作成:2017年7月22日〜8月17日 表示更新:2021年4月25日

古鏡:その2

   
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「古鏡」その2について



 鏡は自分自身のすがたを映すものである。

古い生命の歴史を反映した脳(仏性)のはたらきを古い鏡にたとえて「古鏡」と言っている。

本来の自己」である古鏡(脳)を磨くため、坐禅をすることが禅の修行とされている。

『正法眼蔵』「古鏡」の巻を19文段に分け

ここでは第11文段〜第19文段を合理的(科学的)観点から分かり易く解説したい。



11

 第11文段


原文11 


ときに玄沙いはく、「某甲はすなはちしかあらず」。

雪峰いはく、「なんぢ作麼生(そもさん)?」

玄沙いはく、「請すらくは和尚とふべし」。

いま玄沙のいふ「請和尚問」のことば、いたづらに蹉過すべからず。

いはゆる和尚問の来なる、和尚問の請(しん)なる、父子の投機にあらずば、

為甚如此(甚と為てか此の如くなる)なり。

すでに「請和尚問」ならん時節は、恁麼人さだめて問処を若会すべし。

すでに問処の霹靂(びゃくりゃく)するには、無廻避処(むうぃひしょ)なり。


注:

 某甲: 自称の代名詞。それがし、わたくし。

 作麼生(そもさん): 俗語で疑問の憲味を表わす言葉。どうして。

どうする、どうしたの意。

父子: 雪峰禅師と玄沙和尚との師弟関係が

父子のように緊密であることを比喩的に表現している。 

投機: 機に投ずること、機につけ込むこと。

機とははずみ、現在の瞬間における事態のあり方。

  為甚如此: なんとしてか、かくのごとくなるの意。

どうしてこのようなことが起り得よう。

請和旬問: 恐縮ですが、あなたからもう一度同じ質間をなさって見て下さい。

 恁麼人: 例の人、あの人、すでに真理を把握した人。

さだめて: きっと、必ず。

問処: 質問の個所。

 若会: 会するが若しの意で、

すでに理解してしまっているのに違いないという意味を表わす。

霹靂(びゃくりゃく):  雷が急にはげしくなること。

ここでは雪峰禅師の質問のはげしさを比喩的に表現している。

無廻避処(むうぃひしょ): 廻避の処無し。廻避は逃げ廻ること。 

廻避しようとしても廻避する場所がないの意。



現代語訳

その時玄沙は言った、

私の場合はそうではありません。」 

雪峰は言った、

それではお前の場合はどうか?」 

玄沙は言った、

恐縮ですが、和尚からもう一度同じ質問をして下さい。]。

ここで玄沙和尚が

恐縮ですが、あなたからくもう一度同じ〉質問をして下さい。」

 と言っている言葉を、何も気付かずに通り過ぎてしまってはならない。

ここに言っているように、雪峰が実際に質問したことも、

玄沙が雪峰からの質問をお願いしたことも、

2人の間柄が父と子との間のように緊密であるからである。

2人の間柄が父子が相応じるような緊密な関係でなければ、

どうしてこのような問答が起り得ようか。

すでに玄沙が 

和尚からもう一度同じ質問をして下さい。」 

といった時点では、玄沙は質問の急処をほとんど理解していたに違いない。

また雪峰から雷のような激しい質問がされた際には、

それから逃げ廻ろうとしても逃げきることができない程質問は激しかったのである。



解釈とコメント

第6文段で見たように玄沙和尚の質問、

突然、明鏡が出現したらどうなりますか?」

に対し 

雪峰禅師は

胡人も中国人も共に姿を隠す。」

と言った。

これに対し、玄沙は、

私の場合はそうではありません

と言った。

そこで雪峰禅師は、

お前の場合はどうか?」

と聞く。

玄沙は、

和尚さん、あなたから、もう一度同じ質問をして下さい

と言う。

そこで、雪峰禅師は言った、

突然、明鏡が出現したらどうか?」

すると玄沙は

一切の事物がこなごなにくだけ落ちます

と答えた。



道元は玄沙和尚が

恐縮ですが、あなたからもう一度同じ質問をして下さい。」 

と言っている言葉を、何も気付かずに通り過ぎてしまってはならないと言う。

玄沙が雪峰からの質問をお願いしたことは、

2人の間柄が父と子との間のように緊密であるからできたことである。

2人の間柄が父子が相応じるような緊密な関係でなければ、

どうしてこのような問答が起こるだろうかと言う。

玄沙が 

和尚からもう一度同じ質問をして下さい。」

といった時には、玄沙はすでに質問の急処をほとんど理解していたに違いないと言う。

また雪峰から

忽ちに明鏡来に遇はん時、如何(突然、明鏡が出現したらどうか)?」

雷のような激しい質問がされた際には、

それから逃げ廻ろうとしても逃げきることができない程質問は激しかったと言っている。



12

 第12文段


原文12


雪峰いはく、「忽ちに明鏡来に遇はん時、如何?」

この問処は、父子ともに齢究する一条の古鏡なり。

玄沙いはく、「百雑砕」。

この道取は、百千万に雑砕するとなり。

いはゆる「忽遇明鏡来時」は、「百雑砕」なり。

百雑砕を参得せんは明鏡なるべし。

明鏡を道得ならしむるに、「百雑砕」なるべきがゆゑに。

雑砕のかかれるところ明鏡なり。

さきに未雑砕なるときあり、のちにさらに不雑砕ならん時節を管見することなかれ。

ただ百雑砕なり。

百雑砕の対面は、孤峻の1なり。

しかあるにいまいふ百雑砕は、古鏡を道取するか、明鏡を道取するか、

更請一転語(更に一転語を請う)となるべし。

また古鏡を道取するにあらず、明鏡を道取するにあらず。

古鏡・明鏡はたとひ問来得なりといへども、玄沙の道取を擬議するとき、

沙礫牆壁のみ現前せる舌端となりて、百雑砕なりぬべきか。

砕来(すいらい)の形段作麼生。

万古碧潭空界月


注:

 一条: 一すじ。玄沙和尚と雪峰禅師の間にある共通の鏡であることを表している。

 管見: くだの穴から見る。また、その見た所。

転じて狭い見識のたとえ。また自己の見識の謙称。

対面: おもてを合わせること。向う側。 

 孤峻:   孤は孤独、峻はそばだつ。孤峻とはひとりそばたつこと。

更請一転語(更に請う一転語): 転語とは転換した言葉、

内容は同一であるが表現を異にした別の言葉。

「更請一転語」とは同じ内容をさらに別の言葉でもう一度お示し下さい」の意。

問来得: 問い来たり得たりの意。

質問を重ねてここまで来ることができた。

 擬議:   擬ははかる。議もはかる。擬議とは考え、論議すること。

 舌端:  舌の先。事物の端で外に露出している部分。 

形段:  形はかたち。段はしな、種煩。形段は形や種類。

砕来(すいらい)の形段作麼生: 百雑砕した形はどのようなものだろうか?

 万古: 千万年のむかし、悠久の過去。永遠。

 碧潭: 碧い淵。水が深く、青緑色に見える淵。

空界: 空は天空。界はさかい。空界とは天空、空間。


現代語訳

雪峰の「突然明鏡が古鏡の前に出現したらどうなるのか?」という質問は、

父(雪峰)と子(玄沙)が同時に参究する共通の古鏡(自己本来の面目)の問題である。

玄沙和尚が言った「百雑砕」という言葉は、

一切の事物が百千万といった細片に砕けてしまう」という意味である。

百雑砕」を実感できるのは、明鏡であろう。

明鏡を言葉で表現すれば、「百雑砕」 であるからである。

こなごなに砕け散ったものが降りかかる所」こそが、明鏡である。

こなごなに砕ける以前の状態があるとか、

今後さらにこなごなに砕け落ちない時期があろうなどと狭い立場で考えてはならない。

ただ百千万とこなごなに砕けているのである。

こなごなに砕け落ちた状態が、ただ〈虚空に〉そびえて対峙しているに過ぎない。

いまいうところの、「百千万とこなごなに砕け落ちてしまった状態」は、

古鏡のことをいっているのか、明鏡のことをいっているのか、

さらに別の言葉で表現すべきである。

それは古鏡のことをいっているのでもなく、明鏡のことをいっているのでもない。

古鏡や明鏡は、たとえ質問の対象となり得るとしても、

玄沙和尚の言葉をいろいろと考えて見ると、砂や小石や土塀のような個々の事物だけが、

現実にわれわれの眼前に展開され、

舌先で「百千万とこなごなに砕け落ちた状態」と言ったのであろうか。

百雑砕」の様子はどうであろうかと尋ねられた時、

これを言葉で表現すれば、

永遠の神秘を蔵した碧い淵であり、天空にかかる月

とでも言えるのではないだろうか。



解釈とコメント


雪峰の「突然明鏡が古鏡の前に出現したらどうなるのか?」という質問において

古鏡とは(下層脳中心の自己本来の面目)と解釈できる。

明鏡とは大脳新皮質の理知脳を中心とする悟りの智慧を明鏡に喩えた表現だと考えることができる。

突然明鏡が古鏡の前に出現したらどうなるのか?」とは

突然明鏡のような悟りの光が閃いたらどうなるのか?」

と雪峰は悟りの瞬間について質問していると考えることができる。

父(雪峰)と子(玄沙)が同時に参究するのは古鏡(自己本来の面目)とは何かという問題である。

玄沙が言った「百雑砕」という言葉は、

自己への執着や昔からの牢固たる迷いなど一切の事物が砕け散ってしまう(心身脱落)」

という意味になるだろう。

これは見性体験を「百雑砕」という言葉によって表現したと考えれば分かり易い。

百雑砕」の様子について、言葉で表現すれば、

永遠の神秘を蔵した碧い淵であり、天空にかかる月」と言っている。

この言葉は

見性と悟りの境涯(心境)を詩的に表現した言葉だといえるだろう。



13

 第13文段


原文13


雪峰真覚大師と三聖院慧然禅師と行次に、ひとむれのミ猴(みこう)をみる。

ちなみに雪峰いはく、このミ猴、おのおの一面の古鏡を背せり。

この語よくよく参学すべし。ミ猴といふはさるなり。

いかならんか雪峰の見るミ猴。かくのごとく問取して、さらに功夫すべし、

経劫(きょうこう)をかへりみることなかれ。

「おのおの一面の古鏡を背せり」とは、

古鏡たとひ諸仏祖面なりとも、古鏡は向上にも古鏡なり。

「ミ猴おのおの面面に背せり」といふは、面面に大面小面あらず、一面古鏡なり。

背すといふは、たとへば絵像の仏のうらをおしつくるを、背すとはいふなり。

ミ猴の背を背するに、古鏡にて背するなり。

使得什麼糊来(いかなる糊をか使得し来る)。こころみにいはば、

さるのうらは古鏡にて背すべし。

古鏡のうらはミ猴にて背するか。古鏡のうらを古鏡にて背す。

さるのうらをさるにて背す。

各背一面のことば、虚設なるべからず、道俗是の道得なり。

しかあればミ猴か古鏡か、畢竟作麼生か道わん。

われらすでにミ猴か、ミ猴にあらざるか、たれにか問取せん。

自己のミ猴にある、自知にあらず、他知にあらず、自己の自己にある、模索およばず。 


注:

三聖院慧然禅師: 臨済義玄禅師の法嗣。「臨済録」の編者。

鎮州の三聖院において教化を行なった。伝記は明らかでない。

ミ猴(みこう):猿の一種。大猿。

顔は赤色、頬にふくらみがある。毛は灰褐色、尻尾は短い。

背す: 背中につける。

功夫:工役をいう。仕事。

また思慮をめぐらすこと、考えること。

経劫:劫を経ること。非常に長い時間を経過すること。

諸仏祖面:諸仏諸祖の姿。

向上:向下の反対。上に向うこと。

ここでは仏祖の境涯を超越した境涯を意味している。

使得什麼糊来: どんな糊を使用してきたか。

虚設 : むなしい設定。仮設。

 道得是:道得とはものをいうこと、なんらかの主張をすること。

這得是とは、主張が妥当であるの意。真理にかなった主張。 

畢竟作麼生か道わん:結局、どのように表現したらよいであろうか。 

自知にあらず:知覚の問題ではない。

摸索:手さぐりでさがすこと。



現代語訳

雪峰真覚大師と三聖院の慧然禅師が連れ立って歩いていた際に、一群の大猿を見掛けた。

そのとき、雪峰禅師が言った、

この大猿達は、それぞれ一枚の古鏡をその背中につけている」。

この言葉をよくよく学ぶ必要がある。

ミ猴というのは、猿のことである。

雪蜂禅師が見た猿とはどの様であったか。」

 このように質問し、さらに参究して見るべきであり、

非常に長い時間がかかるというようなことを気にすべきではない。

猿がそれぞれ、一枚の古鏡を背負っている」という意味は、

古鏡は元来諸仏諸祖の上に現われるものではあるが、

諸仏諸祖を超越した現実の〈大猿の〉境涯においても、

依然として古鏡であることをいっているのである。

猿がそれぞれ個々に鏡を背負っているという意味は、

大きい猿も小さい猿もそれぞれ別々に大小の鏡を背負っているという意味ではない。

猿が一面の古鏡を背負っているという意味である。

「背す」という言葉の意味は、

たとえば絵に描かれている仏像の裏面に別の紙や絹地を張ること

を背負うというのである。

猿の背中を裏打ちするのに、古鏡で裏打ちするのである。

では一体どんな糊を使用しているのだろうか。」

 試みに答えて見ると、

猿の背中は古鏡で裏打ちする。古鏡の背面は猿で裏打ちするだろうか

古鏡の背面を古鏡で裏打ちするのである。猿の背中を猿で裏打ちするのである」。

各背一面」という言葉は、仮のたとえと受け取ってはならない。

これは真理にかなった言葉の表白である。

そこで〈一群の猿を目して〉猿だといったらよいのであろうか、

古鏡だといったらよいのであろうか、結局どのように言ったらよいのであろうか。

われわれ自身が一体、猿と根源を同じくしているのであろうか、

猿と根源を同じくしていないのであろうか、このことを誰に質問したらよいのであろうか。

自分が猿と根源を同じくしているということも、

自分自身が自覚するのでもなければ、他人によって認識されるのでもない。

また自分が自分自身にほかならないということだから、

あれこれ模索するまでもないことだ。


解釈とコメント

この13文段では雪峰禅師(822〜908)の言葉、

「このミ猴、おのおの一面の古鏡を背せり。

この大猿どもは、それぞれ一枚の古鏡をその背中につけている

をもとに

道元は雪峰禅師の言葉「鏡を背負っている

という言葉をそのまま信じその意味について考察している。

しかし、この雪峰禅師(822〜908)の言葉は雪峰自身が古鏡が何であり、

どこに在るかについての無知を明示している。

雪峰禅師(822〜908)が生きた唐の時代には

古鏡が心の本源(本体)である脳でありそれが頭蓋骨の中に在る

という正しい知見(情報)がなかった。

古鏡」という言葉のために何か鏡のような平面的なものを

背中につけている」という奇妙な表現をしたものと思われる。

道元はそのまま雪峰禅師の言葉を受け取り信じた。そのため、

猿がそれぞれ個々に〈鏡を〉背負っているという意味は

大きい猿も小さい猿もそれぞれ別々に大小の鏡を背負っているという意味ではなく

猿が一面の古鏡を背負っているという意味である

と理解したと考えられる。

背す」という言葉の意味は、たとえば

絵に描かれている仏像の裏面に別の紙や絹地を張ることを背負うと考えている

のである。

道元はさらに猿の背中を裏打ちするのに、古鏡で裏打ちするのである。

では一体どんな糊を使用しているのだろうか。」

と猿の背中を裏打ちするのにどんな糊を使用しているか。」

と古鏡を猿の背中に裏打ちするための糊(接着剤)が使用されていると信じ、

想像を膨らまし迷走している。

道元は古鏡についての雪峰の言葉をそのまま信じ誤解しているため起きた迷走である。

道元は古鏡とは頭蓋骨の中にある脳の働きを古鏡に喩えていることが分かっていなかった。

脳に対する正しい知見が無かった時代的制約のため、

このような余分な(変な)ことを言ったり、考えているのである。

この誤解は雪峰禅師(822〜908)の言葉、「背す」という言葉が原因である。

雪峰禅師は猿の古鏡

猿の頭蓋骨の中にある脳に対する比喩的表現であるという認識がなかったため、

うっかり、「背す」という言葉を用いた。

道元は古鏡を「背す」というからには

何か平面的な鏡を背負っていると想像したものと思われる。

そこから、たとえば絵に描かれている仏像の裏面に

別の紙や絹地を張ることを背負うと考えたのではないだろうか。

猿の古鏡は猿の頭蓋骨の中に隠れて存在する脳のことであるが、

唐代にはその科学的情報がなかったので、雪峰禅師は「背す」と言ったのである。

雪峰禅師が言った「背す」という言葉の真意がはっきりしなかった。

そこで、道元は、「その意味は、たとえば絵に描かれている仏像の裏面に

別の紙や絹地を張ることを背負うと考えたと思われる。

残念ながら、科学が未発達だった鎌倉時代に生きた道元の全く的外れの想像に基づく説明と言うしかないだろう。



4

 第14文段


原文14


三聖いはく、「歴劫無名なり。なにのゆゑにか、あらはして古鏡とせん」。

これは三聖の古鏡を証明せる一面一枚なり。

歴劫といふは、一心一念未萌以前なり、劫裡の不出頭なり。

「無名」といふは、歴劫の日面・月面・古鏡面なり、明鏡面なり。

無名真箇に無名ならんには、歴劫いまだ胞劫にあらず。

歴劫すでに歴劫にあらずば、三聖の道得これ道得にあらざるべし。

しかあれども、一念未萌以前といふは今日なり。

今日を瑳過せしめず練磨すべきなり。

まことに「歴劫無名」、この名たかくきこゆ、

なにをあらはしてか古鏡とする、竜頭蛇尾。

 このとき三聖にむかひて雪峰いふべし、「古鏡古鏡」と。

雪峰恁麼いはず、さらに「瑕生也(かさんや)」といふは、きずいできぬるとなり。

いかでか古鏡に瑕生也ならんとおぼゆれども、古鏡の瑕生也は、

歴劫無名といふを、きずとせるなるべし。

鏡の瑕生也は全古鏡なり。

三聖いまだ古鏡の瑕生也の窟をいでざりけるゆゑに、

道来せる参究は、一任に古鏡瑕なり。

しかあれば古鏡にも瑕生なり、瑕生なるも古鏡なりと参学する、

これ古鏡を参学するなり。


注:

三聖いわく・・・・:   碧巌録第六十八則評唱に見える。

三聖:  三聖院慧然禅師。

歴劫: 劫は梵語kalpaの音写。

永遠に近い非常に長い時間を指す。歴は経るの意。

歴劫とは長年月を経過すること、永遠を表わす。宇宙の起源以来永遠の年月を指す。

無名:  名付けようがないこと。

証明: 体験し、解明すること。

一心:  ほんの僅かな意識。

一念: ほんの但かの想念。

 未萌以前: まだきざさない以前。

物事が始まろうとする、起ろうとする以前。

劫裏: 劫は永遠。劫裏は永遠という時間の中においての意。

不出頭:  頭は百草頭の意。

不出頭は百草頭すなわち個々の事物が出現しない以前をいう。

日面:  太陽の姿。

月面:  月の姿。

真箇:  正しく、本当に。箇は語助の言葉。

竜頭蛇尾: 竜の頭に蛇の尻尾。

始めは盛んで、終りに衰えることのたとえ。

ここでは「歴劫無名」という表現が非常にすぐれた表現であるのに、

「なにをあらはしてか古鏡とする」という表現が、

理に堕してあまり高くは評価できないことを指している。

 全古鏡:  古鏡のすべてを説き尽くしているの意。

窟:  あな、せまい見方。

一任に: すべて。



現代語訳

三聖禅師は言った

我々が言おうとしているものは宇宙の起源以来永遠の歴史を持つもので名付けようがないものである

何故これを、古鏡というのであろうか?」

これは三聖が体験し解明した一面、一枚の古鏡である。

歴劫というのは、ほんの僅かの意識や想念も、発生していない生命発生以前のことである。

永遠に近い時間の中にあって、生命がまだ発生していない時をいうのである。

名付けようがない(無名)」ということは、

永遠の中における太陽や月の姿であり、古鏡の一面であり、明鏡の一面である。

また 「名付けようがない(無名)」

 ということがまさに文字通りの意味であるならば、

歴劫もまた歴劫などという訳にはいかないだろう。

歴劫をすでに歴劫と呼ぶことができないならば、

三聖禅師の言葉も真理の表現とはいい難いであろう。

そうであっても、ほんの僅かの意識も発現していない以前(一念未萌以前)というのは、

  今日即今のこと(=自己本来の面目のこと)である。

したがってこの今日即今を無駄に過ごさず、自己を練磨すべきである。

全くこの「永遠に無名である(歴劫無名)」という言葉は、有名である。

しかし、三聖の「何を表わそうとして、古鏡というのであろうか」という言葉は、

歴劫無名」という言葉の素晴らしさに比べると、竜頭蛇尾の感がある。

この際、三聖禅師に向って、雪峰禅師はいうべきである、「古鏡古鏡」 と。

しかし雪峰禅師はそのように言わず、「きずが生じた(瑕生也)。」と言った。

これは「きずが出来てしまった」 という意味である。

どうして古鏡にきずなんか生じようかと思われるけれども、

古鏡にきずが生じたという意味は、古鏡に対し、

歴劫無名」というふうに概念規定したことを、きずと言ったのであろう。

古鏡にきずが生じたという言葉は、古鏡のすべてを説き尽くしている。

三聖禅師はいまだ、古鏡にきずが付いたという狭い見方を脱け出していないところから、

それまでに述べて来た参究は、すべて古鏡のきずになってしまっている。

したがって古鏡にもきずは生じ得るのであり、たとえきずを生じたとしても、

古鏡は古鏡にほかならないと学ぶことこそ、古鏡を学ぶことと言える。



解釈とコメント

三聖禅師は「古鏡は宇宙の起源以来永遠の歴史を持つもので

名付けようがない(無名)ものである。」という。

現在の学説では生命は地球が誕生してから6億年ほど経った頃(40億年前)、

海で誕生 したと考えられている。

このように、現代の科学では生命の発生は約38〜40億年前のことで、

決して永遠の昔のこととは考えられていない。

現代では生命や脳の発生発達の問題は科学の研究対象であり、

科学の合理的観点や手法で研究するもので禅で扱う対象ではない。

三聖禅師は「古鏡は宇宙の起源以来永遠の歴史を持つもので

名付けようがないもの(無名)である。」という。

三聖禅師は古鏡の起源を宇宙の起源以来永遠の歴史を持つと言っている。

しかし、ここでは永遠の歴史よりも40億年前の生命誕生 して以来の生命の歴史に

立ち戻って議論した方が分かり易くなると思われる。

そのように考えると、

永遠に無名である(歴劫無名)」とか「古鏡にきずが生じた(瑕生也)。」

という言葉について考えたり、抽象的な議論をする必要がなくなると思われる。

科学のような合理的観点や研究手段のない古代中国の唐代という時代的制約下で、

想像や文学的発想だけで扱うから議論が抽象的で的外れになった印象がある。



15

 第15文段


原文15


三聖いはく、「有什麼死急、話頭也不識(什麼(なに)の死急か有らん、話頭も不識)」。

いはくの宗旨は、たにとしてか死急なる。

いはゆるの「死急」は、今日か、明日か、自己か、他門か、尽十方界か、

大唐国裡か、審細に功夫参学すべきなり。

「話頭也不識」は、「話」といふは、

道来せる話あり、求道得の話あり、すでに道了也の話あり。

いまは話頭なる道理現成するなり。

たとへば話頭も大地有情同時成道しきたれるか。

さらに再全の錦にはあらざるなり。

かるがゆゑに「不識」なり、対朕者不識なり、対面 不相識なり。

話頭はなきにあらず、祇是不識(祇だ是れ不識)なり。

「不識」は条条の赤心なり、さらにまた明明の不見なり。

雪峰いはく、「老僧罪過」。

いはゆるは、「あしくいひにける」といふにも、かくいふこともあれども、しかはこころうまじ。

「老僧」といふことは、屋裏の主人翁なり。

いはゆる余事を参学せず、ひとへに老僧を参学するなり。

千変万化あれども、神頭鬼面あれども、参学は唯老僧一著なり。

仏来祖来、一念万化あれども、参学は唯老僧一著なり。

「罪過」は住持事繁なり。

おもへば、それ雪峰は徳山の一角なり、三聖は臨済の神足なり。

両位の尊宿おなじく系譜いやしからず、青原の遠孫なり、南嶽の遠派なり。

古鏡を住持しきたれる、それかくのごとし。

晩進の亀鑑なるべし。



注:

死急: 坐禅を中心とする仏教特有の用語。火急の大事の意。

話頭: 話。税話。頭は助字。

不識: 意識に上らない、思い付かない。

他門: ここでは自己に対する。自分以外のものの意。

道了:  いいおわる。

大地有情同時成道: 仏陀が、菩提樹下で明けの明星を見て開悟成道した

際に述べた言葉だと伝えられる。

無生物である大地も、生物も、全てが、仏陀の成道と同時に仏道を成就したことを言っている。

自己と外界が一体・一如である時、自己の開悟成道は外界も、自他一如の境地より、

自己と同時に成道したように実感されたことを言っている。

再全の錦: 一度使ってよごれた錦を洗い直したものをいう。

話頭といえども大地有情と同時成道のように、一回限りのものであって、

やり直しのきかないことを、「再全の錦にあらず」という言葉で表現している。

朕に対する者は不識なり:  碧巌録の第一則において、梁の武帝が達磨大師に対して、

「朕に対する者は誰そ」と質問した際、達磨大師が「不識」と答えた箇所からの引用。

「碧巌録」第一則を参照)。

条条の赤心:  条はくだり、すじの意で、

具体的な現実の場面におげる瞬間瞬間をいう。

赤心は赤裸々な心の言味で、真心、純粋な心をいう。

条々の赤心とは現在の瞬間瞬間における純粋な心。

明明の不見: 意識は明々白々でありながら、

特定の対象を見つめない状態をいう。

老僧: 年老いた僧侶。年老いた僧侶の自称。

罪過: つみとが。

屋裏の主人翁:  屋裏は仏祖の屋裏、自家の主人としての真の自己。

神頭:  神のようにすぐれた頭脳。

鬼面:  鬼のようにおそろしい顔。

一碧:  一つの事件、小柄。

仏果祖果:  ある場合には仏祖となり、ある場合には教団の指導者となっての意。

一念万年: 一念は極めて短い時闘。九十刹那を一念という。

万年は極めて長い時間、永遠を意味する。一念万年とはある場合には瞬間に住し、

ある場合には永遠に住することをいう。 

住持事繁:  住持は正しい仏法に止住し、保持すること。

事は小務、仕事。繁は繁忙である。寺の雑務で忙しい。

「住持事繁」という言葉は「従容録」第33則に雪峰の言葉として見える。

「従容録」第33則を参照)。

一角:: 角立の一人の意。角立は衆にぬきんでていることをいう。傑出。

神足:  すぐれた弟子。

尊宿:  年臈高く知徳のそなわった僧の尊称。

系譜:  系図。

亀鑑:  「亀」の甲を焼いて占ったもの。

「鑑」は鏡の意。行動や判断の基準となるもの。手本。模範。



現代語訳

三聖は言った、

どうしてそんなに急ぐのか、その話を知らないのか。不識だよ」。

このようにいう趣旨は、

どうしてそんなに急ぐのか。」

にある。

ここにいう火急の一大事とは、今日のことか、明日のことか、

自分のことか、他人のことか、全宇宙のことか、

大唐国のことかなどについて詳細に思慮をめぐらし、学ぶべきである。

「「話頭也不識(話の糸口さえも頭に浮かんで来ない」

という言葉のうち、

「話」という言葉には、現に話しつつある話もあれば、

まだ話していな話もあり、またすでに話し了った話もある。

 しかしいまここで言う話は、理法が話に現成する話である。

たとえば釈迦牟尼仏が悟った時、

大地有情同時成道(大地も一切の生物も同時に成道する)」

と言ったという話がある。

大地有情同時成道

という釈尊の成道は一回限りのものであって、やり直しはきかない。

そうであるから

話頭也不識(話の糸口でさえ 意識に上らない)」

 というのである。

梁の武帝が達磨に

自分と向い合っている者は誰か?」

 と質問した時、

達磨は 

不識(意識に上らない、知らない)」

 と答えた問答がある。

「従容録」第2則を参照)。

梁の武帝と達磨は相見していたが、相互に意識することはなかったのである。

話の糸口がなかった訳ではない。

ただ「不識(意識に上らない)」

に過ぎない。

不識(意識に上らない)」

とは、現在の瞬間・瞬問における純粋な心境そのものである。

 意識は明々白々でありながら、見る者と見られる者の対立がない状態である。

雪蜂禅師は言った、

老僧の過誤である。」 

この言葉は、

間違って言ってしまった

と言う場合にも、

このように言うことがあるけれども、そのように考えてはならない。

老僧というのは、自家の主人公(真の自己)のことである。

いわゆる余計な事を学ばず、ただ一心に、

自家の主人公(真の自己)を究明するのである。

自己本来の面目は、日常生活において千変万化し、

神頭や鬼面になったりすることもあるが、

参禅参学すべきは、ただ自家の主人公(真の自己)である。

仏祖以来、永い時間が経ったが、

専一に参学すべきは

自家の主人公(自己本来の面目)を明らめ学ぶことである。

 「老僧の罪過(自分が間違っている)」ということがあるとすれば、

寺の雑務で忙しくて参禅参学する時間がないことである。

考えて見ても、雪峰禅師は、徳山宣鑑禅師の抜きん出て優れた弟子であり、

三聖禅師は臨済禅師の最優秀な弟子である。

したがって、この両人は、法系からいっても卑しくない。

雪峰は青原行思禅師の遠孫であり、三聖は南岳懐譲禅師の遠い後継者である。

諸先輩が古鏡を保持し継承し続けて来た姿はこのようである。

このことは我々後進の模範となるものである。



解釈とコメント

ここでは梁の武帝と達磨の問答における達磨の答「不識」から始まって、

三聖禅師の言葉「火急の一大事とは、何か?」

について詳細に思慮をめぐらし、学ぶべきであると言っている。

老僧というのは、自家の主人公(真の自己)のことである。

余計な事を学ばず、ただ一心に、自家の主人公(真の自己)を参学究明すべきである。

自己本来の面目は、日常生活において千変万化し、神頭や鬼面になったりすることもあるが、

参学すべきは、ただ自家の主人公(自己本来の面目)である。

仏祖以来、永い時間が経ったが、

専一に修行すべきは自家の主人公(自己本来の面目)を明らめ学ぶことである。

ここでは、禅の目的である「己事究明」について三聖と雪峰の言葉にふれながら述べている。



16

16文段



原文16

   

雪峰示衆に云く、「世界闊(ひろ)きこと一丈なれば、古鏡闊(ひろ)きこと一丈なり。

世界闊(ひろ)きこと一尺なれば、古鏡闊(ひろ)きこと一尺なり」。

時に玄沙火炉を指して云く、「且く道うべし、火炉闊(ひろ)きこと多少ぞ」。

雪峰云く、「古鏡の闊(ひろ)きに似たり」。

玄沙云く、「老和尚、脚跟未だ地に点かざること在り」。

「一丈」これを世界といふ、世界はこれ一丈なり。

「一尺」これを世界とす、世界これ一尺なり。

而今の一丈をいふ、而今の一尺をいふ、さらにことなる尺丈にはあらざるなり。

この因縁を参学するに、「世界のひろさ」はよのつねにおもはくは、無見無辺の三千大千世界、

および無尽法界といふも、ただ小量の自己にして、しばらく隣里の彼方をさすがごとし。

この世界を拈じて一丈とするなり。

このゆゑに雪峰いはく、「古鏡闊一丈、世界闊一丈」。

この一丈を学せんには、「世界闊」の一端を見取すべし。

また古鏡の道を問取するにも、一枚の薄氷の見をなす。

しかにはあらず。

一丈の闊は世界の闊一丈に同参なりとも、

形興かならずしも世界の無端に斉肩なりや、同かなりやと功夫すべし。

古鏡はさらに一顆珠のごとくにあらず。

明珠を見解することなかれ、方円を見取することなかれ。

尽十方界、たとひ一顆明珠なりとも、古鏡にひとしかるべきにあらず。

しかあれば古鏡は胡漢の来現にかかはれず、縦横の玲瓏に条条なり。

多にあらず大にあらず。

闊はその量を挙するなり、広をいはんとにはあらず。

闊といふは、よのつねの二寸三寸といひ、七箇八筒とかぞふるがごとし。

仏道の算数には、大悟不悟と算数するに、二両三両をあきらめ、

仏仏祖祖と算数するに、五枚十枚を見成す。

一丈は古鏡闊なり、古鏡闊は一枚なり。

玄沙のいふ「火炉闊多少(かろかつたしょう)」、

かくれざる道得なり、千古万古にこれを参学すべし。

いま火炉をみる、たれ人となりてかこれをみる。

火炉をみるに七尺にあらず、八尺にあらず。

これは動執(どうしゅう)の時節話にあらず、新条特地の現成なり。

たとへば是什麼物恁麼来なり。

「闊多」の言きたりぬれば、向来の多少は多少にあらざるべし。

当処解脱(とうしょげだつ)の道理、うたがはざりぬべし。

火炉の諸相諸量にあらざる宗旨は、玄沙の道をきくべし。

現前の一団子(とんす)、いたづらに落地せしむることなかれ、

打破すべし、これ功夫なり。



注:


世界:  客観世界。

闊:  ひろい。広いに同じ。

火炉: ひばち、媛炉。

多少:   多いか少ないか、どれほどの大きさかの意。

脚跟:  くびす、かかと。 

点: かすかにふれる。

而今の一丈: 現実に生きているところの一丈。

因縁: 原因と瑕疵と。上記の説話が行なられた環境とそこにおけるやりとり。

無址:  数限りないこと。

無辺: 際涯のないこと。

三千大千世界:   小千世界と中千世界と大千世界との総称。

一世界は日月、須弥山、四天下、四王天、三十三天、夜摩天、兜率天、楽変化天、

他化自在天、梵世天をいい、これが千個集まったものを小千世界という。

中千世界は小子世界が千個集まったもの、大千世界は中千世界が千個集まったものをいう。

すなわち三千大千世界とは109個の天体からなり立っている古代インドの宇宙観。 

三千大千世界を参照)。

無尽法堺:  無限の宇宙世界。

小量:  小さな思量、浅はかな了見。

隣里の彼方:  隣り村の向う側の意。

無限とか宇宙とかいう言葉を使ってみても、

実際には無限の宇宙を念頭に思い浮かべることができず、

精々隣り村の向う側程度の狭い範囲のものを想定するのが常である

ことを比喩的に指している。

拈ずる: 取り上げる。

形興:   形はかたち。興はおもむき、おもしろみ。

形興はかたちやおもむき。

無端:  はしがない、涯際がない。端は涯際の意。

斉肩:   肩をひとしくする、肩をならべる、同列にならぶ。

同参: 同時に参加する、同時に発現する。

功夫:  思言をめぐらすこと。

明昧:  明るいとくらいと。

方円:   四角いと丸いと。

玲瓏:  冴えてあざやかなさま、光を意味し、

ある場合には容積を意味し、ある場合には数量を意味する。

量:  量はある場合には長さを意味し、ある場合には容積を意味し、

ある場合には数量を意味する。

ここで量とは単に長さとか容積とか数量だけを限定的かつ抽象的に指すのでなく、

それらを合めた綜合的かつ具体的な大きさを指している。

一枚: 全宇宙を一枚におさめるの意。天地一杯。

千古万古: 永久、永遠、とこしえ。

動執: 執着を起動すること、執着をおこすこと。

時節話:  ・・・の時点における説話、話題。

什麼物恁麼来: いい難き何物かが何処からともなく到来するという意味。

本来の面目(=真の自己)の真実は、概念的に表現することはできない。

またその発生の由来を知ることも難しい。

何処から来て、何処に去って行くのかも知り難いものであることを言っている。

禅の思想1、 慧能と南岳懐譲の対話を参照)。

向来:  これまで、従来。向はさきの意。

当処解脱: 現実の場(当処)において一切の迷いから解脱していること。

諸相: 色、形、香りのように感覚的に把えることのできるさまざまな特性。

諸量:   大小、多少とか、数量的に把えることのできる諸特徴。

一団子: 一つのかたまり、問い。

落地: 地面に落すこと。現実の客体を単に物質として

通俗な立場から捉えることを比喩的に指している。

打破: 打ち破ること。通俗的な立場を打ち破ること。



現代語訳

雪峰禅師が衆僧に説示して言った、

世界のひろさが一丈である時、古鏡のひろさも一丈である

世界のひろさが一尺である時、古鏡のひろさも一尺である。」

  そのとき、玄沙は火炉を指さして言った、

では火炉のひろさはどのくらいですか?」

  雪峰禅師は言った、

古鏡の大きさと同じだ。」

玄沙が言った、

老和尚のかかとはまだ地面についていない所がありますね。」 

雪峰禅師は衆僧に言った、

一丈の大きさが世界のすべてである(場合もある)。」

この場合には、世界の大きさは一丈に過ぎない。

雪峰禅師はまた「一尺の大きさが世界のすべてである(場合もある)。」とも言った。

この場合には、世界は一尺の大きさに過ぎない。

そして、この場合一丈とは、今現在における一丈をいうのであり、

一尺とは今現在用いられている一尺をいうのであって、

決して今現在を離れて一丈や 一尺をいうのではない。

この問答について參究して見ると、宇宙のひろさは、常識的には、

無数・無辺の三千大千世界ともいい、無尽法界ともいわれている。

しかし、これはせいぜい自己の認識範囲で無限とか無尽とか言っているだけである。

しかし、これは見識の小さい考え方であって、

たとえていえば隣り村の向う側を指して大宇宙と考えているようなものである。

しかし雪峰禅師はこの世界を取り上げて、ある場合には一丈に過ぎないと言うのである。

したがって雪峰禅師は、

現実に生きている世界のひろさが一丈であるときは、古鏡のひろさも一丈である

現実に生きている世界のひろさが一尺であるときは、古鏡のひろさも一尺である

と言うのである。

この雪峰禅師がいう一丈を学ぼうと考えるならば、

現実に生きている世界のひろさの一端を見なければならない。

また古鏡という言葉を聞いた場合でも、

 世問一般の人々は、一枚の薄氷のようなものを連想するならば、そうではない。

〈古鏡が〉 一丈のひろさであるということは、

現実に生きている世界のひろさが一丈であるということと同時に現成する。

しかし、〈古鏡の〉形や様子が世界の無際涯であるのと同じかどうか、

同時に現成するのかどうかということについてはよく考えて見る必要がある。

古鏡は決して一粒の珠のようなものではない。

玄沙が言った一顆の明珠のことだと考えてはならない。

四角いとか丸いとか考えてはならない。

「一顆の明珠」を参照)。

たとえ全世界が一粒の輝かしい珠であったとしても、古鏡もこれと同じだということではない。

したがって古鏡は、胡人や漢人が来たり映ったりすることとは関係なく、

(鏡〉全体が美しく、玲瓏としている。

古鏡は多いとか大きいとかいう抽象的な概念とは関係がない。

闊(ひろさ)とは、多少とか大小とかというような抽象的な概念を離れ、

綜合的かつ具体的な量を問題にしているのである。

2次元的な広さ(ひろさ)をいおうとしているのではない。

闊(ひろさ)というのは、世間の人が、二寸・三寸といい、七個・八個と数えるようなものだ。

仏道の立場から算える場合には、大悟不悟と算える。

世間での数量とは違うので、二両・三両というように具体的に数え、

仏仏祖祖たり得ているか否かの区別は、

五枚・十枚というように具体的に把え得るか否かによってその実体を見分けるのである。

ここに言う一丈という具体的な大きさこそ古鏡の闊(ひろさ)である。

そしてそうであればこそ、古鏡のひろさは天地一杯である。

玄沙の「火炉のひろさはどのくらいか

という言葉はまぎれもなく真理の言葉である。

無限の歳月をかけて、これを学ぶべきである。

いま媛炉を見る時、誰が見る主体となってこれを見るのだろうか。

暖炉を見る場合、〈その見る人の身長が〉七尺も八尺もあるという訳ではない。

この玄沙の言葉は、迷いを起こした時点における話ではない。

新しい立場からの特別の語である。

たとえば

是什麼物恁麼来(このいい難い何物かが、何処からともなく到来した)」

という事態である。

禅の思想1、 慧能と南岳懐譲の対話を参照)。

闊多少(ひろさはどのくらいか)」

という言葉は、

従来から使われている「多少(どのくらいか)」という言葉と、

この場合の「多少(どのくらいか)」という言葉とは意味が違う。

玄沙の場合はその場において解脱していることは疑いない。

暖炉が感覚的に把えることのできる諸相や数量的に数え得る諸特徴に

尽くされるものではないことは、玄沙の言葉から聞くことができる。

眼の前にある問いを、地に落としてはならない。

通俗的な見方を打ち破るべきである。

これこそ真の精進であり努力である。



解釈とコメント

ここでは、雪峰禅師の示衆の言葉、

世界のひろさが一丈である時、古鏡のひろさも一丈である。世界のひろさが一尺である時、古鏡のひろさも一尺である。」

に注目し、世界のひろさと古鏡のひろさについて議論している。

ここに言う古鏡の闊(ひろさ)とは古鏡(=脳)が認識する闊(ひろさ)である。

即ち、古鏡(=脳)の認識範囲の闊(ひろさ)を意味していると考えることができる。

そのように考えると、雪峰禅師の示衆の言葉、

世界のひろさが一丈である時、古鏡のひろさも一丈である。世界のひろさが一尺である時、古鏡のひろさも一尺である。」は

世界のひろさが一丈である時、古鏡(脳)の認識範囲のひろさも一丈である」。

世界のひろさが一尺である時、古鏡(脳)の認識範囲のひろさも一尺である」。

と言っていることが分かる。

雪峰禅師の説法の最中、玄沙は火炉を指さして

では火炉のひろさはどのくらいですか?」

と質問すると 

雪峰禅師は、

古鏡の大きさと同じである。」

と答える。

雪峰禅師は、

あなたが火炉を見て火炉を認識する時

あなたの脳の認識範囲のひろさは火炉のひろさである。」

と答えているのである。

即ち、雪峰禅師が言いたいことは、

火炉のひろさ=古鏡の大きさ=脳の認識範囲

だということだと分かる。

これに対し、玄沙は、

老和尚のかかとははまだ地面についていない所がある。」

と言う。

この玄沙のコメントは古鏡の大きさ(=脳の認識範囲)

をいくら論じてもそれは禅の本質や参究対象ではではない。

また禅的手段や方法によって解明できる問題ではない。

現代の精密な科学的手段によってはじめて解明出来る問題なのである。

それは古鏡(=脳)の性質の一つに過ぎない。

それにも拘わらず、古鏡の大きさにこだわり続けるのは

雪峰禅師のかかとははまだ地面についていない所があるからだ。」

と玄沙は雪峰禅師を皮肉っていると考えることができるだろう。

そのような玄沙のコメントに対して雪峰禅師は話を中断することなく、衆僧に言った、

一丈の大きさが世界のすべてである場合もある。」

と古鏡の大きさについて話し続ける。

雪峰禅師は、

現実に生きている世界のひろさが一丈であるときは、古鏡のひろさも一丈であり

現実に生きている世界のひろさが一尺であるときは、古鏡のひろさも一尺である

と「現実に生きている世界のひろさ古鏡のひろさが関係している

言う。

この言葉より雪峰禅師は、

現実に生きている世界のひろさ=古鏡の大きさ=脳の認識範囲

と言っていることが分かる。

このように、この文段で頻繁に出て来る

古鏡のひろさ

という言葉は

古鏡(脳)が対象を認識する時の認識範囲

を意味していると考えることができる。

そう考えると、上の雪峰禅師の言葉は、

現実に生きている我々の古鏡(脳)の認識の広がりは

現実に生きている世界のひろさと直接関係あると言っていることが分かる。

道元は「古鏡は決して一粒の珠のようなものではない

玄沙が言った一顆の明珠のことだと考えてはならない。」

と古鏡についてコメントしている。

しかし、古鏡は玄沙が言った「一顆の明珠」とは脳のことであるので

古鏡と「一顆の明珠」とは深い関係がある。

道元が何故このようなコメントをするのか不明である?

道元は古鏡は真の自己である脳と深い関係があることに気付いていなかったのだろうか?

「一顆の明珠」を参照)。

道元は

たとえ全世界が一粒の輝かしい珠であったとしても、古鏡もこれと同じだということではない。」

と述べていることから、

古鏡は下層脳中心の脳(無意識脳)であり、

明鏡(上層脳、理知脳、一顆の明珠)とは違うと、

古鏡と明鏡を区別して言っているとも考えることができる。

しかし、心の本体は心臓にあると考え、

本来の自己と脳の関係がはっきりしていなかった鎌倉時代に

古鏡、明鏡の問題を明快に論じるのは時期尚早だったと言うことができるだろう。



17

 第17文段


原文17


 雪峰いはく、「如古鏡闊」。

この道取、しづかに照顧すべし。

「火炉闊一丈」といふべきにあらざれば、かくのごとく道取するなり。

「一丈」といはんは道得是にて、「如古鏡闊」は道不是なるにあらず。

「如古鏡闊」の行李をかがみるべし。

おほく人のおもはくは、火炉闊一丈」といはざるを道不是とおもへり。

闊の独立をも功夫すべし、古鏡の一片をも鑑照すべし。

如如の行李をも蹉過せしめざるべし。

動容揚古路、不堕悄然機なるべし。

玄沙いはく、「老漢脚跟未点地在」。

いはくのこころは、老漢といひ、老和尚といへども、

かならず雪峰にあらず、雪峰は老漢なるべきがゆゑに。

「脚跟といふは、いづれのところぞ」と問取すべきなり。

「脚跟といふは、なにをいふぞ」と参究すべし。

参究すべしといふは、脚跟とは正法眼蔵をいふか、

虚空をいふか、尽地をいふか、命脈をいふか。

幾箇ある物ぞ、一箇あるか、半箇あるか、百千万箇あるか、恁麼参学すべきなり。

「未点地在」は、地といふは、是什麼物なるぞ。

いまの大地といふ地は、一類の所見に準じて、しばらく地といふ。

さらに諸類、あるひは不可思議解脱法門とみるあり、諸仏所行道とみる一類あり。

しかあれば脚跟の点ずべき地は、なにものをか地とせる。

地は実有なるか、実無なるか。

またおほよそ地といふものは、大道のなかに寸許もなかるべきか、

問来問去すべし、道他道己すべし。

脚眼は点地也是なる、不点地也是なる。作麼生なればか、「未点地在」と道取する。

大地無寸土の時節は、点地也未、未点地也未なるべし。

しかあれば「老漢脚跟未点地在」は、老漢の消息なり、脚眼の造次なり。


注:

照顧 :  照らし見る、照鑑する。

行設:  行為、実践。

動容揚古路、不堕悄然機なるべし:   香厳智閑禅師の投機の偈の一部。

動作は古人の跡をそのまま発揚するようになり、

しょんぼりとしおれることはなくなったのだという意味。

香厳智閑禅師の投機の偈を参照)。

命脈:  生命と血脈と。または、いのちの綱(つな)。

転じて極めて重要な事物をいう。

勤学:  学道につとめること。

 不思議解脱法門: 不思議とは思惟の対象でないという意味。

解脱は迷いや束縛から解き離たれていること。維摩経における維摩居士の所説。

維摩居士はこの現実の世界を、2元対立を超越した解脱の境涯への参入の階程と観じた。

従容録第48則を参照)。

寸許(すんこ):  一寸ばかり、僅かばかり。 

 道他道己:   道は話す、話をする。

道他とは他人と話をすること、他人と論議を重ねること。

道己は自分自身と話をすること、自問自答すること。 

大地無寸土の時節: 心の正体を識得し悟った時、

「正法眼蔵」「即心即仏」の巻(水野弥穂子校注、岩波文庫「正法眼蔵(一)p.147を参照)

点地也是、未点地也是:   かかとが地面に着いているのが良いのだろうか、

またかかとが地面に着いていないのが良いのだろうか。

造次: かりそめの間、わずかの間、現在の瞬間。



現代語訳


雪峰禅師の「如古鏡闊(古鏡のひろさと同じである)」という言葉を、静かに考えて見る必要がある。

 この場合 「暖炉のひろさは一丈である。」というべきではないので、このようにいったのである。

媛炉のひろさは一丈であるということが妥当であって、

如古鏡闊(古鏡のひろさと同じである)」という言葉が妥当でないという訳ではない。

如古鏡闊(古鏡のひろさと同じである)」

という言葉の意味を充分に考えて見るべきである。

多くの人が考えるには、

「媛炉のひろさは一丈である。」といわないことを、妥当でないと考えている。

しかし「闊」というものが一丈とか古鏡とかにわずらわされない

独立した存在であることについても考えて見るべきである。

古鏡についても、それが映るものを離れ、鏡だけの存在である場合を照鑑して見るがよい。

また毎日の生活の場で生き生きと活躍している行為をうっかり見過ごすようなことがあってはならない。

その行李とは香厳智閑禅師の投機の偈に言う

動容揚古路、不堕悄然機

(動作は古人の跡をそのまま発揚するようになり、しょんぼりと落ち込むことはなくなった)」

 といった境地であろう。

香厳智閑禅師の投機の偈を参照)。

玄沙は言った、

老漢脚眼未点地在(ご老体のかかとはまだ地面に着いていないところがある)」。

ここで玄沙が言うところの意味は、「老漢(ご老体)」と称し、

「老和尚」と言ってはいるが、これらは必ずしも雪峰禅師だけを指している訳ではない。

何故ならば雪峰は「老漢」の一人に過ぎないからである。

また

脚跟(かかと)とは一体何処なのか」

と自問して見るべきである。

脚跟(かかと)

という言葉は何をいっているのかと参究して見るべきである。 

参究して見るべきであるとは、

脚跟

とは正法眼蔵をいうのか、

虚空をいうのか、大地全体をいうのか、生命をいうのか

と探究して見ることである。

また

脚跟

とは、幾つあるものか、一個か、半個か、百個か、

千個か、一万個かと、このように懸命に学ぶべきである。

未点地在(地面にまだかかとが着いていないところがある)」

についていえば、

地面という言葉は、一体何を指しているのであろうか。

いま眼の前の大地は、ある人々の見解に従って、仮に地面といっているのである。

さらに他の人々が見た場合、どう言うだろうか。

あるいは維摩居士のようにこの大地を不思議解脱法門と見る人、

〈また〉諸仏が真理を実践修行するための舞台と見る人もいる。

従容録第48則を参照)。

碧巌録84則を参照)。

そうであれば、踵を着ける地面とは、一体何を地とするのか。

地面とは実在するのか、非実在であるのか。

また総じて地面というものは、偉大な真理の中にはほんの少しも存在しないものなのであろうか。

繰り返し質問して見るべきであり、また他人に対して説明もし、自分自身にもいい聞かせるべきである。

一体 踵は、地面に着くことがよいのであろうか。地面に着かないことがよいのであろうか。

どのような状態であったために、

玄沙は

未点地在(まだ地面に着いていないところがある)」といったのであろうか。

心の正体を識得し悟った時には、踵が地面に着いたも着かないもないだろう。

したがって

老漢脚跟未点地在

という言葉は、老漢の在りようであるとともに、

脚跟の機(老漢の自己の正体のはたらき)を言っているのである。



解釈とコメント

ここでも16文段で述べた玄沙の言葉、

老漢脚跟未点地在(ご老体のかかとはまだ地面に着いていないところがある)」

を取り上げて議論している。

玄沙が言っているのは、「老漢(ご老体)」と称し、「老和尚」と言ってはいるが、

これは必ずしも雪峰禅師だけを指している訳ではない。

何故ならば雪峰は「老漢の一人に過ぎないからである。」と述べている。

玄沙の言葉、

老漢脚跟未点地在(ご老体のかかとはまだ地面に着いていないところがある)」

の中に出て来る老漢(ご老体)は雪峰禅師だけを指していない。

何故ならば「雪峰禅師は老漢の一人に過ぎないからである。」と述べている。

これは明らかに理解できない強引な論理である。

雪峰禅師の答、「古鏡の大きさと同じである。」に対し、

玄沙は、

老和尚のかかとははまだ地面についていない所がある。」

と言っているのである。

この場合の老和尚は雪峰禅師を指しているのは明らかで一般的な老和尚について言っているのではない。

それを「雪峰禅師は老漢の一人に過ぎないからである。」と言うのはおかしい。

玄沙の言葉、「老漢脚跟未点地在(ご老体のかかとはまだ地面に着いていないところがある)」

の老漢(ご老体)は明らかに雪峰禅師を指している。

玄沙の言葉、

老漢脚跟未点地在(ご老体のかかとはまだ地面に着いていないところがある)」

は雪峰禅師について批判(orコメント)しているのは明らかである。

しかし、道元はこの文段の後半部で、以下のように述べる。

未点地在(地面にまだかかとが着いていないところがある)」

についていえば、地面という言葉は、一体何を指しているのであろうか。

いま眼の前の大地は、ある人々の見解に従って、仮に地面といっているのである。

さらに他の人々が見た場合、どう言うだろうか。

あるいは維摩居士のようにこの大地を不思議解脱法門と見る人、

また諸仏が真理を実践修行するための舞台と見る人もいる。

そうであれば、踵を着ける地面とは、一体何を地とするのか。

地面とは実在するのか、非実在であるのか。

また総じて地面というものは、偉大な真理の中にはほんの少しも存在しないものなのであろうか。

繰り返し質問して見るべきであり、

また他人に対して説明もし、自分自身にもいい聞かせるべきである。

一体踵は、地面に着くことがよいのであろうか。地面に着かないことがよいのであろうか。

どのような状態であったために、玄沙は

未点地在(まだ地面に着いていないところがある)」

といったのであろうか。

心の正体を識得し悟った時には、踵が地面に着いたも着かないもないだろう。

したがって「老漢脚跟未点地在

という言葉は、老漢の在りようであるとともに、

脚跟の機(老漢の自己の正体のはたらき)を言っているのである。」

といろんなことを述べている。

しかし、これらの議論は全て余分なことであり、考えすぎや強弁にも思われる。

例えば、「老漢脚跟未点地在」という言葉は、

老漢の在りようであるとともに、

脚跟の機(老漢の自己の正体のはたらき)を言っているのである。」

と結論している。

この道元の結論は玄沙の言葉「老漢脚跟未点地在」について、

強引すぎる論理を用いて無理な解釈をしているように思われる。

この17文段の内容については16文段の「解釈とコメント」とを併せて検討すればどれが素直で妥当な解釈になるか分かると考えられる。



18

 第18文段


原文18


ブ州金華山、国泰院弘トウ禅師、ちなみに僧とふ、

「古鏡未だ磨せざりし時如何?」

師云く、

「古鏡」。

僧曰く、

磨後如何?」

師云く、

「古鏡」。

しるべし、いまいふ古鏡は、磨時あり、未磨時あり、磨後あれども、一面に古鏡なり。

しかあれば、磨時は古鏡の全古鏡を磨するなり。

古鏡にあらざる水銀等を和して磨するにあらず。

磨自、自磨にあらざれども、磨古鏡なり。

未磨時は古鏡くらきにあらず。

くろしと道取すれども、くらきにあらざるべし、活古鏡なり。

くろしと道取すれども、くらきにあらざるべし、活古鏡なり。

おほよそ鏡を磨して鏡となす、甎を磨して鏡となす。

甎を磨して甎となす、鏡を磨して甎となす。

磨してなさざるおり、なることあれども、磨することえざるあり。

おなじく仏祖の家業なり。


注:

ブ州:   今の浙江省金扇県内に当る州名。

 国泰院弘トウ禅師 玄砂師備禅師の法嗣。

ブ州金華山岡泰院において教化を行なった。伝記は不詳。

一面に: 一切、すべて。

和す:  まぜる。

磨自:  自分を磨くこと。

自磨: 自分が磨くこと。

活古鏡: 生き生きとしてわれわれの眼前に露呈されている古鏡(脳)の働き。 

 甎:  かわら、しきがわら、よく焼いた固い瓦、煉瓦。

 家業:  家に所属する者の仕事、行為。



現代語訳

ブ州金華山の国泰院弘トウ禅師に、あるとき僧が質問した、

古鏡は、まだ磨かないうちはどのようですか?」

弘トウ禅師は言った、

古鏡である

僧は言った、

磨いた後はどうでしょうか?」

弘トウ禅師は言った、

古鏡である」。

知るべきである、ここにいう古鏡は、磨いている時もあれば、

まだ磨いていない時もあり、またすでに磨いた後もあるが、

これらはいずれも古鏡にほかならない

磨こうが磨くまいが真の自己には変わりがない)。

したがって古鏡を磨くという時には、古鏡のすべてを磨くのである。

古鏡と別の水銀などを混ぜて、古鏡を磨くのではない。

自分自身を磨くとか、自分自身が磨くというのでなく、ただ古鏡を磨くのである。

まだ磨かない時には、古鏡は、暗い訳ではない。

よく暗いといわれているけれども、暗くはないというのが真相であろう。

臨済録の下層脳についてのまとめを参照)。

古鏡は、生き生きとした古鏡そのものである。

一般的に、鏡を磨いて鏡とし、しきがわらを磨いて鏡とし、

しきがわらを磨いてしきがわらとし、鏡を磨いてしきがわらとする場合もある。

またただ磨くだけで何も作らない場合があり、何かが作れる筈であるが、

磨くことができない場合もある。

そしてこれらはいずれも仏祖の仕事である。



解釈とコメント

ここでは国泰院弘トウ禅師と僧の問答を紹介している。

僧の質問、

古鏡は、まだ磨かないうちはどのようですか?」に対し、

弘トウ禅師は、「古鏡である」と答える。

僧の質問、「磨いた後はどうでしょうか?」に対し、

弘トウ禅師は、「古鏡である」と答える。

古鏡(本来の自己である仏性としての脳)は、磨いている時もあれば、まだ磨いていない時もあり、

またすでに磨いた後もあるが、いずれも古鏡にほかならない。

磨こうが磨くまいが真の自己には変わりがないからである

古鏡を磨くという時には、古鏡のすべてを磨くのである。

古鏡と別の水銀などを混ぜて、〈古鏡を〉磨くのではない。

自分自身を磨くとか、自分自身が磨くというのでなく、ただ古鏡を磨くのである。

まだ磨かない時には、古鏡は、暗い訳ではない。

よく暗いといわれているけれども、暗くはないというのが真相であろうと述べている。

道元は「古鏡は、暗い訳ではない

よく暗いといわれているけれども、暗くはないというのが真相であろう

と述べている。これは古鏡は下層脳中心の脳であるが、

上層脳(明鏡)も含んだ脳を古鏡と呼んでいるため暗い訳ではないと述べていると考えられる。

中国曹洞宗の宗祖洞山良价禅師は「洞山録」において、古鏡について

黒きこと漆の如し」という有名な言葉を残しているからである。

臨済録の下層脳についてのまとめを参照)。

雪峰禅師も碧巌録第5則において「漆桶不会(しっつうふえ)

(漆を入れる桶のように黒々として見分けがつかない)」と言っている。

碧巌録5則を参照)。

道元は、この文段の後半部において

古鏡は、生き生きとした古鏡そのものである

一般的に、鏡を磨いて鏡とし、しきがわらを磨いて鏡とし

しきがわらを磨いてしきがわらとし、鏡を磨いてしきがわらとする場合もある

またただ磨くだけで何も作らない場合があり

何かが作れる筈であるが、磨くことができない場合もある

そしてこれらはいずれも仏祖の仕事である。」

と述べている。

この部分は分かり易く書き直すと、

古鏡の働きは、生き生きとし、自己の真実(真の自己)そのものである

一般的に、鏡(脳)を磨いて仏になり、しきがわらを磨いて仏となる

しかし、いくら修行しても悟って仏に成ることができず、もとのままである場合がある

仏になっているのに悟りを自覚できず、仏に成れない場合もある

そしてこれらはいずれも仏祖の仕事である。」

と言っていることになるだろう。

この部分で道元は

修行してスムーズに悟り、仏になる人もいるが

いくら修行してもどうしても悟ることができず、仏になることができない人もいる

これらはいずれも仏祖の仕事である。」

と述べているように思える。

悟ってから成仏するかどうかは仏祖の仕事である

と考えているように見える。

衆生本来仏なり」を主張するのが禅宗である。

しかし、最終的にどうなるかは仏祖の仕事としている」。

この考え方は何か禅的でなく他律的で宗教的であるように思われる。

結論として

道元は、「いくら熱心に修行しても成仏できない場合もある

そしてこれらはいずれも仏祖の仕事である。」

と述べているように考えられる。

この成仏観は自力成仏の禅宗らしくなく、他律的で宗教的である。

道元には少年時代(14才の時)に出家し、学んだ諸仏崇拝の天台教学が染み込んでいるせいだろうか?

禅に集中して悟り仏になるのは何も仏祖の仕事ではない。

己事究明の修行の結果「自己が本来仏である」ことに気付き悟るのが禅宗だし、

そのように指導し成仏に導くのが正師の役割だと考えるのが普通だからである。

現在では正しく学び坐禅すれば悟り仏としての自覚を得るのは道元の時代より容易になっているように思われる。

道元の時代までは坐禅に集中して仏になるのは

仏祖の不可思議な力による仕事だ」と考えられていたのだろうか。



19

 第19文段


原文19


 江西馬祖、むかし南嶽に参学せしに、

南嶽かつて心印を馬祖に密受せしむ、磨甎のはじめのはじめなり。

馬祖伝法院に住して、よのつねに坐禅すること、

わづかに十余成なり。雨夜の草苑おもひやるべし。

封雪の寒鉢におこたるといはず。

南嶽あるとき馬祖の庵にいたるに、馬祖侍立す。

南嶽とふ、

「汝近日作什麼?」。

馬祖いはく、

「近日道一祗管打坐するのみなり」。

南嶽いはく、

「坐禅なにごとをか図する?」。

馬祖いはく、「坐禅は作仏を図する」。

南嶽すなはち一片の甎をもちて、馬祖の裁のほとりの石にあてて磨す。

馬祖これをみて、すなはちとふ、

「和尚作什麼?」

南嶽いはく、

「磨甎」。

馬祖いはく、

「磨甎用作什麼?」

南嶽いはく、

「磨作鏡」

馬祖いはく、

「磨甎豈得成鏡耶」

南嶽いはく、

「坐禅豈得作仏耶」。

この一段の大事、むかしより数百歳のあひだ、

人おほくおもへらくは、南嶽ひとへに馬祖を勧励せしむると。

いまだかならずしもしかあらず、

大聖の行履、はるかに凡境を出離せるのみなり。

大聖もし磨甎の法なくば、いかでか為人の方便あらん。

為人のちからは仏祖の骨髄なり。たとひ構得すとも、なほこれ家具なり。

家具調度にあらざれば、仏家につたはれざるなり。

いはんやすでに馬祖を接することすみやかなり。

はかりしりぬ、仏祖正伝の功徳、これ直指なることを。

まことにしりぬ、磨甎の鏡となるとき、馬祖作仏す。

馬祖作仏するとき、馬祖すみやかに馬祖となる。

馬祖の馬祖となるとき、坐禅すみやかに坐禅となる。

かるがゆゑに甎を磨して鏡となすこと、古仏の骨髄に住持せられきたる。

しかあれば甎のなれる古鏡あり。この鏡を磨しきたるとき、従来も未染汚なるなり。

甎のちりあるにはあらず、ただ甎なるを磨墟するなり。

このところに作鏡の功徳の現成する、すなはち仏祖の功夫なり。

磨甎もし作鏡せずば、磨鏡も作鏡すべからざるなり。

たれかはかることあらん、この作に 作仏あり、作鏡あることを。

また疑著すらくは、古鏡を磨するとき、あやまりて甎と磨しなすことのあるべきか。

  磨時の消息は、余時のはかるところにあらず。

しかあれども南嶽の道、まさに道得を道得すべきがゆゑに、

畢竟じてすなはちこれ磨甎作鏡なるべし。

いまの大も、いまの甎を拈じ磨してこころみるべし、さだめて鏡とならん。

甎もし鏡とならずば、人ほとけになるべからず。

甎を泥団なりとかろしめば、人も泥団なりとかろからん。

人もし心あらば、甎も心あるべきなり。

たれかしらん、甎来甎現の鏡子あることを。

またたれかしらん、鏡来鏡現の鏡子あることを。

正法眼蔵古鏡第十九

 仁治二年辛丑九月九日、

観音導利興聖宝林寺に在りて衆に示す。


注:

江西: 土地の名。長江中流の聊岸の土地。

馬祖道一禅師は江西において、大いに教化を振われたので、

道一禅師のことを江西と呼ぶことがある。

馬祖:  馬祖道一節師。南獄懐譲禅師の法嗣。姓は馬氏。

資州の店和尚の許で出家し、伝法院において坐禅生活を送っていたが、

そこで南獄懐譲禅師と相見し、参侍して仏祖としての心のあり方を伝承した。

その後、江河の馬祖山において説法を行ない、湖南の石頭希遷禅師と並んで双璧といわれた。

七八八年死去。大寂禅師とおくり名された。

語録一巻がある。

弟子に百丈百丈懐海・西宗智蔵・南泉普願・大梅法常などを始め、百三十余人がいたという。

 南嶽: 南獄懐譲禅師(677〜744)。六祖慧能禅師の法嗣。

金洲の人、姓は杜氏。嵩山の安国師の指示で六祖慧能禅節に師事した。

衡獄の般若寺において説法を行ない、七四四年死去。語録一巻がある。

青原行思禅師とともに、六祖下の二甘露門といわれ、

門下から馬祖道一禅師が出てその流派が栄え、臨済宗・イ仰宗が生れた。

心印:  くわしくは仏心印。仏心は悟りの心。

密受:  密は親密の意で、他人をまじえず直接にの意を表わす。

密受は直接に一対一で伝受されたことをいう。

 磨甎: 甎すなわちしきがわらを磨くこと。

南獄懐譲禅師が馬祖辺一禅師に対して坐禅の真の憲味を教えるため、

しきがわらを磨く動作をしたという景徳伝燈録巻五の説話から出ている。

したがって磨甎とは坐禅によって真理の探究に努力することをいう。

 はじめのはじめ:  最初の出発点。

 住す: 住まう。

 封雪の寒牀:  山に閉じ込められた僧堂の寒い坐禅牀。

 侍立: 侍ははべる、目上の人のそばにいるの意。

侍立は目上の人のそばにかしこまって立つこと。

祗管:  只管に同じ。ひたすら、ただ一筋に。

図する:  意図する、目的とする。 

作仏:  仏となること。



現代語訳

江西の馬祖道一は、むかし南獄懐譲禅師に師事した。

南獄は、心印を、馬祖に授けた。

しきがわらを磨くことによって悟ることを、比喩的に表現する説話のはじめである。

当時馬祖は伝法院に止住して、世の常のように坐禅をすること、十余年間に及んだ。

その間、雨の夜の草庵における〈物淋しい〉様子は、充分想像ができる。

しかし馬祖は雪に閉ざされた僧堂の寒い禅牀で〈坐禅を〉怠ることはなかった。

あるとき南嶽が馬祖の草庵に行ったところ、馬祖は懐譲禅師のかたわらに立って出迎えた。

南嶽禅師が質問した、

お前はこの頃、どんなことをしているか?」

馬祖は言った、

近頃は、ただ坐禅をするばかりです。」

南嶽は言った、

坐禅をすることで、何を目指しているのか?」

馬祖は言った、

坐禅によって、仏になろうとしています。」

南嶽禅師は即座に一個の瓦を持って来て、馬祖の草庵のそばの石にあてて磨き始めた。

馬祖はこれを見てすぐに質問した、

和尚は何をしておられますか?」

南嶽は言った、

瓦を磨いている。」

馬祖は言った、

瓦を磨いて何にするのですか?」

南嶽は言った、

磨いて鏡を作ろうと思う。」と。

馬祖は言った、

瓦を磨いてどうして鏡を作ることができるのですか。」

南嶽は言った、

では坐禅をやってどうして仏になることができるか。」

この大事な話は、昔から数百年の間、多くの人によって、

南嶽はただ馬祖に対して坐禅にはげめと激励した」と理解されている。

しかし、まだ必ずしもそうとは断定できない。

偉大な聖者〈南嶽〉の行為は、はるかに凡人の境涯を超えているのである。

偉大な聖者(南嶽)といえども、瓦を磨くという方法がなければ、

どうして弟子を教化する手段を持つことができよう。

弟子を教化する能力は、仏祖の骨髄である。

そしてこの瓦を磨くという手段は、南嶽がしくんだものであっても、

仏家に備わった家具のようなものである。

まして(南嶽は)馬祖を悟らせることが非常に早かった。

そこでこの方法は仏祖正伝の功徳、直指だと推察することができる。

瓦を磨いて鏡となれば、馬祖は仏になった。

馬祖は仏になることで馬祖はすみやかに馬祖になる

(真の自己に目覚める)ことができたのである。

馬祖が馬祖になる(真の自己に目覚める)時、

坐禅は仏祖正伝の坐禅になるのである。

こうしたことによって、瓦を磨く方法で、悟り(鏡)を得るということが、

古仏の骨髄として伝え保たれて来たである。

このようであるから、瓦が磨かれてなった古鏡がある。

そしてこの鏡を磨き続ける時、鏡になる前でも、汚れに染まることはないのだ。

瓦にちりがついてはない。

ただ瓦を瓦として磨くだけである。

こうした場において、真如(鏡)を形成する修行の証は実現する。

それが仏祖が努力・功夫したところである。

もし瓦を磨いても真如(鏡)とならないならば、

心の鏡を磨く修行をしても、仏の真如(鏡)は形成できないだろう。

このような行為(作)の中に、作仏の契機があることを、誰が測り知ることができようか。

また疑って見ると、古鏡を磨く修行をして、

間違って鏡を瓦に変えてしまうことがあるのだろうか。

磨くという時がいつ訪れるのか、その消息は測り知ることはない。

そうであるが、しかしながら南嶽の言葉は、云うべきことを云い得ている。

結局の結論としては、瓦を磨くことで真如(鏡)を作ったと言えるだろう。

現代の人も、現実の瓦を実際に手に取ってこれを磨いて見るべきである。

きっとくその行為の瞬間においては、一切が真如(鏡)となるであろう。

瓦がもし真如(鏡)とならないならば、人は決して仏とはなり得ないだろう。

瓦を単に泥のかたまりだとして、軽視するならば、人も泥のかたまりとして軽視されるだろう。

人にもし心があれば、瓦にも心があるはずだ。

瓦が来れば瓦が映る鏡のあることを誰が知っているであろうか。

また鏡が来れば鏡が映る鏡(仏性)があることを誰が知っているであろうか。





  正法眼疏古鏡第十九

仁治2年(1241年)旧暦九月九日観音尽利興聖宝林寺において、衆僧に説示した。



解釈とコメント

ここでは馬祖道一と南獄懐譲禅師の瓦を磨くことと禅に関する問答を紹介している。

南嶽は馬祖に聞く、

お前はこの頃、どんなことをしているか?」

馬祖は答える、

近頃は坐禅に集中しています

南嶽は聞く、

坐禅によって、何を目指しているのか?」

馬祖は答える、

坐禅によって、仏になろうとしています。」

すると南嶽は一個の瓦を持って来て、馬祖の草庵のそばの石にあてて磨き始めた。

これを見た馬祖は尋ねる、

和尚は何をしておられるのですか?」

南嶽は答える、

瓦を磨いているよ。」

馬祖は聞く、

瓦を磨いて何にするのですか?」

南嶽は答える、

磨いて鏡を作ろうとしているのだ。」

馬祖は聞く、

瓦を磨いてどうして鏡を作ることができるのですか。」

南嶽は答える、

では坐禅をやってどうして仏になることができるか。」

道元は言う、

この話は、昔から、多くの人によって知られた会話で

南嶽は馬祖に対して坐禅にはげめと激励したのだ

しかし必ずしもそうとは断定できない。」

道元は続けて言う、

「偉大な聖者〈南嶽〉の行為は、凡人の境涯をはるかに超えている。

偉大な聖者(南嶽)といえども、瓦を磨くという方法がなければ、どうして弟子を教化する手段を持つことができよう。

弟子を教化する能力は、仏祖の骨髄である。

そしてこの瓦を磨くという手段は、南嶽がしくんだものであっても、仏家に備わった家具のようなものである。」

ここで「瓦を磨くという方法」とは坐禅のことだと思われる。

道元は「弟子を教化する能力は、仏祖の骨髄である。

そしてこの瓦を磨くという手段(坐禅)は、

南嶽がしくんだものであっても、仏家に備わった家具のようなものである。」

と坐禅について述べる。

もし坐禅が教化の家具調度でなければ、仏家に伝わることはない。

馬祖を速やかに悟らせることができた坐禅は仏祖正伝の功徳、直指だと推察することができる。

瓦を磨いて鏡とすることで、馬祖は仏になった。

馬祖は仏になることで馬祖はすみやかに馬祖になる(真の自己に目覚める)ことができたのである。

馬祖が馬祖になる(真の自己に目覚める)時、坐禅は仏祖正伝の坐禅になるのである。

このような瓦を磨く方法で、悟り(鏡)を得ることが、古仏の骨髄として伝え保たれて来たである。

このようであるから、瓦のような凡俗心が磨かれて古鏡になるのである。

そしてこの鏡を磨き続ける時、鏡になる前でも、汚れに染まることはない。

瓦(脳)には本来ちりがついてはない。

ただ瓦(脳)を瓦(脳)として磨くだけである。

こうした場において、真如(鏡=健康な脳)を形成する修行の証は実現する。

それが仏祖が努力・功夫したところである。」

と仏祖正伝の坐禅を重視し強調している。

瓦は我々の凡俗心の象徴であると考えると、道元の考え方は次のようにまとめることができる。


1.  仏祖正伝の坐禅は心を磨き、真如の鏡を形成し我々を仏にする。

2.  我々の凡俗心(瓦)を磨き、悟りを得て、仏になる方法が坐禅である。

3. 鏡を磨くとピカピカの綺麗な鏡面が得られるように、我々の凡俗心(瓦)を磨くことによって、悟りを得て、仏になることができる。


19文段で紹介した馬祖と南岳の磨甎問答は仏道修行における坐禅の重要性を言っている。

このような坐禅重視の姿勢が後に道元の「只管打坐」の教えになったと考えることができる。

この観点から正法眼蔵『古鏡』の巻は道元の禅においては重要な著述である。

しかし、馬祖と南岳の磨甎問答は以下のように、道元と全く違う解釈も可能である。

南嶽は一個の瓦を持って来て、馬祖の草庵のそばの石にあてて磨き始めた。

馬祖が、「和尚は何をしておられるのですか?」と尋ねると、

南嶽は、「瓦を磨いているよ。」と答える。

これに対し馬祖は、「瓦を磨いて何にするのですか?」と聞く。

南嶽は、「磨いて鏡を作ろうとしているのだ。」と答える。

馬祖が、

瓦を磨いてどうして鏡を作ることができるのですか。」

と聞くと、

南嶽は、「では坐禅をやってどうして仏になることができるか。」

と答える。

この問答の重要な点は南嶽の言葉、

では坐禅をやってどうして仏になることができるか。」

をどう考えるかにある。

この南嶽の言葉を、

ただ熱心に坐禅をやっていては

瓦をいくら熱心に磨いても鏡にならないように、どうして仏になることができようか。」

と反語的に考えることである。

南嶽は、この言葉で馬祖の坐禅一途の姿勢に注意を促しているのである。

南嶽は「ただ熱心に坐禅をやっていても瓦をいくら熱心に磨いても鏡にならないように、仏になることはできないよ。」と

坐禅に対する問題意識がない「只管打坐」の坐禅を否定しているのである。

南嶽は「何のために坐禅するかという問題意識もなくただ熱心に坐禅をやっているだけでは、仏になることはできない。」と

問題意識を持って坐禅しなければならないと馬祖に注意していると考えることができる。

これと似た考え方は「無門関」第15則「洞山三頓」に見られる。

「無門関」第15則を参照)。

我が国の白隠禅師(1685〜1768)は「息耕録開延普説」で

参禅には、1.大信根、2.大疑情、3.大憤志(不断の精進) の三要素が必要であると説いている。

この内、大疑情が「問題意識を持つこと」に相当し、

大憤志(不断の精進)が「只管打坐」に相当すると考えることができるだろう。

日本の禅その2、5.35 白隠禅の特徴を参照)。



参考文献など:



1.道元著、水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫「正法眼蔵(一)」 1992年

2.道元著、水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫「正法眼蔵(二)」 2004年

3.西嶋和夫訳著、仏教社、現代語訳正法眼蔵 第二巻 1981年

4.西嶋和夫訳著、仏教社、現代語訳正法眼蔵第三巻 1981年

5.石井 恭二注釈、現代語訳著、河出書房新社、正法眼蔵 1、1996年

6.石井 恭二注釈、現代語訳著、河出書房新社、正法眼蔵  、 1996年


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