「勇者フルートの冒険・番外編 〜シルの町の戦い〜」        朝倉玲・作  
11.呼び声

「やめろ、フルート!!」
ゼンがとっさにフルートの胴に腕を回して引きとめました。フルートが金の石のペンダントを握りしめたまま、後ろのデビルドラゴンへ飛びつこうとしたからです。
「無茶するな! おまえが行ってどうなるってんだよ!」
「でも、ヤツが・・・!!」
フルートは身をよじってゼンの手から抜け出そうとしながら叫びました。デビルドラゴンは大きな口を開けながら、すぐ後ろまで迫っています。フルートもゼンもポチも一口に飲み込みそうな、巨大な闇のトンネルです。
「落ちつけったら! おまえは今、魔法の鎧を着てないんだぞ! ポチの背中から飛び降りたらイチコロじゃないか!」
とゼンはフルートを叱りつけると、いっそう強くフルートの体を抱きしめてポチに言いました。
「飛べ! 死にものぐるいで魔の森まで飛ぶんだ!!」
「ワン!!」
ポチは一声吠えると、今まで出したことがないほどの速さで空を飛んでいきました。ゼンはフルートを抱いたままポチの背中に身を伏せました。少しでも抵抗を少なくして速く飛ぶためにです。

フルートは、その体勢のまま後ろを振り返りました。デビルドラゴンが影の口を開けて、今まさにポチの尻尾を飲み込もうとしています。フルートは金の石を握った手を精一杯伸ばすと、後ろにかざしました。金の光があふれ出し、闇のドラゴンを照らします。ドラゴンは思わず身を引き、口を閉じました。ポチとの間の距離が、ほんの少し開きます。
けれども、デビルドラゴンはさすがに他の闇の生き物たちとは違いました。金の光を浴びても消えることはなく、またすぐに追い上げてくるのです。
「金の石が力負けしてる・・・」
フルートは思わずつぶやきました。
デビルドラゴンがまた迫ってきます。小さなポチやフルートたちを粉々に押しつぶしそうな、あまりにも大きな闇の影です。
ドラゴンがまた口を開けました。牙さえない口の奥は、果てしない暗がりにつながっていました。その奥に、闇よりも深く黒い光が揺れています。それを見つめるフルートの耳に、突然一つの声が聞こえてきました。
――来イ、ふるーと。我ガ元ヘ来タリテ、我トヒトツニナリ、我ニチカラヲ与エヨ・・・
デビルドラゴンの呼び声でした。
フルートの全身に鳥肌が立ちました。圧倒的な召喚の響きです。抵抗しようと思うのに、声が心の中に食い込んできて防ぐことができません。金の石のペンダントを握る手から、急に力が抜け始めました・・・。

「フルート!?」
フルートがふいにぐったりと寄りかかってきたので、ゼンはびっくりしました。とっさに抱き寄せて顔をのぞき込むと、フルートは視線の合わない目で遠いどこかを眺めていました。
「おい! おい、フルート!!」
ゼンが必死でフルートを揺さぶっていると、フルートの左手からするりと金の石のペンダントが抜け落ちました。まっすぐ地上に向かって落ちていきます。
「ワン!」
ポチは全速力で逃げていたにもかかわらず、それに気がついていきなりUターンしました。石を追って急降下して、口にペンダントをくわえます。それを追って影のドラゴンが首を伸ばしてきましたが、ポチはかろうじてそれをかわして、また森へ向かって飛び始めました。
「フルート!! フルート・・・!!」
ゼンは必死で呼び続けましたが、フルートは人形のようにうつろな顔のまま何も答えません。炎の剣さえ、力の抜けた右手から落ちていきそうになります。ゼンはあわてて炎の剣をつかむと、歯ぎしりをしました。
「くそ、どうしたらいいんだよ・・・・・・!? 誰か・・・誰か、来てくれ! 渦王! 天空王! 泉の長老――!!」
ゼンが死にものぐるいで自然の王たちの名を呼んだときです。
行く手の魔の森から、突然巨大な光の柱が立ち上りました。
エメラルドのように輝く緑の光が、まっすぐに空を駆け上り、次の瞬間、破裂するように四方八方を強く照らし出しました。
 オー・・・オォォー・・・オォーーー・・・・・・
風のうなるような吠え声を上げて、デビルドラゴンが彼らから離れていきました。緑の光に追い立てられるように、空の彼方に飛び上がり、そのまま、光の中に薄れて見えなくなってしまいます・・・。

ゼンとポチは、あっけにとられてその光景を眺めていました。
緑の光が急速にしぼんで、吸い込まれるように消えていきます。消えていく先は、魔の森の中心でした。
「泉の長老だ!」
ゼンは声を上げると、まだ正気に返らないフルートを抱き直してポチに言いました。
「急げ! 長老のところへ行くんだ!」
ポチはすぐさま森の中心目ざして飛び始めました。口に金の石のペンダントをくわえていたので、返事ができなかったのです――。


森の中央の空き地にポチが舞い下りたとき、泉の長老はすでに姿を現して、金の泉の水面に立っていました。
「やれやれ、もっと早くわしを呼ばんかい・・・。わしの力は基本的にこの森の外までは及ばんのじゃ。フルートは金の石を手放すし。おまえたちが呼んでくれなんだら、いくら目の前でも助けられないところじゃったぞ」
長老は輝く白いひげをしごきながらそう文句を言うと、音もなく泉の上を歩いて、子どもたちの方へ近づいてきました。ゼンはフルートを抱いたままポチの背中から飛び降りました。
「長老、フルートがデビルドラゴンにとりつかれたんだ! なんとかしてくれ!」
「あせるな、ゼン」
泉の長老は静かな声で言うと、フルートの顔をのぞき込みました。
「どうしてヤツがフルートの魂に手出しできよう。闇は光にはかなわんのじゃよ。フルートはただ、ヤツに力を奪われかけとるだけじゃ。まあ、それはそれで、実際に奪われたら厄介じゃがの・・・。心配はいらん、すぐに目を覚ますじゃろうて」
そして、長老は泉の中に片手を浸しました。たちまち、透き通った水が手の周りでエメラルドのように輝き始めます。長老は緑にきらめく水を手にすくうと、フルートの額にぽたぽたとたらしました。とたんに、フルートは顔をしかめ、はっと正気に返りました。
「あ・・・れ、ぼく・・・?」
不思議そうにあたりを見回すフルートを、ゼンが力一杯抱きしめてどなりました。
「フルート・・・! この馬鹿! 焦らせるなよ!」
ポチもワンワン吠えながらフルートに飛びつきました。
「フルート! フルート! ああ、良かった・・・!」

長老が重々しく言いました。
「フルート、1人で無茶をするでない。デビルドラゴンは、おまえが1人でヤツの方に来るようにと仕掛けておったのじゃぞ。ゼンとポチが助けてくれなんだら、おまえはデビルドラゴンに力を奪われてしまうところじゃった」
フルートはしゅんとなると、自分の体を眺めなが ら言いました。
「ぼく・・・ヤツに魔王にされかけていたんですね・・・?」
すると、泉の長老は首を横に振りました。
「いいや、そうではない。魔王になるということは、ヤツに魂も体もすべて明け渡すということじゃ。ヤツは魂の中に住みついて、その者を魔王に変える。そのために、ヤツは魂すべてが闇に染まったものを探すのじゃ。もしも魂が少しでも光を持っていれば、闇の権化であるヤツは、その光で致命的な深手を受けてしまうからな・・・」
そして、長老はじっとフルートを見つめました。
「おまえの魂は、普通の人間よりもはるかに光の部分が多い。フルートだけではない、ゼンもポチも、ポポロたちも・・・おまえの仲間たちは皆そうじゃ。おまえたちは光の子どもたちじゃからの。いかにデビルドラゴンでも、光の子たちに乗り移ろうとは考えんよ」
それを聞いて、フルートは目をぱちくりさせました。
「じゃ・・・ぼくたちは、魔王にされる心配はないんですか・・・?」
すると、長老はひげをしごきながら静かに笑いました。
「おまえたちだけでなく、大部分の者たちは皆、まず大丈夫じゃよ。魂のすべてが闇に染まったものなど、そうそういるものではない。人は光と闇の両方を魂に持ち合わせて生きる、矛盾した存在じゃからな。心に光だけを持った者がまずおらんように、心のすべてを闇に染めた者も、めったにおらんのじゃよ。だから、ヤツも魔王にする者を見つけるのに苦労するのじゃ」
フルートとゼンとポチは、思わず顔を見合わせました。長老の話は少し抽象的でしたが、それでも、とりあえず自分たちや知人友人たちが魔王にされる心配はないのだということは理解できました。
「なぁんだ。それじゃ、こんなに心配することはなかったんじゃないか!」
ゼンがほっとして思わず声を上げると、とたんに長老の厳しい声が飛びました。
「ヤツを甘く見るでない、ゼン。ヤツは人を魔王に変えるだけでなく、その者の力を奪うこともできる。今、フルートはヤツに力を奪われかけとったんじゃ。力を手に入れたヤツの恐ろしさは、北の大地で思い知って来たはずじゃろう?」
フルートたちはまた、何も言えなくなりました。デビルドラゴンに乗り移られたオオカミ魔王は、ポポロたちの力を奪って北の大地に居を構え、その力を使って世界中の陸地を津波で押し流そうとしていたのでした。
長老は、何もかも見透かすような深い目で子どもたちを見つめながら言い続けました。
「自分たちの力を過小評価するな。おまえたちは金の石の勇者の一行じゃ。おまえたちの持つ力は、普通の人間の比ではない。おまえたちの力がヤツのものになってしまったら、ヤツを倒すのはひどく難しいことになる。ことによっては、ヤツにまた他の生命を奪って復活するきっかけを与えるかもしれんのじゃ。闇の卵のときのようにな」
それを聞いて、フルートは思わず自分の体を抱きしめました。改めて、デビルドラゴンに取り込まれかけた恐ろしさを感じたのです。ゼンがうなるように言いました。
「だよなぁ・・・。だいたい、フルートがヤツのものになったら、誰がヤツを倒すって言うんだよ」
「ワン。でも、それじゃどうしたらいいんでしょう? フルートでさえ、デビルドラゴンに負けそうになったんですよ? ぼくたちに、あいつの誘惑に勝つ方法はあるんですか?」
とポチが長老に尋ねました。
長老は、ポチが泉のほとりに置いた金の石のペンダントを指さしました。
「それじゃよ。金の石はいつだっておまえたちを守っておる。そして、心を強く持つことじゃ。金の石は、おまえたちが石を信じる心に比例して強くなるからの。石の力を疑わんことじゃ」
フルートは思わず顔を赤らめてうつむきました。あまりにも巨大な竜の姿に圧倒されて、金の石の力を信じられなくなったところを、デビルドラゴンにつけ込まれたのだと気がついたからです。


静かな泉のほとりに、ふいに、ぴしりと何かがひび割れるような音が響きました。
泉の長老は森の上の空を眺めると、白い眉をひそめました。
「あれしきのことでは追い払えんとは思ったが、やはり来おったか・・・」
フルートたちは、はっとすると、すぐさま身構えました。ゼンはショートソードを抜き、子犬に戻っていたポチは風の犬にまた変身します。フルートは泉のほとりに置かれた金の石のペンダントを首にかけると、炎の剣を右手に握りしめました。
空の一角から、ピシピシ、ベキベキッと何かが壊れていく音が響いてきます。
そして、突然空が青く塗った卵の殻のように粉々に砕けたと思うと――その奥から、巨大な黒いドラゴンが現れたのでした。




(2005年7月22日/7月25日修正)



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