昇平てくてく日記2

小学校高学年編

日記の総括〜リタリンの使用禁止措置に〜

 さて、先週の日記を昨日公開したばかりだけれど、最近の総括的な内容を別記事で書くことにする。

 このところの私の日記に、昇平のことだけでなく他の家族についての記述が増えていて、しかも、以前よりネガティブな内容が多くなっていたことには、お気づきだっただろうと思う。
 日記を読んでいる知人たちからは、直接会ったときに「朝倉さんは本当によく頑張っているね」というような声かけをされることが増えていた。昇平は学校で同級生たちと毎日のようにトラブルを起こすし、リタリンは使えなくなるし、長男は受験期だったし、旦那の仕事は忙しいし……で、「朝倉さんはイライラしているんじゃないだろうか?」「鬱っぽくなっているんじゃないだろうか?」と心配しながら日記を読んでいる方たちも、きっといたのだろうと思う。

 けれども、実際には、私は今までとまったく変わっていない。イライラしてもいないし、鬱にもなっていない。大変な毎日に悲観的になっているわけでもない。だって、日記に書いている状況は、「ずーーーーっと、今までもあったこと」だから。
 もちろん、長男が受験だったのは今年度のことだけれど、その前にだっていろいろと家庭として大変な時期はあったし、もっともっと深刻な事態だって起きていた。昇平の友だちとのトラブルは最近になって増えたことだけれど、それ以前にだっていろいろと問題や困ったことは数え切れないほど起きていた。旦那が多忙なのだって、結婚して以来ずっとこんな感じで、今に始まったことじゃない。
 だから、私は今までと同じような気持ちと態度で日々を過ごしている。「ああ、忙しい忙しい!」と言いながら、長男の受験や進学関係の手続きに駆け回り、昇平のトラブルには「何が起きているんだろう?」「どうするのがいいかなぁ?」と頭をひねり、旦那には「忙しいだろうけど、この日だけは何とか都合をつけてね」と言って乗り切って、別にそういう生活にストレスを感じていることもない。一番心配していたのは、リタリンがベタナミンに切り替わったことだけれど、それも薬の調整をしたら、以前より落ちついて積極性が出てきたくらいだし。

 私は今までとまったく同じに過ごしている。子どもの成長を喜んだり、子どもが悪さをすれば怒ったり、自分の趣味に燃えたり、食事の支度や家事をしたり。本当に、私自身は全然変わらない。
 私が日記で家族のことについての記述を増やし、さらにネガティブな内容も多く書いていたのは、そんな私の生活のありのままを、一度きちんとお見せした方がいいだろう、と思ったからだ。

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 今回の、厚生労働省の一方的なADHDへのリタリン使用禁止措置(そんな命令はした覚えがない、といくら厚労省が言っても、現実的にはそういうこと)には、本当に頭に来た。
 「リタリンは依存症を起こす悪い薬です。ADHDのお子さんは、今度認可されたコンサータの方を使いましょう。」と言って、それっきり。今まで医者の処方の元で適切にリタリンを使って、それなりに安定した生活を送れるようになっていた本人や家族のことを、あまりにも配慮していなかった。

 ADHDという障害は、確かに命に関わるような重大な病気ではない。重度の障害者のように、自立した生活ができないというほど重症な障害でもない。知的にも問題がないことが多い。「だから、普通と同じだろう」「障害としては軽度なんだから、そんなに支援は必要ないだろう」というようなことを言われることは多い。
 だけど、軽度だからこそ、普通と大きくは違わないからこそ、大変なこと、困難なことは日々山のように起きてくる。
 しかも、たいてい、家庭の中には障害のある子だけがいるわけじゃない。他の兄弟姉妹がいたり、配偶者がいたり、同居の両親がいたり。親は、ADHDのある子どもだけでなく、他の家族のことだって考えなくちゃいけない。仕事を持つ人は、自分の仕事にだって一生懸命取り組まなくちゃいけない。
 そんな中で、ADHDのある子が落ちつきがなくて日々家の中や外で大きなトラブルを起こしてきたら、親は本当にまいってしまう。しかも、ADHDの子が起こすトラブルというのは、対人的な内容が多いので、親の育て方、しつけ方などのせいにされることも非常に多くて、親は非常に追い詰められることが多い。
 リタリンという薬が、そんな子どものADHD的症状を抑えてくれれば、トラブルが減る。そうすれば、親にかかる負担も減ってくる。そうすれば、親だって気持ちに余裕が出てきて、他の日々の生活や他の家族に対して元気に対応できるようになる。
 親、特に母親が疲れ切ってしまわないようにすること。それが、発達障害のある子を持つ家庭においては、本当に大事なことだろうと思っている。毎日イライラして怒ってばかりいる母親に育てられているのと、笑顔で接してくれる母親に育てられるのでは、どっちがその子どもの成長にプラスになるかなんてことは、言うまでもない。

 リタリンは、ADHDに確かな効果が出ることが多い薬だった。それによって生活が安定して、お母さんの笑顔が増えていた家庭もとても多かった。
 リタリンに代わる薬として出てきたコンサータも、成分はリタリンとまったく同じだから、リタリンと同じように効いている、という情報は入ってきている。徐放剤と言って12時間コンスタントに効き続ける薬だから、薬の効果のムラが出なくて、リタリンの時よりも安定したお子さんたちも大勢いる。
 でも、コンサータはリタリンよりずっと高価な薬だ。薬代が数倍に増えてびっくりしている保護者は多い。さらに、二週間ごとに病院に通うのがとても大変な人たちも大勢いる。コンサータは二種類の分量のカプセルしかないから、適量が作れなくて、リタリンの時のような効果が出なくなったお子さんもいる。さらに、もっと問題なのは、18才以上になったADHD患者には、コンサータは処方できない、ということ。リタリンが使えず、コンサータも使えなくて、その人たちはどうすればいいのだろうか? 昇平のように、ベタナミンに切り替えるのが良い? でも、薬の効果の出方は人によって本当に違うから、昇平にはベタナミンがうまく効いても、他の人にもそうだとは限らない。
 日々を安定して過ごすために、リタリンという薬も、やっぱり必要なのだと思う。リタリンかコンサータか、ではなく、どっちもあって、そこから選べるべきなのだろう、と。

 私は、もう十年近く、こうしてネットの中で昇平の様子を皆さんにお伝えし続けている。大変な生活の中にも、子どもを育てる喜びや、キラッと光るような素敵なことはたくさん起きるから、それを拾い集めるように書きつづっては、障害児との生活の楽しさや喜びをお伝えしてきた。
 でも、そんな私だって、生活をありのままに記せば、こんなふうにさまざまなものを抱え、大変な想いをしながら、日々を過ごしている。「ADHDは軽度な障害だから支援はいらないだろう」「リタリンが使えなくなってもコンサータがあるからいいだろう」「ベタナミンが効いたからいいだろう」なんて、簡単に言えるような状況じゃないことは、ここ一ヶ月あまりの日記である程度感じてもらえたんじゃないかと思う。
 その子どもと家族がどんな状態にあって、どんな想いをしているか。どんなことに苦労して、どんな支援を求めているか。厚労省は、そういう具体的な状況にしっかり耳を傾けてほしいと思う。人の心と体の健康を守る役目にある人たちが、実際の姿を見ないで一方的な通達や措置を行うのは間違っていると思う。

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 私自身は、また、以前のようなスタンスに戻って日記を書こうと思っている。
 大変なこと、心配なことは、これからも起き続けるだろう。それを日記に書かない、というわけではない。でも、今までのように、そんな中にも嬉しいことや楽しいことを積極的に見つける書き方に戻ろうと思う。
 正直、ネガティブな内容に注目した書き方というのは、しんどいのだ。ありのままに書いているだけだけれど、「こんな悪いことが」「こういうトラブルが」「こんな心配事が」なんてことばかり書いていると、気分がだんだん滅入ってきてしまう。
 私の昔からのスタンスは「幸せ拾い」。どんな生活の中にだって、見回せば、素敵なこと嬉しいことはたくさん転がっている。その一つ一つはささやかで小さいことかもしれないけれど、それをたんねんに拾い集めていけば、きっと一つだけの大きな幸せよりも、ずっとずっと大きな幸せになるだろう、と思い続けている。
 だから、このてくてく日記も、また「幸せ拾い」に戻ろうと思う。そのほうが私自身も元気になるし、読んだ人だって、きっと気持ちが良くて元気になれると思うから。

 昇平は日々成長している。
 トラブルも確かに起きるけれど、それは彼が成長している証拠でもある。嬉しいことと困ったことは、いつだって裏表の関係なのかもしれない。
 それを喜ぼうが悲しもうが、実際に起きることが変わらないならば、悲しむより喜ぶほうがいい。
 「いつまでたってもトラブルばっかり起こして!」と怒るよりは、「成長してきたんだね。今はまだうまくできなくても、きっとだんだんと上手にできるようになるよ」と言ってあげるほうが、絶対に子どもにはプラスになる。親だって、子育ての元気を失わないですむ。
 だから、私はまた「幸せ拾い」に戻る。この小さな幸せたちが、未来につながっていくことを願いながら。

 そんな私たちの姿をこれからも見守っていただけたら幸いです――。


☆てくてく日記への感想等はこちらへ→ 「療育掲示板」

[08/03/04(火) 05:36] 発達障害

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