作成:2018年8月25日〜10月17日 表示更新:2021年4月

古鏡・1

   
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『正法眼蔵』「古鏡」について



 鏡は自分自身のすがたを映すものである。

古い生命の歴史を反映した脳(仏性)のはたらきを古い鏡にたとえて「古鏡」と言っている。

『正法眼蔵』「古鏡」の巻では、古鏡とは仏仏祖祖が脈々と伝えて来た

本来の自己」である古鏡を磨くため、

坐禅をすることが学人の修行とされている。

「古鏡」では仏教に関する話の他にも、天皇家に伝わる三種の神器に関する説示などもあり、

さまざまな「鏡」の働きについて考察されている。

ここでは『正法眼蔵』「古鏡」の巻を便宜上19文段に分け

「古鏡・1」では、第1文段〜第10文段を合理的(科学的)観点から分かり易く解説したい。



1

 第1文段


原文@


諸仏諸祖の受持し単伝するは古鏡なり。同見同面なり。

同像同鋳なり、同参同証す。胡来胡現、十万八千、漢来漢現、一念万年なり。

古来古現し、今来今現し、仏来仏現、祖来祖現するなり。


注:

受持:受領保持。

単伝 :一系に伝承すること。

古鏡:古は古今を憲味し、永遠を意味する。鏡は外界の

事物を映し出す道具として、祖仏が具有する無分別智を象徴するものと考えられる。

ここでは古い生命進化の歴史を持つ脳とその認識機能を

古い鏡にたとえて「古鏡」と表現していると解釈する。

即ち、「古鏡」=脳とその認識機能と考えて良い。

脳宇宙は電磁的相互作用の世界である。

その遠隔的性質を「古鏡闊きこと一丈、世界闊きこと一丈」と表現している。

同見同面:もろもろの祖仏と同じように見るが、

見た対象もまた全く同じ姿であるという意味。面は外見、姿。 

同像同鋳:像はかたどる(平面の場合)。鋳もいる、かたどる

 (立体の場合)。同像同鋳は平面的にも立体的にも同じ形であること。

同参同証:参は参ずる、参加する。証は体験する。

同参同証は同じ事態に参加し、同じ事実を体験すること

胡来胡現:胡来れば胡現ずの意味。

胡とは胡人、西域の諸民族を指す言葉。中国人に対する異邦人のこと。

胡来胡現とは胡人が来れば、胡人の姿が鏡に映るという意味。

古鏡」である脳の認識機能を表現する言葉。

十万八千:非常に大きな数の象徴。

ほとんど無限に近い数を憲味する。

漢来漢現: 漢来れば漢現わるの意味。

漢とは中国人の代表としての漢人を意味する。

中国人が来れば中国人の姿が鏡(脳)に映るというの意味。

一念万年 :一念は極めて短い時間の単位、転じて現在の瞬間をいう。

万年は極めて長い時間を表わし、永遠を憲味する。

一念万年は現在の瞬聞とともに永遠の時間を言っている。

古来古現:過去が来れば、過去を思い出すという意味。

今来今現:現在が来れば、現在を思い出すという意味。

仏来仏現:祖仏が来れば祖仏を思い出すという意味。

祖来祖現:祖師が来れば祖師を思い出すという意味。



現代語訳


諸仏諸祖が、受け継ぎ、伝えて来たものは、古鏡である。

 この古鏡(脳)によって諸仏諸祖は同じように物事を見、同じように対象を把え

、映し、顔と鏡に映る顔が同じである覚りを体験して来た。

胡人が来れば胡人の姿が現れ、数限りない人が現れ、

漢人が来れば漢人が現れ、現在の瞬間とともに万年にわたるできごとも現れる。

過去が来れば過去を映し、現在が来れば現在を映す。

祖仏が来れば祖仏を映す。

このように、古鏡(=脳)はあたかも鏡のように、

諸存在・諸現象を映す(認識する)のである。



解釈とコメント

古鏡とは諸仏諸祖が、受け継ぎ、伝えて来たものであると考えている。

 この古鏡(脳)によって諸仏諸祖は同じように物事を見、同じように対象を把え、

映し、顔と鏡に映る顔が同じである覚りを体験して来た。

胡人が来れば胡人の姿が現れ、数限りない人が現れ、

漢人が来れば漢人が現れ、現在の瞬間とともに万年にわたるできごとも現れる。

過去が来れば過去を映し、現在が来れば現在を映す。

祖仏が来れば祖仏を映す。

このように、古鏡(=脳)はあたかも鏡のように、

諸存在・諸現象のすべてを映す(認識する)のである。

ここでは「古鏡」についての総論が述べられている。

古い生命の歴史を反映した脳(=仏性)のはたらきを

古い鏡にたとえて「古鏡」と言っている。

古鏡」とは仏仏祖祖が脈々と伝えて来たものだと説明している。

教外別伝の観点から言うと仏仏祖祖が脈々と伝えて来たものは禅の悟りである。

禅の悟りの核心をなす「本来の自己」の本源(脳)については何も述べられていない。

古鏡」は禅の悟りの本体である「本来の自己」である脳の機能を鏡に喩えて言っている。

しかし、ここでは「古鏡」とは

仏仏祖祖が脈々と伝えて来たものだと説明しているだけである。

このため「古鏡」と「禅の悟り」の関係がちょっと曖昧で

分かり難い説明になっているのが残念である。



2

 第2文段


原文A


第十八祖伽耶舎多(きゃやしゃた)尊者は、西域の摩提(まだい)国の人なり。

姓は鬱頭濫(うつづらん)、父名天蓋(ふみょうてんがい)、母名方聖(もみょうほうしょう)。

母氏かつて夢みるにいはく、

ひとりの大神、おほきなるかがみを持してむかへりと、ちなみに懐胎す。

七日ありて師をうめり。師はじめて生ぜるに、肌体みがける瑠璃のごとし。

いまだかつて洗浴せざるに、自然に香潔なり。

いとけなくより閑静をこのむ、言語よのつねの童子にことなり。

うまれしより、一の浄明の円鑑おのづから同生せり。

円鑑とは円鏡なり。奇代(きたい)の事なり。

「同生せり」といふは、円鑑も母氏の胎よりうめるにはあらず。

師は胎生す、師の出胎する同時に、

円鑑きたりて天真として師のほとりに現前して、ひごろの調度のごとくありしなり。

この円鑑、その儀よのつねにあらず。童子むかひきたるには、円鑑を両手にささげきたるがごとし、

しかあれども童面かくれず。

童子さりゆくには、円鑑をおほふてさりゆくがごとし、しかあれども蛮身かくれず。

童子睡眠するときは、円鑑そのうへにおほふ、たとへば華蓋(けがい)のごとし。

童子端坐のときは、円鑑その面前にあり。おほよそ勁容進止に、あひしたがふなり。

しかのみにあらず、古来今の仏事、ことごとくこの円鑑にむかひてみることをう。

また天上人間の衆事諸法、みな円鑑にうかみてくもれるところなし。

たとへば経書にむかひて、照古照今をうるよりも、この円鑑よりみるはあきらかなり。

しかあるに童子すでに出家受戒するとき、円鑑これより現前せず。

このゆゑに、近里遠方おなじく奇妙なりと讃歎(さんだん)す。

まことにこの娑婆世界に、比類すくなしといふとも、さらに他那裡(たなり)に、

親族のかくのごとくなる種胤(しゅいん)あらんことを、

莫怪(もけ)なるべし、遠慮すべし。

まさにしるべし、若樹若石に化せる経巻あり、若田若里に流布する知識あり。

かれも円鑑なるべし。

いまの黄紙朱軸(おうししゅじく)は円鑑なり、

たれか師をひとへに希夷(きい)なりとおもはん。


注:

迦耶舎多尊者: 摩詞迦葉尊者から数えて第十八番目の仏教教団の指導者。

西域: 中国人が西方諸外国を総称するときに使用した呼び名。

元来、西方地域という意味で漠然と使われた語であるが、

広義では今のイソドーイラソ地方や小アジアーエジプト地方をも含む場合があり、

狭義では新弧省南半のターリム盆地を中心とする地方を特称する場合がある。

しかし概括していえば、いにしえの中国人の知識に入った西方諸国の総称で、

その中心地域は中国に隣接する中央アジア、

すなわち、いわゆるトルキスタン地方であったと解される。

ただしここではインドを指す。

摩提国:  摩訶陀(マカダ)国か。

摩訶陀は梵語Magadhaの音写。仏典に現れる摩訶陀国(マカダ)国と同じ。

瑠璃:  珠の名。七宝の一つ。青色の宝玉。

香潔: よい香がし、清潔であること。

いとけなく: おさなく、あどけなく。

閑静 : おっとりとして静かなこと。落ち着いて静かなこと。

浄明: 浄はけがれのないこと、くもりのないこと。

明はあかるいこと、光り輝くこと。

円鑑: 円い鏡。古鏡(=脳)のこと。

奇代: 希代に同じ。世にまれな、世に類いのない、めずらしい。

天真:  天から与えられた純粋な木性、人の本性。

現前: 現に眼の前にあること、現実にあること、現在すること。

調度: 手まわりの小道具。

華蓋:  はながさ、きぬがさ、天子のかさ。

動容: たちいふるまいのかたち、動作容儀。

進止: たちいふるまい、挙動、挙止。

古来今: 過去・未来・現在。

仏事: 仏教行事。

照古照今: 過去を照らし、現在を照らすこと。過去を知り、現在を知ること。

他那裡: 遠いあの国においては。

親族: ちかしい種族、われわれの同族、人類。

莫怪:  怪しむこと莫れの意。奇異と考えてはならない。

遠慮: 広範囲に思慮をめぐらすこと。

若樹若石:大涅槃経巻十四聖行品に見える言葉。

黄紙朱軸: 仏教の経典。


現代語訳

釈尊の後継者である摩詞伽葉尊者から数えて第十八代目に当る迦耶舎多尊者は、西域の摩提国の人である。

姓は彭頭藍、父の名は天蓋、母の名は方聖であった。

母はかつて夢を見た。

夢では一人の巨大な鬼神が、大きな鏡を持ってこちらにやって来た。

そのとき母はすでに懐胎していた。その後七日経って尊者を出産した。

尊者は生れた時、肌が照り輝いてみがいた瑠璃のようであった。

一度も入浴していないのに、生れなからに香ばしいにおいに満たされ、清潔であった。

迦耶舎多尊者は、幼少の頃から落ち着いた静けさを好み、言葉遣いも普通の児童とは違っていた。

生れたときから一つの澄み切った円鑑が自然に身にそなわっていた。

  円鑑とは円鏡のことである。

これは世にもめずらしいことである。

「身にそなわっていた」という意味は、円鑑も母である人の胎内から出生したということではない。

尊者は母胎から生れた。

尊者が生れると同時に、円鑑が何処からともなく天真として師の側に現前し

、日常使う道具のようであったということである。

この円鑑は、その形からして世間一般のものとは異なっていた。

幼少期の尊者がこちらに向って来るときには、円鑑を両手にささげて来るように見えたが、

そのために尊者の童顔が鏡によって隠れるということはなかった。

また尊者の子供姿が去って行くときには、円鑑を背に負って去って行くように見えたが、

尊者の子供姿が鏡によって隠れることはなかった。

子供としての尊者が睡眠をとるときは、円鑑がその上をおおって花笠のようになった。

子供としての尊者が正坐するときには、円鑑もその目の前にあった。

その円鑑は尊者の立居振舞に従っていたのである。そればかりではなく、

過去・未来・現在にわたる仏教行事は、すべてこの円鑑に向えば見ることができたのである。

また天上界、人間界における多くの出来事やもろもろのおきても、

みなその円鑑に明らかに映って、曇るようなところはなかった。

たとえば経典や書籍によって古今の事跡を知るよりも、この円鑑で見る方が明らかであった。

しかし尊者〉が成人して出家してからは、この円鑑は現れなくなった。

そこで近隣の人たちや遠方の国の人々も同じように、不思議なことだと賛嘆した。

このようなことは、この世界においては類いまれではあるが、

遠いインドにおいては、

われわれ人類の中にもこのような種族がいるということを怪しんではならない。

広い立場から考察しなければならない。しかし深く考えてみよ。

雪山童子の説話のように樹や石に刻まれた経典もある。

また法華経に言っているように、或いは田畑、或いは村落に法華経を宣布して廻る高僧もいる。

これらの経典となった樹や石や法華経の趣旨を宣布する高僧などはいずれも円鑑と言ってもよい。

また今に伝えられた経典も円鑑なのである。

誰がただ尊者のことだけを奇異だと考えることがあろう。


解釈とコメント


ここで道元は第十八祖迦耶舎多尊者と古鏡の関係について述べている。

道元は「迦耶舎多尊者は、幼少の頃から落ち着いた静けさを好み

言葉遣いも普通の児童とは違っていた

生れたときから一つの澄み切った円鏡が自然に身にそなわっていた

円鑑とは円鏡のことである

これは世にもめずらしいことである。身にそなわっていたという意味は

円鑑も母である人の胎内から出生したということではない。」

と述べている。

道元は円鑑(古鏡=脳)は母の胎内から出生するようなものではなく、

生まれた時から偉人に自然に具わっていると考えていることが分かる。

しかし、実際は円鑑(古鏡=脳は母の胎内から出生し、

頭蓋骨の中に納まっているのである。

しかし、ここでは道元は

円鑑(古鏡=脳)は母の胎内から出生するようなものではない

と考えていたことが分かる。

当時(鎌倉時代)は心の在り場所として、

心臓」説が強かったためだろうか?

また円鑑(古鏡=脳)について、

「尊者が生れると同時に、円鑑が何処からともなく天真として師の側に現前し日常使う道具のようであった

と述べている。

しかし、実際は円鑑(古鏡=脳)は母胎から出生し、頭蓋骨の中に納まっているのである。

しかも、円鑑(古鏡=脳)は

迦耶舎多尊者のような偉人だけでなく、全ての人に平等に具わっている

のである。

しかし、道元は円鑑(古鏡=脳)に対し神秘的な解釈と説明に終始している。

道元のこの円鑑(古鏡=脳)に対する姿勢は禅的というより、宗教的かつ神秘的である。

道元は14才の若さで出家し、比叡山で伝統的天台教学を学んだ。

そのため、若い時に学び浸み込んだ宗教的(神秘的)考え方が強く影響しているとも考えられる。

これは「当時の科学が未発達で思考や意識の中心が脳にあるという事実が分かっていなかった」ためだと考えることができる。



3

 第3文段


原文B


あるとき出遊するに、僧迦難提(そうぎゃなんだい)尊者にあうて、

直にすゝみて、難提尊者の前にいたる。尊者とふ、

「汝が手中なるは、まさに何の所表かある。

「有何所表」を問著にあらずときゝて、参学すべし。

師いはく、

「諸仏大円鑑、内外無瑕翳(むかえい)、両人同得見、心眼皆相似。

しかあれば「諸仏大円円鑑、なにとしてか師と同生せる。

師の生来は大円鑑の明なり。

諸仏はこの円鑑に同参同見なり、諸仏は大円鑑の鋳像なり。

大円鑑は智にあらず、理にあらず、性にあらず、相にあらず。

十聖三賢等の法のなかにも、大円鑑の名あれども、いまの諸仏大円鑑にあらず。

諸仏かならずしも智にあらざるがゆゑに、諸仏に智慧あり。

智慧を諸仏とせるにあらず。参学しるべし、智を説著するは。

いまだ仏道の究竟説にあらざるなり。

すでに「諸仏大円鑑」、たとひわれと同生せりと見聞すといふとも、さらに道理あり。

いはゆるこの大円鑑、この生に接すべからず、他生に接すべからず。

玉鏡にあらず、銅鏡にあらず、肉鏡にあらず、髄鏡にあらず。

円鑑の言偈なるか、童子の説偈なるか。

童子この四句の偈をとくことも、かつて人に学習せるにあらず。

かつて或従経巻(わくじゅうきょうかん)にあらず、かつて或従知識にあらず。

円鑑をささげてかくのごとくとくなり。

師の幼稚のときより、かがみにむかふを常儀とせるのみなり。

生知の弁恵あるがごとし。

大円鑑の童子と同生せるか、童子の大円鑑と同生せるか、まさに前後生もあるべし。

大円鑑はすなはち諸仏の功徳なり。

このかがみ、「内外にくもりなし」といふは、外にまつ内にあらず、内にくもれる外にあらず。

面背あることなし、両箇おなじく得見あり。

心と眼とあひにたり。相似といふは人の人にあふなり。

たとひ内の形像も、心眼あり、同得見あり。

たとひ外の形像も、心眼あり、同得見あり。

いま現前せる依報・正報、ともに内に相似なり、外に相似なり。

われにあらず、たれにあらず。これは両人の相見なり、両人の相似なり。

かれもわれといふ、われもかれとなる。

心と眼と皆相似といふは、心は心に相似なり、眼は眼に相似なり。

相似は心眼なり、たとへば心眼各相似といはんがごとし。

いかならんかこれ心の心に相似せる、いはゆる三祖・六祖なり。

いかならんかこれ眼の眼に相似なる。

いはゆる道眼被眼礙<道眼は眼の礙を被る>なり。

いま師の道得する宗旨、かくのごとし。

これはじめて僧迦難提尊者に奉覲(ぶごん)する本由なり。

この宗旨を挙拈(こねん)して、大円鑑の仏面祖面を参学すべし、

古鏡の眷属なり。


注:

出遊:戸外へ出歩くこと。

僧迦難提尊者:僧迦難提は梵語Sarhghanandiの音写。

第十七祖。伽耶舎多尊者の師匠に当る。

有何所表:これは「どのようなものが表現されているのか。」

という質問の意味ではなく、

「どのようなものが表現されておろうか。」という反語の憲味であって、

難提尊者はまさに見られたままの難提尊者であり、

内に蔵されているものなどが別に何もないことをいっている。

諸仏大円鑑:諸仏諸祖が具有している大きな丸い鏡の意で、

諸仏諸祖が保持している無分別智を象徴的に指している。

瑕翳(かえい):瑕はきず、玉のくもり。翳(えい)もかげ、くもり。

内外無瑕翳とは内も外も同じようにくもりがなく、

内とか外とかというような区別のない状態をいう。

両人同得見:両人とは見る者と見られる者との両人のこと。

ここでは伽耶舎多尊者と僧伽難提尊者の2人を指す。

同得見 とは両人が同じように祖仏に内在している特性を見ることができるという意味。

心眼皆相似:心も眼も皆相似であるの意。

心は見るという働きの感覚中枢である精神。眼は見る働きをする感党器官。

相似とは、心が心に相似であり、眼が眼に相似であるという意味で、

精神もそのあるべき本然の姿を何の作為もなしに自然に露呈しており、

眼もまた眼として、そのあるべき姿をそのまま露呈していることを表わす。

師の生来は大円鑑の明なり。:

伽耶舎多尊者の生来の資質は諸仏の智慧の光明と同じである。

同参同見なり:同じように参じ、同じように見るのである。

諸仏は大円鑑の鋳像なり。:諸仏はこの大円鑑が形をなしたものである。

十聖三賢:大乗仏教で、菩薩(ぼさつ)の修行階位のうち、

聖位である十地(十聖)と、それ以前の十住・十行・十回向(三賢)のこと。

未だ、仏知見に到達していない修行者を総称して述べる場合に用いる場合がある。

或従経巻:或いは経巻を学ぶことによりの意。

或従知識: 或いは高徳の僧侶の教えによっての意。

生知 :生れながらにして知ること、

学ぶことなしに生れながらに真理を知ること。

弁慧:弁舌と智慧。

生知の弁慧:生れながらの弁舌や智慧。、

同生:同時に生れること。

前後生:同生ではなく、大円鑑と前後して生れ出ること。

外にまつ内:外に対しての内。

内にくもれる外 :内部に対比して相対的に考えられている外。

而背:裏と表。

常儀:日頃の習慣。仕来(しきた)り。

依報・正報(えほう・しょうほう):

仏教で、過去業の報いとして存在する身を正報といい、その正報が依り所とする世界を依報という。

つまり国(依報)と人間(正報)を仏教的に見た言葉である。

極楽(依報)と阿弥陀仏(正報)のことにもいう。

正報とは、過去の業の報いとして受けた我が身と心をいい、

依報とは、正報の拠り所である環境・国土をいう。

一念三千の構成要素となる三世間の五陰世間と衆生世間は正報となり、

国土世間は依報となる。

依報は環境、正報は主体のこと。

両箇:見る者と見られる者。

三祖・六祖:三祖は中国禅の第三祖、鑑智僧サン禅師のこと。

六祖は中国禅の第六祖、大鑑慧能禅師のこと。

いずれも仏祖の代表としてここに挙げている。

両人はいずれもその呼び名の中に「鑑」という字があることも関係している。

道眼被眼礙<道眼は眼の礙を被る>:眼は外に現れた外見などを見ることしかできない。

本來の自己は眼で見ることができない。

道眼(心眼)は外見しか見ることができないという眼の礙(さまたげ)にしばられているため

本質を見る道眼が邪魔されているという意味である。

眼は眼の自己拘束を被っていることを意味している。

奉覲:お眼にかかること、相見すること。

本由 :本来のいわれ。

眷属:一族、親族。



現代語訳

師〈伽耶舎多尊者〉はあるとき外出した時、僧伽難提(そうがなんだい)尊者に会った。

伽耶舎多尊者は素直に進んで難提尊者の前に立った。

そこで難提尊者は聞いた、「お前の手中にあるものは、何を表わしているのか?」と。

この「何の所表かある(何を表わしているのか)」という言葉は、

質問ではないと聞いて参学すべきである。

伽耶舎多尊者は言った、「諸仏の大円鑑は、内外ともに瑕もくもりもありません

見る人と見られる人との両人によって見られるところが全く同じです

そこに映る心と眼は良く似ています。」

 このようであれば、諸仏の大円鑑は、どうして師とともに生まれたのだろうか。

尊者の生来の資質は、大円鑑の光明である。

諸仏は、この円鑑に同じように参じ、同じように見るのである。

諸仏は、この大円鑑が形をなしたものである。

大円鑑は、理性ではなく、智性ではない。本質ではなく、形相でもない。

十聖とか三賢とかいう菩薩の境涯に関する法にも大円鑑という言葉はあるけれども、

今考えている諸仏の大円鑑ではない。

何故かと云えば、諸仏には智慧が具わっているが、智慧を諸仏だとしている訳ではないからである。

智を説くのは、いまだ仏道の究極の説ではないと参学すべきである。

諸仏の大円鑑がすでに自分自身と共に生じていると知ったとしても、

さらに学ぶべき道理がある。

今問題としている大円鑑は、現世に遭遇できるとか、

他の世で遭遇できるとかというような性質のものではない。

この大円鑑は珠玉で作られた鏡でもなければ、銅で作られた鏡でもない。

 肉で作られた鏡でもなければ、髄で作られた鏡でもない。

まだ子供に過ぎない伽耶舎多尊者が「諸仏大円鑑、内外無瑕翳、云云・・・

という偈を説いたことは、円鑑自身が偈を説いたと解すべきであろうか。

子供〈である伽耶舎多尊者〉が偈を説いたと解すべきであろうか。

また子供に過ぎない伽耶舎多尊者がこの四句の偈を説いたということも、

尊者がかつて他の人からこの四句の偈を学んだということではない。

かつて経典を通じて知った訳でもなければ、かつて高徳の僧から学んだ訳でもない。

ただ円鑑をささげて何かを説こうとしたら

上記の四句の偈を説く結果になったというに過ぎないのだ。

尊者は幼少の頃から、円鑑に向かうことが日頃の習わしとしていたに過ぎない。

尊者には生れながらの弁舌や智慧があったようである。

大円鑑が子供である尊者と同時に生れたと考えるべきであろうか、

子供である尊者が大円鑑と同時に生れたと考えるべきであろうか、

また大円鑑と前後して生れ出ることもあるだろう。

このように大円鑑は諸仏の真実の功徳なのだ。

この鏡が「内外にもくもりがない」ということは、外に対する内があるという訳でもなければ、

内に対して相対的に考えられる外があるという訳でもない。

この鏡には表もなければ、裏もない。

表裏ともに同じ像を映すし、映す心と映る眼はよく似ている。

「相似」というのは、人と人とが出合ったときのように

(主客が渾然一体と〉なった状態をいう。

この大円鑑はその内には心と眼をそなえ、同じように見ることができる。

その両方に映る像は同じである。

またその外部のあり方を見ると、これも同じく心と眼をそなえており、

それによって把えられる映像も主客によって異ることなく同じ映像が映るのである。

そしていまわれわれの眼前に展開している、

過去からの因果関係に基づく客観・主観の事物も、この大円鑑の内部・外部とよく似ている。

それは自分であるとか、誰彼であるとかくというような特定の人の問題ではなく、

ただ人と人との相見であって、しかもその両人は全く酷似しているのである。

すなわち彼も私と同一だといい、私も彼と同一となるような関係である。

また「心と眼と皆相似」というのは、心は心に相似しており、

眼は眼に相似しているという意味である。

相似とは心は心であり、眼は眼であるとの謂である。

  それはたとえば心と眼とがそれぞれ独自の存在を続けているというのと似ている。

心が心に相似しているとは、

三祖の鑑智僧サン禅師の心と、六祖の大鑑慧能禅師の心が良く似ているようなことである。

それでは眼が眼に相似しているとは、どのようなことであろうか。

それは、眼が眼によって拘束されるということにほかならない。

いま伽耶舎多尊者が述べている主旨はこの通りである。

これが〈尊者が〉はじめて僧伽難提尊者に会った時の由来である。

この主旨を取り挙げ、拈弄して、大円鑑に等しい仏祖の覚りを学ぶべきである。

これらは古鏡と同類であるのだ。


解釈とコメント

伽耶舎多尊者はある時、17祖僧伽難提(そうがなんだい)尊者に会った。

難提尊者は伽耶舎多尊者(童子時代)に聞いた、

お前の手中にあるものは、何を表わしているのか?」と。

伽耶舎多尊者(童子)は答えた、

諸仏の大円鑑は、内外ともに瑕もくもりもありません

見る人と見られる人との両人によって見られるところが全く同じです

そこに映る心と眼は良く似ています。」

伽耶舎多尊者(童子)の答をもとに、道元は諸仏の大円鑑について考察する。

 諸仏の大円鑑は、どうして師とともに生まれたのだろうか。

伽耶舎多尊者の生来の資質は、大円鑑の光明である。

諸仏は、この円鑑に同じように参じ、同じように見るのである。

諸仏は、この大円鑑が形をなしたものである。

大円鑑は、理性でも、智性でもない。本質ではなく、形相でもない。

十聖とか三賢とかいう菩薩の境涯に関する法にも大円鑑という言葉はあるけれども、

今考えている諸仏の大円鑑ではない。

諸仏には智慧が具わっているが、智慧を諸仏だとしている訳ではない。

智を説くのは、いまだ仏道の究極の説ではないと参学すべきであると述べる。

諸仏の大円鑑がすでに自分自身と共に生じていると知ったとしても、さらに学ぶべき道理がある。

今問題としている大円鑑は、現世に遭遇できるとか、

他の世で遭遇できるとかというような性質のものではない。

この大円鑑は珠玉で作られた鏡でもなく、銅で作られた鏡でもない。

肉で作られた鏡でもなければ、髄で作られた鏡でもない。

確かに脳の神経細胞は銅や珠玉ではなく、生体を構成する有機物質からなるものである。

まだ子供に過ぎない伽耶舎多尊者が「諸仏大円鑑、内外無瑕翳、云云・・・

という偈を説いたことは、円鑑自身が偈を説いたと解すべきであろうか。

子供である伽耶舎多尊者が偈を説いたと解すべきであろうか。

また子供に過ぎない伽耶舎多尊者がこの四句の偈を説いたということも、

尊者がかつて他の人からこの四句の偈を学んだということではない。

かつて経典を通じて知った訳でもなければ、かつて高徳の僧から学んだ訳でもない。

ただ円鑑をささげて何かを説こうとしたら上記の四句の偈を説く結果になったというに過ぎない。

尊者は幼少の頃から、円鑑に向かうことが日頃の習わしとしていたに過ぎない。

尊者には生れながらの弁舌や智慧があったようである。

大円鑑が子供〈である尊者〉と同時に生れたと考えるべきであろうか、

子供である尊者が大円鑑と同時に生れたと考えるべきであろうか、

また大円鑑と前後して生れ出ることもあるだろう。

このように、道元は大円鑑と伽耶舎多尊者との関係をいろいろ考えているが、

大円鑑とは諸仏や伽耶舎多尊者のような特別の偉人や聖人に付随したもの

と考えていることが分かる。

大円鑑とは我々に生まれながらに具わる脳の働きであり、

その性質が十全に発揮されたものだと考えていないようである。

これは脳科学が未発達で、心の本源は心臓にあるという

心臓説」が強かった時代的背景があったためだと思われる。

もし、尊者が幼少の頃「諸仏大円鑑、内外無瑕翳、云云・・・

という偈を本当に説いたなら大天才であろう。

しかし、尊者が幼少の頃既に出家して禅を修行していたかどうかも分からない。

まして、幼少の少年が「諸仏大円鑑、内外無瑕翳、云云・・・

という偈を本当に説いたかどうかはっきりしない。

道元は「このように大円鑑は諸仏の真実の功徳なのだ。」

と「大円鑑は諸仏の真実の功徳だ」と説いている。

しかし、現代の我々にとって、

大円鑑(脳)とは我々衆生(諸仏ではない)に生まれながらに具わる脳とそのの働きであり、

何も伽耶舎多尊者だけに特有のものだとは考えられない。

鎌倉時代に生きた道元には禅宗の基本的主張として、

衆生本来仏なり」という考え方はなかったのだろうか?

道元は子供である伽耶舎多尊者が説いたと言う四句の偈

諸仏大円鑑、内外無瑕翳(むかえい)、両人同得見、心眼皆相似。」について

次のように考察する。

この鏡が「内外にもくもりがない」ということは、

外に対する内があるという訳でもなければ、

内に対して相対的に考えられる外があるという訳でもない。

この鏡には表もなければ、裏もない。

確かに脳細胞には鏡のような表裏はない。

脳の神経細胞に電気的情報が入り処理される。そこには鏡のような表裏はない。

表裏ともに同じ像を映すし、映す心と映る眼はよく似ている。

「相似」というのは、人と人とが出合ったときのように、

主客が渾然一体となった状態をいう。

この大円鑑はその内には心と眼をそなえ、同じように見ることができる。

その両方に映る像は同じである。

その外部のあり方を見ると、これも同じく心と眼をそなえており、

それによって把えられる映像も主客によって異ることなく同じ映像が映るのである。

いま現にわれわれの眼前に展開している、過去からの因果関係に基づく、

客観・主観の事物も、この大円鑑の内部・外部とよく似ている。

自分であるとか、誰彼であるとかくというような特定の人の問題ではない。

ただ人と人との相見であって、

 しかもその両人は全く酷似しているのである。

すなわち彼も私と同一だといい、私も彼と同一となるような関係である。

〈また〉「心と眼と皆相似」というのは、心は心に相似しており、

眼は眼に相似しているという意味である。

相似とは心は心であり、眼は眼であるという意味である。

  たとえば心と眼とがそれぞれ独自の存在を続けているというのと似ている。

心が心に相似しているとは、三祖の鑑智僧サン禅師の心と

六祖慧能禅師の心が良く似ているようなことである。

それでは眼が眼に相似しているとは、どのようなことであろうか。

それは、眼が眼によって拘束されるということにほかならない。

いま伽耶舎多尊者が述べている主旨はこの通りである。

これが〈尊者が〉はじめて僧伽難提尊者に会った時の由来である。

この主旨を取り挙げ、拈弄して、

大円鑑に等しい仏祖の覚りを学ぶべきであると大円鑑について述べている。

しかし、脳細胞中での認識過程について科学的知見がなかった時代のせいか、

くもる、くもらない」、「表もなければ、裏もない」という議論や

出て来る言葉には鏡の光学的性質に引きずられているように見える。

脳の神経細胞とその中での認識過程は鏡の光学的性質とは全く違う。

そのことに注意しないと古鏡や大円鑑(脳)のその本質は分からない。

ここでは伽耶舎多尊者(童子時代)が、17祖僧伽難提尊者に会った時の会話が紹介されている。

これは禅宗に伝わる西天二十八祖の神話的伝承説話である。

西天二十八祖(さいてんにじゅうはっそ)の伝承とは、

インドで禅の法灯を伝えたとされる 28人の祖師たちをいう。

禅の法灯は釈尊の弟子 摩訶迦葉を第一祖、阿難を第二祖として

 菩提達磨を第二十八祖とする系譜で中国に伝えられたとする。

しかし、インド仏教に禅宗のようなものが存在し、

西天28祖という伝灯の系譜があったという話は疑問である。

インド仏教ではブッダ以来教団の指導者を置かなかったことは良く知られているからである。

そのような不確かな伝承説話(or神話)に基づいていることに注意すべきである。

禅の思想1、教外別伝、西天28祖の伝承説話を参照)。



4

 第4文段


原文C


第三十三祖大鑑禅師、かつて黄梅山の法席に功夫せしとき、

壁書して祖師に呈する偈にいはく、


菩提本樹無し、

明鏡も亦台に非ず、

本来無一物、

何れの処にか塵埃有らん。


しかあればこの道取を学取すべし。

大鑑高祖、よの人これを古仏といふ。

圜悟禅師いはく、「稽首す曹渓の真古仏」。

しかあればしるべし、大鑑高祖の明鏡をしめす、「本来無一物、何処有塵埃」なり。

「明鏡非台」、これ命脈あり、功夫すべし。

明明はみな明鏡なり、かるがゆゑに明頭来明頭打といふ。

「いづれのところ」にあらざれば、いづれのところ」なし。

いはんやかがみにあらざる一塵の、尽十方界にのこれらんや。

かがみにあらざる一塵の、かがみにのこらんや。

しるべし、尽界は塵刹にあらざるなり、ゆえに古鏡面なり。


注:

第三十三祖: 釈尊の後継者である摩詞迦葉尊者から数えて第三十三番目の教団の指導者。

菩提達磨を第28祖とすると第29祖は慧可(487〜593)→第30祖は僧サン(そうさん、?〜606)→

第31祖は四祖道信(580〜651)→第32祖は五祖弘忍(602〜675)→

第33祖は六祖慧能(638〜713)となる。

大鑑禅師 :六祖慧能禅師。

黄梅山:  中国禅の第五祖、大満弘忍禅師が住んだ山の名。 

法席:  仏法を説く場所、教団、寺院。

功夫: 努力。

高祖: 宗義教説を創唱した高僧、

ただしここでは高徳の先輩、大先輩の意。

古仏: 仏教界の優れた先輩に対する尊称。古は古今の意味で永遠を指す。

圜悟禅師:圜悟克勤禅師。彭州崇寧県の人。

姓は駱氏、元来儒学の家柄であったが、出家後、諸方を遊歴し、

ついに五祖法演禅師の教団に身を投じて修行を重ね、同師の法嗣となった。

臨済系統の指導者として臨済義玄禅師から数えて十一代目に当る。

宋の徽宗皇帝から仏果禅師の称号を与えられ、南宋の高宗皇帝から圜悟禅師の称号を与えられた。

1135年死去、年73歳。心要四巻・語録二十巻がある。

門下から大愁宗呆・虎丘紹隆などが出た。

圜悟克勤は雪竇重顕禅師の「頌古百則」に垂示・著語・評唱を加えた。これが碧巌録である。

碧巌録を参照)。

稽首: 稽首は地面で頭をたたくという意味。

中国におけるもっとも丁寧な礼の仕方。

命脈:  いのちのつな、いのち、転じて重要な事物をいう。

明明:明明百草頭の意、明々白々とした眼前の事物。

明頭来明頭打: 暗頭来暗頭打と対句をなしている。

「臨済録」の「勘弁」に出ている普化の言葉。

打はある動作を為す意を表わす。

明頭来明頭打は明頭が来れば明頭を打つと言う意味。

尽界:  宇宙。

塵刹: 塵数(かぎりない数)の世界。刹は国土。

古鏡面:   古鏡のおもて、古鏡のすがた。



現代語訳


第三十三祖大鑑禅師が、

かつて黄梅山における〈大満弘忍禅師の〉教団において修行していたとき、

壁書にして大満弘忍禅師に差し上げた偈にいう、

 菩提には本来、樹と呼ばれるようなものはない。

またくもりのない鏡もまた、台などではない。

悟りには本来、何物もない。

何物もないのに塵埃が何処に付くだろうか。


このようであるから、この言葉を学ぶべきである。

「六祖壇経」「慧能の偈」を参照)。

大鑑慧能(六祖慧能)禅師のことを、世人は古仏であるといっている。

圜悟克勤禅師は言った、「曹渓山の真の古仏大鑑慧能禅師を、深く礼拝する」。

そのようであるから知るべきである。大鑑高祖が明鏡(脳)について示したところは、

 明鏡(脳)には本来、何物もない。

そのような明鏡(脳)に塵埃も何処に付くだろうか。」 ということである。

明鏡もまた、台などではない。」という言葉に本旨がある。  

工夫しなければならない。明々白々と眼前に露呈している事物は、明鏡である。

そのため、「明頭来明頭打(明頭が来たら明頭を打つ)」というのだ。

明々であるのは「何処」でもないから、何処にもないのだ。

まして鏡ではない塵埃が、1粒たりとも鏡に残ることがあろうか。

知るべきである、宇宙は無数の塵のような国土ではなく、古鏡そのものである。



解釈とコメント

この文段の最後尾のところで

かがみにあらざる一塵の、かがみにのこらんや。しるべし、尽界は塵刹にあらざるなり、ゆえに古鏡面なり。」

という言葉が分かりにくい。

これは「心境一如の悟り(主客一如)」の境地に立つと、塵埃が、1粒たりとも鏡(脳)に残ることがあろうか。

宇宙に存在している主体としての本体の自己は無数の塵のような国土ではなく、古鏡そのものである」。

と言っているのである。

「心境一如」を参照)。



5

 第5文段


原文D


南嶽大慧禅師の会に、ある僧とふ、

「鏡の像を鋳るが如き、光何れの処にか帰す?」。

師云く、

「大徳未出家の相貌、甚麼(いずれ)の処に向かってか去る?」。

僧曰く、

「成りて後、甚麼(なに)としてか鑑照せざる」。

師云く、

「鑑照せずと雖も、他の一点をも瞞ずることまた不得なり」。

いまこの万像は、なにものとあきらめざるに、たづぬれば鏡を鋳成せる証明、

すなはち師の道にあり。

鏡は金にあらず、玉にあらず、明にあらず、像にあらずといへども、

たちまち鋳像なる、まことに鏡の究弁なり。

「光何れの処にか帰す」は「如鏡鋳像」の如鏡鋳像なる道取なり。

たとへば「像は像の処に帰す」なり、鋳は能く鏡を鋳る」なり。

「大徳未出家の相貌、甚麼(いずれ)の処に向かってか去る」

といふは、鏡をささげて照面するなり。

このとき、いづれの面々面かすなはち自己面ならん。

師云く、「鑑照せずと雖も、他の一点をも瞞ずることまた不得なり」。

といふは、鏝照不得なり。

「海枯れて 底を露はすに到らず」を参学すべし、

 「打破すること莫れ、動著すること莫れ」なり。

しかありといへども、さらに参学すべし、「像を拈じて鏡を鋳る」の道理あり。

当恁麼時は、百千万の鑑照にて、瞞瞞点点なり。


注:

南嶽大慧禅師 :南岳懐譲禅師(677〜744)を指す。

六祖慧能禅師の法嗣。金洲の人、姓は杜氏。

荊州玉泉寺において剃髪。嵩山の安岡師の指示で六祖に師事した。

衡嶽の般若寺に住んで教化を行なった。744年死去、年六十八歳。

大慧禅師とおくり名された。語録一巻がある。

青原行思禅師とともに、六祖下の二大甘露門といわれ、門下から馬祖道一禅師を出し、

この流派から臨済宗・イ仰宗が生れた。

禅の歴史1.23、宋代の禅宗を参照)。

鋳像:  金属を鎔かして鋳型に流し込み、これをさまして像を造ること。

大徳:   徳の高い僧。

万像:  万象に同じ。森羅万象の意。宇宙に遍満する個々の事物をいう。

道:  ことば。

金:  金属。

玉:  質、堅剛で色沢あり、装飾などに用いる美石の総称。

究弁: 究めわきまえること、探究し弁別すること。

海枯れて 底を露はすに到らず:枯は乾く、水が尽きるの意。

ここでは海水が蒸発して少なくなることをいっている。

海水が蒸発によって減少しても、完全に蒸発して海底が露出するようなことは

あり得ないことを意味している。 

「像を拈じて鏡を鋳る」:  鋳像を素材として、逆に鏡を鋳造することをいう。 

瞞瞞:  瞞はくらます。だますの意で、宇宙のすべてを鏡に造り変えた場合、

一切の事物が鏡として光り輝くのであるが、

それは雑多な現象として見る人の限をあざむくことであるの意味。

点点: 小さいものが数多くあることの形容。

ここかしこに散在すること。

瞞瞞点点なり : 万象を映して一々だまし続けている。



現代語訳

南嶽大慧禅師にある憎が質問した、

鏡を鋳直して像を造った場合、〈鏡のぴかぴかとした〉光は何処に行ってしまうのですか?」

  師は言った、

お前さんがまだ出家していなかった時分の顔・形は何処へ行ってしまったのかね?」

僧は言った、

それにしても、鏡を銅像に鋳なおすと、どうして鏡のようにぴかぴか光らないのでしょう?」

師は言った、

鏡を銅像に鋳なおすと、鏡のようにぴかぴか光らないことは確かだが

鏡の本体はそのまま存続し、見る人をくらますようなことは決してない。」 

現にわれわれの眼の前に展開されている森羅万象は、

何であるかということは解明し難いところではあるが、

探究してみるに万法を映す鏡である。

そのことの明証は、師の言葉によって明瞭に知られる。

本来の自己という鏡(脳という鏡)は金属でもなければ、玉でもない。

光でもなければ、映像でもない。

しかもたちまちに鋳造した像となる(事態を明瞭に把握している)ことは、

まさに鏡というものの本質を究め尽くしている。

鏡の光は何処に行ってしまうのか」といえば、

鏡のように像を映しているそのことだけである。

たとえば像は像の処に帰り、像を鋳るように形作る働きは像を鋳る働きだけである。

お前さんがまだ出家していなかった時分の顔・形は何処へ行ってしまったのかね

ということは、本来の自己は何処へ行ってしまうことなく、

本来の自己(=鏡)が自己の正体を見ているだけである。

この僧にとって出家前の顔と今現に鏡に映っている顔とを比べると、

一体どちらの顔が本当に自分の顔なのであろうか(どちらも本来の自己である)。

師の言葉「像に造った場合、鏡のようにぴかぴか光らないことは確かだが、

鏡の本体はそのまま存続し、見る人をくらますようなことは決してあり得ない。」

の意味は森羅万象は鏡のようにぴかぴか光るものでもないが、

見る人の眼をくらます性質のものでもないということである。

海の水が蒸発しても、そのために海底が露出することはないと学ぶべきである。

〈森羅万象を〉破るようなことがあってはならない。

〈また〉うろたえ平静さを失うようなことがあってはならない。

しかしながらさらに参学すべきである。

すなわち鋳像を素材として〈逆に〉鏡を鋳造するという道理があるということを。

まさにその瞬間においては、

百万・千万の森羅万象が鏡のようにぴかぴかと光り輝くのであり、

見る人の眼をくらますところのものとなるのであり、

万象を映して一々だまし続けているである。



解釈とコメント

第4文段の六祖慧能の詩偈に「」と言う言葉が出ているせいか、

ここ(第5文段)では南嶽大慧禅師と憎との「」に関する問答が紹介されている。

南嶽大慧禅師に対する憎の質問は、

鏡を鋳直して像を造った場合、〈鏡のぴかぴかとした〉光は何処に行ってしまうのですか?」

である。

この質問僧はここで話題になっているのは

本来の自己が具有する古鏡(古い歴史を有する脳)であるのに、金属で造られた鏡だと誤解して、

古くなった金属鏡を鋳直す時の問題に置き換えて南岳懐譲禅師に的外れな質問をしている。

ここで問題になっている「」とは六祖慧能の詩偈

明鏡も亦台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃有らん

にでて来る本来の自己とその働きを鏡に喩えて議論しているのである。

南岳懐譲は、

お前さんがまだ出家していなかった時分の顔・形は何処へ行ってしまったのかね?」

と僧に逆に質問し、

ここで問題としている鏡とは本来の自己とその鏡のような働き(脳とその機能)のことだと分からせようとする。

しかし、僧にはそれ伝わらないようで、

それにしても、鏡を銅像に鋳なおすと、どうして鏡のようにぴかぴか光らないのでしょう?」

と金属鏡を鋳直す時の問題に拘っている。

南岳懐譲は、

鏡を銅像に鋳なおすと、鏡のようにぴかぴか光らないことは確かだが

(鏡の本体とその働きはそのまま存続し見る人をくらますようなことは決してない。」

と答える。

これは我々の鏡(真の自己の本体である脳)は銅などの金属を鋳造して造られた鏡とは違う。

銅鏡のようにぴかぴか光らないが脳細胞の活きた機能は一つの統一した機能として存続し

鏡のような認識能力を自在に発揮している。

そのため見る人(本来の自己)をくらますことは決してないと言っている

と考えることができるだろう。



6

 第6文段


原文E


雪峰真覚大師、あるとき衆にしめすにいはく、

「此事を会せんと要せば、我が這裏、一面の古鏡如く相似なり。胡来胡現し、漢来漢現す」。

時に玄沙出でて問う、

「忽ちに明鏡来に遇はん時、如何?」。

師云く、

「胡漢倶に隠る」。

玄沙曰く、

「某甲は即ち然らず」。

峰云く、

「汝作麼生?」。

玄沙曰く、

「請すらくは和尚問ふべし」。

峰云く、

「忽ちに明鏡来に遇はん時、如何?」

玄沙曰く、

「百雑砕(ひゃくざっすい)」。


しばらく雪峰道の「「此事」といふは「是什麼事(ししもじ)」と参学すべし。

しばらく雪峰の古鏡をならひみるべし。

「如一面古鏡」の道は、一面とは、辺際ながく断じて、内外さらにあらざるなり。

一珠走盤の自己なり。いま「胡来胡現」は、一隻の赤鬚なり。

いま「渡来漢現」は、この「漢」は、混沌よりこのかた、

盤古よりのち、三才、五才の現成せるといひきたれるに、

いま雪峰の道には、古鏡の功徳の漢現ぜり。

いまの湊は漢にあらざるがゆゑに、すなはち漢現なり。

いま雪峰道の「胡漢倶隠」、さらにいふべし、

「鏡也自隠(鏡もまた自ら隠る)」なるべし。

玄沙道の「百雑砕」は、道也須是恁麼道(道ふことは須らく是れ恁麼道なるべし)なりとも、

比来責汝、還吾砕片来。如何還我明鏡来(比来汝に責む、吾れに砕片を還し来れと。

如何が我れに明鏡を還し来る)なり。

黄帝のとき十二面の鏡あり。家訓にいはく天授なり。

また広成子の空トウ山(くうとうざん)にして与授せりけるともいふ。

その十二面のもちゐる儀は、十二時に、時時に一面をもちゐる。

また十二月に、毎月毎面にもちゐる。十二年に、年年面面にもちゐる。

いはく、鏡は広成子の経典なり。黄帝に伝授するに、

十二時等は鏡なり、これより照古照今するなり。

十二時もし鏡にあらずよりは、いかでか照古あらん。

十二時もし鏡にあらずば、いかでか照今あらん。

いはゆる十二時は十二面なり、十二面は十二鏡なり、

古今は十二時の所使なり、この道理を指示するなり。

これ俗の道取なりといへども、漢現の十二時中なり。


注:

雪峰真覚大師: 雪峰義存禅師(822〜908)。徳山宣鑑禅師(780〜865)の後継者。

泉州南安の人、姓は曽氏。「三たび投子に到り九たび洞山に上る」といわれる程、

参禅修行に精進した。

徳山宣鑑禅師を師匠として参禅し法嗣となり、雪峰山に住んで多くの僧侶を教化した。

弟子に雲門文偃・玄沙師備・長慶慧稜・保福従展・鏡清道フ等の人材が出た。

イ宗皇帝から真覚大師の号と紫衣とが贈られた。九〇八年死去、年八十七歳。語録二巻がある。

法系: 六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟 →龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存

会 :  理解する。

這裏(しゃり):  これ、自己本来の面目(真の自己)。

玄沙:  玄沙師備禅師。霊峰義存禅師の後継者。

福州試県の人、姓は謝氏。雪峰義存禅師の法嗣となった後、その教化を助けた。

応機敏捷で有名。後、普応院に住み、さらに玄沙山に移った。

九〇八年、年七十四歳で死去。宗一大師という。語録三巻がある。

作麼生: どうか、どうするかの意味。

百雑砕:  百は数の多いことを表わす。

雑はこまかいの意。砕はくだける。

百雑砕とは、一切の事物がこなごなにくだけおちること。

辺際: かぎり、はて、際涯。ながく 永遠に。

一珠走盤:  一珠は一粒の珠玉。珠は貝類の体内に産する円形の玉、真珠。

盤はてあらいの水を受ける鉢。

一珠走盤とは一粒の真珠が平らな鉢の中をころげ廻ることをいい、

われわれの行為において体験する変転自在な世界の象徴。

一隻(せき): 隻はひろく生物器具の類を数える際に使うことば。

一隻は一つ、一人の意。 

赤鬚: 赤いひげ。

西域地方に住む異邦人(胡人)は赤いひげが特徴であったため、

胡人のことを赤鬚という。

混沌: 天地開闢のはじめ、陰陽がまだ分れない以前の状態。

盤古: 天地開闢のはじめに出て、この世に君臨した天子の名。

三五暦記等に見える。

三才:  天・地・人をいう。才ははたらきの窓。

五才:   木・火・土・金・水をいう。

古鏡の功徳:  古鏡のはたらきと作用。

道也須是恁麼道: 言葉で表現しようとすればこのような言葉になるかも知れないがの意。

須はすべからく・・・すべしと読む。決定の助辞。 

比来: このごろ、ちかごろ、近来。比はさきだつの意味。

黄帝:  黄帝(こうてい、紀元前2510年〜紀元前2448年)は中国の神話伝説上の皇帝。

三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。

中国古代の諸王朝や諸侯などの諸姓はすべて黄帝より出たものとされ、

最高の帝王として尊ばれた。

そのためさまざまな伝説がつけ加わり,多くの黄帝説話が形成されている。

少典氏の子、姓は公孫。名は軒轅という。

十二面の鏡: 事物原記巻八にいう、

「黄帝内伝曰、帝既与二王母会於王屋、乃鋳大鏡十二面、随月用之」と。

十二面とは十二枚の意。

家訓:  祖先が子孫に残した一家の教誡。

天授:  天からさずかったもの。

広成子: 中国の伝説、伝奇(神仙伝)に出てくる仙人。

空トウ山の石の部屋で暮らしていた。

彼が千二百歳の時に黄帝が至上の道について尋ねてきた。

広成子は「お前が天下を治めるようになってから鳥類は

その季節にもならないのに飛び立ち、草木は黄葉する前に散るようになった」と言って断った。

黄帝が三ヶ月間閉居した後に再び教えを請うと、広成子はこれに答えたという。

所使: 駆馳するところ。

漢現の十二時中: 中国人が現実に活躍している二十四時間のうちの意。



現代語訳

雪峰真覚大師が、あるとき衆僧に(自分の眼を示しながら)言った、

この一事を理解したいならば、自己本来の面目(真の自己)は

一枚の古鏡のようなものであると理解すべきである

胡人が来れば胡人が映り、中国人が来れば中国人が映る」。

そのとき玄沙和尚が前に進み出て質問した、

突然、明鏡が出現したらどうなりますか?」 

雪峰禅師は言った、

胡人も中国人も共に姿を隠す。」

玄沙は言った、

私の場合はそうではありません」。

雪峰禅師は言った、

お前の場合はどうか?」

玄沙は言った、

和尚さん、あなたから、〈もう一度同じ〉質問をして下さい」。

雪峰禅師は言った、

突然、明鏡が出現したらどうか?」と。

玄沙は言った

〈一切の事物が〉こなごなにくだけ落ちます」。

いまここに雪峰禅師が言っている「この一事」とは、

是れ(自己本来面目=真の自己)とは何事か」というふうに学ぶべきである。

そこで、雪峰が説いた古鏡について学んで見よう。

「一枚の古鏡のようだ」という言葉で、

一枚とは辺際きわがなくなって、内とか外とかの区別が全くない。 

一粒の真珠が、盤上を自由自在に転がり廻るような自由な自己を言うのである。

 また「胡来胡現(胡人が来れば胡人が映る)」とは一人の赤ひげの胡人を指している。

また「漢来漢現(漢人が来れば漢人が映る)」という場合の「漢」とは、

天地開闢の混沌から、盤古が現われ、天・地・人の三才が出現し、

木・火・土・金・水の五才が現成したのだと云い伝えてきた。

雪峰は、古鏡の作用として漢人(中国人)が出現したことを言っているのである。

つまり現在の漢人(中国人)は(古代の漢帝国の)漢人とは異なることから、

端的に漢人の出現というのである。

また雪峰の「胡漢倶隠(胡人も漢人も共に姿をかくす)」という言葉は、

さらに言葉を変えれば、「鏡自体もまた姿を隠す」になるだろう。

〈なお〉玄沙和尚の「百雑砕(もろもろの事物が一切くだけ落ちる)」という言葉は、

言葉で表現しようとすればこのような言葉になるかも知れないが、別の言葉でいえば、

先日来、私は師に対して、木葉微塵に打ちくだかれた砕片をお還しいただきたい

とお願いしておりますのに、どうして、明鏡なぞという立派なものをお還し下さるのですか

ということである。

古代の黄帝の時代に、十二枚の鏡があった。

黄帝に伝えられた家訓によれば、天から授かったとされている。

また、空トウ山(くうとうざん)において、広成子が〈黄帝に〉授けたともいわれている。

その十二枚の鏡を使用する方法は、二十四時間のうち、一時(2時間)ごとに一枚を使用する。

また十二ヵ月の毎月に一枚を使用する。

さらに十二年の1年ごとに、毎年一枚を使用する。

いわば、「鏡は広成子の経典である。」

黄帝に伝授したのは12時などの鏡である。

これによって過去と現在を照らすのである。

12時がもし鏡でなかったならば、どうして過去を照らすことができるだろうか。

12時がもし鏡でなかったならば、どうして現在を照らすことができるだろうか。

この経典を広成子が黄帝に伝授したが、

それにより二十四時間や十二ヵ月や十二ヵ年はいずれも鏡としての性質を帯び、

それ以来、過去と現在を照らして今日に至っているのである。

ここに言う十二時(=24時間)とは、十二枚のことであり、

十二枚とは十二枚の鏡のことである。

過去・現在の時間は十二時(=24時間)に使われるところである。

 黄帝の十二枚の鏡はこの道理を示しているのである。

この十二枚の鏡に関する説話は

俗世間(仏教関係以外の人々)の語るところではあるが、

現実に中国人が活躍している二十四時間内の事である。



解釈とコメント

 雪峰の質問「突然、明鏡が出現したらどうか?」

自己本来の面目に突然出会って

見性した時の体験についてどうかと聞いている

と考えることができる。

この時、玄沙は、「百雑砕(もろもろの事物が一切くだけ落ちた)」と答えた。

玄沙は自己本来の面目に突然出会って見性した時、

百雑砕した(もろもろの事物が一切くだけ落ちた)」ようだっと

自己の見性体験について説明していると考えることができる。

道元はこの玄沙の言葉について、

先日来、私は師に対して、木葉微塵に打ちくだかれた砕片をお還しいただきたい

とお願いしておりますのに、どうして、明鏡なぞという立派なものをお還し下さるのですか

ということだとコメントしている。

道元のこのコメント(解釈)はなかなか難しい。

むしろ、玄沙は「百雑砕(もろもろの事物が一切くだけ落ちた)」と表現することで、

と今までの自己と旧知旧見にこだわる自己への執着心が

木端微塵に粉砕されるような見性体験を説明している

と考えた方が分かり易いのではないだろうか。

 玄沙の「百雑砕(もろもろの事物が一切くだけ落ちた)」

という言葉は道元禅師が見性した時の言葉「心身脱落」に似たところがある。



7

 第7文段


原文F


軒轅黄帝、膝行してクウトウに進んで、道を広成子に問ふ。

時に広成子曰く、「鏡は是れ陰陽の本、身を治めて長久なり。

自ら三鏡有り、云く天、云く地、云く人。此の鏡、無視なり、無聴なり。

神を抱(おさ)めて以て静かに、形、将に自ら正しからんとす。

必ず静にし、必ず清にし、汝が形を労すること無く、

汝が精を揺すこと無くんば、乃ち以て長生すべし」

むかしはこの三鏡をもちて天下を治し、大道を治す。

この大道にあきらかなるを、天地の主とするなり。

俗のいはく、「太宗は人をかがみとせり、安危理乱これによりて照悉する」といふ。

三鏡のひとつをもちゐるなり。

人を鏡とするとききては、博覧ならん人に古今を問取せば、聖賢の用舎をしりぬべし。

たとへば魏徴をえしがごとく、房玄齢をえしがごとしとおもふ。

これをかくのごとく会取するは、太宗の、「人を鏡とする」と道取する道理にはあらざるなり。

「人を鏡とする」といふは、鏡を鏡とするなり、自己を鏡とするなり、

五行を鏡とするなり、五常を鏡とするなり。

人物の去来をみるに、来無迹去無方を人鏡の逆理といふ。

賢不肖の万般なる、天匁に相似なり。

まことに経緯なるべし。

人面・鏡面・日面・月面なり。

五嶽の精、および四トクの精、世をへて四海をすます、これ鏡の慣習なり。

人物をあきらめて経緯をはかるを、太宗の道といふなり。

博覧人をいふにあらざるなり。


注:

軒轅(けんえん): 黄帝の名。

黄帝は河田省新郎県の軒轅(けんえん)の丘に生れた。

そこで軒轅氏という。軒轅黄帝以下の文は、荘子巻四、在宥第11の取意文。

膝行:  膝を地にすりつけながら行くこと。貴人の前での礼儀。

クウトウ: クウトウ山。『神仙伝』巻一の『広成子』によると、

広成子は古代中国の仙人で、クウトウ山の石の部屋で暮らしていた。

クウトウ山は黄帝が広成子に至道を問うた所という。

クウトウ山は、伝説空想上の山で、その所在について諸説がある。

陰陽: 陰と陽。天地間にあって万物を生ずる二気。

また、日月・乾坤・寒暖・男女等のように互いに対立する性質のものをいう。

形: かたち、すがた、外形、肉体。

精:  たましい、こころ、精神。

大道:  道はことわり、秩序。大道は宇宙に遍満する偉大な秩序。

治す:  おさめる、ただす、ととのえる。

太宗: 唐朝の第2代皇帝太宗(在位、626〜649)。

高祖李淵の次男で、李淵と共に唐朝の創建者とされる。

隋末の混乱期に李淵と共に太原で挙兵し、長安を都と定めて唐を建国した。

貞観政要に「唐太宗・・・以人為鏡・・・」とある。


李世民像

 図 唐の太宗李世民像


理乱:理はおさまる。乱はみだれる。 

照悉: ことごとくを照らすの意。

博覧: 見聞がひろいこと。

聖賢: 聖人と賢人。また、知識・人格にすぐれた人物。

用舎: 用はもちいる。舎はすてる、捨に同じ。

魏徴: 魏 徴(ぎ ちょう、580 〜643)は、唐の政治家。

字は玄成。唐、曲城の人。字は玄成。唐の高祖、太宗に仕え、名臣の誉れが高かった。

房玄齢: 房玄齢(ぼう げんれい 578年 - 648年)は中国唐代の政治家・歴史家。

太宗の権力奪取を助け、貞観の治の立役者で唐代最高の政治家の一人とされる。


房玄齢

 図 房玄齢(ぼう げんれい、578年 - 648年)


五常: 五常(ごじょう)は、儒教で説く5つの徳目。

仁・義・礼・智・信を指す。人が常に行なうべき五種の正しい行ない。

人鏡の道理: 人を鏡とする場合の基本的な裡論。

天象: 天体の現象。日月星辰。

経緯:たて糸と横糸。物事の骨子となるもの、天地の基準。

五嶽:  中国において、国の鎮めとして尊んだ五つの名山。

天子がこれを祭り、ここに巡幸した。

泰山(東岳)華山(西岳)・霍山(南岳)・恒山(北岳)・嵩山(中岳)の五山をいう。

精: 精気、精髄。

四トク: 中国の四大河。

長江、黄河、桐柏山から出る淮水(わいすい)・済水の四大河をいう。

四トクの精: 中国の四大河の精。

四海:   四方の海。 

慣習:  ならわし、ならい、習慣。



現代語訳

軒轅黄帝が、クウドウ山に上り、道を広成子に質問した。

広成子は言った、

鏡は陰陽の本で、永く身を治めるのである。自づから、三つの鏡がある

一つは天、一つは地、最後の一つは人である

これらの三種の鏡は、いずれもものを見たり、聞いたりすることはない。五官の対象ではない

精神をしずめて平静な状態にあれば、肉体もまさにひとりでに正しくなる

そして心身が平静となり、清浄となり、お前は肉体を苦しめることもなく

精神を動揺させることもなくなれば、長生きすることができるであろう」。

昔は、この天・地・人という三鏡を基準にして天下をおさめ、人倫の大道を正したのである。

〈そして〉この大道に明らかな人を天地の主としたのである。

俗書にいう、

唐の太宗は人を政治の鏡とした

天下の安危理乱をこれによって照らし視た」という。

〈天・地・人〉の三鏡の中の一つを用いたのである。

人間を鏡として〈政治を〉考えるという言葉を聞いて、博覧の人に古今のことをたずねたならば、

聖賢は人を選ぶことを知ったであろう。

たとえば唐の太宗が臣下として魏徴を得たような場合であり、

房玄齢を得たような場合であると思う。

 「人をかがみとする」という言葉をこのように理解することは、

太宗が「人を鏡とする」という言葉の意味とは違う。

人を鏡にする」ということは、真の自己の正体(本来の自己=健康な脳)

としての鏡を鏡とするということであり、自己を鏡とすることである。 

それは五行(木・火・土・金・水)を鏡とし、

五常(仁・義・礼・智・信)を鏡にすることである。

人物が現われたり去ったりする〈様子〉を見ると、

何処から来たかの跡はなく、どの方角に去ったか分からない。

それを、人を鏡として考える場合の道理というのである。

人間には賢人もいれば愚人もいるなど千差万別である。

それは、天体現象が多種多様であるのに似ている。

それこそ天地間のすじ道であろう。

 人面も鏡であり、鏡面も鏡であり、日面、月面も鏡である。

五嶽の精気や、四大河の精気が、長い年月を経て、四方の海を浄化している。

これこそ天地間の基準としての鏡の為すところである。

人物を明らかにして、経世を計ることを、太宗の道というのである。

古今の知識に見聞のひろい人を基準に選ぶということではない。



解釈とコメント

ここでは、軒轅黄帝の質問に対して云った、仙人広成子の答、

鏡は陰陽の本で、永く身を治めるのである。自づから、三つの鏡がある

一つは天、一つは地、最後の一つは人である

これらの三種の鏡は、いずれも、ものを見たり、聞いたりすることはない

五官の対象ではない。精神をしずめて平静な状態にあれば、肉体もまさにひとりでに正しくなる

そして心身が平静となり、清浄となり、お前は肉体を苦しめることもなく

精神を動揺させることもなくなれば、長生きすることができるであろう。」

が興味深い。

仙人広成子は

精神をしずめて平静な状態になれば、肉体もひとりでに正しくなる

そして心身が平静となり、清浄となり、お前は肉体を苦しめることもなく

精神を動揺させることもなくなれば、長生きすることができる。」

と考えていたことが分かる。

この精神鎮静化法は坐禅と共通するものがある。

古代中国の仙人の思想が禅を通して何らかの影響を与えていたことを示唆している。

また中国古代の健康法としても興味深い。



8

 第8文段


原文G


日本国、神代より三鏡有り、璽と剣と、而も共に伝来して今に至る。

一枚は伊勢大神宮に在り、一枚は紀伊の国日前社に在り、一枚は内裏の内侍所に在る。

しかあればすなはち、国家みな位を伝持することあきらかなり。

鏡をえたるは国をえたるなり。

人つたふらくは、この三枚の鏡は、神位とおなじく伝来せり、天神より伝来せりと相伝す。

しかあれば百練の銅も陰陽の化成なり。

今来今現、古来古現ならん。これ古今を照臨するは、古鏡なるべし。

雪峰の宗旨は、「新羅来新羅現、日本来日本現」ともいふべし。

「天来天現、人来人現」ともいふべし。

現来をかくのごとくの参学すといふとも、

この現いまわれらが本末をしれるにあらず、ただ現を相見するのみなり。

かならずしも来現をそれ知なり、それ会なりと学すべきにあらざるなり。

いまいふ宗旨は、胡来は胡現なりといふか。

胡来は一条の胡来にて、胡現は一条の胡現なるべし、現のための来にあらず。

古鏡たとひ古位なりとも、この参学あるべきなり。


注:

 璽: 天子の印。泰以来、玉を用いて作り、天子のみに用いる。

しかしここでは三枝の神器の中の八坂瓊(やさかに)曲玉を指す。

剣:  ここでは三種の神器の中の草薙剣を指す。

日前社(ひのくましゃ): 和歌山市秋月に日前神宮として現存している。

内侍所:  温明殿の別名。

三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)を祭ってある所、賢 所。

内裏: 大内裏の中の皇居、天皇の常に住む御殿。

百練: 何回となく練り鍛えること、百錬。

 陰陽: 陰と陽と。天地間にあって、万物を生ずる二気。

照臨:  高い所から四方を照らすこと。

一条: 一筋。始めから終りまで同質であることの形容。



現代語訳

日本国には神代から三つの鏡があり、曲玉と剣と一緒に、伝承されて今に至っている。

一枚は伊勢大神宮に、一枚は紀伊の国日前社に、一枚は宮中の賢所にある。

このようであるから、国家はみな、鏡を伝承し保持していることが分かる。

すなわち鏡を得たということは、国を得たと同じことである。

言い伝えによれば、この三枚の鏡は、神の権威に基づく

〈天皇の〉位に伴って伝承されて来たのであり、

天神から伝来したと伝えられている。

したがって百錬の銅も、

天地間にあって万物を生むところの陰陽二気が変化して出来たものである。

現在が来れば現在が映り、過去が来れば過去が映るといってもよい。

すなわち古今を照らしだすものは古鏡であろう。

雪峰の言葉の主旨は「新羅人が来れば、新羅人が映り、日本人が来れば、日本人が映る

と言ってもよいだろう。

天人が来れば、天人が映り、人間が来れば、人間が映る」ともいえるだろう。

しかし、「現来」を、このように学んだからといって、

この「現来」が、われわれの過去・現在・未来を知る訳ではない。

現(映る)」ということと出会ったに過ぎないのだ。

必ずしもその「来る)」とか「「映る(現)」に会うことを知り、

理解するのだと、学ぶべきではない。

今言う主旨は、「胡来」ということは、「胡現(胡人が映る)」というのであろうか。

いや、そうではなく、「胡来」とは、「胡人が来た」それだけのことであり、

胡現(胡人が映った)」は、「胡現(胡人が映った)」というだけである。

現(映る)」のために、来たのではないのである。

たとえ古鏡は古鏡であるとしても、このような参究しなければならない。



解釈とコメント

ここで道元の議論は日本の神代から伝えられて来た三つの鏡から

国家と鏡の問題にも議論が拡大している。

ここでの議論は禅の主題である本来の自己の本質である古鏡(脳)の問題から少し離れたところもある。

しかし、国家と鏡の関係を議論する道元の該博な知識と問題意識が伺われて興味深い。

禅本来の議論は禅の主題である本来の自己の本質である古鏡(脳)の問題であるはずである。

しかし、道元は古鏡という言葉にふくまれる鏡という言葉(or漢字)に注目し、

日本の神代から伝えられる鏡(三種の神器)の問題に議論を拡張し、

複雑にしている嫌いがある。

しかし、鏡を通し国家と人が結びつくところが面白い。

道元の該博な知識には驚かされるが、

ちょっと問題意識が禅の主題から外れているのではないだろうか?」

と疑問に思うところもある。



9

 第9文段


原文H


玄沙いでてとふ、「たちまちに明鏡来にあはんにいかん?」

この道取、たづねあきらむべし。

いまいふ「明」の道得は幾許(きこ)なるべきぞ。

いはくの道は、「その来はかならずしも胡漢にはあらざるを、

これは明鏡なり、さらに「胡」「漢」と現成すべからずと逆取するなり。

明鏡来はたとひ明鏡来なりとも、二枚なるべからざるなり。

たとひ二枚にあらずといふとも、古鏡はこれ古鏡なり。

明鏡はこれ明鏡なり。

古鏡あり明鏡ある証験、すなはち雪峰と玄沙と道取せり。

これをば仏道の性相とすべし。

この玄沙の明鏡来の道話の、七通八達なるとしるべし。

八面玲瀧なることを、しるべし。

逢人には即出なるべし、出即には接渠なるべし。

しかあれば明鏡の明と古鏡の古と、同なりとやせん、異なりとやせん。

明鏡に古の道理ありやなしや、古鏡に明の道理ありやなしや。

古鏡といふ言によりて、明なるべしと学することなかれ。

宗旨は吾亦如是あり、汝亦如是あり。西天諸祖亦如是の道理、はやく錬磨すべし。

祖師の道得に、古鏡は磨ありと道取す。

明鏡もしかあるべきか、いかん。

まさにひろく諸仏語祖の道にわたる参学あるべし。


注:

幾許(きこ): どれほど。

二枚なるべからざるなり: 古鏡と明鏡の二枚であってはならない。

証験: あかし、しるし。

性相:  性は本性、本質。相は形相、外見、姿。性相は本質ならびに外見の意。

仏道の性相とすべし: 古鏡と明鏡は古鏡が性(本体、本性)で、

明鏡(分別智=理知や知性)は相(形相)の関係であるが一如(脳として一体)である。

七通八達: 縦横無尽に通達していること。

八面玲朧: いずれの方面も透きとおって明らかなこと。

心中になんらのわだかまりもないこと。

逢人: 人に逢うこと。

即出:  即座に出現するという意味。

出即: 出現した場合ただちにという意味。

接渠: 渠は彼に同じ。

接渠は彼に接すること、相手に出合った時には教化していること。



現代語訳

玄沙が進み出て質問した、「突然、明鏡が〈古鏡の前に〉出現したらどうなりますか?」と。

この言葉の意味を究明する必要がある。

ここにいう「明」という言葉は、どのように考えたらよいろうか。

いうところの意味は、古鏡に来るのは、必ずしも胡人や漢人の出現ではない。

今出現したのは、明鏡である。胡人や漢人を映しそのまま現成しはしない。

明鏡が出現する」とは、「明鏡が出現する」ことにほかならないからと、

明鏡と古鏡の二枚があってそれが一枚に重なるというふうに考えてはならない。

たとえ二枚でないからといっても、古鏡は古鏡であり、明鏡は明鏡である。

そして古鏡もあれば、明鏡もあることの証拠は、雪峰と玄沙の問答が示している。

これこそが仏道の本質と形相であると考えるべきである。

玄沙が言う「明鏡が古鏡の前に出現したらどうなりますか?」という言葉は、

その意味が融通無碍であり、縦横無尽であると知るべきであり、

あらゆる面から見て透明で美しいと知るべきである。

人に逢えば、立ちどころにその人を映し

映せば、直ちにその人を教化しているであろう。

鏡と鏡が相会うのだ。

そうであれば明鏡の「明」と、古鏡の「古」は、同一と見たらよいだろうか、

異なると見たらよいだろうか。

明鏡という言葉の中に、「古(永遠)」という意味があるだろうか、ないのだろうか。

古鏡という言葉の中に、「明」という意味合いが含まれているだろうか、ないだろうか。

古鏡という言葉を聞いて、「さぞかし曇りはなく明るいだろう」などと思い込んではならない。

言いたいことは、

吾亦如是(わしもまたありのままであり)、汝亦如是(お前もまたありのままである)

ということである。

また「西天の諸祖もまた是くの如し

という「如是の法」を、速やかに練磨し覚らなければならない。

「宝鏡三昧」冒頭の句を参照)。

祖師は「古鏡は磨くことができる」と言ったとされる。

明鏡についても同じであろうか。お前はどう考えるか。

まさに諸仏諸祖の言われたところを、広く参究すべきである。



解釈とコメント

ここでは雪峰と玄沙の問答に立ち返り、

玄沙の質問「突然、明鏡が〈古鏡の前に〉出現したらどうなりますか?」

という意味について議論している。

明鏡という言葉が古鏡という言葉とともに出てきている。

ここでは古鏡は下層脳(脳幹+大脳辺縁系)優勢の脳、

明鏡とは動物から人間に進化した時発達した大脳新皮質の理知脳を中心とする脳(上層脳)

のことだと考えて解釈しよう。

そのような脳科学的観点に立つと、

明鏡が古鏡の前に出現したらどうなりますか?」という質問は

「明鏡(理知脳を中心とする脳)が古鏡(下層脳(脳幹+大脳辺縁系)優勢の脳)を覚知し、

見性した時にはどうなるか?」という意味になると考えられる。

上層脳と下層脳については「禅と脳科学その1」を参照)。    




10

 第10文段


原文I


雪峰道の胡漢倶隠は、胡も漢も、明鏡時は倶隠なりとなり。

この供隠の道理いかにいふぞ。

胡漢すでに来現すること、古鏡を相ケイ礙せざるに、なにとしてかいま倶隠なる。

古鏡はたとひ胡来胡現、漢来漢現なりとも、

明鏡来はおのづから明鏡来なるがゆゑに、古鏡現の胡漢は倶隠なるなり。

しかあれば雪峰道にも古鏡一面あり、明鏡一面あるなり。

正当明鏡来のとき、古鏡現の胡漢をケイ礙すべがらざる道理、あきらめ決定すべし。

いま道取する古鏡の「胡来胡現、漢来漢現」は、古鏡上に来現すといはず、

古鏡裏に来現すといはず、古鏡外に来現すといはず、古鏡と同参来現すといはず。

この道を聴取すべし。胡漢来現の時節は、古鏡の胡漢を現来せしむるなり。

胡漢倶隠ならん時節も、鏡は存取すべきと道得せるは、現にくらく来におろそかなり。

錯乱といふにおよばざるものなり。


注:

おろそか:注意の足りないさま。なおざり、粗略。



現代語訳

雪峰の言う「胡漢ともに隠れる」とは、

胡人も漢人も、曇りのない明鏡が来た時には、ともに隠れる」という意味である。

この「ともに隠れる」とはどのような意味であろうか。

  胡漢が来れば胡漢を映すことは、古鏡の性質と相反することはないのに、

どうして現に胡人も漢人も共に姿を隠すのだろうか。

古鏡は仮に「胡来胡現、漢来漢現」であろうとも、「明鏡来」は、

当然、「明鏡が出現した」ということ以外の何物でもないのだから、

古鏡が意識の対象となってしまうと、姿を隠すのである。

したがって雪峰の言葉の中にも、古鏡が一枚あり、明鏡が一枚あるのである。

明鏡が出現しても、古鏡が映し出す胡人や漢人の映像を排除し妨げるようなことはない

という道理を解明し、明らかにすべきである。

いまいうところの古鏡における「胡来胡現、漢来漢現」 とは、

古鏡の上に来たり映ったりするのでもなければ、

古鏡の中に来たり映ったりするのでもない。

また古鏡の外に来たり映ったりするのでもなければ、

古鏡と同時に来たり映ったりするのでもない。

この言葉を傾聴すべきである。胡人や漢人が来たり映ったりする時点においては、

古鏡が胡人や漢人を映らせ来させるのである。

また胡人や漢人が共に姿をかくす時点においても、鏡は依然として存在し続けると主張することは、

映る(現)ということについても理解が欠けているし、来る(来)ということについても理解が充分でない。

それはまさに錯乱状態だと評しても、不充分である。



解釈とコメント

この文段では、玄沙の質問、「突然、明鏡が出現したらどうなりますか?」

に対する雪峰の答「胡漢ともに隠れる」とは、

胡人も漢人も、曇りのない明鏡が来た時には、ともに隠れる」という意味である。

この「ともに隠れる」とはどのような憲味であろうかと考察している。

  胡漢が来れば胡漢を映すことは、古鏡の性質と相反することはないのに、

どうして現に胡人も漢人も共に姿を隠すのだろうか。

道元は仮に「胡来胡現、漢来漢現」であろうとも、

明鏡来」は、当然、「明鏡が出現した」ということ以外の何物でもないのだから、

古鏡が意識の対象となってしまうと、姿を隠すのであると説明している。

これは明鏡が出現すると、明鏡(上層脳=理知脳)が意識の中心となって働き始める。

そうなると無意識脳(脳幹+大脳辺縁系)を中心とする古鏡は意識下(無意識下)に

入って姿を隠すと説明していると考えることができるだろう。

これは明鏡(上層脳=理知脳)が注意を一方に向けると

明鏡(上層脳=理知脳)が意識の中心となってしまうので、

無意識脳(脳幹+大脳辺縁系)を中心とする古鏡は意識下(無意識下)

に入って姿を隠すと説明していると考えることができる。

道元のこの説明は合理的だと考えることができるだろう。





     

参考文献など:



1.道元著 水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫、1992年

2.道元著、水野弥穂子校註、岩波書店、岩波文庫「正法眼蔵(二)」2004年

3.西嶋和夫訳著、仏教社、現代語訳正法眼蔵 第二巻

4.西嶋和夫訳著、仏教社、現代語訳正法眼蔵 第三巻

5.石井 恭二注釈、現代語訳、河出書房新社、正法眼蔵 1 、1996年

6.石井 恭二注釈、現代語訳、河出書房新社、正法眼蔵 、 1996年



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