2016年6月23日〜8月20日 表示更新:2022年3月17日

六祖壇経・3

   
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6.4

6.4 よい禅の指導者とは



原文

善知識よ、我は忍和尚の処に於いて、一たび聞いて言下に便ち悟り、

頓に真如の本性を見たり。

是れを以てこの教法を将って流行して、学道の者をして、

頓に菩提を悟り、各々自ら観心して、自ら本心を見しむ。

もし自ら悟らずんば、須らく大善知識の最上乗法を解する者を覓めて、

正路を直示せられよ。

是れ善知識は大因縁有り、所謂化導して見性を得しむ。

一切の善法は、善知識に因ってよく発起するが故なり。

三世の諸仏、十二部経は、人の性中に在りて、本より具有す。

自ら悟ること能わずんば、須らく善知識の示導を求めて、方(はじ)めて見るべし。

もし自ら悟る者は、外に求むることを仮らず。

もし善知識を求めて、解脱を得んと望まば、是の処(ことわり)有ること無し。

何を以ての故に、自心の内に知識有りて自ら悟ればなり。

もし邪迷を起こして、妄念顛倒せば、外の善知識の教授すること有りと雖も、救うこと得べからず。

もし正真の般若を起こして観照せば、一刹那の間に、妄念?に滅す。

もし自性を識らば、一悟して即ち仏地に至る。

善知識よ、智慧もて観照して、内外明徹なれば、自らの本心を識る。

もし本心を識らば、即ち本より解脱なり。

もし解脱を得ば、即ち是れ般若三昧、即ち是れ無念なり。

何をか無念と名づくる。

もし一切法を見て、心染着せずんば、是れを無念となす。

用は即ち一切処に遍く、また一切処に着せず。

ただ本心を浄めて、六識をして六門より走出せしむれば、

六塵の中に於いて染無く雑無く、来去自由にして、通同して滞ること無し。

即ち是れ般若三昧にして、自在に解脱するを、無念の行と名づく。

もし百物思わずして常に念をして絶せしむれば、即ち是れ法縛にして、即ち辺見と名づく。

善知識よ、無念の法を悟る者は、万法尽く通ず。

無念の法を悟る者は、諸仏の境界を見る。

無念の法を悟る者は、仏位の地に至る。

善知識よ、後代に吾が法を得る者は、常に吾が法身の汝の左右を離れざることを見ん。

善知識よ、この頓教の法門を将って、同見同行して、

発願受持することに於いて、仏に事(つか)うるが如くするが故に、

身を終るまで退かざる者は聖位に入らんと欲す。

然るのち須らく伝授すべし。

従上(じゅうじょう)以来、黙伝分付して、その正法を匿(かく)すことを得ず。

もし同見同行せずして、別法の中に在らば、伝付を得ず。

彼の前人を損じて、究竟に益無し。恐らくは愚人の解せずして、

この法門を謗じ、百劫千劫に、仏の種性を断ぜんことを。



注:

忍和尚: 六祖慧能の師 五祖弘忍大満禅師(601〜674)のこと。


頓に菩提を悟る: 一挙に仏の悟りの智慧を悟る。

仏の悟りの智慧は無分別智なので、

ぐずぐず分別・分析したりして理屈で悟ることはできない。

ただ一挙に自性を見れば良いのである。


善知識: 人々を導いて仏道・悟りに導き入れる僧や友人。

この場合は禅の指導者。禅の師家。


もし善知識を求めて、解脱を得んと望まば、是の処(ことわり)有ること無し。:

もし指導者の指導の下に、解脱したい(自力で悟ることができない)ならば、

外に良い指導者を求める必要があるのである。

ここはなかなか難しい箇所だがこのように解釈することができる。

この箇所に先行する文に於いて、もし初めから自力で悟ることができる者は、

外部に教えを求める必要はないと言っているからである。

慧能の論理は、自力で悟ることができる者は、

外部に指導者の教示を求める必要はないが、

自力で悟ることができない人は良い禅の指導者が必要だと言っている。


是れ善知識は大因縁有り、所謂化導して見性を得しむ。:

ただ自性を見れば良いというけれども、

見性するには一大事因縁がなければならない。

その因縁が熟して初めて見性成仏できるのだ。

そのためには偉大な善知識に会ってその正しい指導教示を受けること

によって見性することが不可欠である。

その偉大な善知識(師家)に会ってその正しい指導教示を受けることに

よって見性することが不可欠である。

その善知識(師家)の正しい指導教示を受けることによって見性すること

ができればその師家は偉大な善知識である。

逆に言えば、その善知識(師家)の指導教示を受けていくら修行しても

見性することができないならばばその師家は偉大な善知識とは言えない。

前世から続く宿世の因縁など古い考え方は時代の制約を受けた考え方である。

現代では少し修正することが必要だと考えられる。

合理的に考えた時、

前世から続く宿世の因縁などの考え方は現代科学では説明できない。

また前世から続く宿世の因縁は考えることもできないからである。

そのような非合理的な考えにいつまでも執着する必要はないと考えられる。

妄念顛倒: いかに善知識の指導教示を受けても、自己を忘れて、

外に向かって求めるばかりでは顛倒妄想というものである。

自己を省みて、己事究明すべきである。


刹那: 古代インドの時間の最小単位。

指をひとはじきする(弾指)間に65刹那あると言われている。

、『大毘婆沙論』では、24時間=30牟呼栗多=900臘縛=54,000怛刹那=6,480,000刹那としている。

これより計算すると1刹那=1.3×10−4sとなる。

一刹那は1/75秒という説もある。この説で計算すると、一刹那は13.3×10−3sとなる。

即ち、一刹那=13.3ミリ秒 の関係が得られる。

唯識説の現代的解釈を参照)。


仏地に至る: 仏(覚者)になる。仏としての自覚を得る。

仏陀の境地に至る。


明徹: 物事があきらかで、はっきりしていること。


六識: 6種類の識のこと。

それらは眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識という六種類の識である。

仏教では、それぞれ眼、耳、鼻、舌、身、意の6種の認識器官(六根)から入る情報を脳が処理して、

それぞれ色 (形をもった物質) 、声、香、味、触、法 (六境)

を認識すると考えるのである。

仏教の認識論:十八界を参照)。


六門: 六根。眼、耳、鼻、舌、身、意の六感覚器官。

眼門(げんもん) 耳門(にもん) 鼻門(びもん) 舌門(ぜつもん) 身門(しんもん)、

 意門(いもん)という六つの門。

仏教では外部からの情報はこれら六つの門から入ると考える。


六塵: 六根に働きかけて心を汚す、六種の外界からの刺激や情報。

色(しき)・声(しよう)・香(こう)・味・触(そく)・法の六境のこと。

仏教の認識論:十八界を参照)。


通同して: 去来が自由になって。


百物思わずして: 何も思わないで。

あれこれと(百ものことを)思わないようにして、

これはあらゆることを思わないと言うことではない。

分別意識を働かせて煩悩やストレスを生まないようにすることを言っている。


辺見: 偏ったものの見方。偏見。


万法尽く通ず。: あらゆるものの道理をことごとく理解できる。


頓教(とんぎょう): 修行の階程を経ないで、

直ちに成仏できると説く教え。

また、最初からいきなり深遠な大乗の理法を説く教え。

六祖慧能の南宗禅は頓教である。


聖位: 悟りの境地。


従上(じゅうじょう)以来、黙伝分付して、その正法を匿(かく)すことを得ず。:

昔から今まで、心から心へ伝授して来たのであって、

その正法を隠してはならない。


伝付: 伝授。


仏の種性: 仏性。如来性。

仏性と如来蔵思想を参照)。


究竟に益無し。: 結局は役に立たない。


恐らくは愚人の解せずして、この法門を謗じ、百劫千劫に、仏の種性を断ぜんことを。:

私が恐れるのは、愚かな人がこの教えを理解できずに、この法門を誹謗し、

永遠に、仏性を絶やしてしまわないかということである。



 現代語訳:


諸君、私は五祖弘忍和尚のもとで、一たびこの教えを聞いて言下にその場で悟り、

一度で自己の真の本性に気付いた。

そういうわけでこの教えを広め、修行者達が、直ちに仏の悟りの智慧を悟り、

各自が自分の心を観察し、自らの本心に目覚めるように指導しているのである。

もし自分で悟ることができないなら、高徳の和尚で最上乗の仏法の真理を

分かっている指導者を探し求めて、正しい最上乗の仏法をずばり直示してもらうことだ。

一体禅の指導者という者には大きな条件を備えている必要がある。

それによって彼は修行者を教化指導して見性に導かなければならない。

あらゆる善法は、指導者によって本来の力を発揮するためである。

三世の諸仏や十二部経は、人の本性の中に、もともと具有されているものである。

自分で悟ることができないならば、

必ず指導者に指導してもらって、初めて見性できるのである。

もし初めから自力で悟ることができる者は、外部に教えを求める必要はない。

もし指導者の指導の下に、解脱したい(自力で悟ることができない)ならば、

外に良い指導者を求める必要があるのである。

何故かと言うと、自力で悟ることができる人は、

自分の心中に指導者がいて自分で悟るからである。

もし邪な迷いが起って、心が妄念で顛倒するならば、

外部の指導者が教え指導しても、救うことができないだろう。

もし正真の般若の智慧で観照するならば、一瞬の間に、

妄念は皆に消滅してしまうだろう。

もし自性を悟れば、一瞬の間に、悟って仏になるのだ。

善知識よ、智慧をもって観照して、内外明徹ならば、自らの本心に目覚めることができる。

もし本心を自覚することができれば、それが根本からの解脱である。

もし解脱できれば、それこそが般若三昧であり、無念ということである。

それでは何を無念と言うのだろうか?

あらゆる存在を見て、それに心が動くことなく、執着しなければ、無念というのだ。

その働きはあらゆる処に遍く行きわたり、またあらゆる処に執着することがない。

ただ本心を浄らかにして、六識をして六門より走出させると、

六塵の中に於いて汚染されたり乱れることも無く、

来去自由に、心が自由にのびのびと広がり滞ること無い。

これが般若三昧であり、自在に解脱するのを、無念の行というのである。

もし何も思わずして常に思いを根絶してしまうなら、

それは教えに縛られたもので、偏った考え方である。

諸君、無念の法を悟る者は、あらゆる道理をことごとく理解できる。

無念の法を悟った者は、諸仏の境涯が分かる。

無念の法を悟った人は、仏の境地に地に到達するのである。

諸君、後の世に私の法を得る者は、常に私と同じ法身が側を離れないことに気付くだろう。

 善知識よ、この頓教の法門を、私と同じように見、同じように修行し、

発願受持することで、仏に師事するようにするから、

死ぬまで怠らない者は悟りの境地に入るだろう。

そうであってこそ私はこの法門を伝授するのだ。

昔から今まで、心から心へ伝授して来たのであって、その正法を隠してはならない。

もし私と同じように見ず、同じように修行しないで、

別の教えを奉じているならば、伝授することはできない。

古人の徳を損ない、結局は役に立たないからだ。

私が恐れるのは、愚かな人がこの教えを理解できずに、

この法門を誹謗し、永遠に、仏性を絶やしてしまわないかということである。



解釈とコメント:


六祖慧能は五祖弘忍の指導下で、言下に悟り、

見性した経験から禅の指導者の重要性とその条件について語っている。

禅の指導者が持つべき重要な条件は、

その人の指導力によって修行者を見性させる力があるかどうかにある

と考えている。

修行者がその人(師家)の教化指導の下に見性できればその師家は良い禅の指導者と言える。

しかし、修行者がその人(師家)の教化指導の下にいくら修行しても,

修行者が見性できなければ偉大な禅の指導者とは言えない。 

と考えているのである。

このように考えていることは、

是れ善知識は大因縁有り、所謂化導して見性を得しむ

一切の善法は、善知識に因ってよく発起するが故なり。」

と言っていることから分かる。

慧能は見性を重視し、見性を禅のキーポイントと考え

見性に導く指導者の指導力が重要だと考えていたことが分かる。

これは禅の指導者(師家)に対する大変厳しい要求だと言えよう。

三世の諸仏や十二部経は、人の本性の中に、もともと具有されている。

そのことに自分で気づき悟ることができない時には、

指導者に指導してもらって、初めて見性できると言う。

もし、初めから自力で悟ることができる者は、指導者を求める必要はない。

自力で悟ることができる人は、

自分の心中に指導者がいて自分で悟るからであると言う。

自力で悟ることができない人の場合には、外に良い指導者を求める必要がある

としている。

しかし、邪な迷いが起って、心が妄念で顛倒している人に対しては、

いくら外部から指導者が教え指導しても、救うことができないと言う。

そのような救いがたい顛倒の人でも、正真の般若の智慧で観照するならば、

一瞬の間に、顛倒・妄念は消滅してしまう。

もし、正真の般若の智慧で自性を悟れば、一瞬の間に仏になる

という頓悟の考えを示している。

このように、般若の智慧をもって観照して、内外明徹するならば、真の自己に目覚めることができる。

それが根本からの解脱であり、般若三昧であり、無念ということであると言う。

慧能は真の自己に目覚める見性体験こそが根本的な解脱であり、般若三昧であり、

無念であると考えていたことが分かる。

6.4章で

ただ本心を浄めて、六識をして六門より走出せしむれば

六塵の中に於いて染無く雑無く、来去自由にして、通同して滞ること無し

即ち是れ般若三昧にして、自在に解脱するを、無念の行と名づく。」

という説明は分かりにくい。

現代の科学的観点から説明すると次のようになるだろう。

脳で生れた眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識という六種類の識(六識=心)が

坐禅修行によって浄化され健康となれば、

眼,耳,鼻,舌,身,意の6種の認識器官(六根)の働きも

健全となり自分でコントロールできるようになる。

そのため、どんな環境(六塵)の中にいても心がそれに執着したり、汚染されることがない。

心は自由にのびのびと広がり、自由に行動して、停滞することがない。

これが、般若三昧である。

心が自由にのびのびと広がり、自分のコントロール下で、

自由自在であるのを、無念の行というのである。




6.5

6.5 迷罪消滅の無相観の歌



原文

善知識よ、吾れに一の無相頌有り。

もし能く誦取せば、言下に汝が迷罪をして消滅せしめん。

頌に曰く、

迷人は福を修めて道を修めず、

只だ言う、福を修むるは便ち是れ道なりと。

布施供養して福無辺なるも、

心中の三悪は元来造る。

ただ心中に向いて罪縁を除き、

各自の性中に真に懺悔せよ。

もし大乗を悟らば真の懺悔なり、

邪を除き正を行じて即ち罪無し。

学道は常に自性を観ぜよ、

即ち諸仏と同(とも)に一類なり。

吾が祖はただこの頓法を伝う、

普く願わくは見性して同(とも)に一体ならんことを。

もし当来に法身を覓(もと)めんと欲せば、

諸法の相を離れて心中を洗(すす)げ。

努力(つと)めて自ら見て悠悠たること莫れ、

後念忽ち絶ゆれば一世休(や)む。

もし大乗を悟って見性を得んとならば

虔恭に合掌して至心に求めよ。



師言う、

今大梵寺中に於いて、この頓教を説く

普く願わくは法界の衆生、この言下に於いて見性成仏せんことを」と。

師の説法了(おわ)るや、韋使君は官員道俗と与(とも)に一時に礼を作(な)し、悟らざる者無し。

皆歎ずらく、

善い哉(かな)。何ぞ期(はか)らん。嶺南に仏の出世有らんとは」と。



注:

迷罪: 事実や道理についてあるがままに見ず、

自己の見解に執われる罪。


心中の三悪: 貪・瞋・痴の三毒の煩悩。


三毒: 三毒とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、

すなわち貪(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(愚かさ)を指す。

三つの煩悩を毒に例えたものである。

三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。

ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。

例えば、最古の経典と推定される南伝パーリ語のスッタニパータに、

貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を克服すべきことが述べられている。


常に自性を観ぜよ: 我々の自性(=真の自己)は仏性であると観よ。


大乗を悟る: 仏性を悟る。


即ち諸仏と同(とも)に一類なり。: そうすれば諸仏と同じ仲間になる。


吾が祖はただこの頓法を伝う: 達磨大師より代々の祖師は

皆見性成仏の頓悟の教えを伝えて来た。

達磨禅と祖師禅の歴史を参照)。


当来: 来世。


諸法の相を離れて心中を洗(すす)げ: 現象に執われないで心を浄化しなさい。


努力(つと)めて自ら見て: 己事究明に精進努力して自らを見つめて。


努力(つと)めて自ら見て悠悠たること莫れ

後念忽ち絶ゆれば一世休(や)む。:

精進努力して己事究明に精進努力して励むべきで、

今はのんびりとゆったりしている場合ではない。

後に続く意識が絶えればこの世は終わりになる。


もし大乗を悟って見性を得んとならば、虔恭に合掌して至心に求めよ。:

もし大乗の教えを悟って見性成仏したいならば、敬虔に合掌して一心に求めよ。


刺使: 州の巡察官。


韋使君: 韋刺使に敬称の君をつけて呼んだもの。

韋という名の州の巡察官。


何ぞ期(はか)らん: 思いもよらないことだ。


   

 現代語訳:


諸君、私に一の無相の心を詠んだ歌が一首ある。

もしこれをちゃんと唱えるなら、たちどころに

君達の迷いの罪をして消滅させるだろう。

その歌はこうだ。

迷う人は福徳を修めるだけで仏道を修めない。

ただ、福徳を修めるのが仏道であるとただ言うだけだ。

布施供養することから生まれる福徳は限りないが、

心の中の三毒は始めから作っている。

ただ心に向きあって罪の原因を取り除き

各自の本性の中で真の懺悔をすることだ

もし仏性を悟るならばそれが真の懺悔となり、

邪念を取り除き正行をすれば罪は消えてしまうだろう。

仏道を学ぶには我々の自性である仏性を常に観じなさい、

そうすれば諸仏と同じ境涯になるだろう。

達磨大師より代々の祖師達は皆見性成仏の頓悟の教えを伝え、

皆が真の自己に目覚めて祖仏と一体になることを願ったのだ。

もし来世に仏智を求めたいなら、

現象の姿に執われないで心を浄化することだ。

精進して己事究明に励み、のんびりしてはならない、

後に続く意識が絶えればこの世は終わってしまう。

大乗の教えを悟って見性成仏しようとするならば、

敬虔に合掌して一心に求めなければならない。




師は言った、

今大梵寺に於いて、頓悟の教を説いた

願わくは全世界の衆生が、この言葉を聞いてすぐ見性成仏するように」と。

師の説法が終了すると、韋刺史は役人出家、在家の弟子達に

一斉に拝礼し、悟りを開かない者はいなかった。

皆は感嘆して、言った

なんと素晴らしいことか。思いもよらないことだ

この嶺南の片田舎に仏が出現されるとは!」と。



解説とコメント:


ここでは慧能の無相頌(無相の心を詠んだ歌)を紹介している。

その歌の冒頭で人々は「福を修むるは便ち是れ道なり」と考えて、

福を修めて道を修めず」と詠っている。

多くの中国人は仏教を福徳を修める宗教だと考えているが

慧能は、それは迷いで、それだけでは仏道ではないと言う。

中国人の仏教受容における世俗的な福徳重視の姿勢が見られて興味深い。

慧能は、

仏道の修行は我々の自性は仏性に他ならないと観て、諸仏と同じになることだ

達磨大師より代々の祖師達は皆見性成仏の教えを伝えて

現象に執われないで心を浄化し、真の自己に目覚めて祖仏と一体になることを願ったのだ。」

と述べ、

ここでも、福徳を重視するよりも、自己究明による見性成仏をめざす、南宗禅の立場を強調している。


韋刺史、役人出家、在家の弟子達の言葉、

この嶺南の片田舎に仏が出現されるとは思いもよらないことだ!」

が特に印象的である。



7章 問答功徳及び西方相状門



7.1

7.1 達磨の無功徳



原文

この時韋刺君はふたたび容儀を粛(うやうや)しくして礼拝し、

問うて曰く「弟子は和尚の説法を聞いて、実に不可思議なり

今少しく疑い有り、和尚に問わんと欲す。願わくは、大慈悲もて特に解説したまえ。」

師曰く、「疑いあれば即ち問え。何ぞ再三することを須(もち)いん。」

韋公曰く、「和尚の所説は、可(あ)に是れ達磨大師の宗旨にあらずや?」

師曰く、「是(しか)り。」

公曰く、「弟子は聞けり。達磨初めて梁の武帝を化するや、帝問うて云う

朕は一生、寺を供し、布施し斎を設く、何の功徳か有る』と。

達磨言う、『実に功徳無し』と。

武帝は悵快(なげきうら)み、本情に称(かな)わず

遂に達磨をして境を出ださしむと

弟子は未だこの理に達せず

願わくは和尚、為に説かれんことを。達磨の意旨や如何(いかん)?」

師曰く、「実に功徳無し。先聖の言を疑うこと莫れ。武帝は心邪(よこし)まにして、正法を知らず

 寺を造り供養し、布施し斎を設く。名づけて福を求むと為す

 福を将って便ち功徳と為すべからず。功徳は法身の中に在り、修福に在らず。」

師また曰く、「見性は是れ功、平等はこれ徳なり。念念に滞ること無く

常に本性を見て、真実に妙用するを名づけて功徳となす

外に礼を行ずるは是れ功、内心に謙下(けんげ)なるは是れ徳なり

自性の万法を建立するは是れ功、心体の念を離るるは是れ徳なり

自性を離れざるは是れ功、応用して染す無きは是れ徳なり

もし功徳法身を覓めば、ただこれに依って作せ、是れ真の功徳なり

もし功徳を修する人ならば、心に即ち軽んぜず、常に普敬(ふぎょう)を行ずるなり。」

師曰く、

心に常に人を軽んじて、吾我断ぜざれば、即ち自ら功無し

自性虚妄にして不実なれば、即ち自ら徳無し

吾我自大にして、常に一切を軽んずるが為の故なり

善知識よ、念念に無間(むげん)なるは是れ功、心行の平直(びょうじき)なるは是れ徳なり

自ら身を修むるは是れ功、自ら性を修むるは是れ徳なり

善知識よ、功徳は須らく自性の内に見るべし

是れ布施供養の求むる所にあらず。是を以て、福徳は功徳と別なり

武帝は真理を識らず、我が祖師に過(とが)有るには非ず。」



注:

達磨大師: 菩提達磨(ぼだいだるま, bodhidharma、ボーディダルマ)。

中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。

達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。

南インドのタミル系パッラヴァ朝において国王の第三王子として生まれ、

中国で活躍した仏教の僧侶。

5世紀後半から6世紀前半の人で、道宣の伝えるところによれば宋(南朝)の時代

(遅くとも479年の斉_(南朝)の成立以前)に中国にやって来たとされている。

中国禅の開祖。『景コ傳燈録』によれば釈迦から数えて28代目とされている(西天28祖)。

西天28祖については禅の思想1を参照)。


達磨図

 図8 月岡芳年画『達磨図』(木版画 1887年)



菩提達磨についての伝説は多いが、その歴史的真実性には多く疑いを持たれている。


達磨大師の宗旨: 達磨大師の教えの根本。


梁の武帝: 蕭 衍(しょう えん、在位502〜549)。南朝梁の初代皇帝。


武帝像

 図9 武帝像 


武帝は仏教を信仰し、仏教の戒律に従い、菜食を堅持したため、「皇帝菩薩」とも称された。

武帝は家臣侯景の反乱(548〜552)に敗れ幽閉された。

武帝は、食事も満足に与えられなかった。

蜜を求めたが与えられず、飢えと渇きの中で死んだ。

武帝は君主としての道が既に備わって、これ以上加えるものがなく、

群臣の諫言はどれも聞くに値しないとした。

北宋の歴史学者司馬光(1019〜1086)は著書『資治通鑑』「梁紀」の論賛において

「武帝は終わりを全うしなかった」と評している。

達磨が梁の武帝に法を説いた話は碧巌録第一則や従容録第二則にも見える。

碧巌録第一則を参照)。

従容録第二則を参照)。


斎を設く: 斎は斎食 (さいじき) ともいう。

戒律で認められている午前中の食事。

戒律によると原則として午後には食事をしてはならないことになっている。

のちに転じて肉食しないこと,あるいは法会の食事をいうようになった。

お齋(とき)=法事や法要のあとの食事会のことをおときと言う。

仏教の場合は、法事・法要の際に、僧侶による読経のあと食事がふるまわれる。

この食事をおとき(御斎・お斎とも書く)と呼ぶ。

僧侶や参列者へのお礼の気持ちをこめたお膳であると同時に

、一同で故人を偲ぶための行事である。

原義は「清浄」。 (1) 身体と言葉と心の悪行を慎むこと。

(2) 正午を過ぎて食事をしないという戒律を守ること。

(3) 仏事のときの食事。

(4) 仏教の戒律の規定に従って月の 15日と 30日に、

同一地域の僧が集って自己反省をする集会などを意味する。


武帝は悵快(なげきうら)み、本情に称(かな)わず。:

武帝は嘆き恨んで、自分の期待に添わなかった。


先聖の言: 達磨大師の「無功徳」の言葉を指す。


実に功徳無し: 武帝は世間的な福徳を求めて仏教に帰依している。

武帝は迷悟凡聖の二見対立の立場から達磨と問答に臨んでいる。

一方、達磨は無分別智の第一義諦に立っている。

世間的な功徳を求めている武帝に「無功徳」と答えたのは

達磨大師の大慈悲の説法だと考えられている。


功徳は法身の中に在り: 功徳は出世間のもの。法身とは法そのもの。

達磨は功徳は出世間のもので、仏法そのものの中にある。世俗的なものではないと言っている。


修福に在らず。: 修福は世間的善根を修して、

世俗的な福(幸福)を求めること。

達磨は真の功徳は世俗的なものではなく、出世間的なもので、仏法そのものの中にある。

世俗的な修福にはないと言っている。


外に礼を行ずるは是れ功: 外に対して折り目正しくするのが功である。


内心に謙下(けんげ)なるは是れ徳なり: 内心に

自己をへりくだって控え目にすることが徳である。


心体の念を離るるは是れ徳なり。:「大乗起信論」ではアーラヤ識を覚と不覚に分け、

覚について次のように説いている、「言う所の覚の義とは

心体の離念なるを謂う。離念の相は虚空界に等しくして

偏ぜざる所なければ、法界一相なり、是れ如来の平等法身なり

心体離念については禅の思想を参照)。


自性の万法を建立する・・・応用して染す無きは是れ徳なり:

万法は自性(脳)の中にあり、自性(脳)を離れることはない。

自性のままに妙用を現わし汚染しなければ徳である。


常に普敬(ふぎょう)を行ずるなり: 常に万人を敬う行を行う。


自性虚妄にして不実なれば、即ち自ら徳無し。:

自性を見失って真心がなければ、もともと徳は無い。 


念念に無間(むげん)なるは是れ功: 心の流れが途切れず、

一念も止まらないのが功である。


吾我自大: 自己中心の考えを起こして、

他人を軽んじ、一切を軽視すること。


吾我自大にして、常に一切を軽んずるが為の故なり。:

いつも自己中心で、他人を軽んじるためである。


心行の平直(びょうじき): 心行は心の働き。

平直は純一で清らかな心。

心の働きが純一で清らかであること。


心行の平直(びょうじき)なるは是れ徳なり:

心の働きが純一で清らかであるのが徳である。


功徳は須らく自性の内に見るべし。:

功徳はすべて自性にあると見なければならない。 


布施供養: 惜しむことなく、恭敬の心で献じること。


是れ布施供養の求むる所にあらず。:

功徳は布施供養などで求めことはできない。


福徳は功徳と別なり:

福徳を求める時には有心(功利心)で求める心がある。

功徳は有心(功利心)で求めるものではない。

自己本具の自性そのままに表れる無所得の行為であり、それが功徳の妙用である。


   

 現代語訳:


   

この時、韋刺君はふたたび容儀を正してうやうやしく礼拝し、質問した、

私は和尚の説法を聞いて、言葉に出せないほど深い感銘を受けました

しかしまだ少し疑問がありますので、和尚に質問したいのです

どうか大慈悲をもって、特に解説して下さい。」

師は言った、

疑問があるならすぐ質問しなさい。何度も繰り返していうことはない。」

韋刺君は言った、

和尚が説いたのは、達磨大師の教えの根本ではありませんか?」

師は言った、

そうだ。」

韋刺君は言った、

私は聞きました。達磨が初めて梁の武帝を教化した当初、武帝は聞きました

朕は生涯にわたって、寺を造営し

僧を供養し布施し斎会を催しました、これにどんな功徳が有るでしょうか?』

と尋ねると達磨は答えた

まったく功徳は無い。』

武帝はそれを嘆き恨んで、自分の期待に添わないので

遂に達磨を国外に追い出したと言います

私は未だこの道理が分かりません

願わくは和尚、私の為にご説明下さい

達磨が本当に言いたかった趣旨はどのようなものだったのでしょうか?」

師は言った、

功徳はまったく無いのだ。達磨大師の言葉を疑ってはならない

武帝は心が邪(よこしま)で、正しい仏法を知らない。 

武帝は寺を造営し、僧を供養し布施し斎会を催した

それは福を求めたのであって、福徳がそのまま功徳と考えてはならない

功徳は法身の中にあるのであって、福を求める行為には無いのだ。」

師はまた言った、

見性こそ功であり、平等に見ていくのは徳である

一念一念が澱(よど)むこと無く、常に自己の本性を見て

真実で優れた働きをするのが功徳である

外に対して折り目正しくするのが功であり

内心にへりくだって控え目にすることが徳である

自性が一切の存在を認識・建立するのが功であり

自性を離れないのが徳である

自性のままに妙用を現わし、汚染されないのが徳である

このような功徳を持つ自性の法身を得たいならば

ただこのように行動することこそが、真の功徳である

もし功徳を修し身に着けた人ならば、心に人を軽んずることなく

常に万人を敬うであろう。」

師は言った、

常に人を軽んじる心をもち、自我への執着を離れることができないならば

功は無い。自己の本心を見失って真心がなければ、もともと徳は無いのだ

いつも自己中心で、他人を軽んじるためだ

諸君、心の流れが途切れず、一念も止まらないのが功である

心の働きが純一で清らかであるのが徳である

自分で身を修めるのは功、自性を清らかに修めるが徳である

諸君、功徳はすべて自性にあると見なければならない

功徳は布施供養などで求めことはできない

功徳は出世間的なものであり世俗的な心で求める福徳とは違うのだ

武帝はそのような道理を知らなかったのであり

我が祖師に間違いがあったのではない。」



解説とコメント:



達磨大師と武帝との対話で武帝は、

朕は生涯にわたって、寺を造営し

僧を供養し布施し斎会を催しました、これにどんな功徳が有るでしょうか?』

と尋ねると達磨は、

そんなことにまったく功徳は無い

と答えた。

武帝は、達磨が説く仏法を全く理解できなかった。

達磨が自分の期待に添わないので遂に国外に追い出したと言われている。

まったく功徳は無い(無功徳)』

と答えた達磨の真意はどこにあるかについて慧能は分かり易く説明している。

功徳について慧能は次のように説明する。

慧能は、「常に人を軽んじる心をもち

自我への執着を離れることができないならば、功は無い

自己の本心を見失って真心がなければ、もともと徳は無いのだ

いつも自己中心で、他人を軽んじるためだ。」

と言う。

武帝の人生を見ると、

武帝は仏教を信仰し、仏教の戒律に従い、菜食を堅持したため、「皇帝菩薩」とも称された。

しかし、武帝は家臣侯景の反乱(548〜552)に敗れ幽閉された。

武帝は、食事も満足に与えられなかった。

蜜を求めたが与えられず、飢えと渇きの中で死んだと伝えられる。

武帝は君主としての道が既に備わって、

これ以上加えるものがなく、群臣の諫言はどれも聞くに値しないとした。

北宋の歴史学者司馬光(1019〜1086)は著書『資治通鑑』「梁紀」の論賛において

武帝は終わりを全うしなかった

と評している。

座右の銘に「実るほど頭を垂れる稲穂かな

という歌がある。

人は学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞う

ことを意味する。

普通帝位にあるような人物はそのような謙虚さが見られてしかるべきである。

しかし、仏教を学び、「皇帝菩薩と呼ばれた武帝にはそのよう謙虚さは見られなかった。

朕は生涯にわたって、寺を造営し、僧を供養し布施し斎会を催しました、これにどんな功徳が有るでしょうか?』

と尋ねる時にも、

どうだ自分は偉いだろう

という気持ちがあって、質問したと思われる。

それを見破ったと達磨大師は、

そんなことにまったく功徳は無い

と答え武帝の高慢さを否定したのである。

武帝との対話に臨んだ達磨大師はあらかじめ武帝の人物像について情報を集めていたと考えることができる。

慧能は、

功徳はすべて自性にあり、造寺や布施供養などで求めことはできない

功徳は出世間的なもので、世俗的な心で求める福徳とは違う

と考えていることが分かる。

達磨は武帝の造寺や布施供養について、

武帝が行った造寺や布施供養は不純で自己中心的な心で求めた福徳であり

出世間的な真の功徳ではない。」

と評価していないのである。

武帝はそのような出世間的な離欲に基づく功徳を知らず、

造寺や布施供養など世俗的な福徳が功徳である

と信じていたのである。

そのため、達磨が言った「自我への執着を離れた無功徳!」という言葉の真意が分からなかった。

慧能は武帝の仏教に対する理解が浅かったためであり、

決して、達磨大師に間違いがあったのではないと説明する。

慧能のこの説明は論理的で分かり易い




7.2

7.2 浄土は目前にある



原文

また問う、「弟子は常に僧俗の阿弥陀仏を念じて、西方に生ぜんことを願うを見る

請う和尚よ説きたまえ、彼(かしこ)に生ずることを得んや

願わくは為に疑いを破したまえ。」

師言う、「使君よ善く聴け。慧能は与(ため)に説かん

世尊は舎衛城の中に在して、西方の引化(いんけ)を説きたまう

経文は分明(ふんみょう)に「ここを去ること遠からず」とす

もし相を論じ理を説かば、即ち十万八千あり

もし身中に説かば、十悪八邪は即ち是れなり

遠しと説くはその下根の為にし、近しと説くはその上智の為にす

人には両種あれども、法には両般なし。迷悟に殊なること有り

見に遅疾(ちしつ)有り

迷人は仏を念じて彼(かしこ)に生ぜんことを求む

悟人は自らその心を浄うす。所以(このゆえ)に仏は言う

その心の浄きに随って、即ち仏土は浄し』と

念念に見性して、常に平直を行ぜば、到ること弾指の如くにして

便(たちま)ち弥陀を観ん

使君よ、ただ十善を行ぜよ。何ぞ更に往生を願うを須(もち)いんや

十悪の心を断ぜずんば、何れの仏か即ち来たって迎請(げいしょう)せんや

もし無生の頓法を悟らば、西方を見ること、只だ刹那に在り

悟らずして仏を念じて生を求めば、路遥かにして如何が達(いた)ることを得ん

慧能は諸人のために、西方を移すこと刹那の間の如くして、目前に便ち見せしめん

各々見んと願うや。」

皆な頂礼(ちょうらい)して言う、

もし此処(ここ)にて見ば、何ぞ更に往生を願うを須(もち)いんや

願わくは和尚慈悲もて便ち西方を現じて

普く願わくは見ることを得しめたまえ。」

師言う、「大衆よ、世人の自らの色身は是れ城にして

眼、耳、鼻、舌、は是れ門なり

外に五門有り、内に意門あり。心は是れ地、性は是れ王にして

王は心地の上に居る

性在れば王在り、性去れば王無し。性在れば身心存し、性去れば身心壊(え)す

仏は性中に向(お)いて作(な)る、身外に向かって求むること莫れ

自性迷えば即ち是れ衆生、自性覚れば即ち是れ仏なり

慈悲は即ち是れ観音、喜捨は名づけて勢至と為す

能浄は即ち釈迦、平直は即ち弥陀、人我は即ち須弥(しゅみ)

邪心は是れ海水、煩悩は是れ波浪なり。毒害は是れ悪龍、虚妄は是れ鬼神

塵労は是れ魚ベツ(ぎょべつ)、貪瞋は是れ地獄、愚痴は是れ畜生なり

善知識よ、常に十善を行ぜば、天堂便ち至り、人我を除けば、須弥(しゅみ)は倒る

邪心無ければ海水竭(つ)き、煩悩無ければ波浪は滅し

毒害除けば魚龍は絶す

自らの心地上の覚性の如来は、大光明を放って

外に六門を照らして清浄ならしめ、能く六欲の諸天を破す

自性内に照らせば、三毒は即ち除き、地獄等の罪は一時に消散す

内外明徹して、西方に異ならず

この修を作さずして、如何が彼(かしこ)に到らん。」

大衆は話を聞いて、倶に「善哉」と歎ず。

あらゆる迷人も了然として見性して、悉く皆礼拝し、唯だ言う、

普(あまね)く願わくは法界の衆生、聞く者の一時に悟解せんことを。」



注:

阿弥陀仏: 阿弥陀如来(あみだにょらい)は、

大乗仏教の浄土系経典に説かれる如来の一つである。

梵名は「アミターバ」、あるいは「アミターユス」といい、それを「阿弥陀」と音写する。

「阿弥陀仏」ともいい、また略して「弥陀仏」ともいう。

梵名の「アミターバ」は「無限の光」、

「アミターユス」は「無限の寿命」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、

無量寿仏ともいう。

西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。


舎衛城: 舎衛城(しゃえいじょう)は、

古代インドのコーサラ国にあった首都である。

舎衛城において釈尊は「観無量寿経」や「阿弥陀経」などの浄土系経典を

説いたとされる。

しかし、原始仏教経典に於いて、阿弥陀仏や「極楽浄土が説かれることはない。


このことから、

歴史上、ゴータマ・ブッダがこのような教えを説いた可能性はない

と言えるだろう。

「観無量寿経」や「阿弥陀経」などの浄土系経典は、

ブッダの死後500年頃(紀元前後)に突然出現した大乗仏教の

創作経典(偽作経典)だと考えることができる。

大乗仏教その2.大乗経典は創作(偽作経典)か?を参照)。


西方の引化(いんけ): 西方浄土の方便の説法。


ここを去ること遠からず: 「観無量寿経」にある経文。

「その時、世尊は居韋提希(いだいけ)に告げたまう、

汝今知るやいなや。阿弥陀仏の此を去ること遠からざるを。・・・」を引用している。

「阿弥陀経」が説くように、

極楽浄土は何も西方十万億土の遠い所にあるのではない。

信心堅固で、法を理解すればこの世界が浄土になる(娑婆即寂光土)と考える。


十悪: 仏教において、してはならないとされる10の悪行のこと 。次の表7のようになる。


表7


八邪: 邪見・邪思・邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念・邪定 の八邪。

八正道と反対の悪。

八正道を参照)。


もし相を論じ理を説かば、即ち十万八千あり: 理はおそらく里、道のりのこと。

十万八千とは中国から王舎城までの距離が十万八千里あると言っている。


人には両種あれども、法には両般なし。: 人には上根と下根という差別があるが

法(仏法)は本より一法(一乗)である。両般とは2種類という意味。


『その心の浄きに随って、即ち仏土は浄し』: 「維摩経」仏国品に見える経文。


心地に但し不善無ければ、西方はここを去ること遥かならず。:

浄土は外に求めるべきでない。

心中の十悪八邪などの不善を除けば浄土は今、ここにあるという意味。


迷人は仏を念じて彼(かしこ)に生ぜんことを求む。:

迷人は自性を知らないため、念仏して西方極楽浄土に往生したいと願うが、

悟人は自らその心を清浄にして仏になる。


東方の人は、罪を造れば、仏を念じて西方に生れんことを求む。

西方の人は、罪を造れば、仏を念じて何れの国にか生れんことを求めん。:

東方はこちらの岸で、東方の人は迷人を指している。

西方は彼岸で悟った人を指している。

迷人(東方の人)でも心が浄ければ、それが浄土の因となる。

しかし、西方の悟人でもその心が不浄ならば穢土になる。

問題は東西(迷悟)ではない。ただその心を浄くすることにある。


自性を見て(見性して)心を浄くすることが第一であると言っている。


悟人は在処一般なり。: 悟った人はどこにいても同じである。


『所住の処に随って常に安らけくつねに楽し』:

「仏説大孔雀咒王経」巻下の末尾の偈に、

「恒に戒香を用って塗りて体を瑩(あきら)かにし、・・・・、

所住の処に随って常に安楽なり」とある。

自分の今いる場所のままで、いつも安らかでいつも楽しいという意味。


念念に見性して、常に平直を行ぜば、:

一念一念に自性を見て、常に素直な心で生きるならば、


弾指: 指をパチンと弾く間の一瞬の時間のこと。


到ること弾指の如くにして、便(たちま)ち弥陀を観ん。:


見性すればたちまちの内に、弥陀を見ることができる。


見性すれば、自己即弥陀となることを言っている。


十悪の心を断ぜずんば、何れの仏か即ち来たって迎請(げいしょう)せんや。:

十悪の邪心を除かなければ、臨終の時どんな仏が浄土に迎え取りに来るだろうか。

十悪の邪心を除かなければ、どんな仏も浄土に迎えに来ることはない。


無生の頓法: 生滅を越えた悟りの境地をたちまちのうちに証悟する法門。


世人の自らの色身は是れ城にして、眼、耳、鼻、舌、は是れ門なり。:

我々の身体は城のようなもので、眼、耳、鼻、舌、は門(入り口)のようなものである。


仏は性中に向(お)いて作(な)る:

仏はこの本性の中で出来上がるのである。


慈悲は即ち是れ観音: 慈は衆生の苦を抜くこと(抜苦)、

悲は衆生に楽を与えること(与楽)。

抜苦与楽の慈悲の心は観世音菩薩(観音)の働きである。


喜捨は名づけて勢至と為す: 慈悲喜捨を四無量心と言い、

菩薩行の心だとする。

四無量心のうち慈悲の二つを観世音菩薩に、喜捨の二つを勢至菩薩に振り当てている。


四無量心(しむりょうしん): 四無量心(しむりょうしん)とは、

慈・悲・喜・捨の四つの無量心のこと。

他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、

落ち着いた気持ちを持つことをいう。

サマタ瞑想(止)の対象の一部。四梵住(しぼんじゅう)、四梵行ともいう。

「四梵住(四無量心)」は、初期仏教〜現代の上座部で、

重視される代表的な瞑想法の一つで、一般に「止(サマタ)」瞑想に分類される。

「四梵住(四無量)」は、「慈(思いやり)」、「悲(いたわり)」、

「喜(喜びのわかちあい)」、「捨(心を動かされない)」

の四つの心を養う瞑想である。

四つの方面に心を限りなく配ること。

(1) あらゆる人に深い友愛の心を限りなく配ること (慈無量心) 、

(2) あらゆる人と苦しみをともにする同感の心を限りなく起すこと (悲無量心) 、

(3) あらゆる人の喜びをみてみずからも喜ぶ心を限りなく起すこと (喜無量心) 、

(4) いずれにもかたよらない平静な心を限りなく起すこと (捨無量心) 。

四梵住(四無量心)は次の表8のようにまとめることができる。


表8


人我は即ち須弥(しゅみ): 須弥(しゅみ)とは

須弥山説で世界の中心にあるという須弥山のこと。

人我は須弥山、邪心が海水、煩悩は波浪になぞらえている。

しかし、一念が自性を悟れば、浄土となり、すべてが一転して光明を放つと言う。

須弥山世界説を参照)。


鬼神: 目に見えない超人的神秘力を持つ神。

善神と悪神があるが、特に害を与える神。


虚妄は是れ鬼神: 人に害を与える鬼神を虚妄に喩えている。


塵労は是れ魚ベツ(ぎょべつ): 塵労は魚やスッポンのようなもの。


貪瞋は是れ地獄: 貪(むさぼり)と瞋(いかり)は地獄である。

貪(むさぼり)と瞋(いかり)を地獄に喩えている。


愚痴は是れ畜生なり。: 愚痴は畜生のようなものである。


自らの心地上の覚性の如来: 自らの心地の上に浄土を建設し、

そこに覚性の如来を顕わすことができる。

覚性とは本覚の仏性。覚性の如来とは真如より顕われ来て、衆生を救う覚者のこと。


六欲の諸天: 欲界にある四天王天、トウ利天、夜摩天、

兜率天、化楽天、他化自在天の欲界の六つの天。

大乗仏教1、仏教の天の構造を参照)。



 現代語訳:

韋刺君はまた質問した、

私はいつも出家や在家の人達が阿弥陀仏の名を唱えて

西方極楽浄土に生まれたいと願っているのを見ています

どうか和尚よ、説いて下さい、極楽浄土に生れることができるでしょうか

どうか私のために疑問を解いて下さい。」

師は言った、

使君よ、とくと聴きなさい。私は貴男の為に説こう

世尊はインドの舎衛城で、西方極楽浄土の方便の説法をされた

経文ははっきりと「浄土はここから遠くない」と言っている

もしその様相を論じ道のりを言うならば、十万八千という数が出るが

もしこの身にあてはめて説くならば

十悪八邪の罪がとりもなおさずこのことなのだ

「遠い」と説くのは機根の劣った人の為に言うのであり

「近い」と説くのは智者の為に説くのである

人には2種類があるが、仏法には二種類はなく一つ(一乗)である

迷うか悟るかの違いや、悟るのに遅いか疾いかの違いが有るだけだ

迷う人は「南無阿弥陀仏」と念仏して浄土に生れたいと願う

目覚めた人は自分の心を浄らかにする。だから仏は言われた

『心が浄らかになるにつれて、仏国土は浄らかになる』と

使君よ、東方の人も、もし心が浄らかでありさえすれば罪は無い

たとえ西方の人であっても、心が浄かでないならば罪過がある

東方の人は、罪を造れば、念仏して浄土に生れたいと願うが

西方の人は、罪を造れば、念仏しどの国に生れたいと願うことができようか

愚かな人は自性を悟らず、自己身中の浄土を知らないから

東を願ったり西を願ったりして迷うのだ

悟った人はどこにいても同じである。だから仏は言った

『自分の今いる場所のままで、いつも安らかでいつも楽しい』と

使君よ、もし心に不善が無いならば、浄土はここから遠くない

もし、不善の心を持っているなら、念仏しても浄土に往生することは難しい

今諸君に勧める、まず心の中の十悪をとり除きなさい

そうすれば十万里進んだことになる

次に八邪をとり除きなさい

そうすれば八千里を進むことができるだろう

一念一念に自性を見て、常に素直な心で生きるならば

指を弾くような一瞬の間に阿弥陀仏を観るだろう

使君よ、ただ十善を行いなさい

何もわざわざ念仏をして往生を願う必要があるだろうか

十悪の邪心を除かなければ、臨終の時どんな仏が浄土に迎え取りに来るだろうか

もし無生の頓法を悟ることができれば、一瞬のうちに浄土を見ることができるだろう。 

それを悟らないで念仏して極楽往生しようとしても

路は遥かに遠くどうして行きつくことができようか

ひとつ私は諸君のために、西方浄土を引っ張って来て刹那の間に

目前に見せてあげよう。諸君見たいと思うかね。」

人々は皆頭を地に着けて礼拝して言った、

もしここで拝めるのでしたら、何もわざわざ往生を願う必要はありません

どうか和尚、お慈悲をもって西方浄土を現わして、ここで見せて下さい。」

師は言った、

諸君、皆の肉身は城のようなもので

眼、耳、鼻、舌、は城門に当たる

肉身の外には五門が有り、内側には心の門がある

心は国土で、その本性は国王であって、王は心の国土に居るのだ

本性が在れば王は在る。本性が離れ去れば王はいなくなる

本性が在れば身心が存在するが、本性が離れ去れば身心は崩れて、死んでしまうのだ

仏はこの本性の中で出来上がるのである。自身の外に向かって求めてはならない

自性を見失って迷うのが衆生であり、自性を覚れば是れ仏となるのだ

慈悲の心はそのまま観世音菩薩であり、喜捨の行いが勢至菩薩と呼ばれるのである

清らかな主体が釈迦仏であり、平等で素直な心が阿弥陀仏である

自我への執着は須弥山、邪しまな心は海水、煩悩は波浪である

毒害の念は悪龍、虚妄は鬼神、塵労は魚やスッポン、貪・瞋は地獄、愚痴は畜生である

諸君、常に十善を行うならば、天国はたちまち訪れるし

自我への執着を離れれば、須弥山は崩れる

邪心を除けば海水は無くなる

煩悩が無くなれば波浪は収まり、毒害を除けば魚龍は絶える

自己の心にある覚性という如来は、智慧の光を放って

六門を照らして清らかにし、六欲天を照破するだろう

自性が内側を照らせば、貪瞋痴の三毒はたちまち除かれ

地獄などに落ちる罪は一度に消えてしまう

そうなると心の内も外も明かに透き通って、西方浄土と変わらない

こういう修行をしないで、どうして浄土に行くことができようか。」

参列の人々は話を聞いて、一同皆「すばらしい!」と感嘆した。

全ての迷人もはっきりと見性して、悉く皆六祖を礼拝して、

普(あまね)く願うことは、全世界の衆生が、この教えを聞いて一度に悟りを開きますように。」

と言った。



解説とコメント:



韋刺君の質問、「私はいつも出家や在家の人達が阿弥陀仏の名を唱えて

西方極楽浄土に生まれたいと願っているのを見ています

どうか和尚よ、説いて下さい、極楽浄土に生れることができるでしょうか

どうか私のために疑問を解いて下さい。」

に対し、

慧能は、「使君よ、とくと聴きなさい。私は貴男の為に説こう

世尊はインドの舎衛城で、西方極楽浄土の方便の説法をされた。」

と言っている。

世尊はインドの舎衛城で、西方極楽浄土の方便の説法をされた。」

という言葉より、

慧能は 西方極楽浄土はブッダの真の心から出た説法ではなく、方便の説法である

と考えていることが分かる。

慧能の考えから言うと、自性(=脳)に目覚め、仏になるのが仏教の本筋であり、

阿弥陀仏の名を唱えて、西方極楽浄土に生まれたいと願うのは方便の教え

と考えるのは当然のことだと思われる。

これは現代にも通じる慧能の合理的な仏教理解の表れだと言えるだろう。



「阿弥陀経」では

西方極楽浄土は、ここから西方十万億の仏国土を過ぎたところにある。」

と言うが、「観無量寿経」を引用して、

経文ははっきりと「浄土はここから遠くない」と言っている。

慧能は

浄土は遠い」と説くのは機根の劣った人の為に言うのであり、

近い

と説くのは智者の為に説くのであると言う。

盤珪禅師は「うす引き歌」の中で、

安く養う浄土はここよ、五万五万の億も無し

(安養浄土(=極楽浄土)は、お経に説かれるように、

西方十万(五万五万)億土の遠くにあるのではない。

煩悩苦患が無い真の極楽浄土は今この我が身にあるのだ。

と分かり易く歌っている。

盤珪禅師の「うす引き歌」を参照)。



慧能は

愚かな人は自性を悟らず、自己身中の浄土を知らないから

東(薬師如来の東方瑠璃光浄土)を願ったり

西(阿弥陀如来の西方極楽浄土)を願ったりして迷うのだ。」

と言う。

慧能が「浄土はここから遠くない」と言う意味は、

悟りの本体である自性(脳)を悟れば、浄土は自己身そのものにある。

ということである。

慧能は

浄土はここから遠いところにあると考えるのは「自性を悟らないため

不善の心や煩悩が妨げて、浄土はここから遠いところにあると感じてしまうだけだ。」

と考えているのである。

慧能の「浄土は自己身そのものにある。」と考える「己身の浄土」の考えは

そのまま「己身の弥陀」の考えに繋がるのである。

「密厳浄土」の思想と「己心の弥陀」の思想を参照)。

慧能がそう考えているのは

自性を見失って迷うのが衆生であり、自性を覚れば仏となるのだ

慈悲の心はそのまま観世音菩薩であり

喜捨の行いが勢至菩薩と呼ばれるのである

清らかな主体が釈迦仏であり、平等で素直な心が阿弥陀仏である。」

という言葉に現れている。

慧能は

諸君のために、西方浄土を引っ張って来て刹那の間に、目前に見せてあげよう。」

と言って自分の肉体を城に喩えて分かり易く説法をしている。


ここでの話は十八界の考え方が基本となっている。



十八界


図10  十八界



慧能は言う、

諸君、皆の肉身は城のようなもので、眼、耳、鼻、舌、は城門に当たる

肉身の外には五門が有り、内側には心の門がある

心は国土で、その本性は国王であって、王は心の国土に居るのだ。」

我々の肉身を城に喩えれば六根の内、眼、耳、鼻、舌、は城門に当たると言っている。

肉身の外には五門が有り、内側には心の門があるとは六根の内、眼、耳、鼻、舌、身を

感覚刺激が入る五門だと考えている。

内側には心の門がある

とは意識の門を考えているのである。

心は国土で、その本性は国王であって、王は心の国土に居るのだ

とは意識の働きの広がりと範囲が国土であり、

その本性は主人公としての王であると言っていることが分かる。

十八界の図を見れば分かるように、十八界の中心と本性は中心の脳である。

これより、慧能が言う自性の主人公としての王とは脳であると言っても良い。

本性が在れば王は在る」とは脳について言っていることが分かる。

それに続く慧能の言葉、

本性が離れ去れば王はいなくなる。本性が在れば身心が存在するが

本性が離れ去れば身心は崩れて、死んでしまうのだ

仏はこの本性の中で出来上がるのである

自身の外に向かって求めてはならない。」

の意味は王を脳あるいはその働きに置き換えれば次のように良く分かる。

本性である脳の働きが離れ去れば王はいなくなる

本性である脳が在るから身心が存在するが

本性である脳あるいはその働きが離れ去れば身心は崩れて、死んでしまうのだ

仏はこの本性である脳の中で出来上がるのである

自身の本性である脳の外に向かって求めてはならない。」

と言っていると考えることができる。

そう考えればれば慧能の言いたいことは

現代科学やブッダの「自帰依」の精神と見事に一致する。

慧能の、

仏はこの本性である脳の中で出来上がるのである。

という考え方は合理的であるとともに眼が醒めるほど衝撃的である。

   

六祖慧能と「己身の弥陀」の思想



「7.2章 浄土は目前にある」には「己身の弥陀」の思想が既に出ている。

慧能は自性を悟ればこの身体は浄土であると言う。

慧能は「観無量寿経」を引用して、心に不善の思いがなければ西方極楽浄土は遠くないと言う。

若し心に不善の思いを抱けば念仏しても西方極楽浄土に往生するのは難しいと説く。

念念見性して常に平直であれば忽ち阿弥陀仏を観るだろうと言う。

慧能は、

自分の心が浄化され健康になれば自己は即ち阿弥陀仏である

と言っている。これは「己身の弥陀」の思想である。

「己身の弥陀」の思想は<即心即仏>や<即心是仏>の思想によって簡単に説明できる。

「無門関」30則:即心即仏」を参照)。

「即心是仏」を参照)。

<即心即仏>や<即心是仏>の思想において仏を阿弥陀仏(=弥陀)に置き換えると

<即心即仏>や<即心是仏>は<即心即弥陀>や<即心是弥陀>となる。

ここで心とは自己の心であるから

心を自己にすると<自己即弥陀><即心是弥陀>は<己身即弥陀>や<己身是弥陀>となる。

これを図11に示す。



十八界


図11  <即心即仏>の思想から<己身の弥陀>へ



<己身の弥陀>の思想は我が国においても鈴木正三(1579〜1655)や

白隠禅師(1686〜1769)、新義真言宗の始祖、

覚鑁(かくばん、興教大師、1095〜1144、)等が説いた。

覚鑁は著書『五輪九字明秘密義釈』で、西方極楽浄土と密厳浄土とが同じであると考えた。

覚鑁によると、

「秘密荘厳住心」=「密厳心」=密厳浄土=西方極楽浄土     (1) 



の等式が成立するのである。 <己身の弥陀>の思想は



自性=自性清浄心=健康な脳=仏性=仏=阿弥陀仏      (2)



と表すことができる。

(2)式で表した<己身の弥陀>の思想の源泉は

六祖慧能に既にあったと言えるだろう。

ただし、<己身の弥陀>の思想は欲と煩悩にまみれた凡俗心をそのまま肯定するのではない

ことは言うまでもないだろう。

六祖慧能は禅によって浄土教も統一できると考えていたののかも知れない。

「自己が阿弥陀仏に等しい」、「娑婆即寂光土」と悟れば、

阿弥陀仏を信仰し念仏する必要もない。

そうなれば浄土教は禅によって統一できるだろう。

白隠禅師が念仏禅を嫌ったのは彼の心の中に<己身の弥陀>の思想があり、

自己身=阿弥陀仏である自覚があった。そのため、

自己の外に阿弥陀仏を求める念仏禅を嫌ったのではないだろうか。



慧能は念仏禅を否定していた?



慧能は7.2章の説法の中で、

一念一念に自性を見て、常に素直な心で生きるならば

指を弾くような一瞬の間に阿弥陀仏を観るだろう

使君よ、ただ十善を行いなさい。何もわざわざ念仏をして往生を願う必要があるだろうか。」

と言っている。

これは

一念一念に自性を見て、常に素直な心で生きるならば

一瞬の間に自己が阿弥陀仏であることが分かる

そうなれば、何もわざわざ念仏をして往生を願う必要はない。」

と言っているのである。

中国でも、明代になると念仏禅が盛んになる。

しかし、慧能の上述の言葉は坐禅に打ち込めば、

自己が阿弥陀仏(あるいはそれに等しい存在)であることが分かる

そうなれば、何もわざわざ念仏をして往生を願う必要はない。」

と言っていると解釈できる。

彼は禅だけでも、仏としての自覚が生じる。

禅一つに専念すれば、何も念仏をする必要はないと、

念仏禅を否定していたと考えることができる。

日本では白隠が念仏禅をはっきりと否定していた。

白隠と念仏禅を参照)。

中国の明代になると禅と念仏を融合した念仏禅が盛んになる。

念仏禅を鼓吹した雲棲シュ宏(うんせいしゅこう)(1535〜1615)や

紫柏真可(しはくしんか)(1537〜1603)禅師達は「六祖壇経」を読まなかった。

そのため、慧能の<己身の弥陀>の思想を知らなかったのだろうか?



7.3

7.3   在家の仏教



原文

師言う、「もし修行せんと欲せば、在家もまた得(よ)し

寺に在るに由らず

在家も能く行せば、東方の人の心の善きが如し

寺に在りて修せずんば、西方の人の心悪しきが如し

もし清浄ならば、即ち是れ自性の西方なり。」

韋公また問う、「在家は如何が修行せん。願わくは為に教授したまえ

師言う、「吾れ大衆のために無相頌を作る。但しこれに依って修せば

常に吾れと処を同(とも)にして別なること無し

もしれに依って行せずんば、吾が辺(ほと)りに在りと雖も

千里を隔つるが如し。」

頌に曰く、

説通じ及び心も通じて、日の虚空に処(お)るが如し。

惟だ見性の法を伝えて、出世して邪宗を破す。

法は即ち頓漸無し、迷悟に遅疾有るのみ。

只だこの見性の門は、愚人は悉(つく)すべからず。

説は即ち万般なりと雖も、理に合して還って一に帰す。

煩悩暗宅の中、常に須らく慧日を生ずべし。

邪来たれば煩悩去り、正来れば煩悩除く。

邪正倶に用いざれば、清浄にして無余に至る。

菩提は自性に本づく、心を起こせば即ち是れ妄。

浄心は妄中に在り、もし正なれば三障無し。

世人もし道を修せば、一切尽く妨げず。

常に自ら己(おの)が過(とが)を見ば、道と相い当たる。

色類は自(おのず)から道有り、各々相い妨悩(ぼうのう)せず。

道を離れて別に道を覓(もと)むれば、身を終うるまで道を見ず。

波波(はは)として一生を度(わた)り、到頭(とうとう)に還た自ら悩まん。

真道を見んと欲得(ほっ)せば、正を行ずる即ち是れ道なり。

自らもし道心無くんば、闇に行いて道を見ず。

もし真の修道の人ならば、世間の過を見ず。

もし他人の非を見ば、自らの非却って是れ左(もと)る。

他の非は我れ非(そし)らず、我が非は自ら過(とが)有りとす。

ただ自ら非心を却(しりぞ)け、煩悩を打除し破するのみ。

憎愛心に関せず、長く両脚を伸べて臥す。

他人を化せんと欲擬(ほっ)せば、自ら須らく方便有るべし。

彼をして疑い有らしむること勿れ、即ち是れ自性現ずるなり。

仏法は世間に在り、世間を離れて覚するにあらず。

世を離れて菩提を覓むるは、あたかも兎角(とかく)をもとめるが如し。

正見を出世と名づく、邪見は是れ世間なり。

邪正尽く打却すれば、菩提の性宛然たり。

この頌は是れ頓教なり、また大法の船と名づく。

迷って聞かば累劫を経ん、悟る則(とき)は刹那の間なり。


師言う、「善知識よ、総な須らく誦取し、偈に依って修行すべし

言下に見性せば、吾れを去ること千里なりと雖も、常に吾が辺りに在るが如し

この言下に於いて悟らずんば、即ち対面すととも千里ならん

各々自ら修せよ。法は相い待たず。衆人よ且(しばら)く散ぜよ

吾れは曹渓に帰らん

衆もし疑い有らば、却って来たって相い問え

衆の為に疑いを破し、各々本心を見しめん。」

時に会に在りし僧俗は、豁然として大悟し、

咸(み)な「善哉」と讃じ、倶に仏性を明らめたり。



注:

説通じ及び心も通じ: 説通は説法に通達すること。

心通は、教えの根本に通達すること。説法にも教えの根本に通達し。


有余涅槃(うよねはん): 迷いの火を吹消した状態を

涅槃という。

この世に生存している間に得られる涅槃は、

肉体や煩悩の条件を残しているので有余涅槃という。

涅槃については原始仏教1を参照)。


無余: 無余涅槃のこと。無余涅槃は有余涅槃の反対。

無余涅槃は部派仏教における究極の目標である。

身心を完全に滅して得られる灰身滅智 (けしんめっち) の状態で、

絶対寂静の永遠の平安の境地とされる。

この境地に達したならば,もはや迷いの生存に戻ることがないと考えられている。


三障: 仏道修行に対する三つの妨げ。

以下に示す煩悩障、業障、 報障の三つ。


@

煩悩障: 常に現れる除きがたい貪瞋痴の煩悩。


A

業障: 悪い行いによって即、地獄に落ちる環境。


B

報障: 地獄・餓鬼・畜生など全く悟るチャンスがない環境。


説は即ち万般なりと雖も、理に合して還って一に帰す。:

見性について色々な説があるけれども、その道理は自性(真の自己)に帰着する。


心を起こせば即ち是れ妄。: 分別意識を起こせば皆妄となる。

主客対立の二相を捨てよ。


もし正なれば三障無し。: 一念、本具の般若の智慧が現れれば、

三障は慧日の前に露霜のように消え去る。


色類: 物質的存在の総称。ここでは一切の生類。


色類は自(おのず)から道有り: 一切の生類は生まれながら大道を具している。

その大道をそのまま現すのが修道で、その外に特別の道はない。


波波(はは)として: 奔波と同じ。あたふたとして。


常に自ら己(おの)が過(とが)を見る。:「法句経」第五十偈に言う、

他人の邪曲を観るなかれ、他人のこれを作し

かれを作さざるを観るなかれ

ただ己の何を作し、何を作さざりしかを想うべし。」


もし他人の非を見ば、自らの非却って是れ左(もと)る。:もし他人の非のことを言えば、

自分の非を発表して「左の如し」と言うようなもの。


他人を化せんと欲擬(ほっ)せば、自ら須らく方便有るべし。:

他人を教化するに際しては、心に小細工をしてはならない。

無心に他人のことを思えば般若の方便智が現れて衆生教化の妙用が働く。


仏法は世間に在り、世間を離れて覚するにあらず。:

世間と別に出世間や仏法があるわけではない。

「如来荘厳智慧光明経」巻下の偈に言う、

仏は常に世間に在りて而も世法に染まず。世間を分別せず

敬礼して観る所無し。」


兎角(とかく): 亀毛とともに存在しないものの例。

「楞伽経」巻四の偈に言う、

虚空と兎角及び石女児(女の石像が生んだ男子)の如きは

無にして而も言説あり、是の如きは妄分別なり。」


世を離れて菩提を覓むるは、あたかも兎角(とかく)をもとめるが如し。:

仏法の主眼は衆生教化・済度である。それはこの世間を離れてはできない。

世間を離れて仏法を覓めるのは、あたかも兎角をもとめるようなもので

無理な話である。


宛然たり: そっくりそのままである。



 現代語訳:



師は言った、

もし修行したいと思うならば、在家に在っても良い

寺で修行しなければならないということはない

家にいてもよく修行すれば、東方の人で心がけの善い人のようなものである

寺にいても修行をしなければ、西方の人で心がけの悪い人のようなものである

もし心さえ清ければ、そのまま自性の浄土にいることになる 。」

韋公がまた尋ねた、

在家の人はどのように修行したら良いでしょうか

どうか教えて下さい 。」

師は言った、

私は諸君のために無相の歌を作った。この通りに修行すれば

いつも私と一緒にいるのと変わらない

しかし、もしこの通りに修行しなければ、たとえ私の側にいても、千里も離れているのと同じだ 。」

その歌は、



説法も自在、また悟りも確かで、大空に輝く太陽のようだ。

ただ見性の法を広めて、世に現れて邪宗を打ちまかす。

教えには即ち頓漸の別は無く、迷悟に遅い疾いが有るだけだ。

只だこの見性の門は、愚人には理解できない。

説き方にはいろいろあるが、道理に合うものは元は一つだ。

暗い煩悩の家に住むからには、いつも智慧の光を生み出さねばならない。

邪な思いから煩悩が生まれ、正しい心からは煩悩が消える。

邪にも正にもとりあわなければ、心は清らかに涅槃の境地に至る。

悟りの心は自性から生まれ、分別心を起こせばたちまち虚妄になる。

清浄心は妄中に在っても、心が正しいなら三障は無い。

人がもし道を修するなら、何物も彼を妨げることはできない。

常に自らの過(とが)を見て反省すれば、道とぴったり合う。

生類にはもともと道が有り、それぞれが互いに妨げあうことはない。

道を離れて他に道を求めるなら、死ぬまで道は見つからない。

あたふたとして一生を過ごし、つまるところは自ら悩むばかりだ。

真の道を見たいなら、正しい行がそのまま道だと知ることだ。

おのれに求道の心が無ければ、闇夜に道が見えないのと同じことだ。

もし真の修道者ならば、世人の過に目を向けない。

もし他人の非に目を向ければ、おのれの非こそ道にもとるもの。

他人の非は私は謗らない、おのれの非こそもともと悪いのだ。

ただおのれの非心を自ら除き去り、煩悩を打破するだけだ。

憎愛の心に執われることなく、両脚を長々と伸ばして寝る。

他人を教化したいと望むなら、もとより方便・手段がなければならない。

相手が疑いを抱かないような手段には、自性が現れている。

仏法は世俗に在り、俗世を離れて真の悟りはない。

俗世を離れて悟り求めるのは、あたかも兎に角をもとめるようなものだ。

正見とは俗世を超えることだが、邪見は俗世そのものだ。

邪とか正とかのこだわりを打ち捨てれば、悟りの心そのままである。

この無相頌は頓教の歌、また大きな法の船という。

迷いの心で聞けば分かるのに万劫がかかるが、はたと悟るのは一瞬の間だ。



師は言った、

諸君、皆じっくりと口ずさんで、この偈に従って修行することだ

言下に見性するならば、たとえ私から千里も離れていても、いつも私の側にいるようなものだ

この一言の下に於いて悟らなければ

私と顔つきあわせていても千里も離れているのと同じだ

めいめい自分で修行せよ。法は待っていてくれぬ。さあひとまず引き取られよ

私は曹渓に帰る。もし諸君に疑いがある時には、私の所に来て尋ねるが良い

諸君の為に疑問を解き、各々が自分の本心に気付くようにしてあげよう。」

その時に会座にいた出家も在家も、豁然として大悟し、

皆「すばらしい!」と褒めたたえ、ともに真の自己(仏性)を明らかにした。



コメント:


慧能は言う、

もし修行したいと思うならば、在家に在っても良い

寺で修行しなければならないということはない

もし心さえ清ければ、そのまま自性の浄土にいることになる 。」。

このこの言葉を見る限り、

慧能は出家至上主義ではなく、 在家修行 によっても<自性の浄土>にいることができる

在家での修行を勧めている ことが分かる。

韋公が、

在家の人はどのように修行したら良いでしょうか。どうか教えて下さい 。」

と聞くと

 慧能は、「 私は諸君のために無相の歌を作った。この通りに修行すれば

いつも私と一緒にいるのと変わらない

しかし、もしこの通りに修行しなければ、たとえ私の側にいても

千里も離れているのと同じだ 。」と

「無相の歌」を残している。

その歌は、見性 を重視し、説法も自在、また悟りも確かで、

大空に輝く太陽のような境地 を詠っている。

「無相の歌」の中で慧能は

暗い煩悩の家に住むからには、いつも智慧の光を生み出さねばならない

邪な思いから煩悩が生まれるから、心を正しく清らかに保持するよう気を付け

邪にも正にもとりあわなければ、心は清らかに、心からは煩悩が消え

涅槃の境地に至る 。」

と教えている。

そうなれば、憎愛の心に執われることなく、両脚を長々と伸ばして寝ることができる

この「無相の歌」の言うように各々が修行し、見性するならば

たとえ離れていても、いつも私の側にいるようなものだ

めいめい自分で励んで修行せよ 。」

と平易で分かり易い説法となっている。



8章 諸宗難問門  



8.1

8.1 壇経の伝授



原文

大師出世して、行化すること四十年なり。

諸宗の難問するもの、僧俗約千余人あり、皆な悪心を起こして難問す。

師言う、「一切尽く除けば、名の名づくべきもの無きも、自性無二の性に名づけて

是れを実性と名づく

実性の上に一切の教門を建立す。言下に便ち須らく自ら見るべし」と。

諸人説くを聞いて、総て皆な頂礼し、事えて師と為さんことを請い、

弟子と為らんことを願う。

此の如きの徒は、説き尽すべからず。

若し宗旨を論ぜば、『壇経』を伝授せらるる者は、即ち稟承(ひんじょう)して

付せらるる所有り。

須らく去処・年月・時代・姓名を知り、逓相(たがい)に付嘱すべし。

若し壇経の稟承無き者は、即ち南宗の弟子に非ず。

未だ稟(う)くる所を得ざるに縁りて、頓法を説くと雖も、

未だ本心に契(かな)わず、終に諍(あらそ)いを免れず。

但し法を得し者は、只だ修行を勧む。

諍(あらそ)いは是れ勝負の心にして、道と相い違う。



注:

南宗の弟子: 慧能の宗旨は、南天竺から来た達磨の宗旨だと言う意味。



 現代語訳:



大師は教えを説いて世人を導き、教化すること、四十年間であった。

その間、諸宗の人が大師に難問を出した。

その数は出家や在家を合わせてほぼ千人以上もあり、みな悪意をもって難問した。

 師は言った、

あらゆるものをすべて除き去ったところには、なんの名称も立てようはない

ただ自性の唯一無二の在り方に仮に名をつけて、実性と呼ぶことにしよう

この実性を基礎として、すべての教門を建てるのだ

そのことを、言下に、理解しなければならない。」

人々はこの話を聞くと、皆額を地につけて礼拝し、

大師を師と仰いで仕えたいと願い、弟子になりたいと願い出た。

このような弟子は数えきれなかった。

もし師の教えの根本義ということになれば、

「壇経」を伝授された者は、師から法を直伝されたのであり、

必ず、場所と年月日と時代と姓名を明らかにして、順々に弟子に授け与える。

もし壇経を師から伝授されていないなら、それは南宗の弟子ではない。

そういう者は師から嗣法していないから、

口では頓悟の教えを説いても、まだ心底から分かってはいない。

結局は黒白をいい争うことになる。

ただ師から法を嗣いだ人は、ひたすら修行してほしいものである。

いい争いをするのは、勝負の心であり、それは仏道にそむく。



コメント:



六祖慧能は40年間教えを説いて教化した。

しかし、その布教は順調ではなく、千人以上もの諸宗の人が、

諸宗の人が難問を出し、悪意をもって難問した。

六祖は言った、

あらゆるものをすべて除き去ったところには、なんの名称も立てようはない

ただ自性の唯一無二の在り方に仮に名をつけて、実性と呼ぶことにしよう

この実性を基礎として、すべての教門を建てるのだ

そのことを、言下に、理解しなければならない。」

この言葉には

慧能の「自性の思想」には自性から実性へと思想の深化発展

があったことを示唆している。

この実性(=自性)を基礎として、すべての教門を建立する。

という言葉が特に印象的である。

六祖は嗣法の弟子には「壇経」を伝授しその証拠にした。


9章 南北二宗見性門  



9.1

9.1 北宗門下の志誠の参門



原文

世人は尽く南能北秀と言うも、未だ事由を知らず。

且つ秀大師は刑南当陽県の玉泉寺に在りて住し、

能大師は詔州(しょうしゅう)城の東西四十五里の曹渓山に在りて住す。

法は本より一宗にして、人に南北有るのみ。

何をか頓漸と名づくる。法は即ち一種にして、見に遅疾有るのみ。

法には頓漸無く、人に利鈍有るのみ。故に頓漸と名づく。

秀は、能師の説法は径疾に見性を直示すと聞き、

遂に門人志誠に命じて曰く、

「汝は聡明多智なり。吾が与に曹浸山に到って、礼拝して但坐して聴法すべし。

吾れ汝をして来たらしむと言うこと莫れ。

汝若し聴き得ば、心を尽して記取し、却り未たって吾れに説け。

彼の所見、誰か遅く誰か疾きかを看ん。

火急ぎ早く未たれ。吾れをして怪しましむること勿れ。」

志誠礼拝して便ち行き、五十節日を経て曹渓山に至る。

師を礼して坐して聴き、来処を言わず。

志誠一聞して言下に便ち悟り、即ち起って礼拝して、自ら言う、

「和尚よ、弟子は玉泉寺秀和尚の処に在りて学道すること九年なるも、

契悟すること得ず。今ま和尚の一説を聞いて、忽然として悟解し、便ち本心に契う。

和尚大慈、弟子生死事大なり、又だ輪廻を恐る。願わくは当に教示したもうべし。

師曰く、「汝は玉泉寺より来たらば、応に是れ細作(さいさく)なるべし。」

対(こた)えて曰く、「是(しか)らず。」

師曰く、「何ぞ是らざることを得ん。」

対えて曰く、「未だ説(い)わざれば即ち是り。説い丁(おわ)れば是らざるなり。」

師曰く、「煩悩と菩提も、亦復(また)是(かく)の如し。」

師は志誠に問うて曰く、「吾れは聞く、汝が禅師は学人に教示するに、

唯だ戒定慧を伝うるのみと。未審(いぶかし)、汝が師の戒定慧を説く、

行相は如何。吾が与に説き看よ。」

志誠曰く、「秀和尚は説く、『諸悪作さざるを名づけて戒と為し、

諸善奉行するを名づけて慧と為し、自ら其の意を浄うするを名づけて定と為す。

此れは是れ戒定慧なり』と。

彼の説は此の如し。未審、和尚の所見は如何。願わくは為に解説したまえ。」

師曰く、「秀和尚の所見は実に不可思議なり。吾が所見の戒定慧は又だ別なり。」

志誠和尚に啓す、「戒定慧は只だ合に一種なるべし。如何が更に別なる。」

師曰く、

「汝が師の戒定慧は、大乗の人を接(むか)う。吾が戒定慧は、最上乗の人を接(むか)う。

悟解は同じからず、見に遅疾有り。汝聴いて、吾が説は彼と同じきや。

吾が説く所の法は、自性を離れず。体を離れて法を説くは、名づけて相説と為す。

自性常に迷えり。須らく知るべし、一切の万法は、皆な自性より用を起こす。

是れ真の戒定慧等しき法なり。常に自性自心を見る。

即ち是れ自性の等しき仏なり。吾が心地に非無きは自性の戒なり。

心地に痴無きは自性の慧なり。心地に乱無きは自性の定なり。

汝が師の戒定慧は小根智の人に勧む。吾が戒定慧は大根智の人に勧む。

若し自性を悟れば、亦た菩提涅槃を立てず。亦た解脱知見を立てず。

一法の得べき無くして、方に能く万法を建立す。是れ真の見性なり。

若し此の意を解れば、亦た仏身と名づけ、亦だ菩提涅槃と名づけ、

亦た解脱知見と名づけ、亦た十方国土と名づけ、亦た恒沙数と名づけ、

亦た三千大子と名づけ、亦た大小蔵・十二部経と名づく。

見性の人は、立つるも亦た得(よ)し、立てざるも亦た得(よ)し。

去来自由にして無滞無擬、用に応じて随って作し、

語に応じて随って答え、普ねく化身を見して、自性を離れず。

 即ち自在神通、遊戯三昧の力を得るを、此れを見性と名づく。」

 志誠再び和尚に啓すらく、「如何なるか是れ立せざるの義。」

師曰く、「自性は非無く、痴無く、乱無し。

念念に殼若もて観照して、常に法相を離れ、自由自在にして縦横 

尽く得て、何の立つべきものか有らん。自性は自ら悟り、

頓悟頓修して亦た漸次無し。

所以に一切の法を立てず。仏は寂滅と言う。何の次第か有らん。」

志誠は礼拝して、便ち唐渓に住り、門人と為らんことを願い、左右を離れず。



注:

荊南当陽県玉泉寺: 湖北省当陽県西三十里にあり、

古く覆船山といわれたところで、隋代に晋王場広が天台智顎のために

玉泉の額を与えて天台の道場としてから玉泉山という。

玉泉寺は隋開皇十二年(西暦592年)に、智顎の創建にかかる。

今日では臨済宗に属し、末寺に度門寺、大通寺がある。


志誠: 『伝燈録』巻五に、吉州太和(江西省吉安県の南方泰和県)の人という。


細作(さいさく): まわしもの。スパイ。間者(かんじゃ)。


諸悪莫作: 『増一阿含経』に出ている七仏通戒偈といわれる有名な偈文。

諸悪を作すこと莫れ、諸善を奉行せよ、自ら其の意を浄う する、是れ諸仏の教なり。」

を七仏通戒偈と言う。神秀はこの偈を三分割して、

「諸悪を作すこと莫れ、」の部分を戒に当て、

「諸善を奉行せよ」の部分を慧に当て、「自ら其の意を浄うする」の

部分は定について言っていると志誠は言う。

「原始仏教その1」の<七仏通戒偈>を参照)。


一切の万法は、皆な自性より用を起こす。:

すべての存在はみな自性の働きである。

これは唯識論の考え方に基づいている。

この考え方は馬祖禅の<作用即性>と同じである。

馬祖道一の禅思想を参照)。

すべての存在はみな自性(脳)の働き(認識作用)から生まれるという意味。

この考え方は脳の認識作用を重視する唯識論の考え方に基づいていると言えるだろう。


仏身: 自性の三身仏をさす。

自性の三身仏を参照)。


自在神通 : 何ものにもとらわれないのびのびとした働き。


頓悟頓修: ここでは自性の立場から頓悟頓修を強調している。


漸次無し: 段階というものがない。


仏は寂滅と言う。: 『法華経』方便品には、

釈尊(ブッダ)は「是の法は示すべからず、言辞の相、寂滅すればなり。」、

また「諸法は本来常に自ら寂の相なり。」

と言ったという経文が見られる。



 現代語訳:



 世間の人はみな、南の恵能、北の神秀というけれども、そのわけが分からない。

神秀大師は湖北省当陽県の玉泉寺の住職、恵能大師は広東省詔州城の東方四十五里にある

曹渓山の住職である。

2人が受け継いだ法は元々同じ一宗であり、ただ南方の人と北方の人という違いがあるだけだ。

何を頓教・漸教と呼ぶのか。

2人が五祖から受け継いだ教は同一であり、悟りに遅速の差があるだけだ。

教えそのものには頓漸の別はなく、人に利鈍の差があるだけで、

それで頓と漸に分けていうだけのことである。

 神秀は、恵能禅師の説く教えが、じかに見性することを指示するという評判を聞いて、

弟子の志誠にいいつけた、

君は利発で智慧があるから、私のために曹渓山に行って禅師を礼拝し

ただ坐って教えを聞いてまいれ。私が君をよこしたといってはならぬ

もし聞き取ったなら、精魂つくして覚えこみ、帰ってきて私に話してくれ

彼の見解からして、誰が遅く誰が速いかを判断しよう

急いで戻ってくるのだ。私を不審がらせないように。」

 志誠は礼拝してすぐに出かけ、五十日余りして曹渓山に着いた。

志誠は、大師を礼拝して坐って教えを聴聞したが、どこから来たかはいわなかった。

志誠は恵能の説く教えを聴聞するなり一言の下にはたと 悟り、

さっそく立って礼拝して、自分からいい出した、

和尚、私は玉泉寺の神秀和尚の所で、仏道を九年間学んでまいりましたが

悟ることができませんでした。いま和尚のお言葉を聞いて

はたと悟り、本心に契合しました

和尚の大慈悲におすがり申します。私には生死は大問題です

また輪廻も恐ろしいです。どうかご教示を下さい。」

師は言った、

玉泉寺から来たというなら、スパイであろう。」

志誠は答えて言った、

そうではありません。」

師は言った、

そうでないとどうしていえるのか。」

志誠は答えて言った、

白状しないうちはそうでございましたが

白状しましたからにはそうではございません。」

師は言った、

煩悩と悟りの関係もそれと同じだぞ。」

師は志誠に尋ねて言った、

君の禅師は、学人に教えるのに、ただ戒定慧を伝授するだけだというが

君の師の説く戒定慧の実践法はどうなのか、いってみてくれ。」

志誠、「秀和尚の申されますに、『もろもろの悪を行なわないのが戒とであり

諸々の善を行うのが慧で、自ら心を清くするというのが定である

これが戒定慧である。』

と。あのかたの説は以上の通りです

さて和尚様のお考えはどのようでございますか。どうかお説き下さい。」

師は言った、

神秀和尚の説くところは実に不可思議であり、私の説く戒定慧はそれとは違っている。」

志誠は言った、

戒定慧は一つしかないはずです。どうしてまた違うのでしょうか。」

師は言った、

君の師匠の戒定慧は、大乗の人を教えるものである

私の戒定慧は最上乗の人を教えるものである。悟りも同じでないし

考え方も遅速の別がある。どうかね、私の説は彼と同じと思うかね

私の説く教えは、自性を離れないのだ

自性の本体からはずれた教えの説き方は、形だけの説き方である

自性はよく迷う。すべての存在はみな自性の働きであると知るべきであり

これがほんとうの〈戒定慧はみな等しい〉という教えである

常に自性と自己の心を見ること、それが自性そのまま仏である

わが心には咎はない、そのことが自性にそなわる戒である

わが心には愚かさはない、そのことが自己の本性にそなわる慧である

わが心には乱れはない、そのことが自己の本性にそなわる定である

君の師が説く戒定慧は、資質の劣った者を導くものである

私が説く戒定慧は、資質のすぐれたものを導くのだ

もし自性を悟ったら、菩提や涅槃も立てる要はなく、解脱知見も立てる要はない

物としてとらえ得るものは一つもないと分かって

はじめて万法を建立することができるのだ

これが真の見性ということだ

もしこの意味が分かれば、自性を仏身と呼んでも、菩提・涅槃と呼んでも

解脱知見と呼んでも、十方国土と呼んでも

恒河(ガンジス河)の砂の数と呼んでも、三千大千世界と呼んでも

大蔵小蔵の十二部経と呼んでもよい

見性した人は、ものをうち立てるのもよいし、うち立てないのもよい

行くのも来るのも思いのままで、とどこおりなく、さまたげなく

機に応じて思うままに働き、言葉に応じて思うままに答える

どこにでも相手に応じて自由に変化の身をあらわし、しかも自己の本性から動かない

つまり、自由で霊妙な働きと、遊びの三昧境を手に入れること

これが見性というものである。」

 志誠は重ねて和尚に申し上げた、

どうあるのが、ものをうち立てないことでしょうか?」

師は言った、

自性には、本来咎もなく、愚かさもなく、乱れもない

一念一念に自性に具わる般若の智はものの真実を照見し

常にものの形を離れて自由自在であり、すべてに思うがままに働きかける

そこにはうち立てるものなど、どこにもない

自性は自らを悟るのであり、一挙に悟り、一挙に行じ、段階というものがない

だから一切の法を打ちたてないのだ。仏は寂滅と言った

そこに何の仔細があろう。」

志誠は礼拝して、そのまま曹渓に留まり、

弟子となることを願い、師のお側を離れなかった。



解釈とコメント:



慧能と志誠の問答の中で、

慧能の詰問、「玉泉寺から来たというなら、まわしものであろう。」に対し、

志誠は答えて言った、「そうではありません。」

慧能は言った、「そうでないとどうしていえるのか。」

志誠は答えて言った、「白状しないうちはそうでございましたが

白状しましたからにはそうではございません。」

これに対し慧能は、「煩悩と悟りの関係もそれと同じだぞ。」と言う。

この「煩悩と悟りの関係もそれと同じだぞ。」という慧能の言葉の意味が分かり難い。

これは悟る前には心には迷いや煩悩がある。しかし、悟って心が正直で素直になってしまえば、

煩悩や迷いの気持ちも無くなって素直な気持ちになる。

その正直で素直な気持ちが悟りの心だと言っていると考えることができる。

志誠は慧能に会う前には、神秀の命令を守って、

慧能の指導法と内容を盗み取るというやましさが迷いや煩悩となって心に引っかかっていた。

しかし、慧能の前で正直に白状しまった今では、煩悩の心は無くなり、

志誠の心は正直で素直になってしまった。

即ち、志誠は慧能に会う前には、神秀の命令を守って、煩悩で満たされていた。

しかし、慧能に会って、正直に白状しまった今では、

煩悩の心は無くなり、志誠の心は正直で素直になってしまった。

この変化の様子を慧能は、「煩悩と悟りの関係もそれと同じだぞ。」

と言っていると考えることができよう。

この章では神秀と慧能の三学「戒定慧」に対する考え方の違いが際立っている。

神秀は『もろもろの悪を行なわないのが戒で、諸々の善を行うのが慧で

自ら心を清くするのが定である。』と説く。

これに対し慧能は、「神秀が説く戒定慧は、大乗の教えである

私の戒定慧は最上乗の人を教えるものである。悟りも同じでないし

考え方も遅速の別がある。」と言う。

慧能は、「私の説く教えは、自性を離れないのだ

自性の本体からはずれた教えの説き方は、形だけの説き方である。自性はよく迷う

すべての存在はみな自性の働きであると知るべきであり

これがほんとうの〈戒定慧はみな等しい〉という教えである。」と説く。

戒定慧について、慧能は、「 常に自性と自己の心を見ると

自性(真の自己=健康な脳)がそのまま仏であることが分かる

そのような自性(真の自己=健康な脳)の働きである心には咎はない

そのことが自性にそなわる戒である

そのような自性(真の自己=健康な脳)の働きには愚かさはない

そのことが自己の本性にそなわる智慧である

そのような自性(真の自己=健康な脳)の働きには乱れはない

そのことが自己の本性にそなわる定である。」

と言っているのである。

このように、慧能の考えでは、

戒定慧は同じ自性(真の自己=健康な下層脳中心の脳=仏性)の働きであるから、みな等しい

と言っていることが分かる。

次の図12と図13に「神秀が説く戒定慧」の思想と「慧能が説く戒定慧」の思想を示す。



図12

 図12神秀が説く「戒定慧」の思想



図13


 図13慧能が説く「戒定慧」の思想


図12の「神秀が説く戒定慧」の思想は、戒、定、慧と三つに分けて分析的に説いている。

慧能は「この考え方は「大乗仏教が説く常識的なものだ」と言う。

しかし、図13に示した「慧能が説く戒定慧」の思想では、

戒定慧は同じ一つの自性(真の自己=健康な下層脳中心の脳=仏性)の働きである。

慧能は、「戒定慧」は三つに分けて考えるべきものではなく、

一つの自性(真の自己=健康な下層脳中心の脳=仏性)から出た働きだから三つではなく、等しい

と考えているのである。

神秀と慧能の違いは明らかである。

このようにして、

インド仏教以来の伝統的修道論である三学(戒・定・慧)は定(禅定)一つに統一されてしまうのである。


「戒・定・慧」の三学は仏教に共通する基本的修道論である。

もし、三学が定一つに統一されれば

禅定一つにしぼって修行をすれば仏になることができる。

そうなれば、仏教の諸宗派も禅定修行に専念することによってに統一できるかも知れない。

この観点に立てば、慧能が説く三学統一の思想は禅による仏教の統一の可能性を示している。


三学統一の思想は極めて重要な考え方と言えるだろう。

禅の思想13.9「三学の統一」を参照)。




「六祖壇経」の参考文献


1.伊藤古鑑訓註、其中堂 六祖法宝壇経 1967年

2.中川孝 著、たちばな出版、タチバナ教養文庫、六祖壇経、2012年

3.鈴木大拙著、角川書店、角川ソフィア文庫、禅とは何か、1999年

   

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