はないのである。

否、尽くはいまのわれの有時なのだ。

いまのわれの有時に尽界は入っているのだから、そのいまのわれの有時の現成、

すなわち経歴は「経歴といふは、風雨の東西するがごとく学しきたるべからず

尽界は不動転なるにあらず、不進退なるにあらず

(経歴と言うのは、風雨が東から西に動くようなものだと学んではならない。

全世界は不動転ではないし、不進退のものでもない。)」

である。

尽界は去来するものでもなく、去来がないのでもない。

去来はあくまで仮のもので、仮に去来という形式をとって現れる。

この無去来のものが去来の形をとり、

いまのわれにあらわれている様々な物、現象などが経歴である。

道元は経歴について「経歴は、たとへば春のごとし

春に許多般の様子あり、これを経歴といふ」と言う。

たとえば春ならば、春にはさまざまな様相がある。

雪が溶け、気温が上がる、梅が咲き、桜が咲く。

草木が芽吹き、虫や小動物が土中から出て来るなどさまざまな様相がある。

これが春の経歴である。

これらの春の経歴により春が現成すると考えるのである。

春の経歴が春ではない。つまり桜が咲くことを春とはいわない。

草木が芽吹くことを春とはいわない。

また春になったら桜が咲くのでもないし、草木が芽吹くのでもない。

しかしながら桜が咲くことのほかに春はなく、草木が芽吹くことのほかに春はない。

春の経歴(有)は春(時)ではない。

しかし春の経歴(有)のほかに春(時)はない。

いうなれば春の経歴(有)は春(時)の現成である。つまり有時である。

かくして真の自己(=仏)はいまのわれの経歴として現成するのである。

いまのわれの経歴なくしては一物一法もない(いまのわれの経歴=真の自己=仏)。

次に

経歴をいふに、境は外頭にして、能経歴の法は東にむきて百千界をゆきすぎて

百千劫をふるとおもふは、仏道の参学、これのみを専一にせざるなり

を考えよう。

経歴といわれると、それは無去来の去来ではなくたんなる去来と解する。

自己は対象と違うものだと思う。

空間的にいうと、たとえばわれが極楽浄土を経歴するとしたら、

われが極楽浄土に行くという、空間的経過を経て、

極楽浄土を経歴するものと思う。

また時間的にいうと、いまわれは中学生であるが、

高校生を経て、さらに大学生を経歴するものと思う。

文中の「百千界をゆきすぎて」は空間的経過を、

百千劫をふるとおもふは」は時間的経過を表している。

しかし経歴するにあたり、普通の人が考えるように、

時間的経過と空間的経過を順序を経て行く、それを経歴と思うのは誤りである。

仏道においてはそのように段階や経歴を経て参学することはない。

真正の仏道においては次の第10文段で見るように、

薬山惟儼禅師が馬祖の下で、言下に大悟したような、一超直入の参学がある。



10

 第10文段


第10文段の原文


薬山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて

江西大寂禅師(馬祖道一、709年- 788年)に参問す、

三乗十二分教、某甲ほゞその宗旨をあきらむ

如何ならんか是れ祖師西来意?」。

かくのごとくとふに大寂禅師いはく、

ある時は伊(かれ)をして眉を揚げ目を瞬かしむ

ある時は伊(かれ)をして眉を揚げ目を瞬かしめず

ある時は伊(かれ)をして眉を揚げ目を瞬かしむ者は是なり

ある時は伊(かれ)をして眉を揚げ目を瞬かしむ者は不是なり。」

薬山ききて大悟し、大寂にまうす、

某甲かつて石頭にありし、蚊子の鉄牛にのぼれるがごとし」。

大寂の道取するところ、余者とおなじからず。

眉目は山海なるべし。山海は眉目なるがゆゑに。

その教伊揚は山をみるべし、その教伊揚は海を宗すべし。

是は伊に慣習せり。伊は教に誘引せらる。

不是は不教伊にあらず、不教伊揚は不是にあらず、これらともに有時なり。

山も時なり、海も時なり、時にあらざれば山海にあるべからず、

山海の而今に時あらずとすべからず。

時もし壊すれば山海も壊す、時もし不壊なれば山海も不壊なり。

この道理に明星出現す、如来出現す、眼睛出現す、拈花出現す、これ時なり。

時にあらざれば不恁麼なり。


注:

薬山弘道大師:薬山惟厳禅師(745〜828)。石頭希遷禅師の法嗣。

十七歳で出家し。経論に通じ、戒律を守った。

後に石頭希遷禅師(700〜790)の教えをうけ、またその指示で馬祖道一禅師に参じた。

石頭希遷禅師の下で悟り嗣法した。834年遷化。弘道大師と贈り名された。

無際大師:石頭希遷禅師(700〜790)。青原行思禅師の法嗣。

端州高要の人、姓は陳氏。六祖慧能禅師によって髪を剃って出家した。

六祖の遷化後、遺命により青原行思禅師に師事した。

衡山の南寺に行って石台上に庵を建てたところから、世人は石頭和尚と呼んだ。

江西大寂禅師:  馬祖道一禅師(709〜788)。

三乗:声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三つをいう。

乗とは乗物の意味で三乗とは仏教の真理に到達するための三種の過程。

概念を通し思惟を通して学問的に真理に迫ろうとする行き方を声聞乗といい、

感覚を通して真理に触れようとする行き方を縁覚乗、

自己の全身全霊を投入し衆生救済によって真理を実践しようとする行き方を菩薩乗という。 

十二分教: 十二部経。

仏教の経典の形態を形式と内容から 12種に分類したもの。

(1) 契経 (教説を直接散文で述べたもの)。

(2) 応頌 (散文の教説の内容を韻文で重説したもの)。

(3) 諷頌 (最初から独立して韻文で述べたもの)。

(4) 因縁 (経や律の由来を述べたもの)。

(5) 本事 (仏弟子の過去世の行為を述べたもの)。

(6) 本生 (仏の過去世の修行を述べたもの)。

(7) 希法 (仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの)。

(8) 譬喩 (教説を譬喩で述べたもの)。(9) 論議 (教説を解説したもの)。

(10) 自説 (質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの)。

(11) 方広 (広く深い意味を述べたもの)。

(12) 記別 (仏弟子の未来について証言を述べたもの) 。

経典の伝承過程の相違によって,分類にも多少の違いがあるが、

9種の分類法 (九部経) がより古い形態として一般に認められている。

某甲:それがし、わたくし。

自分自身を謙遜していう場合に用いる一人称の指示代名詞。 

宗旨: 根本思想。

祖師西来意: 祖師は達磨大師を指す。

祖師西来意とは、達磨大師が西方のインドから中国に渡来したことの真意の意。

ひいては達磨大師から正しく伝承された禅の真髄をさす。

伊(かれ): 彼に同じ。

三人称単数の指示代名詞。行為の主体を客観的に指示するときに使われている。 

揚眉瞬目:描眉は眉をあげること。瞬目は目をしばたたくこと。

いずれも日常における極めて卑近な動作を象徴的に指したもの。

是: 肯定。

不是:否定。

蚊子:  蚊に同じ。子は助字。 

鉄牛: 鉄で造った牛。偉大かつ堅牢な人格などを比喩的に述べたもの。

教伊揚は海を宗すべし: 「揚眉瞬目」は真の自己に会い、拝謁するようなものだ。

宗とは朝宗のことで天子に会い、拝謁すること。

ここでは天子を真の自己に喩え、

朝宗を真の自己に会い、拝謁する(見性する)ことに喩えている。


第10文段の現代語訳

薬山弘道大師は、石頭無際大師の指示によって

馬祖道一禅師(馬祖道一、709年- 788年)に師事し参問した、

三乗十二分教の教えについて、私はほゞその宗旨を明らかにし理解できました

しかし祖師西来意についてはまったく分かりません

いったい祖師西来意とはどのようなものでしょうか?」

このように訊ねると、馬祖道一禅師は言った、

ある時は、彼が眉を上げ、目をしばたかせる

ある時は、彼が眉を上げ、目をしばたかせない

ある時は、彼が眉を上げ、目をしばたかせるものは是であるが

ある時は、彼が眉を上げ、目をしばたかせるものは是ではない」。

薬山はこれを聞いて大悟し、馬祖に言った、

私はかつて石頭禅師の処で修行した時

蚊が鉄牛の上にのぼったように全く分かりませんでしたが

これを聞いてはっきり悟ることができました」。

馬祖道一禅師が仏法については言うところは、他の人と同じではない。

馬祖が云う眉目は山海であるだろう。山海は眉目であるから、

伊(かれ)が眉を揚げさせると山を見るだろう。

伊(かれ)が目を瞬かせると多くの川が海に注ぎこむだろう。

是(これ)は伊(かれ)と親しい間柄である。伊(かれ)は教に曳き回される。

不是は不教伊(伊をして〜せしめず、)ではない。

不教伊揚(伊をして揚げしめず、)は不是ではない。

これらはともに有時の働きである。

山も時であり、海も時である。

時がなければ山海は存在できない。

山海の而今に時はないと考えてはならない。

時がもし壊れることがあれば山海も壊れ認識することができない。

時が壊れなければ山海も壊れることがない。

本来の自己の道理に従って明星が出現し、ブッダは開悟したのである。

仏が出現し、仏の眼睛が出現し、霊山会上でのブッダの拈花微笑が出現したのである。

これは時の働きである。

時でないならばそういうことにはならないのだ。



第10文段の解釈とコメント


道元はこの文段から禅問答を引用することで、

ここまで説いてきた有時とその経歴を、具体的に示している。

そのことによって有時とは何かを深く理解させようとしている。

この文段での禅問答(薬山と馬祖の問答)から「時」や「有時」の科学的意味がはっきりする。

その意味で「有時」のクライマックスと言える重要な文段である。

「薬山弘道大師」とは、この「有時」の巻の冒頭で道元が引用した薬山惟儼である。

薬山惟儼は石頭希遷の法嗣である。

図2に示すように六祖慧能→青原行思→ 薬山惟厳を中心とする法系が

曹洞宗系の本流になるのである。

図2

図2 薬山惟厳を中心とする曹洞宗系の禅師の法系図



この文段は、その薬山の大悟の様子から始まる。

薬山は見性する前、師匠である無際禅師(石頭希遷)に参禅していたが一向に埒が明かなかった。

それを見た石頭は薬山に江西大寂禅師(馬祖道一)に参禅することを勧めた。

薬山は曹洞宗系統の禅師であり、馬祖道一は臨済宗の法系に属する禅師である。

この当時は曹洞宗と臨済宗の分化はなく、

曹洞宗系と臨済宗系の禅師の間の交流は盛んであったことが分かる。

その薬山と馬祖のやりとりである。

ある時、薬山は馬祖に質問した、

わたしは三乗十二分教はおおよそマスターしましたが

祖師西来意というものがよく分かりません。祖師西来意とは一体なんでしょうか?」

ここで文中にある「三乗十二分教」とは要するに文字に記された教え、

すなわち伝統的な仏教学のことである。

「「祖師西来意」とは三乗十二分教とは文字では説明できない禅の奥義のことである。

その薬山の質問に対して馬祖は

有時教伊揚眉瞬目、有時不教伊揚眉瞬目、有時教伊揚眉瞬目者是、有時教伊揚眉瞬目者不是

と答えた。

その答えを聞いて薬山は言下に大悟したのである。

この問答を見てみよう。そもそも「揚眉瞬目(眉をあげて目を瞬く)」とはなにか? 

禅においては釈迦と大迦葉とのあいだに為された問答をもって禅宗のはじまりとする。

釈尊在世中のことである。

弟子達が集まっている前で、釈尊は「拈華微笑」した、即ち花をとって微笑したと伝えられる。

しかし弟子達はなんのことやら分からない。

その中でただ一人、大迦葉だけが釈迦に和して、にっこりと微笑したと伝えられる。

すると釈尊は言った、

我に正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相・微妙の法門あり。不立文字、教外別伝、大迦葉に付属す

と。

無門関第6則を参照)。

この釈迦と大迦葉の非言語的なやりとり、すなわち拈華微笑が揚眉瞬目である。

この揚眉瞬目すなわち拈華微笑が禅宗の始まりであり、

且つ禅宗の奥義とされている。

禅ではこの「揚眉瞬目」こそが祖師西来意(禅の奥義)を表すとされている。


さて薬山は伝統的仏教学である三乗十二分教をほぼ明らめた。

ここからその頃薬山の持っていた仏教観は伝統的仏教学に基づいたものであることが分かる。

伝統的仏教学の考え方は、今道元が説く有時とは異なる。

薬山はこのような仏教観を持っていたから、

禅の始まりにして奥義である「揚眉瞬目」にしても、

それは過去のある時において釈尊と大迦葉が拈華微笑したものだと考えていた。

そこで馬祖は薬山の間違いを察して、

彼をして揚眉瞬目させるのも有時(本来の自己)であり

彼をして揚眉瞬目させない、しないのも有時(本来の自己)である

彼をして揚眉瞬目させて、その揚眉瞬目を

それだ(正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相・微妙の法門)というのも

有時(本来の自己)であり、彼をして揚眉瞬目させて、その揚眉瞬目を

それではないというのも有時(本来の自己)である

さあ、君はこれがわかるかな?」

と薬山に質問したのである。

馬祖の「有時教伊揚眉瞬目、有時不教伊揚眉瞬目、有時教伊揚眉瞬目者是

有時教伊揚眉瞬目者不是」であるが、

この文における「有時」はもちろん”ある時は?”という意味ではない。

今注目している「有時(真の自己=脳)」の働きによってが、揚眉瞬目しているのだ!

 「有時(真の自己=脳)」の指令によって揚眉瞬目という働きが現われたのである。

その理解を徹底させるため、

道元は釈迦や大迦葉をして揚眉瞬目せしめないものも有時であるといい、

さらに揚眉瞬目を是(祖師西来意である)だと考えるのも有時であり、

不是(祖師西来意でない)と判断するのも有時であるという。

揚眉瞬目せしめるも、せしめないも、

その是非を判断するのも、一切は有時(真の自己=脳)の働きにより成立しているのである。 


一切は有時(真の自己=脳)の働きであり、現成である。

そしてその有時(真の自己=脳)こそは祖師西来意(禅の究極の奥義)である。


図13に揚眉瞬目の脳内プロセスを分かり易く示す。



図13

図13「揚眉瞬目」の脳科学的プロセス



この図から中脳から発する動眼神経が眼球運動(揚眉瞬目)を引き起こすことが分かる。

揚眉瞬目のプロセスは中脳→動眼神経→眼球運動によって引き起こされている。

従って、道元が言う有時(真の自己=脳)とその働きは

この脳と脳神経の働きを指していると言えるだろう。

道元は「揚眉瞬目、山、海、釈迦、道元自身、も有時、自己が経験するあらゆる現象

あらゆる事物は有時である

一切は有時である。一切は時そのもののあらわれである。」と言う。

一切は有時の現成であるが、別言すると仏の現成である。

そこで道元は「この道理に明星出現す、如来出現す、眼睛出現す、拈花出現す

これ時なり。時にあらざれば不恁麼なり」と言う。

  明星・如来・眼睛、拈花とは、ブッダの成道を指している。

ブッダの成道は凡夫の考えるように、過去のある時に釈迦が成道したのではない。

そのようにみているかぎりは伝統的仏教学の域を出ない。

釈迦の成道、それは過去のある時のことではなく、時そのもののあらわれ、

有時(真の自己)の現成である。

有時が釈迦の成道、悟りとして現成したのである。


道元の言う有時は人の中心的根源としての有時(真の自己=脳)を指していることが分かる。



11

 第11文段


原文11


葉県の帰省禅師は臨済の法孫なり、首山の嫡嗣なり。

あるとき大衆にしめしていはく、

有時意到句不到、有時句到意不到、有時意句両倶到、有時意句倶不到」。

意、句ともに有時なり。到、不到ともに有時なり。

到時未了なりといへども不到時来なり。意は驢なり、句は馬なり。

馬を句とし、驢を意とせり。

到それ来にあらず、不到これ未にあらず。有時かくのごとくなり。

到は到にケイ礙せられて不到にケイ礙せられず。不到は不到にケイ礙せられて到にケイ礙せられず。

意は意をさへ、意をみる。句は句をさへ、句をみる。礙は礙をさへ、礙をみる。

礙は礙を礙するなり、これ時なり。

礙は他法に使得せらるといへども、他法を礙する礙いまだあらざるなり。

我逢人なり、人逢人なり、我逢我なり、出逢出なり。

これらもし時をえざるには、恁麼ならざるなり。

又、意は現成公案の時なり、句は向上関捩の時なり、

到は脱体の時なり、不到は即此離此の時なり。

かくのごとく辧肯すべし、有時すべし。


注:

葉県: 県名、河南省襄城県の西南。

帰省禅師:葉県帰省禅師。首山省念禅師の法嗣。

南嶽懐譲禅師の法系で第九世に当たる。

首山省念禅師の教団に入り、竹箆の説話を機縁として悟ったという。

河南省葉県の広教院に止住。

首山: 首山省念禅師(926〜993)。

風穴延沼禅師(896〜973)の法嗣。臨済禅師の法系に属する。

法華経を誦し念法華と呼ばれていた。ついで広教宝応の二か所で教化を行なった。

法系 : 六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海→黄檗希運→

臨済義玄 →興化存奨→南院慧ギョウ→風穴延沼→首山省念

 嫡嗣: 正統の後継者。

大衆: 教団における多数の修行僧。

 意: こころ、活きた精神、思想。 

到:  周到。ゆきわたり、完全であること。ここでは悟っていること。

不到: 不完全であること。悟っていないこと。

到時未了なりといへども不到時来なり: 未だ悟っていないけれども

悟っていない(不到時)だけである。未だ悟っていないけれども

悟っていない(不到時)だけであって本分上は同じである。

未だ悟っていないといっても本分上は(衆生本来仏なりの立場に立てば)同じである。

到時未了は悟っていない(不到時)だけであって本分上は到時と不到時は同じである。

 驢:  耳の長い小馬、驢馬。馬と似ているが馬ではないところから

驢と馬とを並べて同一ではないが、大同小異である。

ケイ礙:   さまたげること、限定すること、拘束すること。

到は到にケイ礙せられて不到にケイ礙せられず。: 悟り(到)は悟り(到)に

ケイ礙されるが、未悟によってケイ礙されることはない。到(悟り)の時は

到(悟り)の時だけであって、未悟の時ではない。

到の時は到だけである。これは到は到によってケイ礙されるため

到(悟り)だけであると考えることができる。

これは道元一流の表現法と言える。

  これを次の図12によって説明する。この図12を見れば分かるように中心の到(矢印の先の到)は

周りが到だけなので周囲の到によってケイ礙されているように見える。

また、悟りは未悟(不到)を超えた概念であるから

未悟(不到)よってケイ礙されることはない。

図12

図12 到は到にケイ礙される



 さゆ:  さまたげる。

本文に「さへ」とあるのは「さえ」・の誤りか。 

みる:  客体として見るの意。

 礙: ケイ礙に同じ。

 佗法:  他の実在。

使得:  使い得る、使うことができる。

向上関捩(こうじょうかんれい): 向上は真理に向って進むこと。関はかんぬき。

捩はねじ。関捩(かんれい)はからくり。

機械。向上関捩とは真の仏法の活作用という意味。

 脱体: 肉体という意識を離れ行為そのものになり切った状態。

即此離此(そくしりし):  此は現実の今日唯今。即はつく。離ははなれる。

即此離此とは、「これに即しているのだがこれから離れている」状態をいう。

本体である本来の自己に即しているのだが、それにもかかわらず、それに気付かず

それから離れている状態を言っている。

 弁肯:  弁はわける。弁別する。肯はうけがう、肯定する。

弁肯は判断し断定すること。 

意は現成公案の時なり: その精神は活きた仏法の現れであり、丸出しである。



第11文段の現代語訳

河南省葉県の帰省禅師は臨済義玄禅師の孫弟子であり、

首山省念禅師の正統な法嗣である。

あるとき衆僧に説示して言った、

ある時は精神は完全だが、表現が不完全だ

有る時は表現は完全であるが、その精神が不完全だ

有る時は精神と表現ともに完全だ

ある時は精神表現ともに不完全だ。」と。

精神、句ともに有時の働きである。

未だ悟っていなくても、ただ悟っていないというだけであり、

本分上(衆生本来仏なりという本質上)では同じ仏である。

心を驢馬とすれば、言葉は馬のようなものである。

馬を言葉とすれば、驢馬は心のようなものである。

悟りは、〈何かが他から〉来ることではない。

未だ悟っていないということは、未だ〈何物かが〉到来していないということではない。

(到と不到は本質的に同じである。)

有時は、このようなものである。

悟りは悟りにケイ礙されるが、未悟によってケイ礙されることはない。

(悟りの時は悟りの時だけであって、未悟の時ではない)

未悟は未悟によってケイ礙されるが、悟りによってケイ礙されることはない。

こころはこころをケイ礙するが、こころを視る。礙は礙をケイ礙するが、礙をみる。

これが時である。

礙は他の存在によって使われ、他の存在に妨げられるものだというけれども、

他の法に妨げられるような対立的な礙は世界には存在しない。

我が人に逢うとは、我れが人に逢うのであり、人が人に逢うのであり、

我れが我れに逢うのであり、出現が出現するのである。

  これらは時がなければ実現し得ないところである。

また、精神(意)は活きた仏法の丸出しである。

句は真の仏法の活作用である。

悟った時は身心脱落した時である。

「未だ悟っていない時(不到)」とは、

馬祖が言った「即此離此

(本体である本来の自己に即しているのだがそれに気付かず

離れている状態)」の時である。

このように考えて、肯定すべきである。

有時をこのように理解すべきである。



第11文段の解釈とコメント


   

葉県の帰省禅師は臨済の法孫であり、首山の嫡嗣である。

その帰省禅師があるとき弟子たちに

有時意到句不到、有時句到意不到、有時意句両倶到、有時意句倶不到

と示した。

ここの有時も”ある時は〜”ではない。

ところが凡夫はそうは考えない。

凡夫はこの「有時意到句不到、有時句到意不到、有時意句両倶到、有時意句倶不到」を、

ある時は意到って句到らず、ある時は句到って意到らず、

ある時は意句ともに到り、ある時は意句ともに到らず、と解釈する。

すなわち時を去来するものと思うのである。

時は去来するものと思うということは、意到って句到らずの時は、

意到らずの時は過ぎ去り、句到る時はまだ来ていないと思う。

句到って意到らずの時は、句到らずの時は過ぎ去り、意到る時はまだ来ていないと思う。

意句ともに到らずの時は、意句ともに到る時は来ていないと思う。

意句ともに到る時は意句ともに到らずの時は去ってしまったと思う。

そして、ある時は意到って句到らず、ある時は句到って意到らず、

とみているということは、意のみの時があり、その意のみの時の外に意のみの時とは

別に句のみの時があると思っていることでもある。

それは意と句が別と思っていることを意味する。

そしてそれは意到らぬ時も時というものがあると思っていることであり、

意と時は別ものと思っていることを意味する。

これはもちろん句についてもいえる。

ようするに凡夫は意と句と時の三つが別ものと思っている。

しかし本当はそうではない。

本当は「意、句ともに有時なり」であり、意・句・時の三つは一つで脳の中に存在する。


意・句とも有時(=本来の面目=脳)の働きの現成である。


それが有時である。

また道元は「到、不到ともに(悟っていようと、未梧であろうと)有時である。

と言う。

時到らずというが、それは時が到っていないのではない。

時到らずとは、到らずという時(不到時)が来ているのである。

時そのものは去来するものではない。

去来することのない時そのものがとあらわれ、不到とあらわれているだけである。


到、不到ともに有時である。


次に「到は到にケイ礙せられて不到にけい礙せられず

不到は不到にケイ礙せられて到にケイ礙せられず。意は意をさへ意をみる

句は句をさへ句をみる。礙は礙をさへ礙をみる

を考えよう。

これはじつに道元らしい表現と言える。

どういうことかというと、凡夫は時は去来するものと考えるから

到と不到は対立する別のものだと思う。

だから到があらわれているとすると、対立する不到はあらわれている到にケイ礙されて、

あらわれている到の外にあると思う。

不到があらわれているとすると、到はあらわれている不到にケイ礙されて、

あらわれている不到の外にあると思う。

しかしそうではない。

「到は到にケイ礙せられて不到にケイ礙せられず。

不到は不到にケイ礙せられて到にケイ礙せられず。意は意をさへ意をみる。

句は句をさへ句をみる。礙は礙をさへ礙をみる」である。

たとえば到が現れている時には、その現れている到のほかに時はない。

だから到という時の外に去来している不到という時はない。ただ到きりであるからだ。

到が時であり時が到である。時そのものが到としてあらわれているのである。

到ばかりである。

この状態のイメージを次の図12で示す。

図12

図12 到は到にケイ礙される



この図を見れば分かるように、

到という時にはただ到きりである。

いま、緑の矢印線の示す到に注目しよう。

この到の回りにはびっしりと到が取り巻いている。

到きりの状態であるからである。

この状態を道元は到は到にケイ礙されていると言っていると考えられる。

到という時にはただ到きりであるので不到はない。

不到はないので到は不到によってケイ礙されることはない。

これを道元は

到は到にケイ礙せられて不到にケイ礙せられず。」

と言っていると考えることができる。

この図12において到を不到に置き換えれば、不到という時にはただ不到きりであるので到はない。

これを道元は「不到は不到にケイ礙せられて到にケイ礙せられず。」

と言っていると考えることができる。 

また不到の時は不到のみ、意の時は意のみ、句の時は句のみである。

到も不到・意・句も

ことごとく有時(本来の自己=仏=健康な脳)そのものの顕現である。

道元に「一方を証するときは一方はくらし」という言葉があるが、

時空物を超越したものの現れかたは、かならず一方としてあらわれるのであり、

その一方の外に何一つないのである

現成公案」第5文段を参照)。

そこでケイ礙というも「礙は他法に使得せらるといへども、他法を礙する礙いまだあらざるなり

といわれているように、ケイ礙もケイ礙だけの場合、ケイ礙をケイ礙するのであり、

ケイ礙するものが他にあって、それをケイ礙するのではない。

我が人に逢うとは、我が我に逢うことであり、人が人に逢うことであり、逢うことだけである。

従って、我・人・逢は有時(本来の自己=仏=健康な脳)の顕現である。

このようにして

又、意は現成公案の時なり、句は向上関捩の時なり、到は脱体の時なり

不到は即此離此の時なり。かくのごとく辧肯すべし、有時すべし

となる。

ようするに意も句も到も不到も、ことごとくは有時のあらわれである。

有時は現成公案(仏法の生きた現れ)であり、向上関捩(真の仏法の活作用)である。

到とは脱体(開悟)の時であり、即此離此((本体である本来の自己に即しているのだが

それに気付かず離れている状態)であり、仏そのものである。

ただ、があらわれているにもかかわらずそれに気付かないだけである。


そのあらわれのほかに仏はないと弁別し、理解すべきである。




12

 第12文段


原文12


向来の尊宿ともに恁麼いふとも、さらに道取すべきところなからんや。

いふべし、

意句半到也有時、意句半不到也有時

かくのごとく参究あるべきなり。

教伊揚眉瞬目也半有時、教伊揚眉瞬目也錯有時、不教伊揚眉瞬目也錯々有時

恁麼のごとく参来参去、参到参不到する、有時の時なり。




正法眼蔵有時第二十


仁治元年(1240年)庚子開冬日書于興聖宝林寺

寛元癸卯(1243年)夏安居書写 懷弉



注:

 向来: 向はさき。以前。向来は従来。 

尊宿: 尊者、宿老。  

向来の尊宿: この場合、馬祖や帰省禅師を指す。 

半有時:  現実の有時のあり方は複雑微妙であって、

単純に「完全」とは断定しきれない様子を

半有時(中途半端な有時)という言葉で表現している。  

錯有時:現実の有時が複雑微妙で、常に「妥当」とのみはいい切れない

様子を錯有時という言葉で表現している。

錯有時は言葉で表現されたものは実際に活きた有時そのものではないことをいう。

それが錯(誤り)の有時である。

開冬日:  冬のはじめ、陰暦十月一日の異称。 

 夏安居: 夏期の安居。安居とはインドにおいて雨期三箇月間を

坐禅修業専一の期間としたことを範とし、

夏期は四月十六日から七月十五日まで、冬期は十月十六日から一月十五日

まで(いずれも旧暦)居所を離れず坐禅修行に集中する期間をいう。



第12文段の現代語訳


前述の尊者や宿老(馬祖や帰省禅師)達はそれぞれ上記のように言っているが、

さらに言うべきところがないであろうか。

自分としては次のように言うべきだと考える、

意句が中途半端であっても、有時であり

意句が半分しかできなかった場合でも有時である。」

このように参究してしかるべきである。

人をして揚眉瞬目させる」のが、たとえ中途半端であっても有時である

人をして揚眉瞬目させる」のが、たとえ錯(誤り)であっても有時である

また、人をして揚眉瞬目させないのが、たとえ錯(誤り)が多くても、(錯々であっても)有時である。」と。

このように参じ来たり、参じ去り、悟りに到ろうと、到るまいと、

有時(本来の自己=仏=健康な脳)の働きであり顕現である。



正法眼蔵有時第20

 1240年旧暦十月一日興聖宝林寺で書いた。

1243年、夏期の安居に際し、これを書写した。

懐奘




第12文段の解釈とコメント


     

前述の尊者や宿老達はそれぞれ上記のように発言しておられるが、

さらに言うべきところがないであろうか。

自分としては次のように言うべきであると思う、

意や言葉が中途半端であっても、有時であり

意や言葉が半分くらいしかできなかった場合も、有時である

両者とも有時であることには変わりはない。」と。

このように参究してしかるべきである。

「人をして揚眉瞬目させる」のが、たとえ中途半端であっても有時である

「人をして揚眉瞬目させる」のが、たとえ錯(誤り)であっても有時である

また、「人をして揚眉瞬目させない」のが、錯(誤り)が多くても、(錯々であっても)有時である。」

   

このように参究し、悟ろうと、悟るまいと、

有時(本来の自己=仏=健康な脳)の働きであり顕現であると理解すべきである。

   

参考文献など:



1.道元著 水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫 正法眼蔵(二)、2004年

第20 有時 p.46〜58

2.安谷白雲著、春秋社、正法眼蔵参究山水経・有時 1968年

3.西嶋和夫訳著、仏教社、現代語訳正法眼蔵 第二巻、p.29〜47、1981年

4.「道元『正法眼蔵』の有時の巻の参究」

ウェブサイト  https://sites.google.com/site/takesikeda/iyg



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