昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

しましま島のサブタイトルを変えたわけ

◎7月17日の記録

 リタリン  1回目 7:45  2回目 12:30
 
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ええっと・・・・・・
「しましま島」のサブタイトルやご挨拶文を変えて 日がたったわけですが、やっぱりその理由をきちんと説明した方が良さそうな気がするので、書きますね。

結局、今回私は昇平を『どんなに自閉症のように見えていても実はADHD』と宣言したことになります。
これまでは、「診断名にはこだわらない。自閉症でもADHDでもかまわない。いいとこ盗りのやり方で行く」なんて言っていたのに、話が違うじゃないの。やっぱり朝倉さんも診断名にこだわっていたし、自閉症よりはADHDの方がマシ、と思っているから、こんな宣言をしたんじゃないの・・・なんて思われた方も、きっといるんでしょうね。(^_^;)

でも、実を言えば、今でも私は診断名にはあまりこだわっていないのです。昇平くんは実は自閉症でした、と主治医が診断し直すならば、それはそれでかまわないだろう、とも思っているのです。
どんな診断名がつこうが、昇平は昇平。その状態像をよく観察していれば、彼が必要としていることは自ずと見えてくるし、それに合わせて対処していけば、それはそのまま彼の持つ障害に適切な対処になっていくはずだ、という確信があるからです。
ただ、診断名がはっきりしていると、その対策を考えやすくなる、というメリットはありますが。

では何故、今まで昇平をADHDと自閉症とのボーダー児と言ってきたのか?
それは、このサイトを見に来る方たちのことを考えたからだったのです。

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3カ月ほど前、私はとある方からメールをいただきました。昇平くんは自閉症スペクトラムだから、それをADHDやLDに当てはめて考えるのは間違った対応ではないか、というものでした。
私自身、昇平が専門家によっては自閉症と診断が下る子どもであることは承知していましたし、同じような症状を示している子どもが、その子の主治医から「自閉症」「広汎性発達障害」などの自閉グループの診断を受けているだろうことは予想していました。
ですから、昇平をADHDと断定してしまうことは、同じ症状を持つ子どもさんたちの親を「惑わす」結果になるのではないか、その子は本当は自閉症なのに「朝倉さんのところの昇平くんとそっくりだし、昇平くんはADHDなんだから、この子もADHDなのよね」と思わせ、適切な対処を行えなくなってしまったら大変ではないかしら。
そんなことを考えたので、「ADHD育児館」としていた療育コーナーのタイトルを「しましま島の男の子」と変え、『昇平は自閉症とADHDの診断のボーダー上にいる子どもですよ。だから、昇平と似ているお子さんの場合、自閉症の可能性もADHDの可能性もありますよ』と暗に言おうとしたのです。

ところが、皮肉なことに、昇平を「自閉症の可能性のある男の子」と明言したとたん、私はひどい違和感を感じるようになってしまったのです。
昇平くんはADHDと自閉症とのボーダーです、と誰かから言われるたび、それが自分の書いたことであるのに、「違う、そうではないのよ!」と叫んでる自分がいたのです。
昇平はあくまでもADHDと自閉症の「診断上の」ボーダー児。
専門家の考え方によっては、自閉症グループに入れられてしまうこともあるけれど、私自身の中では、もうずっと以前から昇平は「自閉症のように見えていても実はADHD」ということで納得してしまっていたのです。
それは、療育掲示板開設当時にペンギンさんと行ったやりとりの数々を通して分かったことでしたし、自分自身、自閉症の本などを読んで痛感したことでもありました。
それに、なにより、昇平にはADHDとしての対応がぴったり合っていたのです。

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認知障害を自閉症と呼ぶならば、昇平は紛れもなく自閉症になります。自閉症の行動特徴に合うことが自閉症の診断基準になるならば、やはり昇平は自閉症でしょう。
でも、自閉症本人やその親御さんが語ってくれる「自閉症の本質」を考えたとき、昇平の本質は、それとはまったく違っている、と思わざるを得ないのです。

自閉症の子どもたちの話に、共感を覚える部分はたくさんあります。
特に、物事がよく理解できなくて、あの手この手の工夫をする話には、多いに共感できるし、参考になることもたくさんあります。
ところが、自閉児の親が語る「我が子なのに理解できない」「我が子なのに異邦人(宇宙人)のように感じられる」「我が子の感情と共感できない」「文化が違う」という表現は、昇平にはまったく当てはまらないのです。
私は今までただの一度だって「昇平の考えることは分からない」と感じたことがありません。
彼がまだことばを喋れなくて、クレーンさえ出てこなかった時代にも、それでも彼の行動や表情、視線などを追えば、彼が何を考えてそれをしているのかだいたい分かったし、彼の感情も私たち周囲の人間には理解できました。言ってみれば「同じ文化」を持っていたのです。
行動だけを見れば、確かに自閉症そのものかもしれない。
けれども、その内側で起こっていることを考えたとき、やっぱり昇平は自閉ではないのです。

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しましま島にはたくさんのボーダー児や複数の障害を併発している子の親御さんが集まっていらっしゃいます。
しましまっ子の考え方に賛同して下さった方たちばかりです。
昇平は自閉のような特徴も持っているし、専門家によっては自閉の診断が下る以上、やはりしましまっ子なのだと、私は思っています。
けれども、私の中では、そして、主治医の診断は、あくまでも昇平はADHD。ただ、行動特徴に自閉的なものを持っているだけ。それは自閉児と同じような強い認知障害(ADHDの場合これを「不注意」と呼びます)を持っているからだろう、と私達は考えています。
結局は、昇平に「自閉症」の診断を下す専門家の方が間違っていますよ、と言うことになってしまうわけですが・・・(^_^A

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いろいろ悩みました。
昇平をADHDと宣言してしまったら、やっぱり、昇平に似た自閉児を持つ親御さんが惑わされるんじゃないだろうか、とか。

強度の不注意優先型ADHDと自閉症は、出てくる症状は似ていても、対応法が違います。
ADHDの場合は、自分の周囲の世界に注意をはらったり、自分の感情や行動をコントロールして、他者との関わりをスムーズにしたり、物事をやり遂げていったりすることが重要になります。ですが、自閉の方はその子の独特な感覚や特性を理解して、それに即しながら、この世界での行動のしかたや物事の理解のしかたを学ばせていくことが大事なのだろう、と私は思っています。
昇平にはリタリンが効いていますが、純粋に自閉のお子さんの場合、リタリンを処方しても、おそらく、効果がないことが多いと思います。

その対応がその子にあっているかどうかは、その子をよく観察していれば必ず分かります。
けれども、観察することよりも診断名を重視する親御さんである場合、子ども自身が「この対応は自分には合わないよー!」と体や行動で訴えていても、それに気づかずに、誤った対応を続けてしまうかもしれません。
そうしたら、子どもの心の成長期に適切な指導を受ける機会を奪ってしまうかもしれない。
子供や親が無駄な努力をし、それが何の成果にも結びつかなくなってしまうかもしれない。

でも・・・それは、私が「昇平はADHDです」と言わずにいればすむ問題でもないな、と思うようになったのです。
いや、逆に私がそういう曖昧な態度でいることの方が、似た子どもを持つ親御さんを惑わす結果になるのかもしれない、と。

私はすでに昇平を「自閉症のような行動の特徴も持つADHD児」ということで納得してしまっています。
ならば、それを素直に書いてしまった方が良いのではないだろうか。
同じような子どもを持つ親御さんには、「どうかご自分の目で子どもをしっかり観察してみてください。その上で判断してください。」と言うしかないのだろう。
と、そう思うようになったので、療育コーナーのサブタイトルを『自閉症のような特徴も持つADHD児の記録』と変え、ご挨拶の文章を書き換えたのでした。

ひとり相撲かもしれないな、とも思います。(^_^;)
こんなにいろいろ気をまわしたりせず、ただ、自分の思うままに言っていれば(書いていれば)それでいいんじゃないか、と。
コーナー名がどう変わろうと、私が昇平に対してとる態度はずっと変わらなかったし、これからだって変わらないことでしょう。
それは、昇平を見ていて、このやり方が合っている、と確信しているから。
だから、ただゴーイングマイウェイでやっていけば、それでいいんだろう、と思うこともあるのですが・・・。
つい、こんなふうに解説したくなってしまうんですから、哀しい性です。(苦笑)

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まぁ、とにかく、どうして唐突にサブタイトルを変え、挨拶文を変え、今まで言っていたことを翻すようなことをしたのか、そのあたりをちょっと(ちょっと?)話しておきたかったのです。
分かってくださる人もいるだろうし、永遠に分かってくださらない人もいるでしょうけれど・・・・・・。

長文に最後までおつきあい下さって、ありがとうございました。m(_ _)m

[01/07/18(水) 07:39]

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