昇平てくてく日記2

小学校高学年編

「見通しを立てること」の先にあるもの

 今日は地域の小中学校の養護学級交流会がある。例年ではあるけれど、子どものための施設へ出かけていって、そこで一日楽しく過ごしてくるのだ。昇平は、ゆめがおかを卒業して中学校へいった先輩たちや、転勤された森村先生にも久しぶりに会えるし、制作や豆自動車などの野外での遊具、お弁当といった楽しい活動が目白押しなので、何日も前からわくわくと楽しみにしていた。
 ところが、日曜日の夜から突然雨。昇平は
「火曜日の交流会、大丈夫かなぁ」
「雨、やむかなぁ」
 と心配を始めた。翌日の朝になっても、雨はまだかなり強く降っている。
「明日も雨かな。ちくしょう。雨のヤツ、ぶっ殺す」
 パニック気味になって、また「ぶっ殺す」がちらっとことばの中に出てきた。でもねぇ、雨をどうやって殺すというの? 「殺す」ってことばは、昇平にとって、最大限の「嫌だな」「とても悔しいな」という気持ちの表現なんだよね……。
「明日、雨が降ったらどうなるの」
 と繰り返す昇平。雨天は雨天でこれこれこういうプログラムが準備されているよ、と答えても、いっこうに納得しない。それはそうだ。これも、言語力に不足がある故の表現で、本当に言いたかったのは、
「明日、雨が降るのは絶対イヤだよ!」
 という気持ちなのだから。
 そこで、インターネットの天気予報で火曜日の天気を調べてみた。雨は夜までには止み、火曜日は天気が良くなってくる、と出ていた。傘マークが曇りマークに変わる画面を昇平に見せて説明したら、それでやっと納得して、登校していった。
 そして、以下は、その日の連絡帳から。

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10月2日(月)   記録者:ドウ子

 午前中、昇平くんは明日の雨が心配で、ずっとパニック気味でしたが、給食の頃に空が明るくなってからは、雨のことは一言もいわなくなりました。
 雨天の時のプログラムや、屋内での遊びなど、わかりやすく話すのですが、「雨が降ったらどうしよう」から抜け出すことは(気持ちを切り替えることは)難しいようでした。

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 どうやら、なかなか止まない雨に、学校でも不安になっていたらしい。そして、ドウ子先生たちも昇平の「雨が降ったらどうするの(どうなるの)」にひっかかってしまっていたのだ。
 そういえば、昇平が保育園の時代にも、これとそっくりなことがあったなぁ、とふと思い出した。

 副担任がマキ先生だったから、昇平が年中さんの時のことだ。町の発達相談会にマキ先生と私が出かけていって、臨床心理の先生に、家庭や園で困っていることなどを相談したのだけれど、その中で、マキ先生がこんなことを質問した。
「毎日10時に園庭で外遊びをするんですが、朝から小雨が降っていたりして、外遊びができるかどうかわからないという時だと、昇平くんは朝から『雨、ふるの?』『雨が降ったらどうなる?』とずっと言い続けるんです。どう指導したらいいでしょうか?」
 心理の先生は、特に自閉症の子どもたちへの対応を熱心に勉強されている方だったけれど、こんなふうにアドバイスしてくれた。
「昇平くんは目で見て理解するほうがわかりやすいですから、お天気カードを作って上げて、雨マークと晴れマークをめくって見せながら、雨が降ってもまた晴れるんだよ、大丈夫なんだよ、と教えて上げると納得できると思いますよ。見通しが立つと昇平くんも安心しますからね」
 なるほど、そういう方法もあるのか、とは思いながらも、私とマキ先生は顔を見合わせてしまった。昇平が雨を見て心配しているときの様子は私にも想像ができた。その時に、たとえ彼にわかりやすい絵で、「雨が降ってもまた止むよ」と見通しを立ててやっても、決して納得はしないだろう、という予想がついたからだ。相談会の後で、マキ先生とは「他のことはいろいろ参考になったけど、あのアドバイスだけはちょっと違ったね。(アドバイスの中で)使えると思うことだけ使わせてもらいましょうね」と……心理の先生には失礼だったかもしれないけれど、そんなことを話し合ってしまった。

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 これは、もしかしたら、発達障害、特に自閉症に関する知識のある専門家が陥りやすい盲点なのかもしれない、とも思う。
 自閉症や自閉症に近い特徴を持った子たちは、認知に困難がある。自分の周りの出来事がなかなか理解できないから、そのために誤解したり、見通しが立たなくて混乱してパニックを起こしたりすることがしばしばある。しかも、耳で聞いたことばだとなかなか理解できない場合も多いから、彼らには、絵や実物などで視覚支援をしながら、わかりやすいように説明して、見通しを立てられるようにしてあげる、というのが、彼らへの対応の基本になっている。
 それはまさしくその通りなのだけれど、そのことだけに熱中してしまうと、もっと別の大事なことを見落とすような気がする。
 本人にわかりやすい方法で情報を提供して、見通しが立つようにして上げる。
 これはもちろん、とても大事だ。でも、それは本当に、単なる「情報提供」に過ぎない。その情報で本人がどう考えるか、どう感じるか、はまた別の問題なのだと思う。
 雨が降ったらこれこれこういうプログラムになる、と教えられたって、昇平が交流会で楽しみにしているのは、豆自動車などの屋外活動。雨が止んでそれができるかどうか、という不安はやっぱり消えない。
 保育園の時も、彼は外遊びが大好きだった。「今は雨が降っていてもいつかは止むよ」と教えられたって、今日の外遊びの時間に外で遊べるかどうか、という彼の心配には、やっぱり答えにはならない。
 まあ、そんな時、昇平が決まって「雨が降ったらどうするの?」と聞いてしまうのが、誤解の元になっているわけだけれど。保育園の時から、これは口癖のように変わっていないんだなぁ。(苦笑)

 私たち自身だって、同じだ。その日のスケジュールを事細かに書かれたプリントなどを配られて、何時何分からどんなことがあるとわかったとしたって、そこですることが自分の嫌なことやつまらないことだったら、心の中で『うぇ〜』と思ってしまう。明日はハイキングに行って昼食は屋外でバーベキューなんていう日に、天気予報が「明日の降水確率は50%です」なんて言えば、いくら明日の天候の予想がついたって、やっぱり『降るかな、降らないかな』と心配になる。
 認知に困難のある子たちだって、それはまったく同じなのだと思う。
 わかりやすく情報を提供して、見通しを立てられるようにして上げるのは、単なる基本中の基本であって、その先に「本人の意志や感情、判断」があるのだということを、忘れちゃいけないのだと思う。見通しを立てさせる。その上で、「君はどうしたい?」と問いかけ、本人が自分の力で意志決定していけるように支援していくこと、そして、その決定に従って行動していけるように支援することこそが、大切なんじゃないかな、という気がしている。
 まして、予定表を本人に見せて、「これこれこういうプログラムになっているから、この通りにしてね」と、見通しを立てるための予定表を、本人の行動をこちらの都合通りに動かすためのツールに使ってはいけないと思う。……まあ、昇平のようにADHDの特徴もあると、いくら予定表を見せられたって、「イヤなものはイヤだ!」と強烈に反発してくることが多いから、その心配はあまりないのだけれど、自閉の特長だけが強くて、しかも受動タイプの場合だと、本当に予定表で自分の行動を縛られてしまうことが起きるというから、支援者はくれぐれも気をつけなくてはならないのだと思う。
 「支援は本人のためにするもの」「本人の助けになるためにすること」
 夏に参加してきた日本自閉症スペクトラム学会の中で、何度も聞いたことばだったけれど、その意味が、改めてわかったような気がした。
 視覚支援も、スケジュール提示も、その他のさまざまな支援も、すべては「本人自身の生きる力を助けるため」にするべきこと。それが一番の基本なのだろう。

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 昇平が交流会に雨が降るかどうかを心配したエピソードから、ずいぶん大きなテーマまで発展してしまった。
 今日の天気は曇りときどき晴れ。雲は多めだけれど、青空ものぞいている。
 今朝、昇平はリュックサックと水筒を持って、張り切って登校していった。きっと、屋内でも屋外でも、楽しい活動ができるに違いない。
 雨にならなくて良かったね、昇平。交流会、いっぱい楽しんでおいでね。
 

[06/10/03(火) 14:56] 学校 療育・知識 発達障害

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