2014年3月15日〜3月30日作成    表示更新:2023年8月21日

密教:その1: 大乗仏教とヒンズー教

   
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11・1 仏教の変質と密教への道



11.1-1

11・1-1梵網経に説く蓮華蔵世界と摩醯首羅天



11・1-1 密教思想は初期大乗仏教からあった!


梵網経(梵網経盧舎那佛説菩薩心地戒品)は華厳思想系の経典で、

大乗仏教の戒律(大乗戒)を説く経典として知られる。

この経典には釈迦牟尼仏(ゴータマ・ブッダ)と盧舎那仏の蓮華蔵世界の宗教的関係が述べてある。

蓮華蔵世界とは大乗仏教の宇宙論の1つである。

毘盧舎那仏(ヴァイローチャナ仏、盧舎那仏)と呼ばれる宇宙の根源的な仏がいるという話からはじまる。

盧舎那仏は蓮華蔵世界と呼ばれる世界で教えを説いている。

蓮華蔵世界は超巨大な蓮華から成る世界である。

その巨大蓮華は1000葉の花弁(蓮弁)を持つ。

盧舎那仏は1000葉の花弁(蓮弁)上で化身して1000人の釈迦牟尼仏(ゴータマ・ブッダ)になる。

盧舎那仏は天光師子座上から強い光を放って、1000葉の蓮弁上の釈迦牟尼仏(ゴータマ・ブッダ)に対して、

私の心地法門を持ち帰って、蓮華蔵世界の釈迦牟尼仏と一切衆生のために

私の心地法門を説いて受持読誦して一心に修行せよ!」と告げる。

蓮華蔵世界の1000葉の蓮弁夫々には100億の世界があるとするので蓮華蔵世界には全部で、

1,000x100億=10兆の世界があることになる。

各世界には盧舎那仏の化身である釈迦牟尼仏が1人ずついるので、蓮華蔵世界にいる釈迦牟尼仏の総数は10兆人である。

各釈迦牟尼仏は菩提樹の下に座して同時に悟りを開くという神秘的設定がされる。

これを次の図1に示す。

蓮華蔵世界

図1 盧舎那仏を中心とする蓮華蔵世界


この蓮華蔵世界にいる各釈迦牟尼仏は獅子座より立って無量の華で盧舎那仏を供養する。

盧舎那仏を供養することによって盧舎那仏の心地法門を受け取る。

そして、蓮華蔵世界より一斉に立ち去り体性虚空華光三昧という三昧に入り

インドの菩提樹の下に帰還し、体性虚空華光三昧から出る。

この時釈迦牟尼仏は妙光堂の金剛千光王座に坐って十世界海を説く。

その後天界のとう利天の帝釈天宮に行って十住(菩薩の11〜20位)を説く。

その後夜摩天で十行(菩薩の11〜20位)を説く。

その後兜率天で十廻向(菩薩の31〜40位)を説く。その後化楽天に行って十禅定を説く。

その後さらに、他化自在天に行って十地(菩薩の41〜50位)を説くという。 

また釈迦牟尼仏は初禅に入って十金剛を説き、二禅に入って十忍を説き、第三禅に入って十願を説き、

第四禅の摩醯首羅天(Mahesvara=大自在天=シヴァ神、シヴァ神の住む天界)の王宮に入って

本源の蓮華蔵世界の盧舎那仏の説く心地法門品を説くのである。

この時、蓮華蔵世界の10兆人の釈迦牟尼仏はすべて同じ行動をするのである。

釈迦牟尼仏は摩醯首羅天(大自在天、シヴァ神の住む天)王宮で、

盧舎那仏の心地法門品を説き終ってインドのカピラ国に下生(天界から地上に生まれる)したという。

母の名をマヤ、父を白浄、自分の名前をシッダールタと言う。

シッダールタは7歳で出家し30歳で成道し、釈迦牟尼仏となったという。

釈迦牟尼仏は寂滅道場の金剛華光王座に坐り、摩醯首羅天王宮の十の住処で

大梵天王の網羅幢を見て、説いたものである。

釈迦牟尼仏はこの世界に8,000回も生まれて来た。

この世界(娑婆世界)を救うために金剛華光王座に坐ったまゝ、

摩醯首羅天王宮に行って盧舎那仏の心地法門品を開悟したのである。

その後天より下生しインドの菩提樹の下で地上の一切衆生の為に、

本源である盧舎那仏の1戒光明(金剛宝戒)を説くのである。

梵網経ではこのような前置きの後に大乗戒律を説いている。

この経典は大乗仏教の本質を考える上で興味ある経典である。


 1.

密教の教主である盧舎那仏(大日如来)は華厳経や十地経に現れる仏である。

盧舎那仏(大日如来)は華厳経だけでなくこの経典にも記述されている。

盧舎那仏(大日如来)は天光師子座上から強い光を放って、

1000葉の蓮弁上の釈迦牟尼仏(ゴータマ・ブッダ)に対して、

私の心地法門を持って帰って、蓮華蔵世界の釈迦牟尼仏と一切衆生のために

心地法門を説いて受持読誦して一心に修行せよ!」と告げるのである。

普通、盧舎那仏(大日如来)は法身仏なので口を開くことはない沈黙の仏である。

しかし、この経典では口を開いている。これは極めて珍しいと言える。

密教では法身仏であるはずの大日如来は、口を開いて説法するようになる。

梵網経の盧舎那仏は密教の大日如来のさきがけ的存在といえるだろう。

 2.

盧舎那仏という密教の根本佛と釈迦牟尼仏(ゴータマブッダ)の関係を述べている。

釈迦牟尼仏(ゴータマブッダ)は毘盧舎那仏(ヴァイローチャナ仏)の化身とされている。

またこの経典では盧舎那仏(大日如来)の宇宙は巨大な1つの蓮華の華であるとされる。

 3.

この蓮華の華の中心(蓮華台上の天光師子座上)に

毘盧舎那仏(ヴァイローチャナ仏、略して盧舎那仏)が鎮座している。

巨大な蓮華は千の花弁から成る。

各花弁には100億の世界が存在するという。

1,000x100億=10兆となるから全体で10兆の世界からなる巨大宇宙である。

1つの世界には1人ずつ釈迦牟尼仏(ゴータマブッダ)がいるとされるから

10兆人の釈迦牟尼仏(ゴータマブッダ)がいる宇宙である。

蓮華蔵世界は仏が充満した、仏だらけの世界といえる。

三千大千世界は10億の世界からなる(大乗仏教その1を参照)。

それと比べても蓮華蔵世界がいかに巨大な世界であるかが分かる。

しかも、蓮華蔵世界に出現した10兆人の釈迦牟尼仏(ゴータマ・ブッダ)は

皆毘盧舎那仏(ヴァイローチャナ仏、略して盧舎那仏)の化身であるとされる。

蓮華蔵世界は完全な宗教的想像(妄想?)の産物と言えるだろう。

化身という考え方はもともとヒンズー教のビシュヌ神の専売特許的なものだったと

言われるからヒンズー教との密接な関係が考えられる。

 4.

ヒンズー教では宇宙の創造神ブラフマン(大梵天)は世界蓮という蓮華座の上に坐っている。

蓮華台上に座る毘盧舎那仏はこのブラフマン神のイメージを借りて来たのだろうか。

蓮華台上に坐る仏は今では仏教固有のイメージであるかのように定着している。

しかし、仏像が最初に作られた頃には蓮の花の上に坐った像は少ない。

蓮華台上に坐る仏像の起源はこのようなところにあるのではないだろうか?

 注:

インド神話では 「ヴィシュヌが目覚めた時、彼の臍から蓮の花が芽生えてきて

その世界蓮から創造主ブラフマンが生まれた。

 花の上に座りながらブラフマンが目を開けると1つの世界が生まれ、

目を閉じると世界は消え、また目を開けると1つの世界が生まれ・・・

 天空に浮かぶ無数の星で蓮の上にブラフマンが生まれた」 ということである。

この蓮華蔵世界にいる各釈迦牟尼仏は獅子座より立って無量の華で盧舎那仏を供養する。

蓮華蔵世界の概念は大乗仏教徒が

ブラフマン(大梵天)の世界蓮からイメージを借りて創作したのかも知れない。

 5.

釈迦牟尼仏(ゴータマブッダ)は盧舎那仏を供養することによって盧舎那仏の心地法門を受け取る。

そして、蓮華蔵世界より一斉に立ち去り体性虚空華光三昧という三昧に入り、

インドの菩提樹の下に帰還し、体性虚空華光三昧から出る。

この時釈迦牟尼仏は妙光堂の金剛千光王座に坐って十世界海を説く。

釈迦牟尼仏は、その後天界のトウ利天の帝釈天宮に行って十住(菩薩の11〜20位)を説く。

その後夜摩天で十行(菩薩の21〜30位)を説く。

その後兜率天で十廻向(菩薩の31〜40位)を説く。

その後化楽天に行って十禅定を説く。

その後他化自在天に行って十地(菩薩の41〜50位)を説くという。 

釈迦牟尼仏が説法する天界であるトウ利天(帝釈天宮)、

夜摩天、兜率天、他化自在天は全て欲界天である。

欲界天については大乗仏教その1を参照)。

盧舎那仏の心地法門を受け取ったゴータマ・ブッダはインドの菩提樹の下に帰還し、

四つの欲界天で菩薩の境地(十住、十行、十廻向、十禅定、十地)について説法したと述べている。

これは菩薩の境地は欲界の四つの天に相当することを述べていると考えることができるだろう。

菩薩の十地については大乗仏教その2を参照)。

梵網経(梵網経盧舎那佛説菩薩心地戒品)に説く菩薩の52位と

それが説かれた欲界天との対応を次の表1に示す。

表1

表1 梵網経に説く菩薩の52位とそれが説かれた欲界天との対応


梵網経ではブッダは化楽天において十禅定を説いたことになっている。

しかし、菩薩の52位には十禅定という境位はない。

またブッダはインドの菩提樹の下に帰還し、十世界海を説いたとしている。

しかし、菩薩の52位には十世界海という境位はない。

上の表では十世界海を欲界天の一番下に位置する四天王天に当てた。

この表を見れば分かるように菩薩の境地は十地が聖者であるが

他は全て凡夫(俗人)の境涯である。

華厳経の菩薩十住品においての菩薩の十住が説かれている。

十住の最後に灌頂住が説かれる。

灌頂という密教用語が華厳経に現れているは注目される。

ちなみに、灌頂とは王子が灌頂式において

王位(密教では仏位)に就くということである。

大乗仏教の菩薩は十地の聖者を除き、基本的には40位以下の凡夫(俗人)の境涯である。

ゴータマ・ブッダの原始仏教が出家者中心だったのに対し、

大乗仏教は菩薩中心(凡夫、俗人)の仏教であることが分かる。

典型的な大乗経典である華厳経において菩薩の十地、十廻向、十行、十住が

説かれた場所を次の表2に示す。

表2

表2 華厳経において、菩薩の十地、十廻向、十行、十住が説かれた場所


表1と表2を比較すれば分かるように、

菩薩の十地、十廻向、十行、十住が説かれた場所は梵網経と華厳経の間には矛盾はない。

ピタリと一致している。

このことは、梵網経と華厳経を作成した大乗経典創作者のグループは非常に近いか

同一であることを示唆している。

6

 6.

梵網経とヒンズー教との密接な関係は摩醯首羅天王宮という言葉が

頻繁に出てくることからも推測される。

梵網経盧舎那佛説菩薩心地戒品の第十巻下には摩醯首羅天(まけいしゅらてん)王宮

という言葉が実に4回も出てくる。

摩醯首羅天(まけいしゅらてん)とはシヴァ神の住む天界あるいはシヴァ神のことである。

釈迦牟尼仏(ゴータマ・ブッダ)はこの摩醯首羅天宮に行って、

盧舎那仏の心地法門品を盧舎那仏から受け取って地上に下生すると説かれている。

毘盧舎那仏とはヒンズー教のシヴァ神ではないかと思えるくらいである。

毘盧舎那仏は密教の本尊大日如来のことである。

後述するように大日如来はシヴァ神のイメージを持つ。

梵網経と華厳経は密教的色彩が強く、密教やヒンズー教との密接な関係を示唆している。

 7.

釈迦牟尼仏(ゴータマブッダ)の誕生と成道(開悟)は歴史的な事実であるが

この経典では釈迦牟尼仏(ゴータマブッダ)は蓮華蔵世界にいる盧舎那仏(大日如来)の化身とされる。 

ブッダは歴史的人物から完全に宗教的存在(神的存在)になっている。

釈迦牟尼仏は盧舎那仏の意志(コントロール)の下にインドのカピラ国に化身として生まれたとされている。

人間ではなく盧舎那仏という法身仏の化身とされているのである。

しかも、この経典ではシッダールタは7歳で出家し、30歳で成道(開悟)したと述べられている。

実際はシッダールタは29歳で出家し、35歳で成道(開悟)したと考えられている。

この経典には、歴史的事実と想像(or空想)の混同が見られる。

現代の科学的(天文学的)観測ではこのような蓮華蔵世界は観測されていない。

三千大千世界と同じく完全な空想的宇宙観であることは論ずるまでもないだろう。

宗教的世界観としては興味深いが、事実と全く対応がない世界観である。

これらのことは、

大乗仏教は原始仏教(ゴータマブッダの教法)のヒンズー教ヴァージョンであることを示唆している。

20世紀初頭ヨーロッパのある仏教学者は

密教は仏教の衣をまとったヒンズー教である

と言ったと伝えられる。

この言葉も上述の考え方を支持するものと言えるだろう。

 8.

後期大乗仏教(密教、特に中期密教)は仏教が完全に宗教化したもので盧舎那仏を本尊とする。

普通密教(中期密教=純密)は7世紀頃誕生した大日経や金剛頂経などの密教経典から始まるとされる。

しかし、梵網経、華厳経、法華経、金光明最勝王経を読めば密教的思想は既に出ている。

密教の萌芽は既に初期大乗仏教にあったと考えられる。

法華経巻八には陀羅尼品があり、薬王菩薩が陀羅尼神呪を説く。

すると、世尊(ブッダ)は「この陀羅尼神呪は62億恒河沙の諸仏の所説なり」と言って薬王菩薩を讃める。

また、勇施菩薩や毘沙門天、持国天達が陀羅尼神呪を説いている。

法華経普賢菩薩勧発品では普賢菩薩が陀羅尼神呪を説く。

大般若波羅蜜多経第十般若理趣分でも如来は三つの神呪を説いている。

金光明最勝王経では最浄地陀羅尼品には多くの陀羅尼が出て来る。

金光明最勝王経の金勝陀羅尼品、四天王護国品、無染著陀羅尼品、如意宝珠品、大弁才天女品、

大吉祥天女増長財物品、堅牢地神品、僧シンニヤ薬叉大将品、

長者子流水品などにも多くの陀羅尼が出て来る。

大乗入楞伽経の陀羅尼品にも陀羅尼が出て来る。

首楞厳経の巻第七には楞厳呪と呼ばれる長大な陀羅尼が出て来る。 

金剛般若経の最後にも真言(陀羅尼)が出て来る。

般若心経にも般若心経の大真言が出て来る(般若心経を参照)。

このように多くの大乗経典には原始仏教経典には出てこない陀羅尼(呪文)が出て来る。

これらの事実は、呪術的思想に基づく密教の萌芽は既に初期大乗仏教の時代からあったことを示している。

 注

菩薩の五十二位とは

『華厳経』や『菩薩瓔珞本業経』では、菩薩の境涯、あるいは修行の階位を、 

上から妙覚、等覚、十地、十廻向、十行、十住、十信の52の位に分けている。

菩薩の五十二位をまとめると次の表3のようになる。

表3

表3 菩薩の五十二位


11・2−1 華厳経とシヴァ神


華厳経の十地品には菩薩の十地が説かれている。その第十地である法雲地の解説のところで、

菩薩が第十地(法雲地) に住すれば、智慧善根は初地より・・・

菩薩この地に住すれば多く摩醯首羅天王となり、智慧明達し・・・・」とある。

これは菩薩が第十地(法雲地) に達したら摩醯首羅天王となり、智慧明達するという意味である。

この摩醯首羅天王(まけいしゅらてんおう)とはシヴァ神の別名(Maheshvara, 大自在天)である。

この経文の少し前の箇所でも

菩薩十地に住すれば、智慧善根は初地より乃し、九地に至るまで及ぶこと能はざる所なり

菩薩この地に住すれば大智照明なることを得、・・たとえば大自在天王の光明は

よく衆生の身心をして清涼ならしめ、一切の生処の衆生の光明は及ぶこと能はざる所なるが如し。」とある。

このように菩薩の最高位である第十地(法雲地)を説明するため、

ヒンズー教のシヴァ神(大自在天王)が賞賛され、その名前が使われているのである。

しかも二度にわたってである。

華厳経十地品の文は菩薩が最高の境地(第十地)である法雲地に至れば

シヴァ神の持つ大智照明の能力を持つようになると賛美している(表3参照)。

表1でも菩薩の十地は欲界天の最高天である他化自在天に対応している。

摩醯首羅天(シヴァ神)の賛美は十地品だけでなく、

賢首菩薩品にも「摩醯首羅の智は自在にして、大海の龍王雨を降らすの時・・・・・」とあるのである。

このことは、菩薩が最高の境地(第十地)である法雲地に至ればシヴァ神(大自在天王)と同等の境地に至る

と主張するのと同じことである。


大乗仏教では菩薩の最高の境地(第十地)である法雲地に至れば、そこから仏位に至るはずである。

しかるに華厳経十地品では菩薩の最高の境地(第十地法雲地から仏位ではなく、

ヒンズー教の最高神シヴァ神(大自在天王)になることを主張しているのである。

菩薩の最高の境地(第十地)法雲地からヒンズー教の最高神シヴァ神(大自在天王)への道は大乗仏教にはないはずである。

菩薩の最高の境地(第十地)である法雲地からシヴァ神(大自在天王)への道は

1世紀頃に誕生した菩薩乗である大乗仏教のヒンズー教化ではないだろうか。


華厳経におけるシヴァ神の賛美はそれだけでない。

世間浄眼品にも「一切主夜叉は、一切の聖功徳を観ずるの法門に於いて自在を得。」と述べて、

と一切主夜叉を賛美している。この一切主とは世界の創造主であるシヴァ神(大自在天)のことである。


典型的大乗経典として知られている華厳経にシヴァ神(大自在天)が頻繁に登場し賛美されているのである。

このことは華厳経のみならず、

大乗仏教とヒンズー教シヴァ派の間の深い関係を示唆するものと言える。


後期大乗仏教である密教は、大乗仏教が更なるヒンズー教化(特に呪術化)を遂げて、誕生した

ことを示唆しているのではないだろうか。

真言密教の所依経典である『大日経』は大乗仏教、

ことに『華厳経』の世界観を忠実に継承していると考えられている。

従って、華厳経の内容を検討することは密教史を研究する上でも大きな意味を持っている。

従来大乗仏教がブラフマー神、シヴァ神、ビシュヌ神を護法神として、

ヒンズー教から取り入れたと言われてきた。

しかし、それを別の観点から見れば、

ブッダの死後、仏教教団がヒンズー教からの圧迫を跳ね返し、教勢を拡大するため、ヒンズー教に接近し、

その思想を取り入れ、大乗仏教が生まれたと考えることができるのではないだろうか.



その後、大乗仏教は更にヒンズー教化(=呪術化)して密教が生まれたと考えると理解し易いのである。


金光明最勝王経ではビシュヌ神、弁財天、吉祥天、などのヒンズー教由来の神々が続々登場し

彼等を信仰することが勧められている。

しかも、それを薦めているのはブッダ自身という信じられないことが起きているのだ。

スッタ.ニパータ1146詩に見られるように

ブッダは神々に対する信仰の放棄を説いたことは良く知られた事実である。

 9.29ブッダの合理的思考態度ーを参照)。  

このことは、大乗仏教は人間ブッダを神格化し宗教化したところから誕生したことを示している。

大乗仏教−その2、図10.9を参照)。



このように考えると、ブッダが説いた原始仏教が古代世界では達成困難な<自帰依>の教えを放棄して、

光り輝く仏・如来を信仰する大乗仏教(さらには密教)に変容したプロセスがよく分かるのである。

もともとのブッダの教えである<自帰依>の道は困難な道である。

光り輝く神に等しい仏を崇め信仰する道はインドの伝統に乗っ取っている上、分かり易い。

凡人である在家信者にとってこの方が受け入れられやすいだろう。

このようにして、大乗菩薩団(大乗仏教の菩薩の思想を共有する集まり)は

人間ブッダを神に等しい存在に祭り上げ、

信仰帰依の道(宗教化の道)を作り上げたのではないだろうか?

紀元前後はヒンズー教の勃興期である。

初期仏教教団にはバラモン階級の出身者が大勢いたことも分かっている。

初期仏教教団内での比丘の出身階層を参照)。

バラモン階級出身の出家僧やバラモン教の考えを持つ僧にとって

非バラモン教的思想の仏教は本当は受け入れにくかったであろう。

そのような僧侶たちが在家信者と一緒になって菩薩を名乗り、

ヒンズー教の勃興とともにそのヒンズー思想を仏教に導入したと考えられる。

大乗菩薩団はこの宗教化の波に乗って仏教の宗教化に成功した。

大乗仏教(さらには密教)誕生の謎はこのあたりにあるのではないだろうか?



11・2-2  華厳経の十地と菩薩の世俗的権力



華厳経や十地経には菩薩の十地と三界における地位との関係が具体的に述べてある。

それは次の表4のようになる。

表4


表4 菩薩の十地と世俗の権力


表4を見ると分かるように、須弥山説に説く地上と天の構造と菩薩の十地はよく対応している。

第1〜2地は地上の世俗的王位であるが、

第3〜7地に登るとは地上界から欲界の6欲天の王位に登る。

更に、第8、9、10地に登ると、欲界天の上に位置する色界天の王位に登る。

最高位である第10地(法雲地)は色界の最上天(アカニシタ天、色究竟天)の王位 

となっていることが注目される

華厳経十地品二十二によれば「菩薩この地に住すれば、多く摩醯首羅天王となり、・・・」とある。

摩醯首羅天王とはシヴァ神のことである。

これは菩薩が第10地の法雲地に入ると

菩薩はシヴァ神(色界の最上天の王)になると言っているのである。

シヴァ神はヒンズー教の最高神とされる神である。これは何を意味するのであろうか?

この表に示すように菩薩の境地と地上の権力者の地位の間にははっきりした対応関係が存在する。

地上の世俗的王位と菩薩の精神的境地の間の関係を主張する思想は

大乗仏教の理想とするのはいかがなものであろうか?

ゴータマ・シッダールタは世俗的王位を捨てて出家した。

ブッダは世俗的地位や欲望を捨てることを教えている。

しかし、華厳経に説く菩薩とは世俗的欲望を肯定するだけでなく

地上の権力(王権)までも追求しているように見える。

表に示したように菩薩の境地が向上するに連れてその地位権力は地上の王から欲界の天に登って行く。

欲界の天を上に向かって向上する。この向上の旅の終局地は第10地の法雲地である。

菩薩の第1地〜第7地までは欲界である。

このことは第1地〜第7地までの菩薩の境地では欲望を肯定しているということである。

菩薩の第8地〜第10地までの大梵天は色界天である。

第10地の法雲地の上は菩薩より上位の仏如来の境地に入る。

第10地の法雲地に入ると菩薩は大自在天王(=シヴァ神)になる。

シヴァ神はヒンズー教の最高神である。

第10地の法雲地の菩薩より上位に位置する仏や如来はヒンズー教のシヴァ神に近い

と考えられているのではないだろうか?

表4に見られるように、

菩薩の教えである大乗仏教はヒンズー教と接近、融合して世俗化した側面がある。

第10地の法雲地は未だ色界(物質界)にある。

色界の上には無色界が存在する。

色界と無色界は欲望を越えた世界である。

このことは仏如来の境地は表面上は地上の権力や王権を持っていても、

実際は欲望を越えた無色界の王であることを意味しているのではないだろうか?

しかし、無色界には4つの天がある。

仏如来はこのうちどの天にいると考えられているのだろうか?

 以上を分かりやすくまとめると次の表5のようになる。


表5


表5 華厳経における菩薩の十地と三界との関係


華厳経では菩薩が法雲地に到ると色界の最上天(色究竟天、アカニシタ天)の王であるシヴァ神になる。

即ち菩薩の最高位である第十地の法雲地が色界の最上天(色究竟天)の王であるシヴァ神の境位と同じだ

と考えられていることが分かる。

これは非常に意味深い。

大乗仏教の菩薩の最高の境地(法雲地)はヒンズー教の3大主神の1つシヴァ神に相当していることを示唆して

いるからである。

もし菩薩が菩薩道を必死に実践して第10地の法雲地から上のシヴァ神になった時を想定してみると良い。

シヴァ神が持つ強大なその神位に菩薩が満足して、

それ以上修行して仏如来になることを断念したら(諦めたら)どうなるのだろうか?

実際、仏如来は真面目で禁欲的である。

シヴァ神の方は快楽肯定で楽しそうである。

この時には菩薩の最終目的は仏・如来ではなく、ヒンズー教のシヴァ神への道だとならないだろうか?


実際大乗仏教ではブッダになった(開悟してになった)という話を聞かない。


最澄は伝教大師、法然は法然上人、親鸞は親鸞聖人

道元は道元禅師、日蓮は日蓮大聖人大菩薩止まりであり、

決してとは呼ばれることはないのである。

日本仏教の諸宗派の開祖と呼ばれるような宗教的偉人であっても、決してとは呼ばれるような人は一人もいないのである。


密教による即身成仏を説いた空海ですら、即身成仏できず、弘法大師や空海上人と呼ばれるのみである。


これは初期大乗仏教において十地経や華厳経などで説かれた菩薩の十地を経た成仏法は有効ではなかった(or嘘だった)

ことを示している。

あるいは、十地経や華厳経などで説かれた十地を経た成仏法を真面目に実践した仏教徒は

誰もいなかったことを示している。

筆者には十地経や華厳経などで説かれた菩薩の十地を経た成仏法は実証的な成仏法ではなく、

単なる空想に基づいた観念的(or空想的)な成仏法であったため

誰も成仏できなかったのではないかと考えている。

これに対して、後世中国で成立した禅宗では、

坐禅という実践的修行を通して、その修行効果をしっかり確認していたため

多くの祖仏を成功裏に輩出できたと考えることができるのではないだろうか。


ヨーロッパの仏教学者が最初に密教に接した時、

密教はヒンズー教の衣を着た仏教である

と言ったと伝えられている。

後期大乗仏教である密教は確かにそのような面を持っている。

不思議なことに大乗仏教はこのヒンズー教化への道をたどり、

遂にはヒンズー教に吸収されてしまう。

そしてブッダはビシュヌ神の化身の1つとされ仏教はインドで消滅してしまうのである。

表4に示したように、第8,9地の菩薩は大梵天王になる。

大梵天とは色界天の下方の初禅天の第3に存在する。

第8,9地の菩薩ですら初禅天の第3に存在する大梵天にしか到達できないのだろうか?

天の構造については大乗仏教その1の表10.6を参照

第二禅、第三禅の天は菩薩のどの境地になるのか?

華厳経の創作者には天の構造に関する混乱と無理解があったのだろうか?

普通華厳経は大乗仏教の典型的な経典だと言われる。

しかし、十地経や華厳経には密教の加持の概念が既に出ている。

このような観点から見ると、華厳経は仏教の経典というより、ヒンズー教や密教と関係深い経典だ

と言えるのではないだろうか。。



11.2-3

11・2-3 華厳経の説法場所の不思議



華厳経はブッダが菩提樹下悟り開いた直後に、悟りの境地を記した大乗経典だとされている。

その説法の場所は次々と変わる。まとめると以下の表6のようになる。


表6 華厳経の巻数と説法の場所

表6


これを見ると分かるようにブッダが地上の人間界で説法したの

は第1〜7巻と第37〜60巻のみである。

第7巻〜36巻は天上界での説法である。

天上界での説法は次の表7のようにまとめることができる。

表7 華厳経の巻数と説法の場所

表7


第1巻〜第2巻は寂滅道場で説かれたとされる。

寂滅道場とは菩提樹下である。

しかも、華厳経の説法はブッダ開悟後14日経ってからとされている。

さらに、ブッダは佛海印定という禅定に入ったまま説くのである。

禅定に入ったまま説法することは普通人には不可能である。

実際華厳経ではブッダは殆ど説法はしない。沈黙している。

説法するのは多くの菩薩達である。

しかもこの菩薩達は自力で主体的に説法することはない。

毘盧舎那仏の神力の加護を受けて説法をする場合が殆どである。

仏の不思議な力の加護を受けることを密教では加持という。

毘盧舎那仏の神力の加護を受けるのも加持である。

華厳経や十地経などの初期大乗仏教の経典が作成された時代には未だ密教は存在しなかったはずである。

それなのに、華厳経や十地経には密教の<加持>という言葉とその概念がいたるところに出ているのが注目される。

しかも、説法は第9巻〜第36巻までは全て天上界での説法である。

天上界での説法は人間に対する説法ではないので常人には聞き取ることはできないはずである。

しかし、何故かこの説法は聴取され経典に製作されているのである。

しかも、説法場所である天上界は全て欲界の天である。

大乗仏教では世俗的な欲望を肯定しているからであろう。

欲界の天も最下位にあるトウ利天の宮殿から始まって、夜摩天の宮殿、次に 

兜率天の宮殿、次に他化自在天の宮殿と次々と上位の天に移動している。

この天上界での移動は梵網経の記述と一致している。

しかし、最後の第44巻〜60巻の入法界品では、

再び地上界(欲界)に戻って祇園精舎で説かれるのである。

この説法場所の頻繁な移動は何を意味しているのだろうか?

ブッダは菩提樹下の佛海印定から出定してバーラナーシーの処女説法(初転法輪)

に行くことが想定されているのだろうか。

一見、これで歴史的な事実と整合しているように見える。

ブッダは開悟してから、4週間は色んな樹のもとで禅定をしながら、

悟りの楽しみを享受したとされている。

その時<梵天勧請>という神秘的現象が起こったとされる。

ブッダは、梵天(ブラフマー神)の強い要請を受けて、

説法を始める決意をし、

バーラナーシーに行って処女説法を行ったと伝えられる。

原始仏教−梵天勧請説話を参照)。

華厳経はブッダの初転法輪(ブッダの処女説法)前の四週間の間

ブッダは佛海印という禅定に入っていたと設定し、

佛海印という禅定に入っていたブッダの説法(禅定に入ったままの?)を記録したもの

だと仮定すれば仏伝と整合し、矛盾はない。

しかし、一体誰がそんな超能力を発揮してブッダの内心を読み取ることができるだろうか?

華厳経の創作者は超能力者だったのだろうか?

このような設定は古代の人々をだますことはできるかも知れない。

しかし、科学文明が進歩した現代の人々を騙すことはできない。

華厳経を創作した経典創作グループのミスだと考えることができる。

しかも、この経典の作者は大きな単純ミスを犯している。

ブッダ開悟直後には、祇園精舎はこの時にはまだ建っていないし、存在しないはずである。

ブッダの弟子である声聞もいないはずである。

祇園精舎はブッダの活動後教団が出来、大きくなってから建った。

これが歴史的事実である。従って、ブッダが開悟した直後には未だ存在しない。

それにもかかわらず、華厳経の入法界品ではブッダは祇園精舎に居ることになっているのである。

しかも、500人の大声聞も一緒にいるのである。

入法界品には舎利弗(サーリプッタ)など十大仏弟子も登場する。

ブッダの弟子である声聞が開悟直後に(まだ説法も開始していないのに)いるはずはない。 

この経典の作者はこの明らかな矛盾に気づいていない。

これらの経典の明らかな矛盾は、

華厳経がブッダの直説でなく、創作経典(後世の偽作経典)であることの証拠であろう。



11・2-4金光明最勝王経の説法場面と出席者



金光明最勝王経も大乗仏教とヒンズー教の関係を示唆する興味ある経典である。

金光明最勝王経は初期大乗仏教の経典の1つであるが

その制作年代は大体4世紀頃と推定されているようである。

金光明最勝王経の序品には説法の場面と出席者が出ている。

それを表にすると次の表8のようになる。

表8 金光明最勝王経の説法場面と出席者

表8


   

 1)菩薩の数について:

この経典では菩薩の数について百千万億と書いている。

 万億=10000億=1兆と考えられるから千万億=千兆。

百千万億=100千兆=10万兆 となる。

2009年現在でも世界の全人口は67億くらい。

インド全体でも11億人くらいである。百千万億がいかに巨大な数であるかが分かる。

地球の総人口が70億を超えたのは2012年の事だった。

米国の国勢調査局の予想によれば、2014年の新年までに、

地球の人口は、71億3757万7750人になる見込みとのこと。

このままいくと2025年までには、80億人に達するとのこと。

金光明経の記述する菩薩の数(百千万億)がいかに空想的で巨大な数であるかが分かる。

   

 2)大比丘衆と菩薩の人数の比について:

大比丘衆(ブッダの直弟子)の数を98,000としている。

ブッダの直弟子は1,250名が正しい人数であるが、

この経典では98,000名と80倍近く多くなっている。

大比丘衆と菩薩の人数の比=105:1018 =1:1013

パーセントで表しても10-11 %である。

金光明最勝王経の説法の場には菩薩達で満ち溢れ、ブッダの弟子達の影は薄い。

大乗仏教は菩薩乗とも呼ばれる。

金光明最勝王経は菩薩のために説法された経典と言えるかもしれない。

大比丘衆(ブッダの直弟子)は本当は居ないとして無視して良いくらいである。

しかし、比丘衆は説法者ブッダの直弟子だし、

伝統仏教の力を完全に無視できないためおまけで入れたとしか考えられない。

   

 3)出席者について:

出席者のうちガルーダとはヒンズー教のビシュヌ神の乗り物とされる聖鳥である。

竜王、薬叉(夜叉)、ガンダルバ、アスラ、キンナラ、マホーラガ、

山林河海一切の神仙などはすべてバラモン教以来のインドの伝統的神々である。

彼等はブッダの説いた原始仏教では否定され無視された神々である。

しかしこの経典では彼等は復活して説法の場に雲集している。

これも大乗仏教とヒンズー教の密接な関係を示している。



11.2-5

11・2-5観世音菩薩のルーツは何か?



法華経観世音菩薩普門品は普通「観音経」と呼ばれている。

この経典には観世音菩薩は33の身体に変身すると述べてある。

この33身は表9のようなものである。

表9 観世音菩薩の33の変化身

表8

観世音菩薩の変化身33身のうち、仏教に関係深い変化身はNo1、2、3、12、15、16、17、18の

8変化身である。

これに対し、バラモン教やヒンズー教に関係の深い変化身は

No 4、5、6、7、8、9、14、22、25、26、27、29、30、31,32、33、の16変化身にものぼる。

特に第33番目の執金剛身(執金剛神)は金剛杵をもつので密教的な神と言える。

33身のうちほぼ50%がバラモン教、ヒンズー教に関係の深いものであり、

仏教に関係深い変化身より多い。

法華経観世音菩薩普門品(坂本幸男、岩本裕訳注、岩波文庫 法華経下p.255)には

彼(観世音菩薩)はマヘーシュバラによって導きえられる者には、マヘーシュバラの姿で教えを説く。」

とはっきり書いてある。マヘーシュバラとはシヴァ神のことである。

このことは、

観世音菩薩のルーツはヒンズー教(シヴァ派)にあることを示唆している。

カンボジアのアンコールワットで信仰された神はシヴァ神であると同時に観世音菩薩であり、

ビシュヌ神であったと考えられている。

アンコールワットではヒンズー教のシヴァ神と大乗仏教の観世音菩薩は同一神として、一つに融合していたのである。

これは、両者を峻別する積極的理由がなかったからだと考えられる。

この観世音菩薩の複雑な姿を整理統一したものが十一面観音であるとされる。

十一面観音のサンスクリット名はエーカダシャ・ムカと言う。

「エーカダシャ」とは、「十一」、「ムカ」は「顔」の意味とのこと。

エーカダシャ・ムカとはシヴァ神の別名である。

これも観世音菩薩のルーツがヒンズー教(特にシヴァ派 )にあることを示唆している。

原光渡氏の「般若心経」研究では

「観世音菩薩」を「自在主(シバヴァ神)を観じることを極める求道者」と訳している。


これも上記の結論を支持するものである。

この考えを支持するのは幾つかの観音のルーツである。

次の表10に千手観音など4観音のルーツを考えよう。  

表10 幾つかの観音のルーツ

観音名 ルーツ
不空羂索観音経典にはこの観音は摩醯首羅天の如しと書いてある。摩醯首羅天とはシヴァ神のことであるから、シヴァ神と深いつながりがある。
千手観音 サンスクリット名サハスラ・プジャはシヴァ神の別名であることからその本体はシヴァ神といえるだろう。
馬頭観音 サンスクリット名ハヤグリーヴァ。ヒンズー教のヴィシュヌ神の化身だと言われている。 
准提観音(じゅんていかんのん)サンスクリット名チュンディーはヒンズー教の女神チュンディーから来たと言われている。元々はヒンドゥー教の女神ドゥルガーが仏教に観音(如来)として取り入れられた姿であるとされる。

注:

ヒンドゥー教の女神ドゥルガーについて:

ドゥルガーは、ヒンドゥー教の女神である。

その名は「近づき難い者」を意味する。

外見は優美で美しいが、実際は恐るべき戦いの女神である。

10本あるいは18本の腕にそれぞれ神授の武器を持つ。

神々の要請によって魔族と戦った。

シヴァ神の神妃パールヴァティーと同一視された。

表10も観世音菩薩のルーツがヒンズー教にあるという考えを支持している。



11・2-6 金光明最勝王経の面白さ



天平13年(A.D.741)聖武天皇は全国の国分寺に七重塔一基の造営と金光明最勝王経、

法華経の書写を命じた(続日本紀)。

それとともに、天皇自身が金光明最勝王経を写経したと伝えられている。

国分寺の正式名は金光明四天王護国乃寺である。

4世紀頃成立したと考えられている金光明最勝王経は特異な経典である。

この経典には弁財天(河の神)、樹神、地神などインド伝統の神々が出てきて持経者の諸苦悩だけでなく、

侵略する怨賊を撃退し守護するという<鎮護国家思想>が述べられている。

これが国分寺建立の動機になったと考えられる。



 11・2-7  経典の持つ功徳と力



金光明最勝王経大吉祥天女品第16には、この経典を受持、読誦、解説すれば

衣食住、医薬に困らないようになると述べている。

法華経にも経典を受持、読誦する功徳が強調されている。

ブッダ在世時には経典がまだ存在しないので経典の力という考えはない。

このような非合理で神秘的な力は原始仏教では否定された呪術的考え方である。

このような仏教の呪術的考え方と変化は、

ヒンズー教の呪術的密教的)な考えが仏教に導入された結果ではないだろうか。

経典の持つこのような力は法華経にも説かれている。

法華経には如来寿量品と言う有名な章がある。

金光明最勝王経にも如来寿量品と言う同名の章がある。

金光明経の如来寿量品では、ブッダは「我常に鷲山に在り、この経宝を宣説す」と言う。

また、ブッダは永遠に生きず80才という短命で死んだのは、

衆生に「如来に会うことは難しく希有なことだと衆生に難遭の想を生じさせるためである。」

と述べている。

これは法華経の如来寿量品と同じ内容である。

金光明最勝王経にはこの経典は経王(最高の経典)であると言う言葉が何度も出てくる。

法華経でも「この経典(法華経)は経王(最高の経典)である」と経典の功徳と力を強調している。

金光明最勝王経と法華経の類似性は

金光明最勝王経の創作グループと法華経の創作グループの間の深い繋がりを示しているのではないだろうか。



 11・2-8 金光明最勝王経に説かれるチャイトヤ信仰 



金光明最勝王経堅牢地神品第18にはチャイトヤ(霊樹、宝塔)が出てくる。

堅牢地神は大地の神(地母神)の1人である。

地母神は古くからのインド伝統の神である。

このことはバラモン教以来のインド伝統の神の復活を示している。

これもヒンズー教との関係を示唆するものである。

堅牢地神品第18では堅牢地神が仏の前で誓って、

もし、我が身(堅牢地神)を見たいと思うなら

至心に地神陀羅尼を読誦しなさい

そうすれば欲する資材、珍宝、伏蔵を得ることができよう

もし、神通力、長年(長寿?)、妙楽、を得たいと思ったり

病気を治療し、怨敵を降伏し、諸の異論を制したいと思うならば

身体を洗浴し

清潔な衣を着て、霊樹(チャイトヤ)のある場所に行きなさい

そこで香を焚き、華を散じ

飲食を供養して地神陀羅尼を唱えなさい。」と言う。



ここに出てくる霊樹(チャイトヤ)は原始仏典のダンマパダ(DP)の188〜189詩に次のように出てくる。

DP188詩「人々は恐怖にかられて、山々、林、園、樹木、霊樹(チャイトヤ)など多くのものにたよろうとする。」

DP189詩「しかしこれは安らかなよりどころではない。これは最上のよりどころではない

それらのよりどころによってはあらゆる苦悩から免れることはできない。」

この例を読んでも分かるように、

原始仏教でブッダは霊樹(チャイトヤ)などに頼るなと霊樹信仰を否定している。

ところが、金光明最勝王経では霊樹(チャイトヤ)の前で陀羅尼を唱えれば珍宝を得たり、神通力、

病気を治すことができるだろうと説くのである。

このような呪術的考え方は呪術を否定した原始仏教(ブッダの教え)からの大きな変化と言えるだろう。

また金光明最勝王経の蓮華喩讃品には金龍王という竜王が出て

蓮華喩の讃を以って諸仏を賞賛する。

また菩提樹神善女天という天女が出現する。

菩提樹神善女天はブッダが開悟した菩提樹を神格化したものと考えられる。

インドでは古くから樹木が崇拝されていた。現代インドにも樹神を祭る有名な寺院がある。

インダス文明の印章の図柄にもその信仰が描かれている。

樹木には樹神が棲むと信じられていたためである。

これらの例も大乗仏教とヒンズー教との深い関係を示している。 

   

 注:

樹霊信仰の例:

南インドのカーンチープラムにあるエーカンバレーシュワラ寺院は

3,500年のマンゴーの古木に対する樹霊信仰で有名である。

樹霊信仰は現代インドにも生き続けるインド伝統の土着信仰である。



11・2-9金光明最勝王経と密教 



金光明最勝王経の金勝陀羅尼品には多くの陀羅尼が紹介される

と同時にその受持が積極的に勧められている。

大弁才天女品には「祭壇を作り、安息香を焼き、明鏡と利刀を置き、呪を誦して壇を結べ、・・・

などと密教的祭祀の方法を述べている。

ゴータマ・ブッダは呪文(陀羅尼)を唱えたり、占いをすることを卑しい行為だとして禁じている。

金光明最勝王経が書かれた時代になるとそのようなブッダの戒律は忘れ去られたのだろうか?

金光明最勝王経では陀羅尼受持は「陀羅尼は三世諸仏の母なり

と強く勧められているのである。これもヒンズー教の影響だろうか?

普通後期大乗仏教である密教が成立するのは6〜7世紀と考えられている。

金光明最勝王経が書かれた時代は4世紀頃だと考えられているようである。

法華経が書かれた時代より後だと考えられる。

法華経にも陀羅尼品があり多くの陀羅尼(呪文)が出てくる。

このような事実から考えても、

陀羅尼を重視する密教的思想が仏教に入り込み、仏教が密教の方向へ変化し始めたのは

初期大乗仏教の時代からだと考えるのが自然であろう。




11・2-10 金光明最勝王経とヒンズー教 



金光明最勝王経の大弁才天女品には「世界の中に於いて自在を得たる

天女那羅延(ならえん)を敬礼す」と述べてある。

那羅延とはヒンズー教においてヴィシュヌ神と一体視される神である。

また婆蘇大天が出てくる。

婆蘇大天はヴァースデーヴァのことである。

ヴァースデーヴァはクリシュナの父の名であり、

これもヴィシュヌ神と同一視される神である。

大弁才天女品には堂々と、ヴィシュヌ神吠率怒天(ヴィシュヌ天)妙弁才の名で出て来ている。

ヴィシュヌ神の后パールヴァティーはウマー(光)の別名を持つ。

このウマーは大天烏摩(ウマ)妙弁才の名で大弁才天女品 に出てくる。

しかも至心帰命の対象(至心に信仰する対象)になっているのである。

また大吉祥天女品と言う章がある。吉祥天はインド名ラクシュミーでありヴィシュヌ神の后である。

また金光明最勝王経の序品に記述される説法開始の場面には

ヴィシュヌ神の乗り物とされる霊鳥ガルーダ(ガルダ王)が4万9千名(羽?)も集まっている。

しかも、この経典には至心に経典を読誦したり、至心に奉献するとの表現が何度も出てくる。

   

至心に経典を読誦したり、至心に奉献するということは、ヒンズー教のバクティの思想(誠信の思想)に通じる。

   

バクティの思想については大乗仏教その1を参照)。

これらの例の全ては、

金光明最勝王経の創作者グループがヒンズー教に関係深い人々であったことを示唆している。

   

この事実は紀元前後において、ヒンズー教の影響のもとに仏教が宗教化して大乗仏教が誕生したという考えを支持する

ものではないだろうか?

紀元前後はヒンズー教の聖典「バガヴァット・ギーター」が書かれたと推定される年代である。

13世紀、仏教はインドで滅びヒンズー教に吸収されたと考えられている。

ヒンズー教の中ではブッダはヴィシュヌ神化身の1人だとされるのである。

ブッダの時代でも出家修行者の多くはバラモン階層出身は約60%も占めたと考えられている。

ブッダ死後、教団の実質的指導者となった摩訶迦葉(マハーカーシュパ、十大弟子の一人)

はバラモン出身である。

ブッダの時代におけるバラモン階層出身者の割合については大乗仏教その1を参照)。

バラモン階層出身の仏教徒の多くは仏教に帰依した後も

バラモン教と完全に決別することができなかったのではないだろうか?

彼等は仏教教団においてヒンズー教隆盛の時代の潮流に乗って、

インド伝統のヒンズー教の思想を取り入れることによって、押され気味の仏教の隆盛と復活を図ったと考えることができる。


そのように考えれば大乗仏教誕生と密教化の謎は分り易い。

   

 注:

ヴィシュヌ神:

世界維持神として頼りにされる温和なヒンズー教の神。

仏教の開祖ブッダもヒンズー教ではヴィシュヌ神の化身とされる。




11・2-11阿弥陀如来の師匠はシヴァ神か? 



浄土系経典に見られるバクティの思想(誠信の思想)



観無量寿経の<上品上生>の説明では

かの国(西方極楽浄土)に生まれたいと願うものは

至誠心、深心、廻向心発願心の3種の心を起こしなさい

そうしたら浄土に往生できる」と言っている。

また大無量寿経(漢訳)には法蔵比丘の有名な48願が述べてある。

その18,19、20願には至心に信楽して、

わが国に生まれんと欲して・・・、至心に願を発して、わが国に生まれんと欲せば・・・、

至心に廻向して、わが国に生まれんと欲わんに・・・、 

至心にという言葉が3回も出てくる。

この至心という言葉は明らかにバクティの思想(誠信の思想)に通じる。

バクティの思想については大乗仏教その1を参照)。

大無量寿経では、法蔵比丘は世自在王仏(ローケーシュヴァラ・ラージャ如来)について修行したと述べている。

その結果、法蔵比丘は阿弥陀如来になったと述べている。

法蔵比丘が師事した世自在王仏のサンスクリット名ローケーシュヴァラ・ラージャとは

中村元、早島、木村博士等の訳注によればシヴァ神の別名だとされている。

不思議なことに、仏教については、法蔵比丘は誰に師事して仏教を学び、悟ったかについてはどこにも書いてない。

法蔵比丘は世自在王仏(ローケーシュヴァラ・ラージャ如来)に師事して

修行したことは大無量寿経にハッキリ記述していることなので確かだと考えられる。

つまり、法蔵比丘は仏教の仏如来ではなく、ヒンズー教の最高神であるシヴァ神に師事し学び修行したということになる。


これより、法蔵比丘は仏教徒ではなく、ヒンズー教の最高神シヴァ神に師事して修行したヒンズー教徒ということになる。


ヒンズー教の最高神シヴァ神に師事してヒンズー教ではなく、仏教を学び修行することはありえないからである。

大無量寿経では、その結果、法蔵比丘は浄土教教主阿弥陀如来になったと述べているのである。

これより、浄土教教主阿弥陀如来は仏教徒というより、

ヒンズー教のシヴァ神に師事してヒンズー教を学んだヒンズー教由来の如来である可能性が高いことになる。


これは浄土教の信者達にとって、驚天動地の結論ではないだろうか?

大無量寿経では世自在王仏(ローケーシュヴァラ・ラージャ如来=シヴァ神

は仏教に取り込まれ、仏教の仏如来と見なされ信じられている。

しかし、客観的に考えれば、阿弥陀如来が法蔵比丘の時代に修行した教えは

世自在王仏(=シヴァ神)が説くヒンズー教であり、

法蔵比丘はヒンズー教シヴァ派の修行者だったと考えるしかないだろう。

観世音菩薩は観無量寿経や無量寿経でも説かれ、阿弥陀仏の脇侍であることはよく知られている。

観世音菩薩のルーツはヒンズー教シヴァ派にあることは既に見た。

ヒンズー教シヴァ派の修行者である観世音菩薩は、ヒンズー教の阿弥陀如来の脇侍としても矛盾なく、ピッタリ収まる

観世音菩薩のルーツは何か?」を参照)。

この事実も、阿弥陀如来のルーツはヒンズー教シヴァ派にあることを支持するものである。

観無量寿経には、極楽浄土の様子について「ある仏国土

マヘーシュバラ(大自在天)の宮殿のようであった」と述べている。

マヘーシュバラ(大自在天)とはシヴァ神のことである。

観無量寿経のこの経文も阿弥陀如来とシヴァ神の密接な関係を示している。

法蔵比丘とシヴァ神の関係を次の図3に示す。

阿弥陀仏

図3 法蔵比丘は世自在王仏(シヴァ神)に師事し阿弥陀如来になったヒンズー教由来の神(ヴィシュヌ神)の化身か?


このように大乗仏教とヒンズー教の密接な関係は否定できない。

実際ブッダは死後、天上界や極楽浄土のような世界に生まれることを目的にした教えを生涯、説いたり口にしたことはない。

ブッダが極楽往生を説いたことは大乗経典(浄土教経典)以外に、古い経典(原始仏典)のどこにも見い出せない。

ブッダの教えについては原始仏教を参照(原始仏教を参照)。

死後極楽浄土のような世界に生まれることを目的にした

浄土系経典はヒンズー教の色彩が強いことは確かである。

大無量寿経(梵文和訳)にある法蔵比丘の48願のうち第26願は次のようなものである。

世尊よ、もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれた求道者たちが皆

ナーラーヤーナ神の金剛のように強固な体や力を得るようにならないようであったら

その間はわたくしは、この上ない正しい覚りを現に覚ることがありませんように。」

ここに出ているナーラーヤーナ神はヒンズー教のヴィシュヌ神と同一視される神である。

漢訳の大無量寿経の第26願にも「たとい、われ仏となるをえんとき

国中の菩薩、金剛の如き那羅延の身を得ずんば、正覚を取らじ。」

と那羅延(ナーラーヤーナ神=ヴィシュヌ神)が出ている。

大無量寿経の第26願において、法蔵比丘は、

極楽浄土に生まれた求道者たちが皆、ヴィシュヌ神のような金剛強固な体や力を得られますようにと

ヒンズー教のヴィシュヌ神の名前を出して願っているのである。

 法蔵比丘は、シヴァ神の下で修行をして、ヴィシュヌ神のように光輝く阿弥陀如来になったのではないだろうか。


法華経の観世音菩薩普門品ではブッダは阿弥陀如来について次のように述べている。

かの指導者アミターバ(阿弥陀仏)は、汚れなく心持のよい蓮華の胎内にて

獅子座に座を占めて、シャーラ王のように輝いている。」

シャーラ王とはヒンズー教のヴィシュヌ神である。

即ち、同時期に創作された大乗経典である法華経においては、

阿弥陀仏はヒンズー教のヴィシュヌ神(=シャーラ王)のように輝いていると言っているのである。

法華経の観世音菩薩普門品ではブッダは阿弥陀如来について

阿弥陀仏はヒンズー教のヴィシュヌ神(=シャーラ王)のように輝いていると述べるように、

浄土教の阿弥陀仏にはヴィシュヌ神イメージが強く付きまとっている。

ヴィシュヌ神は太陽の光の神格化によって生まれた神だと考えられている。

阿弥陀仏は「無量光如来」とも呼ばれる。

阿弥陀仏の「無量光如来」の呼び名はヴィシュヌ神の性質に由来すると考えられる。

阿弥陀如来の別名無量光如来はヴィシュヌ神の持つ太陽の光照作用のイメージを

無量光)だと神格化して阿弥陀仏に取り入れたと考えるのは自然である。

またヴィシュヌ神は海洋と縁が深い。

ヴィシュヌ神は太初、神々とともに海底から不死(=無量寿)の飲料アムリタ(甘露)を得たとされる。

飲料アムリタ(甘露)の不死(無量寿)は

阿弥陀如来(無量寿如来)の「無量寿」という名前に反映されていると考えるのは妥当である。 

このように、阿弥陀如来の別名「無量光如来」や「無量寿如来」の名前はヴィシュヌ神に付きまとう太陽の光照作用、

不死の飲料アムリタ(甘露)の不死をそれぞれ(無量光無量寿)だと神格化して取り入れられたと考えることができる。

ヴィシュヌ神は、「温和」と「慈愛」の神として知られる。

このうち、

「慈愛」の神という性格が阿弥陀仏の「慈悲」の性格として反映されている。

  このように考えると、阿弥陀仏はヒンズー教のヴィシュヌ神を仏教化して取り入れたヴィシュヌ神の化身だと結論できる。

図3はこの関係を示している。




11・2-1A仏教のヒンズー教化と浄土教経典作成の目的 




浄土教経典を作成した目的はどこにあったのだろうか?

浄土教経典作成の目的は仏教のヒンズー教化にあったと考えられる。

仏教の中にヴィシュヌ神の神格を持つ阿弥陀如来を導入し仏教の如来の一人にして

仏教のヒンズー教化を図ったと考えられる。

そうすることで仏教徒の多くはそのまま、ヴィシュヌ神に近い

神格を持つ阿弥陀如来を崇拝・信仰するようになる。

そうなれば仏教徒の多くはそのまま、

阿弥陀如来の崇拝・信仰ヴィシュヌ神の崇拝・信仰に切り替えてヒンズー教徒になる。

これが仏教のヒンズー教化であり、ヒンズー教徒の目的だったと考えることができるだろう。 

大無量寿経(梵文)では阿弥陀如来は18もの別名を持つとされその名前が列記されている。

ヒンズー教ではシヴァ神が多くの名前を持つことで有名である。

これらのことは浄土教経典を製作したグループがヒンズー教と深い関係にあることを示している。

インドでは死後天界に生まれることは人々の強い願望である。

現在でもインド人が聖地ベナレスに行って死ぬことを願うのは死後天界に生まれるためとされる。

浄土教では死後極楽浄土に生まれることを願う。

極楽浄土は天界の一種である。

このことは極楽往生という浄土教の思想はインドの土着宗教思想(ヒンズー教的思想)に由来することを示している。

ブッダの創始した仏教は出家修行僧に対しては厳しい。 

死後天界に生まれるような欲望や執着を苦の原因として否定し超越することを教えている。

ただし、在家信者に対しては善行を重ねて死後天界に生まれることを教えたとも言われる。

浄土教経典の創作グループはヒンズー教に親しんだ

バラモン階級出身の人々だったのではないだろうか?

ヴィシュヌ神と同一視されるナーラーヤーナ神(那羅延天)は

典型的な大乗経典である華厳経にも出てくる。

華厳経の盧舎那佛品第2には「佛国あり、善住金剛不可壊と名づけ

佛を那羅延不可破壊と名づけたてまつる。」

と典型的な大乗経典である華厳経にも

とナーラーヤーナ神(那羅延=ヴィシュヌ神)が堂々と出てきている。

これは典型的な大乗経典である華厳経ヒンズー教の影響下に創作されたことを示唆しているのではないだろうか。




11.2-12

11・2-12法華経、華厳経、梵網経に説く
大乗菩薩戒と苦行賛美の不思議



法華経の薬王菩薩本事品では次のように苦行を賛美している。

一切衆生喜見菩薩は日月浄明徳仏と法華経を供養するため12年間沈香、

乳香などの香料を食べ続けた後自分の身体に香油を塗り点火し燃焼させた。

一切衆生喜見菩薩が自分の身体を灯火とした焔によって

80億のガンジス河の砂の数に等しい世界を光り照らした。

この時限りない数のブッダ達(諸仏)はこの行為を

でかした。実に汝は立派だ。これこそ菩薩の真の勇気であり

如来への供養である

この自身を捨てることは教えへの最高の供養である。」

と賞讃し喝采したと書いてある。

また梵網経(梵網菩薩戒経)には次のような戒律が述べてある。



 第16戒:

好心をもって、大乗の威儀経律を学び、広く意味を開解しなさい。

新学の菩薩が大乗経律を求める場合には一切の苦行を説きなさい。

若しくは身を焼き、肘を焼き、指を焼きなさい。

若し身肘指を焼いて諸仏に供養しないならば出家の菩薩ではない。

あるいは飢えた虎狼獅子、一切の餓鬼に悉く身肉手足を捨てて供養しなければならない。

その後に次第に正法を説いて心開意解させなさい。


第26戒:

菩薩比丘に対して飲食を供養すべし。

もし物が無ければ自身及び男女の身を売り自身の肉を割き、

売って供給し、必要なものはすべて与えなければならない。


第44戒:

一心に大乗経律を受持し、読誦し、皮を剥いで紙と為し、

血を刺して墨と為し、髄を以って水と為し、

骨を析いて筆と為し、仏戒を書写しなければならない。


第45戒:

もし、牛馬猪羊など一切の畜生を見た時には

「お前は畜生であるが、菩提心を起こしなさい。」

と声をかけて心に念じねばならない。

華厳経の金剛幢菩薩十廻向品には

「菩薩は衆生が処刑され殺されようとした時 自分の身を捨ててでも彼の命を救ったり、

その苦痛を自分の身に受けて彼を救わなければならない。」

とか「菩薩は衆生から眼を乞われた時には、愛眼を持って彼を見、

強い信心を持って彼に眼を施す。」

「菩薩は身を壊り血を出して、衆生に布施する・・・。

人が来て菩薩に髄肉を乞う時でも、歓喜して髄肉を取用させる。」

などと述べられている。

華厳経菩薩十無盡蔵品第18には菩薩は十種の施を修行するとして

「まさに身命を捐棄し悉く一切を捨てて衆生を利益し、大施を究竟すべし」。

・・・宜しく速かに、身を捨てて以って其の命を済わん」。

菩薩が大王であっても乞食が来て王位と財宝を乞い求められたら

大王位と財宝を捨て与える。これを菩薩の内外施法とする。

菩薩が天下の大王であっても乞食が来て王位と城、妻子、

眷属、肢節血肉、頭目髄脳、を乞い求められたら、

「自分は一切を速やかに捨てて衆生に利益を与えよう。」

と願って大いに歓喜して悉く一切を捨てて衆生に恵み施す。

これを菩薩の一切施法と言う。」などと述べられている。

これらの戒律や思想は大乗仏教の崇高な宗教的博愛の精神

を伝えているといえるかも知れない。

しかし、「菩薩は身を壊り血を出して、衆生に布施する・・・。人が来て菩薩に髄肉を乞う時でも

歓喜して髄肉を取用させる」などの記述にいたっては、

非合理を超えて、狂気ともいえる不気味な側面を示している。

これを読んだら本当かと思われるかも知れない。

しかし、それは現代の進んだ文明思想から言えることである。

2000年前の大乗仏教興起の時点でこのような実践不可能な戒律が考えられていた

ことは事実である。

これは特に人間の身体や生命に対する無知が原因と思われる。

ゴータマ・ブッダの仏教では苦行を否定し中道を説いた筈である

しかし、ブッダの死後500年経った初期大乗仏教誕生の時代になると、

ブッダの苦行否定の中道の精神は忘れられ、ヒンズー教の苦行重視の伝統的精神が蘇ったためだと考えることができる。




ブッダの苦行否定と中道の教えについては原始仏教を参照。

原始仏教「ブッダの苦行否定と中道の教え」を参照

苦行を説くのはバラモン教などインド伝統宗教の思想である。

このように初期大乗仏教において、苦行賛美のインドの伝統宗教の思想が堂々と復活しているのである。




11・3-1 仏性: 蘇った<アートマン(我)>か?



大乗涅槃経は<一切衆生悉有仏性>を説く経典として有名である。

涅槃経四相品ではブッダ(世尊)は次のように語る。

所謂もし我、無我、非我、非無我なり。ただ取着を断じて我見を断ぜずと名づく

我見とは名づけて仏性となす。仏性とは即ち真の解脱なり。真の解脱とは即ちこれ如来なり。・・・・」

この経文は

我見=仏性=真の解脱=如来を主張している。

我とはアートマンのことであるから「ただ取着を断じて我見を断ぜず」とは

ただ我見への執着を断じるがアートマンを否定しない」ということを意味している。

ここに原始仏教以来、「五蘊無我の悟り」によって、ブッダによって否定されてきたアートマン(=我)は蘇ったのである。

同じく涅槃経四倒品ではブッダ(世尊)は迦葉菩薩に次のように語る。

仏法有我は即ちこれ仏性なり。世間の人仏法無我と説く

これを我の中に無我想を生ずと名づく。・・・・」

その意味は「仏法有我とは仏性のことである

世間では仏法は無我と説くがこれは我(アートマン)の中で無我と想っているだけである。・・・・」

となる。

同じく涅槃経如来性品ではブッダ(世尊)は次のように語る。

我とは即ちこれ如来蔵の義、一切衆生悉く仏性有り、即ちこれ我の義なり。・・・」

その意味は「アートマン(我)とは如来蔵の意味である

大乗涅槃経で説く一切衆生悉有仏性>の仏性について、

一切衆生悉く仏性有り」という仏性について、仏性とはアートマンのことである。」と言っていることになる。


これは、アートマン(我)=如来蔵=仏性を意味している。

ブッダはウパニシャッド哲学のアートマン(=我)の思想を否定したことはよく知られている。

原始仏教「ブッダの五蘊無我の悟り」を参照

しかし、大乗涅槃経においては、

「ブッダが否定したアートマン(=我)の思想は見事に蘇った」と言えるだろう。

普通<一切衆生悉有仏性>という言葉に対して、

一切衆生は仏性(=仏になる可能性)を有していると単純に解釈されている。

しかし、その意味するところを原典である涅槃経(大乗)まで遡ると

ブッダが否定したアートマン復活を意味していることが分かる。




仏教学者の松本史朗氏もその著書「仏教への道」で如来蔵思想は

仏教の中に取り入れられた「アートマン論」にほかならないと述べておられる。

松本氏の指摘は的を射ているといえるだろう。

アートマンについては原始仏教を参照(原始仏教:アートマンを参照)。




11・3-2「常、楽、我、浄」と四念処観



大乗涅槃経哀歎品では

」の思想が説かれる。

」の思想は原始仏教以来、仏教の基本思想として知られている。

大乗涅槃経で新しく説かれる「」の思想は原始仏教以来、

仏教の基本思想である「無常、苦、無我、不浄」の全てを否定した現世肯定の思想である。

これはゴータマ・ブッダ以来の現世否定的仏教を否定したことで大乗涅槃経が成立したことを意味する。

大乗涅槃経ではブッダ(世尊)はそれを次のように説明したとされる。

我とは仏のこと、常とは法身の意味、楽とは涅槃のこと、浄とは仏法のことである」。

涅槃経の中ではブッダ(世尊)は「在々処々でこの常楽我浄想を修行しなさい。」

と説いたとされている。

我とはアートマンを指し、常とは常住を意味するから

アートマンとは仏のこと、常とは法身の意味、楽とは涅槃のこと、浄とは仏法のことである

とブッダは説いたことになる。

このように改めて説明されるとなるほどと考えさせられる。

しかし、ブッダはこのようなことを説いたことはない。

大乗涅槃経を製作したグループはこの経典において

仏教の基本的原理を表わす言葉の意味を巧みにすり替え、自分達の主張を正当化していることは明らかであろう。 

部派仏教のところで述べたように、「四念処観」とは

1.この身は不浄である。

2.受(感受)は苦なり。

3.心は無常なり。

4.諸法は無我なり。

の四つを心で観じる修行法である

三十七道品を参照)。




この四念処観を否定し肯定的に考えると不浄→浄、苦→楽、無常→常、無我→我となる。

並び替えると、常、楽、我、浄 となり涅槃経の思想とぴったり一致する。

特に無我→我の転換が注目される。

このように「」の思想は

無常、苦、無我、不浄」を主張して来た仏教本来の思想とは異なる

むしろ、

常、楽、我、浄」 の思想は現実肯定のヒンズー教や密教の思想であると言えるだろう。

このことより大乗涅槃経においてブッダの思想は遂に180度転回したことが分かる。

」 の思想は現実肯定の大乗仏教の思想であり、

後期大乗仏教(密教)に直結する考え方である。


この例からも分かるように、

密教思想は大乗涅槃経などの大乗仏教において、既に用意(準備)されていたことが分かる。



大乗涅槃経ではブッダはマハーカッサパ(摩訶迦葉)に無上正法を付嘱したことになっている。

マハーカッサパ(摩訶迦葉)はブッダの死の床には居なかったので史実とは異なる。

マハーカッサパ(摩訶迦葉)はブッダの死後仏教教団の事実上の指導者になった人であるが

ブッダから無上正法を付嘱された事実はない。

ブッダの没後存続した仏教教団には指導者という者はいなかったからである。

マハーパリニッバーナ経において、侍者アーナンダにたいし

ブッダは「『わたしは修行僧のなかまを導くであろうとか

修行僧のなかまはわたしに頼っているとかいう思いはない

と言っている。

ブッダ自身が仏教教団の指導者だという意識を持っていなかったのである。

中国で偽作された「大梵天王問仏決疑経」という経典では

ブッダはマハーカッサパ(摩訶迦葉)に無上正法を付嘱したことにされているがこれは史実ではない。

無門関6則を参照)。

マハーカッサパ(摩訶迦葉)はバラモン階級の出身である。

スッタ・ニパータにもバラモンを賛美する詩がかなりある。

(スッタニパータ284〜315詩、621詩〜647詩を参照)。

これはマハーカッサパ(摩訶迦葉)がバラモン教的(orヒンズー教的)な思想を持った

人達が教団にいたことを示唆しているのではないだろうか?

大乗涅槃経を創作した人々はマハーカッサパ(摩訶迦葉)の流れをくむバラモン教の信奉者達で、

彼等がヒンズー教的思想を大乗涅槃経に盛り込んだと考えれば分かり易い。

しかし、別の観点から見ると、

仏性と「常、楽、我、浄」の思想は原始仏教の悲観的な四念処観の思想を乗り越えたものと言える。

その積極性と現実肯定の姿勢は現代においては評価できるものではないだろうか?

この思想は後世禅宗などの思想にも影響を与えた。

その現実肯定思想が中国や日本で受け入れられ、高く評価されたためであろう

常、楽、我、浄」の思想の中で

浄、楽」の思想は中期密教経典「理趣経」に於いては

有名な大楽思想(17清浄句の思想)にまで発展し、性欲などの欲望を肯定するに至ったと考えられる。




11・3-3経王を主張する大乗経典



十地経は最後のところで「この経こそが、王者であるからである。

・・・とくに優れたものである。」と言う。

法華経の薬王菩薩本事品では次のように主張する。

「仏はこれ諸法の王であるように、この経もまたそのようである。

諸経の王なのだ。多くの経の中で最も尊いのだ。」

法華経の法師品では「・・・これ諸経の王なるを聞き・・・・」

法華経の法師品ではブッダは「我が諸説の諸経しかもこの経の中において法華最大一なり」

と言ったとされている。

興味深いのは法華経は優れた経典であることを主張すると同時に、

法師品ではブッダは「我が諸説の諸経の中でこの法華経が最も難信難解なり。」と言わせているのだ。 

この経文は法華経の創作者自身がこの経典はブッダの説いた経典として見ても

最も難信難解であることを認めていたことになる。

原始仏典の内容は平易で易しい。平易なものから難信難解なものに変化したのは

原始仏教から大乗仏教の興隆過程において大きな変化があったからだと考えることができる。

一方、金光明最勝王経もいたるところで経王であるとを主張する。

その回数はちょっと数えても53回もある。

金光明最勝王経には如来寿量品という章がある。法華経にも同名の如来寿量品という章がある。 

また金光明最勝王経には最浄地陀羅尼品では菩薩の第六地において

ウトパラ華(青蓮華)、クムダ華(赤蓮華)、プンダリ華(白蓮華)で荘厳されると言っている。

法華経第八巻にも陀羅尼品がある。

これらの類似は法華経と金光明最勝王経の近縁関係を示唆している。

部派仏教(小乗仏教)までは経典の中で「どの経典が優れているか

などが主張され問題になることはなかった。

もし大乗経典が主張するように、

これらの大乗経典が本当にゴータマ・ブッダが説いた経典であるならば、経典間に優劣などないはずである。

また経典間の優劣など比較したり経王であると主張する必要もないはずであろう


無我の悟り」を我がものとしていたブッダがそのような「世俗的な考え方」に捕らわれるはずもないだろう。


ところが、法華経や金光明最勝王経などはこの経典が経王であるとか、

法華最大一などと主張している。

これは大乗経典が創作(偽作)経典であり、各創作グループ間に経典創作(偽作)競争があったため、

自分達の創作経典が一番優れている(宗教的に素晴らしい)、と自己主張していると考えれば分かりやすい。

法華経は「如来寿量品」においてで、ゴータマ・ブッダを久遠実成の本仏

という救世主に仕立て上げることに成功した。

これでブッダは人間から一挙に1神教の神に近い偉大な存在(尊格)になったといえるだろう。

金光明最勝王経はヒンズー教の神々(弁才天、四天王、大地神、樹神など)

を取り込み現世利益を説くことによって

地味な仏教をヒンズー教的な宗教に変貌させることに成功した。

十地経は菩薩の十地というまばゆいばかりの宗教的境地を開発することに成功した。

このような仏教の宗教化は大乗経典の創作者たちが目指した大目的だったと言えるだろう。


宗教的に素晴らしい経典を創作した時には、

彼等にとって前代未聞の素晴らしい成功に感じられたに違いない。

彼等はその感動を経王とか、「この経第一なり」という言葉で表現したのではないだろうか?




11・3-4大乗経典と原始経典の違いから見た大乗仏教の特徴



大乗仏教の特徴を明らかにするため、

大乗経典と阿含経典を含む原始仏教経典の内容の違いを比較し、

まとめると次の表11ようになるだろう。

 表11 大乗経典と原始経典の内容の違い

No 大乗経典 原始経典
ブッダは人間ではなく信仰の対象としての仏・如来となる。如来への信仰や難信を強調するブッダは人間であり信仰の対象ではない。神々への信仰の否定。合理的で理解し易い教えなので理解納得した上で信じることができる。
秘密の教えを強調秘密の教えはない。 
ヴェーダ以来の多くの神々の登場し、仏教を守護する。神も登場することはあるが神々への信仰は否定される。
仏の神力や放光などの奇跡を説き、合理性は著しく後退している道理に基づいた合理的理法
陀羅尼、神呪の記述と肯定呪術、神呪の否定
現実(世俗)や欲望の肯定(勿論、無制限の肯定ではないが)世俗や欲望の否定
不信仰者への脅しと信仰の功徳不信仰者への脅しを説くことはない
苦行の肯定苦行の否定(中道)
経典の功徳と力経典の功徳と力などは説かれることはない
10慈悲や利他の強調慈悲や利他などは特に強調されないが四無量心の中にその萌芽が見られる。
11自帰依の教えは消失し、仏への信仰に置き換わる自帰依の教え1)
12多くの菩薩、諸仏の登場菩薩はジャータカ以外には殆ど登場しない。
13ヒンズー教への接近と融和バラモン教への疑問と否定

   

注:


1.

原始仏教でも仏帰依はあるが、教団入団の儀式における宣誓であり、大乗仏教のような信仰ではない。

ブッダに両手を合わせて拝もうとした信者に対し、

ブッダは「そんなことをして何のためになる」と否定したと伝えられる。

大乗仏教で顕著になった「仏を信仰の対象として崇拝する「仏帰依・諸仏信仰

はブッダによって否定されていたと考えることができる。


2.

 大乗仏教は、ブッダの教えの真精神にもう1度立ち帰り、

一般大衆の手の届くところに押し戻そうとする仏教の原点への回帰運動であるとよく言われる。

しかし、大乗仏教では、ブッダが禁止した陀羅尼、神呪を肯定し呪術が復活している。

ブッダが否定した苦行も肯定し、合理性の後退が著しい。

ブッダの教えの核心である「自帰依・法帰依」の教えは消失している。

原始仏教2:自帰依と法帰依を参照

これではブッダの真精神への回帰とはとても言えないだろう。


3.

大乗仏教ではゴータマ・ブッダの理法に対する誤解と忘失が起こっている。

ただ評価すべきは6番目の現実(世俗)や欲望の肯定という思想である。

ブッダの仏教では余りにも現実否定・禁欲的で悲観的な傾向を持っていた。

そのため、社会生活から出離し出家して僧となって修行に専念するしかなかった。


4.

大乗仏教ではこの点が現実(世俗)や欲望の肯定という方向に変化している。

これは現実に客観的に向き合ったからだと評価できる。

これによって仏教は在俗信者に受け入れ易くなったのである。


5.

原始仏教や小乗仏教では世俗を捨て出家修行者にならないと

ブッダの悟りと解脱に近づくことは出来なかった。

この点大乗仏教は在家のままでも近づけるようになったとも言える。

また10番目の慈悲や利他心など衆生救済の精神(利他の精神)の強調も評価されるところである。

ゴータマブッダの原始仏教の<自帰依の教え>は他の宗教には見られない核心的特徴である。

原始仏教2:自帰依と法帰依を参照

しかし、大乗仏教では、この<自帰依の教え>が消失していることは惜しまれる。


大乗仏教では、諸仏信仰による衆生救済を強調するためか、

自帰依の教え>は、自己中心的であり、<大乗仏教の利他の精神>に反するとして切り捨てられたのだろうか。


6.

ブッダの<自帰依の教え>は余りにも先進的で宗教的思想と対立する概念である。

他の宗教は未だ神帰依の教えを固く守っている。

啓典宗教では聖書やコーランに書いてある教えを神の教え(?)だと

固く信じて盲目的に守るだけである。

特に狂信的原理主義者にその傾向が見られる。


ブッダの<自帰依の教え>は20世紀になって、

個人の自由や尊厳(人権)・人間の持つ能力が認められるようになって初めて

その<素晴らしさ>が分かる概念と言える。



古代インドの科学や文化レベルではその真価は理解されなかったのかもかも知れない。


   






参考文献


   

1.梵網菩薩戒経、東方書院、昭和新纂国訳大蔵経 経典部第1巻、1929年

2.妙法蓮華経、東方書院、昭和新纂国訳大蔵経 経典部第1巻、1929年

3.坂本幸男、岩本裕訳注、岩波書店、法華経 下、1967年

4.華厳経、東方書院、昭和新纂国訳大蔵経 経典部第9巻、10巻、11巻、 1928〜1929年

5.金光明最勝王経、東方書院、昭和新纂国訳大蔵経 経典部第四巻 1928年

6.大般涅槃経、東方書院、昭和新纂国訳大蔵経 経典部第5巻 1928年

7.中村元訳、岩波書店、岩波文庫 ブッダの最後の旅ー大パリニッバーナ経ー、 1987年

8.松本史朗著、東京書籍、東書選書 仏教への道1993年

9.中村元訳、岩波書店、岩波文庫 ブッダの真理のことば、感興のことば 1989年

   

10.中村元、早島鏡正、紀野一義訳註、岩波書店、岩波文庫 浄土三部経、上、下 1963年

   

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