昇平てくてく日記2

小学校高学年編

「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る」読書中

 てくてく日記の通常の更新は明後日の予定ですが、今日はニキ・リンコさんが花風社から出した最新刊「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る」を読書中、というタイトルで、読みながら感じたことについて単発記事を書きたいと思います。

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 さて、今日は午前中、福島市に出かけ、親の会関係の打ち合わせ等をすませてから、昇平を駅ビルのゲーセンで遊ばせ、一緒にお昼を食べて帰ってきました。
 
 以前は何をしでかすかわからなくて目が離せなかった昇平も、今では、慣れた場所ならば、だいたい安心して一人にしておけるようになりました。
 駅ビルのゲーセンもその一つです。
 最初はすぐ前にある書店にいて、何かあったらすぐ親を探しに来るように言っていましたが、前々回あたりから、「ゲームが終わったらここに来なさい」と言って、親は同じ駅ビルの少し離れたファーストフード店で待っていることにしました。
 自立のためのスキルアップ――などというとすばらしく聞こえますが、実は単純に私が(ついでに旦那も)ゲーセンが苦手だというだけのことです。自分ではやらないし、うるさいし、ただ待っているだけは退屈なので。ファーストフード店でコーヒーでも飲みながら、のんびり待っている方がいいのです。
 今日はそこにニキさんの最新刊「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る」(花風社)を抱えて行きました。
 いや〜、のんびりコーヒー飲んで本を読んで待っていられるだなんて、天国!
 昇平が一番大変だったあの幼児期には、こんな日が本当に来るなんて想像もできなかったわ〜。
 そして、今回の「…世を渡る」も面白い! 天国×天国!!(爆)

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 今回のは、ニキさんが書いたご自分の自閉特性の記事の間で、それについてニキさんと編集者の浅見さんが対談をする、という形式になっています。
 まだ1/3あたりまでしか読んでいませんが、それでも、ここまで読んで、「これ、いいなぁ〜!!」と感じたのでした。すごくわかりやすいです。

 ニキさんが「自閉っ子」シリーズを出すきっかけになったのは、ご自分のサイトで「俺ルール」という、自閉者特有の認知や決定の偏りに関する文章を発表したことだと思うのですが(その後、同じタイトルで花風社から本を出されています)、初めてそれをサイトで読ませていただいたときに、「おおっ、そうなのか〜!」と感心するのと同時に、「これを、当事者の視点だけでなく、定型発達者(健常者)と呼ばれる人たちの視点でも見ることができたら、きっともっとわかりやすいだろうなぁ」と感じたのでした。もっとも、そう言ったら、ニキさんに「それは当事者である私には無理です」と言われてしまいましたが。当然ですね。
 あの時に感じた、定型発達者から見た視点――言ってみれば、外側から自閉っ子の内面を見た視点、というのが、浅見さんの視点であり、コメントなのだなぁ、と今回つくづく感じたのでした。

 自閉っ子のものの見方、捉え方、考え方は、定型発達をしてきた人たちには、やはり理解が難しかったり、想像しにくいところがあったりします。でも、自閉っ子と「濃ゆい」おつきあいをしている方たちだと、なんとなくわかる部分、理解できる部分も出てくる。「通訳」とまでは行かなくても、自閉っ子と定型発達者の「間を埋める」というのでしょうか。「このできごとは、こう考えるといいんじゃないかな?」というような提案や手助けを、浅見さんがして下さっているように感じます。
 あ――もうひとり、同じように橋渡しをして下さっている大事な方がいました。このシリーズに漫画やイラストを描いてくださっている小暮さんです。絵にしてもらうと、またぐっとわかりやすくなります。また、楽しいんですねぇ、この漫画が!(ファンです。笑)

 浅見さんも、小暮さんも、無理に自閉っ子の視点に立とうとはしていない気がします。あくまでも定型発達者としての視点に立ちながら、自閉っ子のエピソードや特性を「こういうことかな?」と捉えて再表現してくれている。
 そこがいいなぁ、とすごく思うのです。
 無理に同じに感じよう、考えようとはしないで、「自分は自分」というものを踏まえながら相手も理解しようとする。これが、本当の意味での「理解」だと感じられるのですね。
 そして、その理解が、他の多くの自閉っ子たちと定型発達者の間をつなぎ、理解の方向へと導いてくれている。
 ニキさんと浅見さんと小暮さん――三人で本当によいお仕事をなさっていると思います。

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 ところで、ここまで読んだところで、私が「うんうん、わかる!」とすごくうなずいた箇所がひとつありました。
 「大人になってよかった」というところです。
 子ども時代がどんなに幸せであっても、その頃に戻ろうとは思わない。今が一番いい、といつも思ってきた、とニキさんが語っているのですが、私もまったく同感なのですね。

 別に子ども時代に不幸だったわけでもなんでもありませんが、とにかく、私も「見えているようでよく見えていない」「わかっているようだし、あるところはよくわかっているくせに、へんなところで理解がぽっかり抜けている」という特性を持っているので、子ども時代を思い出せば、わけのわからない失敗エピソードのオンパレード。しかも、それがなかなか忘れられなくてトラウマになりやすい、という特性まで持っているので、今でも5歳頃の失敗の記憶がフラッシュバックして、心の中で七転八倒、なんてことがあるのですね。(私も実に怪しいよな〜。笑)
 あの頃から比べたら、年をとって健康診断であちこち引っかかるようになってしまっても、今のほうが経験値が上がった分だけ失敗が少なくなって――はいないけど、やり過ごし方がうまくなった――ので、よほどマシってなもんです。
 ここに親切な魔法使いが現れて、「あなたを身も心も若返らせてあげましょうね♪」と言ってくれたとしても、「いえ、私は今のままでけっこうです」と、きっぱり断るだろうと思います。私は、若さよりも経験値を取る!(笑)
 まあ、感覚的なことや認知的なことでは、私とニキさんではやっぱりかなりの隔たりがあるのですが、そこを浅見さんや小暮さんに埋めてもらいながら、自分にわかる部分で「うんうん」と大きくうなずきながら読んでいます。

 お薦めの一冊です。


☆「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る」
    http://www.kafusha.com/shinkan/shinkan.html
   (花風社の新刊案内のページに飛びます)   

[07/12/08(土) 14:53] 療育・知識 発達障害

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