昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

花見とアスレチック


梁川の桜が満開になった日曜日、念願の花見に出かけた。今年はなぜだか無性に花見がしたかったのだ。
朝、簡単なお弁当を作り、旦那と昇平と3人で、桜の名所の公園に出かけた。
お兄ちゃんは、友だちの家に遊びに行くから、と言って留守番。花より団子ならぬ、花より友だちだった。それだけ大人になってきた、ということか・・・。親としては、ちょっと淋しいけど。

空は薄曇り、気温は前の日よりちょっと低めだったけれど、暑くも寒くもなく、ちょうど良い行楽日和だった。
桜は、公園の入り口付近では満開、山の上にある公園の広場に近づくに連れて、花は八分咲き、五分咲き・・・種類によっては、やっと咲き始め。暖かい日が続いて一気に開花が進んだけれど、この感じだったら、次の週末まで花は咲いているかもしれない。
折しも、公園では桜祭りの真っ最中。車も人も多く、イベントの太鼓の音も鳴り響いて、とてもにぎやかだった。

   ☆★☆★☆☆★☆

さて、昇平は大勢の人に戸惑い気味の顔で広場に上っていった。なにしろ親子連れが多い。あっちにもこっちにも、昇平の苦手な小さな子どもの姿が見えるのだ。こういう場面では、子どもたちも興奮しているから、歓声を上げたり大声で泣いたりしている。
でも、アスレチックを見つけると、昇平は気を取り直して言った。
「ぼく、アスレチックやりたい」
そこで、昇平は父と山の斜面に作られたアスレチック・フィールドを上り始め、母は荷物を持ってその後を追いかけていった。

さて、数々並ぶアスレチック遊具・・・
ところが、昇平はそれを眺めて脇を通り過ぎていく。父親に促されても、首を横に振って次の遊具へ進むだけ。
実は、ここの遊具は高いところに上がったり丸太を渡ったりするものがほとんど。どちらかというと、高学年向き、体のきく子向きなのだ。
それでも、昇平が小さい頃には、親に手伝ってもらいながらずいぶん上ったり渡ったりしたのだが、最近の昇平は、周りがよく見えるようになった分、「足を滑らして落ちるかもしれない」「落ちたら痛い」と予想できるようになって、危険そうなものには手を出さなくなってしまったのだ。
自分にできそうな遊具を探して、先へ先へと進んでいく昇平。やがて、遊具は全部通り過ぎて、下に降りるジャンボ滑り台だけになってしまった。
ここでも、(十分安全な滑り台なのに)滑り出すまでにとても時間がかかった昇平。滑っている最中も、手でブレーキをかけながら、ゆっくりゆっくり降りてくる。
うーん。かつて、どんなに高い遊具にでも上れる限り上り、恐れる様子もなく勢いよく滑り落ちてきた子どもとは、とても見えない。父と一緒にダムの外壁を登り切ったことさえあるのに。
結局、あのころはまわりが見えていなくて、「危険だ」ということが分からなかったから、全然怖がらないでチャレンジしていたんだよね。
今のこの状態が、本当の昇平。慎重で臆病で用心深くて・・・

だけど、これがずっと続くというわけでもないと思う。
ある日、思い切って上ったり滑ったりしてみたら、自分の力でもちゃんとできた! そういう経験を積んでいけば、きっと、「自分にできそうなもの」を選びながらアスレチックを楽しむことができるようになるだろう。
そのためには、一緒にアスレチックに挑戦してくれるお友だちがいるといいな。
同じ年頃の子どもたちが実際に遊んでいる様子を観察するうちに、「ぼくにもできそうだ」と思うようになって、一緒にやりだすかもしれないから。

そんなふうに考えているうちに、ふと「おや」と気がついた。
私はいつのまにか、お友だちパワーに期待をしている。
今までは、まず親や先生に、昇平への働きかけを期待していたのに、気がついたら、真っ先にお友だちの存在を頼りにするようになっていたのだ。
それだけ、今の昇平は、まわりのお友だちからもいろいろ学んだり力をもらったりしている、ってことなんだろうな。

周りが見えようになったから、今まで怖くなかったものも怖いと分かるようになってしまった。
でも、同じ「周りを見る力」は、お友だちの様子にも目を向けさせて、怖い気持ちを克服させる力に変わる。
子どもの発達には段階がある。その段階を無視して先に進むことはできない。
そんなことばが頭の中を次々と駆け抜けていった。

で、まぁ、とりあえずアスレチックはそれでよいことにして、私たちは別の遊具(ジャングルジム)に移動して、そこで楽しんできた。ジャングルジムなら、昇平も怖くない。「イライラ迷路だよ。棒にさわったらアウトなんだよ」などといいながら、体をすぼめて鉄棒の間を歩き回っていた。
お弁当もおいしかったし、空気も景色も最高だったし。
親子共々、楽しい花見だった。

[04/04/12(月) 11:38] 日常

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