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弁道話・2

   
数

『正法眼蔵』「弁道話」について



弁道とは、仏道修行に精進することである。

道元禅師は日本に帰国後、最初の体系的な著作として「弁道話」を著した。

それは寛喜3年(1231)8月、深草安養院に閑居中(32歳)と推定されている(面山『聞解』の見解)。

末尾には「入宋伝法沙門道元」の自著がある(別本では「入宋伝法沙門住観音導利院道元」とも)。

「弁道話」は本来は『正法眼蔵』にはなかったが、95巻本では第1巻として収録された。

「弁道話」において、天童如浄に参学して正伝した仏法は、坐禅を正門とするもので、

坐禅は万人が等しく成仏できる安楽の法門で、修(坐禅修行)のほかに証(悟り)はないとする修証一如の思想を述べている。

その他後半部の18箇の問答が特徴的である。

ここでは「弁道話」の全体をを28文段に分け、

「弁道話・1」では第1文段から第10文段までを、

「弁道話・2」では第11文段から第19文段までを、

「弁道話・3」では第20文段から第28文段までを、

合理的(科学的)観点から分かり易く解説したい。



11

 第11文段(18問答の第1)


原文11


いまこの坐禅の功徳、高大なることをききをはりぬ。

おろかならん人、うたがふていはん、

仏法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禅をすすむるや。」

しめしていはく、

これ仏法の正門なるをもてなり。」


第11文段の現代語訳


今、この坐禅の功徳の広大なことを聞き終わりました。

しかし、愚かな人は、疑って言うでしょう、

仏法には多くの門があるのに、なぜもっぱら坐禅を勧めるのか?

答えて言う、

この坐禅は仏法の正門であるからだ。」



第11文段の解釈とコメント

第11文段から「弁道話」に特徴的な18問答が始まる。

第11文段は18問答の第一問答である。

この第11文段(問答第1)の問答で特に難しいところはない。

興味深いのは道元は「仏法にある多くの門の中で坐禅は仏法の正門である。」

と答えていることである。

この道元の答は歴史的に見ても正しい。

ブッダの原始仏教の時代から仏教の伝統的修行法は坐禅を中心とする三十七道品であったからである。

大乗仏教1,10.12「三十七道品(三十七菩提分法)の修行」を参照)。

仏道修行では経典の読経が重視されている。

最も古い経典と考えられるスッタニパータ(経集)の成立年代は紀元前250〜150年代と考えられている。

仏滅を紀元前380年(宇井伯寿博士の説)と仮定すると、

最初の仏教経典が編集されたのはブッダの死後130〜230年以降だ後だと考えることができる。

大乗仏教の経典が出現したのはブッダの死後500年以上経ってからと考えられるので、

大乗仏教において

読経が仏教の修行法として確立するのはブッダの死後500年以上経ってからであると考えられる。

大乗仏教成立以前の仏教において正統的修行法は坐禅を中心とする三十七道品であった。

このような仏教の歴史を考えても

道元禅師の「仏法にある多くの門の中で坐禅は仏法の正門である。」という答えは正しいことが分かる。



12

 第12文段(18問答の第2)


原文12


問うていはく、

なんぞひとり正門とする?」

示していはく、

大師釈尊、まさしく得道の妙術を正伝し、又 三世の如来、ともに坐禅より得道せり

このゆゑに正門なることをあひつたへたるなり

しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禅より得道せるなり

ゆゑにいま正門を人天にしめす。」


注:

三世:過去 現在 未来。


第12文段の現代語訳


問うていう、

どうして坐禅だけを正門とするのか?」

答えていう、

大師釈尊は、まさに悟りを得る妙術として坐禅を伝えたのであり

また三世の如来(仏)も、皆共に坐禅によって悟りを得たのである

このために、坐禅が正門であることを人々に伝えたのである

それだけでなく、西天インドや東地中国の祖師たちは、皆坐禅によって悟りを得た

そのために今、坐禅という仏法の正門を人間界天上界の人々に示すのである。」


第12文段の解釈とコメント


どうして坐禅だけを正門とするのか?」

という質問に対し、道元は答えて言う、

釈尊は、坐禅を悟りを得る妙術として伝えた。また三世の諸仏も、坐禅によって悟りを得た

このために、坐禅が正門であると人々に伝えた

それだけでなく、インドや中国の祖師達は、皆坐禅によって悟りを得た

そのために、坐禅を仏法の正門だとして人間界天上界の人々に示すのである。」

kこの問答の最後の部分に「人間界天上界の人々」という言葉が出ている。

筆者には人間界は分かるが、天上界という言葉は理解できないし、実感もできない。

道元は天上界を実際に見たり実感できたのだろうか?

この部分を除き道元の答は冷静で合理的である。

この問答にも特に難しいところや問題になるところはない。

   

13

 第13文段(問答第3)


原文13


とふていはく、

あるいは如来の妙術を正伝し、または祖師のあとをたづぬるによらん、まことに凡慮のおよぶにあらず

しかはあれども、読経念仏は、おのづからさとりの因縁となりぬべし

ただむなしく坐してなすところなからん、なにによりてかさとりをうるたよりとならん。」

しめしていはく、

なんぢいま諸仏の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもはん、これを大乗を謗ずる人とす

まどひのいとふかき、大海のなかにゐながら水なしといはんがごとし

すでにかたじけなく、諸仏 自受用三昧に安座せり。これ広大の功徳をなすにあらずや

あはれむべし、まなこいまだひらけず、こころなほゑひにあることを

おほよそ諸仏の境界は不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはんや不信劣智のしることをえんや

ただ正信の大機のみ、よくいることをうるなり。不信の人は、たとひをしふともうくべきことかたし

霊山になお退亦佳矣のたぐひあり。おほよそ心に正信おこらば、修行し参学すべし

しかあらずは、しばらくやむべし。むかしより法のうるほひなきことをうらみよ。」

又、読経 念仏等のつとめにうるところの功徳を、なんぢしるやいなや

ただしたをうごかし、こゑをあぐるを仏事功徳とおもへる、いとはかなし

仏法に擬するにうたたとほく、いよいよはるかなり

又、経書をひらくことは、ほとけ頓漸修行の儀則ををしへおけるを、あきらめしり

教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめんとなり

いたづらに思量念度をつひやして、菩提をうる功徳に擬せんとにはあらぬなり

おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらんとするは

なほこれながえをきたにして、越にむかはんとおもはんがごとし

又、円孔に方木をいれんとせんにおなじ

文をみながら修するみちにくらき、それ医方をみる人の合薬をわすれん、なにの益かあらん

口声をひまなくせる、春の田のかへるの昼夜になくがごとし、つひに又益なし

いはんやふかく名利にまどはさるるやから、これらのことをすてがたし

それ利貪のこころはなはだふかきゆゑに

むかしすでにありき、いまのよになからんや。もともあはれむべし

ただまさにしるべし、七仏の妙法は、得道明心の宗匠に、契心証会の学人あひしたがうて正伝すれば

的旨あらはれて稟持せらるるなり、文字習学の法師のしりおよぶべきにあらず

しかあればすなはち、この疑迷をやめて

正師のをしへにより、坐禅辨道して諸仏自受用三昧を証得すべし。」


注:

如来: 悟りを開いたもの、また仏法や宇宙の真理そのもの。真如より来現した人。

凡慮:平凡な考え。凡人の考えること。

まどひ: 惑い。迷うこと。

謗(ぼう)ずる:そしる。

自受用三昧: 自己に具わる功徳を受用しその法楽を味わう三昧。

自ら悟りを証し、受用体現すること。正伝の坐禅のこと。

ゑひ: 酔い。

節目: 竹の節と木の木目。くぎりをつけた形。

ゑひ: 酔い。

諸仏の境界: 真の自己の正体・内容。

たより: 手段。方法。

霊山(りょうぜん): 霊鷲山。釈迦在世時には、マガダ国の首都王舎城(ラージャグリハ)の東北、

ナイランジャナー(尼連禅河=にれんぜんが)の側にある小高い山である。

『無量寿経』や『法華経』が説かれたとされる山として知られる。

大乗仏教2「菩薩は人間か?」を参照)。

退亦佳矣(たいやくけい): 「退くも、亦、佳し」と訓じ、

仏法を信じることを出来ない者に対して、その法会から退席することを許す言葉。

ただし、その信じられない者は、

すでに法を得ていると自称する増上慢であると解釈されるため、肯定的な取り方はされない。

釈尊が霊鷲山で法華経を説こうとした時、5000人の増上慢が

教えを聞くに及ばないと言って退席した。

釈尊は「退くも、亦、佳し」と言って退くに任せた。

これは『妙法蓮華経』「方便品」に見える。

頓漸(とんぜん): 頓悟と漸悟の教。悟りに至る修行の遅速、

または教えの内容の深浅によって、いずれかに区別される。

諸仏の境界: 真の自己の正体・内容。

儀則: 儀式

ながえ: ながえは牛車の前方につけて牛に引かせるもの。

ながえが北を向けば牛車は北へ行く。

医方をみる人: 医学書を読む人。

合薬: 薬の調合。

得道明心: 得道明心も契心証会も「真の自己」の正体に徹底し、

正法が身に付くこと。見性に同じ。

七仏: 過去七仏のこと。過去七仏とは釈尊以前に娑婆世界に現れたとされる六仏に釈尊を加えた七仏のこと。

@毘婆尸(びばし)、A尸棄(しき)、B毘舎浮(びしゃふ)、C留孫(くるそん)、D那含(くなごん)、

E迦葉(かしょう)、F釈迦牟尼(しゃかむに)の七人の仏のこと。

毘婆尸・尸棄・毘舎浮の三仏は今より一つ前の荘厳劫に現れ、

それ以降は釈尊と同じく今の賢劫に出現した仏であるという。

『増一阿含』四五(正蔵二・七九〇上〜)に、過去に恒沙の仏が出現したが、

諸仏共通の習いのとおり最近の七仏についてのみ詳細に説くとある。

その他『大本経』や『雑阿含』三四などにも関説がある。

『法句経』下(正蔵四・五六七中)などに出る有名な句に

諸の悪を作すことなく、 衆の善を奉行し、 自ら其の意を浄くす

是れ諸仏の教なり、( 諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、

自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」

がある。

この偈中の諸仏とは過去七仏と解釈され、「七仏通戒偈」として知られている。

しかし、現代の「合理的仏教学」の観点から見ると、

ブッダ以外の過去七仏が存在した根拠はなく、神話や伝承説話のレベルと言うしかない。

越の国: 中国の春秋・戦国時代の諸侯国の一つ。

都は会稽 (浙江省) 。越人は入墨,断髪の風習があり,漢人とは異なる民族といわれる。

春秋時代末期に強くなり,北隣の呉と抗争を繰返した。

勾践 (こうせん) が前 496年,呉王闔閭 (こうりょ) を破ったが,その子夫差のため前 494年に大敗北。

范蠡 (はんれい) らの補佐により苦心の末,前 473年夫差を滅ぼし,恥をそそいだ。

以後はふるわず,前 334年楚に滅ぼされた。春秋の五覇の一つに数えられることがある。


第13文段の現代語訳


問う、

坐禅が正門であることは、如来(ブッダ)が坐禅という妙術を正伝したこと

又は祖師の坐禅した足跡を尋ねるとしても、それは実に凡慮の及ぶところではない

読経や念仏は、自ずから悟りの因縁となるかも知れない

しかし、ただ何もしないで空しく坐していることが、なぜ悟りを得る手段となるのか?」

答える、

あなたは今、諸仏の三昧、無上の大法である坐禅を

何もしないで空しく坐していると思っているようだが、これを大乗をそしる人と言うのだ

その迷いの深いのは、大海の中にいながら水が無いと言うようなものである

かたじけないことに、あなたが壁に向かって坐禅しているのは、すでに諸仏が自受用三昧に安座している姿である

これは広大な功徳を持っているのだ

これが分からないとは、哀れなことに、あなたの法の眼はまだ開かず、心はまだ迷いに酔っているのである

およそ真の自己の正体は不思議で、人の意識の及ぶ所ではない

まして不信の者や智慧の劣る者は知ることができようか

仏法は、ただ正直な信心の大器の人だけが、入ることが出来るのだ

不信の人は、たとえ教えても受け取ることは難しい

釈尊が法華経を説かれた霊鷲山の法会でさえ、不信の者は立ち去ったのだ

およそ心に正直な信心が起きれば、修行し参学すべきである。そうでなければ、暫く止めたほうがよい

そして昔から自分には法の潤いがなかったことを恨むしかないだろう。」

また読経や念仏などの勤めによって得られる功徳を、あなたは本当に知っているだろうか

ただ舌を動かし声をあげることを仏事や功徳と思うのは、甚だ心もとない

これを仏法と考えるなら、仏法からますます遠ざかってしまうだろう

また経典を学ぶのは、釈尊が様々な修行の規則について教えていることを、明らかに知るためで

その教えにしたがって修行することで、必ず悟りを開かせようとするためである

いたずらに思量を費やして、悟りを得る功徳にしようというのではないのだ

愚かにも千遍万遍とむやみに念仏して、仏道に行き着こうとするのは

まさに牛車のながえを北に向けて、南の越の国へ行こうとしたり

円い穴に四角い木を入れようとするようなものである

経文を読んでいても修行法を知らないことは、医者が薬の調合法を忘れたようなもので、何の利益があるだろうか

念仏を絶え間なく口に唱えることは、春の田の蛙が昼夜に鳴いているようなもので、結局利益は無いのだ

まして深く名利に惑わされている者たちは、これらのことを捨てられない

それは名利を貪る心が甚だ深いからだ

このような人は昔すでにいたから、今の世にもいるだろう

最も哀れむべきだ

ただ正にこのように知るべきだ

過去七仏の妙法は、道を得て心を明らめた宗匠の下に

本心に適い悟りを開いた修行者が付き随って正しく伝えるので、確かな宗旨が現れて伝授されるのである

これは経文の文字を学ぶだけの法師が知り及ぶところではない

そうであるから、坐禅に対するこのような疑いを止めて

正しい師の教えに従って、坐禅弁道の修行をして

諸仏の自受用三昧を証得すべきである。」


第13文段の解釈とコメント


第13文段は問答第3に当たる。この第13文段では、

坐禅が正門であることは、如来(ブッダ)が坐禅という妙術を正伝したこと

又は祖師の坐禅した足跡を尋ねるとしても、それは実に凡慮の及ぶところではない

読経や念仏は、自ずから悟りの因縁となるかも知れない

しかし、ただ何もしないで空しく坐していることが、なぜ悟りを得る手段となるのか?」

という厳しい質問に対し、道元は

あなたは今、諸仏の三昧、無上の大法である坐禅を

何もしないで空しく坐していると思っているようだが、これを大乗をそしる人と言うのだ

その迷いの深いのは、大海の中にいながら水が無いと言うようなものである

かたじけないことに、あなたが壁に向かって坐禅しているのは、すでに諸仏が自受用三昧に安座している姿である

これは広大な功徳を持っているのだ

これが分からないとは、哀れなことに、あなたの法の眼はまだ開かず、心はまだ迷いに酔っているのである」。

と答える。

ここの答えから道元は「自受用三昧である坐禅は、諸仏の自受用三昧と同等であり広大な功徳を持つ無上の大法である

と考えていることが分かる。

そして、「そのような坐禅を、何もしないで空しく坐していると思うのは大乗をそしる人であり

その迷いの深いのは、大海の中にいながら水が無いと言うようなものである

坐禅は、諸仏が自受用三昧に安座している姿であり、広大な功徳を持っている

広大な坐禅の功徳が分からないのは、哀れなことに、あなたの法の眼はまだ開かず、心はまだ迷いに酔っているからだ。」

と反論している。

さらに道元は言う、「およそ諸仏の境界は不思議で、人の意識の及ぶ所ではない

まして不信の者や智慧の劣る者は知ることはできない

仏法は、ただ正直な信心の大器の人だけが、入ることが出来るのだ

不信の人は、たとえ教えても受け取ることは難しい

釈尊が法華経を説かれた霊鷲山の法会でさえ、不信の者は立ち去った

およそ心に正直な信心が起きれば、修行し参学すべきである。そうでなければ、暫く止めたほうがよい

そして昔から自分には法の潤いがなかったことを恨むしかない。」

と法華経の「方便品」を引用して

正直な信心が仏法に入ることができると信心の大切さを述べている。

ここで読経や念仏などの修行について言及し、次のように述べる、

また読経や念仏などの勤めによって得られる功徳を、あなたは本当に知っているだろうか

ただ舌を動かし声をあげることを仏事や功徳と思うのは、甚だ心もとない

これを仏法と考えるなら、仏法からますます遠ざかってしまうだろう

また経典を学ぶのは、釈尊が様々な修行の規則について教えていることを、明らかに知るためで

その教えにしたがって修行することで、必ず悟りを開かせようとするためである

いたずらに思量を費やして、悟りを得る功徳にしようというのではないのだ

愚かにも千遍万遍とむやみに念仏して、仏道に行き着こうとするのは

まさに牛車のながえを北に向けて、南の越の国へ行こうとしたり

円い穴に四角い木を入れようとするようなものである

経文を読んでいても修行法を知らないことは、医者が薬の調合法を忘れたようなもので、何の利益があるだろうか

念仏を絶え間なく口に唱えることは、春の田の蛙が昼夜に鳴いているようなもので、結局利益は無いのだ

まして深く名利に惑わされている者たちは、これらのことを捨てられない

それは名利を貪る心が甚だ深いからだ。このような人は昔すでにいたから

今の世にもいるだろう。最も哀れむべきだ

ただ正にこのように知るべきだ

過去七仏の妙法は、道を得て心を明らめた宗匠の下に、本心に適い悟りを開いた修行者が付き随って正しく伝えるので

確かな宗旨が現れて伝授されるのである

これは経文の文字を学ぶだけの法師が知り及ぶところではない

そうであるから、坐禅に対するこのような疑いを止めて

正しい師の教えに従って、坐禅弁道の修行をして、諸仏の自受用三昧を証得すべきである。」

と述べている。

最後のほうで、これは道元の念仏観であり、

念仏を絶え間なく口に唱えることは、春の田の蛙が昼夜に鳴いているようなもので、結局利益は無いのだ。」

と念仏修行について述べている。

念仏修行に対し、「春の田で蛙が鳴いている」ようなものとは痛烈な皮肉・批判と言えるだろう。

この文段の最後尾では

正師の教えに従って、坐禅弁道の修行をして、諸仏の自受用三昧を証得すべきである

と結び坐禅修行の重要さを強調している。



14

 第14文段(問答第4)


原文14


とふていはく、

「いまわが朝につたはれるところの法華宗、華厳教、ともに大乗の究竟なり。

いはんや真言宗のごときは、毘盧遮那如来したしく金剛薩?につたえへて、師資みだりならず。

その談ずるむね、即心是仏、是心作仏といふて、多劫の修行をふることなく、

一座に五仏の正覚をとなふ、仏法の極妙といふべし。 しかあるに、いまいふところの修行、なにのすぐれたることあれば、

かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや。」

しめしていはく、

「しるべし、仏家には、教の殊劣を対論することなく、

法の浅深をえらばず、ただし修行の真偽をしるべし。

草華山水にひかれて仏道に流入することありき、土石沙礫をにぎりて仏印を稟持することあり。

いはんや広大の文字は万象にあまりてなほゆたかなり、転大法輪又 一塵にをさまれり。

しかあればすなはち、即心即仏のことば、なほこれ水中の月なり。

即坐成仏のむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。

いま直証菩提の修行をすすむるに、仏祖単伝の妙道をしめして、真実の道人とならしめんとなり。

また、仏法を伝授することは、かならず証契の人をその宗師とすべし。

文字をかぞふる学者をもてその導師とするにたらず、一盲の衆盲をひかんがごとし。

いまこの仏祖正伝の門下には、みな得道証契の哲匠をうやまひて、仏法を住持せしむ。

かるがゆゑに、冥陽の神道もきたり帰依し、証果の羅漢もきたり問法するに、

おのおの心地を開明する手をさづけずといふことなし。

余門にいまだきかざるところなり、ただ仏弟子は仏法をならふべし。」

「又しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず、とこしなへに受用すといへども、

承当することをえざるゆゑに、みだりに知見をおこすことをならひとして、

これを物とおふによりて、大道いたづらに蹉過す。

この知見によりて、空華まちまちなり。

あるいは十二輪転、二十五有の境界とおもひ、三乗五乗、有仏無仏の見、つくることなし。

この知見をならうて、仏道修行の正道とおもふべからず。

しかあるを、いまはまさしく仏印によりて万事を放下し、一向に坐禅するとき、

迷悟情量のほとりをこえて、凡聖のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遥し、大菩提を受用するなり。

かの文字の筌ていにかかはるものの、かたをならぶるにおよばんや。」


注:

法華宗: ここでは天台宗をさす。

華厳教: 華厳宗。

毘盧遮那如来: 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ、Vairocana)は、大乗仏教における仏の1つ。

華厳経において中心的な存在として扱われる尊格である。

密教においては大日如来と同一視される。


図10

図10 奈良東大寺の毘盧舎那仏


   

金剛薩た(こんごうさった): 金剛薩た(、梵: Vajrasatva)は、中期密教においては大日如来の教えを受けた菩薩。

大日如来と衆生とを結ぶ役目を果たす菩薩。

後期密教においては、法身普賢(普賢王如来)、持金剛と並んで本初仏(原初仏)へと昇格した。

金剛(ダイヤモンド)のように堅固な菩提心を持つと称される。歴史的人物ではなく密教で登場する仮想的な菩薩。

師資みだりならず: 師と弟子の関係も正当なものである。

即心是仏: 主として禅宗で用いる語。 仏の心は人間の心のほかにあるのではなく、

迷いの多いこの心がそのまま仏の心であるという考え。 即心即仏。 是心是仏。

「無門関第30則を参照)。

是心作仏: 『観無量寿経』に出る言葉。いろいろな解釈がある。

第1の解釈は,天台智 (ちぎ) によるもので,仏は元来無であって,

心浄くなれば仏あり,すなわち心のほかに仏なく,また仏の因なしということ。

即心即仏ともいう。第2の解釈は,浄土教の諸師によるもので,

心よく仏を想念すれば,想によりて仏身現ずということ。

人間の心こそが仏であるということ。

浄土宗では、心に仏を観ずるとき、その心が仏であるということ。

五仏: 真言宗の両部曼荼羅(まんだら)で、中央仏である大日如来とその四方にいる四仏。

すなわち、金剛界では大日如来と阿しゅく(あしゅく)(東)・宝生(南)・阿弥陀(西)・不空成就(北)の四如来、

胎蔵界では大日如来と宝幢(ほうどう)(東)・開敷華王(かいふげおう)(南)・阿弥陀

(西)・天鼓雷音(てんくらいおん)(北)の四如来。

密教2,12.4−6金剛界五仏と五智を参照)。

筌てい(せんてい): 魚を捕えるやなや兎を捕える罠。

十二輪転: 十二因縁のこと。

十二因縁については原始仏教その2を参照)。

二十五有: 三界を二十五に分類したものをさす。

有とは迷いの境界のことで、衆生が流転する迷いの世界(三界)を二十五種に分けたもの。

三界のすべてをいう。 三界の25有を表にすると次の表1のようになる。


表1

表1 三界の25有


注:

四悪趣: 地獄・餓鬼・畜生・修羅。

四大洲: 弥山(しゅみせん)の四方にある4つの大きな島(大陸)。東勝身洲( とうしょうしんしゅう)、南贍部洲 (なんせんぶしゅう)、

西牛貨洲 (さいごけしゅう)、北倶盧洲 (ほくくるしゅう)の4つ。

古代インドの須弥山世界を参照)。

六欲天: 欲界に属する六天

四王天: 六欲天の一つで、須弥山の中腹に在り、東にあるのが持国天、西にあるのが廣目天、

南にあるのが増長天、北にあるのを多聞天という。

色界の七種の天: 四禅天(初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天)と無想天・浄居天・大梵天の七種の天。

三乗: 悟りの世界に入るための三種の教え,実践あるいは道を乗物にたとえたもの。

(1) は声聞乗。苦,集,滅,道の四諦 (→四聖諦 ) を悟り阿羅漢となるための教え。

(2) は縁覚乗。十二因縁を悟って独覚 (→縁覚 ) となるための教え。

(3は菩薩乗。無上菩提を証得せんとする菩薩の道。

五乗: 上の三乗に人乗,天乗の二つを加えたもの,

水中の月なり:水面に映る月は影であって月そのものではない。

一盲の衆盲をひかんがごとし: 一人の盲人が多くの盲人の案内をするようなものである。

証果の羅漢: 仏果菩提を実証した阿羅漢。

承当すること: 真の自己、生きている真実にぴったり一致すること。


第14文段の現代語訳


問うて言う、

今、我が国に伝わる法華宗や華厳宗は、共に大乗の教えの究極である

まして真言宗の教えは、毘盧遮那仏が親しく金剛菩薩に伝えたもので

師と弟子の関係も正当なものと言える

その教えは、即心是仏、是心作仏と言って、多年の修行を経ることなく

即座に五仏の悟りを得ると説いている

これは仏法の中で最も優れたものと言うべきだ

それなのに、今言うところの坐禅の修行は、何の優れたことがあって

それらを差し置いて、ひたすら勧めるのですか?」

答えて言う、

知るべきです。仏教では、教えの優劣を議論したり、法の深浅を選ぶことはないが

ただ修行の真偽を知るべきです

過去には草花や山水に引かれて仏道に入ったり、土石 砂礫を握って仏の悟りを受け継いだ人もいます

まして経典の広大な文字は、森羅万象の中に有り余って更に豊かで

仏の大説法は、また一つの塵にも収まっているのです

そうだから、即心即仏という言葉はあたかも水面に映る月のようなものである

即坐成仏(坐ることそのものが成仏である)の教えは、更に鏡の中の姿のようなものである

言葉の上手下手に拘ってはなりません

今、直接に悟りを証する修行を勧めるに当たって

仏や祖師方が相伝した坐禅の妙道を示して、真実の道人となってもらうためである

又、仏法の伝授には、必ず悟りを実証した人をその師とすべきである

経典の文字を数えるような学者は、その導師とするに不足です

それはあたかも一人の盲人が多くの盲人を引き連れるようなものだからだ

今、仏祖正伝の門下では、皆、悟りを得、実証した優れた師を敬い、仏法を護持している

そのために、冥界や陽界の鬼神も来て帰依し、悟った羅漢が来て問法しても

各々の心を明らかにする手段を授けることが出来るのだ

このことは、他の宗門では聞かれないことだ

仏弟子はただ仏法を学ぶことが肝要である。」

又知るべきだ、我々は本来、無上の悟りに欠けているわけではない

永久にそれを使用しているのであるが、それを理解出来ないために

気ままに考えることが習いとなって、これを本物だと思い追いかけることで

大道を無駄に踏み間違えてしまうのである

このような知見によって、眼病の者が幻の花を見るように、人々の見解は様々に分かれるのである

ある人は十二因縁や二十五有を輪廻する世界と思い

また三乗や五乗の修行、有仏・無仏などの考えは尽きることがない

このような知見を学ぶことが、仏道修行の正道と思ってはならない

しかし今、まさに仏の悟りの法に従って万事を投げ捨て、ひたすらに坐禅に集中する時には

迷悟や思量情動をのり越えて、凡聖の道に関わらず、速やかに出世間に逍遥して

自らに具わる大いなる悟りを受用するのである

この境地は経典の文字の方便にたよる者達が、肩を並べ及ぶところではないのだ。」


第14文段の解釈とコメント


第14文段では、

我が国に伝わる天台宗や華厳宗は、共に大乗仏教の究極の教えである

真言宗の教えは、毘盧遮那仏が親しく金剛菩薩に伝えたもので、師と弟子の関係も正しい

その教えは、即心是仏、是心作仏と言って、多年の修行を経ることなく、即座に五仏の悟りを得ると説いている

これは仏法の中で最も優れたものだ

それなのに、坐禅修行は、何の優れたことがあって、それらを差し置いて、ひたすら勧めるのか?」

と質問している。

この質問に対し道元は

仏教では、教えの優劣を議論したり、法の深浅を選ぶことはない。ただ修行の真偽を知るべきである。」

と述べている。

これが道元の答の要点だと言える。

昔から仏教宗派のあいだには宗論があって、

自分の宗派が優れていることを議論や討論によって明らかにしようとした。

しかし、そのような宗論によってはどの宗派が優れているかは決まらなかった。

夫々の宗派の論師は互いに自分の宗派が優れていると主張し、

甲論乙駁して、なかなか譲らなかったからである。

宗論を風刺した句に

法論は誰が負けても釈迦の恥」がある。

これは客観的に見た場合の宗論のばかばかしさを詠っている句といえる。

しかも、仏教では昔から教団内での議論や批判を禁止している。

そのようなことを考えて、道元は

仏教では、教えの優劣を議論したり、法の深浅を選ぶことはないただ修行の真偽を知るべきである。」

と述べていると考えられる。

後はその詳細を次のように説いている。

過去には草花や山水に引かれて仏道に入ったり、土石 砂礫を握って仏の悟りを受け継いだ人もいる

(霊雲志勤禅師と香厳智閑禅師の悟りを参照)

霊雲志勤禅師の悟りを参照)。

香厳智閑禅師の悟りを参照)。

まして経典の広大な文字は、森羅万象の中に有り余って更に豊かで、仏の大説法は、また一つの塵にも収まっている

そうだから、即心即仏という言葉はあたかも水面に映る月のようなもので本物の月ではない

即坐成仏(坐ることそのものが成仏である)という教えは、鏡の中の姿のようなもので真実の姿そのものではない

言葉の上手下手に拘ってはならない

今、直接に悟りを証する修行を勧めるのは

仏や祖師方が相伝した坐禅の妙道を示して、真実の道人となってもらうためである

又、仏法の伝授には、必ず悟りを実証した人を師とすべきである

ここでは仏法の伝授には必ず悟りを実証した人を師とすべきであると悟りの実体験の重要性に言及している。

しかし、曹洞宗の実情はどうだろうか?

悟りの経験を軽視したり、更には悟り否定する学者もいるのが現実で嘆かわしいと言わざるを得ない。

経典の文字を数えるような学者は、導師とするに足らない

それはあたかも一人の盲人が多くの盲人を引き連れるようなもので何処に連れて行かれるか分からないからだ

今、仏祖正伝の門下では、皆、悟りを得、実証した優れた師を敬い、仏法を護持している

そのために、冥界や陽界の鬼神も来て帰依し、悟った羅漢が問法しても

各々の心を明らかにする手段を授けることが出来る

ここで道元は、冥界や陽界の鬼神について言及している。

道元のそのような冥界や鬼神の世界を好む性向や嗜好は

後に、曹洞宗が密教などを取り入れて、世俗化して行った歴史につながっていると思われる。

瑩山紹瑾と曹洞宗の興隆を参照)。

このことは、他の宗門では聞かれないことだ

仏弟子はただ仏法を学ぶことが肝要である。」

又知るべきだ、我々は本来、無上の悟りに欠けているわけではない

永久にそれを使用しているのであるが、それを理解出来ないために、気ままに考えることが習いとなって

これを本物だと思い追いかけることで、大道を無駄に踏み間違えてしまうのである

ここで道元は「我々は本来、無上の悟りに欠けているわけではない。永久にそれを使用している。」

と述べている。

ここで述べられていることは「禅の根本原理」であり次の図11によって表すことができる。


図11

図11  我々は本来、無上菩提(仏性=健康な脳)を具有している。そして常にそれを受用している。


   

図11に示したように、我々は本来、無上の悟りの本体(脳)を具有して、

常にそれを日常の言語動作において使用しているのであるが、

それを理解出来ないだけであると

一切衆生悉有仏性、衆生本来仏なり」という「禅の基本原理」を述べていることが分かる。


「禅の根本原理と応用」を参照)。


そのことを理解出来ないために、気ままに考えることが習いとなって

これを本物だと思い追いかけ、大道を無駄に踏み間違えてしまうのである

そのため、眼病の者が幻の花を見るように、人々の見解は様々に分かれるのである

ある人は十二因縁や二十五有を輪廻する世界と思い、また三乗や五乗の修行、有仏・無仏などの考えは尽きることがない

このような知見を学ぶことが、仏道修行の正道と思ってはならない

しかし今、まさに仏の悟りの法に従って万事を投げ捨て、ひたすらに坐禅に集中する時には

迷悟や思量情動をのり越えて、凡聖の道に関わらず、速やかに出世間に逍遥して、自らに具わる大いなる悟りを受用するのである

ここで述べていることも図11を見れば理解できる。

この境地は経典の文字の方便にたよる者達が、肩を並べ及ぶところではない。」

と無上菩提(健康な脳と脳宇宙)は日常言語に頼る経典学者には

理解できない世界だと脳懇切丁寧に説いている。



15

 第15文段(問答第5)


原文15


とうていはく、

三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり

ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す

いまの坐禅も、そのひとつなるべし。なにによりてか、このなかに如来の正法あつめたりといふや。」

しめしていはく、

いまこの如来 一大事の正法眼蔵 無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問(きたれり

しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾にはきかず

はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ

道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけき

のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす

これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき

いまのよには、坐のことばを簡して、ただ禅宗といふなり

そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定にならつていふべきにあらず。」

この仏法の相伝の嫡意なること、一代にかくれなし

如来むかし霊山会上にして、正法眼蔵 涅槃妙心無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は

現在して上界にある天衆、まのあたりみしもの存せり、うたがふべきにたらず

おほよそ仏法は、かの天衆とこしなへに護持するものなり、その功いまだふりず

まさにしるべし、これは仏法の全道なり、ならべていふべきものなし。」


注:

三学: 戒(戒律)・定(禅定)・慧(智慧)の三学。

仏教の基礎的修道論が、戒・定・慧の三学である。

戒は戒律で戒めである。これはしてはダメとして禁止しているものである。

不殺生戒・不偸盗(ちゅうとう)戒・不邪婬(じゃいん)戒・不妄語(もうご)戒・不飲酒(おんじゅ)戒の五戒を

在家信者が守る基本戒律とする。また、善行をも勧める。

定は心を静め安定させる修行で禅定を指す。

慧は真実を見極める智慧を指す。

六度: 六波羅蜜のこと。大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目のこと。

波羅蜜とは梵語のパーラミターの音写。

「般若心経」:六波羅蜜と般若波羅蜜を参照)。

波羅蜜とは梵語のパーラミターの音写。

六波羅蜜は大乗仏教では、悟りの彼岸に至るための六つの修行徳目とされる。六度とも言う。

布施(ふせ)(完全な恵み,施し),持戒(戒律を守り,反省する),忍辱(にんにく)(完全な忍耐),

精進(しょうじん)(努力の実践),禅定(ぜんじょう)(心作用の完全な統一、坐禅),

智慧(ちえ)(真実の智慧を開現し,命そのものを把握する)の六つ。

智慧は他の五徳目の根拠となる。

禅宗の号: 禅宗の称号・名前。

神丹: 中国。

竺乾(ちくけん): インド。

達磨大師: 菩提達磨(ぼだいだるま)。中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。

弟子の曇林によると、菩提達磨は西域南天竺国において国王の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教僧。

5世紀後半から6世紀前半の人で、道宣の伝えるところによれば

南北朝の宋の時代(遅くとも479年の斉の成立以前)に宋境南越にやって来たとされている。

嵩山少林寺: 中国の河南省鄭州市登封にある中岳嵩山の中の少室山の北麓にある寺院である。

インドから中国に渡来した達磨による禅を伝えられた地と伝えられ、中国における禅の名刹である。

また少林武術の中心地としても世界的に有名である。

ひたたけて:混同して。

諸祖の広語: 祖師の語録。

嫡意(ちゃくい): 正統的な内容。

一代に: 全時代を通して。

霊山会上: 釈尊が昔、霊鷲山の法会で、正法眼蔵 涅槃妙心、無上の大法を、摩訶迦葉尊者に授けた儀式は

「大梵天王問仏決疑経」という経典に見える。

ただし、現在ではこの経典は中国で創作された偽経であるとされている。

無門関第6則「世尊拈華」を参照)。

その功いまだふりず: その働きは未だ変わることはない。

仏法の全道なり: 仏法の全体でそれ以外のものがない。


第15文段の現代語訳


   

問うて言う、

仏道修行者の学ぶべき三学の中に定学があり、また六度の中に禅度がある

これは、一切の菩薩が初心から学ぶものであり、賢い、鈍いにかかわらず修行するものである

今言う坐禅もそのうちの一つでしょう

それなのに、なぜこの坐禅の中に如来の正法が集めてあると言うのですか?」

教えて言う、

今、この如来の最も大切な仏法の神髄、無上の大法を、禅宗と名付けたため、この質問が来たのである

知ることだ、この禅宗の名称は、中国から東の地域に起ったもので、インドでは聞かないのだ

初め達磨大師が、嵩山の少林寺で、九年間、面壁して坐禅していると

当時の僧も俗人もまだ仏の正法を知らず、坐禅を宗とする婆羅門と名付けたのである

後の代々の祖師も、皆常に坐禅を専一にした

これを見た愚かな俗人は、真実を知らずに、みだりに坐禅宗と言ったのだ

今では、坐の言葉を略してただ禅宗と言うのである

その真意は、祖師方の言葉で明らかである

六度と三学の中の禅定にならって、これと同じだと言うべきではないのだ。」

この仏法の相伝が、正統だったことは、釈尊の一代に明らかである

釈尊が昔、霊鷲山の法会で、正法眼蔵 涅槃妙心、無上の大法を、摩訶迦葉尊者に授けた儀式は

現に天上界の天人たちで、目の当たり見た者がいるのであって、疑うことができない

およそ仏法は、そのような天人たちが永久に護持するものであり、その働きは未だ変わることはない

正に知るべきだ、坐禅は仏法の全体であり、それ以外のものではない

他と並べて比べることはできないのだ。」



第15文段の解釈とコメント


ここでの質問は、「仏道修行者の学ぶべき三学の中に定学があり、また六度の中に禅度がある

これは、一切の菩薩が初心から学ぶものであり、賢鈍にかかわらず修行するものである

今言う坐禅もそのうちの一つに過ぎないのに

なぜ坐禅の中に如来の正法が集めてあると言うのか?」である。

この質問に対し、道元は次のように答える、

今、この如来の最も大切な仏法の神髄、無上の大法を、禅宗と名付けたため、この質問が来たのである

この禅宗の名称は、中国から東の地域に起ったもので、インドでは聞かない

ここで道元が「禅宗の名称は、中国から東の地域に起ったもので、インドでは聞かない。」

ここで道元が言っていることは正しい。禅宗はインドには無く、中国起源のものだからである。

初め達磨大師が、嵩山の少林寺で、九年間、面壁して坐禅していると

当時の僧も俗人もまだ仏の正法を知らず、坐禅を宗とする婆羅門と名付けたのである

後の代々の祖師も、皆常に坐禅を専一にした。これを見た愚かな俗人は、真実を知らずに、みだりに坐禅宗と言ったのだ

今では、坐の言葉を略してただ禅宗と言うのである。その真意は、祖師方の言葉で明らかである

六度と三学の中の禅定にならって、これと同じだと言うべきではないのだ

この仏法の相伝が、正統だったことは、釈尊の一代に明らかである

釈尊が昔、霊鷲山の法会で、正法眼蔵 涅槃妙心、無上の大法を、摩訶迦葉尊者に授けた儀式は

現に天上界の天人たちで、目の当たり見た者がいるのであって、疑うことができない

およそ仏法は、そのような天人たちが永久に護持するものであり、その働きは未だ変わることはない

正に知るべきだ、坐禅は仏法の全体であり、それ以外のものではない

他と並べて比べることはできないのだ。」

坐禅の中に如来の正法が集められている正統な根拠として、道元は以下の二つの根拠を挙げている。

   

1. 「大梵天王問仏決疑経」説

釈尊が昔、霊鷲山の法会で、正法眼蔵 涅槃妙心、無上の大法を、摩訶迦葉尊者に授けた儀式は

「大梵天王問仏決疑経」という経典に説かれていると「大梵天王問仏決疑経」を引用して根拠としている。

しかし、現在ではこの経典は中国で創作された偽経であることが分かっている。

無門関第6則「世尊拈華」を参照)。

釈尊が昔、霊鷲山の法会で、正法眼蔵 涅槃妙心、無上の大法を、摩訶迦葉尊者に授けたという儀式は、

もし真実ならば、仏教史における重大な出来事であるはずだ。

しかし、釈尊から摩訶迦葉への嗣法について他のどんな経典にも記述がない。

「大梵天王問仏決疑経」が中国で創作された偽経であったから他のどんな経典にも記述がないのは当然のことである。

これより「大梵天王問仏決疑経」を根拠とすることはできない。

道元は第二の根拠として次の「天人仏法護持説」を主張している。

2. 「仏法は、天人たちが永久に護持するものだ」という天人仏法護持説

六欲天の第二天であるトウリ天では天人の1年は人間の500年に相当すると考えられている。

これより10才の天人は人間界では5000才に相当する。

多くの天人は10才以上生きていると考えると、殆どの天人は人間の5000年以上の経験をしていると考えることができる。

従って、約2,500年前に生きた釈尊が昔、霊鷲山の法会で、正法眼蔵 涅槃妙心、無上の大法を、摩訶迦葉尊者に授けた儀式を、

天人達が目の当たり見ているのを疑うことができないと述べる。

このような理由から道元は

およそ仏法は、そのような天人たちが永久に護持するものであり、その働きは未だ変わることはない

と述べている。

そのような「天人仏法護持説」は筆者が知るかぎり、他のどの禅師も主張していない説である。

もともと仏法は人間から人間へ伝わるものである。天人についても古代人の想像に過ぎない。

現代では「天人の存在」を誰も信じていないだろう。

これより、道元が言う「仏法は、天人たちが永久に護持するものだ」という主張は、

現代では信じることも証明することもできない奇妙な説だというしかない。

以上の考察より坐禅に如来の正法が集めてある正統な根拠として、

道元が主張する「大梵天王問仏決疑経」説と「天人仏法護持」説は説得力がないと言える。

ブッダ在世時代(原始仏教時代)の歴史を見るとき、

正統的修行法は坐禅(orブッダ以来の禅定修行)という歴史的事実が正当な根拠であると言えるのではないだろうか。

大乗仏教その1「37道品」を参照)。



16

 第16文段(問答第6)


原文16


とうていはく、

「仏家なにによりてか四儀のなかに、ただし坐にのみおほせて禅定をすすめて証入をいふや。」

しめしていはく、

「むかしよりの諸仏、あひつぎて修行し証入せるみち、きはめしりがたし。

ゆゑをたづねば、ただ仏家のもちゐるところをゆゑとしるべし、このほかにたづぬべからず。

ただし、祖師ほめていはく、「坐禅はすなはち安楽の法門なり。」

はかりしりぬ、四儀のなかに安楽なるゆゑか。

いはんや一仏二仏の修行のみちにあらず、諸仏諸祖にみなこのみちあり。」


注:


ただし: ただ。

四儀: 「四威儀」の略。平常の起居動作である、行・住・坐・臥(が)の四つ。生活のすべて。

おほせて: 負わせて。ひっかぶせて。

ゆゑ: 理由。由来。


第16文段の現代語訳


   

問うて言う、

仏家では、なぜ行住坐臥の中で、坐だけを取り上げて禅定を勧め、悟りに入ると言うのか?」

答えて言う、

昔から諸仏が、相次いで修行し悟りに入られた道を、はっきりさせるのは難しい

その理由は、ただ仏家が用いてきた修行法にあることが分かるのだ。このほかにはない

ただし、祖師は「坐禅は安楽の法門である。」と褒めて言っている

坐禅は行住坐臥の四儀の中で安楽なためかと思われる

それに坐禅は、一仏二仏が修行した道ではなく、諸仏諸祖の皆が修行した道だからである。」



第16文段の解釈とコメント


第16文段での質問は

仏家では、なぜ行住坐臥の中で、坐だけを取り上げて坐禅を勧め、坐禅によって悟りに入ると言うのか?」

である。

これに対する道元の答は、

昔から諸仏が、修行し悟った方法を、はっきりさせるのは難しいが悟りへの方法は

仏家が用いてきた修行法にある。それは坐禅のほかにはない

坐禅について、祖師は「坐禅は安楽の法門である。」

と坐禅を褒めている

坐禅は行住坐臥の四儀の中で安楽なためだと思われる

それに坐禅は、一仏二仏が修行した道ではなく、すべての諸仏諸祖が修行した道だからである。」

と答えている。

道元のこの答は分かり易いし説得力もある。



17

 第17文段(問答第7)


原文6


とうていはく、

この坐禅の行は、いまだ仏法を証会せざらんものは、坐禅辨道(してその証をとるべし

すでに仏正法をあきらめえん人は、坐禅なにのまつところかあらん。」

しめしていはく、

痴人のまへにゆめをとかず、山子の手には舟棹をあたへがたしといへども、さらに訓をたるべし

それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり

仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辨道すなはち本証の全体なり

かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれとをしふ

直指の本証なるがゆゑなるべし

すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし

ここをもて、釈迦如来、迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師、大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる

仏法住持のあと、みなかくのごとし。

すでに証をはなれぬ修あり、われらさいはひに一分の妙修を単伝せる

初心の辨道すなはち一分の本証を無為の地にうるなり

しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、仏祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ

妙修を放下すれば本証 手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこなはる。」

又まのあたり大宋国にしてみしかば、諸方の禅院みな坐禅堂をかまへて

五百六百、および一二千僧を安じて、日夜に坐禅をすすめき

その席主とせる伝仏心印の宗匠に、仏法の大意をとぶらひしかば

修証の両段にあらぬむねをきこえき

このゆゑに、門下の参学のみにあらず、求法の高流、仏法のなかに真実をねがはん人、初心後心をえらばず

凡人聖人を論ぜず、仏祖のをしへにより、宗匠の道をおふて、坐禅辨道すべしとすすむ

きかずや祖師のいはく、「修証はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ。」

又いはく、「道をみるもの、道を修す」と

しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを。」


注:

山子(さんす):山の樵(きこり)。ここでは既悟った人を喩えている。

痴人のまへにゆめをとかず:愚かな人に夢の話をすると本当だと思うので夢の話をしない。 

舟棹(しゅうとう):舟のさお。ふなさお。

われらさいはひに一分の妙修を単伝せる: 我々は幸いにも、優れた修行の力を伝えられている。

修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために: 修行を離れない悟りを汚さないために。

五百六百、および一二千僧を安じて: 僧堂内に五百六百、および一二千名の僧を配置して修行生活ができるようにして。

修証の両段にあらぬむね: 修行と悟りは二段階ではないこと。

求法の高流::仏法を求める優れた人。

初心後心をえらばず: 初めて仏道に入った初心者と古参をえらばず。

祖師のいはく、「修証はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ。」: 六祖慧能と南岳懐譲の会話での南岳懐譲の言葉。

南嶽懐譲の「説似一物即不中」を参照)。

得道のなかに修行すべし: 本来得ている道の中で修行すべきだ。


第17文段の現代語訳


   

問うて言う、

この坐禅の行は、まだ仏法を悟っていない者は、坐禅修行して、その悟りを手に入れるべきである

しかし、既に仏の正法を明らかにした人は、坐禅して何を待ち望むのですか?」

答えて言う、

痴人の前で夢を説いてはいけない

樵(きこり)に舟と棹を与えても仕方がありませんが、更に教えましょう

そもそも修行と悟りは別で、一つではないと思うのは、外道の考えである

仏法では、修行と悟りは同一である

この坐禅も悟りの上の修行なので、初心の修行は悟りの全体であるのだ

そうであるから、修行の用心を授ける時にも、修行のほかに悟りを待つ思いを持ってはならないと教えるのである

坐禅は直ちに本来の悟りをそのまま示しているからである

既に修行は悟りなので、悟りに終わりは無く、悟りは修行そのものなので、修行に始めは無いのである

これによって、釈迦如来や迦葉尊者は、共に悟りの上での修行をしたのであり

達磨大師や大鑑高祖(六祖慧能)も、同じく悟りの上の修行をしたのである

仏祖の仏法護持の足跡は、皆このようである

既に悟りを離れない修行があるのだ

我々は幸いにも、優れた修行の力を伝えられているので

初心の修行は、悟りの全体を自然な心に得ることが出来るのである

知るべきだ。修行を離れない悟りを汚さないために

仏祖はたびたび修行をゆるめてはならないと教えているのである

そのようにすれば、修行を放下すれば悟りは手の中に満ち

悟りを抜け出しても修行は全身に行われるのである。」

又、私が直接 大宋国で見たのは、諸方の禅院が皆 坐禅堂を建て

五六百人から千人二千人の僧を修行できるようにして、日夜に坐禅を勧めていたことだ

その道場主であり仏の悟りを伝える宗匠に、仏法の根本を尋ねたところ

修行と悟りは二つではないと言っていたのである

このために、仏祖門下の修行者だけでなく、仏法を求める優れた人々や

仏法の中に真実を求める人々、初心や古参を選ばず

凡人聖人を論ぜず、仏祖の教えにより、宗匠の道を追って坐禅修行すべきだと勧めるのである

祖師のこの言葉を聞いたことはありませんか

修行と悟りは、あるが、それを汚してはならない。」と。

また「道を見るものは道を修する。」と。

知るべきだ、本来得ている道の中で修行すべきだということを



第17文段の解釈とコメント


第17文段での質問は

坐禅修行では、まだ仏法を悟っていない者は、坐禅修行して、その悟りを手に入れるべきである

しかし、既に悟って仏の正法を明らかにした人は、坐禅して何を待ち望むのか?」

である。

この質問は

悟りを手に入れた後には坐禅して何を待ち望むのか?」

という悟後の坐禅修行の問題である。

この質問に対し道元は次のように答える

、 「痴人の前で夢を説いてはいけない

樵(悟った人)に舟と棹を与えても何の役にも立たないが、更に教えましょう

そもそも修行と悟りは別で、一つではないと思うのは、外道の考えである

仏法では、修行と悟りは同一である

この坐禅も悟りの上の修行なので、初心の修行は悟りの全体であるのだ。」と述べる。

ここで第9文段で説いた修証一如について再び述べている。

「弁道話・1」の第9文段を参照)。

そうであるから、修行の時にも、修行のほかに悟りを待つ必要はない

坐禅は直ちに本来の悟りを直示している

既に修行は悟りなので、悟りに終わりは無く、悟りは修行そのものなので、修行に始めは無く終わりも無い

と、修証一如に基づいた無限の修行を説いている。

道元がここで述べている修証一如の禅思想は次の図12によって説明できる。


図12

図12 修証一如の説明図


   

図12に示したように、坐禅修行は主として悟りの本体である脳の運動指令などに基づいて行う。

「禅の悟り」は真の自己は脳本体とそのはたらきを覚知する直観(ひらめき)だと考えることができる。

図12において坐禅修行は下向きのベクトルで表わしている。

図12において覚知する直観(証)は上向きのベクトルで表わしている。図12に示したように、

坐禅修行と悟り(覚知、証)はいずれも脳本体の働きや性質であることが分かる。

そのような観点から坐禅修行と悟り(覚知、直観)は同レベルで一如である。

修と証は別のものだと考える必要はない(修証一如)。

そのような修証一如の立場から、釈迦如来や迦葉尊者は、共に悟りの上での修行をしたのであり、

達磨大師や大鑑高祖(六祖慧能)も、同じく悟りの上の修行をしたのである。

仏祖の仏法護持の足跡は、皆このようであると悟後の修行について述べている。

このように修行は悟りを離れないのだ。

我々は幸いにも、優れた修行の力を伝えられているので、

修行において、悟りの全体を自然な心に得ることが出来るのである。

悟りを汚さないために、仏祖はたびたび修行をゆるめて、修行を離れてはならないと教えている

そのようにすれば、修行を放下しても悟りは手の中に満ち

悟りを抜け出しても修行は全身に行われるのである。」

又、私が大宋国で見たのは、諸方の禅院が皆 坐禅堂を建て

五六百人から千人二千人の僧を修行できるようにして、日夜に坐禅を勧めていた

道場主であり仏の悟りを伝える宗匠に、仏法の根本を尋ねたところ、

修行と悟りは二つではないと言っていた。

この理由のために、仏祖門下の修行者だけでなく、仏法を求める優れた人々や、仏法の中に真実を求める人々、初心や古参を選ばず、

凡人聖人を論ぜず、仏祖の教えにより、宗匠の道を追って坐禅修行すべきだと勧めるのである。

祖師のこの言葉を聞いたことはないだろうか、

「修行と悟りは、あるが、それを汚してはならない。」と。

また「道を見るものは道を修する。」と。

知るべきだ、本来得ている道の中で修行すべきだということを。」

ここで道元は「本来得ている道の中で修行すべきだ」と言っている。

本来得ている道」とは、

図12に示したように、「修・証」の本源である下層脳(脳幹+大脳辺縁系)を中心とする脳本体である。


禅の根本原理と応用を参照)。


道元の生きた鎌倉時代には

まだ脳科学が無かったのでそのように表現するしかなかったと考えることができる。



18

 第18文段(問答第8)


原文18


とうていはく、

わが朝の先代に、教をひろめし諸師、ともにこれ入唐伝法せしとき、なんぞこのむねをさしおきて、ただ教をのみつたへし?」

しめしていはく、

むかしの人師この法をつたへざりしことは、時節のいまだいたらざりしゆゑなり。」


注:

教をひろめし諸師: 経典による教えを広めた諸師。最澄、空海などを指す。

人師: 身人間のために法を説く人。


第18文段の現代語訳


   

問うて言う、

わが国の先代に教えを広めた諸師は、皆、唐国へ渡って日本に法を伝えた時に

何故この坐禅を差し置いて、ただ教えだけを伝えたのですか?」

答えて言う、

昔の師となる人が、この坐禅の法を伝えなかったのは、まだ時節が来ていなかったからである。」



第18文段の解釈とコメント


   

この文段での質問は、

わが国の先代に教えを広めた諸師は、皆、唐国へ渡って日本に法を伝えた時に

何故この坐禅を差し置いて、ただ教えだけを伝えたのか?」

である。

これに対する道元の答えは、

昔の師となる人が、この坐禅の法を伝えなかったのは、まだ時節が来ていなかったからだ。」と

まだ禅が必要とされる時節が来ていなかったからだと答えている。

この問答も特に難しいところはない。



19

 第19文段(問答第9)


原文19


とうていはく、

かの上代の師、この法を会得せりや。」

しめしていはく、

会せば通じてむ。」


注:

会せば通じてむ: 会得していたら伝えていただろう。

   

第19文段の現代語訳


   

問うて言う、

その昔の師は、この坐禅の法を会得していたでしょうか?」

答えて言う、

会得していれば伝えていたでしょう。」


 第19文段の解釈とコメント

   

この文段での質問は、

その昔の師は、この坐禅の法を会得していたか?」

である。

これに対して道元は、

会得していれば伝えていただろう。」

と答えている。

道元の答は いかにもそっけないが、的確な答えと言える。

この問答には特に難しいところはない。



参考文献など:



1.道元著 水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫、「正法眼蔵(一)」1992年

2.安谷白雲著、春秋社、正法眼蔵参究 弁道話 1970年

3.玉城康四郎編集、筑摩書房、日本の思想2道元集 1969年

4.(道元禅師 正法眼蔵現代語訳の試み)。



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