「子どもに教えられたこと」
朝倉玲 



大学生になるまで、私は小さな子どもがあまり好きではなかった。
嫌いではなかったけれど、あの未熟で理屈の通らない生き物をどう扱って良いのかわからなくて、できるだけ子どもとは接触しないようにしていた。
親戚の子どもたちが遊びに来ると、子ども好きの妹弟たちは気軽にしゃべったり遊んだりしていたけれど、私は少し離れたところから、ただ眺めて過ごしているだけだった。

ところが、何の皮肉か、私が選んだ進路は小学校の先生になるための大学。4年生になると、嫌でも現場の小学校に教育実習に行かされる。
高学年ならいいなぁ、と思った。それなら、少しは話も通じるだろうから。
ところが、私が行かされたのは小学1年生のクラス。しかも、行った時期は5月。幼稚園や保育園を出たばかりの、まだ幼児の匂いをぷんぷんさせた子どもたちの相手をする羽目になった。
何をどう話せばいいのやら。何をどうしたら分かってもらえるのやら。
とまどいながら小学校に通い始めた。

けれども。
そこにいた子どもたちは、小さくても、ちゃんとした「人間」だった。
確かに未熟だけれど、豊かな喜怒哀楽の感情を持ち、自尊心があり、自分なりの価値観があり、成長しよう、良くなろうとする強い意志を持っていた。
どの子どもも、生き生きと、そして精一杯に自分の時間を生きていた。
確かに、大人の理屈は通じにくかったけれど、相手に分かる言葉で話すようにすれば、ちゃんと彼らは理解できた。
こちらがまっすぐ話しかければ、まっすぐそれに答えてくれた。
子どもたちがまぶしかった。
なんてすごいんだろう! こんなに小さくても、一人前の「人間」なんだね!
そして、本当に、なんてエネルギッシュ!
子どもたちの「生きよう」「良くなっていこう」という前向きの力が、私を圧倒した。

私は子どもたちに降伏して、自分のそれまでの考え方を全面的に改めることにした。
子どもは小さくたって、立派な人間なんだ。
人間として、一人前に扱われるべき存在なんだ、と。



けれども、それは普通の子どもの話。
結婚するまで、私は神様に祈り続けていた。
どうか障害のある子どもはお与えくださいませんように。
とても育てられる自信はありません。その子の将来を悲観して、母子共々心中してしまうかもしれません。
ですから、どうかどうか、私に障害児が生まれてきませんように。
・・・と。

1人目の子どもは、どうやら健常だった。
ところが、2人目がいつまでたってもできない。
子どもは2人欲しいと思っていたのに、待てど暮らせど、どうしてもできない。
待って待って、待ち続けて・・・とうとうあきらめかけたとき、突然、新しい命に恵まれた。
長男が生まれてから、すでに5年半が過ぎていた。
クリスマス・イブの日に妊娠が分かったので、これは神様が与えてくれた子どもだ、と素直に考えてしまった。

次男は8月も終わりに近い、暑い日に生まれてきた。
陣痛微弱、高位破水、無事出産はできたけれど、羊水混濁から来る新生児肺炎で生後2日目から入院。
その後も気管支炎をしょっちゅう起こすし、ミルクは飲まない、夜泣きはひどい・・・とにかく戦争のような乳児期だった。
私は精神的にも肉体的にも疲れ切って、何度もメニエルの発作で倒れた。

その間も、次男はどんどん動きが活発になってきた。
歩行器で家の中を暴走して回る。ものを片っ端から出して、家中が足の踏み場もなくなる。かと思うと、何かに熱中しすぎて、耳が聞こえないんじゃないかと思うほど知らんふりをする。喃語は早かったのに、意味のあることばをしゃべり出さない。
見ているだけでも「?」な行動が増えてきた。
「?」は、彼が成長するにつれて、どんどん増えてきて・・・。

とうとう、親である我々も、このままにしておいてはいけない、と思う日がきた。
彼になんらかの障害があるのは、間違いなかった。
予想される診断名は、自閉症かADHD。
覚悟を決めて行った発達相談会で、専門医に下された診断は、ADHD。
でも、不思議なくらい、私はショックを受けなかった。

障害児を授かってしまったら、それだけでその子の人生が終わってしまうように感じて、ずっと私は恐かった。
ところが、実際に彼の障害が分かったとき、彼はすでに、自分の可能性をたっぷり我々に見せつけていたのだ。
確かに多動。確かに困難。
だけど、その中にきらりと光る才能をいくつも持っている。
昔、実習で出会った子どもたちと同じように、生き生きと毎日を生きて、成長を続けている。
とてもエネルギッシュ。とてもとても魅力的。

そのとき、ようやく私は気がついた。
障害があるということは、その子どもの人生を否定するものなんかじゃないんだ、と。
確かに生きていく上でハンディキャップにはなるけれど、でも、それと二人三脚しながら、障害児もやっぱり前に向かって生きていくんだ、と。

それならば、私も母親として、精一杯手を貸してやろう、と思った。
なにより、この子自身が「成長したい!」と叫んでいたから。
この子自身が、生きたがっていたから。



それから後のことは、日記などで読んでいただいているとおり。
毎日がとても充実していて、毎日が発見と喜びの連続。・・・もちろん、たまにはがっくり落ち込む日もあるけれど、でも、一晩眠ればまた元気が湧いてきて、この子はこの子のペースでいいさ、と思えるようになる。
そんな私たちを見て、旦那が言う。
「普通、こういう子どもがいたら、家の中はもっと暗くなるもんだよな」
でも、我が家は毎日笑いであふれている。涙を流さない日はあっても、笑い声の上がらない日はない。
その笑いの中心には、いつも次男がいる。

元気に毎日を生きている彼。その瞳は、いつも未来を見つめている。
「大きくなりたいなぁ」「素敵な大人になりたいなぁ」と、独り言のように彼はつぶやく。
うん、きっとなれるよ。きっと、必ず。
君がそんなふうに自分の未来を信じていられる限り、きっと、君はどんどん素敵になっていく。
母や父のつとめは、そんな君の「未来」を守っていくことだろうと思っている。
君が、自分を好きな大人になっていけるように・・・。


君が生まれる前から好きだった、金子みすゞの詩。
その本当の良さを教えてくれたのは、君だった。


 すずと、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。


みんなが同じである必要はない。
それぞれが自分らしく輝いていくこと。
それをめざして進めればいい。



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